高級住宅街としての日本4(同胞意識と公害防止1)

GDP競争の無意味さに深入りしましたが、2013/12/22の続きに戻ります。
公害防止・省エネ/排ガス規制等のために日本が世界一努力して来たので、その分生産コストが上がっていますが、結果的に世界一きれいな空気や水の恩恵を受けています。
これ自体が重要なインフラ負担です。
公害防止・省エネ/排ガス規制等のために日本が世界一努力して来たのは、言わば自分だけ金儲けすれば良いという価値観ではなく、遠くに住む自分の企業に関係のない人・・民族みんなが安心・快適な生活が出来るようにしたいと言う同胞意識の結果です。
高級住宅街とスラム街という画然とした区割りのない社会で、路地裏でもどこでも安全で清潔です。
国民全体の利益のために自分の儲け(GDP)が少し減っても、公害防止・ゴミ排出削減に協力する・・身近なところでは自宅前の掃除に励むのが日本人の心です。
広い意味での安全配慮の結果、生産コストが上がっていますが、結果的に近代工業国家としては世界一きれいな空気や水・安全の恩恵を受けています。
これ自体が信号機の設置等によって交通安全が守られているのと同様の重要なインフラ負担です。
廃棄物や汚水垂れ流しでコストを掛けないで安く物を作った儲けで、日本に遊びに来て綺麗な空気や水が安いと豪遊されるのは、(日本の無料に近い安全な水道水や綺麗な空気は高価な税やコスト投入の結果ですから、)日本にとって迷惑ではないでしょうか?
廃棄物垂れ流しで儲けた人は、自分のもたらした汚い空気や水・ゴミだらけの中で生活すべきであって、「きれいな水や空気維持のためにコストを掛けている日本に来てタダで空気を吸うな!」と言うべきです。
国内企業で言えば、公害垂れ流しの工場経営者が、公害規制がきつくて公害のない風上・上流30kmほど離れた都市のホテルに家族を住まわせ経営者自身もそこから通っているとしたらどうでしょう。
その経営者は公害規制の負担を全くしていない・・ホテルでは住民税も何も払っていません・・できれいな空気や水などの受益だけ受けることになります。
公害規制している都市・国の企業は高コストですが、公害規制のない自治体・国で操業している彼らは脱硫装置など公害規制コストを負担しない分、公害規制国の企業に対して低コスト競争を仕掛けられて勝ち組になって行きます。
その儲けで日本へ遊びに来る・・企業競争に負けた日本人は彼らのサーバントなってルームサービス・ベッドメーキングやタクシー運転手などに精出すことになります。
中国の「裸官」はまさにそれをアメリカで実行しています。
しかし天の罰があるもので、公害リスクを無視して目先の金儲けに励んで来た中国が、取り返しがつかないほど汚い空気や汚い水の社会になっています。
裸官・・家族さえ逃せば良いのではなく、これを押し進める張本人・政府高官自身が公害から逃れられなくなってきました。
日本の場合、自分だけではなく遠くに住む同胞が困らないようにしたい・・自分が生きているときだけではなく、子々孫々にまで綺麗な風土を残したいという長期的信頼社会・・同胞を守る意識が強い結果、公害は発生すればこれに驚いて必死にきれいな空気や水の維持回復に励んできました。
日本ではイタイイタイ病や四日市喘息等の公害は、結果が出てこれに気が付くと、自分や家族さえ工場地帯に住まなければ良いという発想ではなく、国を挙げて必死に対応して来ました。
その結果世界一綺麗な都市や農村が残って来たのです。
中国では4〜5十年前の日本の公害の経験を知っているのに全くこれを無視して、公害発生に無頓着に(コスト負担を嫌って・・)低コスト生産増強に励んで来た結果、特定工業地帯だけではなく全土でマトモに息も出来ないほどの公害社会を出現させてしまいました。
これでは政府高官も自分だけが安全地帯とは行かない・・家族は外国へ逃がせても自分自身の逃げ場がないでしょう。
中国では上から下まで相互信頼関係がない・・都合が悪くなれば海外に逃げればいいという裸官が発達していますが、信頼関係がないから目先の現金収入にしか価値をおかない社会になってしまい、ひいては金儲けのためならば周りに迷惑を掛けようと何をしても良いという社会になってしまったのです。
(自分が強ければ道理を無視しても良いという価値観・・軍拡一点張りで独善的行動が目立つのも根っこが同じです)

高級住宅街としての日本3

所得税や法人税固定資産税等をゼロにして消費税だけで国費・公共サービス経費を賄えば、外国人もその場限りの消費に比例して税負担するのである程度公平ですが、何故か外国人に限って免税する(免税店の盛況ぶりを見て下さい)仕組みですから逆効果です。
インフラ整備維持費に関する税負担のない外国人に限って、税に限らず逆に優遇している観光地が多いのに驚きます。
数年前に立山アルペンルートのケーブルカーを利用したときに、後から来た中国系人団体が優先的に乗り込んでしまい、大分前から並んでいた私たちがやっと乗れたら、後から来て先に入場した中国系人ばかり座っていて日本人はみんな立ち席でした。
お客様を大事にすべきだという視点は優れた美徳ですから、それ自体は別の観点が必要かも知れませんが・個人でも家に来たお客様には良い席やものを勧めます・・あまり行き過ぎるも考えものです。
この種の外国人優遇(割引等)があちこちで大流行りですが、外国人優遇ばかりしていると日本人はイヤになって行かなくなるでしょうが、それでは何のために地元民・・国民がいろんな税負担しているのかが明らかになります。
多くの人が外国人や他所の市民が美術館に来てくれれば、地元公共輸送機間の客が増えれて少しでも赤字を減らせると期待しているようです。
しかし、身近な千葉市美術館利用者の90%以上が外国人になってそこまでの輸送機間利用者も90%外国人や他所の人になれば、そもそもそんな輸送期間に公的補助が要らないのです。
そうなれば、美術館だけではなくそこへの道路工事費や巨額の市税負担・補助金を見直すべきだとなるのではないでしょうか?
仮に半分が外国人とすれば、補助金の半分が外国人のために使われていることになります。
それでも外国人が来れば市内での食事やバス利用等が期待出来るとしても、バス代や食事代は日本人同様の代金ですから、バスや水道・街灯設備・信号機等への税負担をしないことは同じです。
仮にバス利用者の外国人が同じく9割〜10割になれば、何故バス関連の補助金・公共施設利用の優先(停留所の設置や維持費)が必要かの議論になることは同じですから、9割で問題ならば、1割でも2割でも多く利用してもらうことは日本経済にとってトータルマイナス要因であることが明白です。
現在の誤ったトレンド・観光立国論を変えて行くのには、誤ったマスコミの影響力が大き過ぎるので、残念ながら百年単位の時間がかるでしょう。
ギリシャやエジプトその他観光客で食っている国は大方ジリ貧・・最貧国に転落あるいはデフォルトの危機に陥っていますが、社会全体では持ち出しの方が大きいので当たり前の結果が出て来ただけです。
ベ二スにしたって、観光収入で生計を維持しているのは零細な土産物の売店収入・その店員・・ゴンドラ漕ぎ等に頼る人が中心ですから、底辺層中心社会になります。
マトモな税を納める人が減り、観光収入では往時の立派な建物の修復費用さえ出ないでしょうから、街全体が古ぼけて汚くなる一方です。
イタリアではゴミの収集廃棄処理する費用さえ捻出できなくなりつつあります。
世界遺産を守れという声で世界中から寄付を募ったりして、漸く修復しているのがクロアチアなど世界有名観光地の殆どです。
その内遺産修復費用だけではなく、ゴミ収集をするのにも世界中から寄付金を募るようになるのでしょうか?
世界中で観光立国で国/社会が豊かになった事例は一カ所もない筈・・亡国の道ですが、何故かマスコミがこれを囃したがります。
(ホテル等サービス業中心社会になると一握りの経営者は別として、勤労者の多くはフロントマン/ベッドメーキング・清掃その他底辺層主体の人口構成になります)
この辺の意見・・市街地全体では、底辺層の住宅街が増えることについては、昨年末に京都へ行って来た印象でも書きました。
(実際にそんなことはあり得ないとしても、)仮に日本の独自の価値観・同胞意識や連帯感重視)を守っているために国民一人あたり収入が今より世界順位が下がったらどうでしょうか?
私の考えでは北朝鮮のように唯我独尊で極貧になるのは困りますが、仏独等西欧諸国程度のレベルを維持出来れば、外形的GDP順位が少しくらい下がってもみんな仲良く助け合ってやって行ける社会の方が有り難いと思います。

高級住宅街としての日本2

世界中が底辺層に併せてかき混ぜられて劣悪なものが世界にはびこり、レベルダウンの繰り返しになって行くような印象ですが、日本だけが外国人をあまり入れないままにしたらどうでしょう。
同胞意識の高い・・信頼感の強い上質性が特異性として世界の憧れになるとすれば、・・世界の高級住宅街〜高級ショップの立ち並ぶ街になるだけで・・何も心配する必要がありません。
個性・特徴のあることは原則として誇るべきことであって、それ自体悪いのではありません。
日本の独自性をガラパゴス化とバカにする皮相な論調が多いですが、独自性を持つことは良いことです。
江戸時代に発展した浮世絵その他の大衆文化の発展は世界から見れば独自世界でしたが、今や大衆文化の先がけです。
世界の落ちこぼれとしてバカにされるか、数十数百年後に世界の憧れになるかは民族の努力次第であって世界の真似をしていたら良い訳ではありません。
高級住宅街は、地価が高い・・食品も良いものがそろっている分単価が高い・・ホテル等サービス関連も上質のサービスが受けられる代わりに、宿泊代その他料金が高いのは、当たり前のことです。
インフラも充実していてハイレベルの公共サービスを受けられる以上は、負担すべき税も高いのは当然です。
我が国はこれからは出入国を厳しく規制して行くべきですが、何故か観光立国などと言っているのでこれが難しくなりそうです。
ハイコスト→ハイサービス国にして行けば、貧乏人が来なくなっていい結果が生まれるでしょう。
観光地の各種入場料を今の10〜20倍程度にして行けば、観光客も上質化して良い結果になります。
観光地の拝観料などが高くなれば、国民の見聞を広められないじゃないかと言う問題がありますが、それは国民相手に別途補助金と言うか減税・・収入を多くして行けば良いことです。
千葉でもどこでも同じですが、美術館等は市の補助金が巨額に出ています。
ちょっとした文化遺産を有料化で公開している場合でも、その維持費の大部分を自治体の税で補填している状態です。
オーケストラや各種芸術団体も同様のことが多いでしょう。
ですから歌舞伎等を外国人が多く観劇したからと言って、入場料収入は税で補助しているのですから、納税しない外国人にとっては日本人よりも割安で受益していることになります。
彼らが近所で食事したり宿泊するとしても、そこへの道路や交通機関も政府補助金が出ています。
日本人は税を負担しているので掃除の行き届いた綺麗な道路や公衆トイレを利用するのは当然無料で良いのですが、外国人はこうした負担をしないで無料でインフラを利用しています。
有名寺社仏閣や史跡では、拝観料収入が多いものの、維持費(・・数百年単位で必要な大修繕を含めて)が入場料収入だけではとても足りていません。
この種の費用は別途勧進して信者や篤志家の寄付に頼っているのが普通です。
言わば利用者は本来のコストの一部しか負担していない・・その他周辺公共駐車場やトイレ・道路整備・信号機の整備その他総合すると先進国では税で賄っている部分がもの凄く大きいのに、これをマスコミが隠して報道していないのです。
今ではJRが民営化して補助金がないとしても、駅舎や鉄道敷地等膨大な資産が公益を理由に非課税になっています・・これは巨額補助金交付と同じ経済効果です。
外来の一回きりの客は全体の一部(入場料程度)しか負担しないで、割安に日本人先人の努力の成果や現在人の納税負担を享受しています。
日本は安全だから良いと言って日本に来てホテルに泊まりラーメンや日本食を食べる人は警察その他安全のための経費を負担していないで、結果だけ享受しに来ていることになります。
富士山に入山料を導入しようとする動きは、ただ乗り観光・・掃除負担させれらる地元が持たない現実の現れでしょう。

高級住宅街としての日本1

超長期の信頼の重要性意識が悪いことをしない、今だけではなく5年〜10年後に恨まれるような悪どいことをしない社会を作り上げて来たのです。
ちょっと住み易そうだから・労務賃が少し良いからと外国からやって来て、ちょっとした災害があると急いで逃げてしまうような人を相手に、千年単位で築いて行くべき信頼感を築くのは無理でしょう。
仮定の話ですが、世界中が民族国家意識・・同胞意識をなくして行くとした場合、(世界中が同胞意識になるならば心地良いですが世界中がバラバラになって、誰も信頼出来ない社会って怖いですね・・今のアメリカや中国がそうでしょうか?)国の境界は何のためにあるのかが疑問になって行きます。
元は王様の勢力圏・専制君主制のときには君主が何をしても文句言えない地域・・縄張りを表す意味でしたが、為政者が公僕でしかなくなれば、自分の勢力圏が大きいと自慢しても大した意味がありません。
国の境界もその内に人為的に決めた都道府県の境界線くらいの意味でしかなくなるでしょう。
警察が管轄内外を決めているのは仕事の重複防止・合理化を図るためであって、その結果署長の命令出来る部下の範囲が決まるだけであって権力範囲を決めるために管轄を決めているのではありません。
会社の◯◯課の課長というのも同じです。
仮にどちらの国にも日本人と韓国人が10分の1ずつ住んでいるとした場合、日本の総理を終わってから次は韓国の大統領になっても良さそうな感じです。
実際、都道府県知事は他所から来た人がイキナリ立候補して当選したりしています。
◯◯課の課長が別の△課の課長になるより優しいかも知れません。
部や課の方は一応専門化が進んでいるので別の課に行くのは実は馴れない仕事で大変ですが、県知事や市長の仕事内容はどこへ行ってもそんなに差がありません。
こうなって来ると国家間紛争・・特に領土紛争・戦争って何のためにするの?と言う疑問が起きます。
支配者の勢力範囲争いのあった戦国時代と違って、都道府県間戦争や争いなど、全く起きなくなったのと同じです。
そう言う時代が来れば、知事になっても大したことがないと思いますが支配欲?を満たしたければその地域の首長に応募すれば良いし、(東国原氏は大分の県知事をやった後に東京都知事に立候補しました)企業も人間も好きなところへ行けば良いのですから、国際経済紛争もそれほどの意味がなくなるでしょう。
マンションの老朽化・スラム化の問題は(例えば一人数百〜500万円拠出して)建替えるとした場合、管理組合での多数派工作のためにエネルギーを使うよりは、近隣に新築マンションが出来れば、(数百万円〜500万円出してより高いけれども最新式のマンションを)買い替えた方が簡便という考え方によります。
居残った方は建て替え反対派ばかり・・買い替えて出ていったあとに新たに買って入って来る人は中古で安いから買うのですから、古いままで良い(建て替え用に追加金拠出に反対)と言う人ばかりですので、スラム化がいっそう進みます。
先祖代々の土地の上の家なら安易に棄てられませんので、買い替えより現地建て替えが中心ですが、マンションの場合土地に何の愛着もないので買い替えが普通になって行きます。
国境を越える民族移動もマンション買い替え程度の意識・・住み良いところ・・負担の割に住みよいところに移転するように変わる時代がもうすぐ来るでしょう。
こう言う時代になっても、日本だけが同一民族・同胞意識・事実上の単一民族で固めているとどうなるでしょうか?
今でも日本は(マスコミが勝手に言っているだけかも知れませんが・・)ガラパゴス化と揶揄されていますが、今よりももっと特異性が際立って来るのでしょうか?
インターネットに限らず、これからこの種の機器が発達する一方でしょうから、世界中で情報伝播が瞬時になって来るので、江戸時代のように情報的に世界から孤立する心配はありません。

日本教と天皇制(美しい日本)

殆どの国では異民族に占領されると占領軍と提携して国を売る人材があらわれて占領軍に良いように支配されてしまう・・その結果植民地に転落して行きました。
(中国清朝末期の買弁資本家その他の国では傀儡政権成立)
日本の場合、どんな苦境に陥っても兵は最後まで勇敢に戦うし、占領後に交渉相手になった官僚や政治家も一人として自己利益のために民族を売るような人物は出なかったので、米軍は付け入る隙がなくてどうにもならなかったのです。
戦後処理に関与した人を非難する人が多いですが、派手に反対ばかりしてれば良かったのではなく、柔良く剛を制すというように結局民族の独立を守るためにどちらが良いかと言う問題です。
今でも、アメメリカ批判ばかり強くなり過ぎると、アメリカが腰を引いてしまって日本が損することもありますから、何事も程々にしているのが一番利口ということです。
私は将来アメリカが信用を失って行くであろうということ・・過去にどんなに悪行を働いて来たか・・中韓両国に対して日本批判を裏で唆すのはアメリカ自身に帰って来るでしょう・・と言う意味で書いているだけで、そのこととこれを種にアメリカと大喧嘩すべきかとは全く別問題です。
アメリカに対して言い返すのではなく、中韓が言いつのるならば、戦争に至った経過と戦後のことや過去の西洋による植民地支配等の実態を粛々と紹介して行けば良いことです。
占領軍は日本を恒久的に4等国にしておくために、この崇高な日本の民族精神をぶっつぶし・日本民族の強固なアイデンティ破壊を目標としていたとすれば、戦後の国体護持論争は、日本民族の被植民地化・実質奴隷化を阻止し日本民族の尊厳・道義観を守り切るか否か・・国体の護持が出来るか否かこそが、民族精神の実質的興亡のかかった大変なせめぎ合いだったことになります。
米軍は各地の戦線でどんなに日本軍が劣勢になっても最後まで頑強に戦う日本兵の強さには驚き恐怖を感じていたことが知られています。
この強さ・団結心の秘密は神道にあると言う研究によって、占領後は神道の破壊を真っ先の目標にしていました。
神道の破壊こそは、日本支配の象徴として連合軍の第一の目標に上げられていて、占領後全ての指令に先立って真っ先に出されている重要さが分ります。
戦後レジームからの脱却を主張する第一次安倍政権時のスローガンが「美しい日本の復活」であったのはまさにこの本質を言い当てています。
国体護持者=軍国主義者ではなく、美しい日本列島・・ココに生きとし生けるものを愛する心・・絆・日本人の高い道義観を大切にする心を維持し、守って行くかどうかこそが戦後の争点であって、天皇制の維持はその象徴的結果でしかありません。
ただし占領軍との妥協の結果、天皇は人間宣言を発します。
それまでは現人神だったのですが、これにこだわっていると天皇制維持自体が難しくなったからでしょう。
日本人にとっては天皇は現人神であろうとなかろうと、日本人の心象徴として残れば良いことです。
天皇制維持の可否は、西洋的な(日本以外での)君主制か民主制・共和制かと言う政治体制選択の問題ではありません。
我が国の場合、国民統合の象徴・・即ち、日本教とも言うべき「自然を愛し、生きとし生けるもの全てを愛し、残酷なことは一切しない「和」の心」の象徴を一種の偶像として個人・天皇家に託しているのが天皇制ですから、心のありようの問題です。
天皇が権力で国民を強制的に支配しているのではなく、一家の神棚みたいなものです。
日本の天皇やこの精神(大御心)を実現するべき実行部門である政府・当局者は、古代から国民のためにあったので、国民を圧迫する人民の敵と言う対立軸で理解すべき世界中の君主や政府・当局者とは古代から成り立ちが違っています。
国体護持・天皇制維持の問題は権力構造・制度維持・制度改変という皮相の問題ではなく、日本人の心のよりどころ・・日本中の神社を破壊し、日本精神そのものを破壊する意図が露骨になってしまいます。
軍国主義の頂点としての天皇制の廃止論を掲げていた占領軍司令部が、直ぐにこれを撤回修正して、維持の方向へ方針変更せざるを得なくなったのは、こうした違いを理解したからです。
これを理解しない韓国大統領による天皇侮辱発言日本人の心の象徴に対する侮辱になって憤激を買います。
中国による人民と政府・戦犯を峻別する宣伝・・これに乗る我が国マスコミ・文化人の主張も日本人の一体感に反しているので効果がありません。

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