西欧の長期的衰退7と中国接近9

EUで言えば、共同体設立など囲い込み拡大ばかりに精出していた(・・戦前の植民地単位でやったブロック経済の再構築・・)結果、→日本企業の進出阻止に成功したとも言えますが、内容の悪い国(企業)同士合併を繰り返して規模の大きさを誇っていたような印象です。
EU成立後世界規模の関税引き下げ交渉が停滞し(ウルグアイランド失敗)、FTAなどの日本外しの個別交渉に移って行ったのはこの結果必然です。
以下年号的に並べてみますと、日本が超円高を強制された結果急激な輸出停滞→内需刺激→モガキにモガイた挙げ句にバブルに突入し、失われた20年(ただし私は酷い目に遭わされたとしても結果的に力をためるチャンスだったと解釈していますが・・)に突入するロケット発射台になったのが「プラザ合意」でした。
中国は開放にあたって、これを研究し尽くしていると言うか日本のアドバイスで?日本の轍は絶対に践まない・・為替自由化には応じない国是?になっているとの報道解説が行なわれていました。
アメリカは自由貿易の旗手と自慢しながら実際には、じぶんの弱い分野では日米繊維交渉・電気その他自由貿易原理に反する(スーパー◯◯条)輸入規制の連続でしたが個別分野の規制では間に合わない(・・自由貿易・自由主義国の看板に傷がつく)ほど日米競争力格差が開いて(欧州とはもっと開いて)来たので、日本の基礎的競争力低下を目指したのが為替の急激な引き揚げ・・日本にハンデイを負わせる仕組みの考案でした。
各種スポーツで日本選手が勝ち進むと直ぐにルール変更が相次いでいましたが、為替の強制は個別ルール変更しない代わりに日本人は片足または左手だけで戦えと言うような仕組みです。
プラザ「合意」と言われますが、会議に行くと欧米首脳間でお膳立てが決まっていて(承諾しないならもっと急激な円高誘導し輸入制規制する・・合意すればこの程度の段階期的円高で許してやると言う脅し)合意するしかなかった状況(欧米包囲網・・戦前理不尽な多数決の横暴に反発して国連を脱退したような孤立の道を歩む選択肢はもはや日本にはありません)が当時の交渉経過として知られています・・。
この前後は中国の改革開放政策の開始・ソ連崩壊前夜などが相次いでいて、欧米には主敵がなくなり日本だけが正面の敵であり、その側面攻撃に中韓を利用する世界戦略が進んでいたのです。
排日基本方針の欧米基準を知らされていた中韓がこの頃から(「もう日本は駄目だと言う宣伝を強め)自信を持って反日攻勢を強めるようになった原因です
  1984年 欧州連合設立条約草案を欧州議会可決
  1985年9月22日、G5プラザ合意(超円高開始・失われた?20年開始の基礎構造)
  1985年 シェンゲン協定が調印(人の自由化→どこかで移民を入れればその後の移動は自由)
  1986年 単一欧州議定書調印

元々EUは、経済一体化=内部自由化=対外防壁の目的で設定されていたことを隠していませんが、経済防壁である以上は守るべき相手があり・・より強い競争相手=日米に対するものでした。
日米のうちで特に勃興して来た対日競争意識で作られているので、成立直後から日本には何かと関税その他で厳しくあたってきました。
元々対日輸入規制のためのEU結成ですから、FTA交渉でも対韓国等では気楽に応じますが対日では厳しい条件をつけてそもそも締結したがりません。
放射能その他何かあると対日では、世界に率先して規制し、規制解除も最後まで応じない傾向です。
しかし弱者連合で競争の激しくない社会では域外輸出ではジリ貧・・資本不足になって来て、中国韓国系企業の資本や商品輸出には比較的規制が緩い政策運用が続いてきました・・昨日まで紹介したようにフランスに中国やインドタイなどの資本進出が意外に多いフランスがどの大統領になっても日系企業への非関税障壁がきつい・・日系企業はEUへの進出も輸出も振るわない原因です。
アメリカは何系だろうと効率の良い企業が国内にあることは良いことだとして一応自由貿易の原理を曲げない・・日系企業を受入れてきましたので、今や日米の経済一体化が欧米間よりも進んでいるようになりました。
これが→日米同盟強化の基礎ですが、本来競争力のある日系企業に学ぶよりは日本を敵視し、日系進出や輸入をEUが排斥して来たことが逆にEUの発展を阻害した・・惆落の原因のように見えます。

司法権の限界9(法と良心とは?1)

テロとは国家秩序を短時間でも矛盾混乱させるのが目的ですが、たった1つの裁判所でも勝てば今回の仮処分のように全国的影響がある・・大逆転のチャンスがあるので「司法闘争」が合法的テロを仕掛けるような役割を果たしています。
テロとは国家秩序を短時間でも矛盾混乱させるのが本質的目的ですが、たった1つの裁判所でも勝てば今回の仮処分のように全国的影響がある・・大逆転のチャンスがあるので「司法闘争」が合法的テロを仕掛けるような役割を果たしています。
政治で既に負けているので、裁判で負けて元々・・40回に1〜2回でも勝てば儲けモノ的訴訟が増えます。
ちなみに脱原発弁護団全国会議(全国脱原発訴訟一覧2016年3月15日現在)によれば、現在の原発訴訟の数は以下のとおりです。
表が大き過ぎてコピペしきれません(何日分のコラムになってしまいます)ので要約しますと、(青字のみ現在係争中とのことです)全体で41事件あって青字の部分は29件です。(数え間違いがあるかも知れませんが大方こんなものです)
都道府県の数からすれば、原発・関連施設のあるところ殆ど全てで裁判していることが分ります。
裁判官が自己の政治信条によって判断することが許されると地域ごとに変わった判決・・千葉と埼玉では同じ国政選挙が有効だったり無効だったりする矛盾した国家意思になってしまいます。
こうなると裁判官が個人的政治信条に従った裁判をして良いか・・政治に介入することが許されるかの議論の重要性が分るでしょう。
公務員の中立性の要請もその基礎は同じです。
ここで裁判官に求められている判断基準が何かが重要になってきます。
この後で書くつもりでしたがここでちょっと書いておきますと、裁判官は「法・憲法と良心のみに拘束される」のが近代法の原理ですが、主観的政治信条に(忠実に?)従った裁判をするのは「法と良心」に関するはき違えです。

憲法
第七十六条  すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。
○2  特別裁判所は、これを設置することができない。行政機関は、終審として裁判を行ふことができない。
○3  すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。

個人の主観的信条を裁判官の「良心」とは言いません・主観的意見とはちがっていても確定判例や通説に従うのが「法や良心」に従うことです。
ただしこのままでは判例変更出来ませんから、従来の判例通説が間違っている・・社会実態の変化にあっていないので改正すべきだとの確信があれば、堂々と新判例を出して上級審の判定を待ち、最高裁の場合判例評論等の批判に委ねるべきです。
例えば特定宗教に凝っていても共産主義を信奉していても裁判官になるのは自由ですが、その教義や主義に従って憲法を無視してたとえばイスラム法に従った判決や決定・・喩えば、不貞行為の主張に対してイスラム法を引いて「男は何人妻を持っても良い」と言う判決をすることは許されません。
自分の意見は司法界の通説判例(あるいは、司法界で通用している経験則)に反していて上級審ではすぐに否定されると分っていながら敢えて主観的意見による判決や決定を出すのは(裁判官が知っている法解釈に反した行為ですから)「裁判官の良心や法に従った」判断ではありません。
本来の訴訟による判決の場合不服のある場合には、すぐに控訴出来てその場合1審判決の執行力もありませんが、仮処分の場合異議申し立てしか出来ず直ぐに控訴出来ない仕組みですから、この仕組みを悪用すれば、申立人の意見が政治意見に共鳴する裁判官にあたって主張が偶然通るとしてもそれは異端説・・一般的解釈に反していることを見越しての訴訟提起です。
上級審では直ぐにも覆ることを知っていながら申し立てする場合、申立人は、本来本案訴訟でやるべき事件をすぐに上級審に移行出来ないように敢えて仮処分制度を悪用?することも可能です。

原発被害想定基準9(過大想定=人災の背景)

規制→特定産業従事者だけの損害ではなく、生活禁止の制限を受ける地域住民も被害を受ける→巨額原油輸入のコスト負担する国民一般・・ひいては原子力産業消滅(東芝苦境の遠因にもなっていると思われます)→将来の国防不安を兼ねます。
過大規制による被害・・原発に頼る地域経済の壊滅や広域避難命令による生活破壊が、一般(地域)住民〜周辺県→国民一般に直接目に見えるように拡大されたことによって、被害推定が大きければ大っkきい程よいと言う安易な基準ではなく、公平・合理的に決める必要があると分ってきたと思われます。
それまではフッ素規制で書いたように各種規制は、特定業者の損害だけだったので、一般国民は自分に関係のない他人事ごと・・厳しければ厳しい程自分にはよいことだと他者への配慮を欠いた安易・無責任に考えて来たに過ぎません。
一種のいじめられっ子探し同様で、国民の方はいじめっ子の権力を握った「自分がマスコミの標的にさえされなければ良い」と言う自己中心思想にならされてしまい、一方的洪水報道がのさばってしまったと思われます。
マスコミによる国民教育効果の恐ろしさです。
マスコミ・・週刊誌は次々と苛める対象を見つけると集中砲火を浴びせる・・原発事故と慰安婦騒動が世界規模になったところで・・国民全部がいじめられっ子になったところで、限界を露呈したように思われます。
ただし、被害想定基準設定はマスコミの影響を受けたとは言え,当時の国民の信任を受けた政治が決めたもの→「自己中心・・・社会全般への影響を無視することが良いことだ」と無責任思想を煽る政権を選んだ結果ですから、国民の自己責任でもあります。
マスコミと思想的一体化している民主党政権の場合、沖縄普天間基地問題迷走の原因を作った「少なくとも県外へ」と言う一方の立場だけの主張・・あるいはヤンバダムの中止決定と継続への方針転換など見れば分るように、全ての分野で多様な利害を有する当事者の存在を視野に一切入れていなかったことが分ります。
被害があれば「可哀相」と言う視点ばかりで加害者に対する過大請求・・必要以上の苦痛を与える運動になっていた基礎です。
事業仕分け時に公開された議論の粗雑さを見れば分かりますが、多様な意見を吸収する気持ちがない・一種のつるし上げ政治で、党が決めた一方の立場だけ推進し、矛盾調整努力を始めから問題にしないのが民主党政権でした。
利害調整の必要性を無視した一方的主張・・全体的政策整合性を無視する・・その場限りの政策が基本で収拾がつかなくなったことが直ぐに判明しましたが・・利害調整を一切しない政治家って、そもそも政治と言えるのかの疑問があります。
元々専制権力とはそう言うもので、専制権力の意向による不利益を受ける方は完全無視し、天安門事件を見れば分るように抵抗すれば戦車で踏みつぶして平然としているような政体です。
天安門事件は国際的評判が悪かったので、最近では戦車出動をやめて・・秘密警察の活用・香港まで出向いて本土へ連れ去るなど思想統制に精出しています。
民主党政権は、政権党になった以上は全国の統治をする必要がある・ある県で都合の良いことを言っておいて、他方の県で矛盾主張するような使い分けは許されません。
民主党は利害調整の重要性に重きを置いていない政党・・一方の主張だけで政治をすることが政権担当してすぐに国民に分りました。
その象徴的事件として諫早の水門開閉に関する無責任な対応を紹介しておきます。
諫早の水門を巡る2つの矛盾する裁判所の判断が両立するようになったのも、民主党政権が従来の政府意見を変えるならば、(政権が変わっても組織として連続性があります)従来の支援者に対する十分な説明をして和解に持ち込むべきであったし、裁判所判断に従うならば、上告して最高裁の判断を求めるしかなかった筈です。
控訴しない→形式的には裁判所の判断を尊重する振りをしながら,結果的に最高裁の判断を避けた姑息なやり方が収拾のつかない矛盾状態にしてしまったのです。
政治と言うものは、利害対立・・矛盾関係を止揚してより良い解決を目指す努力をするべきものですが、民主党は「これを一切しない・・する能力がないと言うのでは失礼かも知れません。
実は能力はある・・バカなのではなく、意図的に日本民族が国際進歩に伍して行くの妨害し、内部的には一方的主張することによって、民族内対立を煽る・・一体感破壊目的で運動している高等戦術だと解した方が合理的な感じです。
水門を「開けろ」と言う判決と「開けるな」と言う両立出来ない現実がどうなるかですが、この矛盾の結果、国は開けることも閉めることもできません・・他方で「◯◯するまで一日いくらの賠償金を払え」と言う付随命令(間接強制)がついているので、地元対立と国の賠償金支払だけが続く変な解決?を目指していたことが分ります。
これでは地元対立を半永久的に放置する・・煽りっぱなしになって、諫早の干拓事業をどのように解決するべきかの国民的展望がたちません。
対立を止揚した解決ならば地元の対立も収まり「雨降って地固まる」平和な社会になりますが、対立を煽りっぱなし・・日々賠償金をとられっぱなしでは・却ってしこりが長引きます。
乱暴な改革は良くない・・漸進的改革が日本民族の世界に誇る智恵ですが、それと矛盾した意見を煽るだけ煽って、相手の傷口に延々と塩を刷り込むような状態を固定するのとはちがいます。

道義に反した国々の代償1

日本民族の特性として繰り返し書いてきましたが、縄文の昔からの連続性の結果、千年単位で子孫繁栄を考える性質・・子孫も千年前に先祖が受けた恩義やひどい仕打ちを忘れません。
日本民族は、長期スパーンでモノゴトを考える国民性ですから、ちょっとやそっとのことで目先のことで怒ったりしませんが、その分将来の判断資料として深く残して行く国民性です。
ソ連の日ソ不可侵条約の一方的破棄→侵攻→シベリヤ抑留やアメリカの戦争犯罪について、70年経っても何もモンクを言っていませんが、これは米ソ両国にとっては大変なマイナス遺産を残したことになっています。
今後日本を中心に世界が動いて行くようになっても知らんぷりで付き合って行くつもりでしょうか?
日本が、まさかここまで立ち直って来るとは両国共に想定していなかったでしょうが、今や世界で危機が起きるとドルよりも信用があって円の方がより上がる・・経済界の信用は世界一になっている外、世界中でモノゴトの運用においても日本の信用の方が確か・・アメリカがどこかで何かをしようとすれば、日本の協力・精神的後ろ盾がないと何も進まない時代が来始めています。
日本の協力がないとまとまらなくなって来た点については2014/02/22アメリカの指導力16(引き蘢りのリスク5)ころまでと〜May 4 2015「覇道と日本の補完性1」まで書きましたが、別の話題が挟まって先送りになっています。
最近の事例で言えば、TPP交渉がアメリカ主導の強引な運営ではまとまるものもまとまらなくなって漂流していたのですが、弱小国の言い分を良く聴いてあげる日本参加で漸く昨年末ころにまとまった経緯を見れば明らかです。
(対中国集団結成になるので参加拒否していた民主党政権から安倍政権になって参加方針に変わりました・・韓国も中国に遠慮して参加拒否していましたが、北朝鮮のロケット打ち上げに厳しく対応してくれないのでアメリカ陣営に戻ろうとしています)
アメリカがアジア戦略として、日中韓離間策と合わせて日本台頭を阻止するために中韓を使って、長年日本を怒らせるための悪宣伝をさせて来たものの、中国の台頭によるプレゼンス低下と日本の協力がないと進まない場面が増えて来たので、遂にアメリカの代弁をしていた韓国を切ってはしごを外すしかなかったのが、慰安婦騒動の結末であり中国の反日行動でした。
安倍政権を歴史修正主義者だとして裏で反日を煽って来た手前、韓国を切り捨て切れないのでアメリカの圧力で日韓合意を昨年末に強制的にまとめさせられましたが、無理に合意させられた日本国民の不満は(何で日本が10億円払うのだ、逆に韓国に慰藉料を払わせないと承知出来ないと言う国民が大多数でしょう)裏で煽って来たアメリカにも当然向かっています。
国際紛争で言えば、シリアを中心とする中東の混乱を、米ロも欧州諸国も、まとめる能力がないことは明らかです。
将来的には道義による政治をしている日本が出て行ってこそ、尊敬され、まとまる時代が来ると思われます。
米中ロ欧州・トルコ・クルド族、サウジ・イラン等々全ての関与者が、現地民のためを考えずに、自国利益誘導ばかり考えているから誰も信用出来ないし、利害で動く関与者が増えれば増えるほど利害が錯綜して混乱する方向になります。
正義の基準で解決するならば、参加者が多い方が文殊の知恵が出ますが、利害で決める場合、利害関係者が多くなれば複雑になるばかりでまとまりません。
利害がAB2者ならば足して2で割れば簡単ですが,上記のように利害関係が多くなればなるほどあちら立てればコチラ立たずで無理が出ます。
日本のように正義の基準で決めるしかない・・覇道政治の限界がその内分ってくるでしょう。
現地が長年の戦乱の結果、完全廃墟化して諸外国が介入するメリットがなくなってしまい、撤退した後で廃墟になった現地再興のために日本が最後に復興に手を貸す方向になるのでしょう。
カンボジアの戦後復興でも、荒し回った中ソは地雷など放りっぱなしで知らん顔で、日本人が黙々と地雷撤去や法制度整備に協力してきました。
一方で中国は産業支配に向けての協力・資本進出?は盛んで、今やカンボジャは中国の鼻息をうかがわないと何も出来ない状態です。
目先の利益ばかり追及している国々は短期的には奏功しますが、その内信用を失って行くでしょうから日本はゆっくりと正しいと思うことだけしていれば良いことです。
この地道なやり方が戦後70年も続いたので、(本当は戦前も同じでした)今や日本の信用が絶大になってきました。
TPP交渉に限らず日本に頼れば頼よるほど日本の存在が大きくなって行くばかりですし、世界中が日本と仲良くしたいと言う競争状態になっているので、アメリカが多数諸国の声を無視出来ないし、アメリカ自身何かしようとすると日本の信用を利用するしかなくなってきます。
アメリカはTPPが発効すれば思うように支配出来ると思っていたでしょうが・成立交渉の経過を見れば分るように、弱小国はアメリカの自分勝手な運用が怖いので何かと運用段階で日本を頼るしかなくなります。
中国は日米主導の国際金融機関で肩身が狭いので独自にIIBを作り肩をイカラせていますが、除け者の集まりになりかねないかと言うところです。
従来中国を頼っている国は世界の除け者になった独裁者や人権侵害の酷い国ばかりです。
AIIBに西欧諸国が雪崩を打って参加したのはちょっとした驚きでしたが、欧米諸国には正義の基準がなく目先の利益打算だけで動いている点については後で書いて行きます。

高齢化と社会保険の赤字9(矛盾報道の害)

新薬や高額機器に対する保険適用が増えて来た結果コストが上がり、あるいは一定額以上は無料にしたり、貧困者の負担を軽くするなどを決めれば、その分それに対応して一般の保険料を上げるべきであって、これが政治的に無理ならば・・国民が同意していないと言うことですから、シビアーに言うと国民意思に反した決定をしていることになります。
「保険料値上げはイヤだが税金で賄うなら良い」と言う意見が論理的にあり得るのかも知れませんが、負担名目が違うだけで最終的には国民負担になる点は同じです。
税なら法人税、固定資産税その他が含まれるから自分の負担率が低くて得だと言うのでしょうが、(可哀相な人を救うのはいいが自分が負担するのはイヤと言う気持ちが背景にあります)結果的に公的施設・文化振興などの整備に回る費用がその分減少するので、国民が薄く広く負担する点は同じです。
ただ、朝三暮四の故事と同じで、目の前で自分のお金が出て行かなければ良いという気持ちもあるのでしょうか?
とは言うものの高額医療に対する保険適用を認めて行きあるいは、可哀相だからと免除対象を増やして行くと、増やした分だけ保険料を上げない限り保険は赤字になるしかありません。
かと言って赤字だから明日から保険給付出来ませんとは言えないので、赤字分は踏み倒せないし、実際に踏み倒していませんので、国税で補填しているので赤字とは言うもの収支は均衡している筈です。
赤字、赤字といつも騒ぐので大変なことになっている印象ですが、経理的に収支均衡しているに決まっているので、収入源が保険掛け金だけか国税によるかの違いです。
国税からの収入分を赤字と騒いでいることになります。
保険赤字が如何にも悪いことのように言う意見は、保険は保険収入だけ賄うべきと言うに等しい論理です。
民間ならば当然条件ですが、公的保険の場合、保険料が保障額比例ではなく収入差による掛け金設計ですから、収入の基礎からして経済合理性を無視しています。
支出の方も掛け金に関係のない病種によって、負担率の差を付けるなど、その他各種優遇措置の積み重ねですから、収支計算のときだけ保険論理を持って来て均衡させろと言うのは無理があります。
赤字と言っても実際には収支均衡していて、収入が保険料だけで賄っていない=不足分=税投入と言うだけですから、不足の原因が社会福祉政策によるならば、その分に税を投入するのが何故赤字と言い、悪いことのように言うのか分りません。
公立小中学校の経営を独立採算にして、税を投入しているから赤字を何とかしなくてはならないと言っても笑い物です。
元々税で負担すべきものは税で負担するのが当たり前のことでこれを赤字とは言わないでしょう。
赤字のうち保険制度に関係ない、福祉政策分は税で見るべきですから「赤字」の中身の分析が必要でしょう。
赤字のうち,保険料をアップすべきものをしない分は保険設計者の怠慢・ミスですし、政治決定で貧者の保険料を下げたり高額医療費の自己負担を下げているならばその分は税で見るべきです。
税で見るべき保険赤字=税投入であるとすれば、これを何とかする必要があると言う意見は、税投入をなくせと言うに等しいでしょう。
何かあると可哀相だと言う報道ばかりで誰も反対出来ない状態・・やっと保険適用が認められたと言う・・如何にもこれまで適用が認められなかったのが遅れた状態であるかのような報道を繰り返していながら、他方で保険赤字を批判する矛盾したマスコミ論調は、子供のわがままを大人が言っているような姿となります。
マスコミは中立であるべきですから、相対立する主張を併記しても良いのですが、併記ではなくある場面では患者家族の苦労を報道してやっと高額医療に保険適用が認められて良かったと言う前向き記事ばかり連載しておいて、かなり経過してから、赤字論を展開する・・このときは社会保険庁の役人がだらしないと言うイメージ記事中心になっていて政治的決定による本来の赤字の原因を全く書かない・・これでは両論併記ではないでしょう。
中立→併記するならば、高額医療の自己負担減額を認めるかどうかのときに「これを認めると国民負担が年間これだけ増える」と言う紹介こそが必要でしょう。
上記のとおり保険の赤字とは殆どが国税注入の言い換えですから、保険の経済原理を離れた社会保障コスト(生活保護者の無料化や障碍者の無料化などなど・・透析コスト)は税で負担すべきであるとすれば、赤字批判=税投入批判ですから、一方で税投入するしかない免除決定に賛同しておきながら、赤字解消=税投入反対の議論自体が矛盾です。
赤字論は透析などの高額医療に保険適用を認めるかどうかの議論のときに紹介すべきです。
赤字分がよくないと言うことは税投入が良くないと言う言い換えですから、収入源のうち税投入をやめるならば、保険料の増額しかないし、これもイヤならば、支出を抑える・・高度医療の適用を否定し高額医療の負担減免措置等をやめるか縮小するのどちらかはっきりした両論併記すべきです。
今の赤字論は、・・「可哀相だ」と言いながら、自分がお金を負担することを嫌がって「赤字,赤字(税投入いや)」と言っているに過ぎません。
マスコミは国民がわがままなので仕方なしにそのとおり矛盾した報道をしていると言うのかも知れませんが、それならば、同時に矛盾記事を載せるべきです・・そうすれば国民はどちらが良いか合理的判断をすることが出来ます。
これをしないのは、マスコミが中立義務を放棄して一方(可哀相論)への肩入れをしているからではないでしょうか?
「高額医療の免除を認めるとその穴埋めがどうなる」と言う子供でも分る論理を報道しない・・見ないことにしていても支出が増える一方ですから、赤字が累積して行くのは当然です・・。
その辻褄合わせに「高齢化が原因だ」とすり替え合唱している姿になります。
マスコミが合唱していて異論が全くないときには、大方怪しいのが普通です。

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC