民意3(脱原発論と即時廃止論とは大違い)

政党の掲げる政策は「間接的に民意を反映しているべきもの」とみれば、原発即時停止論を支持する民意を知るには原発即時停止論を掲げる政党とその当選者数・比率が重要です。
民主党でさえ30年台の原発ゼロ政策が公約でしたし、民主党から出た希望の党の公約は30年「台」を縮めた「30年」までに廃止の公約でしたから、即時停止論ではありません。
即時停止(に近い)主張を掲げる政党は共産党や社民党、立憲民主でしょうか?
これも近いというだけで与党にある心配がないから(鳩山氏の少なくとも県外へ同様に)無責任な主張をしているだけで、政権をとったその日に全国原発の一斉廃炉作業に入れるなど考えてもいないでしょう。
物事には順序があり、激変緩和のために5〜10年かけて順次廃炉していくなどの順序なしに一斉廃炉になれば全国で膨大な関連企業の倒産失業(原子力関連学生の進路もなくなります)が起きます。
ところが、福井か大津地裁だったかの操業停止仮処分でわかるように裁判の場合、決定のあったその日から即時完全停止です。
企業側は、まだこの決定が取り消される可能性があるので大量解雇に踏み切りませんが、もしも国策で即日全国一斉となれば早くとも政権交代まで数年もあるとすればそんな危うい期待で人員を抱え切れません)全電力会社あるいは原発関連の重電各社とその納入部品各社は即刻企業対応・生産仕入れ廃止、整理解雇・生産設備廃棄に走るしかないので、国を挙げての大騒動になります。
千載一遇のチャンスとばかりに国を滅ぼすつもりならば別ですが、いくら現実無視の立憲でも共産党でもそのような主張をしているとは思えません。
新潟県知事選で「慎重派」が当選し(最近辞任)ましたが、恒久的廃炉ではなく「いちゃもんをつけて」同意しない・・地元見返りを求める沖縄同様条件闘争での慎重派です。
本気で数十年停止のままならば業界上げて撤退してしまうので地元産業/雇用がどうなるかの大問題に発展します・全面撤退しない程度の脅しに使う意味です。
沖縄の例で分かるように目先の駆け引きに使う小狡い対応が、長期的に地元の信用にどう響くか(こういう地域へは、他産業進出が減るでしょう)の高度な判断が利くか、利かないかは地元民度次第です。
4〜5日後に引用する記事によれば、今年1月現在で上記⒊党合計議席は衆議院議員465議席中68議席ですから、即時停止に「近い」主張政党の議席保有率は1割あまりしかありません。
海渡氏は最終章の「提言」において

「これまで裁判所は、・・・国策に追随する判断を重ねて来た。しかし・・「多くの国民の世論が脱原発を求めている今日」・・市民は勇気ある裁判官を必ず支えることを信頼して「良心を貫いてほしい」
「再稼働を認めなかったいくつかの判決・決定は・・司法の良識をしめした」・・この良識に続く、勇気ある裁判所が次々と現れることを心から期待する」

と言うのですが、海渡氏は「国策」を民意に反する何か邪悪なものという前提を置いているように思われます。
いつも書くことですが、特定思想集団は中国やソ連の恐怖政治を理想としているからでしょうか?政府というのは民衆の敵だという信念が固いようです。
ところが民主国家における「国策」とは長期的な議論を経た民意によって決まって行くものであり、議論を戦わせるまでは民主国家で必要ですが、長期的(しょっちゅう変わる交通法規や補助金等の決定と違い、国の基本方針は何年もの議論をおこなって民意の動向を見定めてから行うのが一般的です・実際原子力政策に関しても東北大震災後すでに何回も選挙をおこなっています)かつ公正な議論を競い何回もの選挙を経て民意の方向性が決まった結果の国策に議論に負けた方が、あくまで反対し妨害するのはルール違反です。
彼の言う「国策」に反する決断をするべき「裁判官の良心」と何を意味するのでしょうか?
「勇気」を強調していますが、文字通り民主国家の原理を踏みにじる蛮勇・・権限乱用の自己陶酔の期待でしょうか?
裁判官は「法と良心のみに従うべき」ですが、良心とは形式的な文言に明記していなくとも、偏った一派に肩入れするような権限乱用しない・合理的民意を知る方法のない古代は「神威」民主国家においては良心のありかは「民意がどこにあるかを見る」良心ではないでしょうか?
今の時代民意以外に置くべき良心の基準は考えにくいことです。
「裁判官の良心」についてApril 3, 2016「司法権の限界9(法と良心とは?1)で書いていますので、これはその再論です。
裁判官が個人信条に従って民意による国策に反する判決を書くのは権利の濫用ですが、その「勇気を出せ」というのでしょうか?
ところで「国策」といっても原子力政策でいえば、すでに紹介した通り平成11年大地震以降の基本政策検討期間ではすでに7年経過していますが、民主党政権の30年代までの廃止、希望の党の党30年までの廃止、自民党のさらなる長期政策、原発訴訟団の即時廃止主張まで時間軸で大きな隔たりがあり、これが争点になっているのですす。
この間多くの国政選挙〜都知事戦その他各地方選を経て民意の方向性が徐々に出始めています。
現時点で即時廃止に「近い」を主張する政党は冒頭に紹介した通り、わずかに10数%の支持・議席しか得ていません。
上記の即時廃止は政党のうち54名を占める立憲民主の創立者で党首枝野氏は、上記30年台での廃止目標の基本政策を決めた時・・責任政党の閣議決定には、30年台目標の長期ビジョンに賛成していたのに、下野すると即時廃止論という無責任?な主張に変わるのって政治家に対する信用がどうなるのという気がしませんか?
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2015/04/post-c030.html

2012年9月14日、野田政権の時代です。
野田政権は、14日のエネルギー・環境会議で、「革新的エネルギー・環境戦略」として、「2030年代に原発ゼロを可能とする」との目標を政府方針に初めて盛り込み、原発の新増設をしないことや、運転期間を40年とすることも明記しました。
そして同時期に行なわれていたIAEA年次総会で、山根外務副大臣が、新たな原発建設をゼロにし、2030年代にまですべての原発を廃止する方針を公表する手はずを整えていました。
これを私は興味津々で眺めていました。政府方針で国際公約とする以上、その実現性はきわめて高いし、もし自民党に戻ったとしても、国際公約の歯止めが効くからです。
そして当然のこととして、ここまで踏み切った以上、エネルギー専門家を交えた工程表もあるだろうし、諸外国、特に米国との根回しも完了していると思っていたからです。
ところが、この政府の決定は、わずか2日後の9月19日にひっくり返ってしまいます。
野田政権は、30年代原発ゼロを閣議決定から、「参考」にまで格下げして、「柔軟性をもって不断の検証と見直しを行なう」という意味不明の文言で、事実上破棄してしまったのです。
そして、「受け入れ地域住民との対話」を強調して、もうしばらく後には、野田首相自ら大飯の再稼働を認めます。

PC2・死刑廃止論と現場射殺横行

PC(政治的禁句)からパチンコ依存症に話題が飛びましたが、アメリカ庶民にとっては世界の指導者ぶって格好つけるのは疲れた・・自己レベルに応じて生きる方が気楽です。
肩肘の張る式典から家に帰って、くつろぎたくなるような気持ちも分ります。
普段着用のルールを作った方が庶民の身の丈にあっていて、みんな守り易くなるでしょう。
きれいごとに付き合い切れなくなった庶民の不満が、トランプ旋風の背景であり西欧の右翼台頭の原因だと言う意見もあります。
行き過ぎたPCに対する庶民のストレス発散をトランプ氏が権力を背景にやっているのが、大統領令濫発?の背景のように見えます。
アメリカの民度レベルにあったルールが仮りに50点前後とした場合、世界の指導者として振る舞うために80点の行儀作法で振る舞っていたとすれば、その間のギャップの大きさに庶民が疲れてしまいます。
アメリカの犯罪の多さは有名ですが、現場射殺も以下のとおりです。
日本では介護疲れや家庭内のもつれなども含めて、年間殺人事件は3〜400人ですが、アメリカでは警官に殺される人だけでhttp://blogos.com/article/183840記事の題名によると以下のとおり1000人(ただしデータ根拠不明)です。
2016年07月18日 11:21
「年間1000人が警官に殺される米国 「銃を持つ権利」と市民と警察の間の溝」
ところでアメリカの年間殺人事件数は何人でしょうか?
http://www.globalnote.jp/p-cotime/?dno=1200&c_code=840&post_no=1697.htmlによると以下のとおりです。
米国(United States) > 殺人発生率
単位 : 件/10万人 出典・参照:UNODC データ更新日:2016年8月3日
2013年 3、86
とあり、アメリカの人口はウイキペデイアによれば11年現在で約3億1千万ですから、3、86×3100=11966で年間約2万人殺されている計算です。
※日本の場合http://nenji-toukei.com/n/kiji/10042によると2012 (平24)383人です。
一人で銃乱射する人がいますので被害者の数より犯人の方が大幅に少ない筈ですが、検索に出ないので実数は不明ですが、アメリカの年間死刑執行数をウイキペデイアで見ると以下のとおりです。
「テキサス州では、全米のほかの州では死刑執行が減少傾向にあるため、2007年には全米で執行された42人のうち26人が同州であり全米の3分の2が執行されていた。」
全米で現場射殺が1000人で死刑執行が僅か42人と言うのですから、銃乱射事件など死刑になりそうな多くの事件は現場射殺で処理してしまう様子・・現場射殺の異常な数値に驚くべきです。
手厚い法的保護をいやがって?、実際には年間1000人も現場で射殺しているこの格差こそが実際の民度を表しています。
こう言う実態を前提にするとトランプ氏がフィリッピン大統領の射殺励行に賛意を示すのは国民意識・実態にあっています。
http://www.sankei.com/world/news/160803/wor1608030037-n1.html
就任から1カ月が過ぎたフィリピンのドゥテルテ大統領が、公約に掲げた「治安改善」をめぐり強権姿勢をあらわにしている。警察が400人を超える違法薬物の容疑者を現場で射殺。」
1ヶ月で400人ですから大変な数です・・1000人を越えたと言う報道を見た記憶です。
http://www.cnn.co.jp/world/35093161.html
(CNN) フィリピンのドゥテルテ大統領は3日、米国のドナルド・トランプ次期大統領がドゥテルテ氏が国内で進める強硬的な麻薬対策に触れ、正当な対応策として評価している考えを示したと述べた。」
※ただしトランプ側では公式にこの発言を記載していないそうです。
日本で死刑執行は年間10人前後しかなく、現場で警官が拳銃を発砲しただけで、大騒ぎですから、警察官に射殺される人は(浅間山荘事件などの特殊事件を除いて)40〜50年に一人もいないでしょう。
