原発問題と統治行為理論(専門家の限界)2

モノゴトには、100%の安全などあり得ない・・各種公害や交通事故、新規医薬品や工作機械、ロボット・・物的製品に限らず経済政策や社会制度も大量のテストや治験を繰り返しても実際に使って、実施してみなければ分らないことを前提にしています。
金融も、従来この程度の与信基準で安全と思われていたのが相手の出方が変わってその基準では不正融資申請がすり抜けてしまうなどのことがしょっ中起こります。
このため医療事故その他がその当時の医療水準で行なわれた結果の事故か、当時の医療水準に達していなかった結果なのかが過失の判定基準になっています。
ガスボンベや髭剃り用のカミソリや玩具のような身近なものから始まって、化粧品、医薬品や新たな手術方法、車や電車、飛行機、大規模工場設備まで、100%安全な製品などありません・・実際利用した結果副作用が分るなど一定の事故がいつも起きています。
労働環境も同じです。
高名な科学者が、モノゴトは何も分っていないと言ったとか養老孟司だったか?書いているのを読んだ記憶があります。
もしもどんな簡単なことでも「100%安全」と言う科学者がいたら、本物の科学者とは言えないでしょう。
これらを製造物責任制度、医薬品被害や事故等が起きると労災事故、医療事故・交通事故・・自動車のリコール制度等として救済しながら製品事故や損害を少なくして行くのが世の中です。
マイナンバー法に始まる各種技術ソフト・医療手技(各種移植)手術・新技術も全て100%の安全など前もって分りません。
戦闘機などの事故が時々あってもそれは普通のことと思われていますが、オスプレイ配備になると危険だ危険だと反対していますが不思議な現象です。
ある程度リスク率が高くとも、新たな技術を導入して実際にやって行く中で徐々にリスク率を減らして行った方が良いことはいくらでもあります。
子供が学校へ行く途中交通事故に遭わないとは誰も言えないように、100%で安全でない限り反対と言うばかりでは、何も出来ない・・社会の進歩反対と同義になってしまいます。
何か新たなソフトや技術を開発すると「絶対危険性がないと言えるのか」と言う反対論をしたがる左翼系文化人やマスコミは敵国の回し者かと疑いをかけられる根拠です。
絶対危険性がないと言うモノゴトはあり得ないのですから、新規技術発展になんでも反対すると言う主張を「安全とか平和」と言う言葉に言い換えているに過ぎません。
心臓移植治療や何万回治験しても100%安全とは言えない・・「ある程度」安全性が確認出来れば、その後は利用しながら副作用その他改善して行く・・漸進的進歩に期待するしかないのが、医薬品や医療技術に限らず全ての新規科学技術共通の問題です。
自転車だって絶対転ばないかと言われれば100%安全と言い切れる業者はいないでしょう。
ただ原発被害は髭剃りで頬をけがしたり、化粧品で頬がかぶれる程度とは違い、一旦被害が起きると結果が大き過ぎるので、被害が出てから工夫して行く従来方式に馴染み難い点が大きな違いです。
とは言え、100%安全など、この世の中にあり得ないのですから、結局は何%程度安全なら稼働を認めるかの基準にかかって来ることが明らかです。
100%安全でない限り稼働を認めないと言う基準が仮に決まっているとしたら、結果的に稼働禁止法が出来たのと同じです。
元々世の中に100%安全な製品やソフト(ハッカーから守れる情報)などあり得ないのが前提ですから、どの程度のリスクを許容するかは、国民判断によるしかありません。
100%安全かどうかの理論・・事実認定の分野であれば司法権の分野ですが、1万回に1回の確率、10万回に1回の確率、20万回に1回の確率・・各製品やその技術の有用性とリスクの大きさを総合してどの程度なら許容すべきかは、国民総意で決めるべきことで、司法が上から目線で決めるべきことではありません。
医薬品で言えば何回治験を繰り返せば許容範囲と認めるか・・車の走行試験のあり方など全てそう言う理解で良いのではないでしょうか?

原発問題と統治行為理論(専門家の限界)1

話が変わりますが、全体の利益を考える必要がないかのような一方的主張を繰り返している印象(しか知りません)の農協系主張は、左翼系主張方式に親和性がありますから、政権党向きではありません。
将来的には自民党から離れて行くべき・・逆に責任政党を目指すならば、自民党が離れて行くべきではないでしょうか?
韓国や中国が、兎も角無茶苦茶要求して来るのと似たやり方・相手が引くまで言うだけ言えばよい・・思考方式に左翼系が染まっているようです。
日本人のやり方は何事も相手の立場を慮って言い過ぎない前提ですから、こちらが引いていれば相手が遠慮すると思っていると「こちらが引けば中韓はいくらでも圧して来る」ので、慰安婦問題のように大変なことに発展してしまいます。
相手(国民全般)にそこまで(正しいかどうかは別として相手がのめば良いと言うスタンスで一方的な主張ばかりだと)思われたら(ヤクザとは二度と付き合いたくないように)後がありません。
旧社会党は「無茶苦茶言っているだけではないか」と言う国民評価が定着して事実上壊滅的状態になりましたし、今や日本人の嫌韓感情は後戻り出来ないほどになっています。
弁護士会の各種委員会の行動様式は、行け行けドンドンの一方的なやり方ですから、その委員会に出掛けて行ってたった一人で敢えて「企業にも言い分がある・消費者をそこまで守る必要がない」「犯罪被害者にそこまで権利を認めるのは反対」「少年にそこまで権利を認めるのは反対」と反対論をぶつために消費者委員会や少年委員会や男女共同参画委員会などに参加する人は(お前は人権意識が低い・・と吊るし上げられるだけですから・・)皆無と言っていいでしょう。
◯◯の人権と言うテーマも一杯ありますが、理想的には、完全な主張をすれば良いのかも知れませんが、実現性がない・・社会が容認出来ないことまで、オタク化・純粋化した委員会では反対論がなく通ってしまう傾向・・主張するだけしてその半分でも通ればいいのだと言う気持ちがあるように思います。
消費者系は頑張っている面が多くありますが、企業側の立場を認めない・・消費者視点で突っ張って行けば、企業利益は別の団体が主張するから弁護士は気にする必要がないと言うスタンス・・要求をどこまで勝ち取るかの視点で頑張っているように見えます。
刑事手続での各種専門委員会の要求もほぼ同様です。
こう言う委員会に入って「そんな無茶言っても通る分けないよ!」反対意見を主張するのは無理があるので、「行き過ぎじゃないの!」と思っている弁護士は殆ど委員会に入らないと思われます。
この結果、弁護士会の公式意見は、外見上反企業的、反進歩的・・新しい技術や製品が出るたびに「危険だ」と言う反対意見一色になっている印象です。
ただし、建築や医事紛争の委員会は、医療側と患者側の双方の弁護士で構成しているので、比較的抑制的な委員会になっていますし、こう言う委員会もいくつもあります。
(私の属している委員会はこう言う種類ばかりです)
政治要求的色彩の強い委員会・・対外運動系では一方的に反対運動したり、権利要求したりする傾向が多い・・元々対外宣伝したいのですから、これが対外的に目立つのは当然です・・知らない人は弁護士はみんな政治運動ばかりしているのかと誤解しそうです。
以上は私の個人的印象・偏見?ですので、具体的根拠はありません・・念のため・・。
たまたま、4月15日の日経新聞朝刊では、福井地裁で高浜原発再稼働執行停止の仮処分決定が出たと報道されていました。
裁判所は弁護士会の委員会のように特定立場の集まり・構成ではなく、双方の意見を聞くべき組織・・中立機関です。
事件詳細を知りませんので具体的意見は書けませんがので抽象的感想に留まりますが、高度な政治判断を含む紛争の場合、司法がどこまで踏み込めるか、抑制的判断するべきかと言う哲学的な論争が必要な印象を受けました。
重大な国家利益判断の妥当性に付いては、そのときの政治(国民総意)に委ねてその正邪は後世の歴史が決めて行くべき事柄です。
政治判断の訓練を受けていない法律家・・事実認定の専門家でしかない司法機関が国家の命運を決めるような重要政治決断の是非を判定する権利・能力がない・・最終決定権を行使するのは、司法権の濫用になります。
岸政権が改訂した安保条約に関しては、最高裁判所が統治行為理論で判断を回避したのですが、その後の歴史を見ると、明らかに賢明な判断だったと思われます。
統治行為理論に付いては、最近では、「解釈改憲3(憲法秩序の事実上改変)」October 8, 2014で書きました。

中韓両国の統治能力欠如と反日教育1

敗戦後の朝鮮半島では、占領軍政が布かれた後に李承晩政権に移行するのですが、アメリカの理解していたとおり朝鮮人には内政・統治能力がなかったので、アメリカ軍政が終わると李承晩政権に対する不満が溜まる一方でしたから、暴動を防ぐために日本批判・敵視政策が採用されるようになってしまいました。
占領直後の短期間に日本における天皇の役割を理解した占領軍に比べれば、長い付き合いのある朝鮮民族が未だに天皇と国民の関係を理解出来ずに未だに天皇を侮辱する愚を冒しているのは、自分たちが専制君主や強者に盲目的に従う弱い民族だからでしょうか?
このように韓国人の低レベルさを嘲っていれば、済むことでしょうか?
11月11日に少し書きましたが、実際には彼ら日本統治時代を知っている人たちは政府の虚偽プロパガンダに対して内心承服していませんでしたが、口に出すと吊るし上げを食うので、沈黙したまま世代交代を重ねて来たのが真相のようです。
最近95歳の老人が日本時代の方が良かったといって、息子に殴り殺された事件が韓国で起きていますが、これが韓国の約70年に及ぶ恐怖政治・教育の実態です。
数十年前までは公式会議が終わった後で打ち解けた会合に移ると日本時代の方が良かったなあ・・今は大変だよ!としみじみ述懐する韓国政府要人が多かったということですが、今はそう言う人も高齢化して戦前の日本統治時代を知る人が少なくなりました。
表向き居丈高に主張はするものの、実は自分たちも困っているという述懐にほだされてこれまでの日本側はその都度可哀想だと思って譲って来た歴史でした。
今の韓国人の反日精神は、政府に強制されて仕方なしに主張しているのではなく子供のころから反日教育に染められて育った世代ですから大変です。
これでは日本側も譲りようがないので、いよいよこじれる関係になって行くしかありません。
彼らの反日は、ご都合主義的功利的な付け焼き刃によるものではなく、生まれつきの反日教育による信念になっているのですから、これを簡単に事大主義の現れとバカにしていると見誤ります。
この辺は中国の反日教育の歴史がまだ浅いことから、国民の多くは政府の宣伝だと冷めた目で見ている階層が多いので少しは冷静であることとの違いです。
中国の場合は政府の宣伝によるデモに過ぎないからとバカにしていると数十年後には韓国同様に大変な国民に変身している可能性があります。
李承晩以来、数世代にわたって反日・虚偽教育されて来た国民教育の恐ろしさには気を付ける必要があります。
韓国や中国が都合が悪くなって日本に近づいて来さえすれば,その都度仲直りしても、反日教育制度がそのままですと、国民は本気で日本に対する復讐心一杯ですから、ちょっとでも日本に対抗出来そうな自信がつくと、また強烈な反日運動が芽を出すに決まっています。
積極的な反日教育をやめさせない限り、表面上だけ謝って来ても国交を断絶しておくくらいのケジメが必要です。
彼らは占領軍が初期に流布した「悪いのは軍国主義者や天皇制であって日本人民は朝鮮人同様に虐げられた被害者」という(終戦前に用意して来たアメリカの宣伝政策)分離思想で戦後長い間攻勢をかけていました。
日本人の心を直ぐに理解してとっくにアメリカが棄ててしまった支配者と非支配民族を分離する宣伝政策に中韓両政府が洗脳されっぱなしになっている・・あるいは未だに利用価値があると思い込んでいるのは、自分たちがまだそう言う世界に生きているからでもあるでしょう。
ただ、彼らも最近では日本民族は一体だと分ったらしく、最近ではあまり分離攻勢をかけずに、日本民族全体を貶める宣伝活動に必死になって来た感じです。
アメリカ政府は占領と同時に神社の弱小化に精出していましたが、神社のトップに位置する伊勢神宮という器をいくら弱小化しても、そんな問題ではなく国民の意思の象徴ですから国民意思・・高潔な精神は変わりません。
遷宮の報道でも明らかなように本体は質素そのものですから、いくら経済的に締め上げても各地の神社はびくともしませんでした。
雌伏何十年・・2011年3月11日の大震災を経て今回の遷宮の大盛行こそが、見事に日本の神社・日本の心が復活を果たした象徴です。
失政続きの韓国や中国では民心のはけ口を求めて、成功している日本の悪宣伝を拡大するしかない状況に追いつめられているのでしょう。
放っておけば収まるのではなく、この種の行為は次第に刺激を求めて過激になるのが普通です。

同胞意識5と統治対象2

中国では政府に反対する者は皆殺しにしても、あるいは非合法に収容しては臓器摘出してこれを売却商品にするなど何でもする政府ですが、ここまでやると怖くて抵抗出来ないし、政権に抵抗するのは命がけ・・反政府運動に参加する以上は先鋭化して行くのが普通です。
2013-1-27「 暴動と政権維持1(同胞意識2)」以下で書いたように、近代国家では政府軍の軍備は、寄せ集めの武器に頼る反政府軍や素手の暴動群衆に対して圧倒的に強大ですから、外国の介入がない限り、反政府運動はまともに戦ったのでは勝ち抜く見込みがありません。
中国のような大国では外国軍の介入が殆ど期待出来ないので、どんな圧政・臓器摘出されても国民は従うしかありません。
中国では古代から「苛政はトラよりも猛し」と言われて来た所以です。

「孔子過泰山側。有婦人哭於墓者而哀。夫子式而聽之、使子路問之曰、子之哭也、壹似重有憂者。」
「而曰、然。昔者吾舅死於虎、吾夫又死焉、今吾子又死焉。夫子曰、何爲不去也。曰、無苛政。夫子曰、小子識之、苛政猛於虎也。」

苛政とは重税を意味したものと学校で習った記憶ですが、今様に言えば不公正、不合理な制度や非民主的過酷な弾圧などが苛政にあたるでしょう。
圧政・・すなわち正義に反する政治の強制が許される政治体制・・装備の優勢と国民に対する呵責ない弾圧を躊躇しないで実行出来る国では、政権が倒れない代わりに個々人の道徳観が蝕まれますので、犯罪多発・道徳の頽廃した社会が継続する原因になります。
特権層が日本のお金持ちの10〜100倍の収入があって厳重な警備で生活したり家族を海外に逃がしたりするのと、日本のように使用人ゼロでも気楽に自宅近くを散歩出来るのとどちらが良いかの問題です。
政府が政権維持のためには道徳も何も要らないと言う姿勢ですと、国民も毒になる物をミルクや食品等に混ぜるなど、金儲けのためなら食品産業に限らず何でもやるという姿勢が顕著になります。
日本では野球でも何でも有名人が行儀悪いと青少年に与える影響が大きいからという理由での締め付けが厳しいですが、(ジヤィアンツの王選手が試合中にしきりにつばを吐くシーン映像が行儀悪い・・少年に悪影響だ嫌われていたことを想起して下さい)政府自身が政権維持のために人倫の道に反していろんなことをすれば、国民に与える道徳的影響は半端ではありません。
ところで、中国や韓国国民が非道得的行動原理になる理由については、政府の国民に対する政権維持のためにする呵責ない圧政の外に、「貧すれば貪する」と言う原理も加えて作用しているでしょう。
中国や韓国と我が国の本質的民度差は、中国や朝鮮では民衆の極端な貧しさ・・庶民層ではちょっとした凶作等があればたちまち餓死に直結するような極貧状態が古代から続いている・・庶民がマトモな蓄積を出来ない状態で何千年も来たことも関係あるのかも知れません。
中間層と言うと世上ホワイトカラーの出現・・高度成長期以降のことを想定している人が多いと思いますが、我が国では実は古代から中間層が存在していたことを軽視してはなりません。
我が国では、平安の昔から、武士層という中間層と安定した自営農民中心社会だったのに対し、古代から中間層が育ったことのない中韓社会との違いです。
安定した中間層の存在が早くから庶民文化・BC級グルメの発達した基盤でもありますし、日本と中韓の違いだけはなく世界中の諸外国との大きな違いになっています。
何でも西洋にあるものに日本をあわせようとする(日本の実態を知らないまま)学者が多いので、(士農工商と階級社会関係の違いについては「最先端社会に生きる3」January 14, 2013で書いたばかりです)我が国では昔から地主小作関係や農奴的身分があったかのような書き方で教育されて来ました。
いろんな歴史漫画でも長者ドンの息子と結婚出来て目出たし目でたし・・あるいはとんちの利く小僧が長者ドンをへこますような筋書きが多く見られます。
しかし、地主小作関係が発達したのは明治の地租改正・金納制による自営農民の没落によるものであったことを、04/10/04「イギリスの囲い込みと我が国の自作農崩壊との違・・・農村の窮乏化政策」04/09/04「地租改正と農地売買の自由化3(大地主の誕生と小作農の出現=窮乏化)」その他で連載しています。

 同胞意識4と統治対象1

マスメデイアだけではなくネット通信の発達によって、さすがの中国も言論弾圧が出来なくなるだろうという報道が5〜10年前から普通でした。
しかし、中国では膨大な人口と膨大な失業者・アリ族の存在を逆利用して彼らを低廉な(5毛?)報酬での検閲要員に取り込んで、徹底した人海戦術でこれをチェックして即時抹消して押さえ込み、他方で積極的に政府に都合の良い政策方向の宣伝や反日ブログ等の書き込みなどをさせて世論誘導にあらかた成功しています。
ネットの発達が言論の自由拡大に中国ではあまり効果がなく、逆にネットの発達が英米支配の先進国(特に日本では)のまやかしの言論の自由が告発される時代になって来ていることを、2012年12月20日「米英系マスコミ支配2とマスコミの限界」あたりから正月のコラムまで書きました。
日本の感覚ですと「政府がそこまでやらなければ政権維持出来ないならばもう終わりだ」と思うのが普通ですが、「そこまでやるか!」と言う野蛮なことを臆面もなくやり続けて来たのが古代から今に続く中国政府です。
王朝は毎回倒れているし、共産党政権と清朝には政権としても民族(満州族と漢民族)としても連続性がないのですが、目的達成のためには手段を選ばない点では、そこに住んでいる人・政府構成員のDNAが大きな意味を持っています。
歴代政権が政権維持のためには手段を選ばない価値観で来たので、上が上なら下も下ということで、そこにいる住民自身も金儲けその多目的達成のためには手段を選ばない価値観になるのは当然です。
人体に毒であることが分っていてもミルクに毒物を混ぜて安く仕上げようとするような事件が続出していますが、そこには商道徳などかけらもありません。
上から下まで目的(政権維持・金儲け)達成のためには手段を選ばない価値観で何千年も来たからです。
中国や韓国では、政府(これを構成する官僚や軍・国民を含めて)にとってわが国で言うところの「国民(同胞)」という意識がないのではないか?と言う意見をこの後で書いて行きます。
異民族支配が多かった中国地域の道徳観では、共同体・同胞としての国民一般という概念がなく、利益を守るべき共同体は飽くまで一族意識の範囲内だけです。
韓国や朝鮮でも古代から異民族の入れ替わりが続いたことから、一族・本貫重視である点は同じです。
今の中国では共青団出身とか太子党などと日本のマスコミが如何にも利害対立集団の如く囃立てていますが、共産党大幹部の家柄・太子党一族か、共産党組織の中堅下部組織からから這い上がって来たかの違いだけで、共産党内部の覇権争いに過ぎず、その他一般は統治の対象でしかありません。
王朝時代の王族と高級官僚(宦官)による争いの蒸し返しに過ぎないと言えるでしょう。
中国でのジニ係数が破滅的数字に達しているとタマに報道されていますが、この係数自体まるで当てなりません。
もともと中国の統計数字がいい加減であるだけではなく、天文学的蓄財をしている共産党幹部や政府高官の収入は表向き小さく、中国の巨額収入層は賄賂等不正蓄財によるものですから、統計に出る筈がありません。
これらを統計に含めないでも相対的貧困層の比率が危機的状態とすれば、実態はもっと深刻・大変な事態です。
統計数字だけでも政権維持出来なくなる程の格差であるという論評が一般的ですが、欧米や日本んマスコミの期待にかかわらず中国が天文学的格差下で政権維持出来ているのは、徹底的強圧政治が可能・・躊躇しないことによります。
チベット僧の焼身自殺などがいくらあっても、中国政府にとって諸外国からの批判(外国介入の一種です)さえなければ、「そんなことくらいしか抵抗出来ないの?」と却って安心材料になるくらいでしょう。
尖閣諸島問題で中国の侵略が始まった場合、これに抗議して日本国内でいくら焼身自殺が相次いでも中国は、日本軍が抵抗出来ないからそんなことしているのだと安心するだけです。
中国政府にとって、国民が焼身自殺しても騒乱を起こしても同胞としての痛みを感じるのでなく騒乱軍に政府軍が負けるか否か・・政権維持出来るか否かだけが基準になっていると考えられます。
モンゴル軍が中央アジアを次々と侵略をしているときに、被征服民の何十人〜何百人が絶望して自殺しても侵略軍は何にも感じない・・無駄な抵抗にすらならなかった筈と言えば分りよいでしょう。
中国政府にとっては国民はそのような対象でしょう。
商人も製品によって顧客が毒物で死亡したり病気になっても、一族でない限り痛みを感じるのではなく商売を続けられるかどうかだけ(取り締まりだけ)が基準になります。
日本の場合でも、何か重大自体があれば結果として政権維持・顧客維持に関係しますから結果だけ見れば似たようなものですが、先ず同胞として痛みの共有から入って行く点が大きな違いです。

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC