PKOと国際常識4(政党の役割2)

民進党の国会質問を聞いていると想定されるよって立つ主張の実効性がない・・(「少なくと県外へ」と同じで、民進党が政権担当になっても「やれるわけがない」ような主張を前提にした国会質疑を延々と続けるのは時間コストの浪費です。
現地が危険かどうか分ってどうするのか・・一定以上の犠牲が出るか、かろうじて防いだと言う具体的状況になって初めて国際的議論を出来るのが普通です。
・・危険過ぎるようになると撤退検討を始めるなどの必要性があるのは分りますが、それならばそう言う趣旨で質問すれば良いことです。
ところで質問の結果によっては、具体的危険のない状態で・・「危険そうだから撤退する」と国際的に言えるのでしょうか?
元々平和維持軍派遣は一定の抽象的危険があるからこそ軍を派遣する仕組ですから、撤退するには抽象的危険を越えた想定外の具体的危険が発生したことを前提に、且つ何十カ国と言うPKO派遣諸国間での意見擦り合わせをした上で行なうべきでこれをしないで勝手に撤退するのでは国際信義上無理があるでしょう。
民進党が政権をとっても「撤退すべき」と言う主張を実現出来ると自信を持っているならば、派遣国協力運営会議?で「これこれの具体的被害が出ているので撤退させてくれ」と言う主張しても了解を得られる筈と言うのが本来の仕事です。
その主張努力を政府が怠っているかどうかは、「駆けつけ警護」立法時の想定状況を越えてこれだけの具体的危険が起きていると明らかにして、諸外国に撤退の理解を求めるべきと言う事実を上げて国民に訴えるべきで、そうすれば国民もこの辺で撤退に向けて動き始めた方が良いか、もう少し様子を見た方が良いかまだ早いかの合理的判断が出来ます。
民進党はこれに向けて追及していると言うところでしょうが、駆けつけ警護はある程度の戦闘行為が必要になった場合を前提にしたうえでの派遣立法鳥飼すべきですから、自国基地が戦闘に巻き込まれていないし駆けつけ警護も実施してない・・何らの具体的危険に巻き込まれていない段階で、周辺の危険状況を漠然と質問して撤退の可否を議論しようとすること自体が、駆けつけ警護を認めた国会決議から見て時期尚早で無駄すぎます。
国会で議論するならば「駆けつけ警護」が実際に行なわれてから立法時時の想定限界を超える出動や被害があったかどうかの議論でしょう。
駆けつけ警固の必要すら発生していない段階で、仮に国会で撤退決議を出しても・・(韓国が慰安婦合意破棄決議をするのと同じで)国際社会でそんな主張をするのが子供じみていて恥ずかしくて、提案すら出来ないのが現実ではないでしょうか?
と言うことは民進党は国会で無駄な議論を仕掛けていることになります。
その結果か?その追及が知りつぼみとなって、いつの間にか安倍総理夫人の名を使った森友学園の追及に熱を上げています。
「少なくとも県外へ」の主張同様に、民進党が政権をとっても何も出来ないような主張の繰り返しではなく、自党なら出来る提案・・その前提となる質問をすべきです。
南スーダン派遣軍は昨日紹介したとおり、総勢約8000人で自衛隊はその内約20分の1の370人前後の施設部隊だけですが、それでも国際協力の一環ですから撤退するには相応の理由が必要・・勝手な行動はとれないでしょう。
秀吉が柴田勝家の寄り騎を命じられて参陣したものの、意見が合わないで勝手に離脱したときには、「死」を覚悟して信長の御前に出頭したと言われています。
ウイキペデイアの柴田勝家記事からです。
「天正5年(1577年)7月、越後国の上杉謙信が加賀国にまで進出してきた。この時、勝家は軍議で羽柴秀吉と衝突、仲違いし、秀吉は信長の許可を得ることもなく戦線を離脱してしまい足並みが乱れる。」
PKOも「軍」である以上は、総司令官制度が布かれている筈です。
上記のとおり将来のために現況報告を求める程度ならば・・分りますが、現在の予算委員会で予算案の何に関連して、何を決めるために先決テーマとして質問しているのか不明・・決めなければならない国政の重要課題のごとくやっているのは意味不明です。
政党には、政党活動に国費(政党交付金)が出ていますし国会運営にも巨費が使われていますので、実現可能な主張を前提に国会で質問・討論して欲しいものです。
政党は実現性がなくともこう言う意見があると言う1つの見方を発表する学者評論家等の参考意見ではないのですから、実際の政治で実現出来る主張をすべきです。
政党は、政策実現が目的であって実現目的のない言いっぱなしの批判をするためにあるのではありません。
民進党の国会質問を聞いていると、維新の党の【揶揄」を参考にするまでもなく政党の体をなしていないのではないでしょうか?
政党とは何か?
政党に関するウイキペデイアの定義です。
「政治において政策や主張に共通点のある者同士が集まって意見の集約と統一された政策の形成を図り、政策の実現に向けての活動として、政権を担当もしくは目標とし、議会の運営の基本単位になるなどを行う組織または団体のことを指す。」
国民大方の理解では、概ね以上のような基本的な枠組み・・政策実現を目指すべきグループであるべきでしょう。
法律上定義するとその定義に当てはまらないと補助金など受けられない・・不利益を受けることになる関係で内容で決めるのは難しいでしょうから、政治資金規制法では直接政党の定義をしないで第一段階では「政治団体」を定義し、政治団体の中で国会議員何名以上その他の要件を満たすものを「政党」と定義する方法です。
政治団体は内容が高邁であろうがなかろうが団体さえ結成すれば団体ですが、その中から国会議員数・・一定の国民の支持が必要と言う外形で政党要件を決めるのですから、結局は内容より「議員数さえそろえれば良いですよ」と言うのと同じです。
政治資金規正法
(昭和二十三年七月二十九日法律第百九十四号)
(定義等)
第三条  この法律において「政治団体」とは、次に掲げる団体をいう。
一  政治上の主義若しくは施策を推進し、支持し、又はこれに反対することを本来の目的とする団体
二  特定の公職の候補者を推薦し、支持し、又はこれに反対することを本来の目的とする団体
三  前二号に掲げるもののほか、次に掲げる活動をその主たる活動として組織的かつ継続的に行う団体
イ 政治上の主義若しくは施策を推進し、支持し、又はこれに反対すること。
ロ 特定の公職の候補者を推薦し、支持し、又はこれに反対すること。
2  この法律において「政党」とは、政治団体のうち次の各号のいずれかに該当するものをいう。
一  当該政治団体に所属する衆議院議員又は参議院議員を五人以上有するもの
二  直近において行われた衆議院議員の総選挙における小選挙区選出議員の選挙若しくは比例代表選出議員の選挙又は直近において行われた参議院議員の通常選挙若しくは当該参議院議員の通常選挙の直近において行われた参議院議員の通常選挙における比例代表選出議員の選挙若しくは選挙区選出議員の選挙における当該政治団体の得票総数が当該選挙における有効投票の総数の百分の二以上であるもの
以下省略
上記によると、3条1項の政治団体には2種類あって、1つは政策実現を目指す団体
2つ目は政策実現ではなく、特定候補を支持しまたは反対するための団体の2種類あります。
民進党の主張を見ると、政策実現の主張と言うよりは政権・政敵追及することが主目的・・そのための材料探しとこれを利用した追及工作に躍起になっている印象です。
政治資金規制法では第2号目的・・政策実現よりは政敵の足を引っ張ることが主目的でも一定数議員さえいれば政党ですが、この種の集団の場合社会常識的に理解されている政党とはいえない団体です。
社会常識的にはウイキペデイアで書いているように「国民のための政策」実現の主張し国民の支持得てその実現を指してで行動する政党のことでしょう。
政敵の足を引っ張る目的を名乗っている政党など聞いたこともありません。
宗教法人の定義も同じで現憲法・憲法学者がいろんなタブーを設けて行く関係で外形的・数字基準がはやっています。
その結果、ヤクザが宗教法人(信者数何名以上と届ければ宗教法人設立出来る仕組み)を隠れ蓑に設立しては、各種取り締まり放棄の例外を利用したり税逃れに悪用するようになっていますが、政党定義も数字で決めて行くいい加減さでは根は同じです。
議員数(国民の一定の支持がある)を基本に決めるのは分りよくて便利ですが、この結果、交付金目当てに数合わせによる離合集散・政治目的の一致を気にせず?野合する傾向が出ているのもこの1つです。
民進党が支持率低迷の危機感から全く相容れない筈の共産党と連携を模索するようになって却って支持母体離れが起きていますが、この一例です。
