弁護士会の政治活動2(弁護士自治破壊リスク1)

野球やサッカーが好きで弁護士会に入った訳ではないのに、会活動として野球・サッカー大会参加を強制されるのは苦痛ですし、俳句がスキでないのに、句会に強制参加させられるのも困ります。
歌舞伎くらい教養として親しむべきだと言って観劇会を会の費用で行うのもおかしなものです。
組織自体が周辺問題に直接関係するのは無理があります。
これをやり過ぎるとPTAみたいに自壊現象を起こしてしまいます。
教職員が女性だから「子供を預かっているから、母親だから平和運動する」と言う論理を良く聞きますが、飛躍があり過ぎます。
これまで書いているように、平和をどうやって守るかの選択肢は多種多様ですから、大事な子供を預かっていることと平和を守るための選択肢の1つ・・何故中韓の言うとおりの歴史教育しなければならないか・・集団自衛権が何故軍国主義復活になるのかの意見を選ぶことと直結するものではありません・・。
弁護士会が人権擁護が目的だから、平和運動や死刑廃止運動すると言うのも飛躍が大き過ぎると思います。
経済活性化を図ると言うのには誰も反対しませんが、そのために何を優先的にやるかの意見相違が多くの経済学説を生み、政党・会派の違いを生んでいるのです。
どうように平和そのものは誰もが望むところですが、その実現の仕方に関する意見は多種多様ですから弁護士だからと言って特定手段が良いと意見が一致するものではありません。
夫婦円満が良いに決まっていますが、暴力や不貞行為されても円満のために一方が耐え忍ぶべきだと言う意見・・離婚禁止すべき意見や法制度は少ないように、どんなことをされても平和維持のために唯々諾々と受入れるべきだと言う意見は少ないと思います。
どの程度まで我慢すべきかと言う多様性でその先で意見が分かれます。
イザと言うときのためにどの程度の軍事力を備えておくべきか、どこの国と同盟しておくべきかなど・・個人で言えば江戸時代まで護身のために武術を学んでいたように、今では子供のときからの法教育や健康教育・・防衛力の必要が叫ばれています。
日頃から消費者被害に遭わないためにどの程度の法知識や医学的教養(健康に対する自己防衛)を備えておくべきかも個々の家庭や個人によって意見が違うように、国家防衛政策の程度問題に関しては当然に多種多様な意見があります。
母だから平和を愛するに決まっている・弁護士だから人権擁護のために平和を愛するに決まっていると言う単細胞的論理を建てて、そこから一足飛びに一定の政策実現運動を組織でするのは問題のすり替えです。
具体的な政策実現したければ、環境保全や非武装その他それぞれの目的別に意見のあった者同志で、政治目的の別組織を建ち上げて運動するのが妥当です。
特定秘密保護法や共謀処罰法案などは、弁護士の職務に密接に関連する分野ですから一定の意見表明は意味がありますが、それはそこまでの合理性であって、それ以上に弁護士会の主張実現のために政治運動するとなると行き過ぎの感を否めません。
特定秘密保護法や共謀罪法制定に関して私は、その道の専門家ではないので弁護士と言っても素人の域を出ません。
ですから法案や死刑反対するか否か自体に賛成も反対もないのですが、良く分らないのに、弁護士だから反対すべきだと決めつけて来るのに疑問をいだいています。
そこから、そもそも政治集団ではない弁護士会が、勝手に政治意見を主張し、運動して良いのかの疑問が生じてきます。
法律家としての懸念は懸念として堂々と(参考意見として)主張すべきですが、それと時代の要請(犯罪組織のマネーロンダリング撲滅の必要性や国際テロ組織対策の必要性など)との兼ね合いは、政治が決めるべきことです。
その兼ね合いを図るために政治家が専門家集団としての意見を聞き参考にするのは当然ですが、参考意見がそのまま採用されなかったからと言って、意見陳述者が反対の政治運動をするのは筋違いです。
多様な参考意見に影響されながら、政治が取捨選択して一定の結論を出すのが何故悪いのか理解出来ません。
結論を出す方に回りたいならば、中立組織とは別に政治集団を立ち上げるなどして自分が政治家になるべきです。
国際政治家の話し合いの結果、各種利害の兼ね合いを総合した結果、世界中の政治家が関与して出来上がった国際的枠組み・・組織犯罪防止条約が整備されて来た現実を無視した反対意見は空理空論と言うべきです。

政治運動と中立組織

平和を維持するための軍備のあり方に関しては、軍関係者だけではなく、国民一般が意見を言っても良いように、いろんな事柄に国民はいろんな意見を言って良いのです。
教育のあり方に関しても教育界だけではなく、利害のある国民・・みんなが意見を言っても良いのです。
介護関連も介護業者や監督官庁だけが決めるよりは、消費者の意見も重要です。
政治運動はそのもたらす結果を期待して行なうものですから、それぞれが自分の立場を明らかにして、主張する結果何を期待しているかを明らかにするのが公平な議論になります。
中国の工場を縮小してベトナムやミャンマー等に軸足を変えて行こうとする企業にとっては日本と中国の関係悪化しても大した問題ではないでしょうが、中国に進出したばかりでこれから稼ごうとする企業にとっては、中国と仲良くして欲しい立場でいろいろ言うのは当然で、それはそれで理解出来ます。
韓国にものを売っている人も韓国と仲良くして欲しいでしょうし、それも理解出来ます。
このように政治運動はそれぞれある結果を実現して欲しい立場で行なうのは合理的ですが、中立っぽい組織が特定政治的効果の実現を目指して朝日新聞のようにデータ操作して誘導するとおかしなことになります。
朝日新聞の記事捏造事件は、原子力発電反対意識や韓国寄りの意識が強くなり過ぎていて、敢えて捏造に走らせてしまったものと思われます。
朝日自身が韓国や中国の代弁者だと旗幟鮮明にしていれば、そのつもりで読みますので、誰も怒りはしなかったでしょう。
いろんな団体が、中立のフリをして国民を特定立場に誘導して行こうとするのは、卑怯と言うよりは不正ではないでしょうか?
同様に複雑多様な利害調整を目的にした政治団体ではない・・政治目的実現の目的で設立されたものではない弁護士会や労働組合その他の団体が、如何にも中立っぽく特定集団の利益実現を目指して団体名で公式意見表明するべきものではありません。
政治決断要素は、それぞれの多様なステークホルダーがあって複雑です。
教師も教師だからと言って、無限と言える複雑な利害考量の上で決断するべき政治のあり方について、一般国民以上に特別に優れた識見がある筈がありません。
工場労働者が労働組合・団体になるとイキナリ政治問題に特別な識見があるかのように振る舞いたくなるのが不思議です。
教員や労働者が団体になると、平和問題や経済政策・産業政策に特別な発言権を有していると思うのは僭越です。
団体化しても構成員の力内容実質は変わりません。
そもそも団体化は、労働条件の交渉を個々人で行なうのでは資本家と対等に交渉出来ないので、労働者保護のため・・労働者の団結権保障のためにあるものであって、政治活動するための団体権ではありません。
教職員組合も個々の研鑽に頼るよりは、組織的研修することによって教育関係の理解が高まって教育のあり方の提言能力や教育能力が高まる有用性があります。
組織化による教育のあり方や労働条件改善のための政治運動は意味があるでしょうが、国際政治・・どの国と仲良くすべきかあるいは軍備はどの程度必要かなど、組織設立目的と遠く離れた抽象的な政治活動する団体を育成するために、労働組合法で、保護しているのではありません。
教職員組合の運動や研究は、教育や労働条件交渉に直接または密接に関連することに自主制限して行くべきです。
子供の教育のあり方と遠く離れた天下国家のあり方を論じるのが好きな人は、労組の活動とは別に個人的に政治運動すればいいし、アマチュアで飽き足らなくなれば政界に身を投じるべきであって、労働組合を政治運動の母体にするのは行き過ぎです。
政治活動に限らず、いろんな組織設立目的に直接関係ない活動はすべからく同好会方式で別に活動するのが合理的です。
子供の小さい頃に経験したことがありますが、PTAや父母会で熱心な人がいるのは良いのですが、すぐに一緒に目的外の「◯◯をしましょうと」などと、良い出すのが困りものでした。
それに参加しないと除け者になるような感じで、負担が大きくなるので父母会などの役員になる人がいなくなってしまう傾向がありました。
熱心な人が却ってPTAや町内会などの活動を衰退させている感じです。

 非武装平和論3

周辺状況にお構いなしに非武装が理想とする勢力とアメリカの横暴を巧みに利用してこの間にしこしこと国力増進に励もうとしていた勢力・安保条約受入論による非武装あるいは軽武装論も結果は同じでした。
同じ非武装・軽武装論者でも本来の目的が違っていた(同床異夢)ことが、外部情勢変化ではっきりして来たようです。
政治と言うのは、いつもいろんな目的の勢力が当面目指していることが一致している限度で徒党を組み、ある時期が来たらその先の目的が違うことで分裂や新規グループ結束が生まれるものです。
現在は、周辺の脅威が現実化して来たのにアメリカが充分に守ってくれそうもない・・アメリカは、「日本がある程度自力で撃退しない限りアメリカは背後で応援出来ない・・日本もアメリカ軍にある程度協力しないとアメリカだけが一方的に守ってやれない」と言う姿勢を明らかにしています。
それでも、なお非武装論にこだわる人・グループは、私のようにイザとなれば警官が来てくれるから、非武装で良いと言う意見ではなく・・元々日本の安全を守る必要がないと言う立場・アメリカ軍が役に立とうと立つまいが関係のない非武装論だったようにみえませんか?
この立場では、主権国家に必須の自衛権を認めない・・非武装=占領政治・主権喪失を肯定しながら、反米行動・安保反対をしていた意味・・日本が非武装のままでアメリカ軍がいなくなるのを理想にしていたことになって、一貫します。
今なお非武装論を主張する人は・・「憲法9条を守る会」の主張を見ても、どうやって日本を周辺国の脅威から守るのかについての意見表明が一切ありません。
(私が知らないだけかも知れませんが?)
要点としては、憲法に書いてある・・憲法違反と言う主張しか伝わって来ず、非武装維持がどうして侵略阻止・平和に繋がるかの論理を聞いたことがありません。
弁護士など法律家の集団が「9条の会」と言うものを結成していて集会参加等の案内が頻りに来ますが、これまで憲法9条を守ればどうやって侵略を阻止出来るかの意見が全く見えません。
世界に誇るべき平和憲法だと言って、ノーベル賞受賞運動をしているようですが、アメリカの傘の下でぬくぬくとやって来られたに過ぎない点を理解したくないようです。
国民が知りたいのは条文の解釈ではなく、どうやって民族の尊厳を守るかです。
その議論の結果、現在の条文では国民を守れないならば、その改変問題が生じるのであって、(条文の字句をどう変えるとどう言う効果があるかは専門家の出番ですが・・)憲法論以前に国の姿をどうするべきかの議論が先にあるべきです。
従って、どう対応すべきかに関しては、弁護士だからとか、憲法学者だからと言って、一般国民より優越している訳では有りません。
どうすべきかの価値判断は、世論が決めるべきことです。
弁護士や法律家の・・「憲法違反の行動をやめろ」と言う集団行動や各種宣言・護憲活動は、憲法違反だからとの理由で健全な議論を抑圧する・自由な言論活動阻止運動と考えられます。
無防備平和論は、ユダヤの好きな民族国家自体の否定論者・戦前のコミンテルンの同調者に繋がるように思えます。
中国が欲しいと言えば、好きなだけ領土をあげれば良い・・攻めて来れば守る必要はないという意見は、日本と中韓の関係をどうすべきだと言う意見になるのでしょうか?
もしかして、・・日本をチベット族やウイグルのように中国の支配下に置いて弾圧されるままにおくべきだと言う意見とすれば、中韓にだけ国家の存在を認めて日本民族だけが主権放棄すべきだと言うことになり兼ねません。
ユダヤ系やコミンテルンの理想とする「国家などなくすべき」と言う意見とは違い、日本侵略の意図を明らかにしている隣国が存在する状態での非武装論は、何故か中韓の軍事強化は歓迎するかのような意見ですから、日本の民族国家だけ消滅すれば良いと言う一方的な矛盾した意見にはならないでしょうか?
元々コミンテルンの主張は、ソ連による世界支配を目指すために各国内に思想浸透を目指す・内部同調者を増やすものであって、戦争の原因になる国家をなくして平和な世界にしようとする思想ではありませんでした。

非武装平和論2

憲法がアメリカ占領支配継続の道具となっている実質を見ないで、解釈改憲・事実上の改憲を違法と言い張って、憲法改正がない限り何があっても非武装論に従っているとどうなるでしょうか?
この意見は、憲法に書いている・・非武装がよいと言うだけで、自衛の戦力保持も違反・集団自衛協定も否定し、友好国の援助を受けられないようにする・・有効な対策を提示しないままです。
非武装論プラス集団自衛権憲法違反論者は、どうやって日本の安全を守るのかの対案もなく「憲法違反だ」と反対しているだけですから、結果的に中国の侵略を容認し、「侵略があれば傍観していれば良い」「逃げ回れば良いのだ」言う結果を導きます。
最終的にはチベット族やウイグル族のように中国支配下に入っても良いのかと言う意見に繋がって行きます。
・・この論理はちょっと飛躍がありますが、非武装論者が反対するばかりで何の対案も示さないことから、飛躍した論理を生む下地になっています・・。
非武装でも外国の応援を頼めば良いと言う非武装論もあり得ます。
個々人で言えば各人が自宅で銃を持ったり自分で武道を習わなくとも、警察が来てくれるからいいというのと同じです。
ただし、警察に頼る場合、同じ民族が警察官を構成しているのが普通で、(白人警官に黒人が不満を持つ原因です)警察官になれるのは植民地支配・宗主国の民族構成限定と言うのでは実質的隷属化が強まります。
日本の場合アメリカ軍が守ってくれると言う触れ込みで占領を継続して来たのですから、警官だけ植民地本国からの派遣によるのと同じ・・結果的に異民族支配の間接統治と同じでした。
この結果アメリカ軍が駐留継続している限り、独立したとは言っても名ばかりで、日本はその後ずっと事実上アメリカ支配下にある・・独立国と言いながら、自前で民間航空機1つ作れなかった→その結果技術者が新幹線技術に移転したことが良く知られています・・のが現状です。
アメリカの日本隷属化目的の非武装論に敢えて反対せずに便乗すれば、当面軍事支出が少なくて戦争で疲弊した日本復興にメリットがあるとして・・力がつくまで雌伏してアメリカの不当な支配を受け入れるのも1つの見識です。
占領されている日本が正面からアメリカに異を唱えてゲリラ戦に持ち込むと民族が疲弊してしまい、却っていつまでも経済的に自立出来ないマイナスがあるので、したたかに逆利用して来た智恵でした。
アメリカは日本支配のために非武装を強制したものの、これを利用して日本が経済大国化して来たので、これでは損するばかりなので自衛に必要な(アメリカに刃向かえない)限度で、日本独自に兵力を持ってくれ・兵器を買ってくれと言い出したことで、日本再軍備が始まり徐々に拡大して来ました。
アメリカは再軍備を正面から認めると本当の独立国になってしまうので、その都度揉めるようなブレーキを残すために憲法違反のママなし崩しに認める方式・・解釈改憲や事実上の再軍備でやって来たことを昨日まで書きました。
その内イラク戦争では、金だけ出して・・血を流さない日本への不満が公然と出て来て・・その挙げ句20年経過で今回の集団自衛権論争になって浮上して来たと思います。
アメリカの要求に乗っているのは、力をつけるまで民族を守るための智恵として意味がありましたが、アメリカが日本を守り切れなくなったと言うならば、チャンスですからその穴埋めに自主軍備を持つことは良いことです。
立場が違えば、いろんな考え方があると思いますが、私は上記のようにアメリカが完全に守ってくれるならばアメリカの意に反してまで軍備強化する必要がない・・ほどほどの非武装論は良いことと考えてきました。
アメリカが警察官役を出来なくなって来れば、アメリカが反対しない限度で自衛するしかない・・更に増強出来るチャンスを利用すべきです。
従来アメリカに責任を取ってもらう方が良いと言う結果・・軽武装で良いと言う点では、革新系意見(支配者がアメリカでも中国でも良くてどこかへの隷属状態の恒久化を求めているのかな?)と同様でしたが、私の場合徐々に力をつけて独立したいのが本音ですから、周囲の状態が変わればこれをチャンスに意見を変えること自体に何の迷いもありません。
「平和憲法と国の安全1」Published June 4, 2014で、夏から冬に気候が変わり、木枯らしが吹けば、重衣装に着替える必要があると言う比喩で書いたことがあります。
節操が変わらないのは立派なようでいて、実は冬になっても夏物を着ている・・馬鹿の一つ覚えと紙一重です。
非武装論者でも、先ずは経済自立・・独立するための力を充実させるためにアメリカの非武装要求を利用して経済復興を優先していた勢力と、飽くまで日本を隷属下におく目的で永久的な非武装を求めていた勢力の二種類あったことが、今回の尖閣諸島問題で明らかになりました。
日本民族の独立否定・・永久的隷属化目的勢力にとっては、周辺の脅威が増したときこそ、非武装を徹底して侵略軍を導入したいことになるのですから、ここで自衛力強化したのでは、何のためにこれまで非武装を要求していたか分らないことになるのでしょう。
私のような意見は、日本民族隷属化目的の非武装論者にとっては、裏切り者・節操のない人間の範疇に入ります。

平和論と憲法1

中韓の歴史認識を擁護する論者の多くが、護憲勢力・非武装平和論者とダブっていますので、アメリカ占領下で作られた異民族支配体制の恒久化・・日本独立を認めたくない勢力ではないでしょうか?
被占領下で異民族に隷属していた日本民族の姿が一番良かったと言う立場・・アメリカが出て行ってしまったならば、今度は中国または韓国どこでも良いが、どこかの被占領下・被支配下にあるのが望ましいとする勢力でしょうか。
アメリカが占領の置き土産にした歴史認識・・他国の言うとおり、歴史を教えろと言う立場・・自国民族を貶めて異民族に隷属する方が正しいと考える言論人やマスコミを置き土産に養成して行ったので、その遺産・アメリカの露骨な外圧のみならず内圧にも日本民族は苦しむしかありません。
日本が少しでも中韓独自の歴史認識に反論しようとすると、中韓両政府の「戦後体制に対する挑戦だ」と言う主張は、まさに左翼・文化人・マスコミの主張と同根ですし、そう主張すればアメリカが背後で後押ししてくれると言う期待があるからでしょう。
自国の独立・主権を否定し、アメリカの支配力が衰えればその代わりに中韓の主張に唯々諾々と従うべきだ・・そうしないと世界で孤立すると脅すのが、マスコミや文化人です。
中東で言えば英仏の勢力が衰退すれば、この機会に独立するよりは、今度はアメリカに従うべきと主張をしているような勢力です。
日本主権否定論が外国勢力だけではなく、同一民族内で強固な勢力を築いているのが日本の不幸ですし、世界各地での欧米の植民地支配の遺産が、旧植民地諸国だけはなく日本でも根強く根を張っていることが分ります。
中東でのテロ組織「イスラム国」による国境線変更の動きに対して、これを作った欧米が残虐なテロ組織だと非難するのは分りますが、民族宗派を分断し内部対立するように仕組んだ現在の国境線に苦しんでいる筈のアラブ諸国政府自体が、こぞってイスラム国に猛反発しているのは、我が国左翼文化人が護憲勢力・アメリカの作った戦後秩序維持派になっているのと根っこは同じです。
アメリカとしては、自分の強制した憲法が日本民族の利益にあわない(アメリカは日本の利益にならないように憲法を作ったのですからそう言う意見になるのは至極当然の成り行きです)と言う理由で改正されるのを、一日でも先に伸ばした方が良いので、護憲派がアメリカを後ろ盾にしている面では(日本が自衛力を持たない方が有利な)中韓の主張と同様です。
日本民族にとって何をすることが必要かを虚心に議論し、その上で、もしも現行憲法条文が時代に合わず国民にとって不都合と分れば、憲法を改廃出来ること自体が憲法に明記されていることを9月15日に紹介しました。
9月18日「非武装平和論とその帰結2」以来横にそれていましたが、平和論に戻ります。
憲法違反かどうかではなく、現実にどうしたら良いかの議論こそが先決的に重要ですから憲法に書いてあると言って、どうすべきかの議論自体を封殺するのは邪道です。
我々は学校で現実に存在しない教科書問題を解いているのではなく、現実に起きている社会現象をどうすれば良いかの議論が必要です。
尖閣諸島侵略の危機に直面している今の日本にとって大切なことは、先ずはどうしたら日本民族の尊厳・領土主権を維持出来るかが重要であって、その議論の結果なすべきことが決まった場合、その対策をとるのが現行憲法上許されないならば、憲法を変えるかどうかの議論が必要です。
議論の前に「祖国防衛は憲法上許されないから議論の必要がない」と言う意見は学校教材的な空理空論と言うべきです。
教養人と言うのは学校秀才が多いと以前から書いてきましたが、非武装論や集団自衛権アレルギー論はその実例と言えるかも知れません。
ちなみに、もしも憲法が実態にあっていないとなったときには、解釈改憲によって対応をするのは狡いと言う主張があります。
集団自衛権に関する政府見解・閣議決定の変更に対する反対論もこの一種です。

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