コーポレートガバナンス3(信頼社会の再評価)

韓国人が対馬のお寺の仏像を盗んで行ってこれは元々韓国のものだと開き直っている現状は、罰あたりはいないと信じて厳重に鍵をかけていないお寺・・盗まれる方が悪いのではなく、「盗みにはいる方コソ悪いでしょう」と言うのが我が国の価値観です。
「価値観の違う人は来てくれるな、仲間にしたくない」と言うのがわが国の法原理です。
価値観共有社会とは本来こういうものではないでしょうか?
少なくとも信頼で成り立つ日本の価値観・・実態に合わない制度・・相互不信で運営する原理を無理に導入するのを進歩主義のように唱えるのは、何でも欧米流儀が素晴らしいという刷り込みによるものか、価値観の違う人を多く引き入れたい深謀遠慮によるものです。
ヘイトスピーチ論はその点だけみれば一見人権配慮っぽいですが、その前提には「価値観が違っても違う生き方を認めましょう」という基本思想があります。
抽象論を言っている限り進歩的な意見のように見えますが、民族間で違う価値観の具体論になると何でも許容して行けるのでしょうか?
最初に中国人にアパートを貸すと汚くて困ると言うことが問題になりましたが、具体的になると意外に難しいものです。
民族の尊厳の触れる問題・・喩えば、「神社仏閣が文化財の盗難被害や放火被害に遭うのは、異民族にとっては神道を理解する義務もないしそんなものに価値を置いていない、だから立ち小便しようと勝手だし、夜も自由に出入る出来るようにしている方が悪い」と言う場合,違った意見を尊重?して許容すべきなのでしょうか?どうなるのでしょうか?
天皇の顔写真に竹槍のようなもの突き刺してデモ行進しても許容すべきなのでしょうか?
落とし物が直ぐに戻る・・時間を守るきちんと順番を待ち、公共空間を綺麗にする社会は、一定の共通価値観で成り立っています。
ゴミ分別に協力しない、道路の掃除をしたくない・・税金でそんなことはやるべきである・・列に割り込むなど民族が違うから良いのだ、犯罪にさえならなければ落とし物を届ける必要がないと言う価値観の人が増えるとその内犯罪になっても捕まらなければ良いと言う段階に進むでしょう。
掃除をコマメにしないことや約束の時間に遅れるのが何故悪いの?日本人は自分の価値観を異民族に押し付け過ぎ(自分の国で3〜40分くらいは遅刻にならないとか)・・と抗弁を認めずに遅刻扱いするとヘイトになるのでしょうか?
しょっ中遅刻する人が大めに見てもらえるなら日本人も遅刻する人が増えるでしょうし、それまで自宅の廻りを掃除していた人も目の前で気楽にゴミを捨て歩く人が増えると掃除するのがイヤになってしまいますし、カギをしていなければ泥棒されるのが普通の社会になるとみんなが厳重にカギを掛けるしかなくなります。
夜道は危ないに決まっているじゃないかとなれば夜道を歩く人が減るでしょう。
「人を見れば泥棒と思え」と言う社会になります。
その内「エ!護身用のピストルを持たないで出掛けたの?」と言う時代が来るのでしょうか?
「友は類を持って集まる」と言うように、共通価値観で集団を作るのが人類普遍の原理です。
友は選べますが、居住空間にいる異民族を選べない・・その意味では重要な民族集団に異民族を積極的に受け入れる必要があるのか不思議です。
民族とは、人種別概念ではなく価値観・行動様式が一緒になった集団のことです。
何のために価値観の違うグループがワザワザ1つのコミュニテイを作らねばならいのかが疑問です。
不幸にして一緒にいるしかないときには寛容の精神で共存するしかないですが、折角別に住んでいるのに、何の目的で異民族=生活価値観・行動様式の違う人をワザワザ引き入れようと主張しているのか分りません。
家族でなくともタマに他人をお客に招くことはありますが、その程度で他人・お客と交われば良いのではないでしょうか?
欧米の異民族受入れ政策・・(植民地支配・・奴隷制度の代わりに異民族を安く使おうと言うエゴを隠した)人道主義?が今回のテロ頻発で壁に打ち当たっているのは当然です。

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