アメリカンファーストとは?3(スーパー301条)

アメリカの戦前(大恐慌)戦後からレーガン政権下でのスーパー301条成立以降クリントン〜ブッシュ〜オバマに至る保護主義強化の動きについては、2013年1月の山城秀市氏著の「アメリカの貿易政策と保護主義」と題する論文
http://www.law.nihon-u.ac.jp/publication/pdf/seikei/49_3/13.pdfで詳述されています。
昭和40年頃から,繊維交渉など今のトランプ旋風同様に日本にとって大変だった動きを私が日々ニュース等で見聞きしていてうろ覚えで知っている経過が,そのままの記録として出ているので,事実経過を正確に知りたいお方は上記論文をネット検索して御読み下さい。
かいつまんで書きますと,戦後1960年台半ばからアメリカの貿易赤字が始まると,(70年代に入ってニクソンショックがあり)完全な自由主義から「公正貿易」自由主義と言う名の保護主義へと大きく傾斜して行く様子が紹介されています。
対日繊維交渉・または鉄鋼輸出から始まった各種の自主規制の強制・・一定率(2〜3%)以上の輸出増加を認めない・・一方で一定率の自主輸入を強制する・・一定以上の黒字発生の結果を基準に課徴金を掛けたり「不公正貿易国」と認定する仕組みの始まりです。
トランプ氏の強迫・・不公正貿易国の認定を黒字の結果に求めるやり方は、徐々に強化されていましたが,これが法的に完成したのが,88年に成立したスーパー301条です。
この枠組みが完成した結果、歴代大統領が「不公正」と言う名の保護主義・相手国パッシングの道具に使って来たた流れをトランプ氏が露骨に表現したもので、彼が突然言い出したことではありません。
元々スーパー301条で重要な役割りを果たすUSTR成立の歴史を見ると、ケネデイ政権で日本の「令外の官」的位置づけ・・国際的通商拡大のためのプロジェクトチームのような位置づけで設立されたものです。
その後ベトナム戦争による赤字拡大の結果、60年代半ば以降赤字が発生するようになると,「不公正貿易阻止」と称して対米黒字国相手に輸入制限目的交渉の役割が中心になって行き・・アメリカ国内政治の利害に直結する重要な役割にとなって議会公認・・法律上の正式機関に成長して来た歴史です。
アメリカ一強のときに貿易推進のためのチームから始まったものが、あっという間に真逆の保護貿易方向の運動体・・法律上の重要機関・・輸入制限のためのみに機能する政府機関が出来たことになります。
保護貿易とは,文字どおり後進国に先進国の製品が怒濤のように入って来ると後進国が自国産業を育てるヒマがなくなるので,自国産業育成保護のためにあるもので国際的にも正統性を認められています。
先進国が国際競争力のなくなった企業を温存するためにあるものではありません。
最強国と自称するアメリカがこれをやるのは後ろめたいので,相手国を不公正競争国と勝手に認定して逆に相手の進んだ産業を潰してしまおうとするものです。
第二次世界大戦では,アメリカの方が国際法違反していたのに、逆に日本人を戦犯裁判したのと同じ行動原理です。
日本で言えば通産省と別に黒子役の輸入制限目的だけで活躍する省が公式に出来たのです。
アメリカにとっては通商政策の方向性が輸出拡大よりは輸入制限をどうするかが多くのウエートを占めるようになったと言うことでしょう。
今朝の日経新聞朝刊にはフォードの動きが紹介されていました。
勿論真偽は不明ですが,曰くフォードはアメリカ国内でもピックアップトラックしか売れていない・・このために一般のクルマの関税率は10%であるが,ピックアップトラックだけ20%に維持している//これがTPPで関税が下がるとフォードにとって死活問題なのでTPP反対で必死に政権にすがっていると言う筋書きでした。
これがフォード+トランプのクルマ産業に対する大きな筋書きと言う推測記事です。
この真偽は別としてアメリカは国内企業の競争力強化段階が終わって,如何にして外国の強い企業の輸入規制で生き残るかが国内重要テーマになっている現状が分ります。
アメリカは表向き対共産圏競争のために自由競争の旗手を任じていましたが足元では着々と保護主義に向けてきりけていた・・輸出促進政策から輸入規制政策に70年代から舵が切り変わっているのです。
それでも70〜80年代にはまだ余力があったので,個別業界の輸入制限の要望・突き上げを、受けやすい議会(地元議員の利害)の保護主義圧力によると言う表向きの立場で処理していました。
アメリカの身勝手乱暴な保護主義政策が第二次世界大戦に至った反省から戦後ガット等の世界ルールが始まった経緯をふまえ、相手国との親善その他総合判断(対共産圏対策もあって)で大統領がいわゆる「制裁」には慎重姿勢で簡単に動かないのが原則的パターンでした。
これに対する議会側の法的強制装置として通商法301条が議会通過→大統領の拒否権などの応酬、・・多分これも対外パフォーマンス・・政治駆け引きを経てレーガン大統領の時に現行の強力すぎると言う意味の「スーパー」301条が成立したものです。
レーガンのドル高政策は経済原理で言えばアメリカの国際競争力低下の促進とセット(歩競争力低下に合わせてドル安になって行くのが経済原理なのに,逆張り政策です)ですから,言わば矛盾を抱えていた・・その分国内企業の突き上げ・・輸入規制を求める動きが厳しかったと思われます。
国際収支の調整は,本来為替相場の自由変動制によって,解決される筈ですが,レーガンはアメリカの威信・ドル高政策にこだわる・・輸入が増えて国内企業は持たない矛盾激化の象徴がレーガン大統領政権時のスーパー301条の成立でした。
ドル高政策で競争力が落ちる分を腕力で輸入規制する無茶・・超法規的立法だからスーパーと言う異名がついたと思われます。
でした。
無茶は続かないのですが,ソ連を叩き潰すまでの戦時特別法的性格・一時的制度のつもり(・・2年間の時限立法でした)だったかも知れません。
トランプ氏当選以降のドル高進行が弱小国から資金流出を招き経済崩壊を招くリスクがあることから分るように,ドル高政策は自国企業の競争条件としては不利ではあるものの、旧ソ連圏を破綻させる強力な武器でしたし・実際に成功しソ連崩壊を招きました。
ドル高政策のもたらす国内企業に対する不利の緩和政策・・ソ連経済崩壊させるまでの我慢ですから,2年程度の時限立法は合理的でしたし、同盟国にも説明のつく制度でした。
ソ連崩壊後(日本に遠慮がいらなくなったので?急激な円高政策・・対日ドル安政策)に転じたにも拘らずアメリカの恒常的競争力低下が止まらないので、これを緩和するために301条の精神?を延長?して現在に生き延びて来たようです。
「スーパー301条の復活」でウイキペデイアを見ると以下のとおりです。
「スーパー301条の復活
このスーパー301条は、前述のとおり1989、1990年限りのものであったが、1994年3月3日、アメリカ合衆国大統領ビル・クリントンは、このスーパー301条手続きとほぼ同等の内容の行政命令を発出した。これは、通常スーパー301条を復活させる行政命令と呼ばれているが、厳密には法律の規定を行政命令で変更はできず(特にこの旨が授権されている場合はともかく)、この行政命令は、議会が法律によりUSTRに義務付けたものと同様の内容を、アメリカ合衆国大統領が、行政の最高責任者の権限でUSTRに命令しているものである。」
議会突き上げに対する大統領の抵抗排除目的の「スーパー」法でしたので、原則的に大統領府は自由貿易を守る旗印を掲げたままで謙抑的運用をして来た(表向きの)印象でした・・。
外交的には、内部突き上げが厳しいので・・と言う外交辞令に利用して来たのですが、クリントン大統領が議会の承認のいらない大統領令に署名したのですから本音が出たと言えます。
従来は議会の保護主義圧力を受けて大統領が対象国と大ごとにならないように交渉する表向きのパターンであったのが、トランプ氏は(就任したばかりですから)調査結果もなく個人的見解・直感で?大統領自ら特定国を名指し批判する点で異例であると言うよりも露骨すぎるやり方です。
昨日から書いているように元々不公正基準をアメリカが勝手に決めるものですから,調査してもそのときの権力の意向に合わせた基準で調査すれば結果は同じ・・中国のえせ法定手続採用同様です。
もともと、クリントン政権では議会の要求によるのではなく大統領が職権・行政命令でスーパー301条を復活させた以降は,ほぼ100%茶番劇に堕していました。
トランプ氏はそう言う茶番劇を棄てて、本音で「品なく」ズバリ言って来ただけの違いです。

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