連携すれば共産党は実現すべき確固たる政策があるので、骨のない議員の方は共産党の主張に同調し吸収されて行くしかなくなるし、骨のある人材・支持母体ははドンドン逃げて行きます。
実現すべき政策がない結果、何でも反対・・政敵の足を引っ張るのが主活動となる・・政策停滞を目的する2号政党?に陥り、ひいては消滅してしまった旧社会党同様の運命を辿るのでしょうか?
旧社会党は社民党と名を変えて沖縄の米軍基地反対特化政党として命脈を保っている印象を受けます。

PKOと国際常識3(政党の役割1)

質問だけから見ると民進党の主張が私の理解不足のためかはっきりしませんが、人命危険があるからPKOや駆けつけ警護をやめろと言う意味か?それとも現地政府の要請のない軍事力行使は侵略行為?になると言う形式論を言うのか不明です。
昨日紹介した民進党の国対委員長の意気込みでは、PKO派遣5原則が壊れていることを議論して行きたいと言うのですが、民進党が国際合意にの変遷に合わせて5原則を修正すべきと言うのか、5原則堅持して撤退すべきと言うのかはっきりしません。
いずれにしても現在では、昨日ウイキペデイアで紹介したとおり国内紛争・・政府の依頼がなくとも国連が派遣することになっているのですから、政府軍かどうかや危険状態を質問して追及しても、国際合意に反して日本が一方的に撤退する前提がない限り議論の筋が違い過ぎる・・国際的に通用しない議論を吹っかけても意味のないことです。
そして、駆けつけ警護を国会が認めた法にしたと言うことは、「駆けつけ警護の必要な危険程度では撤退しないこと」が前提になっている解釈をするのが合理的です。
駆けつけ警護が現実にあって・・頻発している場合には・・相手が単なる市民による略奪なのか反乱軍かなどによって、撤退の可否を議論するのは合理的ですが、まだ駆けつけ警護出動すらしていない現状で周辺の危険性を議論して、どのような国政を期待するのか不明です。
駆けつけ警護の必要性すら起きていない状態でも【危険だから撤退しろ」と言う前提の議論ならば法を無視したや繰り返しになりますし、以下に紹介するように南スーダンは権に関する国際合意・国際常識を無視した主張になります。
国際的に通用しない論理を振りかざして、仮にその主張どおりに実行すると国連決議無視・・日本の国益に反することをやれと言うのが目的のように見えます。
ス−ダンへの自衛隊派遣は民主党政権が決めたとも報道されています。
民主党が政権を取ったときには「少なくとも県外へ」を筆頭に事前スローガン通りやれないのでこれを守らない例が多かったと思います。
野党とは言え、政党である以上自分が政権担当になっても実行出来る前提の主張や質問をすべきです。
(実行出来そうもない主張をするから、どこの国益を代表して議論しているのか?と言う疑いを持つ人が多くなる理由です)
https://ja.wikipedia.org/wiki
「国際連合南スーダン派遣団は、南スーダン共和国に展開する国際連合平和維持活動 (PKO) のひとつ。
2011年7月9日に北部スーダンから分離独立した南スーダン共和国の平和維持活動を主任務とし、司令部を首都ジュバに置く。約7000名からなる治安維持及び施設整備部隊と警官約900人を加えた8000人規模で構成され、市民保護目的の武力行使が認められている。」
南スーダン派遣は、上記のとおり「市民保護目的の武力行使」戦闘があり得る前提の派遣です。
もともと戦闘参加すら想定して派遣しているのですから、その前段階の危険状態を根掘り葉掘り聞いて派遣をどうしようと言うのか質問の意図が見えません。
確保している質問時間を持て余しているのではないでしょうか?」
PKO派遣5原則には危険状態が酷くなれば撤退出来ることになっていますが、撤退条件を満たしているかどうかを把握するために質問しているのでしょうか?
pkoスーダン派遣は民主党の政権が決めたことですが、駆けつけ警護は安倍政権が1昨年付与した新任務ですから、駆けつけ警護の危険性を強調したいのは分ります。
しかし、実際に「駆けつけ警護」をしていないのに現地情勢を聞くだけでは、何のためのネチネチ質問かよく分りません。
仮に現状が分っても撤退出来ないとすれば、・・国政として何を実現するために時間をかけた議論なのか分りません。
自衛隊が戦闘参加したならば、どちらの味方をしたのか・中立を守ったのかは重要ですが・・現地の危険の有無ばかり聞いているところから見ると、それが駆けつけ警護の新任務とどう言う関係があるのか?関連性不明です。
南スーダンが内乱状態かどうかをいくら質問しても、国家間紛争だけではなく内乱状態でもPKO派遣は国連の意思になっているのですから、具体的に自衛隊に危険が迫っていない前提でくどく問いつめている意味不明です。
聞いていると防衛大臣の発言ミスだけを期待しているような漂流質問をしている印象です。
ちなみに我々法律家の世界では、証人尋問で意味不明の質問をだらだら続けるのを、漂流質問と言います。
2月24日に維新の会の議員による予算委員会の質問をユーチューブ(いつの分か不明)で聞いていると「民進党の質問や主張は揚げ足取りばかりで、何を主張したいのかさっぱり分らない」と言う趣旨の発言をしていましたが、これが国民大方の感想でしょう。
民主国家を維持するためには、野党がしっかりしてくれないと国民が困ります。
昨今マスコミ批判が激しいですが、ネット情報と言っても個人で世界中の情報収集出来ない(裏付け)ので多くは世界各地に情報源を持つマスコミ情報を加工した意見分野で違いがある程度です。
都市テロは秩序破壊が目的ですが、テロリスト自身が都市交通システムや通信情報が正常に動く前提に行動していると書いたことがありますが、フリージャーナリストの海外ネット情報も99%がマスコミ情報を基礎に取材しただけ・・ちょっと色付けした程度が普通です。
上記のとおり、マスコミや政党の主張や情報を100%の信用出来ないとしても、積極的虚偽報道(ABCDの情報のうち一部を強調したり一部しか報道しないと言うことがあってもない情報をでっち上げて報道しない程度のモラルを守っている)社会の基礎基盤としての役割が重要です。
マスコミの信用をドンドン毀損していき、何の責任もないような者が、テロ事件がないのにテロ騒ぎあったと虚偽情報をネットで拡散するようになると、まさに偽造貨幣が出回る状態と同じで流言蜚語の社会となり、混乱するばかりです。
このコラムではマスコミ批判をしていますが、私はマスコミがしっかりと客観情報を流して欲しいと言うだけでマスコミ自体を潰せば良いとは考えていません。
政治の世界でも事実を前提に多様な意見を戦わせるためには、聞くに堪えるマトモな議論をする・・しっかりした野党が必要なことは確かです。
自民党自体に野党的勢力・多様な意見を内包しているから、日本では野党不要と言う状況を表してるのかも知れません。
この辺の状況は、中大選挙区制度の効用・小選挙区制の害として、2月21〜22日に書きました。
韓国が国際常識に反する固有論理・・実現不能な感情論に固執している不思議さ・・この結果自滅して行く予想が多くなっていますが・・。
民進党も自己の身内にしか通用しない論理に固執する・・・同じ傾向・体質を鮮明にして来たのには驚きますが、支持率低下によって、こう言う人しか残らなくなった悪循環かも知れません。
これでは国民支持率がドンドン下がって行くのは当然です。
政権獲得を目指す政党である限り、しっかり勉強して国民のために言いたいこと・・本当に実現した方が良い・・実現の処方箋を用意しての意見ならば国民の支持率が上がるでしょう。

PKOと国際常識2(ハーグ陸戦条約)

停戦合意が有名無実化して行き、混乱が広がり略奪や虐殺が横行するようになると危険地帯になったことは明らかですが、だからといって、市民を放置して真っ先に「軍」が撤退するのでは国際的非難を受けかねません。
これがウイキペデイアで昨日紹介した国際批判を受けた実態でしょう。
中立を維持しながらも、住民保護には手を貸す・・略奪集団から保護してやること・・これが現在の国際世論というべきでしょう。
元々平和維持活動とは、対立する軍事勢力の領域の現状維持を図るためではなく、戦乱による住民被害防止が目的・・そのための再戦闘勃発阻止であったとすれば、目的の変質ではありません。
戦争に関する戦時条約も、戦争自体をなくせないとしても、軍人でない一般人の保護だけでも始めようとしたものです。
住民保護こそが戦争と平和に関する法の究極の目的・基礎です。
ウイキペデイアからの引用です。
「ハーグ陸戦条約(ハーグりくせんじょうやく)は、1899年にオランダ・ハーグで開かれた第1回万国平和会議において採択された「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約(英: Convention respecting the Laws and Customs of War on Land, 仏: Convention concernant les lois et coutumes de la guerre sur terre)」並びに同附属書「陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則」のこと。1907年第2回万国平和会議で改定され今日に至る。ハーグ陸戦協定、ハーグ陸戦法規などとも言われる。
日本においては、1911年(明治44年)11月6日批准、1912年(明治45年)1月13日に陸戰ノ法規慣例ニ關スル條約として公布された。
陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則
第25条:防守されていない都市、集落、住宅または建物は、いかなる手段によってもこれを攻撃または砲撃することはできない。
第26条:攻撃軍隊の指揮官は、強襲の場合を除いて、砲撃を始めるに先立ちその旨官憲に通告するため、施せるだけの一切の手段を尽くさなければならないものとする。 
第27条:攻囲及び砲撃を行うにあたっては、宗教、技芸、学術、慈善の用途に使用されている建物、歴史上の記念建造物、病院、傷病者の収容所は、同時に軍事目的に使用されていない限り、これに対しなるべく損害を与えない為の必要な一切の手段を取らなければならないものとする。攻囲された側は識別し易い徽章をもって建物または収容所を表示する義務を負う。前述の徽章は予めこれを攻囲者に通告すること。
第28条:都市、その他の地域は突撃によって奪取された場合といえども、略奪を禁止する。」
各種平和論も戦争になった場合の一般国民の受ける悲惨さを訴えてこそ成り立っています・・逆から極論すれば血の気が多くて喧嘩したい人は「サッカー場でヤクザ同士・・軍同士が殺し合いするなら」どうぞ勝手に!・・平和論が不要です。
昨日紹介したウイキペデイア記載の「国際世論批判」とは、上記平和論によって、まさに人権団体が非難したものでしょうが、その人権団体が一方で「PKO部隊に一人でも被害が出たらどうするのか」と言う矛盾した論陣を張っています。
あるいは日本の人権団体だけの主張かも知れません。
こう言う無茶・・「いい子ぶる」偽善のマスコミ論調に腹を立てている人が、マスコミを痛烈批判するトランプ氏支持に回った印象があります。
自己・個人の利益を犠牲にしても、より多くの人命を救うことが必要な場合があるのです。
軍や警察・消防士はそう言う役割に使命感を持って応募し、命の危険を顧みず民族の楯となって頑張ってくれるからこそ、国民から尊敬され・・英霊を民族の神として祀りその子孫を大事にするのです。
イザとなって危険な場所に行きたくない・・住民を救えないと言うのでは、軍人としての価値がない・・そう言う職に就いていたこと自体が民族に対する裏切りです。
2月24日に物事の定義や理念の必要性が変わって行くので、「19世紀型原理を唱えれば済む時代ではない」と言う意見を書いて来ましたが、PKO派遣の必要性も時代によって変わって来た・・これが国際常識です。
我が国では92年に決めたいわゆる派遣5原則が時代に合わなくなくなっているのに、これを振りかざして反対するのは、幕末に世界情勢を無視して鎖国の祖法を守れと言っていた攘夷思想や戦後の非武装平和論・護憲勢力と同じ構図です。
他方で、PKOの関与が広がり過ぎると、徐々に危険性が増す・・結果的に先進国による派遣が減って実働部隊をインドやアフリカ諸国に委ねている印象です。
これが先進文化人の偽善と言われる象徴です。
民進党はスーダン派遣隊の昨年夏の日報の提出を求めて、駆けつけ警護任務の危険性強調をしているようです。
戦闘単位が政府軍か否かの特定を求めて国会で民進党が延々と追及?している様子が時々ニュースに出ています
民進党はスーダンは5原則に抵触する状況になっているから、これをやめるように言いたいのでしょうが、昨日紹介したとおり紛争状態の国に割っ入って強制介入も出来るように国際社会の原理が変わっているのをどう考えるかの視点がありません。
以下は、民主党の国対委員長の意気込みです。
https://www.minshin.or.jp/article/109939
山井和則国対委員長は26日午前、定例記者会見を国会内で開いた。
「冒頭、国会対策の基本方針として・・・「南スーダンの駆けつけ警護については「71年間日本の自衛隊は銃撃戦をしたことがなく、任務として死傷した自衛隊員は一人もいない。12月からの駆けつけ警護によって自衛隊員が深刻なリスクにさらされる危険があり、日本の戦後を大きく変えてしまう事態になりうるかもしれない。私たちはPKO参加5原則が(激しい戦闘が行われている)南スーダンの状況では壊れていると認識している。そういうことも含めて議論をしていきたい」と述べ「申し上げた通り、問題点は厳しく追及し、良い法案は成立させる。徹底した追及の延長戦上に蓮舫代表が言う対案をしっかり提示し、国民の負託に応える国会対策をしていく」と意気込みを語った。」
住民保護こそが平和維持軍の本来の責務と認識されている現在の国際常識・・国連決議ですから、これを前提に我が国の時代遅れの5原則をどうするかの議論こそが重要です。
左翼系は何かと国連決議や勧告を重視して運動しているのに、PKOになると国連決議を何故無視するのか不思議です。
非武装平和論者にとっては、平和維持に軍はいらない・平和さえ唱えていれば解決すると言う立場でしょうか。
「国連が紛争地域の平和の維持を図る手段として」紛争解決の手段として軍の派遣が必要と言う国際合意が気に入らないのでしょう。
非武装平和論は世界でどこも採用していない空想論であり、これを前提に揚げ足取り的にゴネゴネと繰り返しの国会論議になっている・・言わば税金の無駄遣いです。
日本固有論理で「危険性がある」とか、相手が政府軍かそうでないかの区分で「派遣しない」と言う主張が国際的に通用すると思っているのでしょうか?

PKO1と国際常識1

トランプ大統領就任直後に訪問した安倍総理にトランプ氏が気前よく「よっしゃ任せておき・・」と睨みを利かせてくれる約束を取り付けることが日本国民の被害を減らせる最大の成果です。
この大成果を無視して追随外交だと批判していますが、(中韓系運動家にとっては大きな痛手だったからでしょう?)日本は軍事予算を今の2〜3倍にしても自分だけでクニを守れるわけがないし、孤立するのはとてもリスキーなことは明らかです。
無い物ねだりというか、アメリカの保障などない方が(中韓には)良いと言う立場の代弁主張でしょう。
この時点でトランプ氏と対立するのと日本の安全保障うを勝ち取るのとどちらが総合的メリットが大きいかこそが、判断基準であり、軍事同盟締結可否の基準であって、「付き合いで一人でも被害が出るのは困る」とか、派遣先周辺が危険かどうかなどの基準がテーマではありません。
1対1の日米安保でよりも、もっと多くの多角的関係がある国連のPKOでも(1対1の同盟よりは負担を軽くする必要がありますが)少しでも危険があれば許されないかのような国会の議論が盛んですが、これもズレています。
元々国連PKOは、危険だからこそ「軍」の派遣になっているのであって、これを危険かどうかで議論するのは子供の喧嘩みたいで意味がない・・どの程度の危険を冒してでも国際的義務を日本が果たす気持ちがあるかどうかの議論のためにはどの程度の危険があるかの事実吟味は必要です・・その上で「この程度の危険がある場合撤退すべきではないか」と言う意見を主張するのは合理的でしょうが、ノッケから政府を追及するの早過ぎます。
国際協力可否・・日本だけ協力しないのでは、その代償をどこかで払わない限り国際孤立になりますから、協力しないときの損益(湾岸戦争では日本は巨額冥加金を払っても評価されませんでした)こそが議論のあり方です。
日本が中国に侵攻されたときに「アメリカが軍を出してくれずに、金さえ出してくれれば良いのか」と言えば分り易いでしょうか?
大災害時に何の人的応援もしないで大金を送っても、目の前で実際に助けてくれる人に被災者が感謝するのとの違いです。
戦争と災害は違うでしょうが、命の危険が迫っているときに守ってくれる人やそこへ逃げ込めば安全と言う施設がある方が良いに決まっている・・殺されたり障碍者になってから、医療や応援資金を出すが緊急応援しないのとどちらが有り難いかの違いです。
こう言う客観情勢を無視して一人二人でも犠牲が出たらダメどころか、今の議論ではスーダン派遣基地の近くで戦闘があったかどうかを大騒ぎしている民進党のスタンスには驚くばかりです。
元々危険だから国連の要請で「軍」を派遣しているし、危険だからこそ「駆けつけ警護」があるのですから・・駆けつけ警護の妥当性を危険かどうかで議論するのでは既に国会を通った「駆けつけ警護制度」を認める国会議決の蒸し返しです。
相互性の緩いPKOにどの程度協力するか、国際協力の程度がどうあるべきか・・その議論の前提としてどの程度の危険まで引き受けるべきかこそが論点でしょう。
国連が派遣する平和維持活動の必要な場所とは、平和の保たれていない危険な場所と言う意味です。
まして【駆けつけ警護」は元々危険性が具体化したときを想定している・・それでも撤退しない新たな権限付与をしたものですから、以下に紹介するようにPKO発足時とPKOの派遣条件が変わって来た・・社会意識変化に対応する狙いもあったでしょう。
発足当時には、停戦合意発効などつかの間の安定・・抽象的危険状態の現状維持が目的であったものから、具体的紛争がまだ収まっていない//あるいは紛争再燃時の住民保護の役割・・一定の混乱状態下の積極的平和構築に軸足・任務に変わったことは明らかです。
相互性の緩いPKOと軍事同盟とは違いますが、たった一人〜数人の被害でもイヤ・・その危険があるだけでもイヤと言うならば、我が国は危険のあることは一切分担しない自分勝手なクニとなります。
こんな無茶が通用していたのは「戦争放棄」と言う非常識憲法があって、これを強制したのが外ならぬ超大国米国であったから、国際的に免責されていたに過ぎません。
戦力放棄の非常識憲法が世界の非常識と認識されるようになって、事実上の戦力を持つようになった以上は、日本も一般的な国際的義務を果たす必要が出て来ます。
たった一人の被害もなくクニを守れるならば、世界で孤立していても良いし同盟国はいらないでしょうが、日本が一睨みすれば、周辺の韓国や中国やロシアが怖じ気づいて引っ込んでしまうほど日本は強いのでしょうか?
110番通報で警官の出動を求めたら、危険性が低いなら直ぐ行くが危険度が高いなら行かないと言うことが許されるでしょうか?
あるいは喧嘩最中の現場には危ないので行けないが、喧嘩が終わって落ち着いてからならば、直ぐ行きますと言うのが警察の役割でしょうか?
危険なときに助け合うのが軍事同盟ですし、平和が侵されている・・危険に曝されているから現地住民保護のため派遣するのが国連PKOです。
平和で危険がなければ、派遣する必要がありません。
PKOに関する変遷はウイキペデイアによると以下のとおりです。
「平和維持活動は、「国際の平和及び安全を維持する」(国際連合憲章第一章)ため、国際連合が小規模の軍隊を現地に派遣して行う活動である。従来は、紛争当事国の同意を前提に派遣されていたが、冷戦後は必ずしも同意を必要とせずに派遣する例もある。平和維持活動については、憲章上に明文の規定はないが、「ある種の国際連合の経費事件」において国際司法裁判所がその合法性を認め、国際連合総会が1962年の第17回総会でこれを受諾している(総会決議1854)。
1994年のルワンダ虐殺では、当事者間での停戦合意が失われており、中立性維持のためPKO部隊が住民の保護をせずに撤退し、国際世論から大きな批判を受けることととなる。これを受け1999年には、コフィー・アナン国連事務総長が、国連自体が紛争当事者になることを前提に、国際人道法(武力紛争法)の遵守を告示するに至り、PKOの変質が明らかになった[5][6][7][8]。
さらに2013年には国際連合コンゴ民主共和国ミッションにおいて、先制攻撃も可能な強制介入旅団(FIB)の設立がなされ、程なくして反政府武装勢力3月23日運動の掃討に成功する[9]。
2016年7月に内戦中の国連加盟国である南スーダン国軍により、首都ジュバの住民に多数の犠牲者が出た際には、加盟国との交戦を避けるためPKO部隊による住民の保護がなされず、再び国際世論の批判を招くこととなる。
「日本は国際平和協力法に基づき、1992年の第2次アンゴラ監視団 (UNAVEM II) に選挙監視団として3名を派遣したのが始まりである。以後11のPKO等に要員を派遣している[15][16]。この国際平和協力法で1992年に定められたPKO参加5原則では、紛争当事者の間で停戦合意や、紛争当事者が日本の参加に同意していること、PKOが特定の紛争当事者に偏ることなく中立的立場を厳守することなどを参加の要件としているが、上述のように内戦状態にある南スーダンで国軍による住民被害の防止を求められるなど、現状と乖離した規定となっている[17][18]。」
上記のとおり元はと言えば、停戦合意の監視団・・緩衝剤として始まったものですが、今では、目前の市民被害阻止の役割が国際的に期待されていて役割が積極化しているのです。
目の前で市民被害が起きて逃げ込んで来るようになると、紛争にまき込まれるからと拒否し、見殺しにして傍観している・・これが人道的に許されないことから駆けつけ警護の必要性が、認識されて国会を通過したのです。

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC