あいちトリエンナーレ不自由展に関する専門家意見と民意乖離2
  (表現の自由市場論11と世論軽視論の矛盾3)

ウイキペデイア引用続きです。

あいちトリエンナーレでも芸術監督の津田大介が『平和の少女像』を「日本政府の歴史認識を超えた歴史観を僕たちに押しつけるものではなく、そのような過去を反省し、未来に向けて立派に生きていくことを誓った僕たち日本人を貶めるものではないと考えます」として展示を決定し[96。
解説を担当した岡本有佳は「(日本国内で朝鮮半島に対する)植民地支配に向き合おうとする人たちに希望をつないでほしい」と述べ[52]、英語の解説は慰安婦問題日韓合意で使用が禁じられた「性奴隷(victims of the Japanese military sexual slavery)」という単語[97] を用いて行われた[98]

以上によれば慰安婦=性奴隷か否かについて日韓で激しく争っている政治テーマについて韓国の政治立場主張のための展示であることは明らかです。
野党やメデイア系の多くは安倍政権が悪いのであって国民は慰安婦=性奴隷論に怒っていないと言うスタンスが前提でしょうか?
ウイキペデイアには、米国は戦後永続的日本支配道具にしていたに過ぎない歴史修正主義者非難論に便乗した「歴史修正主義者」と言う古色蒼然たる?批判論も紹介されていますが、このレッテル貼りさえすればメデイア界で抹殺できる古びた手法が大学名誉教授によって主張されています。
擁護論の一つですのでまとめて後に引用するつもりでしたが、ここで書いておきたいので抜き出して一部紹介します。

荻野富士夫小樽商科大学名誉教授や醍醐聰東京大学名誉教授らが加わって「歴史修正主義とのたたかいでもある」と決起した[119]。また、日本史研究会も2019年度の大会で「歴史の学術研究の成果を無視し、隣国への差別意識を助長する歴史修正主義及び排外主義に反対するとともに、昨今の事態に深い憂慮を表明し、表現・言論・学問の自由の重要性を強く社会に訴えるものである。」と声明を発表した[120]。

歴史修正主義者論のレッテル貼りは、米国の日米戦争ひいては原爆投下の正当化論であり、敗者日本の反論を許さないために行われてきた自由な言論禁止道具です。
米国にとって、日米戦争は悪の帝国日本対正義の国米国の戦いであった図式に対する挑戦を許さない基本方針があり、この現実的表現が歴史修正主義者と言うレッテル貼りでした。
欧米諸国ではナチスの研究すら許されれない・・刑事罰があると言われています。
革新系は本来旧中ソ陣営と敵対する総本山・米国を天敵視しているのですが、さしあたり保守系政治家が米国とうまく行かない方が良いに決まっているので、米国の基本方針を利用して靖国神社参拝=戦犯・極東軍事裁判の正当性を認めないかの踏み絵を迫る→「この人らは歴史修正主義者です」と米国に事実上通報する機能を果たしてきました。
日本政府と(安倍政権)米国関係を離間する策を当面の基本方針とし、米国メデイアに対して米国が最も嫌い警戒する方向性・・日米戦の日本正当化論・歴史修正主義者であるという刷り込みを行っていたのです。
数日前に紹介した革新系が得意とする中国古来から得意とする讒諂面諛の工作活動でした。
メデイア界を牛耳っている中韓系勢力が米国にご注進に及ぶ工作はまんまと成功し、安倍政権発足直後には、反日的下院決議・・根拠のない慰安婦決議など連発していましたが、安倍氏との直接対話が進むに連れてオバマ政権も軌道修正するようになり、ヒラリー氏も中国批判に転じていました。
このようにメデイアの振り付けどおりにならない状態・・広島訪問など日米親密化が進んでいた現実変化・・今更歴史修正主義者のレッテルさえ貼れば終わる時代ではなくなっているのをまだ認めていない学者がいるようです。
外国政府はメデイア報道に頼る面が強い・・各国東京特派員・・多くても4〜5名程度の派遣では(外国人記者クラブでの表向き発表を聞く程度・・政治分野でも総理番、〇〇番などマンツーマンで特定政治家に張り付いて情報収集
する番記者もいないし、企業その他の幅広い独自情報網がない・・結果、総合的な情報分析能力がないので、日本大手メデイアの総合判断のまとめをもらって本国報告するシステムになっている関係は仕方ないところです。
この実態を知っているのにこれを捨象して慰安婦報道に関する朝日新聞の検証委員会が諸外国で朝日新聞の引用が少ない・諸外国独自情報であるという形式論で朝日の主張が海外伝播力が少ないという結論を出したのは、朝日の責任回避目的の内部検証委員会の限界であるとこのコラムで書きました。
また諸外国も現地報道会の共通認識をまとめて本国で報道しているにすぎないにも関わらず、形式上は自社独自情報で報道しているので朝日新聞が訂正しても過去の自社報道の訂正必要がないという姿勢完徹ですので、公式見解・・国際認識としては性奴隷説がそのままのようです。
日本も朝日その他有力紙がニューヨークタイムズなど大手と社員相互交換で駐在させていると言われ、米国外国情報は諸外国大手メデイアの受け売りが入り、それの米国本社チェック部門に日本関連では・日本の情報に通じた米国人社員が担当するが、日本から派遣社員がそのスタッフに入るスタイルが基本です。
米国人からすれば聞きなれない政治家の名前や大学名が出ても日本人ならば、どの派閥の中堅議員で親はこういう人とか、マイナー大学だがこういう特色がるとかの解説がすぐできるのでお互い重宝です・・。
同様の慣行でNHKの場合、中国系報道は新華社派遣社員の目を通してもらう慣行・事実上中国新華社の検閲になっていると右翼系は非難しています。
このような大手メデイア同士の上滑りの情報が世界を駆け巡る仕組みの欠点(馴れ合い体質)が明白化した・マスメデイア情報は全く当てにならないことを世界に示したのが・・トランプ氏の想定外当選でした。

表現の自由市場論3

思想界では憲法学界を中心にした専門家が大衆同様に「自由市場論に酔い痴れた」まま思想の自由市場とは何かの分析研究を怠って来たように見えます。
むしろ自由市場論=部外者の介入拒否論は、文壇や学会等の支配確立後は、支配グループにとって居心地良いので、自由市場論に寄りかかって閉鎖社会を守ってきたのではないでしょうか?
経済学の場合、現実無視のマルクス経済学が学内主流でもグローバル化の進む実業界は義理で付き合ってると倒産するので学者のご高説を祭り上げて別に進んできましたのでそのまま信じるのは無垢な世間知らずの学生くらい・・いわゆる過激派全学連にその影響力を残すだけで、こういう人を育てるために巨額費用を国民が負担する必要があるのかの議論こそが必要でしょう。
憲法学とその関連思想界では平和憲法という世界に例のない憲法なので「日本は特別」という議論で世界とまともな学問的交流の必要がないので、経済学のようにグローバル化の進む世界との整合性も不要・・破綻しない・・「平和憲法を守れ」というスローガンだけで済むので、今も過激派学生だけでなく一般人左翼系に影響力を持っていますが、これも最後の段階でしょう。
学問の自由と大学の自治の関係では東大ポポロ劇団事件で一定のケリがついたのですが、自治にかこつけた治外法権的主張がいきすぎた・・自治にかこつけて学界外の批判を受け入れないで派閥の独占的立場が強まりすぎると学問も芸術も窒息していくしかないでしょう。
仲間内のかばい合いだけの芸術なんて誰も支持しない時代が来るのではないでしょうか?
今でも、自由市場論=部外者の介入拒否にこだわるのが一般的ですが、一方で本来の市場で売れなくとも構わないと言い張るのが彼らの同時主張です。
上記浜崎氏の引用でも出ているようにゴッホの例を出すのが普通で、言葉の意味での自由市場を否定=公権力の保護=予算要求するのが彼らの主張です。
自由市場で売れない芸術も国家や自体権力の保護・美術館買い上げや、作成費補助金支給の基準はその分野の自治・分野のヘゲモニーを握るグループ支配に委ねろという論法です。
慰安婦像が韓国による政治目的の制作であることが、国際的周知の事実であるにも拘らずその制作費等を日本政府が補助金を出すべしという矛盾を要求したのが今回の愛知トリエンナーレ展主催者の主張でした。
以上は憲法の表現の自由論について法律雑誌に出ているのを余暇に拾い読みする程度の雑な記憶によるものですので、専門家の間では深い研究が進んでいるのかもしれません。
もしもそのような研究が進んでいるならば、憲法や思想会の有名学者が安易に思想の自由市場論を前提にした議論を進めないはずと思うのですが・・。
こういうまともな研究論文があるが、学会で無視されて市場評価に出られない・・干されているだけという場合にはお教えくだされば、ありがたいことですのでよろしくお願いします。
以下に現在の自由市場論が出ていますが、ちょっと読む限り「自由市場論が比喩的に表現されるようになった経緯を紹介しているだけで「だからどうなの?」という私の関心のある現状分析まで進んでいないように読めるのですが・・。
https://docs.google.com/document/d/1B_k-2lcstvNhZWWRqkWpEo0Evf1mJlU7NLjlDEZOEak/edit#

「言論の自由市場」再論 情報管理. 2017, vol. 59, no. 10, p. 699-701, doi: http://doi.org/10.1241/johokanri.59.699 大谷卓史(吉備国際大学アニメーション文化学部)
「言論の自由市場」とは,自由競争市場で,最適な資源配分が行われるという経済学的な仮定を意識した比喩だ」

という見出しですが、まさにそこで主張が止まっている印象です。
上記論文がなくとも元々商品市場の比喩に決まっていますが、比喩であるならば、そのまま準用できる分野と準用してはいけない分野の峻別が必要です。
産業系は原則自由市場で良いのですが、後進国においては、自国産業育成のために関税による保護が必要ですし、先進国でも公共事業は自由市場に委ねられないので税を徴収して警察組織を維持し、橋をかけたり港湾整備、美術館整備などしています。
芸術表現・例えばピカソやゴッホが制作当時売れなくとも後に価値が生じる例もあります。
思想表現も即時に市場評価で優劣を決めて良い分野か?そうでないとすれば将来の価値ある意見や芸術として保護すべきかどうかの判断は誰がすべきかが重要です。
将来に価値のある思想か?芸術品かの判断も市場評価に委ねるのも一方法です。
将来に価値ある思想か?芸術品かの判断も市場評価に委ねるのも一方法です。
事業でいえば将来性を織り込んで現在の評価がある・・株価が決まっていく仕組みです。
すなわち過去には、そういう目利き・・事業や政治分野等で成功した人材が時流に流されずに自己の見識に従って保護したり、パトロンになって過去の色んな優品制作を助けたので、後世に残ってきたのです。
現在高評価されていないが「これは凄い!」と後世に残す権利・・パトロンになれるのは、自己資金を投じることのできる一代の成功者にのみ許されることではないでしょうか?
公金給付補助基準を各界現役トップクラスが審査する以上は、その時代の目(世相、時流に流される)による基準しかあり得ないはずです。

表現しての自由市場論(愛知トリエンナーレ展)1

憲法学者・戦後思想界は表現の自由市場論を金科玉条にしていますが、自由市場の定義がはっきりしません。
商品の優劣は市場が決めるのが合理的と多くが認めるようになると何でも市場の選択に委ねるべきかのような比喩が行われるようになりました。
しかし「比喩」という言葉自体がそのまま適用できないという意味を含んだ概念です。
思想表現の世界に、本当に自由市場論が成立するか、どう言う場合に成立するか等の吟味なしに、憲法学や憲法学に連なる思想界が安易に飛びついたまま一向に検証しようとしないで、約1世紀間も安易に比喩し続けているとすれば、憲法学界・思想学会の怠慢(人材不足?)が窺われることになりそうです。
研究成果を門外漢の私が知らないだけという可能性がありますが、その論争や検証作業が一般に知られずに、何かというと「思想表現の自由市場に委ねるべき論」が横行している現状からすれば、仮に研究する(したい)人がいても学会でまともにその種研究が相手にされていないから誰からも引用紹介されないからではないでしょうか。
最近の事例では愛知トリエンナーレ展の論争が知られています。
例えば以下の主張です。

採録掲載「公的芸術支援と表現自由 憲法の観点から」志田陽子さん 武蔵野美術大学教授(憲法、芸術法)

スピーカー:志田陽子
武蔵野美術大学造形学部教授(憲法、芸術法)、博士(法学)
2020年2月13日 於:Kosha33
・・・ここでいう中立というのは、例えばある政治政党に関わっている作家だけが優遇されることがあってはならないといったような意味です。芸術作品に対して政治的中立を求めるという意味になるべきではありません。そしてその選別は一般市民よりも専門家の判断を信頼し委ねるべきだということで、審査員が必ずいるわけです。税金を使う行政の側は、専門家の判断を信頼して選別には直接関わらず距離を置くという考え方です。この考え方は主にイギリスなどでとられていると聞いています。日本でもこの方面の知識がある人は、「アームズ・レングスの原則」という言い方でこの考え方を取っています。

出展審査は芸術家グループが決めるので、その審査結果に行政は中立であるべき→行政や一般人の口出し禁止論ですが、審査員という特権階級が出品権を奪うのは構わないと言うことになりそうです。
この論は権力からの自由はあるかもしれませんが、同業者の「検閲」とは言わないでしょうが出品審査を許すので、特定思想の支配する集団が営む芸術祭展示はその方向性の主張一色になるのをどうするかです。
報道の自由も同じですが、審査委員会を通りさえすれば特定政党のプロパガンダばかりでも中立と言えるのでしょうか?
放送の場合反対意見を平等に扱うことが求められていますが、愛知トリエンナーレ展で左翼系出展機会を失っているものの救済強調ばかりで、右翼系が過激すぎるとして?公共機関での出展できていない展示がなかったという批判もされています。
以下の記述です
https://the-criterion.jp/mail-magazine/m20190902/

浜崎洋介】芸術における「政治主義」を排す―「表現の不自由展・その後」をめぐって

・・・・・・百歩譲って、今回の企画展の「政治主義」を認めたとしましょう。しかし、それならそれで、かつて、「芸術は、政治的プロパガンダのためにこそある!」と言ってはばからなかった共産党のように、主催者側は、飽くまで自らの筋を通すべきではなったか。津田氏は、「大量の抗議や脅迫の電話によって現場の組織機能が失われ、トリエンナーレとは無関係の組織にまで同様の電話が殺到して文字どおり悲鳴があがっていました」(前掲)と言いますが、そんな脅しに一々屈しているようなら、「表現の自由」も何もあったものではない。せっかくの「芸術監督」制度なら、全責任は自分が負うとした上で 補助金カットをちらつかせながら恫喝してくる政治家や、「テロ」を仄めかす脅迫者=犯罪者に対して戦い続けるべきでした。

ここには、津田氏の覚悟のなさ、格好付けの表現の不自由展に過ぎない・・戦う覚悟のない芸術監督ってなんだ?という批判ですが、その中に共産党の過去の公式政治主張を紹介しています。
左翼系は芸術や思想界を支配する長期戦略で行なっている実態・・芸術界憲法学会思想界や報道界を支配してしまえば、学会の審査を通しさえすればどんな一方的な政治主張でも芸術発表とか思想討論会を名乗れば公的助成を受けて・・税を使って宣伝し放題という戦略を野放しにして良いかの視点がありません。
現在国際政治問題になっているユネスコや ILOやWHO国連人権委員会等が、特定国が事実上牛耳ってしまっている弊害が大きな問題に浮上していて、米国はすでにユネスコへ分担金拠出を停止しているしWHOもその対象になっています。
日本も国際捕鯨〇〇からの脱退を決めました。
日本の報道機関の多くが中韓等の事実上支配下に入っていると言う右翼系ネット批判が激しいですが、彼らの主張によれば言わば、日本の思想界学会、報道界教育界が根こそぎ左翼系の牙城になってきたような状況らしいです。
共産党の思想教育・得意の洗脳教育は、早ければ早いほど良い・子供の教育から・・と言う長期計画通りに戦後すぐに、日教組が左翼系の牙城になったのでしょうか?

奥田愛基氏意見4(議員である前に個人?2)

革新系野党の候補者はどちらかといえば党中央の決めた落下傘候補らしく見え、地元でシコシコと票を稼ぐ人材に頼らない傾向が強いのは、党中央のイデオロギーの強化戦略性が強いからでしょうか?
党中央指名による?と結果的に弁の立つ医師弁護士学者等高学歴者を表に立てる傾向になる素地でしょうか?
民主主義社会における説得力とは、自分の主張に拘る人よりも選挙民の気持ちもよく聞いてくれるしこの人の言うことなら任せて見ようかとなる信頼される人格です。
革新系野党の候補者はどちらかといえば党中央の決めた落下傘候補で、地元でシコシコと票を稼ぐ人材に頼らない傾向が強いのは、党中央のイデオロギーの強化戦略性が強いからでしょうか?
民主国家においては誰が信頼に足る人かを決めるのは、選挙区内で身近に知る人が民意を吸収するその道のプロとして、国政を委ねるに足る人として投票し、代議士の集積した国会でさらにプロ同士の目で見た信頼に足る人を選出するのが議院内閣制の醍醐味です。
直接選出の大統領制の場合、国民99、99%がその人を直接知らないで投票を迫られるので、マスメデイアの露出度・メデイア人気・報道(フェイクニュース)次第で決まる傾向があり、メデイアの作り出した虚像・人気度が地元選出代議士の代わりになりかねません。
この結果メデイアを第四の権力という呼称が生まれてきたことになります。
革新系野党はメデイア受けする人材発掘に熱心ですし、メデイアと親和性が高いのは、一つには党中央支配が強く地元支持基盤構築に関心が低い面と繋がっているのかもしれません。
選挙区選挙を通り抜けてきた政治家は、民意を体で感じ取る能力と付託された民意を実現するに足る説得力に長けた人であるとの地元お墨付きを得ているその道のプロというべきです。
名門高校や大学に入学できて有頂天になってダメになる学生がいないとは限りませんが、多くは合格認定に恥じないようになお一層励みます。
学生は遊んでいてもすぐに除籍されませんし、被雇用者の場合も仕事が上手くいかなくともすぐ解雇になりませんが、政治家は次の選挙で(小選挙区の場合2番では落ちます)落選失職ですが、営業マンに例えれば、地区営業成績ナンバー2であれば、直ちに失職する厳しい採点を受ける職業です。
保守系政治家の場合、一種の自営業的選挙ですので小選挙区の衆議院議員は制度的に民意吸収に敏感であり、それに沿うように一生懸命に働かない限り次がない厳しい職務です。
党中央指名で、しかも支持基盤が党員だけの岩盤の選挙をしている場合、地元民意吸収より党員集会や支持労組ご機嫌伺い回りが重要業務になりますので大きな違いです。
どちらが民主主義国家の代議士の選出方法のあるべき姿として正道か、邪道かは明らかです。
こういう厳しい制度バックのある保守系政治家と違い、民意支持の裏付けもない彼が、国民過半数の反対といい、それを認めない政治家を政治家になる前の個人の方がマシと言う意味?で「個人に戻れ」というのは、(当選してレベルが下がったと言うのか?)無礼というか、小さな子供が「お前の母さんデベソ」といっている程度の意味しかないでしょう。
職業人としての国会議員に戻りますと、民意吸収のプロとして地元の人望を受けて国会審議に参加している以上、その信頼に応える義務があります。
職人に限らず金融商品販売員、不動産屋従業員もデパート店員も寿司屋もラーメン屋もそれぞれの道のプロとして商品提供する以上は、相応の職務能力を発揮すべきで「素人でした」では済みません。
車の運転でさえ免許を持って運転する以上は、免許取得前の運動能力レベルとは違った交通ルールに従った運転が要求されます。
一定の職務につく以上は、天然自然の能力をそのまま出すのではなく、職業的規格によって修正された職務能力を発揮すべき義務があります。
その職務を離れた家庭や旅先での言動との違いです。
国会審議行為は、代議士として国民の負託を実現する職務行為ですので代議士としての国民負託を離れ個人感情で勝手に言動する自由がある筈がありません。
あるラーメンチェーン店の店主に組織と関係ない好きなラーメンを作れと言ってるようなのものです。
民主党連立政権に参加していた福島瑞穂氏が辺野古移設閣議決定に応じなかったのは、社民党の代表としての言動である以上与党連立政権関係に直結する効果を含め党内熟議を経た上の言動であったはずです。
奥田氏の主張を見ると共産党の基本体質を前提すれば、(中央の指導より民意を重視すべきという)成り立つ意見を自民党政治家に講釈を垂れている印象です。
若いので民主主義政治の仕組みや社会常識.実態を知らないのは当然だ・・内容が未熟すぎるとの批判はおかしいと言う意見もあるでしょうが、社会の基本的あり方すら知らない未熟者を推薦した野党の責任はどうなるかとなります。
閣僚が無能すぎるという批判に対して、A大臣はまだ10歳だ、その割によくやっているという弁護が成り立つのでしょうか?
一定の役割を担当するのに適任として選任すれば、年齢性別、家族関係や身体能力いかんにかかわらず、その職務を果たす能力があるべきで、大臣の不祥事がある都度総理の任命責任を野党やメデイアがしょっちゅう追及してきたのはこの論理によります。
野党推薦である以上、野党の主張レベルと見られるのは覚悟の上の推薦というべきでしょう。

共産党基本方針とシールズの一致

共産党の当時の基本主張は以下の通りでした。
14年12月14日(投開票)総選挙時共産党の主張(部分引用)です。

【大義なき解散総選挙】共産・志位委員長が全国で野党共闘できない理由に言及――沖縄の保革共闘は「日米安保は横に置いての協働」辺野古反対で一致

2014/12/08 【大義なき解散総選挙】日本外国特派
【大義なき解散総選挙】共産・志位委員長が全国で野党共闘 … – IWJ
2014年12月8日(月) 15:30〜
場所 日本外国特派員協会(東京都千代田区)
詳細 Press Conference: Kazuo Shii, Executive Committee Chairperson, JCP|FCCJ
「安倍政権の2年間が、あまりに国民の意に背く、暴走の2年間だった。国民の中に、この政治は怖い、危ないという気持ちが広がっている。
今回の衆院選「全国的に野党協力ができる条件にはなっていない」
日本共産党が他の野党と選挙協力しない理由を記者に問われると、志位氏は、選挙で協働するには条件があると語り、沖縄県を選挙共闘の例として説明した。
「私たちは、条件の合うところにおいては、柔軟な対応をやっている。それは沖縄だ。
沖縄県知事選挙では、保守と革新の垣根を越えた共闘体制が作られ、翁長雄志氏が圧勝した。
私たちはこの共闘の体制を大切にして、今度の選挙では、沖縄の全ての選挙区において共闘している。日米安全保障条約の問題は横においての協働になっている」
志位氏は、沖縄県では、主に辺野古基地建設問題に反対する立場で保革共闘の条件がそろったと説明。しかし、全国的には他の野党と選挙協力する条件がないと主張する。
「消費税増税、原発再稼働、集団的自衛権、沖縄基地建設、そしてアベノミクス、これらの5つの争点で、私たちの立場と、民主党あるいは維新の党はまったく違った立場だ。
民主党は、民主党政権時代にこれらの問題を最初に手を付けたため、安倍政権に対抗する足場が持てない。維新の党は、安倍政権よりもっと右よりの立場が目立つ。
よって、日本共産党が全ての選挙区で候補者を立て、論戦によって追いつめていくことが、安倍政権に対する痛打となると考えている。
もし私たちが擁立しなければ、消費税増税に反対する候補者、集団的自衛権に対して正面から反対する候補者、あるいは原発再稼働に反対する候補者もいなくなる。沖縄の新基地建設に反対する候補者もいない。

上記共産党の主張が当時・現在に続く与野党の構図でしょう・・(民主党系野党は政権担当時の政策決定に関与しているために自縄自縛になっていて有効な反対ができないことを7月25日に書きました)私の読みとそっくり同じです。
そこで野党共闘の実現のための裏組織・別働隊・・坂本龍馬が間に入って薩長連合ができたような組織が必要になり、これの(自然発生に見せかけた)育成を急いだように見えます。
そもそも奥田氏がメデイアデビュー前からどのような独自意見があったのか?を見ていきます。
大手メデイアの露出が増えてから国会参考人として意見陳述するまでになった奥田氏の発言要旨を見ていきます。
奥田氏に関するウイキペデイアの記事引用続きです。

翌2015年5月にSEALDsの結成につながった[21]。SEALDsはSASPLに比べ大きな組織となり、同年6月時点で20大学ほどの学生100名を大きく超える規模となったと奥田本人は述べている[21]。同年8月23日、連合が主催した国会前の反安保関連法案集会で[22]8月21日の特別委員会において民主党の質問中に「そんなこと、どうでもいいじゃん」とやじを飛ばした自民党の安倍晋三に対して「どうでもいいなら総理をやめろ」「憲法を守れ」「戦争反対」「安倍は辞めろ」などラップ調で連呼したことで産経新聞に報道された[22][23]。
^ a b 、“首相に「バカか、お前は」 連合主催集会でシールズメンバー 安保法案反対の具体論語らず : 「首相はクーデター」「病院に行って辞めた方がいい」”. 産経新聞. (2015年8月23日). p. 1 2015年10月8日閲覧。
9月15日、平和安全法制を審議する参院特別委員会の中央公聴会で意見を表明する公述人に、民主党の推薦で、大学の法学の名誉教授や元最高裁判所判事などに並んで意見を陳述した[24][25][26]。奥田は法案への反対の立場で意見を述べた[24]

上記によるとラップ調発言した点だけが特徴で、総理のヤジと総理を辞職すべきという結論には全く論理関係がありません。
リズムに乗った特徴の他にどういう言語的主張があるかを見ると「総理が野次をすれば辞職すべき」とか、「病院入院すべき」とかいう非論理的な発言しか出てきません。
公的発言としてこの程度しかない人をメデイアがどのような政治的意義があるとして大々的に持ち上げてスターにして行ったかの疑問があります。
ラップ調煽り演説がリズムが良くて群衆受けしたとしても、上記発言は論理が無茶過ぎてまともな意見開陳とは到底思えませんが、このように情緒で国家のあり方を訴え、それをありがたがる群衆(デモ参加者)がいるとすれば参加者のレベルは推して知るべきです。
ムードでしか理解できない人もいて、そういう人らも小さくなっているばかりでなく、ときにはストレス発散の場が必要なので、そういう人に迎合する表現者も必要でしょうが、根拠ない不満を煽るだけでは社会の不安定要因になるだけです。
元社共系野党や大手メデイアとしては、民主的討論では行き詰まっているので、情緒で勝負するしかない→内容のない煽りに適した人材と見て若い奥田氏を担ぎ挙げたのでしょうか?

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