在日の自由度3(住民登録化)

今回の反日不買騒動・・訪日観光ボイコットのおかげで対馬にあふれていた韓国資本のホテルや土産物店が経営不振・維持できなくなりそうで、このまま続けば韓国資本が赤字でやっていけなくなりそう・・撤退するのかな?それならば慶賀すべき結果です。
このままさらに10年も続いていたら大変なことになっていたかもしれません。
対馬に限れば、自治体参政権だけでも認めろと韓国系の政治家が主張しているとしてもおかしくないですが・・。
中国にやり方を教えられてその通り先行実験させれているのかもしれません。
日本人は郷に入りては郷に従えで、ハワイ日系人は米国批判せずにヨーロッパ戦線に従軍して活躍したことが知られています。
「日本人は皆同胞意識」ですので外国に渡っても同胞が米国でいじめられないように、日本側の論陣を張ることを求めなかったのです。
中韓の場合、人民は捨て駒でしかないので外国に捨てた?人民などどんなに困ろうと構わないので、使えるだけ使い切ろう言う姿勢との違いです。
この後に人民という単語の古代から現在までの使用例を紹介しますが、リンカーンのゲチスバーグ演説以来、人民は政治の主役であるべきという思想が広がりましたが実態は今でも古代からの定義通り、政治の対象・客体であって政治の主役でないのが人民です。
中華人民共和国や北朝鮮人民共和国の人民の置かれた立場を見ればリンカーンのいう「人民の人民による人民のための政府」という掛け声と縁遠い古代の使用例そのまま使われているのが理解できるでしょう。
韓国は江沢民の反日政策採用後中国に倣って韓国も棄てたはずの(元)人民再利用をした世論工作をする旨味を知ったようです。
日韓対立が激しくなると中国のように国外に出た人民に対する恐怖支配のために、兵役義務を果たさない外国移住者に国籍離脱を認めないように国籍条項を変更して在日にも兵役義務を強制→応じないと懲役刑処罰できるようにしたというネット記事(もちろん真偽不明です)が流布していましたが・・。
韓国にとっての国民は、犯罪者の強制送還受け入れ拒否をするなど国家構成の仲間でなく、搾取対象としての「人民」として使い捨てにしてきた歴史ですが、今になると日本に蒔いたタネを利用できるという中国指導に従うつもりになってきたのでしょうか。
https://docs.google.com/document/d/1B_k-2lcstvNhZWWRqkWpEo0Evf1mJlU7NLjlDEZOEak/edit#

【ソウル=前田泰広】日本政府が1970年代後半、日本で犯罪を犯した在日韓国人を韓国に強制退去させようとし、韓国政府が受け入れを拒んでいたことが、韓国政府が12日公開した外交文書で明らかになった。
拒否された日本側は、強制退去対象者を北朝鮮に送還する可能性を韓国側に「暗示」したとしている。
外交文書によると、韓国政府は「韓国に生活基盤がない」などとして強制退去対象者20人の受け入れを拒否。在日韓国大使館は78年7月、「日本政府が北朝鮮に送還することを暗示した」と分析し、「日本との協議で1人の受け入れを決めた」と韓国外務省(現外交通商省)に報告した。だが同省は、「受け入れられない」と大使館に再協議を指示したとされる。
(2009年2月12日00時03分 読売新聞)

上記によればこれまで日本で違法こうして強制送還対象になっても本国でこれを受け入れない状態で来たのが事実のようです。
ところが、韓国では兵役義務を果たさない在外国民に対して国籍離脱を認めない→本国のいう通り動かないといろんな方向で取締できるような総合的制度を2000年に入った頃から着々と準備してきて12年についに完成したとのネット記事が一般に流布しています。
(ただしネット意見の受け売りイメージでしかなく、一通りこういう意見が流布していると紹介した後でネット意見に書いている国内法チェックでわかる限度でチェックして見ますが、それまで当面ネット意見を前提にした受け売り意見です。)
その一つ・・例えば、在日の住民登録一本化制度の完成がその一つらしいです。
日本では従来外国人は住民登録制度対象ではなく外国人登録(個人の身分証明的なカード)制度でしたので、各人がどこに住んでいるかの一元的把握が事実上困難でした。
指名も通名など好き勝手に変更できて一般人には同一性が不明で複数氏名の保険証取得など不正利用が一般化していました。
我々弁護士業務の場合、事件当事者の住所特定のために住民票取り寄せを行う必要がありますが、住民票制度がない外国人の場合、特定に難渋する事があります。
私の経験では例えば死亡事故等でフィリッピン人等の被害者遺族の特定や、在日韓国人に対する明け渡し訴訟後、執行段階で死亡したのでその相続人特定など・提起に当たってその遺族特定などでてこずったことがありますが、日韓経済関係が緊密化して行き、住民票制度が共通化すると相互にこの取り寄せ手続きをできるようにすることになったのではないのでしょうか?
一般的には近隣国との人の往来が増えるといろんな制度の共通化、ノービザ化など障壁を低くして行くのは合理的ですが、韓国の場合それまで棄民状態で在日がどうしているかに関心がありませんでした。
一般的には近隣国との人の往来が増えるといろんな制度の共通化、ノービザ化など障壁を低くして行くのは合理的ですが、韓国の場合それまで棄民状態で在日がどうしているかに関心がなかったようです。
日韓文化交流であれ何であれ相互利用に韓国は消極的であったのに、中国江沢民の反日姿勢明確化の頃から偶然の一致かも知れませんが、情報等の日韓相互利用に積極的になったように見えます。
韓国で在日利用意図が高まったからか時期的には中国の反日教育許可とほぼ同時期になります。
日本は韓国要望の通り近隣関係スムース化・合理化に資すると応じてきましたが、今になってうがった見方をすれば、韓国としては兵役法改正による在日締め上げ方針を決めてこれを実施するには、犯罪人引き渡し条約が必要→実効性確保のためには在日管理が必須と気づいて、在日の住民登録制度・在日管理を日本政府に下請け的にやらせてこれをデータ化する隠れた意図があったということでしょうか。
前置きが長くなりましたが、施行期間を経て012年に外国人登録から住民登録制度に移行しました。
http://www.soumu.go.jp/main_content/000156363.pdf

外国人住民の. 住民基本台帳制度. がスタートします!! 2012年7月. 012年7月. 施行予定. 《外国人登録法は廃止になります》 … 外国人登録制度から住民基本台・・・

上記総務省データはPDFですので部分引用に適さないので引用しませんが、住民登録化したこと自体は今や公知の事実でしょう。

定住意識の崩壊2

勤務先周辺で好きなところに寝泊まりしている男が増えると、いわゆる住所不定のヒトが多くなります。
江戸時代の宗門人別帳制度以来、政府は定住場所を前提に領民→国民管理をして来たので、政府は住所不定では困るので、「住所不定」と言えば、それだけでアウトロウ・・よほどの悪人であるかのような感じがするように教育されていますが、今後は個人識別番号制になって行けばその前提自体変ってきます。
今でもまだ人の特定には「どこの誰それ」と言いますが、実際にはヒトの細かい住所など誰も気にしていないで、電話番号くらいしか知らない・・記憶していないのが普通です。
何十年来の交際をしている関係でも友人・会社同僚の家に住所録など見ないで尋ねて行けるヒトは滅多にいないのではないでしょうか?
せいぜい「あいつは千葉あるいは浦和から来ていると言ったが・・あるいはどこそこの駅ので降りていたのを知っている・・その先バスに乗るのかどうかも知らない程度のヒトが普通です。
名刺を貰っても東京から来たか船橋から来たヒトか程度をちらっと見るだけで、何丁目何番地まで関心がないのが普通です。
今ではせいぜいどこの会社のどう言う係(担当)のヒトかに関心ある要素になっているだけでしょう。
実際的には、既に住所番地の機能はかなり低下しています。
住民票や戸籍簿の機能の低下・・今後は個人識別番号制に移行して行くべきではないかという意見を、 April 19, 2011「住民登録制度不備と家の制度8」で書きました。
今後は所属組織と個人識別番号だけで国民(経済活動)の管理可能・・政治が出来る筈です。
住所不定が問題ではなく所属組織のないヒト・無職の人だけが、収入がないし特定し難いので、悪事を働き易いことと把握が出来ないことで問題なのです。
その内携帯その他の所持品で位置情報が出る時代になるので、特定の法的範囲(人権保障の関係で絞りが必要ですが・・・)ではピンポイントの所在確認も可能になります。
勤務先・所属組織で特定する時代が来れば江戸時代の武士が江戸にいる場合、その武士は薩摩屋敷にいるとか京極屋敷にいる程度の管理で十分だったのと似てきます。
個々人が定住していなくとも企業組織単位で管理して税もその単位で源泉徴収や消費税徴収してけば良いのであって、個人の住所単位で課税する必要がありません。
今後間接税・・消費税中心にして行けば浮浪者であろうと消費する都度税が徴収出来るので、消費税を納める企業さえ管理していればたります。
今のところ企業・組織(個人事業でも同じです)は事務所や店舗・工場・倉庫など設備が必要なので、(モンゴル族のパオみたいに移動が激しくなるにしても、常に一定の備品設備設置が必要なのでなお殆どの場合組織体の所在を基礎として把握が可能です。
個人識別制になると引っ越すたびに住民登録の届け出がいらないし、これを受け付けたり管理する膨大な役所の人員が不要になるでしょう。
いろんな契約書にも住所番地を書く代わりに識別番号を書くようになります。
選挙も住所区域・・選挙区で行うのではなく、識別番号で投票用紙をネット上で受け取るだけになれば現在のような1票の格差が問題になりません。
憲法では国会議員は地域代表ではなく全国民の代表であることになっているのですが・・・選挙区制のために結果的に実質的地域代表になってしまっているのですが、これがネット投票になって全国が1区になると簡単に得票順に当落が決まります。
どこかの選挙区代表として選ぶ必要すらないので、名実共に全国民の代表になって、地元への利益誘導政治は完全になくなります。
 憲法
 第41条 国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。
 第42条 国会は、衆議院及び参議院の両議院でこれを構成する。
 第43条 両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。

コンピューターで投票すれば、小学校で大勢の役人が張り付いていなくともいいし、日本中あるいは世界のどこにいても投票出来るし、どこかの投票所に集中する心配もなく、コストがものすごく安くなるでしょう。
コンピューターを使えないヒトはどうする式の反論が直ぐ予想されますが、そんなことを言い出せば、選挙制度が始まった頃には文字を書けないヒトが一杯いたのに、字を書けないヒトはどうするという選挙制度反対論がなかったのと同じです。
我が国は何事も変革の遅い国ですから、識別番号制に移行するのは早くても数十年以上、遅ければ50年以上先でしょうから、その頃にネットを駆使出来ないヒトは今で言うと文字を読めないヒトよりも少ないのではないでしょうか?

住民登録制度不備と家の制度8

江戸時代のように何世代にもわたって定住している者(都会で言えば持ち家を持つもの)とそれ以外・・・借家人・中間的な人を無宿者として無登録にしておく・・今で言う住民登録のない人間が都会にひしめいているのでは(徴兵・徴税の対象にも出来なくて)困るし、実際にきちんと生業を持って働ける人が増えて来た以上は、これら中間帯を幽霊人口にしないで正規市民登録させようとした明治政府の方針は正しかったでしょう。
明治になって炭坑夫・工員・駅員その他農業以外の安定した就職先が出来たので、跡継ぎ以外の弟妹も自分のきちんとした収入があるので結婚出来る・・独立の経済主体・世帯を形成出来るようになったのに、これらを江戸時代のように無宿者・・浮浪者・・幽霊扱いで放置するのは実態に合わなくなったとも言えます。
都会に働きに出た弟妹の経済力が上がったことが制度変更の(無宿者・浮浪者扱いから正規市民登録が必要になった)原動力であったとすれば、(後講釈ですが)ズバリそのための制度・・ありのままに登録する・・今の住民登録制度あるいは将来制度化されるであろう国民背番号制に向けて制度化に努力すべきだったと思われます。
日本以外の諸外国ではこの方向へ進んでいることは、(アメリカ等は昔からそうですし、日本法の影響下にあった韓国でも数年前頃に戸籍制度を廃止しています)周知の通りです。
こうした簡易な登録制度を採用せずに、まず出身地別に管理する(・・出身地の檀家寺で管理をしていた檀家制度を06/03/10「(1)仏教の役割変化2(学問から登録機関へ)」前後で紹介しましたが、宗門人別帳の歴史経験があったのでこれの応用・修正から始めたのは合理的でした。
その代わり戸籍制度・・本籍観念から入って行ったので、現住所登録が完成して来た後も本籍と現住所の二本立て・・今も同じですが・・・となって行き、本籍地=出身地に籍を残す以上はそこの管理責任者・戸主と言う観念が必要になったように思われます。
本籍地・・本来どこの出身・一族であったかは、今では個人の特定にそれほど意味がない時代(どこの社員かなど所属や職業を明らかにする方が識別に意味があるでしょう)なのですから、今後はこうした二本立てをやめて個人別識別番号制に移行して行くのが合理的です。
(江戸時代の武士やその他では、先祖は源氏だった等出自を自慢するのに必要な時代がありましたが・・この種の需要は今後は趣味の世界にゆだねれば十分で国家が税金を使って整備してやる必要までありません)
明治の家制度の結果、具体的な家・建物を出て、東京大阪等の都会へ働きに出て、そこで住まいを建てあるいは借家で別の生活をしている弟妹の一家・所帯単位まで田舎の長男(戸主)の観念的な家の構成員とする(会社で言えば連結)制度になったので、(江戸時代までのように簡単に無宿者として除籍出来ないようになっただけのことですが、)これを「家の制度」と言い変えるようになったとも言えるでしょう。
家と言う言葉の意味・・一つ屋根の下で生活する実態とまるでかけ離れているからこそ、却ってわざわざ「家の制度」と言うカギ括弧付きの呼称が必要になったのでしょう。

住民登録制度6(公示から管理へ)

ついでにこの辺で昭和26年の住民登録法と昭和60年の改正法を紹介しておきましょう。

住民登録法(昭和二十六年法律第二百十八号)
第一条この法律は、市町村(特別区を含む。以下同じ )においてその住民を登録する ことによつて、住民の居住関係を公証し、その日常生活の利便を図るとともに、常時人 口の状況を明らかにし、各種行政事務の適正で簡易な処理に資することを目的とする。
住民基本台帳法(昭和四十二年法律第八十一号)
(昭和60年法律第七十六号による改正後)
第一条この法律は、市町村(特別区を含む。以下同じ )において、住民の居住関係の 公証、選挙人名簿の登録その他の住民に関する事務の処理の基礎とするとともに住民の 住所に関する届出等の簡素化を図り、あわせて住民に関する記録の適正な管理を図るた め、住民に関する記録を正確かつ統一的に行う住民基本台帳の制度を定め、もつて住民 の利便を増進するとともに、国及び地方公共団体の行政の合理化に資することを目的と する。」

上記アンダーライン部分は昭和60年に付加されたものですが、住民票制度は本音としては国民管理目的で充実して来たことを04/14/05「夫婦別姓26(公証の時代3・・・住民基本台帳法2)」その他で繰り返し書いて来ましたが、各種登録制度の表向きの目的として国民の便利のために必要な制度・・・公示制度を掲げて来たものですが、完成に近づくと国民管理目的を正面に出して、元々の「公証」目的はついでみたいな書き方に変わってしまいました。
この改正で国民を管理する目的が正面に出て来たことを、この条文の変化でこれを読み取ることが可能です。
元々戸籍制度はその管轄の変化を見ると分りますが、明治2年に民部官庶務司戸籍地図掛(国土地理院の前身)が担当して始めたものが1871(明治4)年民部省廃止とともに大蔵省租税寮へ管轄が移されて以来、租税対象として制度整備が進んで来たものです。
国民に対し徴税目的で制度創設しますと宣伝したのでは国民の協力を得られないので、公示機能(公に証明する機能=公証)を前面に出していたのですが、いよいよ完成してくるとそんな目的は背景に追いやり管理目的を前面に打ち出したと言うことでしょう。
住民登録制、さらには世帯別把握を基本とする現在の制度から、今後は個人別の(年金等の)番号制その他個人識別制度が普及してくれば、(昨年秋頃から書いている結婚制度の崩壊とは別の要因で)将来的には制度上の家族概念に結びつく戸籍制度自体更には世帯単位の住民登録制度まで不要になってくるべきかも知れません。
韓国では日本統治時代から引き継いだ戸籍制度を何年か前に廃止していることを昨年何かのコラムで紹介したことがありますが、個人識別に出身地や親兄弟に関連づける戸籍までは必要がないと言うことでしょう。
ここ10〜15年間の韓国の制度改正は目覚ましいものがあり、いろんな分野で日本が遅れを取り始めている心配がありますが、これもその一つでしょう。
ある人を特定するにはDNAあるいは虹彩・指紋等で識別が可能になれば、親兄弟の氏名(壬申戸籍では士族か否かエタ・非人等身分まで書いていました)は関係がありませんし、まして出身場所などは今では全く意味がなくなっていることは分かるでしょう。
昨年から話題になっている超高齢者の問題も、戸籍制度と住民登録制度を混同している二種類の制度設計が併存しているから起きて来たことであってこれを混同をしたマスコミが騒いでいただけです。
戸籍制度さえ廃止すれば、超高齢者が登録されたままの社会問題も起きません。

住民登録制度5(改正と運用定着の時間差)

本籍だけで管理していて住民登録制度がないと国民の現況把握が出来ず不便ですので、政府の方でも次第に現状把握方式を充実して行きました。
と言うよりは、元々人民の現況把握の手段として出先の把握だけではなく親元でも把握しようとたことが、寄留地把握と本籍把握の二本立て制度の始まりとすれば、徐々に現況把握制度を充実強化に励むのは当然の成り行きです。
本来過渡期の把握手段である本籍制度は、寄留値把握制度が充実した時点で御用済みになっていた筈です。
March 5, 2011「寄留地2(太政官布告)」March 6, 2011「寄留者の管理と神社1」で紹介したとおり大正3年には寄留法が出来、昭和27年に戸籍管理と切り離した住民登録に関する法律が施行されているのですが、法律が出来たとしても直ぐには実施・・浸透しませんので、住民登録が一般化して来たのは(私のおぼろげな記憶によれば)昭和30年代半ば以降頃に過ぎません。
私の子供の頃にはまだ住民登録制度が定着していなかったのか、あるいは身分証明制度がなかったからか、どこかに行く・・例えば修学旅行先の旅館で食事を出してもらうためには、米穀通帳持参(1981年に廃止=昭和56年)の時代でした。
法律と言うものは作ればその日から実行出来るものではなく、準備に年数がかかります。
民法応急措置法の精神(家の制度廃止)によって戸籍制度も抜本的に変わるべきでしたが、これに基づき昭和22年に戸籍法の改正が行われましたが、実際に核家族化に向けた改正の準備が出来たのは昭和32年頃で、(昭和32年法務省令第27号・・33年から施行)でした。
これによって全国の戸籍簿を各市町村で徐々に書き換えて行き、(これによる改正前の戸籍を改正原戸籍と言います)全国的に完成したのが、漸く昭和41年3月でした。
(完成の遅れた市町村ではそのときまではまだ古い戸籍方式の登録が行われていたのです)
それまでのいわゆる原(ハラ)戸籍を見れば分りますが、戸籍謄本の最初に前戸主と現戸主が書いてあって、その妻子や戸主の兄弟姉妹(結婚して他家に入ればその時点で除籍)とその妻子・孫まで全部記載されています。
分家して独立戸籍を興さない限り一家扱いで、弟の妻子まで家族共同体に組み込まれる仕組みでした。
コンピューター時代の到来に基づき、コンピューター化に着手したのが平成の改正で、この結果横書きに変わりましたが、コンピューター改正前の戸籍も改正前原戸籍と言いますので、今では相続関係の調査に必要な戸籍には、昭和の原戸籍と平成の原戸籍の2種類があることになります。
登記のコンピューター化が始まっても全国の登記所がコンピューター化し終えたのは、20年前後かかって全国で完成したのはまだここ数年の事でしょう。
昨年春離婚した事件で、都内錦糸町の数年前に買ったばかりの高層マンションの処分に際して、当然コンピューター化していると思っていたら、購入時の登記では権利証形式(以前紹介しましたが、コンピューター化した場合・権利証から登記識別情報に変わっています)だったので驚いた事があります。
寄留法が30年も前から施行されていたと言っても、住民登録制度が始まってもその日のうちに国民を全部登録出来るものではないどころか、国民の届け出習慣の定着・政府側の実態把握の完成等に時間がかかり国民全部を網羅するには15〜20年程度は軽くかかってしまった可能性があります。
その完成を待って昭和42年の住民基本台帳制度(・・これが現行制度です)が出来たと思われます。
このように改正経過を見ると戦後の戸籍法制度改正は昭和41〜2年頃までかかっていたので、それまでは制度的には過渡期で戦前を引きずっていたことになります。
国民の意識も急激には変わらないので、このくらいの時間経過がちょうど適当だったのかもしれません。
私の母は明治末頃の生まれですが、私の長兄が結婚した時に戸籍から長男が抜けてしまってるのを知って、とても驚き寂しそうに私に言っていたのを思い出します。
今になれば結婚すれば新戸籍編成になって親の戸籍から自動的に除籍されるのは当然のことで誰も驚きませんが、昭和30年代には親世代にとっては(まだ自動的に抜けるようになった仕組みを知らない人もいて)子供が「籍を抜いてしまった」と衝撃を受ける時代だったのです。
明治始めの戸籍制度は即時(半年後程度)実施制度でしたが、これは元々生まれてから家族として籍(人別帳)にあったものを無宿者として積極的に除籍していたのを、今後は除籍しては行けない・・一旦除籍してしまった無宿者をもう一度籍に戻すだけだったので、即時実施でも家族意識に変化がなく問題がなかったと思われます。
戦後の核家族化への改正は、(同居していても結婚すれば)積極的に籍から抜く強制だったので、意識がついて行けない人には抵抗があったのでしょう。
戦後改正は天地逆転するほどの意識改革であったこともあって、実施・定着には時間がかかったのです。
我々法律家の世界でも現在通用している最高裁の重要判例は、昭和30年代後半から40年代に集中しているのは偶然とは言えないかもしれません。

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