非正規雇用と高齢者雇用

非正規雇用形態の拡大自体は、経済原理からすれば労働需給が過剰になっている結果に過ぎませんから、結果だけを批判しても解決出来ません。
非正規雇用が増えているのは労働市場で供給過剰になっていることが根本原因とすれば、需要を増やすか供給を減らすしかありません。
日本の貿易黒字の蓄積・一人勝ちに対する国際不満・・プラザ合意の基礎です・・の結果、これ以上の黒字拡大は国際政治上許されなくなって来たことと、中国の解放と同時に始まったグローバル化の開始によって、生産や売り上げ拡大は海外立地で対応するしかなくなっているのですから、国内労働需要を増やす方向の政策は不可能です。
この結果、労働力供給を減らして行くしかないのですが、それには、(急激な人口減少策を採っても効果が出始めるのは20年先からですから、当面は)終身雇用制や高齢者継続雇用制度を変えて行かないと無理があるはずです。
非正規雇用の拡大は終身雇用制と裏腹の関係にあって、世界経済の激変に対して終身雇用制で守られている既存従業員を適時調整出来ないシステムを前提に、入口での採用絞り込みが起きてこれが非正規雇用の拡大に繋がっているからです。
1月29日の日経朝刊第5面によると、10年前に比べて団塊世代が60代前半にさしかかり人口が大幅に増えている外に60歳の就労率が72、7%から77、2%へ61歳では66、7%から74、3%に上昇しているとあります。
私の息子の世代(団塊ジュニアー)が年間出生者が200万人前後(今は100万余りでしょう?)でしたから、団塊世代は300万人前後いたように思います。
平成20年までの統計局統計によると平成20年の59歳人口が224万人、60歳が226万1000人(60歳になってもこれだけまだ生き残っている)で、他方新卒(高校大卒含めた)付近の年齢18歳で118万8500人、19歳で120万7000人、20歳で120万8000人しかいません。
実際にこの期間に就労率が増えているのは約10%ずつですが、それでも約22〜25万人ずつ就労者が増え続けていることになりますから、これが累積して結局は7割になって来たのです。
55歳定年制の3〜40年前には60以上で働いているのは政治家や大手企業の限られた役員くらいで一般労働者はゼロに近かったのが、7割と言うことは今では健康である限りみんな働く時代になっていると言うことでしょう。
何回も書いていますが、2〜30年ほど前までは55歳定年制の時代が長く続いていましたが、これが高齢化にあわせて定年延長のかけ声にあわせてじりじりと定年が伸びて来て、今では60歳定年制が一般的になりました。
この5年間の定年延長だけでも220万人(60歳で220万人以上と言うことは55歳ころではもっと生存者が多かった筈ですが)×5=1100万人も就労者が増えて来た勘定になります。
55歳定年当時に比べて1100万人も基礎的就労人口が増えているのに加えて、60歳以上では累積した増加数は1歳ごとに226×0、7=150万人以上ですから、この累積分で新卒2年分全員(新卒全員が就職するとは限らないので労働力率を約8割として)就職出来ない数字が積み上がっていることになります。
60歳以上の就労率アップが叫ばれ、今では7割も働く時代が来ていて、さらに就労人口が増える一方(病人・障害者等があるので7〜8割が限界でしょうが、このまま70歳以上まで持ち上がって行くとトータルで増え続ける)ですから、新規参入者は立場が弱くなる一方です。
これに加えて女性の(子育て後の)就労率の上昇も重要です。
私の事務所でも当初10年くらいは大卒新人の求人をしていましたが、平成に入ってからは子育ての終わった40代の女性の採用に切り替えています。
(同じく正規雇用ですが、その方が実力があるからです・・・)
企業にしてみれば60歳まで働いていたベテランが、10〜15万の低賃金で(しかも非正規雇用で)続けて働いてくれるとすれば、右も左も分らない高卒や大卒新人に20数万も払って正規雇用する意欲がわきません。
将来のために新規採用をゼロにはしないまでも、従来新卒100人採用していた企業があるとすれば、正規雇用の新卒は本当の幹部候補2〜30人にとどめて残りは定年後の高齢者採用に舵を切る方が有利です。
近くの千葉三越デパートに行くと定年後の感じの(元外商担当らしい)人が、ゴロゴロと働いていますがその分新卒採用が減っているのです。
しかも非正規雇用に形式が変わっても、高齢者雇用継続の行政指導に従う企業・・主として大手では、元の会社に居残る人が殆どですから、大手企業の方が新規採用数がその分減って行くのは当然です。
定年後の雇用継続には補助金がつきませんが、新たに高齢者を雇用すると補助金がもらえる仕組みまでありますが、新卒にはそんなものは皆無です。
政府は長年高齢者の再雇用に補助金まで出して、高齢者の優先雇用を推進して来たのですから、その分新卒の正規雇用が減るのは当然です。
そこをホッカムリして新卒の就職難・フリーター化をマスコミが騒いでもしらけるではありませんか?
ここ20年ばかり国内生産能力は現状維持程度(同じ生産量では技術革新の結果必要労働力量は減少して行きます)で推移しているのに、労働市場滞在者が増える一方では、入口での新卒就職が厳しくなるのは当然です。
・・要は労働力過剰ですから、高齢者の就労率の削減(高齢者には俳句でもやらせておく)を図るか、基礎になる人口の早期減少政策しか解決策がないと繰り返し書いているのです。
どんな政党が出ても国際政治力学上(これ以上の黒字累積は許されません)及びグローバル経済化の結果経済的にも国内の生産力は現状維持がやっとですから、一方で就労者を増やす(滞在期間延長)政策を採っている以上は、若者が就職し損ねてフリーター等になるしかないことを「20年で失われたのは?2」 January 20, 2011 その他で繰り返し書いてきました。
マスコミや政府は、年金保険料支払い者を増やすために高齢者雇用継続を訴えているのですが、その結果高齢者が非正規雇用に変化して労働市場に居残り(・・社会保険の負担者はそれほど増えません)他方で新卒の多くが正規就職出来なくなるので、結果的に年金・社会保険支払者が両端で減って行く図式です。
(年金不安を煽らずに)高齢者には気持ちよく隠退させて、海外旅行や温泉に行ったり俳句でもやらせておけば高齢者には豊かな老後ですし、その分若者の正規雇用を増やした方が年金や保険の負担者が増えて、若者もやる気を出して日本の将来は明るくなります。

家の制度2(実効性)

農家の多くは元々最小単位の核家族で漸く生活していましたから、これ以上構成員を減らせないとすれば、周辺産業にあわせて生活水準を引き上げるには耕作面積の拡大でしか対応出来ないのですが、農家をやめる人がいないと自分の耕地を増やせないことから(・・この誘導をしなかった、出来なかったのは政治の失敗です)農業以外の生産性が上がるのに比例して農家の相対的窮乏化がいよいよ進んでししまいます。
戦後は機械化が進み農業生産性も少しづつ上がりましたが、それでも農家戸数を減らせないので規模拡大が出来ず、戦後の兼業・農家出稼ぎが広がりましたが、これは家族構成員をこれ以上減らせないことを前提にした・・・一人あたりの従事時間を減らして行く試みだったことになります。
農家の収入は(生産性が上がらない限り)明治維新前後を通じて増えないとしてもまわりで景気良く収入が増えていると、農家の人もラジオを聞いたり近代的な乗り物に乗ったり本を買ったりしなくてはなりません。
これは現在でも同じ原理ですから、農業生産性上昇が周辺産業に追いついていないにもかかわらず農家も周辺産業従事者並みに生活水準を引き上げて行くには、規模拡大か補助金注入しない限り窮乏化を防ぐ方法はありません。
高度成長期には自民党政権が資金注入続けていて、農家経済のかさ上げに努力して来たのです。
この注入が限界に来たのが昨今の経済情勢ですが、この解決・・補助金を減らして行くには農家人口を減らし一戸当たり規模拡大しかない筈です。
家の制度に戻しますと、家督相続人が明治民法で新たに得たものは何もなく範囲の広がった扶養義務だけ負荷されるのでは納得し難いので、戸主の居所指定権などの観念的指導権限を強化したのですが、東京大阪等に出て行った弟に対する居所指定権などと言っても実効性がなくお笑いです。
他方この扶養義務ですが、家の制度を論理的に説明するために何かあればその代わり故郷の実家で面倒見てくれると言う制度的保障・・観念強調だけですが、家を出た弟妹にとっても「江戸時代までの扶養2」 February 9, 2011 でも書きましたが、元々弟妹まで養いきれないから都会に押し出していたのですから、いざとなっても、長男が面倒見るほど経済力がないことを知っていましたので、お互いに茶番だと理解していたことになります。
家長と構成員どちらから見ても家の制度は意味のない制度で、すべての分野で家の制度は、実効性のない観念だけだったことになります。
今になると戦前の家の制度を過大に評価して如何にも悪い制度であったかのように思われていますが、実は思想的には親族・集落共同体崩壊の危機感に対する歯止め約としての観念的期待に過ぎず実体経済的裏付けがなかったことと、この次に書いて行く戸籍制度と整合させ維持するために自動的に構築しただけで、何らの実効性もない制度だったので、物の分かる人は家の制度に何の意味も見いだしていなかった筈です。
何かあっても親戚が面倒見てくれる訳ではないことが何十年も前から既に証明されているし、その結果親戚に相談しても解決してくれないので弁護士に相談来ているのですが、それでも親戚付き合いしておかないと何かの時に困ると言う潜在意識を吐露する人が多いものです。
これは古くは農業社会では核家族だけでは賄えない作業が多いことによる親族共同体での助け合いが必須だったことの遺伝子的記憶と明治民法制定直前頃に親族共同体崩壊が進んで行くことに対する保守層による危機感に応える意味で、観念だけでも家の制度を創設して保守反動層をなだめた思想教育の残滓に過ぎないでしょう。

 家の制度2(実効性)

農家の多くは元々最小単位の核家族で漸く生活していましたから、これ以上構成員を減らせないとすれば、周辺産業にあわせて生活水準を引き上げるには耕作面積の拡大でしか対応出来ないのですが、農家をやめる人がいないと自分の耕地を増やせないことから(・・この誘導をしなかった、出来なかったのは政治の失敗です)農業以外の生産性が上がるのに比例して農家の相対的窮乏化がいよいよ進んでししまいます。
戦後は機械化が進み農業生産性も少しづつ上がりましたが、それでも農家戸数を減らせないので規模拡大が出来ず、戦後の兼業・農家出稼ぎが広がりましたが、これは家族構成員をこれ以上減らせないことを前提にした・・・一人あたりの従事時間を減らして行く試みだったことになります。
農家の収入は(生産性が上がらない限り)明治維新前後を通じて増えないとしてもまわりで景気良く収入が増えていると、農家の人もラジオを聞いたり近代的な乗り物に乗ったり本を買ったりしなくてはなりません。
これは現在でも同じ原理ですから、農業生産性上昇が周辺産業に追いついていないにもかかわらず農家も周辺産業従事者並みに生活水準を引き上げて行くには、規模拡大か補助金注入しない限り窮乏化を防ぐ方法はありません。
高度成長期には自民党政権が資金注入続けていて、農家経済のかさ上げに努力して来たのです。
この注入が限界に来たのが昨今の経済情勢ですが、この解決・・補助金を減らして行くには農家人口を減らし一戸当たり規模拡大しかない筈です。
家の制度に戻しますと、家督相続人が明治民法で新たに得たものは何もなく範囲の広がった扶養義務だけ負荷されるのでは納得し難いので、戸主の居所指定権などの観念的指導権限を強化したのですが、東京大阪等に出て行った弟に対する居所指定権などと言っても実効性がなくお笑いです。
他方この扶養義務ですが、家の制度を論理的に説明するために何かあればその代わり故郷の実家で面倒見てくれると言う制度的保障・・観念強調だけですが、家を出た弟妹にとっても「江戸時代までの扶養2」 February 9, 2011 でも書きましたが、元々弟妹まで養いきれないから都会に押し出していたのですから、いざとなっても、長男が面倒見るほど経済力がないことを知っていましたので、お互いに茶番だと理解していたことになります。
家長と構成員どちらから見ても家の制度は意味のない制度で、すべての分野で家の制度は、実効性のない観念だけだったことになります。
今になると戦前の家の制度を過大に評価して如何にも悪い制度であったかのように思われていますが、実は思想的には親族・集落共同体崩壊の危機感に対する歯止め約としての観念的期待に過ぎず実体経済的裏付けがなかったことと、この次に書いて行く戸籍制度と整合させ維持するために自動的に構築しただけで、何らの実効性もない制度だったので、物の分かる人は家の制度に何の意味も見いだしていなかった筈です。
何かあっても親戚が面倒見てくれる訳ではないことが何十年も前から既に証明されているし、その結果親戚に相談しても解決してくれないので弁護士に相談来ているのですが、それでも親戚付き合いしておかないと何かの時に困ると言う潜在意識を吐露する人が多いものです。
これは古くは農業社会では核家族だけでは賄えない作業が多いことによる親族共同体での助け合いが必須だったことの遺伝子的記憶と明治民法制定直前頃に親族共同体崩壊が進んで行くことに対する保守層による危機感に応える意味で、観念だけでも家の制度を創設して保守反動層をなだめた思想教育の残滓に過ぎないでしょう。

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC