構造変化と格差21(結果拡大社会3)

我々弁護士の世界も同じで、過払い金バブルを経験して来て良い思いをして来てここ数年独立したばかりの経験10年前後の弁護士には厳しい試練が待ち構えている様子です。
(弁護士の世界には、日本経済の停滞に苦しむ現実が20年近く遅れて到来している感じです)
産業界ではこれを打開するために海外進出するのが普通ですが,弁護士業界もこの護送船団として一緒に進出するべきだという意見もあるでしょう。
部品等の下請け工場は,ついて行ってもそのまま生産出来ますが,弁護士の場合には出て行くときにだけ日本企業のアドバイザーになれるかも知れませんが、その後現地定着して現地の人を顧客に弁護士業をして稼げるようになることは考えられません。
トヨタやユニクロのように自分が国際競争力を持っていて自分のために海外に出るなら別ですが,他業界の進出について行くのは無理があるでしょう。
この点はおまけについて行っただけで自分自身の顧客を海外に求めたのではなく、海外進出した日本人客相手に海外に出て行った銀行やデパートと同じ結果になる筈です。
この問題は別の機会に譲って、格差問題に戻ります。
経験4〜5年前後の弁護士は修習生のときから大量増員による厳しい就職戦線を知っていますので、(さして良い思いをしたことがなくて)可哀想と言えば可哀想ですがその代わり弁護士になってからの厳しい現実には驚かないでしょう。
同じく一般の人も40台以降の若者は、大学卒業ころからの就職難で日本経済の厳しい現実を前提に生きてきましたので,今の中高年よりは打たれ強いと思われるので,今後彼らが中高年になると中高年の自殺者が減って来るのではないかと思います。
バブル期までに5〜60点レベルでも大企業に就職出来た人たちは、途中でリストラに遭えばその後は非正規雇用・・20〜30点レベルの仕事に転落してしまうのが普通です。
運良く大企業に就職出来た人たちは、今になってそのリスクに怯えた生活(うつ病等の多発や自殺率の上昇原因です)をしていますし、最近の新卒の場合、5〜60点クラスではマトモな正規社員としての就職がなく、残りは始めっから非正規雇用が待ってるだけの社会になってしまいました。
勝ち組負け組・・負け組を造るなというキャッチフレーズが我が国でここ10年前後流行っていますが、競争=淘汰とその結果による格差が今に始まったことではなく、明治以降ずっと適応と淘汰の繰り返しであったことは同じです。
たまたま経済大国化してから、中程度の賃金労働現場が拡大して誰もが就職出来て(大量生産社会は未熟練労働者の職場を拡大したので,言わば底上げ社会でした)良い生活を出来るようになりました。
これが普通になると「人皆同じ」のキャッチフレーズが、本当の社会であるかのような錯覚にとらわれる時代でもあったのです。
負けるのが可哀想という変な優しさが浸透して、2〜30年くらい前から運動会の徒歩競争は勝ち負けがはっきりするから廃止するという話を聞いたことがありますが、どうなっているのでしょうか?
優しいことは良いことだという風潮下で負け組を造らない社会に変質している点が、このようなアッピールを大きくしている面を否めないでしょう。
これまで書いて来た高度技術・ソフト産業時代が来ると、少しの能力差が結果では大きな差になる社会になったことを無視出来ません。
20〜30点の人に相応の仕事があり、3〜40点の人には工場労働、5〜60点の人(中間層)が5〜60点の事務系の仕事に就ける社会が大量生産型社会であるとすれば、7〜80点以上が高度産業・事務系に従事出来て5〜60点の人も最末端の10〜20点の人と同じ非正規雇用しかない社会になれば、中間層が消滅し格差が広がるのは当然です。
中間層向きの仕事がなくなった・・あるいは縮小した以上は,中間層が存続出来ない・あるいは縮小して行くのは当然です。
政治の世界では中選挙区制から、一人しか当選しない小選挙区制に移行したのがこれと軌を一にしていると言えます。
(地方議会はまだ中選挙区制のままですが・・・まだ国際競争の厳しさが直接及んでいない間接的な社会だからでしょう。)

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