国会審議拒否と内閣総辞職(戦前の教訓)2

江戸時代の一揆の仕組みを佐倉宗五郎の例で紹介しましたが、騒動を起こすような大名には統治能力がない・企業でいえば部下が団体で社長に直訴するような騒動を起こされるような人(所長や支社長)は「人の上に立つ能力がない」という判断は概括的評価として便利な知恵です。
そして騒動原因の善悪に関わらず、首謀者は必ず処罰される江戸時代の「喧嘩両成敗ルール」も安易な騒動を起こさせない知恵でした。
両成敗の結果、安易な個人的恨みや出世競争を勝ち抜くための追い落とし戦略などない時代には合理的制度だったように思われます。
西欧の民主主義制度・・その一環としての政党政治が始まると、党利党略中心で、国家のためというよりは党派利益だけで相手の党を非難だけして騒動に持ち込めば与党が責任を取るという結果だけ真似した・両成敗ルールがないので騒いだ方に政権が転がり込む変な結果にしたのが西園寺ルールでした。
加えてエセ民主主義国家においては本当の民意を問う仕組みがないので騒動が大きくなると民意の支持を受けた騒動か否かの判断がつかないので・・本当の民主主義を求める革命騒動に点火するリスクを恐れて、目先沈静化の方便としての不満の種になっている担当者処罰で乗り切ろうとの考えが高まります。
こうした時代背景を前提に日露講和条約不満が合理的・正義にあっているか民意によるかの基準によらずに、元老院が内閣総辞職させて当時の少数野党に組閣させた理由でした。
この辺までは、まだ党利党略による不当な意図によって騒動を起こす政党政治が未発達でしたので、(元老院内で有能な政治家に白羽の矢を立てる)許容範囲でしたから元老院のミスとは言えないでしょうが、その後政党政治が発達するとこれが変な方向性・・・なんでも反対して政治を麻痺させれば野党に政権が転がり込むという歪んだ政治運動の基礎になっていきます。
政党政治を導入する以上は民意多数を得た政党=選挙で多数支持を得た政党が政権を握るという両輪の導入が必須だったのですが、明治政府はそこまでの民主化の徹底を認められなかったので、民意や正義に関係なく国会審議が滞れば結果責任主義で政権交代を行なったのがこのような歪みを起こした原因です。
この悪習が次第に大きくなって、野党が政権を握るには選挙で勝つよりは何かテーマを見つけてはメデイアと組んで根拠のない騒動を起こしさえすれば時の野党が政権を握れる習慣になったので、あることないことで騒動を起こしては(天皇機関説事件の例を紹介しました)政権党になる・政権交代のルールになっていきました。
下野した方は同じくメデイアや軍部(メデイアの応援がないと騒動にならないからですが・・そのうちメデイア主導(メデイアは軍部と組み)と組んではまた自分を追い落として政権を得た与党を攻撃する・・結果その都度軍部が増長していき日本を破滅に追い込んだ歴史です。
戦後は本当の民主主義社会になったのですから、民意を知る手段としては完全な自由選挙制度があるので、騒動の大きさによって民意を知る必要がありません。
赤ちゃんが生命の危機を伝えるには泣くしかないのですが、むずかるとか小さな動きを母親がきめ細かく感じ取って手当てしていくようになると大きな声で泣き叫ぶ必要を感じなくなります。
成長に連れて言語能力等が発達するように、国民の表現力が付き、為政者も察知能力が高まる・上下ともに共感力・察知能力→忖度能力が高まると大規模な革命騒動が不要になります。
このコラムで繰り返し書いているようにフランス革命や、中国で繰り返される王朝末期の大騒乱など大規模騒動を起こさない限り社会が変わらない硬直性こそ恥ずべきことです。
日本では昔から「民の声なき声」(赤ちゃんが泣き叫ばなくとも母親の多くがその前に表情等で気がつくように)をすくい上げる能力が発達していますし、これに加えて戦後民主主義制度の発達定着で民の声は十分に届いているので、命がけの一気に相当する反政府活動・.騒乱状態を必要としていません。
一部はねっかえり組織集団画題動員をかけてデモや集会を何回繰り返しても国民大多数の声など反映しているものではありません。
処罰される心配もない民主国家では、集会に千人参加すると(処罰が怖くて参加をためらう)その何百倍の支持があるという意味がほぼなくなり、最近ではどちらかと言えばデモや集会は自己集団の存在誇示運動目的になっているイメージです。
その集会目的とどういう関係があるのかわからない韓国語で書いたプラカードや組合の旗などが目立ちますが、仲間内でどこの組織が参加したかの出席表みたいになっているのでしょうか。
補欠選挙や地方議会選挙などで民意を絶えず反映している先進国では、選挙で得た民意・多数党になるしか与党になることができないにも関わらず、革新系野党は騒動さえ起こせば与党になれた戦前の旨味を忘れられないでいるように見えます。
戦後もこの威力を発揮したのが60年安保騒動でしたが、これはまだ戦前政治の記憶が強い時期だった・当時はまだ戦前政治経験者がほとんどだったから戦前の政治習慣に従って「揉めれば辞職」すべきという暗黙の合意があって、内閣総辞職になったにすぎません。
ところが、戦後の制度は民主制度に変わっていますので、内閣総辞職しても国民が自民党を支持している限り、少数野党に政権が転がり込むことはありません。
そうすると何のために何かといちゃもんつけては審議妨害をしているかの疑問が起きてきます。
ここから革新系野党の誤算が始まったように見えます。
その頃から「政権たらい回し」批判を頻りに行って「憲政の常道論」が起きたのですが、彼らの言う戦前の憲政の常道とは、騒動の責任をとって辞職した以上は、政権を(少数=民意を無視して)野党に引き渡すべきと言うものでした。
騒動を国民が支持しているならば、次の選挙で勝てばいいのですがそれを一切言わないところが味噌です。
歴史の審判の結果から言えば当時の日本国民の大多数は革新系の推進していた旧ソ連圏との同盟よりは、日米同盟を支持していたことは明らかでした。
戦後文化人と称する人達は、ずっとこの手の騒動を起こすことに主眼を置いて民意の支持を得る地道な努力をしないまま70年以上もやってきたことになります。
民(たみ)の支持を得る努力と書きましたが、日本の場合、古代から上下共にそれほど能力差がないことを書いてきましたが、「エリートが高邁な理想を唱えて愚昧な民を指導する」という発想自体がおかしい・・むしろ実務に参加して実務で磨かれた常識の中から国の進むべき道筋の方向が出てくるのが原則です。
ですから欧米的エリートと文盲に分化している階層社会を前提にして、(これを有難がって)エリート?の前衛思想家が国民を指導しようとする方向自体が間違っています。
国民意識を無視して有名教授の名を連ねて「違憲」という運動をいくらしても国民は共感しません。
この辺は、ポーツマス講和条約に反対した帝大7博士意見書の伝統を受け継ぐ古色蒼然たる運動形式です。
明治時代でも7博士の意見書は時代錯誤の主張であったことはほぼ百%明らかですが、それから約100年あまり経過後の今でも帝大7博士の故事に倣った憲法学者連名声明を錦の御旗のように掲げる?主張のおかしさに気がつかないようです。

国会審議拒否と内閣総辞職(戦前の教訓)1

野党(立憲民主党は森かけ等の一連疑惑追及の急先鋒ですが・・)は、次官が懲戒を受ければ大臣の任命責任という順序の主張であり、メデイアはそれとなく国民理解が得られないと(5月2日紹介記事のように)主張して次官や大臣の辞任要求に徹しています。
最重要閣僚の解任になれば、総理の任命責任という図式を描いているイメージです。
これまで戦前の総辞職の事例を書いてきたように、内容の真偽や是非ではなく、「これだけの騒ぎになった以上内閣が責任を取るべき」と言う戦前の悪しき習慣の再現を野党とメデイアは共同して狙っているように見えます。
反論さえさせない・事実不明にしたままで「ともかく責任を取れ」という強引な態度を国民がどう見るかです。
野党やメデイア界全般の強引な対応を見ると、事実の有無を明らかにしない・他の審議を一切止める・・こういうことが国政上どういう意味があるかの議論よりも、政局に持ち込みたい?野党とメデイアの変な意図に対する憶測をたくましくする意見も一応の説得力があります。
この辺で自民党側から解散説が出てきたので、メデイアや野党の意向が民意の支持を受けているかの関心が高まってきました。
民主国家における「民意は何か」となると、戦後民主主義国家においてはメデイアの偏った?世論調査結果よりは選挙結果が文字通りの民意です。
昨年の解散直前の世論調査と選挙結果がまるで違っていた事実があります。
ここにきて野党は内閣総辞職に追い込んで選挙に勝てる自信があるか・本当に国民支持を受けて騒いでいるかの問題であることが、次第にはっきりしてきました。
戦前の天皇大権下のエセ民主主義時代・繰り返し書いてきたように、政治テーマの是非に関わらず騒動がおきると野党に政権交代させる西園寺ルール・・悪しき慣習によりかかっている野党やメデイアが困ってきたようです。
戦後は枢密院が次の政権を指名する時代ではなくなっている・・民意=選挙結果で政権交代交代する時代になっているのに、騒ぎさえすれば政権交代になる戦前からノスタルジアに浸っているメデイア・野党の限界が見えてきました。
戦後60年安保当時は戦前政権交代のルールに親しんでいる国民が多かったのでまだ内閣総辞職で対応しましたが、当たり前のことですが(国民の多くがソ連と仲良くするよりは日米友好基軸体制・・安保条約を支持していたので?)政権交代にならなかったので騒動を起こした支持者が失望しました。
その後国民に民主主義の意識が浸透するに比例して内容の是非に関わらず「騒動さえ起こせばいい」という運動に対する疑問が起きてきて、一般学生運動というよりは、原理主義というか過激運動家中心・ともかく「暴れることに意味がある」暴発運動に変わってきました。
この開き直りを正当化しようとしたのが?毛沢東語録「造反有理」のスローガンでしたし、政党的にはなんでも反対の社会党への変質であったと思われます。
このように戦前政治回帰は不可能になっているのに、いまだにその夢を追っているのがメデイアであり革新系政治家です。
造反有理は文化大革命の悲惨な実態が伝わるにつれて、なんでも反対で騒動を起こす政治運動が無理になったので、さらに開き直って、国民支持を気にしない一種のテロ活動(三菱重工爆破事件や連合赤軍によるあさま山荘事件)に変わって行き.ついには一般学生も国民の共感も得られなくなったのがその後の経過です。
メデイアが軍部(戦後は中ソの応援・ソ連崩壊後ソ連から、社会党に資金が流れていたことが明らかになった記事を紹介しました・・)等を背景に騒動を煽りさえすれば政権交代があった・戦前政治風土への回帰は民主化が本物になった戦後は、不可能になっているのに、いまだにその夢を追っているのがメデイアであり革新系政治家です。
ここ数十年では単なる反対では国民が相手にしなくなったので「護憲」「民主主義」「平和主義」というスローガンによっていますが、具体的処理の必要な政治決断を何でも「護憲」「平和」と言う原理さえ言えば解決できるはずがありません。
今の時代内乱は滅多にないので平和主義とは国際紛争解決をどうするかが中心テーマですが、中東の戦乱・イスラエルとアラブ諸国との紛争、サウジを中心とする湾岸諸国とイランを中心とするシーア派の抗争・イエメンでの内乱、シリア内戦に関するトルコやイランの立場の違いとクルド族の独立問題、シーア派とスンニ派の宗教対立とイランの浸透などなど・・・これを平和主義という一言で解決ができるでしょうか?
高校の頃だったか?現実理解がなかったのでソクラテス・プラトンの授業だったかで哲人政治という言葉に惹かれましたが、大人になると世の中具体的事象に応じた例外の例外の例外の応用・TPOが必要で原則論さえ知っていれば物事が解決できるものでない・哲学者や憲法学者に政治ができるものではないことが分かりました。
ノーベル賞物理学者が、車や電気釜、自転車一つまともに作れないのと同じです。
原理論しか言えない人は、(そんなことは中学生でも知っているレベルです)政治家あるいはまともな政党・・実務家とは言えないでしょう。
「花の都パリ」というだけで、文明開花の匂いを嗅いだ気になっていたのですが、みんなが海外旅行出来るようになると「憧れ」の時代が終わり具体的運用が重要になる・・民主主義や平和主義という原理論のスローガンだけで酔い痴れるレベルの人は、具体的な民主主義の運用など知らなかった時代の人のことです。
・・April 7, 2018のコラムにに新宿駅前の反〇〇集会写真を紹介しましたが、参集しているのはほぼ旧時代の人・・夢多き時代の生き残り・・高齢者中心です。
戦後いきなり始まった民主主義の言葉に酔いしれた高齢者がまだ(現実をみようとしないで)夢を追い続けていることがわかります。
現在の国会審議拒否状態を国民がどう見ているか?については以下の記事を引用しておきましょう。
undgarge.com/20180313a-nikkei-early-bird

財務省の問題と、内閣総辞職の必要性とは、全くリンクしない
今朝の日経朝刊(3/13)早読み。本稿を書こうと新聞を読んで、記事を選ぼうとして、一旦は止めました。あまりに下らない。税金を使って運営されている国会の実態が小学生の学級会以下だと思われてならないからだ。
なぜ、財務省の倫理、コンプライアンスの類の問題から一足飛びに「内閣総辞職」という言葉がチラつくまでにエスカレートするのだろうか?新聞記事の紙面も、経済新聞でありながら、殆どがこれ関連だけだ。
仮にもし、こうしたことで政治空白が生じ、市場や経済に影響が出たら、野党はどう責任を取るつもりなのだろう。
またそれを面白おかしくヒステリックに煽り立てるマスコミという存在は何なのだろうかと思ってしまう。
・・・公文書を行政の現場で書き換えたこと自体は非常に由々しき問題であるが「野党側は強く反発しており、安倍晋三首相は厳しい政権運営を迫られる」というのは、正直解せない。
何を誰に対して、どうして野党側は反発しているのか?国政を司る国会運営という原点に立ち戻った時、野党のすべきことは「反発」なのだろうか?
民主主義の中でのマイノリティが、何かと問題を見つけてはマジョリティの転覆を諮ることだけを大命題にしている気がしてならない。
事実首相は「「行政全体の信頼を揺るがしかねない事態であり、責任を痛感している。国民に深くおわびする」と謝罪した」とある。一方野党側は「組織的に行われ、極めて悪質だ。内閣全体の問題だ」(希望の党の玉木雄一郎代表)と指摘して組織的な隠蔽だと批判、内閣総辞職を求めた」とある。まるで指先の怪我とは言わないが、手首を挫いた程度で「死ぬ、死ぬ」と騒ぎ立てている子供のように思えてしまうのは私だけであろうか?

以上が常識的感想と言うべきでしょう。

総辞職と政権交代・西園寺ルールと政治家の劣化

選挙で負けての内閣退陣ならば、勝った方に政権を交代するのは健全ですが、選挙(国民の意思)によらずに「メデイアの煽る群衆がうるさい」から・・という事なかれ式・・「宸襟をお騒がせするのは恐れ多い」・・騒いだ方が悪いのではなく、人民が「騒ぐような政治をした方が悪い」という「両成敗」ならぬ一方成敗の片手落ち裁定が政治を病理現象に追い込んだ原因です。
騒ぐだけ騒げば、政敵を辞職させられるものの騒いだ方も喧嘩両成敗ばならば(佐倉惣五郎伝のように願いは聞き届けれても処罰は免れない)話が別ですが、騒いだ方にお咎めなしの代わり騒動を起こした要求内容は何一つききとどけられない・例えば日露講和条約の効果は1ミリも変わらないが、騒動になった結果責任だけを政権にとらせる・・騒動が正しかったか否か(選挙審判)にかかわらず、騒ぎを大きくしただけの功で政権が自分に転がり込むのであれば、野党は理不尽な要求でもなんでも騒げる材料があれば騒いで審議妨害に持ち込めば損がない関係になります。
審議が止まれば、騒動の原因にどちらが責任があったかについて議会解散して信を国民に問うならば合理的ですが、これがなく騒ぎが大きいか否かを基準に一方的に現内閣が辞めさせれるのはおかしなルールでした。
騒ぎのテーマの是非ではなく「騒ぎが大きいか否か」が基準という刷り込みが簡単に消えないので、戦後も左右を問わずこの種の「騒ぎさえ起こせば勝ち」みたいな風潮が残って現在に至っています。
日露講和条約反対論の頃から、騒動を盛り上げるには、メデイアとの連携が必須でしたが、敗戦後占領政策の結果右翼系は弾かれたので、メデイアは左翼系しか利用できなくなり、右翼はいわゆる街宣活動に活路を求めていましたが、むしろ国民の迷惑・・町の害悪イメージが広がり、竹下内閣に対する「褒め殺し」を最後に表舞台から姿を消したように記憶しています。
左翼系はメデイア界独占の結果、今なお元気です。
騒ぎの原因の是非にかかわらず騒ぎが大きければ政権が倒れて政権が野党に転がり込むシステム場合、政党は政策を国民に訴えるよりは、メデイアが騒いでくれるテーマに絞って騒ぎまくれば良い・・・結果的にメデイアの誘導する方向のお先棒担ぎに堕して、国会で騒ぎまくれば・・・連携しているメデイアは大々的に報道してくれます・・逆にメデイアが支持してくれないテーマでは生中継をしてくれないしニュースでも取り上げられません。
ニュースにならなければ、世論の盛り上がりはありえないのですから、世論といってもメデイア次第です。
ニュースで煽っても世論がメデイア意見に同調しているかどうかは内容次第ですが、その判定は選挙してみない限り真相は誰にもわかりません。
メデイア側としては自分が煽っている以上は、このテーマで政府批判が強い・他の主要政策の国会審議を止めても真相解明すべきと言うイメージを強調したい立場・中立ではないので実は民意がこれを支持しているか否かが、政権批判側の報道では不明です。
だからこそ戦前は、騒動の是非を問わずにともかく政権交代方式を採用して騒ぎの沈静化優先してきたのでしょう。
国会審議を停滞させれば審議再開のために総辞職させられる→それまで審議妨害していた野党に政権が転がり込む仕組みでは、倒閣理由は・・政党政治を否定する主張(天皇機関説=政党政治の理論的基礎→これの否定=政党政治否定論)でも何でも良いから手段を選ばず倒閣を主目的に熱意を燃やすようになって行きます。
選挙で勝たない限り政権交代がない現在でもこの習慣が抜けず、政党間の政策論争を忘れて、法案審議を妨害していれば政府が困って戦前同様に総辞職するのを待つ戦術「とも角安倍政権を倒せ」ばかりです。
憲法改正の是非に対しても、「安倍政権による改正だけは反対」と言う意味不明の主張が出回っています。
メデイアもしきりに内閣支持率の報道をしたがります。
4月5日に紹介したように最大野党の立憲民主でさえ5%あまりの支持率に過ぎないので、・・・ただしNHKで見ると自民党30%台、立件が8%台で軒並み上がっている←支持政党なしが減っています・・いずれにせよ安部政権を倒しても野党に政権が来る訳がないので、彼らは何のために倒閣に血道をあげているのか不明です。
自分の政党支持率を上げる努力よりは、倒閣に熱をあげる不思議さは戦前の政権交代ルールを潜在意識に持っているからです。
揚げ足取りの国会戦術で政策遂行妨害すれば、事態収集のために総辞職するしかなくなるのを待つ戦術ですが、(戦後も安保国会ではこれが成功しました)戦後は、何回内閣総辞職しても選挙で負けない限り、政党間権力移動がなくなっている点・政権移動は選挙結果しかなくなっている点を理解できていないようです。
理解できないからか、数十年前頃には「政権のたらい回し」はおかしい・「憲政の常道」に反するという意味不明の宣伝がメデイアで取り上げられていました。
責任を取って総辞職した以上は、野党に政権を交代すべきというものですが、そのやり方は民意を軽視する矛盾に基礎がある点に気がついていないのです。
その頃、しきりに「憲政の常道論」が宣伝されて「憲政の神様」尾崎学堂の名が報道されていましたが、最近あまり聞かなくなりました。
戦前の事実上の西園寺ルール・・選挙制度は作ったが天皇親政と矛盾するので政権担当者は大御心によって決まるヌエ的民主主義制度であった以上は、政権交代の基準がないので、西園寺の形式的交代論になってしまったのは、当然の帰結でした。
憲政の常道でもなんでもありません。
今の左翼系野党は選挙で勝たなくとも政権交代できた戦前の記憶にしがみついている・・・民意によって政権交代するのではなく、大御心によって決まる・・戦前のヌエ的民主主義制度を理想としている「政権たらい回し批判」が野党の潜在意識とすれば、日頃から私が書いている革新系政党の本質が超保守体質であることの一つの現れです。
戦後は総理は国会の選出による→多数党の党首が総理になるのが民意・・戦前のように元老の推薦→天皇の大命降下で決まるものではなくなっている・本当の民主主義制度ですから、野党は目先の審議妨害で内閣を倒しても野党が少数党である限り自分たちに政権は回ってきません。
戦後の内閣総辞職は与党内のナンバー2にお鉢が回るだけでは、何のために頑張っているか不明・・そんなことよりは次の選挙または次の次の選挙・・将来に備えて政策を磨くのが、戦後政党の本来の姿です。
それをやる能力がないので戦後も戦前同様の際限ない揚げ足取りや失言追及などで国会審議を停滞させるのが目的の国会戦術が続いています。
「なんでも反対の社会党」と揶揄されているうちに長期低落で4月5日に紹介したところでは0、5%前後の支持率ですが、あまり政策妨害に徹しているので、もしかして中ソ、中韓の手先か?と疑う人が増えてきました。
外国の手先というよりは頭が固くて独自性を出すには、反対するしかない・・何を提案して良いか分からないからでしょうが、これに外国勢力が利用価値を見出だしているという逆の結果ではないでしょうか?
国政が停滞すると国民の批判が起きてくるので、(予算が通らないと新年度の政策が停滞します。)与党も放置できない・・かといって強行採決がメデイアによって「暴挙」と批判されて簡単にできないので、一応野党の顔を立てるために総辞職して一件落着にして野党から総理を立てるという「ことなかれ」主義が日露戦争以降の習慣となりました。
ワシントン軍縮条約反対といえば総辞職、天皇機関説反対と騒げば総辞職・・その都度下野した先の与党=野党が今度は攻める側ですから、この繰り返し・・・戦後の社会党だけの専売特許と違い・・与野党共に交替してはその都度政権の揚げ足取りに終始して本来の政治そっちのけでした。
与野党共(戦後の社会党の役割を双方で繰り返していたので)に政治家が国民の信頼を失い、「何やってんだか・・」と最後は翼賛政治になっていった原因です。

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