フィリッピンでもフランスでも現場でドシドシ射殺していれば死刑執行は少なくてすむ・・必要がないかも知れません。
事件ごとに、現場で射殺される映像などがニュースが流れますが、フランスその他先進国では年間現場射殺の統計を取っていないか、仮に内部でとっていても公表していないようですから実数は闇の中です。
統計さえ取らなければ、あるいは公表さえしなければゼロと言うインチキ?きれいごと社会のようです。
死刑廃止を宣言し現場射殺差を奨励しないまでも黙認していて、文化国家気取りでいる状態をフィリッピン大統領やトランプ氏が本音で公式に言い出した違いです。
ちなみにフィリッピンは死刑廃止国です。
http://www.bbc.com/japanese/36299631
「フィリピンの次期大統領に当選したロドリゴ・ドゥテルテ氏(71)は15日、市長を務めるダバオ市で記者会見し、死刑制度を復活させると公約した。さらに、治安維持部隊には逮捕に抵抗する容疑者などについて射殺目的の発砲を許可すると述べた。フィリピンは2006年に死刑を廃止している。」
文化人、日弁連はこの違いを無視して、死刑制度を維持している日本は遅れていると批判しています。
何回も書いて来ましたが、日本は欧米のような革命がなくとも古代から下々の気持を重視して来ましたので、革命がないから遅れているわけではないし、死刑廃止や選挙がいつ始まったかの形式で見ては間違います。
人権運動家の行動基準はPC(決まりきったきれいごと?)・・理念さえ唱えていれば良いとする・・実態無視の形式重視の基本体質が証明されています。
死刑廃止の論拠にえん罪のリスクがあると言いますが、以前書いたとおり(死刑事件の方が捜査も公判審理も慎重ですから懲役刑の方が逆に)懲役刑でもえん罪がありますし、罰金なら後で賠償されれば済みますが、懲役刑でも死刑相当事件の刑は超長期になるのが普通ですから、一生あるいは長期間入れられていると人生の取り返しがつかない点は死刑とほぼ同じです・・逆に死刑は滅多に執行されないのとちがって直ぐ執行される点の方が問題です。
全てミスのない制度はありませんが、仮に同じ人数が国家によって殺されるとした場合でも、現場で人種偏見等に基づいて殺されてしまうよりも、きちんと裁判した結果の方が、なんぼか公正でえん罪リスクが少ないでしょう。
現場射殺の場合仮に本当に有罪としても全部死刑になるような犯罪ではありません・・アメリカで騒動になる事件報道で分るように・・ちょっとした職務質問への対応が悪いと射殺されています・・射殺される事例を見ると射殺の基準が重大犯罪かどうかあるいは嫌疑充分かではなく、警察の正当防衛を基準にするために職務質問等に対する「対応の仕方」のようです。
まして日本では、再審申請中の場合死刑執行しないことに(法務省の運用)でなっている上に、請求棄却されても回数制限なく何回でも再請求出来る結果、死刑がイヤなら永久に引きのばせる仕組みで事実上死刑執行されない運用です。
(だから死刑囚は施行されないまま高齢化していて、獄中死が多くなっていきます)
えん罪リスクを言うならば、全面廃止しなくとも現場で逮捕されるなど実行者性が明らかである場合など優先的執行するような運用で済むことですし、執行されるのは殆ど本人が反省して死刑已むなし(早く死刑執行してくれと言う人?)と自ら思っている人中心となります。
下記の通り再審請求中だけはなく共犯者の公判中も死刑執行しないことになっているので、1昨年頃にオーム真理教事件で逃亡中の犯人が自首して来たのは、仲間の死刑執行を引き延ばす目的だったと噂されていました。
(自分は出頭しても末端役でたいした刑でないときに主犯の死刑執行を先送りするために順番に出て来る戦術も有効です)
刑事訴訟法
第四百七十五条  死刑の執行は、法務大臣の命令による。
○2  前項の命令は、判決確定の日から六箇月以内にこれをしなければならない。
但し、上訴権回復若しくは再審の請求、非常上告又は恩赦の出願若しくは申出がされその手続が終了するまでの期間及び共同被告人であつた者に対する判決が確定するまでの期間は、これをその期間に算入しない。

相続制度改正3(遺留分廃止)

家督相続人・法定相続人である限り廃除されなければ相続出来る・・戦後民法改正(現行法)では、従来の家の制度がなくなったとはいえ、身分・血縁関係で相続分が自動的に決まる点は同じで家督相続から均分相続に変った(廃除制度も旧規定と全く同じ)ことくらいです。
戦後家の制度が廃止されたと大きく宣伝されているものの、実際には先祖伝来の家産・・戸主ないし現在の所有者は半永久的な時間が経過・通過して行く一時点での預かり主に過ぎず、次世代に引き継いで行くべき・・管理者的意識を前提にしたものでした。
自然保護・環境問題には、子々孫々にまで受け継いで行く意識は重要ですが、ここでは相続・戸籍制度維持の必要性の観点から書いています。
現在でも生活に困っていない限り、相続して自分で耕さない遠い故郷の農地でも、あるいは無人になってしまった親の住んでいた家でも無駄だから直ぐに売ってしまおうとしない・・抵抗があるのは、先祖から受け継ぎ子孫に繋いで行く意識があるからです。
戦後民法でも遺言(特段の意思表示)がない限り法定相続どおりになってしまうことと、本来遺言で自由に処分出来るべきところ、家の制度・・先祖伝来の世襲財産価値を重く見る立場から、遺留分制度を設けることによって結果的に遺言の自由は原則として半分しかないことは戦前の民法と全く同じ規定です。
ただし、原則と例外の関係に関する規定の仕方から、先ずは遺言があればその通りに100%効力が生じるようにして、一定期間内に遺留分権利者が遺留分権を行使しない限り、遺言で決めた効力のままになってしまうとする規定の仕方によって遺言の効力が守られやすくなっていますので少し(結果は半分になるのですが)自由処分権に比重が置かれていたことになります。
この規定の仕方は、戦前の民法でも同じでした。
(原文の写真については法令全書で見られますので気になる方はご自分でご覧下さい)
いろんな制度があっても積極的に動いた人だけが実現出来るとすると実際に動く人は少ない・・裁判までしようとするとかなりのエネルギーが必要なことから、その権利・受益実現は限定されます。
次男らは全部遺言で貰った兄弟相手に裁判までしにくいので、遺言がそのまま100%効力を維持出来ることが多くなっていました。
争いが起きるのは、主に腹違いの兄弟がいる場合でした。
このように一定の権利が認められても、その実効性は法の規定の仕方によるところが大きいのです。
April 8, 2011「失踪宣告4」までのコラムで失踪宣告の申し立てまでする人は少ないと書いたのと同じことで、何を有効性の原則にするかで法の実際的効果はまるで違ってきます。
この後に書いて行く遺言の有効性に関しても、現行法のように原則的に全部有効としておくのか、一定の場合・・一定年齢以降や施設入居後は一律に無効としておくのかによって、実際上の効果がまるで違ってきます。
ですから、親族相続に関する戦後の大改正と言っても、観念だけで元々何の効果も持っていなかった家の制度をなくしたくらいで、経済的社会的変化を反映させると言う視点での変化は微温的だったことになります。
敗戦当時はまだ個人の能力次第の社会に殆ど変化してなくて、静的な世襲財産の価値・比重が大きい社会であったからでしょうか。
あるいはアメリカの外圧による仕方なしの改革であって、(何とか旧習を温存しようとする勢力の方が強く)明治維新のときのようにこれからの日本社会を積極的に合理化・変えて行こうとする意気込みが全くなかったからかもしれません。
この点では明治31年の民法は当時の社会実態よりはかなり進んでいたことが分ります。
民法典論争時の誰かの意見を読んだ記憶では、「今は進んでいるように見えても今後10年もすれば時代遅れになるのだから・・」と言う意見を読んだことがあります。
現状よりも大分進んだ法律であった分だけ相続意識の実態(子々孫々に承継して行く中継ぎ意識))に合わなかったので、前向き・自由処分の方法としての利用は少なく、(戦後になってもまだ)逆に戦後は世襲制維持のため・・・均分相続制に対する抵抗として長男に全部相続させる方向へ利用されていた程度だったのです。
意識が遅れていたからと言うよりは、その後の経済発展にも拘らず、なお社会全体に占める世襲財産の価値比重が大きかったことによります。
明治創業の世に知られる一代の成功者(財界に限らず政界でも同様でした)は今同様に能力だけで駆け上がった人が多かったので、直ぐに能力社会になると思っていた人が多かった・・これが明治民法の革新的制度の創設理由であった筈です。
ところが皮肉なもので、明治の大成功者自身が「児孫に美田を残さず」と伝えられる西郷隆盛を例外としてほとんどが成功すると自分の子孫に(財閥を筆頭に大中小の成功者・軍人官僚その他みんな親の築いた地位を残して行く方向へ進みました。
今でもそうですが自分の築いた(大小を問わず)資産や地位を出来るだけ自分の子供に残したい本能があるのは否定出来ないでしょう。
残すほどの資産がない人は、進学競争に明け暮れているのも、その本質は同じです。
明治中期以降社会秩序が固定すると世襲制が却って強化されて行ったので明治末頃から、人材の行き詰まりが出て来て第二次世界大戦へ突入すべく、我が国は窮屈な社会になって行った経過を以前書いたことがあります。
西郷隆盛は、西南の役で途中死亡したから「美田を残さず」の伝説が残っているのですが、彼が最後まで中央でいた場合どうなっていたかは分りません。
明治村にある西郷従道邸を見れば、西郷一族自身世襲の恩恵を受けていたことは明らかです。
明治後期以降は明治初めに創業し大成功した人達が財閥化し、その子孫が世襲の地位財産で良い思いをする時代に入って行ったので、遺言の自由化が進まなかったのは当然です。
米軍の空襲によって壊滅的被害を受けた戦後でも、元々の一文無しが創業出来るものではないので、親世代からの世襲の地位財産(仮に100分のⅠに減っていても資本と言えるもの)を利用して飛躍した人が多かったのです。
戦前の財閥企業がそのまま今でも大きな存在であることを見れば分りますが、財閥に限らず大中小の資本を持っていた人が戦後元の事業を再興拡大して行った点は同じです。
ただ、戦後は明治維新当時同様に旧秩序が解体されたので自由競争がし易くなり業者間の競争淘汰が進んだ点が明治末〜昭和前期までとは違って自由闊達な感じになりました。
更に戦後の大きな変革は、ホワイトカラー層の拡大充実があって、中間層の大量出現を見たことです。
中間層とは、能力だけが自分の主たる主たる資産で(だから進学熱が上がるのですが、これも形を変えた世襲化の思想です)世襲出来るほどの資産や地位を持たないけれどもある程度遺産があると言う意味ですから、これらの階層の相続が始まった昭和末頃からは世襲財産から解放されて個人財産化して来たのです。
ここにおいて初めて、遺言制度の改正が必要な時期になった・・制限的制度から積極的に利用し易い制度への変化が求められているようになったと私は考えています。
遺留分に関しては、07/18/03「遺留分13(民法75)(減殺請求権1)」前後のコラムで紹介していますが、もう一度条文だけ紹介しておきましょう。

第八章 遺留分
(遺留分の帰属及びその割合)
第千二十八条  兄弟姉妹以外の相続人は、遺留分として、次の各号に掲げる区分に応じてそれぞれ当該各号に定める割合に相当する額を受ける。
一  直系尊属のみが相続人である場合 被相続人の財産の三分の一
二  前号に掲げる場合以外の場合 被相続人の財産の二分の一
(遺留分の算定)
第千二十九条  遺留分は、被相続人が相続開始の時において有した財産の価額にその贈与した財産の価額を加えた額から債務の全額を控除して、これを算定する。
第千四十二条  減殺の請求権は、遺留分権利者が、相続の開始及び減殺すべき贈与又は遺贈があったことを知った時から一年間行使しないときは、時効によって消滅する。
相続開始の時から十年を経過したときも、同様とする。

上記の通り明治以降現行法まで法定相続を原則にしていて遺言があった時だけ法定相続を修正出来る仕組みですが、世襲制に親和性の高い農業や家業の比重が下がってきた昭和の終わり頃から中間層の相続が始まると相続した人も気楽に遺産を売却して換金化したいと思う人が増えますし、被相続人も自分で稼いで貯めたお金だから、好きな人にやりたいと思う人が増えてきます。
今では数百年前から受け継いで来た資産に頼って生活している人の比重が激減しています。
今の都会人の9割以上の人にとっては、自分の稼いだ分が自己の資産・あるいは自分の築いた能力が生活手段のほとんどを占めている筈です。
こういう時代になれば、自分で築いた地位や資産はその人が自由に処分するのを原則にする・・先祖から引き継いだ資産ではないので、子孫に残して行く義務もない・・遺言で決めて行くのを原則にし、(勿論子供に残したければ遺言で書けば良いのです)遺留分など認めず遺言しない人は遺産の受け手を決める権利を放棄した・・棄権したものとして国庫帰属にして行く方が合理的です。
遺言ですべて決めて行き法定相続人を認めない時代が来れば、血縁関係調査のための記録整備・戸籍簿は不要となります。
その代わり、遺言に関する規制も従来とは違った規制が必要になりますので、これを次回以降に書いて行きます。

相続制度改正2(法定相続制の廃止)

世襲を基本とする経済社会状況下で成立した明治31年民法では戸主による家産の自由処分権が今よりも厳しく制限されていたかと思いたい・・・遺言制度がなかったかと思う人が多いでしょうが、意外に条文を見ると現行法とほぼ同内容の遺言方法と遺留分制度が記載順も同じで規定されています。
明治31年民法でも旧1060条以下で現行法とほぼ同内容の遺言制度が規定されていて、1130条以下には現行法同様の遺留分制度が規定されていました。
直系卑属の家督相続人の遺留分が2分のⅠ(現行の子供の遺留分と同じ)直系卑属以外の家督相続人が3分のⅠ(現行の直系尊属と同じ)で考え方は同じです。
遺留分減殺請求権も行使しない限り考慮されないし、行使出来る期間も現行法と同じです。
廃除(現行法も同じ)しない限り法定相続人を変更・資格喪失出来ない制度もそっくり同じです。
旧975条以下が廃除の規定で、これも現行法とほぼ同じ内容です。
次の旧976条では遺言で廃除を書いておけば遺言執行者が裁判所に廃除請求出来ることなっていて、この場合には法定の事由が不要・・遺言者の意思次第で効果が生じるかのような書き方ですが、これは裁判所への請求を遺言で表明しておけると言うだけで遺言執行者は裁判で前条の廃除事由を証明しないと効力が生じないことになっています。
私の事務所では廃除の遺言を作られていて、(例えば次男に全部やると書いた遺言のついでに長男その他の相続人を廃除すると書いてある遺言が増えてきました)廃除の効力を争ってことなきを得た事件を、ここ数年〜5年ほどの間に2件担当しました。
現行民法を紹介しておきましょう。
内容及び条文の記載の順序も明治31年公布の旧規定とほとんど同じです。
法令全書で旧条文の写真が見られるのですが、コピーペースト出来ないのでそのまま掲載出来ませんが、(推定家督相続人が推定相続人に代わっている程度の文字の変更が中心ですので、遺言・遺留分制度は次のコラムで再紹介します)今回は廃除に関する現行法の条文を紹介しておきましょう。
(旧規定の原文をご覧になりたい方は法令全書をサーチしてみて下さい)

民法(現行)
第八百九十条  被相続人の配偶者は、常に相続人となる。この場合において、第八百八十七条又は前条の規定により相続人となるべき者があるときは、その者と同順位とする。
(相続人の欠格事由)
第八百九十一条  次に掲げる者は、相続人となることができない。
一  故意に被相続人又は相続について先順位若しくは同順位にある者を死亡するに至らせ、又は至らせようとしたために、刑に処せられた者
二  被相続人の殺害されたことを知って、これを告発せず、又は告訴しなかった者。ただし、その者に是非の弁別がないとき、又は殺害者が自己の配偶者若しくは直系血族であったときは、この限りでない。
三  詐欺又は強迫によって、被相続人が相続に関する遺言をし、撤回し、取り消し、又は変更することを妨げた者
四  詐欺又は強迫によって、被相続人に相続に関する遺言をさせ、撤回させ、取り消させ、又は変更させた者
五  相続に関する被相続人の遺言書を偽造し、変造し、破棄し、又は隠匿した者
(推定相続人の廃除)
第八百九十二条  遺留分を有する推定相続人(相続が開始した場合に相続人となるべき者をいう。以下同じ。)が、被相続人に対して虐待をし、若しくはこれに重大な侮辱を加えたとき、又は推定相続人にその他の著しい非行があったときは、被相続人は、その推定相続人の廃除を家庭裁判所に請求することができる。
(遺言による推定相続人の廃除)
第八百九十三条  被相続人が遺言で推定相続人を廃除する意思を表示したときは、遺言執行者は、その遺言が効力を生じた後、遅滞なく、その推定相続人の廃除を家庭裁判所に請求しなければならない。この場合において、その推定相続人の廃除は、被相続人の死亡の時にさかのぼってその効力を生ずる。

戸籍制度整備3と連座制の廃止

 

親元から系統を辿って国民を把握して行く芋づる式方式は、February 16, 2011「戸籍制度整備2(芋づる式)」で書いたように早期に国民を把握するには適していましたが、実際に一緒に住んでいない人まで一つの戸籍に登録すること自体が観念的な取扱ですから、親元に記録する戸籍制度が出来たときから、観念的な家の制度に発展しやすい素地を持っていたことになります。
庚午戸籍あるいは壬申戸籍は、その前提として各戸の存在する場所での現状登録(戸籍作成時の居住地=本籍)を基本とし、そこから出て行って現に同居しなくなった元の未成熟の子(成人した人)までこれに併合して登録するようになったとしても、最初は直系血族だけだったので、今の核家族とほぼ同様で大したことがなかったと言えます。
しかし、この仕組みでは外に出た子の子(孫)まで登録して行き、その後、親(祖父母)が死亡して長男が次の戸主になっても、長男の甥姪(傍系)までその戸籍に記載されたままなってしまい、これを繰り返していくと一戸籍に傍系の傍系まで広がって膨大な数の人が登録されて行く事になります。
この結果転籍手続きが重たくなってしまい寄留簿の流用に繋がって行ったことを20日前後に書きました。
急激な社会変革・・維新進行による旧来の共同体意識解体に対する不満勢力・・醇風美俗を守れと言う反動思想を押さえ込むために、新たな家集団の編成を唱えれば便利だったことから、新戸籍制度による膨張体質が家の制度の説明に結びつき「家の制度」と言う大層な観念が生まれて来たように思われます。
明治政府は国を家に擬制した国「家」と表現し、ムラの内部の集落を字(あざ)と言って、あたかも人為的につくった行政組織である村を親に見立てて従来からあった集落をその子のようにしてしまい、(26日に少し書きましたが「字」の漢字の意味は家にいる子と言う意味ですが、これについては村と邑の違いを書く時に再論します)何もかも家の仕組みに擬制して行きます。
徴兵、徴税その他の目的で、国民に対する国家直接管理が進んで行った結果、郷里を出て行っても出身地の名簿(戸籍)から抹消できなくしたのが新たな戸籍制度ですが、その代わり刑事での連座制が廃止されました。
それまでは累が及ぶのを恐れて除籍していたのですから、除籍を禁止するには連座制を廃止するしかなかったでしょう。
忠臣蔵で仇討を決意した大石内蔵助が妻子に累が及ぶことを恐れて離縁状を書くシーンが有名ですが、明治の40年の刑法では個人責任主義に徹していて、家族の名簿に載っているだけで連座責任を負うことはなくなったのはこうした背景があります。
(たまたま、昨年12月14日赤穂浪士の討ち入りの日の午前に東京地裁の弁論があったので、その終了後に三宅坂の国立劇場に回って「仮名手本忠臣蔵」・・討ち入りを含む通し狂言(幸四郎と染五郎外一門出演)を見て来ましたが、この離縁のシーンはありませんでした・・元禄忠臣蔵で出てくる場面だったかな?)
ちなみに、私ごとですが最近結構な歳になって来たので、仕事ばかりではなく東京地裁の事件が午前中にある時には、直ぐに事務所に帰らずに弁論終了後(証人尋問ん問う長いときは別ですが・・・)に妻と日比谷の松本楼でゆっくり食事して、近くの日生劇場その他開演時間の合う劇場へ行って演劇等を楽しむことにしています。
話を連座制に戻しますと連座制の歴史が長かったので、今でも借金その他不祥事・刑事事件があると離婚した方が良いかの相談を受けることが結構あります。
(先に離婚届を出してしまってから相談に来る人もいます)
連帯保証さえしていなければ夫婦であることと夫の借金とは関係がないと説明するのですが、November 22, 2010「男の存在意義3」その他で「金の切れ目は縁の切れ目」のテーマで書いているように、妻の方はこの機会に離婚したい本音がある場合もあって実際は色々です。

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC