利害調整不全9(自治体と国の権限分掌)

9月9日の地域エゴ競争2の続きであり、July 6, 2020 12:00 「利害調整不全8」(地域エゴ野放し3)の続きです。
国政段階で反対の選挙運動をした結果惨敗して国会審議で反対が否定されたのにその後、その法律具体化のための現場工事段階で場外乱闘のように妨害するのは、民主主義政党としてルール違反ではないか?の疑いがありますが、これをできないように法改正すべきという意見が自民党から全く出ないのが不思議です。
成田空港や高速道路原発などなど相次ぐ自治体反対運動の結果、民主主義と地方自治の関係が問われるようになって久しいのに、抵抗政党の主張(中ソ陣営との競争力を削ぐことが主目的に見える)に親和性を持つ大手メデイアや政治学者が、意図的に放置して?この重要なテーマを一向に取りあげようとしないで半世紀以上経ちました。
選挙を通じた民意によって日米基軸体制が選択され、これに適合すべき政策の実現を採用するのは民意実現そのものです。
政府中央が合法的に決めた国策であっても、現地工事になると地元自治体が例外なく拒否権を持つ制度設計になっているからこのような国策実現反対運動が効果を持つようになったように思われます。
しかも、9月9日に書いたように、地方自治体特に県単位になると中央施策に「ともかく反発する」のがかっこいいような風潮が広がってきました。
この風潮にのるパフォーマンスが〇〇ファーストのスローガんであり、地域政党の乱立でしょうか?
小は、韓国や、フィリッピン大統領のように反日や反米を唱えても、超大国が大人気なく懲罰行動に出ないのをいいことに、超大国に反抗する素ぶりを見せて、民族感情を煽り政権浮揚の基本にする国があります。
(実は超大国はむき出しの武力を使わないだけで相応の報復をする能力をもっているので実は大きな国益損失になっているのが、普通です。・・)
上司の悪口を言っていても、露骨な左遷がないとしても何かと上司に厚遇されないことは確かでしょう。
この逆があって、日頃からお中元お歳暮を滞りなくしたりするのです。
地域大国の場合、口先反抗でなく、本気で周辺小国に勢力拡大していこうとする実力行使を伴いますので、世界の無秩序化が進みます。
中東のトルコ、イラン、ロシア、中国等の地域大国・例外なく独裁的強権支配が特徴・・ごり押し的勢力拡大期に入ってきましたが、これが行き着くところ世界が日本の戦国時代のようになり、お公家様のように「暴力はいけません」と眉をひそめるだけ・・平和愛好などと言っていても押し潰されるだけのことでしょう。
国内でいえば、杉並ゴミ戦争の時には文字通り権力を伴わない住民地域エゴでしたが、20年9月8〜9日に地域エゴと首長の〇〇ファーストのテーマで一部書きましたが、地域権力を持つ地域エゴが過ぎてくると権力の遠心力が働きます。
世界平和より地域大国の強引がのさばるのと同様に、国内でも地域権力を盾になんでも反対を始める国家の統一が成り立ちません。
米国が世界の警察官でないと言いだして世界平和の守護者の役割を放り出したように中央政府が国内統治権を放り投げたりできません。
私の思いつき意見ですが、政府決定にランクをつけて例えば、Aクラスについては地元に工事許認可権を政府に保留するなどの例外制度を設けるべきです。)
地方自治と中央政府の関係ですが、中央政府が決めた政策の場合、そのために必要な工事その他を政令で決めるとそれについては地元自治体の許認可事項でなく中央政府が直接行うとすれば良いのでしょう。

憲法
第九十二条 地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める。
第九十三条 地方公共団体には、法律の定めるところにより、その議事機関として議会を設置する。
○2 地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する。
第九十四条 地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理し、及び行政を執行する権能を有し、法律の範囲内で条例を制定することができる。
第九十五条 一の地方公共団体のみに適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意を得なければ、国会は、これを制定することができない

上記の通り憲法の直接的縛りは95条のみであって、その他は地方自治の本旨に従いさえすれば法で権限分掌できることです。
リニアーであれ、自衛隊基地設置工事であれ、特定自治体だけの特別法ではありません。
現在の地方自治体の許可権限濫用は、杉並ゴミ戦争を巨大化したもので目に余る・放置できない段階に至っていると見るべきでしょう。

あいちトリエンナーレ不自由展に関する専門家意見と民意乖離9
  (表現の自由市場論18と世論軽視論の矛盾10)

京都弁護士会や東京弁護士会の論理構成は、表現の自由と公的施設利用(あるいは補助金支給)基準問題とは次元の違う問題であるのにあえて?これに触れず、「表現を萎縮させる効果」を言うのは、いかにも憲法で禁止する検閲類似行為があったかのような誤解を招く(ための意図的ずれ?)主張ですが、公的施設が使えなくとも検閲に当たらないばかりか、芸術表現に萎縮効果は出ません。
ほとんどの平均的作家は、公的企画展に出品できなくとも、人権重視論者の金科玉条としている自由市場で腕を磨いています。
公共美術館の企画展などで出品できる現役作家は、むしろ限られているのが現状でしょう。
不自由点に関する報道の限りでは自由市場で相手にされていない作家+日韓対立系の韓国主張に焦点を当てる試みのように見えます。
最終判断権を芸術家に委ねるべきとの主張は、芸術系の実績のない津田氏を芸術監督に任命して作品取捨選択権を(政治的主張)を与えてきたのと矛盾します。
企画=作品選択経緯に関するウイキペデイアの記事を引用します。

2017年7月18日、あいちトリエンナーレ芸術監督選考委員会[注釈 2]は、あいちトリエンナーレ実行委員会に対し朝日新聞論壇委員[31] の津田大介を「バランス感覚に優れ、また、情報を整理する能力にも長けていることから、いろいろなアイデアや意見を取り込んで、トリエンナーレを創り上げることができる」などの理由から芸術監督として推薦し[32]、同年8月1日に津田は芸術監督に就任した[30]。実行委員会の大村秀章会長(愛知県知事)は津田に「とんがった芸術祭にしたい」と委嘱状を渡した[33][
津田は「芸術監督に与えられている権限は大きい」と決定権を握ると学芸員が提出してきた作家を「ピンとこない」と退けて陣頭指揮を執る[35]。津田は話題性を集めるため「ジェンダー平等」を仕掛け「日本初」を目玉にした宣伝活動を展開する[35]。2019年3月27日、津田は記者会見を開き、国内外79組の出典作家を「男女平等」に選考したと発表して「あいちトリエンナーレ2019」を全国紙で紹介させることに成功する[27][36][37]。また、あいちトリエンナーレで恒例となっていたプロデュースオペラを廃し、音楽プログラムを新設して[38][39]、ニュースサイト「ナタリー」で津田の共同創業者を務めた大山卓也[40] をキュレーターに任命した[41]。津田の芸術監督就任を批判したオペラ歌手の畠山茂に対して、津田はツイッターで以下の反論を行っている[42]。

こんな僕ですが一応文化庁主催のメディア芸術祭で新人賞なるものをいただいた経験もありまして、その審査した人たちや、芸術監督を選出したあいちトリエンナーレの有識者部会(アート業界の重鎮多し)をみんな敵に回す発言になりますけど、大丈夫ですかw

2019年3月27日に「表現の不自由展・その後」の企画を決定。津田は企画の意図について、あいちトリエンナーレのアドバイザー東浩紀(表現の不自由展を巡る混乱の責任を取って8月15日に辞任)との対談で以下のように説明している[43]。
公立美術館で撤去されたものを、『表現の不自由展』という展覧会を持ってくる体(てい)にして全部展示してやろうというそういう企画で。おそらくみんな全然気づいてないけど、これが一番やばい企画なんですよ。おそらく、政治的に。

津田芸術監督の経歴をウイキペデイアで見ると以下の通りで芸術系の経験皆無・・どちらかというとパフォーマンスに優れているので大手メデイアに重宝されてきたように(もともと知らない人なので以下のウイキペデイアをちょっと読んだだけの印象ですが)推測されます。

津田 大介(つだ だいすけ、1973年11月15日 – )は、日本ジャーナリスト

概要[編集]
東京都北区滝野川出身。父親公男は社会主義協会派の活動家で、日本社会党(現:社民党)の副委員長高沢寅男の議員秘書も務めた[2]。しんぶん赤旗にて、中学生時代に「赤旗」を読んだことが「物書き」になるきっかけとなったと述べている[3]
・・・1年間の予備校生活を経て早稲田大学社会科学部と明治大学政治経済学部に合格し、早稲田大学を選択した[4]。就職活動では出版社を志望するもすべて面接で落とされ、卒業後はパソコン系編集プロダクションのアルバイトとしてライター活動を開始する。1999年に会社設立[5]。
2000年代
2002年、個人運営ニュースサイト「音楽配信メモ」(ブログ)を開設。
2006年、株式会社ナターシャ設立・取締役( – 2014年7月)。
2006年 – 2008年、文化審議会著作権分科会において複数の小委員会で専門委員を担当[10]。
2007年、Twitterアカウント(@tsuda)を開設。
2007年、小寺信良(コラムニスト、AV・音響機器評論家)・白田秀彰(法学者、法政大学社会学部准教授)らと共同でインターネット先進ユーザーの会(MIAU、現インターネットユーザー協会)を設立。現在、一般社団法人*インターネットユーザー協会(MIAU)代表理事。
2008年 – 、特定非営利活動法人情報通信政策フォーラム(ICPF)副理事長( – 2014年3月)
2008年 – 、デジタル・コンテンツ法有識者フォーラム設立・発起人。
2008年 – 、コンテンツ学会設立・発起人。
2008年 – 、特定非営利活動法人ブロードバンド・アソシエーション「P2P関連問題研究会」委員

2000年代の経歴を一見すると次々と誰かと〇〇組織を立ち上げてきたことが分かりますが、(短期間にいくつもの組織立ち上げで同時並行で何ができるの?と言う疑問があり、組織実態が不明です。
名刺にはいくつもの肩書を書けるでしょうが・・。
名称で実態が分かるのは政府系委員会の専門委員になったというだけですが、それも任期2年一回でお払い箱?のような印象です。
この経歴を見ると、シールズを立ち上げた奥田愛基氏の経歴と酷似しています。
時間軸でいえば、津田大介氏の成功例をなぞってメデイア界が、10年遅れで次世代育成の思惑で過保護にデビューさせたのが奥田氏だったような印象です。
津田氏の過去発言内容等を知りませんが、朝日新聞論壇委員になっているところを見ると、多分朝日新聞系の期待する気の利いた「とんがった」発言でモテはやされてきたのでしょう。
芸術監督になる直前の2010年代の経歴を明日引用します。

あいちトリエンナーレ不自由展に関する専門家意見と民意乖離8(表現の自由市場論17と世論軽視論の矛盾9)

ウイキペデイア引用続きです

表現の不自由展」展示中止に関する論説[編集]
新聞各紙はテロや脅迫で表現の自由を奪う行為に対しては厳しい批判で一致していたが、主催者側の落ち度については論点が分かれた。
いちトリエンナーレを後援している朝日新聞[123] は、8月6日に社説で「一連の事態は、社会がまさに「不自由」で息苦しい状態になってきていることを、目に見える形で突きつけた。病理に向き合い、表現の自由を抑圧するような動きには異を唱え続ける。そうすることで同様の事態を繰り返させない力としたい。」と掲載し、不自由展に否定的な世論への批判を行った[
産経新聞から「非常識な展示会に批判が相次いだことは、国民の常識感覚の表れである。それを「『不自由』で息苦しい状態」といい、「病理」とまで断じる感覚はおかしい。」[125]。「慰安婦像などに対して芸術作品としての妥当性には踏み込まず、表現の自由の議論に持ち込むことを避けている」[126] などの批判が行われた。
読売新聞は「展示作品が物議を醸すことが予想されたのに、反発を感じる人への配慮や作品の見せ方の工夫について、検討が尽くされたとは言い難い。」「結果的に、脅迫を受けて展覧会を中止する前例を作ったとも言える。その事実は重く受け止めなければならない。」[129]、企画者は「表現(本来的に謙虚な営みであって、最初から表現相手に対する敬意を前提にしている)」と「主張(一種の自己拡張の行為であって、根本的に相手に影響を与えて変えようとする動機に基づいている)」という言葉を取り違えている[130] などの批判を行った。

朝日、産経、読売それぞれの日常的スタンスを反映する主張になっています。

「表現の不自由展」に対する評価[編集]
日本美術家連盟は・・実行委員会の運営手法を批判し、『対立を避け、平穏でフラットな空間を「公共」に求める流れに対し、愛知県が一歩踏み込んで、受け入れる「表現」の幅を広げようとした姿勢は評価できるものです。しかし、この展示に対する反応の大きさを見誤り、足元をすくわれ、結果的に「表現」の側に立つことの困難を印象づけることになりました。』と評した
日本共産党はあいちトリエンナーレ2019を「いまの日本に横たわるゆがんだ歴史認識、憎しみや差別をあおる勢力をあぶり出すとともに、それに抗し内外で連帯する姿を示した意義は大きい」と評した[182]。
林道郎上智大学教授は「表現の自由という概念が人々に内面化されていないことを痛感した」と述べ、欧米式の自己主張を重視する教育が行われていないことに原因を求めた。また、抗議の背景には「日本が経済大国でなくなりつつあること」を指摘し、「自己と国を重ねている人には耐えがたいのだろう。だから国の方針に反する存在に不満をぶつける」と分析した[

美術家連盟は運営手法に問題があったという程度でお茶を濁し、共産党はいつもの通りであり林道郎上智大学教授は昭和40年代まで一般的だった「欧米に比べて日本の民度のが低い」という決まり文句での評価です。
こういう決まり文句しか言えない人が大学教授をしているとは不思議ですが、他にもいろんな意見があるはずですが、この程度にまとめるのはウイキペデイア編集者のレベルなのでしょうか?
ところで、この騒動で誰が得したかの分析が重要です。
この騒動の結果、韓国の立場を代弁する運動家が今後公的(制作費)補助を受けて自由に使えるようになったのか?
ウイキペデイア引用続きです。

8月26日、韓国のソウル大学校日本研究所のキム・ヒョジン教授は慰安婦像を再展示するための戦略として「日本の少女像に対する反発を指摘するよりは、『表現の自由』の問題を浮き彫りにすることが、さらに訴求力のある戦略」と分析した。「少女像を強調すれば強調するほど、むしろ平和の少女像を口実に展示会を攻撃する日本国内の嫌韓論者に反対根拠を提供するのではないか、熟慮する必要がある。」「日本の市民社会は依然として『検閲』に対して強い反感を持っていて、これは重要な連帯の根幹になりうる」と報告を行った[
京都弁護士会は「公権力が、表現内容に異議を述べてその中止を求めることは、表現活動に多大な萎縮効果をもたらすものであり、到底許されるものではない。」と会長声明を発表[189]、同月29日には、東京弁護士会も「公権力が、表現内容に異議を述べてその中止を求めることは、表現活動に多大な萎縮効果をもたらすものであり、到底許されるものではない。」
愛知県弁護士会が「公共の場における多様な表現の保障は、民主主義の意見形成の過程を支えていくために不可欠であり、多数意見と異なる少数意見の表現、特に時の権力者の意見に反する少数意見であっても、多数派の意見と同様に最大限の保障がなされなければならない。」「河村市長の発言と行動は、行政庁の長である市長が企画展の展示物である表現の内容に対して異議を唱え出品者の表現行為を止めようとするものであり、憲法21条2項との関係において適切さを欠くものである」
河村は「名古屋市民の多くにとって、激しい嫌悪感・不快感を催し、国民感情に著しく反すると思われる作品群に対し「便宜を供与」(公共施設の使用許可等)し、公金(愛知県民税・名古屋市民税・国税)を使うことが著しく不適切であると考えられるがゆえに、その「(展示の)中止を含めた適切な対応」を求めたもので、「中止そのもの」を求めた訳ではありませんし、個々の作品の「表現の規制」を目的とした行為ではありません」と反論を行った。

韓国側は今後検閲論の土俵で(親韓派系とは書いていないですが、)弁護士会等が頑張れば、今後日本政府資金で慰安婦像製作し展示する道が開けたと期待しているようです。

表現の自由市場論9

韓国の慰安婦像は反日政治プロパガンダ道具そのものと私は思っていますが、それを特定集団が牛耳る団体が芸術品と銘打てば、その「制作費等を日本政府が費用を出すべき 」と言える根拠が意味不明というのが多くの国民の声ではないでしょうか?
私個人意見と国民の声と一致するかは不明ですが、それを決めるのが自由市場ではないでしょうか?
補助金が必要・自由市場で買い手が出ないということは市場評価が低いからではないでしょうか?
現在のように教育界、学会、芸術諸団体の主流派でその集団意見を牽引している支配勢力が、後世のために公費買い取り、あるいは補助対象を決めるということは、結局現在主流派に認められている作品となりますから、主流派の考える作品を市場がさっぱり評価しない思想や作品に過ぎない・・そういう組織は外部批判を無視しているうちに自浄作用が衰え独りよがりになっている傾向がありそうです。
主流派作品が市場で評価されない場合、謙虚な反省が必要です。
自由市場で生き残れないが民族の伝承すべき伝統芸能の場合でも、急激に動員客数が減ってくると補助規模縮小して一定数だけ絶滅危惧種的保存するなどの判断(これもどれだけどの規模で保存すべきか=予算をつけるかを芸術家が決めるのではなく政治判断.民意です)が必要になってきます。
伝統工芸品製作者の継承問題同様で、産業として保護するのではなく継承者保存育成等の分野です。
現代美術界の場合、やはり現在人が自由市場で受け入れない芸術?はそもそもまだ現代美術の仲間入りできていないと見るべきではないでしょうか?
芸術家の卵育成期間超過後まだ未熟な人材を転進させるか、もう少し面倒見るかは身内が考えることではないでしょうか?
〇〇界主流が公認する芸術や主張を社会が認めない→逆切れした場合、より一層独善思想に凝り固まる・・旧社会党が教条主義政党化して行った軌跡ですが、中には社会が認めない不満を暴発する・・テロ等に走る集団と不自由展のようにリベンジ行動に走る柔弱集団に分かれるのでしょうか。
愛知トリエンナーレ展擁護者も批判者もゴッホの例を出すのは、主流派が認めている優秀作品なのに国民が受け入れないのは自由市場構成員・国民の無知蒙昧によるので、市場(消費者)に任せられない・・国民教育の必要があるので公費補助すべきと言う意味が含まれているとすれば「倒錯していますが)論理一貫です。
左翼系団体内では疑問の余地ない正当な意見なのに、国民が認めないのは国民レベルが低いからだ・国連委員会お墨付をもらって、国内街宣活動という動きが盛んでしたが、その一種でしょうか?
「不自由展」とは、何が不自由か?ですが、各種運動家が例外なく出してくる十八番(おはこ)の「自由市場論」を唱えながら(誰も購入してくれないだけでなく、発表の場さえ拒否され食べていけないので)発表の場と制作費補助を与えてやってくれ(与えろ!)という最後のあがきでしょうか?
しかし自由市場論とはそのような状態に追い込まれるものは、市場から退場すべきが基本原理であり、食えないものを援助する必要はありません。
ラーメン屋であれ寿司屋であれ、材料費を買えなければ廃業すれば良いことで国費で支える必要がありません。
必要なのは適正収入を得られる職業(正業)に導く職業訓練分野です。
そこでゴッホの例を出すのでしょうが、これまで書いているように現在成功者が将来自分らより高評価を受ける対象評価審査するのは自己矛盾・・破綻論理です。
将来評価を現在主流派がするのは論理的に無理だし、現在競争力ないものは退場すべき論に対抗できません。
愛知トリエンナーレのように国民が受け入れないだけでなく発表の場もなくなりそうだという危機感から公費で制作補助すべきだ・その対象を決めるのは自分達だという意見は、エリートと国民の格差・自由市場論を心底本音では馬鹿にしていないと成り立たない論理のように見えますが・・・。
もしかして、自由市場でさっぱり評価されず(作品が売れない、音楽でいえば演奏会切符がほとんど売れないような)クリエーターばかりが組織内侵蝕して主流派になっているのでしょうか?
そうであれば理解可能ですが、売れっ子作家や売れっ子ライブ等のプロが仲間内で売れない作家の制作費を公費で行うための救済選考会のようにも見えます。
売れっ子が忸怩たる思いでいるならば、自腹を切って〇〇会で後進育成のための基金積み立てすれば良いように見えますが・・。
あるいはスポンサーを募って〇〇賞のような賞を作れば良いことで公費を求める必要がないでしょう。
入賞内容が低ければスポンサーがすぐ辞退してしまうでしょうが、そこに審査の質に対する自由市場が働きます。
彼らが自分の創作活動が低劣で後世に残らないと自覚していて、芥川賞候補にもならないような作家の方が実はすごい・・院展などに入賞さえできない低評価の絵が、いま自分たち審査員の眼力が低いだけで、将来ゴッホのように高評価受けるはずと心から思っているとすれば喜劇的仕組みです。
自由市場論のまやかし性を愛知トリエンナーレ展を事例にして書いてきましたが、
自由市場論とは何かの解明こそ、プロ思想家が挑戦してじっくり解明すべきテーマではないでしょうか?
「平和を守れ」という決まり切った思想?発表などしている暇があれば、「ちゃんと本業に励んでくれよ!」と国民が不満を抱いているのではないでしょうか?
そういう怠慢系学者が一流大学教授であり続ける・それを守っているのは大学自治という障壁です。

豪華クルーズ船対応批判9(米国の対応3)

一応のセオリーをあらかじめ決めていてもいざという場合、環境に合わせて臨機応変にやるしかないことが多いのが実務というものですから、批判するならばルール通りかどうかだけではなく、臨機応変に手順を変える必要があったか、その変更が合理的であったか否かではないでしょうか?
日本のクルーズ船対応批判論にはそうした具体的批判がなくCDCルール違反というだけの形式批判が多かったように見えるのが不思議です。
日本のように検査=陽性が決まった順に下船させ入院させるのではなく、米国の場合陽性が決まった人を寄港地が決まらない理由で船内隔離のまま4日間も放置していたのですから驚きです。
米国の場合3500人全員でなく陽性判明者はわずか21名ですので、米国得意の空輸で簡単に運べたはずです。
昨日紹介記事では陽性判明者21名中19名は乗員でしたが、彼らについては、着岸後も入院させず最後まで船内にとどめていたままらしいのも不思議です。
仮に彼らの入院治療をしない予定であったのであればその他陽性者は2名しかいません。
2名しか出なかった乗客=陽性患者だけでもヘリで地元病院へ何故空輸しないで船内に残したまま船の入港先さえ決められず洋上漂流に委ねていたのか合理性が不明です。
フィリピン人乗員を空輸するのが嫌だったから、まとめて放置したのでしょうか?
文春引用続きです。

なぜ、オークランド港が選ばれたのか?
地元の医療関係者は、ロサンゼルス・タイムズ紙で異を唱えた。
「ウエスト・オークランド地区には、昔から、声高に強く反対しない、低所得のマイノリティー層が居住しているからでしょう。
そんな理由で、オークランド港に寄港を決めたんだと思います」

グランドプリンセス号など豪華客船の寄港などで潤っている華やかな商業港が、いざ感染者が帰ってくるとなると、着岸自体を拒否していて、4〜5日後に近隣の貧しい人が多く住む港にようやく入港着岸できたということです。
米国感染拡大の基礎に大規模格差があると注目され始めましたが、経済格差に伴う一種の不正がいろんな場面で広がっていたようです。
金持ちの声ばかり大きく、貧乏人は声を上げられない社会の鬱屈が、今回のミネソタ州での黒人殺害に対する全国規模の不満の発火点になったのでしょう。
文春レポート引用に戻ります。

約2400人乗客「全員下船」はダイヤモンドの教訓か
無事寄港した「グランド・プリンセス号」だったが、「ダイヤモンド・プリンセス号」とは違い、まず最初に、寄港後、乗客全員を下船させることとなった。これは、乗員乗客を船内で検査し、船内で隔離したために船内感染が発生、697人の感染者と7人の死者(3月13日現在)を出した「ダイヤモンド・プリンセス号」から得た大きな教訓かもしれない。
しかし、CDCは、単に、医療ガイドラインに従っただけとも考えられる。
ニューヨーク・タイムズ紙によれば、医療ガイドラインでは、感染している可能性がある乗客は船内で検査せず、下船させることが推奨されているという。「ダイヤモンド・プリンセス号」は医療ガイドラインを無視して、船内で検査を行ったことが問題だったというのだ。
「グランド・プリンセス号」の場合、医療ガイドラインに従ってか、乗客のウイルス検査を船内ではなく、下船後に搬送される場所で行われることになった。
2400人は「病院」「ホテル」「米軍基地」に振り分け
下船した乗客は体調により、搬送される場所が振り分けられている。
まず、体調が悪い乗客は病院に搬送された。病院で治療を受けて退院した人々は、いくつかのホテルに振り分けられ、14日間の隔離に入ることになる。
感染しているかは不明だが、病院での治療までは必要がない軽い体調不良を見せている24人の乗客は現在ホテルで隔離されている。ホテルは、一般客が宿泊するところからは分離されているので安全だと州知事は説明している。
体調に問題がない乗客は、4つの米軍基地の施設に振り分けられることになった。乗客の大半を占めるカリフォルニア州の住民は州内のトラヴィス空軍基地かミラマー海軍基地に、それ以外の住民はテキサス州の基地とジョージア州の基地に送られて検査を受け、14日間の隔離に入っている。
外国籍の乗客はチャーター機で自国へと送還されることになった
船内では「牛のように並んで順番を待っていた」
下船作業はスムーズに進んでいるとは言えない。寄港2日目の3月10日までに1407人が下船したものの、10日時点ではまだ1000人以上が船内に取り残されていた。
また、下船風景を見た乗客からは感染を恐れる声もあがっている。
「乗客がまるで牛のように並んで降りる順番を待っていたわ。みな1カ所に集められ、体が触れ合っている人もいた。タラップは渋滞状態だった。彼らは、チャーターバスに乗せられて行ったわ。それを見て、とても怖くなった。あれでは感染してしまうわ。あんな風に下船して安全ということなら、なぜ、私たちは5日間も部屋に閉じ込められていたわけ?」

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