世界的減税潮流の基礎2→小さな政府へ

日本政府関係者・マスコミは今なお予算を減らしたくない前提で、保険赤字解消のために非正規雇用者や、(働いている女性のやっかみを煽って)専業主婦層からも年金・保険料を徴収する政策が動いていますが、保険である以上広く薄く負担するのは理にかなっていますが、これも所得の低い人にもコスト負担させようとする消費税強化の考えと根が共通しています。
非正規でも保険加入出来ると良いことがあるかのように宣伝されています。
元々社会保険加入資格があってもなくとも、国保でも社保でも3割負担は同じですし、(配偶者が扶養家族になっている場合)非正規配偶者が社会保険加入資格を認められても何のメリットもないのですから、結果から見れば単に保険料負担者を増やそうとしていることになります。
(社保料で言えば、世帯員が3人でも4人でも扶養者の所得で決まる仕組みですから、所帯構成員が独立して保険料を払うようになってもお父さんの保険料は変わりません・・。
これが100何万円の壁と言うパート主婦の労働時間の限界になっていることは周知のとおり・・庶民は政府の本音を知っているからです。
中高所得者や法人の国際移動自由(グローバル化)の結果、法人や中高所得者が他国に逃げないように減税競争に陥る現象→税収減から見れば困ったものですが、ソモソモ20世紀型・キャッチアップ型大きな政府が不要になって来たのではないか?と税収減を機会に立ち止まって考えるべき時期・チャンスです。
資金が高金利を求めて海外流出し、高額所得者が税の安い場所を求めて海外に逃げる(手取り収入の高いところを目指す)のは、競争力のある企業が現地生産移行して行くのと同じ経済原理に基づくものであって、道義退廃の問題ではありません。
企業(工場に限らずコンビニでも同じです)が国内市場を押さえた以上はその次に海外に雄飛するのは当たり前の動きであって、国内需要以上の生産拡大を期待する・・世界の工場再現の夢を追って財政支出増を図るのは無理があります。
トヨタが世界企業として成功していても何年も前から国内生産300万台維持すると宣言してこれを守っているようですが、トヨタでさえ維持ががやっとで、いくら海外で売れても海外生産を増やすだけであって、前年比国内生産を拡大→前年比増で成長することはありません・・安倍政権誕生時に約120円台の円安になって国内生産回帰が起きるかとマスコミが騒いでいましたが、それでもホンダは海外生産移転計画をそのまま実行していましたしその他企業も海外進出をやめませんでした。
また過去の円安時のように円安分輸出単価を下げて輸出数量を増やさずに円が90〜100円の頃の単価のまま据え置いて数量よりも利益率アップを選択していました。
元々90〜100円で採算が取れていたのですから、定価を据え置いてもそこそこ売れる・・それで給与も家賃も払えているのに、円安分値下げして何倍も多く売る・・そのために販売員、店舗や在庫を増やすと、円高になって今度は急いで定価を上げると客が激減してしまい、在庫や店舗など拡大した設備の処分に困ります。
円安に喜んでシェアー拡大に励むよりは、手堅くやりたいのは大人の智恵です。
こういう智恵がついてるくと臨時的に交易基礎条件を引き上げても(金利を下げても)国内生産は簡単に増えません。
日本が新興国同様に企業誘致のために減税しても、あるいは円安になっても飽和状態の国内生産(だけではなくコンビニも)が増える訳がなく、せいぜい防衛的減税(海外新工場進出を半年〜1年遅れさせる?)あるいはゾンビ企業の延命に留まります。
国内消費飽和状態の水位をどこまで引き上げるか・・新たな消費を生み出すアイデア・・これがうまく行けば(ポケモンのように)あらたな消費スタイルの海外輸出につながりますので、これからは絶えず世界最先端消費を生み出しては世界に先行者として次々と売り出して行くしかありません。
新たな需要創出には、キャッチアップ型プッシュ(税の投入)では何も生まれて来ない・世界先端アイデアの導入→模倣社会・・二番煎じの国では困ります。
豊かな発想を育むには時間がかかりますが国民に豊か生活をさせることが先決ですし、元々国民のための政治ならば、それが何故いけないか疑問です。
贅沢すると貧困国になる危惧が背景にあるでしょうが、今のところ日本は世界最大の純債権国であり今なお黒字を積み上げ続けている・・個人で言えば長者ドンです。
政府官僚は消費=無駄遣いの意識で刷り込まれているように見えますが、(政府には質素倹約の精神が必要です・・裏から言えば、為政者が文化を創造するのは無理)豊かな生活保障は単なる無駄遣いではなく重要な投資であると言う意識変革が重要です。
ソモソモ「消費」と言う無駄遣いをイメージする用語自体が時代遅れかも知れません。
文化の発達と言う視点で言えば何が無駄遣いかの定義自体が難しいですが、(浮世絵も俳諧・落語・都々逸を習うのも無駄と言えば無駄だったでしょうし、刺身を食べるのは贅沢)昔からの「無用の用」と言う「ゆとり」のある見方が必要です。
ものの見方に「ゆとり」のある社会にするには、生活のゆとり・・「心のゆとり」が基礎になります。
このコラム始めっから・・「01/07/03「ゆとり生活 1」に始まって01/11/03「文化発信国家へ(教育改革の方向)1」以下で今後は文化発信国家になる必要がある・・そのためには心の「ゆとり」が必要と言う意見を書いてきました。
企業が海外に逃げて行くと言うよりは、世界の工場として国内需要以上のものを作れていたのは例外であった・・開発・・先行者利益の期間が長かっただけであると言う認識でこれを受け止めるしかない・・その趨勢を認めた上での政治が必要です。
これを認めると前年までに成功した輸出分は毎年ドンドン減って行くしかない・・自国消費量を超える国内生産は、前年度比マイナス成長が基本です。

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC