国会審議拒否と内閣総辞職(戦前の教訓)2

江戸時代の一揆の仕組みを佐倉宗五郎の例で紹介しましたが、騒動を起こすような大名には統治能力がない・企業でいえば部下が団体で社長に直訴するような騒動を起こされるような人(所長や支社長)は「人の上に立つ能力がない」という判断は概括的評価として便利な知恵です。
そして騒動原因の善悪に関わらず、首謀者は必ず処罰される江戸時代の「喧嘩両成敗ルール」も安易な騒動を起こさせない知恵でした。
両成敗の結果、安易な個人的恨みや出世競争を勝ち抜くための追い落とし戦略などない時代には合理的制度だったように思われます。
西欧の民主主義制度・・その一環としての政党政治が始まると、党利党略中心で、国家のためというよりは党派利益だけで相手の党を非難だけして騒動に持ち込めば与党が責任を取るという結果だけ真似した・両成敗ルールがないので騒いだ方に政権が転がり込む変な結果にしたのが西園寺ルールでした。
加えてエセ民主主義国家においては本当の民意を問う仕組みがないので騒動が大きくなると民意の支持を受けた騒動か否かの判断がつかないので・・本当の民主主義を求める革命騒動に点火するリスクを恐れて、目先沈静化の方便としての不満の種になっている担当者処罰で乗り切ろうとの考えが高まります。
こうした時代背景を前提に日露講和条約不満が合理的・正義にあっているか民意によるかの基準によらずに、元老院が内閣総辞職させて当時の少数野党に組閣させた理由でした。
この辺までは、まだ党利党略による不当な意図によって騒動を起こす政党政治が未発達でしたので、(元老院内で有能な政治家に白羽の矢を立てる)許容範囲でしたから元老院のミスとは言えないでしょうが、その後政党政治が発達するとこれが変な方向性・・・なんでも反対して政治を麻痺させれば野党に政権が転がり込むという歪んだ政治運動の基礎になっていきます。
政党政治を導入する以上は民意多数を得た政党=選挙で多数支持を得た政党が政権を握るという両輪の導入が必須だったのですが、明治政府はそこまでの民主化の徹底を認められなかったので、民意や正義に関係なく国会審議が滞れば結果責任主義で政権交代を行なったのがこのような歪みを起こした原因です。
この悪習が次第に大きくなって、野党が政権を握るには選挙で勝つよりは何かテーマを見つけてはメデイアと組んで根拠のない騒動を起こしさえすれば時の野党が政権を握れる習慣になったので、あることないことで騒動を起こしては(天皇機関説事件の例を紹介しました)政権党になる・政権交代のルールになっていきました。
下野した方は同じくメデイアや軍部(メデイアの応援がないと騒動にならないからですが・・そのうちメデイア主導(メデイアは軍部と組み)と組んではまた自分を追い落として政権を得た与党を攻撃する・・結果その都度軍部が増長していき日本を破滅に追い込んだ歴史です。
戦後は本当の民主主義社会になったのですから、民意を知る手段としては完全な自由選挙制度があるので、騒動の大きさによって民意を知る必要がありません。
赤ちゃんが生命の危機を伝えるには泣くしかないのですが、むずかるとか小さな動きを母親がきめ細かく感じ取って手当てしていくようになると大きな声で泣き叫ぶ必要を感じなくなります。
成長に連れて言語能力等が発達するように、国民の表現力が付き、為政者も察知能力が高まる・上下ともに共感力・察知能力→忖度能力が高まると大規模な革命騒動が不要になります。
このコラムで繰り返し書いているようにフランス革命や、中国で繰り返される王朝末期の大騒乱など大規模騒動を起こさない限り社会が変わらない硬直性こそ恥ずべきことです。
日本では昔から「民の声なき声」(赤ちゃんが泣き叫ばなくとも母親の多くがその前に表情等で気がつくように)をすくい上げる能力が発達していますし、これに加えて戦後民主主義制度の発達定着で民の声は十分に届いているので、命がけの一気に相当する反政府活動・.騒乱状態を必要としていません。
一部はねっかえり組織集団画題動員をかけてデモや集会を何回繰り返しても国民大多数の声など反映しているものではありません。
処罰される心配もない民主国家では、集会に千人参加すると(処罰が怖くて参加をためらう)その何百倍の支持があるという意味がほぼなくなり、最近ではどちらかと言えばデモや集会は自己集団の存在誇示運動目的になっているイメージです。
その集会目的とどういう関係があるのかわからない韓国語で書いたプラカードや組合の旗などが目立ちますが、仲間内でどこの組織が参加したかの出席表みたいになっているのでしょうか。
補欠選挙や地方議会選挙などで民意を絶えず反映している先進国では、選挙で得た民意・多数党になるしか与党になることができないにも関わらず、革新系野党は騒動さえ起こせば与党になれた戦前の旨味を忘れられないでいるように見えます。
戦後もこの威力を発揮したのが60年安保騒動でしたが、これはまだ戦前政治の記憶が強い時期だった・当時はまだ戦前政治経験者がほとんどだったから戦前の政治習慣に従って「揉めれば辞職」すべきという暗黙の合意があって、内閣総辞職になったにすぎません。
ところが、戦後の制度は民主制度に変わっていますので、内閣総辞職しても国民が自民党を支持している限り、少数野党に政権が転がり込むことはありません。
そうすると何のために何かといちゃもんつけては審議妨害をしているかの疑問が起きてきます。
ここから革新系野党の誤算が始まったように見えます。
その頃から「政権たらい回し」批判を頻りに行って「憲政の常道論」が起きたのですが、彼らの言う戦前の憲政の常道とは、騒動の責任をとって辞職した以上は、政権を(少数=民意を無視して)野党に引き渡すべきと言うものでした。
騒動を国民が支持しているならば、次の選挙で勝てばいいのですがそれを一切言わないところが味噌です。
歴史の審判の結果から言えば当時の日本国民の大多数は革新系の推進していた旧ソ連圏との同盟よりは、日米同盟を支持していたことは明らかでした。
戦後文化人と称する人達は、ずっとこの手の騒動を起こすことに主眼を置いて民意の支持を得る地道な努力をしないまま70年以上もやってきたことになります。
民(たみ)の支持を得る努力と書きましたが、日本の場合、古代から上下共にそれほど能力差がないことを書いてきましたが、「エリートが高邁な理想を唱えて愚昧な民を指導する」という発想自体がおかしい・・むしろ実務に参加して実務で磨かれた常識の中から国の進むべき道筋の方向が出てくるのが原則です。
ですから欧米的エリートと文盲に分化している階層社会を前提にして、(これを有難がって)エリート?の前衛思想家が国民を指導しようとする方向自体が間違っています。
国民意識を無視して有名教授の名を連ねて「違憲」という運動をいくらしても国民は共感しません。
この辺は、ポーツマス講和条約に反対した帝大7博士意見書の伝統を受け継ぐ古色蒼然たる運動形式です。
明治時代でも7博士の意見書は時代錯誤の主張であったことはほぼ百%明らかですが、それから約100年あまり経過後の今でも帝大7博士の故事に倣った憲法学者連名声明を錦の御旗のように掲げる?主張のおかしさに気がつかないようです。

大臣辞任要求と審議拒否(世論調査の役割?)2

戦後は総理大臣は民意によって選ばれることになりました。
そして国務大臣を総理が議会の同意その他意見を一切聞くことなく一方的に任命する仕組みになりました。
総理→内閣が民意の代表である衆議院によって選任されている以上、衆議院の意向が変われば、いつでも不信任決議をできますが、その代わり、衆議院が民意を代表しているかを再確認するために解散総選挙することができます。
また不信任決議がなくとも、内閣には憲法7条によって裁量的な解散権(いろんな説がありますが、結論として裁量解散権があるのが通説のようです)があると言われています。
日本国憲法

第七条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
二 国会を召集すること。
三 衆議院を解散すること。
以下省略

〔内閣総理大臣の指名〕
第六十七条 内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で、これを指名する。この指名は、他のすべての案件に先だつて、これを行ふ。
2 衆議院と参議院とが異なつた指名の議決をした場合に、法律の定めるところにより、両議院の協議会を開いても意見が一致しないとき、又は衆議院が指名の議決をした後、国会休会中の期間を除いて十日以内に、参議院が、指名の議決をしないときは、衆議院の議決を国会の議決とする。
〔国務大臣の任免〕
第六十八条 内閣総理大臣は、国務大臣を任命する。但し、その過半数は、国会議員の中から選ばれなければならない。
2 内閣総理大臣は、任意に国務大臣を罷免することができる。
〔不信任決議と解散又は総辞職〕
第六十九条 内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない。
〔内閣総理大臣の欠缺又は総選挙施行による総辞職〕
第七十条 内閣総理大臣が欠けたとき、又は衆議院議員総選挙の後に初めて国会の召集があつたときは、内閣は、総辞職をしなければならない。

野党による審議拒否の非常識さをマスメデイアが報じないために、国民の意見を知るために総選挙するのは解散権の乱用になるのでしょうか。
国会が、まともに働いていないために国政が停滞して国民が困っているのです。
解散風が現実化するとメデイアや野党が恐慌状態になり、急いで審議再開に応じたこと自体が、彼ら自身国民の支持を受けていないのを知っていながら、騒いでいた実態が明らかになってきました。
メデイアが煽って騒動が広がれば民意がどこにあるかに関わらず総辞職→政権交代すべきという戦前の悪習を利用再現しようとする試みがついに失敗したのです。
内閣は国民の支持によって成立しているのが議院内閣制の基本ですから、審議拒否を続けた上で内閣不信任案を出すということは「自分たちの主張は国民の支持を受けている・・今の内閣は選挙時こそ支持を受けたとしても今は支持されていない」という主張をしていることになります。
「じゃ受けて立ちます・・解散して民意を問いましょう」となると野党やメデイアが狼狽えるとは?驚きです。
まさか?
国民の支持を受けていないが、メデイア+軍部の支持をバックに辞職を迫っていた戦前の政治方式が今でも(バックの軍部がなくなっても)「メデイアの支持さえあれば」通用すると思っていたのでしょうか?
公文書保存期間や公文書の範囲をどうするかなどは平行審理すればよいことであって、公文書管理やセクハラの有無と関係のないその他法案を何故並行審議できないかの説明がありません。
民主国家においては学校の授業のように先生が正解をきめるのではなく、選挙で民意によって決めるべきとするものです。
4月中旬以降の審議拒否とメデイアを通じた不思議な解散反対論(石破氏の意見を紹介しましたが・・)→審議拒否中止の流れを見ると、メデイアや野党は解散.選挙=民意が明らかになるのを恐れていることがわかります。
民意の怖い野党が民主政党を名乗理、メデイアが民意の代表であるかのように振る舞う資格があるのでしょうか?
立憲民主党や民進党と希望の合併による新党も「国民民主党」となって、「民主」の看板をはずせないようですが・・。

大臣辞任要求と審議拒否(世論調査の役割?)1

ところで、審議拒否=優先順位の問題では全く国民意識調査をしない朝日新聞が憲法改正問題に関しては以下のような優先順位調査をしています。
https://www.asahi.com/articles/DA3S13476815.htm

政策優先度、憲法改正は最下位 朝日新聞社世論調査
2020年までの改憲をめざす安倍晋三首相と国民との隔たりがはっきり表れた。国民が求める政策優先度でも「憲法改正」は最下位。
安倍首相に優先的に取り組んでほしい政治課題をいくつでも挙げてもらうと、最も多かったのは「景気・雇用」60%、次いで「高齢者向けの社会保障」56%、「教育・子育て支援」50%。「憲法改正」を選んだ人は11%で、九つの選択肢の中で最も少なかった。

憲法改正問題は、仮に通常国会での発議になるにしても国民生活に直結する予算案や関連法案の審議を優先するに決まっています。
重要法案をスムースに採決したうえで改正発議の審議を行うか、あるいは通常国会を終えてから憲法改正発議の可否だけをテーマにした臨時国会でやればいいことですから、憲法改正国会発議は必ずしも予算審議を止めたり、各種法令審議を止めることにはなりません。
フランス大革命時のような大騒乱の結果の憲法制定の場合には、まず最高機関であるべき議会の位置付けから決める必要があって、革命は諸勢力との新政権の綱領合意・憲法が優先審議事項です(今でも新党結成や合流するときにはこれが優先決定事項です)が平時の場合、日常生活に支障がないように目先の政策を滞りなく進めながら憲法案をすり合わせるのが原則です。
昭和20年8月以降敗戦時の革命的状況下(家督相続制歯医者男女平等など民法その他法令を抜本的に変更必要な場合でも、新憲法制定のために停滞することなく逆に日常的議案の審議可決は速やかに進めて滞りなく行われていました。
まして今回の改正の大争点である憲法9条を変えるかどうかの議論が決まらなければ、その他法案審議ができない性質のものではありません。
ですから、憲法改正発議と他の一般法案審議が両立しないかのような前提を設定して優先順位を質問すること自体が変な予断を誘導している印象です。
国民は憲法改正よりも通常政策の実現を優先してほしいと思っているという宣伝意図の見え透いた調査結果発表というべきですが、この調査結果から見ると、5月4日に書いたように立憲民主その他革新系の「憲法を守れ」とか「平和主義」(文書改ざんによって)「行政の信用がなくなる)などの原理論で具体政策に何でもいちゃもんつけては審議拒否の戦術?に国民は関心が低く、具体的政策重視の国民意識が逆に出ていることがわかります。
優先順位を調査するならば、野党審議拒否戦術=ズバリ優先順位の問題ですし、山積している政策課題が置き去りにされて国民生活に対する影響が大きいのですから、これこそ即時に国民の意識調査すべきだったでしょう。
審議拒否が何と19日間に及んだとのことですから、この長期間の間に日経新聞以外のメデイアが審議拒否の可否について世論調査を何故しなかったのか不思議です。
4月23日の立憲民主党の辻元氏の強硬意見→4月25日自民国対委員長の解散選択肢発言→解散風が吹き始めるといきなり審議再開合意になったのは、世論調査結果によるのでしょうか?
日経新聞の世論調査発表がありましたが、朝日等のメデイアはダンマリでした。
与野党ともに政治家はメデイアの世論誘導目的的な世論調査をそれほど信用していない・・独自の民情把握能力によっているように見えます。
日常政策審議と憲法改正論は上記のように両立できない二択関係でないのに無駄な?優先順位の世論調査を行いながら、現に必要としている政策課題の審議が止まって国民が困っている緊急政治課題についての世論調査をしない偏った状態で大手メデイアの役割を果たせるのでしょうか?
大手メデイアの世論調査は自社の推し進める政治誘導目的に都合の良い結果が出そうなテーマだけやるものなのでしょうか?
5月8に新聞発表の国会審議再開合意によって、審議拒否について議論する必要性が薄れましたが、審議拒否の不当性についてこの機会にもう少し書いておきます。
公文書改ざんがあるとすれば、行政の信頼をなくす由々しき自体・・政府組織信頼の基礎ですから、ないがしろに出来ない点は確かですが、その議論の必要性と保育所増設やTPP参加その他の山積している財政や福祉、働き方改革、経済政策、TPPや外交課題の議論とは先後の関係がありません。
並行議論可能なテーマです。
大臣辞任がない限り審議拒否できるという主張は、野党に大臣任命拒否権を認めろという主張に等しい主張になります。
戦前軍部の協力がないと内閣が倒れてしまった・陸海軍大臣現役制の結果、組閣に協力してくれないと組閣できなかった悪弊の再現に繋がりかねない重大な憲法違反行為です。
戦後憲法の原則である多数民意よって総理が選ばれ、その総理が自分の責任で内閣を運営する担保として国務大臣任免権があるのです。
これは戦後民主主義の根幹を支える制度です。
国務大臣が無能であればその責任は内閣が負うのであって、その判断は総理がすべきことであって野党にして貰う必要はありません。
総理が「大臣辞職する必要なし」と判断したら、その結果責任は総理が負うのですから、その次に野党が迫るべきはこういう無能な大臣を罷免しないならば、国民の支持を失うぞ!」すなわち「応じないならば国民の支持を失う→「内閣総辞職を迫るぞ!」=解散できるのか!」という意味になります。
そこで、「じゃ受けて立つ!」という解散権の発動がテーマになってきたのです。
これが戦前の(軍部の協力がないと組閣できなかった)弱体内閣の反省から改革された譲ることのできない戦後の議院内閣制の基本原理です。

明治憲法
第4条天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ
第7条天皇ハ帝国議会ヲ召集シ其ノ開会閉会停会及衆議院ノ解散ヲ命ス
第10条天皇ハ行政各部ノ官制及文武官ノ俸給ヲ定メ及文武官ヲ任免ス但シ此ノ憲法又ハ他ノ法律ニ特例ヲ掲ケタルモノハ各々其ノ条項ニ依ル

上記のとおり、天皇は「統治権ヲ総攬」する結果、「天皇ハ行政各部ノ官制及文武官ノ俸給ヲ定メ及文武官ヲ任免ス」る・・すなわち総理大臣を含めた各大臣も天皇が直接任命し罷免する仕組みでした。
議会が揉めれば「天皇の行政権を委ねられた内閣の不手際」として責任を取らせて別の政治家に交代させる仕組みで、騒いでいる方が民意を代弁しているか逆に内閣の方が民意にあっているのかを問わない制度でした。
第7条で解散権が天皇にあるのは、統治の責任は天皇にあって内閣にはない以上(民意によらない天皇の任命制ですから、内閣が自分の政策の方が正しいと思っても自分の方が正しいとして地位を守るための)内閣による解散制度も予定されていませんでした。
財務大臣の辞職要求同様で、総理が守ってくれない限り「辞職を要求するなら解散する」財務大臣が言えないのと同じでした。
これでは正しいと思って信念に従った根性のある政治家が育ちません。

国会審議の優先順位と民意2

公文書管理のあり方やセクハラ問題をどうするかの議論は、文字通り司つかさで議論して決めていくことであって下からの議論積み上げなしにいきなり国会で議論すべきか自体が疑問です。
※ 今回問題になっているその後出てきた資料とは秘書官と面談したときの陪席者のメモや森友学園との交渉時のメモなどらしいですが、我々関与する審議会や委員会等でも正規議事録以外に関係委員や出席事務局員が会議場で議論に参加しながらの個人メモが当然ありますが、それをすり合わせて公式議事録が出来上がるものです。
個人メモは、他の委員の発言に合わせて該当資料のページを忙しく繰って資料を見ながら自分の疑問をメモしたりしながら他人の発言も一部メモするのと、個人的関心の偏り?先入観による誤解もあるので、その後、録音や別の人のメモとのすり合わせが済んで、公式議事録確定した時点では個々人が適当に廃棄してしまうのが普通です。
メモが残っていたからといって、その人のメモが正しいとは限らないし、そのどこまでを公文書として残すべきかの問題です。
これまでそのような個人メモや正式文書になるまでの草稿類まで公文書として扱ってこなかったでしょうから(私は会議が終わって議事録確定以降自分のメモを廃棄していますが、公文書毀棄になるとは思っていません)どこまで保存すべき公文書にするかは今後の課題にすぎず、役人による資料隠蔽イメージ報道ともだいぶ違っています。
出張時の面談メモも同様で、役人が私の事務所に来る場合の経験では数人で来ることが多いですが、訪問先での面談メモを各人すり合わせて報告書等を作成するのが普通でしょう。
私の場合、その後役所から聞き取りメモのまとめが送られてきますが、自分の言ったはずのことと役人メモではかなりずれていて修正することがあります。
例外のある原則論を言ったのに例外のメモが抜けているなど・・・。
秘書官の場合、多忙でしょうからこういうすり合わせは行っていないと思われます。
報告書完成時点でそれが公文書になるべきもので、個々人のメモはその時点で原則廃棄するものでしょう。
今朝の日経新聞2p国会審議正常化の報道中には「備忘録」となっているので公式文書のようにも見えますが、それにしても聞いた人たちの印象の総和ということでしょうか?
森友学園問題でも同じですが、学園長が安倍総理夫人の名前を出していたというメモだけで安倍総理夫人が関与していたと想像をたくましくしての審議拒否は行き過ぎです。
政治家を利用したい人はいくらもいますので、胡散臭い人が政治家に頼みに行っても政治家は取り合わないことが多いのですが、(政治家は面と向かって拒否しません・「秘書に調べさせておきましょう」くらいは挨拶するのが普通です)利用したい人はそれだけで十分でその政治家の後援会に入っているとかもらってきた名刺を示したり色んな膨ませ宣伝してこけおどしに使うのが普通です。
役人の方も慣れたもので相手にしないものの、こういう大臣の名前を出していた程度の情報は残します。
伝言ゲームによる内容の変遷が有名ですが、講義や会議などの発言は聞く人によって少しずつズレた意味に理解していくのが普通ですから、(古典文学でいえば、読む人・同じ読者でも中高年になって読むと別の感銘を受けるなど、感銘を受ける箇所が違うように)総理秘書官の発言をがどのように受け取ったかも聞く人によっていろいろです。
政治家は言いたいことを匂わせても言質を取られないように複雑な言い回し・多様な解釈を許すような言い回しをするのが普通ですが、総理の意図か?と言うストレートな質問をしたとは到底想定できない上にどのような期待感で聞いていたかによって受け取り方も色々です。
我々弁護士会の議事では政治家のように微妙な言い回しの習慣がなく一義的に意味把握できる発言が普通の組織体ですが、それでも聞いた委員の内容メモ報告と後日出てきた議事録とではかなりトーンが違っているのには驚きます。
4月中旬の千葉県弁護士会のある委員会の委員が個人的に議事内容報告をしていて、あるテーマについての質問に対して執行部は「まだそこまで考えていない」という回答だったと報告されていただけですが、1週間ほど前にメーリングリストに上がった正式議事録では、単なる否定ではなく、将来会議室の容量等の限界を勘案して検討していくことになるという具体論が示されています。
観念論に走りがちな一般委員と実務を預かる執行部の思考の幅・奥行きの違いを示す好例ですし、メモ報告していた一般委員の関心が今すぐ「やるかやらないか」だけのレベルに関心があってその先の答弁(具体論)に関心がなかったのでこのレベルでの議論を聞き漏らしていたか報告価値がないと端折ったことがわかります。
公式記録に残っていない場合には、後日のすり合わせ段階でそのように受けとった人が少なかった(「あの発言でそこまで聞いたというのは無理がある」という意見が優った)と見るべきでしょう。
またイラク日報問題は保存期間が短か過ぎたかどうかが議論になっていますが、これもその他法案審議を止めてまで優先議論するべきテーマとは思えません。
個別公文書の保存期間をどの程度にすべきかは、政省令や通達作成(審議会等の議論をへて)レベルで議論するのが普通・他省庁関連の各種政策審議をストップさせるほどの優先順位がないというのが常識です。
ところで財務大臣が引責辞任しない限り審議に応じないという立憲民主の主張を引用してきましたが、これを法的に見るとどういうことになるのでしょうか?
Aのテーマの決着がつかないとその他の法案の審議に応じないというのは、Aテーマが最優先課題であるという主張になります。
憲法上審議順序が決まっていればそれに従うべきですが、決まっていない場合、論理上の優先順位・・例えば予算措置の必要な法案の場合予算可決が優先順位になります。
論理的優先順位がない場合に多くの会議では、議事運営者が議題順序を決めて議事進行していくのが原則です。
形式的には議長の采配によるべきでしょうが、実際には組織の運営に責任を持つ執行部・企業で言えば社長、国では行政府の長がNO1〜NO19までの審議をお願いしたいというときには、その提案者の意向でどの順序で審議して欲しいかの意向に従うのが、議事運営原則です。
総理の任免は衆議院の権限ですし、総理が決まらないと国政が進まないので、総選挙後の国会では総理選任が最優先で行われることが憲法で決まっていますが、国務大臣の任免は総理の専権事項で国会の承認も根回しも不要です。
国会に閣僚の不信任権があるならば、その国務大臣所管事項の法案審議よりも、不信任議案は他の法案より優先審議事項になるべきでしょうが、大臣の任免が国会権限から外れている以上は、国会が大臣罷免ないし辞任しない限り審議に応じないという主張は憲法違反の主張になります。
明治憲法では、総理は対等者間の首班でしかなかったのですが、戦後は総理が任免権を持つ関係で国会が閣僚人事に何らの参考意見を述べる権利も同意権も拒否権もない・そもそも審議事項ではありません。
野党が総理の任命した大臣の罷免を要求し、あるいは大臣が任意辞職しない限り審議に応じないことが許されれば、事実上野党が総理の閣僚任命に対する拒否権を持つようになります。
政策課題山積の今日、野党が自分になんらの権限もない事柄を優先審理すべき事を要求すること自体が越権行為ですが、さらに野党が任免権を持つかのごとく・・自分の言い分・・大臣の辞職要求が通るまであらゆる法案の審議拒否できるとしたら、多数党よりも少数党の方が国政を壟断できる仕組みになってしまいます。
このように考えていくと少数党が憲法上の根拠なく自分の要求を受け入れない限り審議に応じないという行動は、憲法で認められた国会議員の権限に反した違法行為と評価すべきです。
審議拒否=国会議員の責務放棄としての責任を負うべきでしょう。
4月23日に立憲民主の審議拒否強硬論が出て、与党が25日に解散をにおわせただけで、大騒ぎになり解散反対論をメデイアを通じてあおったものの国民の支持がひろがらない・新義挙hが続けば「連休明け解散説の前に野党内で審議拒否方針転換論が広がりついに審議再開の正式合意になった様子です。
メデイアがいくら煽っても国民意識がどのへんにあるかを多くの人が知っているから、立憲民主も審議拒否出来なくなったのです。
この騒動の結末は民意無視していたのは野党の方であったことを証明しました。

国会審議の優先順位と民意1

このような子供じみた騒動を繰り返して審議拒否に走っている状態に対して、4月に入って自民党から解散風が出てきたのは意味があるでしょう。
4月中旬頃に飯島内閣参与による連休明け解散発言もありました。
その翌日頃には朝日新聞が早速反応しました。
https://www.asahi.com/articles/ASL4L4SQJL4LUTFK012.html

衆院解散論に石破氏「国民と官邸、どっち向いて仕事を」
2018年4月18日18時03分
多くの人が思っているのは、どっちを向いているのかということ。国民を向いているのか、首相官邸を向いているのか。

解散総選挙案は、審議拒否や内閣不信任案に対して、「選挙で民意を問いたい」ということですが、これに対する反応が(国民を向いているのか)首相官邸を向いているのか」という真逆の反応を示しています。
石破氏は選挙によって民意を聞くのが民主主義の原則であることが理解出来ていないのではないでしょうか?
「どちらが民意に沿っているか選挙で決着つけよう」とするのが何故「首相官邸を向いているのか」(国民を向いていない)という反論になるのか?真逆の発想です。
石破氏は安倍憎しのメデイアに持ち上げられているウチに思考回路が野党に似てきたようです。
選挙の結果で決めようとするのは、官邸の意向だけで決めるのではなく民意を聞く手続きを重視していることは明らかです。
パク大統領時における中韓の日本批判を見ていると如何にも自国内ではこういう無茶な人権侵害.残虐行為をしていることを日本人がやったかのように言い募る傾向があるのに驚いた人が多いでしょう。
「自分ならこうする」という前提で相手を批判する主張が多いものです。
立憲民主の辻本氏が4月23日に勇ましい発言をしていたのを5月2日紹介しましたが、これに対する自民党の反応です。
https://www.asahi.com/articles/ASL4V5693L4VUTFK029.html

解散に注目が集まった理由は、25日の森山裕・自民党国会対策委員長の発言にある。「不信任案が提出されれば衆院を解散するのも内閣の選択肢だ」と記者団に語った。
同日、首相と会談した鈴木宗男元衆院議員も記者団に「総理はありとあらゆることを考えていると受け止めた」と述べた。

https://www.kochinews.co.jp/article/178235/

高知新聞 2018.04.25 12:04
自民国対委員長「衆院解散も」 不信任案提出なら、野党は反発
「自民党の森山裕国対委員長は25日、野党が安倍内閣不信任決議案を国会提出した場合の安倍晋三首相の対応に関し「(衆院)解散も一つの選択肢だ」と、東京都内で記者団に述べた。前財務事務次官のセクハラ疑惑や加計学園問題などで攻勢を強める野党をけん制する狙いがありそうだ。
国対委員長という正式役職者の発言ですから政界は大騒ぎになり、解散発言に肝を潰したのはメデイアや野党です。
立憲民主はいきなりトーンダウンして内閣総辞職を求めている訳ではないと言いだした模様です。
立憲民主党の辻元清美国対委員長は4月23日の審議拒否発言も何処へやら上記高知新聞引用の続きです。

「何を言っているのか。困るのは与党だ。そんな余裕はあるのか」と批判。希望の党の泉健太国対委員長も「そういうことに言及する暇があるなら、国会正常化に努力してほしい。何のけん制にもならない」と反発した。 」

国会正常化=国会は審議するべきことでしょうが、これに反対してきた自分らの立場そっちのけの主張です。
直後頃行われたテレビ討論だったかのユーチューブでは立憲民主の枝野党首が、解散がいかに不当であるかの主張をした上で、他党意見を遮って大声をかぶせる大人の?討論にあるまじき興奮状態の発言がネット報道されていました。
またどこかのメデイアでは「咋夏解散したばかりなのにまた解散するとは非常識」というような意見が流布されていますが、この意見の前提は、「民意を聞いた総選挙直後から審議拒否や内閣不信任を主張する方が非常識」という前提を端折っている不公正さがあります。
民意を聞いた総選挙後すぐに内閣攻撃のデモを動員し、「国民多数の声を無視している」と騒ぎ不信任案を出すこと自体が選挙制度軽視で非常識です。
不信任案を出す事自体が「民意の支持を受けてないからやめろ」という主張ですから、これに対抗して国会の意向だけでなく民意を直接聞きましょう」というのが憲政の原則です。

憲法
第六十九条 内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない。

そもそも選挙直後は、政権支持を受けたばかりの内閣を国民の支持を受けていないかのようなデモ等で空騒ぎすること自体が、民主的手続き無視の態度です。
この一環で改正内容の議論を拒否した「安倍政権下の改憲反対」という街頭運動を繰り返してきたこと自体が、安倍政権支持の民意を示す選挙結果を無視する言動ではないでしょうか?
こういう運動を盛り上げているから「それならば、民意をもう一度聞きましょう」というのが解散説です。
「国民多数の声を無視するな!」という運動家が民意をより頻繁に聞くのが何故いけないと言うのか支離滅裂な主張に見えますが・・。
この運動論を下地にした朝日の報道は以下の通りです。https://www.asahi.com/articles/ASL4R4HT3L4RUZPS005.html2018年5月1日19時46分

安倍政権下の改憲「反対」58% 朝日世論調査

憲法改正内容に関する合理的質問ではなく、「安倍政権下の改憲賛否を問う」という変な調査方法自体、イメージ操作の疑いがありますが、朝日や野党はこういう運動を繰り返しおこなって来ました。
日本の政権は平均2年前後で長くて5年前後であり、安倍氏は再選されてもあと一期しかありません。
仮に来年憲法改正してもその施行後新憲法下で新たな政治を行うのは次の世代です。
自衛隊が仮に憲法に明記されても、政治的立場や装備その他の変化には数10年単位の時間軸が必要です。
運用するのはずっと後の世代ですから、誰が憲法改正発議時の総理かによって賛否を決める合理性はありません。
議論すべきは改正内容です。
ところが慰安婦騒動を仕掛けて安倍政権に完敗し味噌をつけた朝日新聞にとって、安倍政権のやることなすこと何でも悔しい・だから「安倍政権による憲法改正の是非」という変なテーマにしているのでしょうか?

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