金銀輸出と日本2(国産志向)

グロ−バル化の進んだ今でも、最先端技術の結晶である携帯電話市場においてもガラパゴス化と言われるほど特に我が国では特異な進化を遂げる国です。
カルフールその他海外流通大手が参入しても根付くことが出来ず、殆どが撤退して行きくのは生活習慣の違いが大きすぎるからでしょう。
昔から日本は外国とは生活習慣・様式の違い・特異性が際立っているので、海外製品そのものをそのまま日常生活に持ち込むことは不可能に近かったことが幸いして国産化努力が必要であったのかも知れません。
国産化が進めば、自然に先進的な製品が国内で大量に作られるので、一般化され易く、国内水準が平準化して行きます。
アラブの産油国あるいはインド等では貧富格差が大きかったのは、生活様式が基本的に欧米先進国と同じなので金持ちは先進国の出来上がった生活様式をそのまま輸入しても違和感がないところにあるように思われます。
世界中で日本以外の国では、宮殿は石造り(あるいは磚や煉瓦等)が基本ですから、権力者は巨大なものを造れますが、日本の場合は木造ばかりですから、権力者になっても巨大化の程度は限られています。
せいぜい五重塔やお寺の山門や本堂くらいです。
(雨の多い東南アジアは別かも知れませんが・・タイだったかマレ−シャだったか忘れましたが、どこかで高床式で日本の桧皮葺きのような屋根の反り返った古い王宮を見学したことが有ります。
しかし、タイの古都アユタヤに行ったときにレンガ作りの塀やパゴダが林立するのを見てきましたし、アンコールワットを見ても分るように原則はレンガや石造りでしょう)
木造社会の日本でも、織豊から江戸時代初期までは、姫路城・熊本城のような巨大な天守閣が造られるようになりますが、それも直ぐにやめて行きます。
(江戸城天守閣は再建されないままになりました)
日本人には大きすぎる家は使い勝手が悪いのです。
それまでは、最大でも大仏殿あるいはお寺の本堂かせいぜい五重塔くらいしか造れず権力者と言えども自宅用に大仏殿のような大きなものを造るのは恐れ多い意識だったでしょう。
天皇家も何故か大きすぎる皇居に住むのを嫌がって?適度な広さの御所から移住しないまま皇位継承後23年もたちました。
アラブの王族は成金であってもその町・インフラが近代化出来るようになったのはこの20年ほどのグローバル化が進んだ結果であってそれまでは、街全体の近代化を出来ないので、、王族が一着何百万の毛皮や洋服を注文したり自宅屋敷の豪華さを競うくらいしか出来ませんでした。
数十年前までは、インフラ自体の輸出・グローバル化ができなかったので、特権階級が点としての自宅居館だけ豪華にする贅沢くらいしかやりようがなかったとも言えます。
20年以上前に家族で中国の広州郊外をマイクロバスで旅行したときに、どろんこ道を4〜5時間走って休憩する施設で車が止まると、いきなり竜宮城のように一角だけ豪華な施設が出来ていたのには驚いたものです。

金銀輸出と日本1(高級品志向)

日本の場合、金銀産出による資金で世界の最高級品を買い集めて、自家薬籠中の物・・国産化努力を怠らなかった点が世界のどの資源国とも違います。
この豊富な資金を使って殆どの分野で世界最高水準の学問・知識・芸術作品の輸入に努め、宗教(古くは空海や最澄などの遣唐使の留学生派遣に留まらず、)その時期時期ごとのいろんな技術・・鉄砲(最後は工芸品になってしまいましたが・・・)から、磁器、絵画、工芸品・学問(朱子学や禅の思想)に至るまで輸入しては、あらゆる物の国産化に努力し続けていました。
アップルのジョブスが日本の禅に傾倒して永平寺に入門しようとしていたと言われるように、今では禅と言えば、日本が本家のような感じでしょう。
数日前に北海道産の生チョコレートを食べているとその箱の中に北緯20度以北では栽培ができないと言われているカカオの栽培に石垣島(北緯24度)で1000本単位の栽培に挑戦中で既にかなり大きく育っていて、近いうちに純国産のチョコレートが出来るようにするべく努力していると書いてありました。
いろんな農産物でも良いのが入って来ると、エリンギでも何でも直ぐに国産化するのを皆さんご存知でしょうが、金を産出するからそれで買えば良いと言うのではなく先ず国産化に努力すること・・これは漢字の輸入に始まる我が国の長い伝統です。
外国では戦争に勝つと金銀財宝を戦利品として持ち帰ることが多いのですが、我が国の場合、朝鮮征伐(子供の頃に習った用語ですが、今では文禄・慶長の役というのでしょうか?)でも財宝を持ち帰るのではなく、優れた陶工を連れ帰っているだけです。
連れ帰った陶工を大事にして一家を構えさせたので、有田焼その他九州各地に陶磁器生産技術が根付いたのです。
日本では世界有数の金銀が取れていたからと言って、それを理由に昔から王侯貴族が贅を極めて遊び暮らしていたことは一回も有りません。
平安貴族は、せいぜい和歌を詠んでいたくらいで質素なものです。
栄華を極めたと言われる藤原氏の残した宇治の平等院くらいが代表的なものでしょうが、元々は浄土思想の顕現としての建物ですし、見に行くと建物の芸術性に感心するものの自分が贅沢するためのものという印象では有りません。
平泉の金色堂も宗教施設であって、自分が贅沢するためのものでは有りません。
家光が金ぴかの日光東照宮を造営しましたが、これも彼の個人的贅沢をするためのものでは有りません。
日明貿易で巨利を得た義満が金閣寺を建てたりしていますが、その程度のことに過ぎず、これと行った贅沢をしていたとも思えません。
東京の六義園(柳沢吉保造営)を見ても今の迎賓館のように、社交の場として造ったものであって、自分一人が贅沢したくて造ったものでは有りません。
明治の財閥が造った庭園も皆同じく接待用で、直ぐに東京都へ寄付したりしています。
日本の場合、古来から世界有数の金銀産出国でありながら、何故平安朝や武家政権時代の将軍家やその周辺で、アラブの王族のような贅沢をしなかったのでしょうか?
今のように何でも輸入出来る時代ではなく、しかも波浪を越えて来るにはリスクが大きく高いものについたからでしょうか。
輸送に大した負担にならない・腐らないもの・・学問を学んで来たり、教典や書物、仏像、絵画、磁器等の内特に高級なもの・・嵩の割に高級な芸術品・文物を買いあさるしかなかったことが幸いしたのでしょうか?
その結果、日本人は庶民に足るまで良いものが、好きになったのだと言い切れるかまで今のところ分りません。
陸続きでなかった結果、金・銀がいくらあっても国民が食うためには自前で食料を作るしかなかったし、衣類その他日用品も、金がいくらあっても輸入で間に合わせられるほど便利な時代ではありませんでした。

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