日弁連と政治3

話がそれましたが、今や形式的には選挙で選ばれたことになっている学生自治の危機を叫ぶ人もいないし、誰も相手にしない時代が来ていることを日弁連も他山の石とすべきです。
弁護士会活動が特殊活動家の牛耳る学生運動同様に「独りよがり声明の濫発・行動」と社会で受け取られてしまう時代になってしまわないかの心配で書いています。
今のところ、私のような意見を書いても会内で孤立する心配もない・・自由な言論が保障されている点でまだまだ大丈夫と言えそうですが、その程度で良いのでしょうか?
学生自治会で言えば、大学内で友人との間で自由に政治意見を交換出来るとしても、中核派や革マル派の支配する自治会の役員会や集会に出て行って、反対意見を言うと袋だたきに遭うので事実上何も言えない場合、自治会内民主主義が貫徹していることにはなりません。
私の所属する選管委員会等あまり政治に関係しない委員会では、過去の議論を参考にしながらもその都度、そのときの委員間の意見交換で決まって行きます。
ところが、憲法改正反対・死刑反対や秘密保護法対策や共謀罪法案対策などの長期的事案・・どちらかと言えば政治的テーマを扱う委員会では、(いつからか知りませんが・・)ずっと前に反対方針が決まっていて、その方向性を前提にして、国会情勢などが報告されていつビラ配りするか、集会を開くか、デモ行進するかなどの議論が中心になっています。
これでは、変わった意見や疑問を持っている会員が新たにその委員会に加入しても既定の運動に参加するしかない仕組みですから、反対意見を言う気にもなりませんし、参加する意欲が薄れてしまいます。
在特会や共産党のような組織の場合、既定方針に賛同した人の集まりだからそれで良いのでしょうが、政治意見で集まっていない弁護士会が同じような運用では、後から入った人は思想信条に反した行動に応援させられたり費用負担させられていることになります。
中核派の牛耳る学生自治会に一般学生が首を突っ込んでも仕方がないのと同じで、弁護士会では既定方針の意見に合う人ばかりが参入して行く傾向にならざるを得ません。
比喩的に言えばオタク化の進行で委員会内ではみんな同じ意見の集まりですから、世間常識とずれてしまう傾向が起きてきます。
千葉県弁護士会ではある委員会提案を執行部が採用しないことについて「何のための委員会だ!」と執行部のあり方に対する批判メールが提案者から出されています。
弁護士業務は正義の体現者と言う社会信用・ムードの上に成り立っていますので、社会が信用しなくなれば大変なことです。
弁護士大増員に伴う質低下に対する危機感を募らせて会内研修を充実させていることや、個別の弁護士業務に関して社会信用を失うような行為については、厳しく懲戒対象にしているのはこのためです。
会自体の政治活動については、懲戒対象になる余地が殆どありません・・自浄作用が働き難いので、その分自戒・抑制する必要があります。
政治活動には歯止めがないことに気を許して(特定立場の代弁?との社会意識が定着して)社会信用を失うと、法手続等整備に反映するべき在野専門家としての正当な意見まで色眼鏡で見られるようになって、議論から除外されるようになると国民にとって不幸です。
ことし初夏ころに事務所に来た高齢者が居あわせた修習生に対して、「あんたも左かい?」とイキナリ聞いたので修習生が面食らっていました。
私はその客に「何でそんなこと聞くんだよ〜」といって笑い話になりましたが、世間では弁護士と言えば、(彼は私も当然左系と思っていたのでしょう)左系と思っている人が多いようだとその後修習生に説明しました。
そう言えば、私の借りている事務所ビルは偶然自民党政治家の保有するビルですが、おりに触れてその政治家が、こちら(私を左系と思っているかのように何かと)革新系思想に迎合するかのように、話題を持って来る傾向があったことと符合することに気がつきました。
外部からみれば・・何十年も前から、既に弁護士会は特定思想集団のイメージを持たれていたのかも知れません。

日弁連と政治2

連合赤軍事件のように学生運動が先鋭化の極致に至ったのは、強制加入とは言えないまでも、自治会費が強制徴収・・・大学が学費等とセットで徴収して自治会に交付する仕組みになっているからだと思われます。
ただし、学生自治会費強制徴収システムは私の学生時代にはそうでしたが、今はどうなっているか知りません。
昔のママとすれば、活動家は自治会内役員の多数派を占めさえすれば、巨額会費を自由に使えるので一般学生の支持をそっちのけに熾烈な自治会支配権を巡る闘争(内ゲバ)を繰り返していたのです。
昭和40年代ころには、いわゆる3派10流とも言われていましたが、今では三派系全学連が主流・内ゲバに勝ち残って?それぞれの大学自治会を独占して現在に至っていると思われます。
(最近はニュース価値がなくなってマスコミが報じなくなったので、実態が一般人には分りません)
◯◯大学は革マル・・△大学は中核となってしまったところでは、その大学に入学した学生にとっては、違う派閥の活動家を選択する余地がありませんから、活動家は一般学生の支持を得るために活動するよりは、対抗する他大学の派閥との闘争資金(労組等への浸透資金等)・・に100%勢力を振り向けることになります。
これでも形式的には毎年自治会役員選挙が行なわれていて「民主的?」に選出されていることになっている筈です。
囚われの集団と言う言葉がありますが、バス乗客その他一定時間逃れられない環境の場合、そこで特定の音楽を流したり政治演説するのはルール違反になっています。
強制加入や強制徴収システムの場合、会費未納や加入率の減少による歯止め・自浄作用がなくなっています。
さらには学内自治や弁護士自治を尊重して外部チェックが抑制されていることもあって、こう言う組織は余程自己抑制しないと大きなダメージを受けるまで気が付かないリスクが生じます。
独裁制は、支持の空洞化が進んでいても外見に現れないのと同じで、強制加入団体の弁護士会では、社会的信用が徐々に蝕まれて行き、取り返しのつかないところまで進んでしまわないかが心配です。
今ある弁護士会の高度な社会信用は、我々世代が営々と築いて来た成果であって今の活動家?が築いたものはありません。
今では、大学自治会(と言っても全学生の代弁ではなく革マル・中核派などの特定集団の意見です)の発言や声明など、社会で何の意味も持たなくなっているのを他山の石とすべきです。
2週間ほどまえには京大構内で内偵中の刑事が監禁される事件が起きたと報道されましたが、これに対する学内自治を楯にした大規模な社会関心を呼んでいません。
大学の自治と警察権力の関係として、昭和30年代初頭には「東大ポポロ劇団事件」があって、我々世代での法律専攻の学生では、誰もが知っている大事件でした。
私は一瞬同事件の再現か?と脳裏をかすめたものでしたが、その後粛々と監禁事件として刑事立件されても社会的騒動には全くなっていません。
最早学生自治・学生運動弾圧と主張しても誰も耳を傾ける時代ではなくなっている・・一般学生自体が「特殊」活動家と一線を画していて京大(教職員や一般学生)が一丸となって学生自治を守れと言うエネルギーになっていないからです。
北大生のイスラム国参戦のための出国を事前阻止出来たのは、地道な内偵活動があったからこそですし、内偵自体を違法と言っていたのでは、(事件が起きる前の内偵することが違法と言うのでは)過激犯罪を事前阻止出来ません・・事前どころか事件が起きてからでも、迅速対応が出来ません。
誤解のないように書いておきますが、内偵活動だからと言って住居侵入して良いか、(証拠収集のために)泥棒して良いかは別問題です。
結局被害刑事がどのような違法行為をしていたか、(入場券を買って入った場合とか公開集会の場合などは違法性がないでしょう)と学生らによる違法行為の程度によって監禁(致傷があったかどうか忘れましたが・・)行為の違法性阻却になるか否かでしょう。
このように純粋な法律論が待っていますが、学内自治支持が社会問題として盛り上がらなくなっている点をココでは書いています。

日弁連の共謀罪反対運動と政治1

日弁連と言う政治をするための集団ではない組織が、政治運動することの疑問点を10月19日以来指摘しています。
共謀罪や秘密保護法反対運動は、政治活動ではないと言う意見もあるでしょう。
政治活動であっても日弁連が秘密保護法に反対するのは、法律家集団としての許された範囲の政治活動であって目的を逸脱していないと言う高裁判例があることを2014-10-30「弁護士会の政治活動4」で紹介しました。
厳密な法律論ではそうとしても(違法無効とまでは言わないまでも)、政治活動目的で集団を作った訳でもないのですから、少数意見が必ずある筈なのにこれを無視して組織全体の代表であるかのように行動するのは僭越または僭称のキライがあります。
裁判所は弁護士会自治を尊重して、余程のことがない限り無効とはいわないでしょうが、それと政治活動することが妥当か否かは本質が違います。
無効ではない限り何をしても良いと言うのでは弁護士会の社会的信用が低下してしまいます。
従業員が解雇されない程度のサボタージュをいくらしても良いという態度では会社人生がうまく行かないでしょうし、会社側も違法なパワハラにならない限り、従業員にいくら辛くあたっても良いと言うのでは会社経営が成り立ちません。
社会関係としても違法でないと言う程度では友人・隣人関係もうまく行かずみんなが離れて行きます。
日弁連としては対外行動するには常に機関決定を経ているので、会内合意・民主的手続手続としては合法的ですが、形式的合法にあぐらをかいて会員の総意を無視してやっていると次第に会員の会への愛着心や会の維持・盛り上げの熱意が薄れて行きかねません。
死刑廃止や各種法案反対運動することについて会員全員相手にアンケートが回って来たことは一回もないので、どのくらいの人数が実際に反対運動を支持しているのかすら分りません。
例えば、反対運動することに会員の4割しか反対がないからと言って、会全体=10割の総意のように反対発言することが許されるかは別問題です。
政治意見を言うために会員になっている訳ではないのですから、6割を占めれば10割の意見だと主張するのはおかしいような気がします。
機関決定を経ているから「民主的」手続を経ているとは言っても、まさに民主「的」でしかありません。
その機関ごとに選挙している訳ではなく、殆どの委員会では希望すればその委員会に参加出来るのが原則ですから、いわゆる活動家が委員会を牛耳る傾向があります。
関心があって入ってみても従来の動向に反する人が委員会に入って意見を言っても孤立して直ぐやめてしまうしかないので、そもそも意見の会わない人はそう言う委員会に入りません。
学生自治会でいえば、革マル派の支配する自治会に中核派支持者が入って行って自治会の方向を中核派支持に切り替えようとして意見を言い、努力するのを期待することは文字どおり自殺行為でしょう。
結局は一定の既定路線の実現に向けて熱心に活動する人ばかり発言して行動し重宝されて、その方向への流れが強まる・・先鋭化するばかりで弱まることがありません。
大学自治会とは言うものの、学生大多数の意見とは関係なく、実質はいわゆる「活動家」が牛耳っている状態が知られていますが、一般学生が一人二人入って行って、正常化?しようと努力することが不可能になっています。
弁護士会では、自制心があるのでそこまで行っていませんが、最近似たような傾向が生じていないか・・そこへ進んでしまうリスクがないかを常に謙虚に考える必要があります。
一般政党の場合、内部純化が進行して思い込みで先鋭化して行って、国民の支持がなくなれば、存在が縮小して行くしかないし、労働組合も活動家の行動が尖鋭化して行くと一般労働者の加入率が下がって行くので、組織維持のためにどこかで歯止めがかかります。
ところが、強制加入団体の場合、その職業をやめない限り政治の「意見があわないから加入しない」と言う訳には行きません。

条約成立後の専門家の役割3

昔から酒席等で冗談まじりに誘いをかけて見込みのありそうな反応を見た上で、別にこっそり会って謀議に引き込むのが普通のやり方ですから、逆から言えば、古代から酒席の冗談程度では検挙されなかったことが分ります。
まして今時「恐れながら・・」とイキナリ誰かが訴え出るだけ・・供述調書だけでは、有罪に出来ない・・検挙も出来ない時代です。
現在中国のように有罪かどうか別としていつの間にかどこか連れ去ってしまうやり方(最高首脳部の一人であった周永康については未だにその消息さえ不明・・APEC直前書類送検発表があったともいわれていますが、その程度です)は先進国では不可能・司法機関の発する令状がないと検挙すら出来ない点・・司法インフラの整っている国と整わない国の違いを区別しないでごちゃ混ぜにした議論です。
公害で言えば、公害防止装置のある工場に対しても、公害防止装置のない企業に対するのと同じように操業停止を求めているような議論と言えるでしょうか?
ですから、マスコミや文化人と称する人達の「心配で冗談も言えない」と言う宣伝は、古代からの実際の運用等にすら反していますし、(秘密警察が横行していたソ連や中国のように司法外の拘束が優越するような国とは違い、)三権分立が確立した現在日本の社会インフラにあわない議論です。
共謀罪処罰法が出来ても実際に運用する捜査機関側の方では、すぐにはどう言う証拠をどうやって収集するか(11月16日から書いているように、そもそもどう言う状態を「犯意」とするかの定義すらも試行錯誤中でしょう)試行錯誤が続くと思います。
法律や条約が成立した以上は、「犯意」の決め方や共謀認定の客観性を担保するにはどう言う証拠がいるかなど、この方面で厳格な運用を求めるなど法手続において人権擁護のために努力して行くのが法律実務家の使命です。
企業トップが無茶なテーマを打ち上げると、出来る訳がないと反対するよりもトップが決めた以上技術者がその実現に死に物狂いで邁進する・・こういうことでやり抜いた企業や人材だけが躍進して来たのです。
日経新聞で1ヶ月ほど前に連載していた植田紳爾氏の「私の履歴書」・・宝塚劇場の「ベルバラ」などの演出を手がけて来た人の文章にも、そう言う場面が一杯出てきます。
彼に限らずこれまで「私の履歴書」を連載した人の多くが、絶対出来そうもないトップの命令や環境に食らいついて行って、何とか成し遂げた人が多いのです。
そこまで成功しないまでも、上司の命令に出来る訳ないだろうとしょっ中不平ばかり言って努力しない従業員って、会社の役に立ちますか?
日弁連が政治が決めるまでに参考意見として一定の意見を述べるのは専門家集団としての職務ですが、国会で決まってしまえば、これを受入れてフォローする・・問題点があるとしたら、そのマイナス面を最小限にする・・人権擁護のために苦心し、法の適正な執行にエネルギーを注ぐことが社会の一員としての責務ではないでしょうか。
政治運動したい人は同好の士を募って別集団を立ち上げてやればいいことで、日弁連の名で行なう必要がありません。
政治意見実現のために結集した団体ではないのに、会の執行部が委託されていない政治活動をするのは、反対者まで代表しているような誇張主張になります。
私は10月19日に書いたように、元々刑事弁護の専門家ではないので共謀罪の是非は良く分っていない・・どうでも良いことですが、日弁連が政治に入れ込み過ぎていないかの心配でここまで書いてきました。
共謀罪処罰法を制定する立法事実がないと日弁連が主張しているので、そうかな?と思ってこれまで縷々書いて来ました。
立法事実があるかどうか、即ち法制定必要性の有無は、まさに政治・世論が決めることではないでしょうか?
私は共謀罪制定によってえん罪が増えるのは(本当にえん罪が増えるならば)困ると言う意見では、日弁連と同じですが、これまで私見を書いてきましたが、この道のプロではないのでそれ以上はよく分らないので、元々は制定自体に反対でも賛成でもありません。
しかし、自分の意見と仮に同じとしても、日弁連や単位会が会の名で政治活動することは反対です。
組織に頼りたいならば、それぞれが自分の意見に合う集団を作って独自に活動するべきです。
大阪の橋下市長が、在特会会長との10月20日ニコニコ動画での対談において(言い分があるならば、街頭運動しないで)「選挙に出て主張しろ」と変な主張をしていましたが、私は彼のように政治家以外の民間人による政治運動をやるなと主張しているのではありません。

条約成立後の専門家の役割2

専門家集団の役割と政治について考えてみますと、専門家集団・・地震学会・◯◯学会その他は、特定政治利害実現のために結集したものではありません。
専門家は政治が決めるタメの参考意見を提供すべきですが、専門家は決まった結果をフォローして行くしかない・・条約が出来た以上は、マイナス面を如何に少なくするかの専門的フォローこそが役割です。
地震学会で言えば、原発推進するかどうかは政治が決めることであって、原発にはこう言う危険があるとか、対処方法はこういうことがあるなどと客観的意見を言うまでが仕事です。
原発は危険があると反対したのに原発推進の結果が出た場合、具体的な施行に必要な規則等の制定に地震学者が反対運動しているような動きにあたるのが、国際条約署名後の共謀罪の国内法整備反対論の動きではないでしょうか?
どう言う方向に持って行くかを政治が決めたら、人権侵害にならないように施行規則やガイドラインの整備あるいは証拠法則の適用等の段階で専門家は出来る限りの努力をするべきでしょう。
犯罪の実行行為があってからその前の謀議を割り出して行くのに比べて、共謀段階で検挙してしまうと、実行の外形的準備さえないまま終わってしまうので、本当にそんな計画があったのか、権力によるでっち上げだったのかの区別がつき難いのが確かです。
この種の陰謀で政敵を葬るやり方が、洋の東西を問わず古代から繰り返された歴史です。
我が国で言えば有間皇子の事件や長屋王の事件など知られていますが、(菅原道真のさせんもその一種でしょう)武士の時代以降陰謀によるえん罪はドンドン減って行き、ドンドンなくなって行ったように思われます。
我が国の場合、武士の台頭以降、社会がかなり合理主義的になっていますし、今では証拠裁判主義ですから、古代にのみ存在したえん罪の疑いをそのまま再現するように心配するのは間違いです。
共謀罪を法制化して定義を厳密に決めても、その認定には証拠がいります。
共謀だけで処罰と言うと如何にも内心の意思だけで処罰されるかのような悪印象を振りまいて国民を不安に陥れますが、自分で内心思って考えているだけ・・仮に発言しても相手が共謀に加担しないと成立しません。
他人との話あい・「意思の連絡」が必要ですし、阿吽の呼吸ではなく何らかの意思「表示」が必要です。
※ただし、共謀共同正犯論では、「意思の連絡」と言う単語を使う学説もあればいろいろです。
いろんな説があるとしても、共謀罪は共同正犯構成するのではなく、共謀のみで足りるとすれば、共同意思主体(これの必要説もあれば、意思主体説をとらない説もあります)の成立も不要ですし、確かに共謀の成立要件が少し容易になるかも知れません。
ところで、意思の連絡→意思表示と言っても声に出す必要がありません。
黙示の意思表示と言う民事での概念があって、これを刑事事件の共謀共同正犯事件でも認めた判例が出ていることを、「共謀概念の蓄積(練馬事件)3」Published November 6, 2014で紹介しました。
黙示の意思表示で良いとなれば、共謀の現場に同席しながら、黙って聞いていただけの人が、相手(首謀者)から、「お前これをやってくれ」と言われて声を出して返事しなくとも、そのとおり実行すれば、それは犯行計画に同意したことになるでしょう。
今ではビデオや録音・メールのやり取りその他客観証拠が一杯ある時代です。(15〜16日に書いたように関係者は馬鹿ではないので、こう言うときには当然証拠を残さないようにやるでしょうから・・内通者のいるときだけ有効です。
これに加えて酒席で冗談に言ったこととの区別のためには、会話した場所や状況など共謀に参加するためのある程度の継続的行動記録など客観証拠の裏付けが必要です。
むしろ実行行為やその準備行為に関与したこととの関連で、証拠評価されて行くのではないでしょうか?
銀行強盗計画に関与したかの認定でいえば、何時何分に指定された場所に逃走用の車を用意して待っていたとしても、「何のことか知らないが呼び出されて待っていただけ」と言う場合(末端関与者の場合、謀議が漏れないように用件を言わないでただ待機するように命じることが多い)もあります。
いずれにせよ事前の関与次第等で共謀の有無が決まることが多いですから、継続的な状況証拠の収集が重要で、この辺の詰めをして行くのがプロの仕事です。

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