社会党の教条主義化4(日常活動軽視)

昨日紹介した論考に関する感想の続きですが、社会党凋落が決定的になった69年総選挙敗因を読むと日常活動による個人後援会が育っていなかったことが一因であるようにも読めます。
日常活動が充実していれば、これに比例して社会変化への適応力がつき、世話になった庶民の感謝の気持ちから活動資金も集まりやすいのですが、日常世話活動がほとんどなく観念論の演説に酔い痴れている状態では支持率低下に比例して資金源も細ります。
庶民との接点を重視しないメデイアの振り付けに頼る・・西洋的愚民思想・・庶民は愚かなので宣伝対象に過ぎないと思い込んでいる政党が庶民の代弁者を名乗る資格があるのでしょうか?
社会党がもう一歩で政権交代可能か?というチャンスに中ソの支援に頼るようになっていった結果日常感覚で遅れをとったのに対して共産党は逆に中ソからの独立路線に転じた点が大きな違いになりました。
(児童売買春に関して世間を騒がせたNGO関連で少し書きましたが、この数十年でいえば国内支持不足を国連等の応援?国際社会はこうだ!というグローバル論法にたよって国内批判をする現在のNGOの先駆者?になるのかな?)
共産主義政治の優位性を語る主義主張では国民支持を受けていませんが、外国の手先でないかという疑念を抱かれない点が独立路線に転じた共産党の強み・一定の岩盤支持が残っている違いではないでしょうか。
共産党が独自路線選択の結果、中ソの支援が期待できなくなったので国内での地盤が必要になってある程度日常活動が必須となり、生活者の基礎能力の高さを否定できなくなった結果、次第に庶民意思を汲み取る能力がついてきたと言えるのでしょうか?
日本社会の大変変革期が到来した鎌倉末期にこれを精神面で体系化するのに必須の新宗教が興った・・・浄土信仰と禅宗・日蓮の3宗教でした。
このうち他力本願系と自力系に分けると自力系では内向して行く禅宗系と外的行動を求める→過激主張・過激行動の日蓮宗の2系統に分かれましたが、ボトムアップ型民族の日本では生活人がじっくりした話し合いで決めて行けば良いという知恵・・過激主張と過激行動は好かれない民族性が明らかになったように思われます。
共産党が独自路線採用の結果、価値基準も日本回帰して見ると、ソ連流の「暴力革命」の標榜は社会内孤立するという見通しを持ち、価値観でも国内回帰・大転換したように見えます。
この頃大学内のいわゆるブントに対して「学生は街頭活動や闘争するものではなく、より一層勉学に励むべし」という中央指令を発したので全学連が混乱に陥る、党中央に従うものと、あくまで武闘路線に突っ走るグループ等に四分五裂していくようですが党は動揺せずに安保騒動やその後の全共闘運動等に対して一貫して「跳ねっかえり行動が権力による取締体制強化を誘発するマイナス行動」として厳しい批判を繰り返してきました。
学生の過激運動禁止で共産党の影響力低下の穴を埋めるチャンスとばかりに学生運動連携を強めた社会党は60年安保直前の砂川基地闘争、三池闘争等の学生運動と連携して以来、過激化する一方の学生運動と運命を共にする方向になっていったように見えます。
共産党は独自路線の結果、行き詰まりの反動で人民弾圧を始めたソ連や中国批判を遠慮なくやれたことも時宜にかなっていた面があります。
革新系野党が今でも指導層を高学歴者に頼り、運動方法としては学者声明にこだわる体質が変わらないのは、党は人民を教化する前衛・エリート集団であるという価値観・・DNAによるのでしょう。
韓国では名門大卒かどうか・・最近では超一流企業となったサムスン社員かどうかは昔のヤンパン階層かどうかによるとてつもない格差を示す道具になっているのと同じで思考法です。
共産党や公明党なども代議士、地方議員等は、党が指名して立候補できる仕組みのようなので、社会党の党員の強さに似ているように見えますが、地元民と接触する日常活動の活発さに比例して党員の現実感覚が磨かれるので社会党ほど教条主義者がはびこり難い・・日常サービス活動が残る限度で一定の支持を得て生き残れているのでしょう。
社会党の弱点は官公労等の巨大組織に頼り地元密着の日常活動をほとんどしてこなかったことだと思います。
もともと共産党の方が、共産主義革命そのものをめざす理想主義者?の集まりであり社会党の方が現実的政治センスある集団だったはずです。
昨日紹介した社会党研究論文の前提事実でも、元は現実政党であったのに次第に左傾化して行ったという意見です。
上記によれば、これは結果であって原因ではないという説明になるようです。
現実政党で政権交代可能性が予定されていた社会党が、何故観念論集団に堕して行ったのか?
私の素人意見ですが、選挙民の要望にこまめに対応する日常活動に力を入れたかどうかの差ではないでしょうか?
共産党は自民党顔負けのドブ板選挙に励んでいたので、中国の文化大革命の失政やソ連によるハンガリー動乱やプラハの春やポーランドに対する戦車蹂躙があり、ソ連崩壊等によって共産主義の輝きを失っても日常活動による下支えが現在も効いているように見えます。
社会党が足場を失っていった原因は日常活動ほぼ皆無でメデイア界や文化人等の支持・実態に合わないメデイアのヨイショ記事?あるいはメデイアが掘り起こした政権要路者批判先行によるムード盛り上げに便乗して国会で追及する・タレントが振り付けどおりにテレビで振る舞うような行動に頼ってきた点にあったと言えそうです。

公務員任命制3(下野=謀反から在野活動へ)

公務員の任命に戻ります。
ある政権の役人に任命されてもこれに応じないのは、その政権不支持→小田原征伐になったのですが、この逆コース・・脱藩の場合もおなじ意味ですので幕末までは原則として(中期以降は建前だけ)死罪扱いでした。
脱藩に関するウイキペデイアの引用です。
戦国時代では、主君を変える行為は一般的に発生していたが、江戸時代に入ると、臣下の身で主を見限るものとして、許されない風潮が高まり、追手が放たれることもあった。これは、脱藩者を通じて軍事機密や御家騒動などが表沙汰になり、藩(藩主:大名)にとっては致命的な改易が頻繁に生じたことも一因であった。
しかし、江戸時代中期以降、泰平の時代に入ると軍事機密の意味はなくなり、慢性的な財政難のため、家臣が禄を離れることは枢要な人物でない限り事実上自由になっていた。もっとも、その場合にも法的な手続をとることが要件となっており、これに反して無断で脱藩した場合には欠落の罪として扱われて、家名は断絶・闕所、本人が捕らえられれば場合によっては死刑にされた。
明治に入っても、6年ころまでの有力者の下野は江戸時代の続き・反抗・危険勢力と見なされる社会だったようです。
下野すると各地の不平士族を糾合し反乱の旗印になることが多かったので・・西郷隆盛の場合は、国に帰ってしまうこと自体が事実上謀反準備行為的評価を受けて政府の圧迫誘導によって蜂起せざるを得なくなった・本当は賊軍ではないかのように歴史漫画等では描かれます。
ただし板垣だけは地元不平士族に取り込まれなかった・・いわゆる武断派だったのに反乱軍に担がれる方向に行かず、言論の自由・・民主化運動に特化していったのを見れば、個性人格面が重要ですが、それだけではなくバック・出身母体土佐藩の軍事力・士族勢力が強かった程度差だったかもしれません。
以上は直感的想像ですが小説家は私のような推論をしているようです。
板垣に関するウイキペデイア記載の人物評の一部です。

尾崎咢堂 「猛烈な感情と透徹せる理性と、ほとんど両立し難い二つの性質を同時に持っていた」
谷流水 「子供の時から習字が嫌い、読書が嫌い、物をしんみり考えることが嫌い。好きなのは鶏の喧嘩、犬の喧嘩、武術、それに大人の喧嘩でもあると飯も食わずに見物するというのだから今日このごろだったら中学校の入学試験は落第だね」
小説家の海音寺潮五郎や司馬遼太郎は「板垣は政治家より軍人に向いていて、ただ板垣の功績経歴から軍人にすると西郷隆盛の次で山縣有朋の上ぐらいには置かないといけないが、土佐藩にそこまでの勢力がなかったので政治家にされた」と述べている[22]。

不平士族の乱に関するウイキペデイアの引用です。

明治六年政変で西郷隆盛、江藤新平、板垣退助らが下野すると士族層に影響を与え、明治政府に反対する士族は「不平士族」と呼ばれた。
1874年に江藤が故郷の佐賀県で擁立されて反乱(佐賀の乱)し、1876年には熊本県で神風連の乱、呼応して福岡県で秋月藩士宮崎車之助を中心とする秋月の乱、10月には山口県で前原一誠らによる萩の乱など反乱が続き、それぞれ鎮圧された。
1877年には旧薩摩藩の士族が中心になり西郷隆盛を大将に擁立して、日本国内では最大規模の内戦となる西南戦争が勃発。西郷隆盛に呼応する形で福岡でも武部小四郎ら旧福岡藩士族により福岡の変が起こった

こういう不平士族の乱が頻発する中で、板垣や後藤象二郎、副島らのグループは、明治7年民選議院設立建白書を提出します。

いわゆる有司専制(大久保独裁批判)批判に対して、政府は意見対立の都度下野させて反政府運動に追い込むのでは政権が安定しませんので,知恵を絞って?明治 8 年(1875)1月の大阪会議(大久保や木戸と下野した板垣との会議・・板垣は参議に復帰)によって下野組の一人である板垣との協議開催に成功します。
この会議で、木戸孝允の構想する立憲政体案が内定し、(板垣も同意)同年4月に「立憲政体樹立の詔」が発せられました。

http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kenpou.nsf/html/kenpou/chosa/shukenshi027.pdf/$File/shukenshi027.pdf

朕 即 位 ノ 初 首 ト シ テ 群 臣 ヲ 會 シ 五 事 ヲ 以 テ 神 明 ニ 誓 ヒ 國 是 ヲ 定 メ 萬 民 保 全 ノ 道 ヲ 求 ム 幸 ニ 祖 宗 ノ 靈 ト 群 臣 ノ 力 ト ニ 賴 リ 以 テ 今 日 ノ 小 康 ヲ 得 タ リ 顧 ニ 中 興 日 淺 ク 内 治 ノ 事 當 ニ 振 作 更 張 ス ヘ キ 者 少 ナ シ ト セ ス 朕 今 誓 文 ノ 意 ヲ 擴 充 シ 茲 ニ 元 老 院 ヲ 設 ケ 以 テ 立 法 ノ 源 ヲ 廣 メ 大 審 院 ヲ 置 キ 以 テ 審 判 ノ 權 力 ヲ 鞏 ク シ 又 地 方 官 ヲ 召 集 シ 以 テ 民 情 ヲ 通 シ 公 益 ヲ 圖 リ 漸 次 ニ 國 家 立 憲 ノ 政 體 ヲ 立 テ 汝 衆 民 ト 倶 ニ 其 慶 ニ 賴 ラ ン ト 欲 ス 汝 衆 庶 或 ハ 舊 ニ 泥 ミ 故 ニ 慣 ル ヽコ ト 莫 ク 又 或 ハ 進 ム ニ 輕 ク 爲 ス ニ 急 ナ ル コ ト 莫 ク 其 レ 能 ク 朕 ガ 旨 ヲ 體 シ テ 翼 贊 ス ル 所 アレ
明 治 八 年 四 月 御璽

板垣は征韓論にやぶれて西郷らと一緒に下野したものの、実力行使運動に加担せず、大阪会議を以降参議に復帰して政府に一見取り込まれますが、すぐに辞職して在野での自由民権論で言論戦を展開することになります。

上記引用続きです。

元老院における「國憲編纂」の作業は、明治 9 年(1876)9 月、元老院議 長・ たる 熾 ひと 仁親王(有栖川宮)に対し、憲法草案の起草を命ずる勅語が発せられた  ことによって始められた。
【立憲政体樹立の詔】
熾仁親王に対する勅語
「朕爰ニ我建國ノ體ニ基キ廣ク海外各國ノ成法ヲ斟酌シ以テ國憲ヲ定メントス汝等ソレ宜シク之 ガ草按ヲ起創シ以テ聞セヨ朕將ニ擇ハントス」

科学者の政治活動

職人も政治論を主張する自由がありますが、個人的に友人知人間で言うのと違いメデイアを通じて大々的主張展開すれば、当然意見の違う人がいる→激しい批判をすればそれに比例して・意見相違を超えた政敵とも言うべき敵対集団も生じますのでその間の軋轢が起きます。
弁護士であれ科学者であれ一種の職人が、本業でない政争に参加すると敵が増えるので反作用として味方を増やしたくなるなどに時間をとられ職人としての本業への専念不能・雑念を抱えながら職人をやれるかの問題ですが、個人の選択の問題です。
弁護士の場合、政治運動的訴訟をしていること自体、プロとしての腕を磨く側面もあるので両立し易いようですが・・。
しかも左翼であれば左翼系の、右翼系であれば右翼系等々で相応の支持基盤が確立されているので、その世界で生きているかぎり精神的孤立もなく気楽です。
だからこそ弁護士が政治活動する人が多いし、政治家に転ずる人が多くなるのでしょう。
中村教授に戻しますと、本業は産業技術の研究開発ですから企業系と疎遠では研究活動自体が成り立ち難い関係です。
文化人やメデイアが日本批判を喜んでいくら応援して著名になっても、新たな研究テーマに対するスポンサーになってくれる企業がいなくなると新たな研究活動に支障が出ます。
彼は日本批判を繰り返してメデイアの寵児になっても訴訟で得られた金額は微々たるものでしかなかったようですが、ちょっと何かの研究をしようとすれば、数億や10億の自己資金ではなにもできないでしょう。
彼は当初自分の給与しか頭になかったかもしれませんが、企業協賛なく研究所を維持するには助手その他の人員の給与や各種実験設備の導入経費、家賃等の支払いで億単位の費用がどんどん消えて消えていきます。
この費用に追われて?米軍関係の下請け的研究を受注するには米国籍が必要だったような言い訳?をしているようですが、飛び出して見て却って世の中の厳しさを知ったのでしょう。
日本企業界と円満にしていた方がお金の心配がなく研究専念(したいならば)するには理想的環境だった可能性があります。
発明対価払えという訴訟は表向き経済闘争だったと思いますが・・それならば経済問題・・発明対価が低すぎる主張立証に精出せばよかったのに関係ない政治活動になぜ注力したか不明です。
政治力で司法決定に影響を与えられると思ったのでしょうか?
近代法の法理を守れと日常的に主張している法律家がなぜか、司法闘争と称して政治運動の一環とする場合が多いように思いますが、誤解でしょうか?
中村教授がその勢いで日本文化や業界批判までしてしまったので司法の結果にかかわらず却って日本での活躍の場を失い「おまんまの食い上げ」になったように見えます。
外国人でも優秀ならば日本企業は付き合うのですが・・ノーベル賞受賞者となって優秀な学者の折り紙つきになっても、中村教授に限って付き合えないように見えるのはなぜでしょうか?
日本教・集団倫理を積極的に裏切った男としてのわだかまり・・軋轢があるのでしょうか。
その当時の中村教授がどのような批判を展開していたのか知りませんが、中村教授からの修復提案に対して日亜化学が拒否の対応文書を見るとよほどのことがあったのな?という印象を受けます。
日本社会を裏切ったのか、日本を良い方向へ変化させるためには正しい主張だったのに頑迷固陋な日本社会が今後の日本のあり方として、中村氏の主張した考えを受け入れられなかっただけなのか?
日本社会は漸進的社会ですので「考え方はその通り」としながらも、急激な変革は困るというのが大方の受容態度であった可能性があるでしょう。
結果から見ればこの事件を契機に国内各社の研究成果に対する褒賞制度の合理化の研究が進んだ・・功績があったと思います。
日本社会は漸進的社会・何事も事前に十分詰めてから行動する社会ですので、中村氏の主張に対し、「考え方はその通り」としながらも急激な変革は困るというのが大方の受容態度であった可能性があるでしょう。
例えば、地裁判決のインパクトのおかげで高裁和解までの間には企業内研究業績に対する評価方法に対する意見発表が相次いで思考方法の整理も進んだらしく(具体的には不明ですが各方面からネット発信を含めて多様な意見が公表されたようです)、高裁和解案はこれを取り込んだらしく関連評論家研究者、市場評価(ファンド)関係などネットで見る限り概ね好評だったようです。
9月20日に紹介した記事では、「司法は腐っている」という中村氏の意見がありましたが、これに同調する評価メデイアは朝日新聞系だけだったようです。
一種の捨て台詞?的発言とみなされてしまったのでしょうか?
高裁の和解案では中村氏の主張はほぼ全面否定・・中村氏は勝てばその論理利用で次の訴訟も続けてやれるように温存して訴えていなかった分まで、まとめて元本6億の和解勧告だったらしいですから、(判決は請求金額以上に出ない仕組みですから、地裁で200億認定されたということは数百億以上の請求だったのか?)何百億の請求事件でまだ請求してしていない別件発明対価(いくらの請求予定だったかによりますが)を含めて6億というのであれば、請求予定額を含めても額の数%しか認められなかった?これではほぼ全面敗訴に近い結果です。
一般の個人事件に置き換えれば100万円の請求訴訟で2〜3万しか認められなかったようなみっともない比率です。
日亜化学とすれば五月雨式に訴訟を起こされると長期間訴訟を抱える社会的ダメージや訴訟経費がバカにならないので、訴訟テーマになってない分までまとめた解決案なら飲めるという条件提示でこうなった・・堂々たる無条件降伏を迫ったとみるのが普通です。
訴訟外のテーマまで解決の条件にされても応諾せざるを得なかった→全面敗訴に近い文字通り屈辱的和解だったのでしょう。
訴訟専門家が受諾を勧告するしかなかったということは、緻密な市場評価事例等と成功にいたるまでに企業の負担したコストその他資料や計算式が裁判所から提示され、相当の検討期間を経て、反論するに足る合理的資料等を提示できなかったことを示しています。

近代立憲主義7と政治活動

政治運動論と学問のすり替えについては、以下の通りです。
https://ameblo.jp/fall1970/entry-12277529472.html
2017-05-24 21:14:37

首相改憲発言は「憲法を軽んじる言辞」 学者らが批判
5月3日の安倍首相の憲法改正に関するメッセージをめぐり、法学等の専門家らから成る「立憲デモクラシーの会」が記者会見を開き、安倍発言を批判する見解を発表したそうである。
会見の場で青井未帆氏が「自衛隊を憲法に書き込むと、武力行使の限界がなくなり、9条2項が無効化する」と指摘し、石川健治氏が「(憲法に自衛隊が書かれていないことで)軍隊を持てるのかということが常に問われ続け、予算などの面でブレーキになってきた。その機能が一気に消えてしまう」と述べたとのことである。
これらは「九条歯止論」といわれるものであるが、昨年2月9日の記事で述べたようにそもそも法律論の体をなしておらず(青井氏も石川氏も憲法学者)、会見に同席した長谷部恭男氏でさえ「[法の]解釈論」とは「峻別」されるべき「運動論」(長谷部「表立っていえない憲法解釈論」『法学教室』301号所収)と切って捨てているシロモノなのである
・・「立憲デモクラシーの会」の見解なるものを見ると、まず、「自衛隊はすでに国民に広く受け入れられた存在で、それを憲法に明記すること自体に意味はない。不必要な改正である」とのことであるが、・・・安倍首相を難詰していて、安倍首相の主導による「改憲」を何としても阻止したいようであるが、そのためには自衛隊違憲論の旗をも下ろすというのであれば、ご都合主義との謗りを免れないであろう。
前記見解は「自衛隊[が]すでに国民に広く受け入れられた」という事実の規範力を承認して憲法変遷を肯定するものとしか考えられないが、「安倍改憲」を阻止するためにはもはや手段を択ばないということか。この点、長谷部氏は「主権者たる国民の行動をあらかじめ拘束することに憲法9条の存在意義がある以上、国民の意思を根拠として同条の意味の『変遷』を語る議論も背理だということになる」(長谷部『憲法の理性』東京大学出版会)と述べているのだが。
・・「立憲デモクラシーの会」の見解に戻ると、「安倍首相は北朝鮮情勢の『緊迫』を奇貨として9条の『改正』を提案したのであろうが」との前提のもとに、「たとえ日本が9条を廃止して平和主義をかなぐり捨てようとも、体制の維持そのものを目的とする北朝鮮が核兵器やミサイルの開発を放棄することは期待できない」と主張しているが、安倍首相はビデオメッセージにおいて北朝鮮情勢には一切言及していない(そもそもそんなことは百も承知であろう)。
この主張はその前提が臆断にすぎない以上、コメントする価値もないが、北朝鮮が核兵器とミサイルの開発を止めないばかりか、中国が軍拡路線をひた走っている現在、日本を取り巻く安全保障の環境は厳しさを増すばかりであるから、政治家としてはこれに対する備えを講ずべきことは当然で、そのためには憲法9条の改正が必要であればそれを国民に訴えることはむしろ義務ですらあるというべきであろう。
それを「奇禍」などと見当違いの議論を持ち出して矮小化するのはいかがなものか。
さらに、「憲法による拘束を緩めれば、軍拡競争を推し進め、情勢をさらに悪化させるおそれさえある」とのことであるが、わが国が憲法9条によって自らの手足を縛っているにもかかわらず、中国も北朝鮮もそんなことにはお構いなしに着々と軍備を増強していることをどのようにお考えなのであろうか(そんなことには関心がなく、とにかく9条によって自衛隊を抑え込むことができればそれでよいのであろう)。いかにも責任のない立場からのお気楽な発言としか評しようがない。
憲法学者はなぜこれほどまでに9条「護持」に固執するのか理解に苦しむところであるが、この点について、井上氏は、「要するに、立憲主義と平和主義が予定調和の関係にあって、それを守るのがおれたちの使命だ、みたいな。べつに学問としての憲法学とは関係ない、ある種のカルト的な使命感をもっちゃったんでしょうね、日本の憲法学は。[改行削除]自分たちは九条を守ることで日本の平和に貢献してきた、という自己欺瞞。いや、今はもう、はっきり言って自分たちでもそれが嘘だ、日本の平和は九条違反の自衛隊と安保のおかげだと気づいていると思うから、ただの欺瞞だな。ただ、立場上、旗を下ろせない、というね」と診断しておられる(井上前掲書)
・・・・愚かな国民が道を踏み外すことのないように自分たちが教導しなければならないという度し難い思い上がりが根本にあることを指摘しておく。

私の従来書いてきた(共産主義者による「国民を指導するべき前衛→エリート意識」論の思い上がりその他)意見を簡潔に書いているので大方を引用させていただきました。
公明党は今秋の総選挙での公約(だったかその頃に)で(この原稿は昨年総選挙前後に書いていたものです)
「自衛隊はすでに多くの国民から憲法違反の存在でないとの信認を得ているので、憲法に明記する必要がない」
という意見を発表して自衛隊明記反対の立場を明白にしていたような報道を見た記憶です。

外国人の政治活動自由6と反発

以上見てきた通り、今では政治活動を表向きの理由にして入国拒否しそれが訴訟で合法と承認されれば、却って日本は言論の自由度の低い国・・先進民主主義国家としての国際的評価を下げるリスクがあって、他方訴訟的に見れば裁量権の乱用とされる可能性が高いでしょう。
July 14, 2018に紹介した和歌山県大地町の鯨博物館入館拒否事件では、このリスクを慮り、博物館側では反捕鯨運動家だから拒否したと言わずに、「入館規則に基づいて拒否した」と主張し和歌山地裁も憲法論を相手にせずに入館規則に該当しないとして、拒否を違法としたもので、思想や政治運動歴を判断理由にしていません。
これが現在の実務でしょう。
ただし、そこで引用したように朝日新聞の報道は判決で書いていない憲法的関心を全面に出して報道しています。
もう一度引用します。

★≪思想・良心や表現の自由を保障した憲法の趣旨を踏まえ、女性は情報を得ようとする行為を妨げられたと判断≫(朝日)という。

朝日は本来の争点を報道したつもりでしょうが、報道はまず客観事実を報道し、その深読み解説と分けて行うべきでしょう。
そうでないと見出しだけ見る多くの人は、憲法判断であったかのように誤解してしまいます。
高度社会で好き嫌いを正面の理由にせずに婉曲的表現・例えば食事に誘われて「あなたと食事したくない」言わずに「都合がつかない」と断るなどが普通ですが、それを「嫌いだからと断った」と書くのはフェイクであり、事実報道としては、「都合がつかずに食事会が流れた」と書くべきでしょう。
総理の外国訪問でどういう晩餐会を開かれるか、遅れてくるかなどは重要シグナルですが、相手が日本軽視の意図かどうかの読みですが、それをどう評価するかは別問題です。
それをどう解釈するかは読者の判断事項ですから、自社の意見を言いたければ、別に解説として分けて書くべきです。
入管法の相互主義の条文も拒否理由に該当する場合でも機械的適用ではなく、外交に及ぼす影響その他総合判断でこの発動を抑制的に運用するのが普通でしょう。
マクリーン判決の事案は、アメリカ人が日本に来てアメリカ政府の嫌うベトナム戦争反対の宣伝デモ活動をしていたことが、在留更新拒否の理由でしたのでアメリカ政府が期待する結果であって、当時圧倒的強国であり自由主義社会のトップであったアメリカが歓迎する事件だったので、国際問題として批判が広がりにくい事件であった点も無視出来ません。
政治運動の自由があるとしても、国内的支持を広げる目的運動ではなく、反発が広がるのを目的に行う挑発的政治活動はどうでしょうか?
政治運動に挑発目的〜自己満足的行動かどうかの区別をする基準がないので、せいぜい「喧嘩言葉は言論の自由の枠外」という程度の基準しかないのでしょうが、表現を受け取る方が、日本民族のための言動と受け取るか、日本民族を貶めるための運動と受け取るかは受け取り手の自由・・これが自由市場論です。
表現者の真意が日本のためであっても、自己満足的感情表現に溺れるのは逆効果でその点の配慮工夫が必要です。
外国人の政治発言が、日本世論無視で日本人感情を刺激するので困ると思っても、日本は国際世論無視でトランプ氏のように乱暴なことはできませんので、政治要素はビザ発給段階の隠れた?考慮要素になるか?というだけです。
クジラ博物館の事例でいえば、当てはめに10㎝の幅があるとすればその枠内の裁量でギリギリ収まる場合には好感度の低い人に対して規則を盾に断ることが可能ですが、その枠を超えての拒否は、ルール違反「言いがかり」になります。」
クジラ博物館の場合に「言いがかり的拒否」だったことになります。
ただし、私のような弁護士業務から実務的に考えると、政府の方はビザ発給段階でブラックリストに載せた人物を自動的に弾いてしまえば良いのに対し、これを争う方は大変です。
手続き的には不許可処分取り消しの行政訴訟になるのでしょうが、韓国や中国の日本大使館へのビザ申請して拒否された場合、外国にいながら東京での裁判になりそうですから、そんなことに金と暇をかける人がいるか?となります。
トランプ氏の入国拒否がすぐ執行停止仮処分訴訟になっていたのは、あらかじめ予告されていたので、応援弁護団が組織されていて待ち構えていたことや米国空港に着陸後のことだからと思われます。
一般人が駐北京大使館やソウル日本大使館などの窓口で拒否された時に理由を聞いても「〇〇該当」とコンピューターに出るので私にはわかりません。
「あなた何か心当たりがないですか?」と逆に聞かれる始末では、本当の理由不明で?ビザ発給段階で普通は泣き寝入りです。
裁判などしていても予定の商談や芸能人の公演スケジュールなどに間に合いませんので誘致企画した方は大損です。
結果的にビザ発給拒否されるのではないか?の疑心暗鬼程度でも、興行的にはものすごいブレーキになり・・政治問題のある芸能人のツアーを企画する事業が激減します。
政治的に拒否したい場合=政治テーマでマスコミ注視の大事件では、在日や文化人等の応援団が訴訟費用負担してでも訴訟を仕掛けるリスクがあるので、政治的にセンシブルな事件(例えば竹島上陸した韓国人芸能人?や反捕鯨団体の入国拒否など)ほど政府は不許可にしにくい変な運用になります。
以上見てきたように、マクリーン事件当時と違い現在では政治的パフォーマンスを正面の理由にした入国拒否は難しい・・ほとんど出来ないと理解すべきです。
ヘイト規制に関しては、ヘイトを挑発する政治運動をどうするかなど、ちょっと見ただけでもいろんな考慮すべき要素がありますから、言論規制まで行くには「差別的言動の何がいけないか」について多方面の議論が出尽くすのを待つ必要があります。
現行法では「差別的言動」の(地域社会排除)目的等外形的アプローチのみで、差別の内容自体の定義を書いていません。
韓国や在日からどのような挑発があっても適法居住者に「出ていけ」は許されないという点では国内合意があるという国家意思の表明でしょうか?
ただ、適法居住者であっても刑事犯罪行為があれば国外退去を求められる留保付き滞在許可が国際原理ですから、それを要求する「特別永住者資格=特定民族だけの例外を認めるな!」という政治運動自体はヘイト・・差別的言動の例外となるのでしょうか?
ここにこそ在日に対する不満の本質があるとすれば「在特会」→「特別な地位を許すな」と言う名の運動は本質を衝いていることになります。
辛淑玉に関する本日現在のウイキペデイアの記事からです。

在日特権について
「在日韓国人が獲得した数々の権利のほとんどは、日本政府から一方的に与えられたものではない。1世中心の過去の民団が、長い年月をかけて理論整備をし、法的・人的連携を各地域で地道に構築した結果として得たものだ」[43]
「のりこえねっとで在日韓国人への日本の公民権運動を行う」[4

しかし、先祖が勝ち取ったものであれば「特権があっても良い」かは別問題です。
各種の特権的地位・世襲の貴族制その他は、その時の先祖の功績や政治事情によって勝ち取って公認されたものでしょうが、それが一定時間経過により現在も許されるべきかは時代変化によって検証していくべきものでしょう。