自治体の拒否権9(許認可権2)

我が国・・明治政府の地方制度は、本来国家的関心事項を貫徹させる・統治の便宜のため・・効率・合理性の趣旨で地方に区分して分散させていたに過ぎません。
占領軍・アメリカの意向でこれを連邦的自治事務方向への改変し、中央政府の行為に付いてまでも地方が政府の上位機関として許認可権があるかのような逆転した制度設計にしようとしていたのですが、実態を変えて行くには時間がかかります。
その途中で日本が独立しました。
超戦争後の米ソ対決によって、アメリカ自身の日本弱体化方針が変わりました。
ここで左翼文化人じは、内実は中ソ応援目的ですが、表向きアメリカ型民主主義礼賛が始まります。
彼らは日本弱体化路線をアメリから受け継ぎ「明治政府の中央集権制が良くない」と言う宣伝・・私もそう言う教育を受けて来ました・・がどう考えても何故日本のような自治制度が必要かが分らないまま丸ごと信用して来た人が多いと思います。
この10年くらい自分で考えているうちに、アメリカの強制した自治制度は、占領政策の一環として日本弱体化目的だったのではないかと気が付いて来た次第です。
日本弱体化に資することなら何でも進めるし、発展しそうなことは何でも反対するのが左翼系文化人ですからここぞとばかりに自治制度の強化・悪用に精出して来たように見えます。
ところで、日本の中央集権と言ってもフランス等とは違い鎌倉幕府以来の各地独自性・封建制の伝統があるので最大限地方の独自性尊重の社会です。
中央と地方の関係は地方特有の事情に通じた自治体の意見を尊重して政策決定すれば足りるものであって、合理的根拠の有無にかかわらず地方が国策に対して何でも反対・・根拠の有無にかかわらない拒否権があるのでは統一国家と矛盾してしまいます。
これは主権国家間の条約によって出来上がっている世界の連合体やEUでも同じで、構成国が何でも拒否権がある条約は「条約」の意味をなしません。
部分的に拒否権留保付きで条約を結べばその部分に限り条約の効力がない仕組みです。
民間の契約でも一方が約束を守らなくても良いと言う契約は、契約としての効力がないのが法の原則です。
民法
(随意条件)
第百三十四条  停止条件付法律行為は、その条件が単に債務者の意思のみに係るときは、無効とする。

上記は日本の法原理でしかありませんが、明治維新当時にナポレン法典を基本に西欧の法制度の精髄を取り入れたもので、今でも世界標準の法原理であることは間違いがないでしょう。
現在明治以来の民法典の大改正作業が進展中ですが、この法原理の見直しがあるとは(私が知らないだけです)聞いていません。
統一国家・統一体である限り意思の統一が取れないと動き出来ない点は動物でもクルマでも皆同じです。
※ブレーキを踏むと一方で加速したり、アクセルを踏むとブレーキがかかるような設計のクルマでは無理があるでしょう。
日本国憲法もそこまでは要求していません。
日本国憲法
第九十四条  地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理し、及び行政を執行する権能を有し、法律の範囲内で条例を制定することができる。

上記のとおり中央政府が制定した法律に反した条例を作れないと言う意味は、中央政府の政策と矛盾行為をする権利がない・・拒否権がないと言う意味です。
上記のとおり地方には拒否権がないのですが、与えられている許認可権を「空くよう」して政府施策実行に必要な工事等の許認可をしないと言う便法を編み出して来たのがこの数十年の反政府派首長のやり方です。
これは一見合法「的」ですが実質的には憲法の趣旨に反する濫用行為です。
現在の沖縄の普天間基地移転に関する訴訟の基礎的構造(形式的合法の装い)は、国家としての意思統一破壊を目指す勢力が、15年ほど前に行政法の大改正に成功した結果、従来の機関委任事務から地方の独自権限(法定受託事務や地方事務)になったコトにあるらしいです。
行政法に関する素人的考え(憲法の基本によれば)では、国家・中央政府と地方の関係は飽くまで本社と支社等の関係になぞらえる(・・なぞらえると言う表現自体からして私はこの道の素人なので正確な言い方を出来ませんが・・)べきでしょう。
元々ゴミ集積場所や処理施設や学校の設置場所、道路新設や変更などは、地元に詳しい自治体が処理するのが合理的であるから地元権限にしていたに過ぎません。
国策を阻止する権限を与えるためにこの種の権限が始まったものではないのにアメリカの置き土産「自治権拡大」が左翼文化人によるねじ曲げ運用解釈によってこのような変な運用が始まったのですから元の法の精神・・ニッポン民族のあり方に応じた制度に戻すべきです。
以下にあるように知事の罷免制度は行き過ぎとしても、その他の権限関係に付いては修正するべきでしょう。
アメリカが既に放棄した占領政策の総仕上げとも言うべき行政法の大改革については、https://ja.wikipedia.org/wiki/によると以下のとおりです。
「機関委任事務(きかんいにんじむ)は、地方公共団体の首長(都道府県知事、市町村長)等が法令に基いて国から委任され、「国の機関」として処理する事務のことである。1999年の地方分権一括法により廃止された。
機関委任事務とされた事務は、法的にはあくまで委任した「国の事務」であって、「地方公共団体の事務」とは観念されない。このため当該事務に関しては地方公共団体の条例制定権が及ばず、地方議会の関与も制限されていた。機関委任事務について国は包括的な指揮監督権を有し(通達も参照)、これを制度的に担保するものとして職務執行命令訴訟が存在した。国は、都道府県知事が機関委任事務の管理執行について違法や怠慢があった場合に、職務執行命令訴訟を経て主務大臣による代執行を行うことができるうえ、最終的には内閣総理大臣による知事の罷免が可能であった。ただし、実際にこの制度に基づいて知事が罷免された例はなく、公選による知事の身分を奪うことは不適当であるから、知事罷免制度については1991年の地方自治法改正により廃止された。」
地方公共団体が処理する事務はすべて「地方公共団体の事務」となり、かつて機関委任事務とされていた事務の大半は自治事務及び法定受託事務に再編され、一部の事務は国の直接執行とされるか、事務自体が廃止された。」
開発行為許可や建築確認、海面埋め立てその他が地方の独自権限だとしても、政府の施策行為を例外・・政府決定や政府行為には地方の許認可を不要とするか・・条文技術的には「許認可を受けるべきものから、中央政府の行為を除く」とすれば良いことですが、これを入れると折角政府方針骨抜き目的の法改正をする意味がないと言うことでしょう。
政府行為の除外がないのを悪用して、自治体首長が、自己の所属または推薦母体になっている政党の主張が採用されていない国策に関しては、(何かスルニは何かの建設や開発行為が必要なのが普通です)許可しなければ良い・・沖縄辺野古基地移転騒動は新知事による海面埋め立て許可取り消しが争われていることから分るように、与野党対決法案で決まった重要国策をその自治体が関与する限度で全て麻痺させてしまうことが可能です。
多分世界中の国防軍の基地設置工事や行動について、(地元意思を出来るだけ尊重するのは)当然としても法的に地元同意にかかっている国などあり得ないと思われます。

自治体の拒否権8(許認可権1)

選挙権と居住期間に戻りますと、仮に本当に5年間在住していても文化は3代と言いますし、3代目で初めて江戸っ子とかパリジャンを名乗れると言うように、長期的テーマに関する場合、3代目以降でないと選挙権がないと言う長期スパーンに法を変えないと本当の解決が出来ないでしょう。
ただし誤解なきようにして頂きたいのは、現状でも長期的影響のある事項の投票権者は最低3代以上居住者にすべきと言うだけであって、本来は国防・原発・ロケット基地など国家的プロジェクトについては、投票権者の居住期間に関わらず地方に事実上でも拒否権を認めるべきではないと言うのが私の意見です。
自治体が国策に対する事実上の拒否権行使に利用している制度の多くは土地利用や開発許可・水道給水や建築許可・保健衛生・清掃・廃棄物処理など地元で処理するのに適したその他の許認可権限です。
元はと言えば国家権限の行使に付いて、民主主義国家であろうと、専制国家・封建制や独裁であろうと組織が大規模化すれば下部に権限分散・委譲して行くのは組織の共通の原理です。
何もかもトップが出来ないことから部下に権限分掌させるしかないことと、多くの部下に直截接する機会の多い直属の部下にある程度委ねる→更にその部下が自分の部下に委ねるなど順次下位組織におろして行く方式・・がどこの組織・団体でも行なわれています。
これを地域的に見れば、首都の政府がいくら人像が多くても直截見るのは無理があるので、実情に詳しい地方に委ねた方が効率的・合理的と言うことから地方への権限移管が行なわれて来ました。 
どこの企業でも同じ原理です。
上記の場合中央やトップが自分で出来ないから、自分がする代わりに部下や下部組織に委ねているだけですから部下や下部組織の行為の間違いを上位機関が正して取り消したり自分でやり直し出来るのが原則です。
地方自治とは、組織である限りどこにでもある権限分掌の仕組みをそのまま利用しながら、上位機関による是正権限を出来るだけ弱めようとする考え方と言えます。
下位組織に自治権を与える・本来は、中央からの授権によるだけなので、地元決定に不都合があれば上位機関で修正出来るのが普通の関係ですが、企業の場合は原則数字で表すのでそのパターンで書けば・・数字で言えば1億円までは支店長決裁1億以上は地域本部決裁、10億以上は本社決裁と言うような・・裁量範囲の問題です。
企業では一応の基準を決めているだけで多くは、臨機応変に上位と相談の上で決めるとか、一旦決めたことでもイザとなれば上位機関が介入し事業投資決断を注視して撤退したりする権限を残しているのが普通です。
元々100%の主権国が、条約によって主権が一部制限されるに過ぎない連合国の構成国関係と、元々上命下服関係に始まる中央・地方の関係とは始まりの方向が違っています。
アメリカは元々1つの国が大き過ぎて分権したのではなく、元々主権国家の連合です。
ステートの連合ーUNITED STATEですから、連邦憲法とは言わば連合契約・・条約であって、これに違反した法が制定されても、州は条約外のことには従う義務が元々ありません。
これがアメリカで違憲立法審査権が重きをなしている基本的性格です。
日本では、米兵の違法行為があると日米安保条約でどうなっているかが先ず議論されるのと同じです。
イギリスの連合王国やロシア連邦なども自治ではなく、元々別々の独立国が形式的(実際はロシア民族の圧倒的力関係であり、UNもブリテンの指導力によります)に対等な連合を組んだ関係です。
連合国構成国や連合でない単一国家内で日本のような(国家意思の統一性を阻害出来るほど)強大な自治権を有する民族があるのかと言う疑問で?このシリーズを書いています。
ドイツも元々主権国の連合体・・ドイツ連邦ですし、フランスの中央集権性の強さが知られていますが、フランク王国建国の始まりから単一国できた歴史があるからです。
このように元々の主権国家内の意思統一が必須であることは論を俟ちません・・一人の人間が矛盾した行動指令を身体に命ずると「精神分裂」状態になります。
有名なところでは、1国2制度を国際条約で決められている香港・マカオくらいではないでしょうか?
中国がこの条約を守らずに立候補資格を制限して大騒ぎになっていることでも分るように、国家意思貫徹と自主権の完全実施は「股裂き状態」で無理があります。
単一国家の日本を連合国家のように分断するのは、一人の人間を手足と胴体その他を別々の命令系統で動くようにさせるようなものですから、現憲法は根本的に無理があります。
日本は独立国家が連合して出来た国ではないのに連合体と同じように分解するのは、言わば企業の支店を独立させたようなもの・財閥解体の地域分割版日本を47の小さな国に分断させようとしたことになります。
地域分割ならばまだ小さくなるだけですが、企業で言えば支店や事業分野ごとの分割ではなく、本社ビルの4階フロアーと5階フロアーの場所的分割だと、各フロアーごとの企業体を作れと言われても生き残れません。
小さなリスやイノシシが動き回っているからと言って、大きな熊を馬をリスやイノシシの大きさに分断すれば、熊や馬は死んでしまいます。
自治体警察が規模が小さ過ぎて機能出来なかったので、県単位に拡大するしかなかったことをこのシリーズの冒頭で紹介しましたが、物事には必要な単位があります。
アメリカの占領政策の基本は、小規模分裂させて日本を弱体化させ、半永久的に競争相手として再浮上させないのが目的(工業生産さえ禁止し工場の生産設備・機械を解体させてアジア職へ搬出強制していたことをかなり前に引用して紹介しました)でしたので、日本の国家としての統一意思形成の妨害を図っていたと言う深読み?邪推しているのが私の基本思考です。
日本敗戦に乗じて日本民族の驚異的団結力を如何にして破壊するか・・この手始めに精神力の源泉である神道精神破壊を真っ先に行ない、この支持母体の破壊→思想界の変更・・教育界マスコミ支配を行なって数十年単位での思想入れ替えを図るとともに、この物理的装置として地域分断を狙ったのが自治制度の創設だったのではないか?と言うのがこのシリーズでのテーマ・主張です。

国家的事業と自治体の拒否権6(一坪地主運動)

自治体には自主性が重んじられるからと言って、国で決めた開発方針に逆らって、開発予定地の学校や道路付け替えなどに応じないのは「自治の本旨」に反していませんか?
国会で十分な審議をして折角決議しても全国〜広域規模の施設が必要な施策について、その計画地の1つの自治体が反対すると政策実行出来ない不思議な国家制度となっています。
たとえば、全国〜広域規模の新幹線や高速道路は、・・誘致競争しているので政党による反対がない=問題が起きていないだけ→もしも与野党で新幹線や高速道路敷設に関して意見対立あったた場合、その予定沿線の一部にでも野党系首長がいると前後数百kmの工事が貫通しなくなります。
こう言う運動をしている野党は、与野党一致の政策以外は何も出来なくて良いと言う考えによるのでしょうが、これでは自治体が独立国になっている・・友好国・連合の関係と同じで統一国家内の自治体とは言えません。
ソモソモ民主主義制度とは意見が対立する前提で違った意見・・議論を尽くした上で多数決で決める前提で成り立っています。
その議論の結果評決で負けた以上はその結果に従い次の選挙で雪辱するのが民主主義の原理です。
スポーツでも何でも一定のルールで試合して負けた以上はその結果に従うべきです。
昨日アメリカ大統領選最後の討論会の模様が報じられていましたが、(マスコミのでっち上げテーマかも知れませんが)最終討論会の大きなテーマは「選挙結果に従うかどうか」が大きなテーマであるとして掲げられていました。
ブッシュ氏に選挙で負けたゴア氏も相応の言い分があったでしょうが、「敗軍の将兵を語らず」で不満を言っていません。
スポーツで相手が卑劣っぽい勝ち方をしたときに負けた方にマイクを向けるとこれには答えず、「私が弱かっただけです」と答えるのが普通です。
負けてもグジグジ言うのは、アメリカでも嫌われているからこそ,このルールをトランプ氏が守りそうもない印象を強調するためにこう言うテーマを民主党系マスコミが大宣伝していると思います。
成田空港の例で言うと最大野党社会党が反対して1坪地主運動を推進したのですが,全国の国民が支持していない・・選挙で負けた結果をイレギュラーな方法で国策実施段階で妨害をするのは民主主義ルールに反しています。
「飛行機は騒音があるだけで何の国益もない金持ちの贅沢品に過ぎない」と言う政策のママ(私が弁護士若手の頃にこう言う理由で反対運動参加の勧誘を受けていたことをこのコラムの始め頃に紹介したことがあります)でいたら、日本経済はどうなっていたかと思う人の方が多いでしょう。
多分当時の社会党や共産党も飛行機の有用性を知っていたでしょうが、「日本人に飛行機にさわらせない・絶対に作らせない」と言うアメリカ占領軍の置き土産を代弁していたのだと思われます。
https://docs.google.com/document/d/1B_k-2lcstvNhZWWRqkWpEo0Evf1mJlU7NLjlDEZOEak/editからの引用です。
「 一坪地主 」 とは土地登記簿上の名義人 ( 地権者 ) を増やして、土地収用手続きを煩雑化させる目的で作られたものですが、三里塚・芝山連合空港反対同盟が、空港内の地権者から土地を購入し昭和41年(1966 年)に始めました。一時は約1,260 人におよびましたが、成田空港が開港すると約 400 人に減少しました。
昭和 58 年(1983年)に反対同盟は、2期工事阻止をねらい再度「 一坪地主 」運動を始めた結果、平成7年(1985年)には約1,400人に増えました。
社会党 ( 現社民党 ) も空港反対闘争の一環として、組織的に 「 一坪地主 」運動を推進しましたが、当時の土井たか子委員長も 一坪地主になりました。空港建設に反対し妨害行為をしながら、彼女と社会党 ( 現社民党 )員たちは、訪朝、訪中の度に成田空港から出入国していました。
ある時成田空港へ帰国した土井党首に対して、 カメラの前で テレビ記者からその矛盾点を追求されると、記者を無言でにらみ付けただけで何も答えませんでした。( 正しくは 答えられなかった のでした )
公の立場にある政党の党首が 成田空港を常に利用しながら 反対派の 「 一坪地主 」 に名前を連ね、空港建設工事を自ら妨害するという矛盾や、その愚行を テレビの視聴者の前に露呈した結果になりました。」
土井党首が答えられなかった問題はマスコミで大きく報道されたので、記憶されている方も多いでしょう。
「飛行機製造絶対禁止政策」の結果飛行機技術者が新幹線製造研究に方向転換したことは良く知られているとおりです。
このような激しい反対運動の連続の結果、今頃、ホンダや三菱の国産旅客機が漸く離陸出来るかどうかと言うほど国産旅客機製造が遅れてしまいました。
統一地方選挙制度であればこう言う「ズル」を防げますが、地方選挙・・例えば今回の新潟知事選や東京都議会選挙は時期がずれているし、各種反対決議等は時間差があるのでいわゆる「プロ市民」が巡業的に何回でも参政権?を行使出来る制度設計になっています。
例えば国民の1%しか支持されていない勢力でも活動家率が高いと、これを組織してあちこちの選挙の都度移動して行くと・・仮に100カ所に移動すると全く移動しない人から支持を受けている政党に比べて100倍の得票が出来ます。
以上によれば自治体選挙結果は実は当てにならない・全国一斉の国政選挙での得票率こそが本来の国民意思の現れと言うべきでしょう。
活動家が押し掛けて来て投票しても、彼らがいなくなれば、もう一度選挙し直せば良いかと言うとそう簡単には行きません。
アメリカのグランデール市の慰安婦像設置と同じで、集中的運動期間を決めて一度勝てば良いのです・・その後中韓系移民がどこかへ行ってしまっても一旦設置されてしまった像は簡単に撤去されません。
ダムでもロケット基地でも公民館でも一旦建設されれば、再決議をして簡単に撤去出来ませんし、あるいは一旦撤去され、否決されててしまえば、再設置の機運は(空港でも工業団地、港湾整備でも反対運動が激しくて予定が立たなければ・・事業家は別のところに進出してしまうので)簡単に再度の機運が盛り上がりません。
自衛隊基地や原発立地・空港設置やダム工事の可否も同じで1回否決してしまえば、その後活動家がいなくなっても、計画そのものを一旦頓挫させたり、施行を長引かせて時機遅れにしてしまえれば或る国策反対論者としては、目的を達することが出来ます。
与那国島の基地問題で言えば、レーダー基地を設置するかどうかで小田原評定を続けているうちに中国に占領されてしまえば議論不要になります。
成田空港も何十年も計画完成を遅れさせ、その後拡張が必要になっても簡単でない(上記のとおり拡張工事が必要になると又一坪地主が増えました)結果、国際ハブ空港の地位が韓国に移ってしまいました。
先進的産業発展計画も「◯◯があったらどうするのだ」と言う反対ばかりして、実験用地買収に反対しているうちに国際的先端技術開発競争に負けてしまいます。
与那国島の例で言えば住民投票条例は6年前に出来ていると言うのですから、長い間掛けた争点だったこと・・あるいは成田空港の例で言えば、野党が反対している国策決定後実現までには何十年もかかる我が国の実態が分ります。

国家的事業と自治体の拒否権5(原発の可否は国政で!)

現在日本の法制度は何重にも地元自治体の協力を必要とするようにシステム化されていて、1つの事業についてある部分では地元の村や町の許認可・例えば国道を通すのに小さな公園や小学校の移転が必要な場合など重層的な地元自治体の協力がないとどんな国策も進まないようになっています。
3日ほど前に新潟県知事選挙で反原発派?知事が選挙に勝ったと報道されていてこれに迎合するように近くに学校があって、これではいくらなんでも危険だ、無理だと言う尤もらしい意見が流布しています。
そんな些末なテーマは、原発をどうするかの議論で決着がついている話のすり替えまたは蒸し返し論です。
成田空港の例を書いて来ましたが、日本に空港が必要でありどこに立地するかが国政の場で決まった以上、その空港予定地内の道路や公園を廃止するのは当然の原理です。
あるいは境界ギリギリに保育所などあれば、これを移転するのが本来です。
決まってから、計画地内あるいは直ぐ近くに道路、小学校や幼稚園があるからダメ、民家が空港内では困ると言う議論すること自体が馬鹿げていると言うか、論理すり替え・・新たな知見に基づいて考え直す必要があるならば、国政の場で議論すべきことです。
ダム工事や自衛隊基地その他国策的計画の場合、計画地周辺に民家も道路も何もない土地は普通に想定出来ません・・当然予定に入っているのが普通です。
工業団地計画でも、敷地内だけではなく周辺住民の危険を防ぐために国道等からの取り付け道路まで計画するのが普通です。
国政の場での決定段階で地元代議士が道路のつけ替えなどで住民にはこう言う不便が起きるとか、学校も移転する必要があるから困るとか逆に誘致する立場の人はその程度のマイナスは良いからそれでも地元産業振興のために誘致するかを決めて運動して来た結果でしょう。
今回のオリンピック会場経費問題もそうですが,誘致する方(会場までの道路整備など知られています)も審査する方も共に相応の周辺整備負担を考えて行動しているものです。
もしも原発近くに学校があって危険ならば地元自治体が移転すべきことであり、これを(補償交渉で「この範囲まで保障して欲しい」と言う議論までしたら誘致出来ないと思って黙っていたのか・)しないで今になって、「近くの学校が危険だから原発反対」と言うのは議論のすり替えです。
仮にどちらの責任でないとしても(津波のような大災害が想定されていなかったと言うならば、津波の危険があるならば原発がなくと移転すべき問題であり)保障の問題でしかありません。
危険でないと思っていたが大津波を想定すれば危険と言う判断に変わったとするならば、学校の移転などの対応を変えれば良いことであって(間違っていたとすれば、当時誘致運動していた人の責任であり、その分の保障をもらっていたのに移転しかなった場合もあり得ます?)そこからイキナリ原発をやめなければならないかの問題にはなりません。
ある場所で交通事故多発しても、すぐに通行止めにしないで、信号設置やカーブミラー設置などいろんな対応があるように、学校が近いのが危険と言う意見に変わったならば、学校移転を議論すれば良いことです。
柏崎原発のデータは以下のとおりです。
  着工 1978年12月 運転開始 1984年11月
着工後約40年経過と言うのですから、・・その前の計画や賛成反対運動の時間を考えると50年くらい前からの議論です・・原発後に学校が出来たのか前からあって5〜60年間誰も問題にしなかったのか?当時から危険性が問題になっていながら、誘致に決まったならばその直後に移転すべきだったでしょう。
学校は昔からある(筈・・原発設置後に作ったならば作った自治体の見通しミス)なのに、今になってイキナリ反対材料として言い出した印象があります
前からあった場合「何故学校そのままの前提で誘致したのだ」と言う内部責任追及の問題・・自治体の当時の責任者・・誘致活動した政治家などのミスを、何故交渉相手の政府や東電の所為にするのか不明です。
日本政府が外国と損な約束していたとしても、それは内部責任追及の問題であって次の担当者が引き継ぐしかありません。
オリンピック会場設営経費が高くなってしまった分を国際オリンピック委員会で補填してくれとは言えないのが普通です。
もしも現状の学校が危険ならば学校を移転すべきで、今まで問題がないとして移転しなかった地元自治体の責任を論じるべきです。
空港計画で言えば、計画区域内に道路や公園・小学校があるから空港作るなと言うのではなく、国政の議論で空港の必要性と設置場所が決まった以上は、国政決定に従う義務・・自治体は計画区域内に公的施設が邪魔にならないように移転すべきであって、(相応の保障は当然)公的施設や公園・保育所があり村道が走っているコトを理由に計画に反対出来る・公園や道路廃止手続などサボタージュが許されるのでは、国政は何も出来ない・・統一国家とは言えないでしょう。
この原理はダム工事(集落丸ごと水没する場合さえあります)でもゴルフ場開設(民営の場合公益性が低いので所有者同意が必要・・収用出来ません)でもみな同じです。
自治体が反対すれば国政が滞る前提でこれを悪用することを羞じない人材が増えて来ると、これを狙って国政上の議論で負けた政党が特定地方に人を集めて反対させる邪道がはびこります。
日本の人口1億数千万人として、僅かに0,001%でも意図的に集めれば過疎地では相当な影響力があります。
10月17昨日紹介した与那国島の住民投票の例で言えば、外国人の投票まで入れて賛否の票差が約200票ですから運動員が直前(3ヶ月前)に300人も移住届を出していれば反対結果になる仕組みです。
特定組織が3〜500人規模のキャラバン隊をいくつか組織して専従化させれば、問題のありそうで賛否拮抗している自治体を狙って、移住(住民登録だけ?)巡業?して行けば僅か数百人でもキャスチングヴォートを握れるので次々と決議を成立させることが可能です。
国政選挙では、補欠選挙を除いて全国一斉ですから、2重3重の投票権行使が出来ませんが、全国一斉でない自治体選挙や住民投票では、「ズル」が普通に行なわれている印象です。
国策(国会決議)で多数の支持を得られなかった政党支持層が、日本全体人口の0、01%以下でも、ある時期めがけて過疎地の特定の町やムラに数百人も集めれば大勢力になります。

国家的事業と自治体の拒否権4(外国人参政権2)

外国人参政権に戻しますと、中国人や韓国人(正確には外国人全部ではなく永住者に限定するなど規定の仕方によって資格を絞れますし拡大も可能です)が特定意図のために1年ほど前から与那国島や石垣島あるいは壱岐・対馬などに大挙して移住すれば、(既存基地廃止や移転反対決議)事実上決定権を握ってしまいます。
将来的にどこの国に帰属するかについて住民投票しましょうとなると、小さな島々に中国人が大挙し定住して行くとあっという間に中国領土になって行きます。
与那国島の場合には、自衛隊レーダー基地設置に対する住民の意思決定について外国人も投票権があったと書いていますが、高校すらない過疎が進む町.与那国島に外国人が入って来てどう言う就職先があったのでしょうか?
何のために外国人がいるのか不明ですし、何のためにこのような優れて国家的関心事である重要事項について外国人に投票権を認める決議(条例)が出来ていたのか不明です。
ウイキペデイアの与那国町のデータです。
与那国町(に相当する地域)の人口の推移
1970年=2913人 1975年=2155人  1980年=2119人
1985年=2054人 1990年=1833人  1995年=1801人
2000年=1852人 2005年=1796人  2010年=1657人 
総務省統計局 国勢調査より
1昨日紹介したウイキペデイアによると住民投票時の人口は1500人に減っていることになります。
外国人参政権を認めるべきかどうかの議論をするには、与那国島の投票例がちょうど良い事例を提供していると思われます。
折角の事例ですから、実態調査・・住民投票条例制定前後に(日本人を含めて)移住した人がいるか、いつ移住したのか?どう言う職業に就いているのか?住民投票後5年〜10年後も定住を続けているかなど外国人参政権賛否両者は調査報告する必要があるでしょう・・。
当然日本人活動家(活動家かどうかのデータは無理としても直前直後の社会的人口増減)の事前移住などのデータも集積して行く必要があります。
実証研究抜きの観念論だけで議論しているとすれば、政治家・政党として怠慢です。
以下、印象的・・根拠のない空想ですが、・・先ずは日常生活関連を決める自治体には国籍は関係がないと言う宣伝で外国人の投票権を認める運動を数十年単位で先行させておいて、これが浸透して来た時点で原発や自衛隊基地設置予定の過疎地で反対運動を始める・・平行して国策上重要な地域への外国勢力の浸透が始まっている可能性があります。
尖閣諸島の土地国有化を当時の石原都知事が求めたのは、個人のママだと成田空港反対派による一坪地主のように、中国人に買い占められ住み着かれると大変なことになると言う心配があったことによると思われます。
全国原発立地地域や自衛隊基地その他国策上重要施設のあるところに反対活動家が一斉にちらばる必要がない・・狙い定めた特定地域に(外人に限らず日本人でも一定の反対論者がいます)活動家を集中的に移住または周辺土地を買収して行き1回でも否定決議に持ち込めば次に狙った地域に移住巡業?して行けば良いのですから、人口的に言えば国民の0、00何%以下の少数者でも可能です。
例えばダム建設用地の周辺山林・・何町歩と言う広大な山林でも僅かな資金で買収可能ですが、これを成田空港用地のように活動家に一坪ずつ名義変更して行けば良いのです。
100人でも有効な反対運動が可能になります。
成田の場合で言えば、最後は土地収用法による強制買収が図られましたが、この収用委員会自体が自治体・千葉県の権限です。
土地収用法
斡旋・仲裁委員→知事の任命(15条
第五十一条  この法律に基く権限を行うため、都道府県知事の所轄の下に、収用委員会を設置する。
(訴訟)
第百三十三条  収用委員会の裁決に関する訴え(次項及び第三項に規定する損失の補償に関する訴えを除く。)は、裁決書の正本の送達を受けた日から三月の不変期間内に提起しなければならない。」

国政レベルで決まったことが、最後は司法権が最終決定権を有することになります。
この辺の問題点については司法の謙抑性のテーマで別に書いている途中です。
ここでは、折角国会で決まっても実施段階で何十年単位の膨大な時間軸が必要なシステム上の問題点・・これに事実上外国人が関係出来る問題点を書いています。
当時千葉県知事は国策協力方向でしたので、自治体と政府の対立関係がありませんでしたが、それでも収用委員会手続に入るコトまでに長期間を要し、空港開設計画実施・・着手が大幅に遅れました。
いわゆる過激派全学連の成田闘争とは、計画作成に必要な事前現地測量妨害事件だったと思われます。
具体的に委員会が始まると収用委員長に対する身体攻撃が発生し(文字どおりテロ行為です)後任の収用委員を引き受ける人がいなくなり、その後何年も委員会自体を開けない事態が生じていました。
収用委員会が麻痺したまま(この10〜20年くらいの動きを知りまんので再開しているかどうか不明)となったので、結果的に反対派農地を残して工事が進み開港にこぎ着けたので、今でも成田空港には滑走路を妨害するかのように農地・農家が点在しているし、滑走路の増設計画が難しいのはそのせいです。
この現実を見れば地元農民の内1%あるかないか・・国民全体から見れば何十万分の1にも満たない反対者を野党が唆すだけで、政府の国策推進がどうにもならない(占領軍の残した)我が国の制度設計とこれを濫用するものがいた歴史遺物と言えます。
(時流に反対ばかりして来た社会党は消滅してしまいました)
この残存農家・農地こそ、当時の野党が如何に民主主義制度を濫用して来たかの歴史を示す遺物として後世に記念館?として残す必要があると思います。
私は世界各地に建造した慰安婦像もこうした歴史価値があるこう言う捏造批判する国だと言う「韓国の恥の歴史」として残して行けば良い・・撤去運動する必要がないと思っています。

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC