ポンド防衛の歴史1

1990年代のポンド危機は、ポンドの無理を衝いたジョージ・ソロス氏の仕掛けが成功したものでした。
(これがひいては、韓国などがIMF管理になった1998年頃のアジア通貨危機に連なったのです)
日本は円の海外流出量以上の外貨準備を持っているか、取り付け騒ぎが起きないように貿易黒字・国際収支黒字を維持していれば、円相場の上昇期待があって売り浴びせがおきません。
これに反して国際収支の赤字が続き且つ流出している自国紙幣量よりも外貨準備が小さいときに、これに目を付けたファンドからの先物を利用した空売り・・売り浴びせが起きるリスクが高まります。(彼らは成功する目算があって仕掛けるのです)
ポンド危機と言えば、そのずっと前・・イギリスが基軸通貨国の地位をアメリカに奪われるつつあった1920年代から戦後間もなくの頃までの世界経済の主要テーマでしたが、私が1950年代後半から60年代初め頃に目にしていた新聞記事には、連日のようにポンド防衛がどうしたこうしたの連続でした。
(その頃はまだ中学生頃だったか・・経済的な意味までは理解不能でしたが、ポンド防衛の文字の氾濫だけが記憶に焼き付いています)
大恐慌直前頃から、イギリスは、貿易赤字によるポンドの為替相場下落だけではなく、その結果として基軸通貨国の地位を追われるつつあったことから、いわゆるスターリング地域の設定に走ったのですが、第二次世界大戦終結とともにスターリング地域の解体要求に直面しました。
スターリング地域に関しては、ブロック経済化の流れで08/25/05「大英帝国から英連邦今ではEUの1国に(ポンドの地位低下)」で紹介したことがあります。
スターリング地域諸国の外貨準備はすべてイングランド銀行のポンド預金になっていたので、スターリング地域の解体となれば、イングランド銀行に大量にポンド預金されていたポンドの持ち高削減(借金返済)圧力に曝されていたからです。
ポンド防衛については中学生頃に新聞を呼んでいた断片的記憶ですので、この辺の詳細についてネットで検索してみると、本日現在平成17年名古屋大学教授金井雄一氏の「基軸通貨ポンドの衰退過程の実証的研究」がPDFで読むことが出来ます。
イギリスは、台頭しつつあったアメリカに基軸通貨国の地位を脅かされつつあって、さらに大恐慌による世界中の為替切り下げ競争に対応して低下した自国の経済力に合わせてポンドを約2分の1に切り下げています。
上記論文によれば、1931年にポンドの金本位制廃止と同時にイギリス自治領諸国も一緒に金本位制をやめて今後はポンドに自国通貨相場にリンクさせることを決めました。
(自治領諸国の中には実力が向上して為替切り下げどころではない国々があったので、これらの国々は対外貿易上極めて有利になりました。)
同時に自治領諸国は稼いだ外貨をロンドンで全量ポンドに両替してイングランド銀行にポンド預金をすることにしました。
域外国に対しては統一為替相場制(リンク制ですから今の統一ユーロの先がけです))となり、これがスターリング地域の始まりですが、実際には以後しょっ中制度が変わり参加国も変わっています。
この結果、上記実力低下の著しいイギリスのポンドの切り下げ分の恩恵を困っていない域内国も一緒に受けられたので、域外貿易を有利に進めることが出来るようになったらしく、その儲け・・外貨準備をロンドンに集めることに成功しました。

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