自治体の意思決定2(エゴだけで良いか1?)

22日紹介した武蔵野市給水拒否事件(国政対立一テーマによる事件ではありませんが、首長が恣意的対応可能と言う意味で紹介しています)で言えば、刑事罰と言っても罰金刑でしかありませんから、悪く言えば党派的立場による濫用行為の歯止めにはなりません。
水道法
(昭和三十二年六月十五日法律第百七十七号)
第五十三条  次の各号のいずれかに該当する者は、一年以下の懲役又は百万円以下の罰金に処する。
一  第十条第一項前段の規定に違反した者
二  第十一条第一項(第三十一条において準用する場合を含む。)の規定に違反した者
三  第十五条第一項の規定に違反した者

裁判で負けても20万円前後の罰金支払などと引き換えに10年単位で国策遂行を引き延ばせれば何の痛みもないでしょう。
最近行なわれた鹿児島・沖縄や新潟県の知事選挙で言えば、選挙段階で原発や基地移転に対する反対派県知事かどうかをマスコミが報道していました。
如何にも国政規模の政府の勝ち負けになるかのように論じていることから見て、今や自治体選挙は身近な日常行為をどうするかのテーマとは実質が違って来ていることが明らかです。
知事就任後の結果を見ると沖縄では県知事が変わった途端に前知事の埋め立て許可をイキナリ取り消してしまう・・単なる事務的処理とは違う・政治的立場でどうにでもなることを自ら示しています・・その結果基地移転問題が混迷状態に陥っています。
鹿児島知事も前知事の同意を取り消さないまでも,次の同意をどうするかに付いて否定的意見を述べているし、新潟県県知事も現状では再稼働に同意出来ないと明言しています。
原発であれ薬品であれクルマであれ、およそ安全性は国家で決めることであって、自治体が最終的に安全でないと決めて拒否権を持つかのような意見自体おかしな論理です。
新潟県知事は原発周辺避難計画や対策が充分かどうか検証すると言うらしいですが、4〜50年前に立地計画が示されている以上は、(誘致運動していたとすればなおさらです)運転開始までに自治体が国策に応じて周辺整備しておくべきことであって、自治体の過去の首長の怠慢を理由に運転を拒否出来るとすれば、おかしな論理です。
首長裁量行為が刑事罰を受けるほど非常識であっても21日に書いたように何年も後に裁判で負けてもその期間だけでも、政策遂行を妨害出来れば目的達成する場合があるから困ったものです。
こう言う状態が続いているのに、未だに自治体政治は日常生活条件を決めるだけであるから居住している外国人にも参政権を与えるべきと宣伝しているマスコミや文化人の欺瞞性が分ります。
上記のとおり選挙前からの主張と当選後の発言を見れば、国政テーマに関する党派性が明らかなのに、無所属と称して出馬するのも住民を欺くものです。
最近の知事選の争点や結果を見れば、今や国政決定の場で負けたことの蒸し返し選挙が普通になっている・・憲法の自治制度の逸脱濫用が常態化している・・こう言う実態があると国政の場で支持を受けられないことを自治体で実現したい人が競って立候補するようになって行きます。
国政で採用されない意見・・少数意見・野党系が自治体選挙や訴訟で妨害することに生き残りをかける構図になって来ます。
ところで国政の支持率が(地域によって若干の違いがあるとしても・)概ね各自治体で同率とすれば、自治体が許認可事務で一定の裁量権があっても、政府方針と大幅に変わらないので政府決定が実現出来るように周辺整備などで協力すれば、国政の不統一が起きません・・これを前提に地方自治制度が出来ていると思われます。
(日本は別の国、異民族・・それぞれが違った価値観で出来上がって来た国・民族の利害相克のために便宜的に連合を組んだEUや征服した事実を隠蔽するためにロシア連邦などと名称だけ連邦やイギリスのように連合王国にしている国とは違い、元々地域・民族対立がありません・・古代から統治の都合上で地域を◯◯の国と名付けて分けて来た区分・・地図上の名称みたいな程度?に過ぎません。)
白村江の敗戦以降、九州に防人が派遣され、蒙古襲来時にも日本列島全体の防衛のために九州の在地武士団が命を惜しまずに戦いました。
国防のために九州人だけが犠牲になっているから蒙古軍に降伏した方が良いと言う不満が出たことがありません。
戦国時代で言えば、長篠の合戦の長篠城の城将もそんな不満を言わずに死守していました。
これが古代からの日本列島文化です。
同質文化であることから、国政支持率と自治体選挙の支持率がほぼ同じであれば、国政で支持されない主張が自治体でもほぼ支持されない筈ですが、国政と自治体選挙のズレ・・自治体で選挙では国家全体としてどうなる?かの考慮不要→地域エゴ強調に矛盾を感じさせなくする長年の教育・・工夫が生きて来ます。
左翼・文化人がことさら個人利益・エゴを強調するばかりで、その場合に全体がどうなるかを問題にしない傾向が多いのは、この連係プレーと見ることが可能です。
このあとで紹介しますが、憲法で保障されている人権も「公共の福祉」に反しない限り保障されるものであって、公共・・全体利益を無視してエゴの主張が許される前提にはなっていません。
自治体選挙の投票基準がエゴ重視・・地域への利益誘導がどの程度あるかの競争ばかり強調して選挙するようになってしまったのは、占領軍による悪しき道徳教育に迎合する文化人・マスコミによう宣伝効果が浸透した結果と思われます。
ところで、米軍による日本の強固な共同体意識破壊目的の戦後教育遺産で「エゴ競争こそ民主主義である」と我々世代が教育されてしまった結果、アダムスミスのレッセフェールが正しいと言う神の手論・・各人がエゴを主張していれば自然に良い結果になると思い込まされて来ました。
しかし上記のように戦後流布されていた説明は間違っている・その前提として倫理があったと言う解説が出回るようになって来ました。
この解説の方がストンと腑に落ちる人が多いでしょう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/日下公人(10月23日現在)
(アダムスミスの国富論は)・・「強欲なのはいいことだ」へ発展したが、彼はそんなことまで言っていない。」「見えざる手がすべてを解決してくれる」といったイデオロギーにまでしてしまった。当時は社会のベースには、倫理や道徳があり、人間は道徳的でなければならないという大前提の下で暮らしていた。そうした縛りがあった上での、「営利精神はあってもいい」ということであって、アダム・スミスは野放図な強欲を肯定したわけではない[14]。」
物事には原則と例外があり、例外的な自由や権利を強調すると後世これが一人歩きする例の1つです。
日本の大企業の多くでは創業者の社会貢献に関する家訓等が大事にされているのが普通です。
こう言う企業精神のない中韓企業がタマタマ時流に乗って急躍進しても、時代変化に付いて行けないだろうというのが我が国多くの(内心)見方でしょう。
エゴに訴えて沖縄の基地や原発その他重要施設の誘致しているようなことでは、仮に設置や移転に成功しても、他国との緊張時の肝腎のときに危険過ぎると言う理由で基地撤去運動・偵察機や戦闘機離着陸反対が激しくなって(もしかして使用禁止の仮処分が出る?)肝腎のときに使い勝手の悪いリスクが?目に見えています。

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