ポンド防衛の歴史3

英連邦諸国は弱いポンドとリンクすることによって、交易上有利な地歩を築き(為替切り下げ競争に成功したのです)スターリング諸国の域外国との貿易黒字が増加しましたが、黒字分はポンドで預金されたままになるので、イギリス単体では貿易赤字でも、域内国の持って来た黒字分のドルで買い物が出来ました。
たとえば、インド国内で調達した莫大な戦費は、ルピアで調達され、これの支払い債務の方はポンド預金に切り替えられたので、預金という記帳で済ませただけで実際に支払われていませんでした。
イギリスはこれを流用して、諸外国との貿易赤字の穴埋めに使えたことになります。
(終戦時のインドのポンド預金は11億ポンドあまりと言われ、このように、域内に対しては預金通帳の交付だけで支払をしていなかった・・預金残高分だけ対スターリング地域内での赤字が累積していました。
域内・親戚からの借金で、ポンド維持・対外的メンツを保ち莫大な戦費を調達していたのです。
イギリスは戦時中は特殊事情としてスターリング諸国の売上金流用で、自国経済を賄っていましたが、戦後これの支払(返還)に窮することになります。
話題が変わりますが、戦後インドの独立運動が激しくなって行った原因には、この不払い・経済問題の不満が大きかった可能性があります。
スターリング地域の設定は、歴史教科書ではブロック経済の始まりで、このために世界経済が混乱して世界大戦に突入して行ったとされていて、それは貿易の動きではその通りでしょうが、為替切り下げ競争・ポンド防衛から始まった点も見逃せない視点です。
すなわちスターリング地域の結成が結果的にブロック化したのは事実でしょうが、その前にイギリスにとってポンド防衛が急務だったのです。
弱含みのポンドの切り下げにリンクしたことによって、貿易上有利になった英連邦諸国が貿易で儲けた外貨・・ドルや円、マルクをロンドンに持ち込んでポンドに替える→イギリスはこの外貨・ドルで対外決済を出来るのでイギリスの貿易赤字がこれで穴埋めされてポンド下落を防げる・・その代わり域内諸国に対してはポンド債務・・ポンド預金が増える仕組みでした。
言わば今のアメリカが世界の基軸通貨国である結果、貿易赤字分を日本や中国からのファイナンス(アメリカ財務省証券や公社債を買わせて)で資金環流を果たしているのと同じような結果を、スターリング地域の設定によって果たしていたと言えます。
しかし、これも戦時経済の特殊性で許されたに過ぎず、いつかは域内に対する膨大なポンド債務の決済をしなければならないことは重荷として分っていました。
戦争が終わりに近づく1943年4月にケインズの考えによる「国際清算同盟案」が策定され、この頃から、その解体・清算・決済への準備・計画が進んで行きます。

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