財政収支と国際収支1

前回まで書いたように現在の日本の経済状態では、紙幣発行量や金利の上下では景気を良くすることもインフレにすることも出来ません。
国債発行残高の問題は、財政赤字あるいは国内総生産との比率の問題ではなく、対外的に日本経済が赤字体質に陥るかどうかだけが論点であるべきです。
財政赤字がいくらあろうとも経常収支黒字または対外債権残高の範囲内である限り内部の分配問題に過ぎず何ら問題がありません。
今朝の日経朝刊25ページ(約1ページ全部に近い大きな論文です)にも、経常収支黒字が後何年かで消滅して行くので、この対策として財政赤字の改革・解消・・国債残高の縮小→増税が焦眉の急であると経済専門家が書いていますが、経常収支黒字が消滅して赤字になった後に税収だけ上げても経常収支赤字が続いたのでは、日本経済が大変なことになる点は同じです。
日本経済が大変なことになるかどうかは税収と政府支出の問題ではなく、国際収支赤字になっても日本人がごっつく稼いでいたころの贅沢をやめられないかどうかにかかっているのです。
国際収支赤字が続いて生活水準を下げる必要があるならば、このときに税収を上げても仕方がないどころか、逆に税収も下げて行くしかありません。
税の基本が所得再分配(現金の分配だけではなく公共工事も地域格差をなくすなどその一環です)のためにあるとすれば、再分配基準を上げるためには政府収入を増税または国債で増やすしかありませんし、経常収支赤字をなくすために生活水準を下げて行くときには、・・即ち生活水準を下げて行くときには政府収入・支出も減らして行く・・減税ないし国債発行額の縮小であるべきです。
税収を増やしても国際収支が好転する訳がない・・むしろ法人税その他負担が重くなると国際競争力が逆に低下するでしょう。
日本や世界の学者が日本の国際収支の悪化が迫っていることを理由にして財政赤字の解消・増税すべきだという主張を何故こぞってするのか意味不明です。
私のように財政赤字と国際収支は関係がないという意見を見たことがありません。
日本経済が大変なことになるかどうかは国際収支次第とすれば、国債で資金を吸収するか税で吸収するかの経済効果の違いこそ論じるべきでしょう。
同じ資金を市中から吸い上げる場合、税で取る方が経済発展を阻害する効果が大きいのは明らかです。
国債は元々使い道のない余剰資金が預金に滞留しているのを吸収してこれを政府が有効活用することですが、増税の場合企業その他の有効投資・使い道のある資金まで含めて強制的に取り上げるので、経済萎縮効果が大きいのは明らかです。
国際企業立地競争の面で見ても、法人税その他の負担を重くすれば海外に逃げるリスクがあるだけで、高率の税を求めて日本に来たい企業は万に1つもない筈です。
これまで日本は欧米の増税要求(論説)に応じないで、国債で対応して来たのは正しい政策だったことになります。
日本の高度成長以来、日本を叩きつぶすのが究極の目標で来た欧米は陰に陽に如何に日本をつぶすかの研究に余念がなくいろんな要求してきますが、欧米の手先のような日本国内学者(これが殆どです)をこの際一掃すべきです。
国債も税も国内でやり取りしている限り資金循環では本質的な違いがないことをこれまで書いてきましたが、トータルで赤字になって来て海外から資金導入しないと国債を維持出来なくなれば問題です。
(ただしこれに見合う対外債権があれば別ですから結局は対外純債務国に転落するかどうかが岐路になります)
私は長年日本人は刻苦勉励して黒字を貯めて来たので、この辺で少し放出し(フローの収支を少し赤字にしてでも)て所得再分配資金を作り豊かな生活をした方が良いという意見を2012/03/19/「税収2と国債1」で書いてから、このシリーズを始めました。
とは言え、一旦贅沢すると簡単に生活水準を下げられないのが普通です。
経常収支赤字になった後さらには対外純債務国になっても、なお日本人はアメリカのように贅沢し続けるのか、実力相応に生活水準を引き下げられるのか念のために心配しておきましょう。
アメリカは貿易赤字転落後でもなお豊かな生活を維持するために貿易赤字を継続し、結果的に対外純債務国に転落してもまだ貿易赤字を続けています。
我が国でも経常収支が赤字に転落してでも、なお国債増発あるいは増税を繰り返し国民にお金を配って借金で贅沢を続けることがあり得るかに日本民族の命運がかかっています。
私がこのシリーズ(税と国債)を始めるにあたって、Mar 19, 2012 「税収2と国債1」で書いたことですが、過去に儲けても儲けてもその多くを貯蓄し続けて来た我が国民は、この際少し豊かな生活をするために税で所得の再分配すべきだし、増税が出来ないならば、「税の代わりに国債で資金回収して再分配してもいいのではないか」とする趣旨を書いたことに繋がります。
苦労して稼いだ果実を取るべき時期が来ている・・フローの収入以上の生活をある程度しても良いじゃないか・・・とする意見です。
この意見は、対外純債権の範囲で豊かになることであって、過去の蓄積を使い尽くした後でもなお借金してまで豊かな生活を維持すべきだと言うのではありません。
問題はその時点で生活水準を落とせない可能性が高いことです。
サラ金相談でもそうですが、苦しいからと言って生活水準を落とすのはかなり難しいのが現実です。
アメリカが対外純債務国に転落したのが1980年代ですが、その後30年前後もアメリカは貿易赤字の垂れ流しを続けています。
赤字を続けているということは、家計に置き換えれば収入以上の生活を維持しているということでしょう。

国債2と税の歴史7

国債発行残高の危険水準のテーマに入る前にもう少し税の歴史を振り返っておきます。
我が国の税の歴史を辿ってみると、02/13/06「利息3(出挙2)高利金貸しと税金の起源2」の前後で紹介しましたが、わが国では稲モミの貸し出しによる出挙から政府資金徴収が始まったように、古代には稲モミの利子徴収と税が未分化でした。
我が国では権力者には元々税を取るという意識がなかったし、国民も税というものを納めなければならない意識が育っていなかったように見えます。
その後イキナリ律令制が導入されて税観念(租庸調)が導入されたものの、国民性に合わないこともあって01/09/06「律令制の崩壊1(豪族のしたたかさ)」で紹介したように直ぐに消滅してしまい、明治維新・・版籍奉還まで約1000年間絶えて徴税していなかったことになります。
明治維新まで大名小名の取っていた税らしい物は、(5公5民・4公6民などの割合がありましたが・・)地代と区別のつかないものでした。
08/12/09「所有権保障の政治的意義2」や、08/10/09「大名の没落と西洋貴族1(所有権の絶対性1)」以下で、ココシャネルの映画を見た後の感想等でわが国の重層的な所有権観念の紹介をしましたが、明治民法制定までは、大名や武士の領主権は土地所有権と区別がつかない意識でした。
(ただし、徳川期の鉢植え・転勤大名になると意識が大分変わって来ていましたので大名でもいろいろです)
農民の方も大名小名・・その前の荘園領主・・から土地を借りて使わせてもらっている印象でしたから、地代相当の年貢を納めるのは納得し易かったでしょうが、商人の場合土地も使わないのに政府維持費がいるから負担しろと言われてもピンと来なかったと思われます。
こうした意識から言えば、農民以外から税を取る方法・・大義名分がないので、明治維新まではどうして良いか分らないままで来た感じです。
僅かに室町中期以降戦乱が続いたので商人が安全に市(いち)を立てられる対価として所場代をその土地の領主に納める仕組み・意識が発達しましたが、(国内治安が乱れたからこそ自然発生した原理・・中国古代に王が生まれたと同じ原理です・・)楽市楽座制によって所場代を取るのは非合法なヤクザ組織くらいの意識になって、納税意識が根こそぎなくなってしまいました。
「安全はただ」と言う意識の再定着です。
この点明治初期から始めた租税の金納性の実施・・地租改正作業は、日本人の租税納付意識を変革する革命的大事業でした。
地租改正作業は明治維新による社会の貨幣経済化変革の基礎をなすものとして、2009年秋ころから大量に連載していますので・・もしかしたらその途中で今のテーマに脇道は言ったままかも知れません・・関心のある方は地租改正で(新しくブログ形式になる前のコラムを)サーチして下さい。
この結果固定資産税その他各種の税を取ることが可能になったのです。
この点中国や西洋では、元々商業国家から始まっているので、ヤクザの胴元同様に王様は市場秩序維持機能と引き換えの所場代を取ること・取られることに馴れています。
証券取引所を維持するためにあるいは競馬場の経費を賄うために一定の参加料を払うことには誰も違和感がないのは今でも同じです。
宗教(キリスト教など)までこれに合わせて「10分の1税」などと言って応援していたのです。
今でも事業している人には馴染みが多いと思いますが、我々弁護士報酬を受けるときには、年間総収入にかかわらず先ず10%の源泉徴収を要求されていることに繋がっています。

ソフト化社会7(紛争予備軍1)

生活水準の向上により人格・性格がソフトになったばかりではなく、2月6日まで書いたとおりシステム的にも法的紛争が起き難い社会が構築されていますし、日本人は元々無益な紛争を好まないので、これからもっとこの種のシステムが発達する一方でしょう。
人間自体がソフトになって紛争が起き難い社会になっているのは、事故や事件を起こす年齢構成でも分ります。
交通事故でも刑事事件でも総数が激減しているのに、年齢構成別に見ると減らないのは中高年齢層の事件や事故ですが、彼ら高齢層が被害者になっているというよりは、彼らは昔ながらの荒い生活をしているので事件に巻き込まれ易いことを表しているのです。
この1年間に私が担当した刑事事件(交通事故等)を振り返っても、殆どが70代前後の人です。
(ある事件は70代前半の被告人と被害者も70代半ば・・交通事故の示談解決での脅迫事件ですが、これは60代の生活保護受給者です。)
世界中で若い年齢の犯罪が減ってるのに高齢者犯罪率が減らないのは珍しいのですが、我が国の場合、粗野な世代が長寿化の結果まだ生き残っていることから生じた現象です。
60代以上が何故そんなに粗野かと言えば、戦時中人を殺し合いして来た世代から直截影響を受けた世代がまだ生き残っているからと言えます。
今の40〜50代以降が6〜70歳代になって来ると(私の兄や姉の子供の世代ですから、戦後2代目です)世の中がもっと落ち着くでしょうから、上記の通り紛争未然防止システムの完備と相まって紛争事件は高齢者層でも今より更に減少する筈です。
紛争予備軍として残っているのは、生活水準が向上しなかった・・ソフト化に進化出来なかった、生活保護所帯すれすれ階層の事件ばかりです。
(離婚・少年・刑事事件・相続でさえすべてこの階層に集中しています)
相続は資産家の争いかと誤解している人が多いと思いますが、実際の紛争はどこかの統計に出ていましたが、遺産数千万円程度の階層に多いそうですし、私の実感でもそうです。
遺産数千万円あるいは1000万円あるかないかの親が死ぬと、この次世代は食うや食わず見たいな人が多い上に人間関係を円滑にするソフトが発達していないことから争いになり易い感じです。
離婚でもホワイトカラー階層以上になると話し合いで解決しているのが普通で、法的手続きまでは必要がないことが多いようです。
生活・知的水準が向上すると権利主張が激しくなってトラブル多発するのではなく、却って紛争に発展しないで処理する智恵が発達するのが、我が国社会と言えるでしょうか?
人の一生で言えばギャングエイジと言って自我が主張出来るようになった最初はソフトが発達していないのでもめ事を腕力で解決したくなる年代があります。
ギャングエイジ的な稚拙な社会を前提にすれば、権利があるのを知れば円満解決の智恵がなくてストレートに権利行使する社会となりますが、成熟した社会では自己の権利を守るために落ち着いて解決する智恵が生まれるのです。

ソフト化社会6(トラブル回避システム)

一般民事事件を見ても,いろんな分野でトラブル回避システムが発達しています。
アパート経営も今では金融会社の保証で貸すことが増えたことと不動産会社の管理に委ねていることが多いので、大家さんが個人で家賃不払いその他のトラブルに対して弁護士依頼することがほぼ皆無になっています。
自動車販売会社も,私が弁護士になった頃には車販売代金の焦げ付き回収→車の回収事件が多かったのですが、20〜30年ほど前からファイナンスが普通です(現金支払は皆無に近い)ので、リスク管理・訴訟は皆無になったと言えます。
今では修理のクレーム処理・・それも殆どクレーマー相手の相談が中心です。
ファイナンスと言えば住宅建設も住宅ローン建設が中心ですから、出来上がってからお金がないことによる言いがかり的苦情・トラブルは減りました。
建築やリフォームあるいはちょっとした大きな取引では支払能力があるのかないのか分らないで、受注するリスクが減ったのです。
「あなたは本当にお金があるのですか」とアパートを借りに来た人や家を建てたいという人から聞くことは不可能ですし、資産状況のリストを出してくれとは言えませんが、ローンや保証会社付きでしたら業者が客に求めたり品定めする必要がありません。
銀行や信販会社が自動的に所得証明その他の資料提出を求めるので、収入の不安定な人や過去に焦げ付きを起こしている人は契約段階ではねられてしまうのでリスク軽減が進んでいます。
その上,不動産取引は建て売りやマンションが普通になったので個人が自分で建築契約すること滅多にありません。
立て替えの場合個人が建築契約当事者になりますが、今は大手ハウスメーカー=既成品注文が多いので、実質的には販売契約に近くなっています。
建て売りやマンション業者関連の建設工事の不具合は、建て売り業者やマンション業者が、建設工事会社に要求する関係ですので,継続的受発注関係の中でおおむね処理されて行き、トラブルや訴訟事件になるのは継続関係の切れた場合の例外的現象になります。
このように社会システムの進展と(生活水準の上昇)人格のソフト化によって、我が国では訴訟事件がここ25〜30年ほど激減傾向にあります。
交通事故自体が減っている外に保険制度の発達で現在では殆どが保険で間に合いますし、交通事故が裁判になるのは私が弁護士になった頃に比べて、100分の1もないでしょう。

構造変化と格差7(不適応対策)

補助金に話題がそれていましたが、2011-12-19「構造変化と格差4」の続きに戻ります。
グロ−バル化=賃金の国際平準化進行」ですが、これまでみて来た構造転換を国別格差でみて行くと、高度産業への転換に成功出来ない国々は新興国の追い上げにあって、(海外進出する力もなく)じり貧になるばかりで新たな受け皿も造れず失業者が溢れるようになってしまいます。
最終的には、失業の増加→賃金の低下を通じて新興国と賃金水準・ひいては生活水準が同等以下になって落ち着くことになるのでしょう。
従来の先進国の中で大量生産工場が新興国へ出て行った後も国内産業の高度化に成功出来る国と出来ない国に分かれて行きます。
ホワイトカラーの次世代で高度化向きに転進出来るものと非正規雇用に転落するものとに分かれるのと同じ結果が国にも待っています。
私の知っている分野では、顧客企業のサラリーマンの息子が弁護士(今から弁護士が良いとは限りませんが・・・)になった人が、結構いますがそのたぐいです。
元2流以下の先進国、あるいは中くらいの国々で高度化転換するだけの技術蓄積が少ない国々は、国内輸出産業・工場が縮小して行く穴埋め産業が育たず、それまでの貿易収支のトントンないし黒字国から赤字国へ転落して行きます。
一家で言えば、大量生産分野で働いていたお父さんが失業ないし非正規雇用になっても息子がハイテク系であれば良いのですが、親子まで現場系だと厳しいことになります。
巨額貿易黒字による蓄積がない国が、失業対策として黒字国並みに介護、福祉、公共工事を増やして行くと、貿易赤字が拡大して財政破綻の方向に進むしかありません。
これがイギリスポンドの恒常的下落・ギリシャ、南欧危機の基本的経済構造です。
農業や漁業は何千年も最も多くの人口を養える産業でしたが、産業革命以降の上昇した生活水準で人口を大量に維持出来るのは、近代工業化した産業だけです。
(知財も多くを養えません)
農漁業収入のままで、生活水準を近代化した都市・地域並みに引き上げるためには、地域人口を減らして一人当たり所得を上げるしかありません。
人口流出により仮に人口を半減〜6〜7割減にしても都市並みの生活水準を維持出来ない・・産業革命以降の生活水準向上は2〜3倍以上・・中国の改革解放以前我が国と数十倍の格差があったことから分りますので、国内格差の場合はどこの国でも、近代工業化に成功した地域・都市部からの資金流入・補助金で平衡を保っているのが普通です。
日本でも東北や沖縄・四国・山陰その他過疎地は、今回のグローバル化の2周回(明治維新と戦後の高度成長)前の明治以降現在に至る農業主体から近代工業社会化への構造転換がスムースに出来なかった地域です。
上記は国内の一部ですので、近代工業化に転換できた地域・都会へ人口が流出して行き易かったので、構造転換出来なかった地方に残る人が減って行く・・これを過疎化と呼んでいます・・メリットがありました。
時代変化に適応出来ない以上は、転換出来ない人や地域の人口が減れば減るほど格差是正の補助金が少なくて済みます。
とは言え、来年予算案では一般的な各種補助金とは別枠の沖縄新興予算が2937億円にものぼる巨額(僅か1年でこれだけ出て行くのですから10年では大変な額になります)が、南欧諸国はドイツ等豊かな國は別の国ですので、簡単に人口流出・過疎化しない上に補助金ももらえないので大変です。

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