モラルハザード3(寄付金控除)

海外移住が難しい現状を前提にすれば、不適合者に対する社会保障システムが必要ですが、「窮すれば通ずる」能力のある人まで遊んでしまわないようにする切り分けが難しいところです。
「いくら窮しても発明発見をするような能力などないよ・・」という人が多いでしょうが、それほどの大げさな能力がなくともいいのです。
未経験の他業種でも一から出直して働ける年齢・体力のある人なのに「新しい仕事は慣れていないからイヤだ」と言って就職しようとしない人や、従来よりも賃金を安くなるから・・と嫌がって働かない人など「生活保障があるから・・」というモラルハザードが起きないような工夫が必要です。
社会保障制度が充実して来るとその悪用・濫用をする人が増えますので、未経験の仕事や単価の安い仕事・・以前よりきつい仕事をしたくないと言って、遊んでしまわない程度の運用が求められます。
これが数年前から問題になっている生活保護受給申請に対す水際作戦と言われるものではないでしょうか。
水際作戦に対するマスコミの批判が展開されていますが、申請があれば基本的に認めるというのでは財政がもたないばかりか、国民のモラルハザードを助長してしまい健全な勤労意欲が損なわれてしまいます。
ところで、福祉重視の民主党政権になって勢いを得たのか、震災関連でいろんな義援金を入手した人からその分生活保護費を控除する運用に対して、どう言う根拠か知りませんがマスコミの批判が大きく出ていました。
生活保護は生活に窮している人の最低生活の面倒をみんなで見ようと言うことであって、子供が死んでその補償金を入手したものであろうと宝くじが当たって大金を入手した人であろうと、原因を問わず、とも角現預金が一定額以上あれば「お金がある限度で」保護費を払わない仕組みです。
震災関連での寄付金かどうかによって何故区別する必要があるのでしょうか?
一般の人は一生懸命に働いて漸く買い求めた家財が流されて生活が苦しくなっているのですが、生活保護の人は、元々自分の働きで買ったのではなく、生活保護費から支給された資金で買ったりした人が多い上に、壊れたり流されてなくなったとなれば生活に必要な限度でまた購入資金は別途保護費として支給されるのですから、一般人よりも震災による損害が少ない(ほぼゼロ)筈です。
交通事故補償金が入れば、その分生活保護費が減額になるので、銀行振込は困ると言う主張があったりしますが、元々こういう人は損害がないことになります。
根こそぎ流された被害の大きさをマクロで見れば、資産の多かった人ほど被害が大きかったことが明らかです。
新築住宅を引き渡されたその日に流された人もいますが、引き渡し前のアパート住まいのままで流された場合よりも、資産を取得した後の被害の大きさ・・・ショックの大きさは桁違いであったことは明らかです。
このように震災被害(精神面も含めて)の大きさは、保有資産の大小にほぼ比例すると言えるでしょう。
精神的辛さ・・体育館での生活や仮住まいの身体的辛さに関しても、もともと最低生活をしていた人に比べて、一戸建てで安定した生活をしていた普通以上の生活をしていた人の方が馴れない分(・・生活水準の急落度合いが大きい分)きつく感じるのが当然ですから、この方面の被害程度も従来の生活水準にほぼ比例します。
生活保護世帯の場合、経済に限れば損害はほぼゼロで・・「大変な思いをした」精神面でも、もともと豊かな生活をしていた人に比べて、生活水準の落ち込方が少なくて済んでいます。
大震災・津波で役場が流れても生活保護費の支給がなくなる訳でもないので、勤務先の被災によって失業して収入の途絶えた人よりも有利な関係です。

構造変化と格差21(結果拡大社会3)

我々弁護士の世界も同じで、過払い金バブルを経験して来て良い思いをして来てここ数年独立したばかりの経験10年前後の弁護士には厳しい試練が待ち構えている様子です。
(弁護士の世界には、日本経済の停滞に苦しむ現実が20年近く遅れて到来している感じです)
産業界ではこれを打開するために海外進出するのが普通ですが,弁護士業界もこの護送船団として一緒に進出するべきだという意見もあるでしょう。
部品等の下請け工場は,ついて行ってもそのまま生産出来ますが,弁護士の場合には出て行くときにだけ日本企業のアドバイザーになれるかも知れませんが、その後現地定着して現地の人を顧客に弁護士業をして稼げるようになることは考えられません。
トヨタやユニクロのように自分が国際競争力を持っていて自分のために海外に出るなら別ですが,他業界の進出について行くのは無理があるでしょう。
この点はおまけについて行っただけで自分自身の顧客を海外に求めたのではなく、海外進出した日本人客相手に海外に出て行った銀行やデパートと同じ結果になる筈です。
この問題は別の機会に譲って、格差問題に戻ります。
経験4〜5年前後の弁護士は修習生のときから大量増員による厳しい就職戦線を知っていますので、(さして良い思いをしたことがなくて)可哀想と言えば可哀想ですがその代わり弁護士になってからの厳しい現実には驚かないでしょう。
同じく一般の人も40台以降の若者は、大学卒業ころからの就職難で日本経済の厳しい現実を前提に生きてきましたので,今の中高年よりは打たれ強いと思われるので,今後彼らが中高年になると中高年の自殺者が減って来るのではないかと思います。
バブル期までに5〜60点レベルでも大企業に就職出来た人たちは、途中でリストラに遭えばその後は非正規雇用・・20〜30点レベルの仕事に転落してしまうのが普通です。
運良く大企業に就職出来た人たちは、今になってそのリスクに怯えた生活(うつ病等の多発や自殺率の上昇原因です)をしていますし、最近の新卒の場合、5〜60点クラスではマトモな正規社員としての就職がなく、残りは始めっから非正規雇用が待ってるだけの社会になってしまいました。
勝ち組負け組・・負け組を造るなというキャッチフレーズが我が国でここ10年前後流行っていますが、競争=淘汰とその結果による格差が今に始まったことではなく、明治以降ずっと適応と淘汰の繰り返しであったことは同じです。
たまたま経済大国化してから、中程度の賃金労働現場が拡大して誰もが就職出来て(大量生産社会は未熟練労働者の職場を拡大したので,言わば底上げ社会でした)良い生活を出来るようになりました。
これが普通になると「人皆同じ」のキャッチフレーズが、本当の社会であるかのような錯覚にとらわれる時代でもあったのです。
負けるのが可哀想という変な優しさが浸透して、2〜30年くらい前から運動会の徒歩競争は勝ち負けがはっきりするから廃止するという話を聞いたことがありますが、どうなっているのでしょうか?
優しいことは良いことだという風潮下で負け組を造らない社会に変質している点が、このようなアッピールを大きくしている面を否めないでしょう。
これまで書いて来た高度技術・ソフト産業時代が来ると、少しの能力差が結果では大きな差になる社会になったことを無視出来ません。
20〜30点の人に相応の仕事があり、3〜40点の人には工場労働、5〜60点の人(中間層)が5〜60点の事務系の仕事に就ける社会が大量生産型社会であるとすれば、7〜80点以上が高度産業・事務系に従事出来て5〜60点の人も最末端の10〜20点の人と同じ非正規雇用しかない社会になれば、中間層が消滅し格差が広がるのは当然です。
中間層向きの仕事がなくなった・・あるいは縮小した以上は,中間層が存続出来ない・あるいは縮小して行くのは当然です。
政治の世界では中選挙区制から、一人しか当選しない小選挙区制に移行したのがこれと軌を一にしていると言えます。
(地方議会はまだ中選挙区制のままですが・・・まだ国際競争の厳しさが直接及んでいない間接的な社会だからでしょう。)

大阪の地盤沈下3とスケープゴート探しの危険性1

こうした場合、国民のストレスに便乗して如何にも一部医師の不正あるいは詐欺受給が多いかのようなマスコミ報道とそれに便乗する摘発が繰り返されるのですが、生活保護受給者の増加や医療費の増加自体は医師の責任でも申請を応援する弁護士の責任でもありません。
昨年5月に住吉大社の参詣を終えて門前から天王寺まで路面電車に乗ったことがありますが、天王寺の裏口という点を割り引く必要があるとしても、その庶民的雰囲気・・東京で言えば新宿西口や池袋西口が開発される前の印象・・今から40〜50年近く前の粗雑な印象の社会が残っているのに驚いたものです。
(私は昭和41年3月まで池袋に住んでいましたので、池袋や新宿西口の怪しげな路地の雰囲気を今でも思い出します)
困窮者が福祉重視の政党に投票しても事態は良くならないので、大阪府民はイライラしていると思いますが、生活困窮者をなくすための職場確保・・産業を興す人を当選させない府民の選択が間違っているのです。
生活が困窮するとそのセーフティネットの充実を主張する民主党や社会党・公明党系の当選を最初は促しますが、彼らは職場を造るよりは分配論理・バラマキ論しか関心がないと言うか能力がないので、結果的に職場が減る一方で却って困窮者が増え続けることになります。
「角を矯めて牛を殺す」ようなもので、非正規雇用の禁止や賃上げ要求・福祉の充実ばかりでは却って海外進出を加速させてしまい職場が減る一方です。
アメリカの民主党も分配論の政党ですから、格差税など主眼を置きがちです。
こうしたストレス・民主党政治(福祉重視)に対する不満が高まって来ると、左翼の次には右翼が勢いを増して行きます。
第2次世界大戦前を振り返ると、ドイツが敗戦後の困窮状態でワイマール憲法という理想的な憲法をもちますが、分配論では国民が食べて行けませんので結局はその対極の超右翼のナチスが政権を取りますし、スペインも不況の困窮に対して分配福祉論の左翼が政権を取りますが、経済音痴ですからこれを不満とする対極の右翼が政権を取ります(スペイン内戦)し、イタリヤも同じで左翼の台頭に対極のファシスト・ムッソリーニが政権を取っています。
右翼も極論を主張して分りよくしているだけで、左翼同様に経済音痴ですから、そのやり方は、国民・府民のストレスを強調して、スケープゴートを作り出しては(何でもユダヤ人が悪いような主張をしたナチスを想起して下さい・・)責め立て喝采を浴びる方法が普通です。
前大阪府知事橋下氏の政治手法はこれに似ているのが怖いところです。
大阪府経済圏の低迷・・これに基づく府民のストレスは大阪経済圏における産業の構造的要因によるのですから、医療機関や市職員・教育関係者のつるし上げでどうなるものではありません。
まして行政の仕組みをいじってみてもどうなるものでもありません。
府と市が一体になれば、関西の産業構造がどうなるという展望が全くなく、(府と市の二重構造は戦前からでしたが、昭和50年代までは大阪は元気でした)さしあたりスケープゴート探しの材料にしている・・自分が府知事になっても何も出来ないことの言い訳にして結局何もしないまま中途退任してしまったのです。
そもそも彼は現行の制度を前提に立候補したのですから、現行制度の中で府知事になれば何をするかを主張していた筈ではないでしょか?
(大阪の選挙ですのでで当時の立候補での主張の具体的内容は知りませんが、普通はそうあるべきです)
政権を取って総理になってから「大統領制ではないので、あれが出来ないこれが出来ない」と言っても、世間の笑いものでしょう。
ところで、大阪に限らず全国どこでも府縣と政令市の二重構造ですから、二重構造を大阪が特に地盤沈下している理由に持ち出すのは非論理的です。
橋下氏はボロが出ないうちにこれと言った政治成果もないうちに任期途中で辞任して県から市長に移り、今度も労働組合などを批判しているだけで、前向き施策としては何の提案も見受けられません。
結局何もしない内にさらに国政に転出しようとしている様子が見えます。
教師に対する君が代斉唱(起立)の強制や市労組に対する締め付けをしたからと言って大阪府の地盤沈下の歯止めにはどう言う関係もないのは誰の目にも明らかでしょう。
次から次へとスケープゴートを作り出す手法は、経済停滞下にあってストレスの多い国民や府民には受けが良い・・喝采を浴び易いでしょうが、この方法では事態打開のための前向きな提案がまるでないまま、いじめられっ子探しをしているようなものです。

構造変化と格差17(部品高度化5)

以下仮に競争力だけを基準に為替相場が決まるとすればの話です。
比喩的に言えば各種部品やソフト分野は3〜4割の高収益であり、自動車等組み立て産業が5〜6%の収益しかないとした場合、1割以上も円が上がれば、(ちなみに2007年には1ドル120円平均でしたが2012年1月16日現在では76円79銭です)これまで組み立て産業としては最強であった自動車産業までもが今回振り落とされる番になります。
大震災以降貿易黒字の流れが変わっていますが、長期的に見て赤字が定着したか否かまで分らないないので、大震災までのデータによりますと、グローバル化以降の貿易黒字は多種多様な各種分野の部品・ソフト業界その他の利益率が高い結果によっていた部分が大きかった結果と仮定出来ます。
ここから、 Jan 17, 2012 以来の格差と部品高度化問題のテーマに戻ります。
大規模産業である製鉄でさえ、室蘭製鉄所のの特定の製鋼は世界中から引き合があるそうですからどの業種が部品として成功していると一概に言えない時代です。
(繊維系でも転進に成功している企業とじり貧のままの企業があることを東レやクラレの例とともに既に紹介しました)
とすれば、(所得収支黒字等があるので仮定形です)どの産業が強いとは言えない・・旗手となる大企業がないので分り難く、大変だ大変だというマスコミの宣伝もあって国民の多くは日本の産業がなくなってしまうのかと心配しています。
最近の若者の就職先を聞いても、(こちらが年取っているからかも知れませんが・・)なかなか覚えられないのは、特殊な部品では世界で何番というような企業が多いことによるものです。
部品名を聞いてもある部品の中の塗膜部分のような目に見えないようなものが強いことが多いようですから、門外漢には覚えられません。
数年前に島津製作所の田中さんがノーベル賞を受賞したことが象徴的ですが、昔のノーベル賞と違って誰でも知っていることではない・・専門の中を更に細分化した専門分野ですので、聞いても直ぐに忘れてしまうような分野の賞でした。
今日本の経済を支えているのは完成消費材製造販売会社ではないので、今や輸出で稼いでいる企業はその業界の人以外には馴染みのない製品製造会社ばかりになっています。
世界企業番付の上位から日本企業が何年前に比べてどれだけ減ったという記事に韓国、中国等の新興国は躍進に大喜びですし、日本は駄目になりつつあると書く日本のマスコミが普通ですが、儲ける基準の変更に気がついていない・・頭が古いだけです。
貧しい時代には安いものを大量に買い付ける家は景気がよく見えただけで、豊かになるとBC級グルメの大量消費が減るのは当然です。
大量生産品の世界規模を競っても仕方がない・・そんなもので競って喜んでいる社会は人件費安の自慢をしているのと同じ意味しかありません。
今の日本企業は多種多様な業界ごとの小さな部品や金型などで儲けているので、却って3本の矢どころか数百〜数千本の矢になっていて、日本経済は変化に強くなっている・・強靭になっていると言うべきでしょう。
ケイバの馬主で(年間何十億か何百億か無駄遣いしていること)で有名なメイショウの檀那は造船関連部品で世界4割のシェアーを握っているとのことですし、組み立て業としての造船量で世界規模を誇っていても利益率の高い部分は日本がまだ握っている時代になっていることが分ります。
(ケイバで有名になってなければ、殆どの人は知らないままでしょう)

為替相場3と輸出入の均衡2

世界の賃金・生活水準平準化が完成するまでは、相手国の為替をいくら切り上げても別の遅れた国で近代工業が発達してそこからの輸入が増えるので、当面の相手を叩けても別の国による自国に対する輸入抑制効果がありません。
輸出国にとっては為替の切り上げは輸出能力低下に直面し成長が鈍化しますが、輸入国にとっては世界全体が同じ賃金水準に達するまで次から次へと新たな国が輸入先・競争相手になって来るので、どこまで行っても自国への輸入量が減りません。
現在中国の人件費が上がるとなれば、(昨年広東などで賃上げストライキが続きました)日本企業はベトナム、インドネシア等への工場立地を探っていますが、このように中国の元が切り上がったりコストが上がっても輸入相手国が変わるだけであって、国内の生産回復にはなりません。
世界中隅から隅まで為替が切り上がって、世界の賃金が平準化して初めて為替変動による貿易収支均衡理論が妥当することになることが分ります。
以上のとおり、為替相場変動制が天の声で貿易が均衡するという思想は、一定の閉鎖貿易関係でしか妥当しないことになります。
上記の結果、貿易戦争で負けている相手に対する為替切り上げ要求は、特定輸出国からの輸入削減効果はありますが、輸入赤字の削減・自国産業保護には関係がないので、国内政治効果としては無意味です。
為替がこんなに切り上がっても(360円の時代から見れば、5倍近くです)輸出国であり続けた我が国では、円相場の切り上げに合わせて順次高収益産業に切り替えてきましたが、グロ−バル化以降の円高にそのときまでの輸出企業主役の変遷を当てはめてみましょう。
今回(リーマンショック以降の)円高は大量生産型産業としては最後に残っていた電機系の生き残りと自動車関連産業の輸出にトドメをさす可能性があります。
(既にテレビ等から日本の電気業界は撤退することに決まりました)
車の輸出が縮小すれば、大量雇傭業種としてはコマツ等の建機・重機類製造はまだ残っていますが・・・、機械製造・工作機械その他数えるほどしか残っていないでしょう。
繊維〜電気〜車への主役変更の流れ等の例で言えば、今回の円高に車産業がもしもついて行けないとすれば、車業界の輸出利益率は落ちていてかろうじて輸出業界としての地位に留まっていたに過ぎなかったことになります。
この間により高収益化していた(製鉄から機械製造・電池、樹脂等まで含めた多様な業界で)各種の部品やソフト関連の輸出増によって生じた円高水準に、最終組み立て産業の仲間である自動車業界がついて行けなくなったに過ぎないとすれば、今度の円高でもなお儲かっている高収益企業が他に一杯あることになるので、より儲かっている・高収益産業に人材をシフトすれば足りるので円高と言っても目出たいことです。
(ただし、2012年1月10日以降に書いたように円相場は製品競争力だけで決まるものではなく、今回の円高は所得収支や移転収支の黒字によるところが大きくて、この結果の円高によってかろうじて儲かっている企業・業界まで水没してしまうとすれば、喜んでいられません)

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