任命の効力2(拒否・辞職→反抗認定→小田原征伐)

小田原攻めのきっかけになった真田昌幸は、武田家最盛時には武田24将の一人でしたが、武田家滅亡後武田旧領地を一括支配させるために信長が派遣した滝川一益の与力となって本領安堵し?本能寺変後滝川一益が畿内に逃げ帰って空白地帯かしたあと甲州〜信州一帯が家康と北条の草刈り場になった時に(天正壬午の乱)北条と家康の講和条件として信濃は家康、北関東は後北条の切り取り勝手となった結果に怒って自立したものです。
すなわち、真田家は武田家の信州から上州への進出により獲得した東信濃と上州吾妻郡と利根郡だったかの沼田城を根拠地とするいくつかの枝城の支配を許されていた状態で武田家滅亡後、旧武田家領地一括支配として入った滝川一益から本領安堵されたいわゆる地元豪族・小名でした。
武田家滅亡後滝川一益退却後空白地帯となった東信濃に侵攻した北条氏に一旦従ったものの、家康の信濃侵攻に応じて家康に服属していたのですが、家康と北条との講和で勝手に上野国を北条の切り取り勝手と決められても、上州2郡を家康にもらった領地でないので服属条件・本領安堵の約束違反で飲めるものではありません。
止む無く上州の領地を北条に差し出すか、双方に反旗を翻して双方と敵対して滅びるかの瀬戸際で頼ったのがまずは上杉家であり、豊臣家の惣無事令でした。
徳川から北条への上州の領地・沼田城他の引き渡し勧告を拒否した上で上杉と真田が同盟を結んだので徳川家からの攻撃が始まったのですが、上杉の応援と(第一次上田合戦)昌幸の巧みな戦術で何倍もの徳川軍を撃退して、徳川方が攻めあぐねているうちに昌幸が次男幸村を豊臣政権に送り込み、豊臣家直接臣従に成功します。
それまでは配下武将の更迭と謀反に対する制裁は内部問題のレベルで、惣無事令の対象外でした。
この辺は徳川体制下でも同じで、大名が家臣の領地を取り上げたり切腹を命じたり処分するのは大名家内の自由でしたが、将軍家お目見え→将軍直臣までなると大名の自由処分権が制約されたのと同じです。
これによって大名として自立してしまったので、豊臣政権の惣無事令の対象となりましたので、徳川からの攻撃の心配がなくなり後は豊臣政権への出仕を拒んでいる北条との攻防だけ残る状態になっていました。
後北条は武田家の圧迫が亡くなった後、北関東に勢力を伸ばすチャンスと見てジリジリと勢力を伸ばしていて、関東地場大名連合軍との合戦(沼尻の合戦・1584年(天正12年))を制していよいよ北辺の真田領・沼田城を中心とする地域に触手を伸ばすようになったのですが、この時点ではすでに秀吉の四国〜九州征伐が終了していた点が重要です。
秀吉は西国方面の平定に関心があったのでこれまで関東の戦闘にあまり関心を示さなかったので、甘く見たのでしょう。
しかも直接の臣下になっている真田攻撃を秀吉が放置できるわけがなく、総攻撃の決定となりました。
真田昌幸は武田家滅亡〜本能維持の変後激変する信州〜北関東の政治情勢下でうまく生き延びて大名昇格を果たした類まれな政治感覚と戦巧者でしたが、うまく生き延びられたのは秀吉の厚遇があったことによるのでこの恩義を大事にしたことで歴史に名を残しました。
徳川はこの攻防戦を経て真田家の武勇・戦略の確かさを知り、味方につけて損がないと見て、重臣と真田家の縁組を図り味方に取り込む戦略を採用し、真田家はいわゆる豊臣恩顧の大名であるものの、秀吉死後家康必勝の勢いがわかっていたので家督相続者である長男信之を家康側近の娘を嫁にとって保険をかけるなど双方冷徹なプロ対応を取ります。
幸村と大谷刑部との関係や上記上杉との義理などいろんな経緯を踏まえて、関ヶ原の時には家督相続させた長男を家康軍に派遣し、自分は隠居身分となり次男信繁(通称幸村)が西軍につく義理を尽くしたものでした。
ちなみに講談で知られるように真田幸村の活躍で徳川家に信之家が睨まれていたかというと、長男の家系はその後も幕閣で重用され幕末近くには老中にまで上り詰めています。
現在でも総裁選で争って負けた政治家が組閣時に入閣に応じることは、政権を支える意思表示となり現政権に挑戦する意欲を持っている以上は入閣要請に応じないのが原則です。
反主流あるいは批判的意見を主張していても入閣した以上は、鉾を収めて従う意思表示になります。
倒閣運動あるいは現政権の続投を阻止して次期総裁選を戦う以上は、早めに閣外に出て旗幟鮮明にしておくのが普通です。
内閣にいるときに現政権施策に協賛していたのに、閣外に出た途端に現政権の過去の政策批判するのは論理的に無理があるからです。
北条氏は秀吉が関白太政大臣として上洛を命じても応じなかったのは、秀吉を覇者と認めない・挑戦権を放棄しない意思表示でした。
現在一般企業でも社員が病気でもないのに出社を拒む・・学校の場合生徒の欠席が続くなど・不審に思い、同僚上司を使い何があったのか様子を探るのが普通です。
荒木村重が、信長に伺候しないで居城に篭り度重なる同輩の勧告(秀吉配下の黒田官兵衛が説得に赴いて土牢に監禁されています)など伺候命令に応じなかったので謀反の意思表示として総攻撃を受け一族悲惨な結果に終わったのもその一例です。
その頃はしょっちゅう信長のもとに伺候していないと謀反の疑いを受けるので、諸大名は戦線現場から抜け出してでも中間報告と称してまめに伺候するのが普通でした。
気配りに長けた秀吉の場合、中国方面の支配地拡大戦略を任されていた秀吉が自分の戦功が大きくなりすぎる危険を察知して、信長直々の采配による派手な戦勝演出のため備中高松城などの小さな城を地味に落としていくのではなく、水攻めで時間をかけて毛利本軍おびき出し戦略をとり毛利本軍が出てくると「上様でないと」自分の能力ではとても無理なので・・とおだてて信長本軍の出動を懇願して信長をその気にさせたと(小説の世界です)言われます。
このお願いのために肝心の城ぜめを部下に委ねて安土に舞い戻るなど小まめな行動をしていたことがわかります。

共同体意識の萌芽1(アマゾン第二本社誘致拒否)

私のような考え・何のための企業誘致か・現在の住民にとってメリットがあるか?の意見が出てきたのが、アマゾンの第二本社移転誘致反対騒動です。
新住民移入企業誘致に異を唱えた(人が入れ替わるのでは住民にとってなんのメリットもない)のがニューヨークへのアマゾンの第二本社誘致反対運動で、反対運動の盛り上がりによって、アマゾンはニューヨークの第二本社設置計画を撤回しました。
https://wired.jp/2019/02/16/amazon-wont-build-hq2-new-york-city/

アマゾンがニューヨークの第2本社を断念したことで、浮き彫りになった「不都合な真実」

アマゾンがニューヨーク市に設置を決めていた「第2本社」の計画を撤回した。30億ドルにも上る税控除や優遇措置が地元住民の不利益になると主張してきた反対派の動きを受け入れたかたちだが、そこからは企業進出にまつわる「不都合な真実」も浮き彫りになる。

https://wired.jp/2018/02/04/amazon-hq2-newark/
2018.02.04 SUN 08:00

貧困都市ニューアークが、「アマゾン第2本社」の最終候補地に残った理由
・・・失業率の高い貧困都市は、いかにアマゾンの興味を引き、“決勝戦”へと勝ち進んだのか。
・・・人口約28万人のニューアークは失業率7.9パーセントで、ほかの19都市の平均の約2倍にもなる。貧困率も最も高く、全人口の3分の1近くが貧困ライン以下にある。ニューアークを含むエセックス郡は、ニュージャージー州で最もホームレスが多い。つまり、アマゾンが約束している経済発展の恩恵を最も多く得ることができるのは、ニューアークかもしれないということだ。
同時に、アマゾンに差し出そうとしているものも最も多い。最高70億ドル(約7,710億円)に上る州税と地方税の優遇措置だ。20都市が公表している金銭的インセンティヴのなかで最も規模が大きく、アマゾンが投資を約束している50億ドル(約5,510億円)をも上回る。
70億ドルの減税と引き換えに雇用促進を期待
雇用が奪われ、住宅が高騰するリスク
ニューアーク市民、特に低所得者や失業者といった貧困層が、アマゾンから恩恵を得られるのかを疑問視する声もある。
ニュージャージー反貧困ネットワークのエグゼクティヴディレクター、レニー・コウビアディスは「アマゾンがやって来たら住居費が急騰し、低所得者は転居を余儀なくされるでしょう」と指摘する。
テック企業が集まるサンフランシスコなどの都市では、すでに同じことが起きている

大企業本社や億万長者の誘致に成功すれば逆に新住民(本社勤務のエリートサラリーマンが)我が物顔に振る舞い、高家賃でも払えるでしょうが、技能レベルで対応できない旧住民多数が底辺層に没落していく→高騰する家賃を払えずにホームレス化していくのが普通です。
アマゾン第二本社誘致すれば地元に25000人の雇用が生まれるという試算ですが、どの階層の雇用が生まれるかが重要です。
ハイテク関連で地元対応可能人員が仮に50人しかいない場合、残りが他所からやってくれば住宅高騰〜物価は上がりますが他方で地元民が働ける仕事は従来通りの下層労働しかないと悲惨です。
街は繁栄しますが、繁栄を謳歌できる(高額家賃に耐えられ、高級レストランや高額エンターテイメントを楽しめる)のは高額所得の新住民であり宅配配送運転手や皿洗いなどをする旧住民ではなく弱い順にホームレス転落です。
住民のための政治か都市繁栄のための政治か?の選択です。
私はこのコラム開始以来移民受け入れ反対論を書いてきました。
先端技術受け入れのための移民であっても、それは明治維新当時のように短期間で欧州に帰ってもらった御雇外国人制度の知恵に学ぶべきです。
ゴーン氏のように居座って支配者になったような態度を取られる・課長以上全てよそ者社会では、日本人は納得しないでしょう。
香港、シンガポールや米国諸都市は、住民がそっくり入れ変わっても都市が繁栄すれば良いという思想で動いているようですが、こういう政治って国民や住民のための政治と言えるのかの疑問が噴出して、ニューヨークで反発を受けるようになったので大ニュースになったのです。
移民で成り立っている米国でさえニューカマー拒否のエポックになるでしょうか?
豪州では、一定額以上の資産を有する中国人を「いいわいいわ」で受け入れて来た結果家賃が高騰し住みづらくなってその反動が起きているようです。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO28500370T20C18A3000000/

豪州の投資家向け移民制度は米国に比べ緩い。12年には連邦債などに約5億円を投資すれば永住権の申請資格を与える制度を導入した。取得者の87%が中国人だ。足元で加速するヒトの流入は地域社会にも波紋を呼ぶ。
シドニーの中心部から北へ約10キロメートルのチャッツウッド。中国系住民が34%を占め、中国語の看板を掲げた食品店が並ぶ。中国文化を教える教育機関「孔子学院」があり、中国語のミニコミ誌も5種類を数える。1990年代後半から中国系移民が急増。古くからの住民は「街は急激に変わった。ハリケーン来襲のようだ」と話す。
想定を上回る中国系移民が押し寄せ、古くからの住民との摩擦が強まる豪州。「多文化主義」ゆえのジレンマが強まっている。
(シドニー=高橋香織)

大手新聞ですから、おとなしい書き方ですが・・。
豪州でも新移民(主に中国系)の我が物顔の振る舞いに、不満の動きが始まっています。
トランプ氏や豪州の不満は移民=異民族に向けられていますが、アメリカの場合、国境の壁で解決できない国内移動により新住民に追い出されて次々とホームレスに転落する人の増えるアメリア人の不満はどこに向けていいのか、どの政治家がこれを代弁するのかが見えません。

国会審議拒否と内閣総辞職(戦前の教訓)2

江戸時代の一揆の仕組みを佐倉宗五郎の例で紹介しましたが、騒動を起こすような大名には統治能力がない・企業でいえば部下が団体で社長に直訴するような騒動を起こされるような人(所長や支社長)は「人の上に立つ能力がない」という判断は概括的評価として便利な知恵です。
そして騒動原因の善悪に関わらず、首謀者は必ず処罰される江戸時代の「喧嘩両成敗ルール」も安易な騒動を起こさせない知恵でした。
両成敗の結果、安易な個人的恨みや出世競争を勝ち抜くための追い落とし戦略などない時代には合理的制度だったように思われます。
西欧の民主主義制度・・その一環としての政党政治が始まると、党利党略中心で、国家のためというよりは党派利益だけで相手の党を非難だけして騒動に持ち込めば与党が責任を取るという結果だけ真似した・両成敗ルールがないので騒いだ方に政権が転がり込む変な結果にしたのが西園寺ルールでした。
加えてエセ民主主義国家においては本当の民意を問う仕組みがないので騒動が大きくなると民意の支持を受けた騒動か否かの判断がつかないので・・本当の民主主義を求める革命騒動に点火するリスクを恐れて、目先沈静化の方便としての不満の種になっている担当者処罰で乗り切ろうとの考えが高まります。
こうした時代背景を前提に日露講和条約不満が合理的・正義にあっているか民意によるかの基準によらずに、元老院が内閣総辞職させて当時の少数野党に組閣させた理由でした。
この辺までは、まだ党利党略による不当な意図によって騒動を起こす政党政治が未発達でしたので、(元老院内で有能な政治家に白羽の矢を立てる)許容範囲でしたから元老院のミスとは言えないでしょうが、その後政党政治が発達するとこれが変な方向性・・・なんでも反対して政治を麻痺させれば野党に政権が転がり込むという歪んだ政治運動の基礎になっていきます。
政党政治を導入する以上は民意多数を得た政党=選挙で多数支持を得た政党が政権を握るという両輪の導入が必須だったのですが、明治政府はそこまでの民主化の徹底を認められなかったので、民意や正義に関係なく国会審議が滞れば結果責任主義で政権交代を行なったのがこのような歪みを起こした原因です。
この悪習が次第に大きくなって、野党が政権を握るには選挙で勝つよりは何かテーマを見つけてはメデイアと組んで根拠のない騒動を起こしさえすれば時の野党が政権を握れる習慣になったので、あることないことで騒動を起こしては(天皇機関説事件の例を紹介しました)政権党になる・政権交代のルールになっていきました。
下野した方は同じくメデイアや軍部(メデイアの応援がないと騒動にならないからですが・・そのうちメデイア主導(メデイアは軍部と組み)と組んではまた自分を追い落として政権を得た与党を攻撃する・・結果その都度軍部が増長していき日本を破滅に追い込んだ歴史です。
戦後は本当の民主主義社会になったのですから、民意を知る手段としては完全な自由選挙制度があるので、騒動の大きさによって民意を知る必要がありません。
赤ちゃんが生命の危機を伝えるには泣くしかないのですが、むずかるとか小さな動きを母親がきめ細かく感じ取って手当てしていくようになると大きな声で泣き叫ぶ必要を感じなくなります。
成長に連れて言語能力等が発達するように、国民の表現力が付き、為政者も察知能力が高まる・上下ともに共感力・察知能力→忖度能力が高まると大規模な革命騒動が不要になります。
このコラムで繰り返し書いているようにフランス革命や、中国で繰り返される王朝末期の大騒乱など大規模騒動を起こさない限り社会が変わらない硬直性こそ恥ずべきことです。
日本では昔から「民の声なき声」(赤ちゃんが泣き叫ばなくとも母親の多くがその前に表情等で気がつくように)をすくい上げる能力が発達していますし、これに加えて戦後民主主義制度の発達定着で民の声は十分に届いているので、命がけの一気に相当する反政府活動・.騒乱状態を必要としていません。
一部はねっかえり組織集団画題動員をかけてデモや集会を何回繰り返しても国民大多数の声など反映しているものではありません。
処罰される心配もない民主国家では、集会に千人参加すると(処罰が怖くて参加をためらう)その何百倍の支持があるという意味がほぼなくなり、最近ではどちらかと言えばデモや集会は自己集団の存在誇示運動目的になっているイメージです。
その集会目的とどういう関係があるのかわからない韓国語で書いたプラカードや組合の旗などが目立ちますが、仲間内でどこの組織が参加したかの出席表みたいになっているのでしょうか。
補欠選挙や地方議会選挙などで民意を絶えず反映している先進国では、選挙で得た民意・多数党になるしか与党になることができないにも関わらず、革新系野党は騒動さえ起こせば与党になれた戦前の旨味を忘れられないでいるように見えます。
戦後もこの威力を発揮したのが60年安保騒動でしたが、これはまだ戦前政治の記憶が強い時期だった・当時はまだ戦前政治経験者がほとんどだったから戦前の政治習慣に従って「揉めれば辞職」すべきという暗黙の合意があって、内閣総辞職になったにすぎません。
ところが、戦後の制度は民主制度に変わっていますので、内閣総辞職しても国民が自民党を支持している限り、少数野党に政権が転がり込むことはありません。
そうすると何のために何かといちゃもんつけては審議妨害をしているかの疑問が起きてきます。
ここから革新系野党の誤算が始まったように見えます。
その頃から「政権たらい回し」批判を頻りに行って「憲政の常道論」が起きたのですが、彼らの言う戦前の憲政の常道とは、騒動の責任をとって辞職した以上は、政権を(少数=民意を無視して)野党に引き渡すべきと言うものでした。
騒動を国民が支持しているならば、次の選挙で勝てばいいのですがそれを一切言わないところが味噌です。
歴史の審判の結果から言えば当時の日本国民の大多数は革新系の推進していた旧ソ連圏との同盟よりは、日米同盟を支持していたことは明らかでした。
戦後文化人と称する人達は、ずっとこの手の騒動を起こすことに主眼を置いて民意の支持を得る地道な努力をしないまま70年以上もやってきたことになります。
民(たみ)の支持を得る努力と書きましたが、日本の場合、古代から上下共にそれほど能力差がないことを書いてきましたが、「エリートが高邁な理想を唱えて愚昧な民を指導する」という発想自体がおかしい・・むしろ実務に参加して実務で磨かれた常識の中から国の進むべき道筋の方向が出てくるのが原則です。
ですから欧米的エリートと文盲に分化している階層社会を前提にして、(これを有難がって)エリート?の前衛思想家が国民を指導しようとする方向自体が間違っています。
国民意識を無視して有名教授の名を連ねて「違憲」という運動をいくらしても国民は共感しません。
この辺は、ポーツマス講和条約に反対した帝大7博士意見書の伝統を受け継ぐ古色蒼然たる運動形式です。
明治時代でも7博士の意見書は時代錯誤の主張であったことはほぼ百%明らかですが、それから約100年あまり経過後の今でも帝大7博士の故事に倣った憲法学者連名声明を錦の御旗のように掲げる?主張のおかしさに気がつかないようです。

大臣辞任要求と審議拒否(世論調査の役割?)2

戦後は総理大臣は民意によって選ばれることになりました。
そして国務大臣を総理が議会の同意その他意見を一切聞くことなく一方的に任命する仕組みになりました。
総理→内閣が民意の代表である衆議院によって選任されている以上、衆議院の意向が変われば、いつでも不信任決議をできますが、その代わり、衆議院が民意を代表しているかを再確認するために解散総選挙することができます。
また不信任決議がなくとも、内閣には憲法7条によって裁量的な解散権(いろんな説がありますが、結論として裁量解散権があるのが通説のようです)があると言われています。
日本国憲法

第七条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
二 国会を召集すること。
三 衆議院を解散すること。
以下省略

〔内閣総理大臣の指名〕
第六十七条 内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で、これを指名する。この指名は、他のすべての案件に先だつて、これを行ふ。
2 衆議院と参議院とが異なつた指名の議決をした場合に、法律の定めるところにより、両議院の協議会を開いても意見が一致しないとき、又は衆議院が指名の議決をした後、国会休会中の期間を除いて十日以内に、参議院が、指名の議決をしないときは、衆議院の議決を国会の議決とする。
〔国務大臣の任免〕
第六十八条 内閣総理大臣は、国務大臣を任命する。但し、その過半数は、国会議員の中から選ばれなければならない。
2 内閣総理大臣は、任意に国務大臣を罷免することができる。
〔不信任決議と解散又は総辞職〕
第六十九条 内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない。
〔内閣総理大臣の欠缺又は総選挙施行による総辞職〕
第七十条 内閣総理大臣が欠けたとき、又は衆議院議員総選挙の後に初めて国会の召集があつたときは、内閣は、総辞職をしなければならない。

野党による審議拒否の非常識さをマスメデイアが報じないために、国民の意見を知るために総選挙するのは解散権の乱用になるのでしょうか。
国会が、まともに働いていないために国政が停滞して国民が困っているのです。
解散風が現実化するとメデイアや野党が恐慌状態になり、急いで審議再開に応じたこと自体が、彼ら自身国民の支持を受けていないのを知っていながら、騒いでいた実態が明らかになってきました。
メデイアが煽って騒動が広がれば民意がどこにあるかに関わらず総辞職→政権交代すべきという戦前の悪習を利用再現しようとする試みがついに失敗したのです。
内閣は国民の支持によって成立しているのが議院内閣制の基本ですから、審議拒否を続けた上で内閣不信任案を出すということは「自分たちの主張は国民の支持を受けている・・今の内閣は選挙時こそ支持を受けたとしても今は支持されていない」という主張をしていることになります。
「じゃ受けて立ちます・・解散して民意を問いましょう」となると野党やメデイアが狼狽えるとは?驚きです。
まさか?
国民の支持を受けていないが、メデイア+軍部の支持をバックに辞職を迫っていた戦前の政治方式が今でも(バックの軍部がなくなっても)「メデイアの支持さえあれば」通用すると思っていたのでしょうか?
公文書保存期間や公文書の範囲をどうするかなどは平行審理すればよいことであって、公文書管理やセクハラの有無と関係のないその他法案を何故並行審議できないかの説明がありません。
民主国家においては学校の授業のように先生が正解をきめるのではなく、選挙で民意によって決めるべきとするものです。
4月中旬以降の審議拒否とメデイアを通じた不思議な解散反対論(石破氏の意見を紹介しましたが・・)→審議拒否中止の流れを見ると、メデイアや野党は解散.選挙=民意が明らかになるのを恐れていることがわかります。
民意の怖い野党が民主政党を名乗理、メデイアが民意の代表であるかのように振る舞う資格があるのでしょうか?
立憲民主党や民進党と希望の合併による新党も「国民民主党」となって、「民主」の看板をはずせないようですが・・。

大臣辞任要求と審議拒否(世論調査の役割?)1

ところで、審議拒否=優先順位の問題では全く国民意識調査をしない朝日新聞が憲法改正問題に関しては以下のような優先順位調査をしています。
https://www.asahi.com/articles/DA3S13476815.htm

政策優先度、憲法改正は最下位 朝日新聞社世論調査
2020年までの改憲をめざす安倍晋三首相と国民との隔たりがはっきり表れた。国民が求める政策優先度でも「憲法改正」は最下位。
安倍首相に優先的に取り組んでほしい政治課題をいくつでも挙げてもらうと、最も多かったのは「景気・雇用」60%、次いで「高齢者向けの社会保障」56%、「教育・子育て支援」50%。「憲法改正」を選んだ人は11%で、九つの選択肢の中で最も少なかった。

憲法改正問題は、仮に通常国会での発議になるにしても国民生活に直結する予算案や関連法案の審議を優先するに決まっています。
重要法案をスムースに採決したうえで改正発議の審議を行うか、あるいは通常国会を終えてから憲法改正発議の可否だけをテーマにした臨時国会でやればいいことですから、憲法改正国会発議は必ずしも予算審議を止めたり、各種法令審議を止めることにはなりません。
フランス大革命時のような大騒乱の結果の憲法制定の場合には、まず最高機関であるべき議会の位置付けから決める必要があって、革命は諸勢力との新政権の綱領合意・憲法が優先審議事項です(今でも新党結成や合流するときにはこれが優先決定事項です)が平時の場合、日常生活に支障がないように目先の政策を滞りなく進めながら憲法案をすり合わせるのが原則です。
昭和20年8月以降敗戦時の革命的状況下(家督相続制歯医者男女平等など民法その他法令を抜本的に変更必要な場合でも、新憲法制定のために停滞することなく逆に日常的議案の審議可決は速やかに進めて滞りなく行われていました。
まして今回の改正の大争点である憲法9条を変えるかどうかの議論が決まらなければ、その他法案審議ができない性質のものではありません。
ですから、憲法改正発議と他の一般法案審議が両立しないかのような前提を設定して優先順位を質問すること自体が変な予断を誘導している印象です。
国民は憲法改正よりも通常政策の実現を優先してほしいと思っているという宣伝意図の見え透いた調査結果発表というべきですが、この調査結果から見ると、5月4日に書いたように立憲民主その他革新系の「憲法を守れ」とか「平和主義」(文書改ざんによって)「行政の信用がなくなる)などの原理論で具体政策に何でもいちゃもんつけては審議拒否の戦術?に国民は関心が低く、具体的政策重視の国民意識が逆に出ていることがわかります。
優先順位を調査するならば、野党審議拒否戦術=ズバリ優先順位の問題ですし、山積している政策課題が置き去りにされて国民生活に対する影響が大きいのですから、これこそ即時に国民の意識調査すべきだったでしょう。
審議拒否が何と19日間に及んだとのことですから、この長期間の間に日経新聞以外のメデイアが審議拒否の可否について世論調査を何故しなかったのか不思議です。
4月23日の立憲民主党の辻元氏の強硬意見→4月25日自民国対委員長の解散選択肢発言→解散風が吹き始めるといきなり審議再開合意になったのは、世論調査結果によるのでしょうか?
日経新聞の世論調査発表がありましたが、朝日等のメデイアはダンマリでした。
与野党ともに政治家はメデイアの世論誘導目的的な世論調査をそれほど信用していない・・独自の民情把握能力によっているように見えます。
日常政策審議と憲法改正論は上記のように両立できない二択関係でないのに無駄な?優先順位の世論調査を行いながら、現に必要としている政策課題の審議が止まって国民が困っている緊急政治課題についての世論調査をしない偏った状態で大手メデイアの役割を果たせるのでしょうか?
大手メデイアの世論調査は自社の推し進める政治誘導目的に都合の良い結果が出そうなテーマだけやるものなのでしょうか?
5月8に新聞発表の国会審議再開合意によって、審議拒否について議論する必要性が薄れましたが、審議拒否の不当性についてこの機会にもう少し書いておきます。
公文書改ざんがあるとすれば、行政の信頼をなくす由々しき自体・・政府組織信頼の基礎ですから、ないがしろに出来ない点は確かですが、その議論の必要性と保育所増設やTPP参加その他の山積している財政や福祉、働き方改革、経済政策、TPPや外交課題の議論とは先後の関係がありません。
並行議論可能なテーマです。
大臣辞任がない限り審議拒否できるという主張は、野党に大臣任命拒否権を認めろという主張に等しい主張になります。
戦前軍部の協力がないと内閣が倒れてしまった・陸海軍大臣現役制の結果、組閣に協力してくれないと組閣できなかった悪弊の再現に繋がりかねない重大な憲法違反行為です。
戦後憲法の原則である多数民意よって総理が選ばれ、その総理が自分の責任で内閣を運営する担保として国務大臣任免権があるのです。
これは戦後民主主義の根幹を支える制度です。
国務大臣が無能であればその責任は内閣が負うのであって、その判断は総理がすべきことであって野党にして貰う必要はありません。
総理が「大臣辞職する必要なし」と判断したら、その結果責任は総理が負うのですから、その次に野党が迫るべきはこういう無能な大臣を罷免しないならば、国民の支持を失うぞ!」すなわち「応じないならば国民の支持を失う→「内閣総辞職を迫るぞ!」=解散できるのか!」という意味になります。
そこで、「じゃ受けて立つ!」という解散権の発動がテーマになってきたのです。
これが戦前の(軍部の協力がないと組閣できなかった)弱体内閣の反省から改革された譲ることのできない戦後の議院内閣制の基本原理です。

明治憲法
第4条天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ
第7条天皇ハ帝国議会ヲ召集シ其ノ開会閉会停会及衆議院ノ解散ヲ命ス
第10条天皇ハ行政各部ノ官制及文武官ノ俸給ヲ定メ及文武官ヲ任免ス但シ此ノ憲法又ハ他ノ法律ニ特例ヲ掲ケタルモノハ各々其ノ条項ニ依ル

上記のとおり、天皇は「統治権ヲ総攬」する結果、「天皇ハ行政各部ノ官制及文武官ノ俸給ヲ定メ及文武官ヲ任免ス」る・・すなわち総理大臣を含めた各大臣も天皇が直接任命し罷免する仕組みでした。
議会が揉めれば「天皇の行政権を委ねられた内閣の不手際」として責任を取らせて別の政治家に交代させる仕組みで、騒いでいる方が民意を代弁しているか逆に内閣の方が民意にあっているのかを問わない制度でした。
第7条で解散権が天皇にあるのは、統治の責任は天皇にあって内閣にはない以上(民意によらない天皇の任命制ですから、内閣が自分の政策の方が正しいと思っても自分の方が正しいとして地位を守るための)内閣による解散制度も予定されていませんでした。
財務大臣の辞職要求同様で、総理が守ってくれない限り「辞職を要求するなら解散する」財務大臣が言えないのと同じでした。
これでは正しいと思って信念に従った根性のある政治家が育ちません。

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