PC2・死刑廃止論と現場射殺横行

PC(政治的禁句)からパチンコ依存症に話題が飛びましたが、アメリカ庶民にとっては世界の指導者ぶって格好つけるのは疲れた・・自己レベルに応じて生きる方が気楽です。
肩肘の張る式典から家に帰って、くつろぎたくなるような気持ちも分ります。
普段着用のルールを作った方が庶民の身の丈にあっていて、みんな守り易くなるでしょう。
きれいごとに付き合い切れなくなった庶民の不満が、トランプ旋風の背景であり西欧の右翼台頭の原因だと言う意見もあります。
行き過ぎたPCに対する庶民のストレス発散をトランプ氏が権力を背景にやっているのが、大統領令濫発?の背景のように見えます。
アメリカの民度レベルにあったルールが仮りに50点前後とした場合、世界の指導者として振る舞うために80点の行儀作法で振る舞っていたとすれば、その間のギャップの大きさに庶民が疲れてしまいます。
アメリカの犯罪の多さは有名ですが、現場射殺も以下のとおりです。
日本では介護疲れや家庭内のもつれなども含めて、年間殺人事件は3〜400人ですが、アメリカでは警官に殺される人だけでhttp://blogos.com/article/183840記事の題名によると以下のとおり1000人(ただしデータ根拠不明)です。
2016年07月18日 11:21
「年間1000人が警官に殺される米国 「銃を持つ権利」と市民と警察の間の溝」
ところでアメリカの年間殺人事件数は何人でしょうか?
http://www.globalnote.jp/p-cotime/?dno=1200&c_code=840&post_no=1697.htmlによると以下のとおりです。
米国(United States) > 殺人発生率
単位 : 件/10万人 出典・参照:UNODC データ更新日:2016年8月3日
2013年 3、86
とあり、アメリカの人口はウイキペデイアによれば11年現在で約3億1千万ですから、3、86×3100=11966で年間約2万人殺されている計算です。
※日本の場合http://nenji-toukei.com/n/kiji/10042によると2012 (平24)383人です。
一人で銃乱射する人がいますので被害者の数より犯人の方が大幅に少ない筈ですが、検索に出ないので実数は不明ですが、アメリカの年間死刑執行数をウイキペデイアで見ると以下のとおりです。
「テキサス州では、全米のほかの州では死刑執行が減少傾向にあるため、2007年には全米で執行された42人のうち26人が同州であり全米の3分の2が執行されていた。」
全米で現場射殺が1000人で死刑執行が僅か42人と言うのですから、銃乱射事件など死刑になりそうな多くの事件は現場射殺で処理してしまう様子・・現場射殺の異常な数値に驚くべきです。
手厚い法的保護をいやがって?、実際には年間1000人も現場で射殺しているこの格差こそが実際の民度を表しています。
こう言う実態を前提にするとトランプ氏がフィリッピン大統領の射殺励行に賛意を示すのは国民意識・実態にあっています。
http://www.sankei.com/world/news/160803/wor1608030037-n1.html
就任から1カ月が過ぎたフィリピンのドゥテルテ大統領が、公約に掲げた「治安改善」をめぐり強権姿勢をあらわにしている。警察が400人を超える違法薬物の容疑者を現場で射殺。」
1ヶ月で400人ですから大変な数です・・1000人を越えたと言う報道を見た記憶です。
http://www.cnn.co.jp/world/35093161.html
(CNN) フィリピンのドゥテルテ大統領は3日、米国のドナルド・トランプ次期大統領がドゥテルテ氏が国内で進める強硬的な麻薬対策に触れ、正当な対応策として評価している考えを示したと述べた。」
※ただしトランプ側では公式にこの発言を記載していないそうです。
日本で死刑執行は年間10人前後しかなく、現場で警官が拳銃を発砲しただけで、大騒ぎですから、警察官に射殺される人は(浅間山荘事件などの特殊事件を除いて)40〜50年に一人もいないでしょう。
フィリッピンでもフランスでも現場でドシドシ射殺していれば死刑執行は少なくてすむ・・必要がないかも知れません。
事件ごとに、現場で射殺される映像などがニュースが流れますが、フランスその他先進国では年間現場射殺の統計を取っていないか、仮に内部でとっていても公表していないようですから実数は闇の中です。
統計さえ取らなければ、あるいは公表さえしなければゼロと言うインチキ?きれいごと社会のようです。
死刑廃止を宣言し現場射殺差を奨励しないまでも黙認していて、文化国家気取りでいる状態をフィリッピン大統領やトランプ氏が本音で公式に言い出した違いです。
ちなみにフィリッピンは死刑廃止国です。
http://www.bbc.com/japanese/36299631
「フィリピンの次期大統領に当選したロドリゴ・ドゥテルテ氏(71)は15日、市長を務めるダバオ市で記者会見し、死刑制度を復活させると公約した。さらに、治安維持部隊には逮捕に抵抗する容疑者などについて射殺目的の発砲を許可すると述べた。フィリピンは2006年に死刑を廃止している。」
文化人、日弁連はこの違いを無視して、死刑制度を維持している日本は遅れていると批判しています。
何回も書いて来ましたが、日本は欧米のような革命がなくとも古代から下々の気持を重視して来ましたので、革命がないから遅れているわけではないし、死刑廃止や選挙がいつ始まったかの形式で見ては間違います。
人権運動家の行動基準はPC(決まりきったきれいごと?)・・理念さえ唱えていれば良いとする・・実態無視の形式重視の基本体質が証明されています。
死刑廃止の論拠にえん罪のリスクがあると言いますが、以前書いたとおり(死刑事件の方が捜査も公判審理も慎重ですから懲役刑の方が逆に)懲役刑でもえん罪がありますし、罰金なら後で賠償されれば済みますが、懲役刑でも死刑相当事件の刑は超長期になるのが普通ですから、一生あるいは長期間入れられていると人生の取り返しがつかない点は死刑とほぼ同じです・・逆に死刑は滅多に執行されないのとちがって直ぐ執行される点の方が問題です。
全てミスのない制度はありませんが、仮に同じ人数が国家によって殺されるとした場合でも、現場で人種偏見等に基づいて殺されてしまうよりも、きちんと裁判した結果の方が、なんぼか公正でえん罪リスクが少ないでしょう。
現場射殺の場合仮に本当に有罪としても全部死刑になるような犯罪ではありません・・アメリカで騒動になる事件報道で分るように・・ちょっとした職務質問への対応が悪いと射殺されています・・射殺される事例を見ると射殺の基準が重大犯罪かどうかあるいは嫌疑充分かではなく、警察の正当防衛を基準にするために職務質問等に対する「対応の仕方」のようです。
まして日本では、再審申請中の場合死刑執行しないことに(法務省の運用)でなっている上に、請求棄却されても回数制限なく何回でも再請求出来る結果、死刑がイヤなら永久に引きのばせる仕組みで事実上死刑執行されない運用です。
(だから死刑囚は施行されないまま高齢化していて、獄中死が多くなっていきます)
えん罪リスクを言うならば、全面廃止しなくとも現場で逮捕されるなど実行者性が明らかである場合など優先的執行するような運用で済むことですし、執行されるのは殆ど本人が反省して死刑已むなし(早く死刑執行してくれと言う人?)と自ら思っている人中心となります。
下記の通り再審請求中だけはなく共犯者の公判中も死刑執行しないことになっているので、1昨年頃にオーム真理教事件で逃亡中の犯人が自首して来たのは、仲間の死刑執行を引き延ばす目的だったと噂されていました。
(自分は出頭しても末端役でたいした刑でないときに主犯の死刑執行を先送りするために順番に出て来る戦術も有効です)
刑事訴訟法
第四百七十五条  死刑の執行は、法務大臣の命令による。
○2  前項の命令は、判決確定の日から六箇月以内にこれをしなければならない。
但し、上訴権回復若しくは再審の請求、非常上告又は恩赦の出願若しくは申出がされその手続が終了するまでの期間及び共同被告人であつた者に対する判決が確定するまでの期間は、これをその期間に算入しない。

大義を滅ぼす小義の強調1

10月5日「小義」と「大義」の違いを書きましたが、マスコミ論調ではイラク特措法派兵に関して「自衛隊員に犠牲が出たらどうするのだ」と言う変な議論がまことしやかにされていましたが声明の危険があるから軍が派遣されるのであって、生命の危険を理由とする反対論は自己矛盾です。
そんなことを言い出したら国防のための応戦も出来ませんし、強盗が民家を占拠しているときに警察官に犠牲が出たらどうする!などと言っていると強盗排除の大義を実現出来ません。
犯罪者や警官個人の人権も重要ですが、安全社会を守る大義ためには場合によっては警察官等に一定の犠牲が出るのはヤムを得ない・・その代わりその職種の人は地域社会を守るために命をかけてやってくれていると尊敬され死後は石碑を建てて讃えるなどの敬意を払われて来たのです。
この辺日弁連の推進する「死刑廃止論」のおかしさも同様で、個人の生命や人権が大切なことと、秩序維持のためにどの程度までの刑罰(犯罪者にとってはどんな刑罰も人権制約になります)が必要かは別に議論すべきことです。
人命・人権尊重からただちに死刑廃止論を導くのは、平和を希求する心から軍備不要・・戸締まり不要論を導くのと共通で短絡的過ぎます。
この種の主張論者の組織が共通集団化している点から見ると、推論・思考レベルが共通だから疑問に思わないのでしょう。
個人の生命は大切と言う小義を重視し過ぎて死刑がよくないとか、警察官も人命尊重の対象だから危険を避けるために強盗がいなくなってから・・騒乱が鎮静化してから出動すべきだと言い出したら、現行犯罪の摘発がないのですから、犯罪や騒乱を誘発し却って多くの人命・人権が失われる(大義を滅する)元になります。
オバマのフィリッピン大統領非難の問題点は犯罪容疑者の人権ともっと大きな公けの秩序維持=大義と犯罪者の人権・小義のどちらを重視すべきかの判断(主権行為)に余計な介入をしていることにあります。
フィリッピンの犯人検挙方法がどこまでどの方法が許されるかは優れて内政問題・・その国民が被っている被害状況・・犯罪集団の凶暴性等々の状況との兼ね合いで決めるべきこと・主権行為なのに、オバマはいわゆる人権屋の重視する小義を重視して他国の内政批判・・干渉しすぎて主権尊重の大義を考慮していない印象を受けます。
中東ではリビヤやイラクやシリアの政権を倒しあるいは倒そうとして大混乱を招くなど近代社会秩序維持に最優先であるべき主権尊重の大義を破るものである上に、結果ら見ても欧米の介入が原因でシリア難民の悲惨さを見ても・・大規模な人権侵害が起きています。
独裁が良いか民主政治が良いかについても、社会状況に応じた政体があるのですから腕力に任せた余計な介入によって生じたリビアやイラクの混乱を見れば、フセインやカダフィの独裁政権の方が国民にとってはずっとマシだった筈です。
小義のために独裁制を倒すのと秩序崩壊による大混乱で失う大義(大量の人権侵害発生)との比較衡量の必要性すら分っていない・・狂信的煽動集団がマスコミであり、これに政治家が迎合した結果です。
マスコミがこぞって何故大義(秩序維持・大量の人権保護)を無視し、大義を言うと偏狭な民族主義とか、オポチュニストとして貶めるのか・・大義を無視し尽くして結果的に世界混乱を引き起こそうとするメリットは何か?どう言う勢力がこういうことを煽るのか?の関心に移って行きます。
アメリカが世界の警察官をやれないと言い出したのは、独裁政権でも折角まとまっているイラクやリビアの秩序破壊を遣り尽くした結果、大混乱が始まって手に負えなくなって無責任に投げ出しただけの話しです。
ここで何のためにこんなバカなことをやったのか?マスコミを牛耳るユダヤの陰謀論が出て来ますが、ここではそれがテーマではないのでこれ以上書きません。
小義と大義の違い・・小義を強調して行くと、大義(社会秩序)が緩み破壊される関係の分らない人が大統領や世界の指導者になったことが、アラブの春に始まる大混乱の原因です。
メルケルに代表されるEU指導層は、小義と大義の区別がつかないように訓練を受けた文化人的判断・・マスコミ受けする人道主義と言う「小義」を重視し過ぎて、シリアの混乱拡大を応援し、結果的に難民の大量流入と言う仕返しを招きました。
この頭でっかちな文化人の個々の人権尊重・これが行き渡って来ると難民大量流入の奔流となり今になって慌てていますが・・個別処遇が全体に及ぶとどうなるかの思考力が欠如しているコトが分ります。
(大量移民歓迎論→民族国家否定論者には予定どおりの流れだったので、メルケルは当初これを歓迎するかのような発言して国民の総スカンを食って慌てて軌道修正に大わらわですが・・)
この行き過ぎ政策に抗議を始めたのが、イギリスのEU離脱決定ですし、アメリカやEU内のグローバリズム反対論の表面化です。
目先困っている人を拡大・センセーショナル報道する・・難民・乳幼児の報道写真が実はヤラセだったと言う事実が、最近ネットに出るようになって来ました。
マスコミ迎合のインテリがみんな人権主義者・・小義を重視して大義をバカにするばかりで、全体のあり方を議論しない・・全体のこと心配している真っ当な庶民の不満を代弁してくれないので、已むなくありきたりのグローバリズム・格差反対と言うスローガンになっていますが、本音は行き過ぎた「小義」重視の人権論に対する反対であり、大義を重視せよと言うことです。
正義には善悪の単純区別ばかりではなく、双方共に実現出来れば善であるが実際には政策優先順位をつけるべき微妙な色合いの差があります。
左翼系文化人やマスコミの議論は「生命を最大限尊重し平和を守るべき」と言う段階で止まっていて、あまりに単純過ぎて具体的な政策優先順位をつける段になると思考停止しているように見えます。
これが戦後の社会党政権や4〜5年前の民主党政権が実務能力がないと批判された最大の欠点です。
世界中の政治指導層が、マスコミに煽られて?マスコミを敵に回せないので?大義を棄てて小義に着く・・逆転させていることが昨今の庶民大衆不満・世界大混乱の大もとです。
小義の主張・・個々人の人権を言うだけならば、難民も高額医療の保険適用推進運動も「可哀相だ・」と言うだけで済み、(「(沖縄基地の)少なくとも県外へ」のスローガンが象徴的ですが)全体の利害調整無視の主張ですから気楽です。
外国人も日本にいる限り日本人と同様の待遇をすべきだと言うのは個々の判断では人道的に正しいですが、(不法滞在かどうかに関わらず)これをやって行くと高度な生活水準を求めて際限なく移民が入って来るのをどうするかの議論がありません。
警察官や自衛官の人権尊重と強盗を実力で検挙しなくて良いのか?犯罪者の人権=死刑廃止論では被害者の人権や全体の秩序がどうあるべきかの議論が見えない・・大義・・全体の視点が無視され過ぎています。
えん罪リスクを理由に死刑廃止を言う意見もありますが、その他の刑罰だってえん罪リスクの可能性は同じですから、全ての刑罰を科すことが出来なくなる・・刑事手続をなくせと言うのと同じです。

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