国際収支3(原発停止)

所得再分配資金についても同じで、政府がどの水準まで国民に生活保障すれば国際収支が均衡し、それ以上ならどれだけの赤字になると言う試算表が公表されるべきです。
学者も政府のお先棒ばかり担いでいないで、こうした国民が本当に知りたがっている研究発表を自発的にするくらいでないと存在価値がありません。
仮に生活水準が現状で国際収支トントン、今の1割アップで2割の赤字ならば、これ以上社会保障水準を引き上げないことが肝要であって、水準を1割引き上げてその資金源として国債を減らして増税しても収入以上の生活をしていれば、対外的な赤字は減りません。
日本経済にとって重要なのは生活水準をどの辺に置くかの議論であるべきであって、国債によるか税収によるかは全く関係がないことを、April 6, 2012「財政収支と国際収支1〜2」で国債が悪で税が善とする意見が誤りであることを連載しました。
現在での具体的な例で言えば、原発停止による燃料費の支出増でイキナリ貿易赤字体質に転落していますが、これに比例して電力消費減・節約が叫ばれているのは上記理論の無意識な応用です。
もしも現状の生活水準を維持したままで従来通り電力を使えば、貿易赤字が恒常的になるとすれば(その他輸出が以前よりも増えなければ)、第1の原因である電力消費を先ず減らすこと・・それでも足りなければ第2にその他の支出も減ら(結局は生活水準低下)して行かないと巨額貿易赤字が定着してしまいます。
これまでの生活水準は原発依存で成り立っていたのですから、これをやめる以上は、コストアップした分・・高価な電力利用・家計負担増加・・ひいては値段に応じた消費削減を求めるのは仕方のないことです。
(原発の方が火力・水力よりも総体的にコストが安いと主張しているのではありません。
原発の方が事故があったときの損害倍賠償や廃炉コストなど加えればトータルでは高いかも知れませんが、これまでこうしたコストを織り込まないでやっていたので外見上安く見えていたに過ぎませんが、外見上の安さに比べて高くなるということになるでしょうか?)
もしもこのままの電力利用の場合、対外収支としてはやって行けなくなる(巨額赤字が継続する)とすれば、家計負担を嫌がって国家で(補助金・・原資は国債もあれば税もありますが)負担しても、国際収支赤字そのものが減る訳ではありません。
以上の次第で、我が国の国債が資金ショートするとしたら稼ぎ以上の生活をすること・国際収支の赤字継続→外貨準備・対外純債権の枯渇が前提であって、国債発行残高の増減には全く関係がありません。
原油や天然ガス輸入拡大によるここ1年間の貿易巨額赤字が恒常化するか否か私には不明ですが、もしも恒常化するとすすれば赤字がなくなる程度まで生活水準を落とさない限り、日本は将来的にギリシャ危機のようなことになります。
具体期には、原発をやめることによってその比率・・仮に原発依存度30%だったとすれば国民が30%電力消費を削減出来れば、原発をやめることによる原油等原燃料の輸入拡大は起きません。
しかし、一律に30%削減すれば、生産活動も同率30%縮小する(画期的な省エネ技術の開発がない限り国内総生産は電力消費量にほぼ比例するのが現状です)ので国内総生産が30%縮小・・従来の輸出用生産が大幅減になりますので、結果的に従来通りの国際収支にはなりません。
と言うことは家庭消費用の電力を8〜90%削減して、生産用電力削減を10〜20%減(国内総生産も1〜2割減)程度にしなければ、経済が成り立たなくなる理屈です。
家庭用とは言え、8〜9割も削減したのでは文明生活とは言えませんので、結局その他の支出(果物その他嗜好品の輸入を抑えてでも原油等の輸入を増やすしかない)電気の方は最大でも従来の10〜15割減くらいにしたいものです。
(これでもかなりの不自由・生活レベルが落ちますよ!)
原発全面停止による原油等の輸入拡大分が仮に昨年1年間6兆円であったとした場合、それを元に戻せない・・仮に最大節約(風力・太陽熱等代替電力の開発・省エネその他で)努力しても半分(3兆円)しか減らせないとすれば、残り3兆円分の赤字を原油以外のどの部分の輸入をどの程度減らして収支を事故前の国際収支に戻すべきかを(いろんな)パターンに分けて(原発依存度をイキナリゼロにするのではなく徐々に軽減するパターンも含めて)研究しておく必要があります。
(原発事故前よりも車や精密工業品などの輸出を増やして原燃料の輸入増の穴埋め出来れば言うことがないですが、海外展開や韓国等の追い上げを受けて国内生産が縮小して行く速度を緩めるのがやっとで・・輸出増をこれ以上期待するのは無理でしょう)
赤字国債を税に切り替えても国債収支の改善には何の解決にもならない・役人の自由度をどれだけ増やすかの議論が政治の主要テーマになっていますが、今はそんなことよりは、原発をやめる・あるいは徐々に縮小して行くとしたら、どの程度まで生活水準低下を国民が受入れられるか、輸出増努力と生活水準低下で穴埋めし切れないで残る貿易赤字をどうするかの研究・・活発な議論が必要とされているのではないでしょうか?

国際収支と財政赤字2

(昨日)7月22日に書いた結果分ることは、政府支出を税収で賄うか国債で賄う(財政赤字)かによって国際収支が赤字になったり黒字になったりする関係にない・・税と国債の収入源の違いは内部分配問題に過ぎないということです。
「財政赤字が累積すれば大変なことになる」かのようなムード的マスコミ報道は論点のすり替えであって危険な世論誘導です。
(その結果殆どの国民は「このままではギリシャみたいなことになるので増税は仕方がないか・・」と思うようになっています。)
財政赤字と国際収支赤字とは全く別物ですが、ギリシャや南欧諸国危機では財政赤字と国際収支赤字がたまたま一致しているだけのことで、我が国には当てはまりません。
日が照っているときに火事があった場合、火災の原因が日照によると報道したら笑いものではないでしょか?
南欧危機は我が国とは全く違う局面なのに外形が似ていることだけを理由にマスコミは増税路線に協力するために危機感を煽っていることになります。
実際に南欧と我が国は似た問題ではないどころか逆の関係であることは、ギリシャ南欧危機局面で我が国の円が連れ安にならずに逆に急騰していることから見ても、世界中の大多数が私の意見と同じであることが結果として証明されています。
国際収支に関係のない内部問題として政府の資金源を税に求めるのが良いか、どちらが優れているかについては、お金の使い道のない人がいるならば、彼らに任意に拠出してもらい政府が預かって(国債や郵貯など)有効利用した方が合理的で景気対策にもなることを/2012/04/29/ 「税と国債の違い2」まで書いてきました。
個々人は使い道が分らないので銀行・保険・投資信託等に預けるのですが、銀行や機関投資家(年金運用も含む)が国債利回り以上の有利な運用を仕切れないときに、余剰分を国債引き受けに逃避することになっています。
要するに国債以上に有利な運用先がない場合・・余った資金の逃げ場になっています。
税の場合、国家や公共団体で使うよりも、もっと有効利用出来る人や企業からまで強制的に資金を吸い上げてしまうので、民間活力を殺いでしまうリスクがあります。
国債を資金源にする場合、国債金利以上に有効利用出来れば国債を買わなければ良いし、その金利まで稼げなければ国債を買えば良いという国民の自由判断・・能力相応の選択によります。
(以下はみんな一律の能力を前提とする意見ではなくばらつきがあるものの、結果的に、100の発行に対して80しか引き受け手が出ないとか逆に120の引き受け手が出るという全体の傾向を書いています)
今では日本国債金利は1%以下に沈んでいますがそれでも引き受け手が多いのは、民間にはそれ以上の利回りで運用する能力がない人が多いことを証明しています。
逆に金利を数%に上げても買い手があまりつかないような国・あるいはそのような事態が起きた場合には、国民が自分で有効利用出来るから、国債購入に多くは向かわないのです。
政府が国債では買い手がつかない、人気がないことを理由に税を徴収する場合、自分で有効利用出来る国民が多いのにその資金を国が無理に取り上げて政府が使ってやると言うことですから、自由主義経済国家の経済原理に反しています。
あるいは資金が余っているのに国民の多くが外債を買って国債を買わない・不人気の場合、政府の信用がない・・政府が国民から資金を集めて国民に代わって支出することを国民が望んでいないことを市場が明らかにしていることになります。
将来的に国際収支が赤字になるのを心配するのは当然ですが、それは財政赤字の額の大小によるのではなく生活水準をどこにおくかによって、国際収支が赤字になったり黒字になったりする関係です。
経常収支黒字を維持するにはどうすれば良いかですが、それは家計同様に収入(国際収支均衡)の範囲内で生活することが肝要と言うに尽きます。
たとえば道路を石張りにするもしないも、国際収支黒字の範囲で石材を輸入していれば経済危機が来ませんが、貿易赤字を無視してまで石を輸入して贅沢な舗装していると、道路補修資金を税でとろうと国債で賄おうと国際収支が赤字になる点は同じです。
今後仮に国際収支の赤字構造が定着すれば、火力発電用の原油や天然ガス輸入が増えたから赤字は仕方がないと気楽に言っていられなくなります。
緊急停電の危機克服のためではなく、(供給力があっても)国際収支上の観点から電力使用節約(原油等の効率利用)がその内至上命題になって来る筈です。
(増税した資金で電力料金の半分を仮に補助しても、原油等輸入量が変わらない限り、国際収支赤字要因はなくなりませんから、補助金の資金源が増税か国債によるかの関係ではないことは誰でも分るでしょう)

国際収支と財政赤字1(国債の外国人保有比率2)

1家の経済で言えば、家族内の貸し借りだけにしてよそから借りてまで(一家の総収入以上の)豊かな生活をしないようにするために、外国人による国債引き受けが必要になった時点で緊縮経済に切り替える仕組みにすれば健全です。
政治的に見ても外国人の出資を受けなければ、外国人の意向に左右されなくなるメリットがあります。
外国人投資家に国債を引き受けさせない・・あるいは一定保有率以上になったら国債発行を出来ない制度設計にすれば国内資金で賄える限度しか政府支出が出来なくなりますし、国内資金の限度で賄っている限り国債残高がいくら膨らんでも対外経済上(デフォルト)の心配は全く要りません。
国債発行残高問題の論点は、財政赤字になるか、その額が大きいかどうかではなく、当初引き受けだけではなく転売後も含めて外国人保有比率をどうすべきかこそを議論すべき事柄です。
ただし、国際政治上我が国だけ外国人保有禁止を出来るかの配慮は別に要りますし、国民が買った後の転売・名義貸しを考えると法的禁止まで進むのは無理があります。
そこで実質的外国人保有比率を何%まで認めるかの政策判断・・何%を超えたら、新規国債発行を禁止するガイドライン・トリガー制度が必要となります。
無制限に外国人比率を上げて政府が安閑としてることになれば、そのような制度設計こそが危機管理として問題ですから、これをマスコミが報道すべきことです。
これまで約40年くらい連続して国際収支黒字でしたが財政赤字が累積している現状に明らかでなように国際収支が大幅黒字でも、税を取らずに国債で賄えば財政赤字ですし、税で国費を全額賄っても国際収支の範囲を超えて国内で消費すれば国際収支は赤字になります。
国全体の収入以上の生活を政府が保障しているとその差額資金が税収によるものであれ国債であれ結果的に国際収支が赤字累積になります。
何回も書いていますが、一家の総収入の範囲内の生活かどうかが重要であって、一家の総収入(40万円)以上の(50万円の)生活をするために自分の収入30万円に加えて息子から20万円を生活費として借りたことにしている場合に、強制的に(税として)20万円取るように変えても、一家の総収入が赤字であることは変わらず、いつかは家計が破綻してしまいます。
この逆に総収入の範囲内であれば、息子からの借金名目の数字が如何に膨らんでも健全性が変わりません。
「負債を次世代に残すのか」という報道も多いですが、親が死ねば相続人である息子の貸金が相殺によって、ゼロになるので何の問題もありません。
国家経済も同様で、赤字国債が如何に巨額になろうとも、その債権者も自国国民に限定していれば次世代はその債券を相続しますので、差し引き零以上の遺産を受け継ぐことになります。
この辺の原理については7月15日の「マスコミによる世論誘導の害2(不毛な財政赤字論1)」前後のコラムで紹介しました。
国民が債券相続出来るかどうかの意味でも、外国人が債権者の多くを占めているとその前提が崩れますので、外国人保有比率をどうするかを考えないでノホホンと発行を続けるシステムであると問題が大きくなります。
外国人保有比率の限度に関する内部ルール策定こそが喫緊の課題であり、これの議論をしないで財政赤字額の大きさだけを議論しても意味がありません。

国債残高の危機水準6(国際収支の現状)

  個人金融資産とは別に対外純債権額という枠組がありますので、これを基準にする考え方もあります。
対外純債権・・貿易・サービス収支が仮に赤字になっても、経常収支黒字が続いている限り、そもそも国債残高がいくらであろうとも国内資金の移動でしかない以上何ら問題がないことを、April 9, 2012「国際収支4(赤字を何年続けられるか)で書きました。
上記ブログで書いたように貿易赤字且つ経常収支赤字になってから、対外純債権を何年で食いつぶすかの議論が本来の国債発行限度論となります。
年間いくらの赤字額で何年持ちこたえられるかを知るには先ず対外純債権がいくらかが重要です。
対外純債権額とは結局のところ、過去の貿易黒字の累積(元本合計)プラスその黒字で投資した収益の積み増し・・元利合計と言うことでしょうか?
そうとすれば、対外純債権額は、過去の貿易収支黒字の総和=対外投資元金であり、それに長期間の投資収益分をプラスしたものになります。
(ただしその間に円高になったりしますので、ドル表示の合計額でないと円表示の歴年黒字合計をしても分りません)
元金分は資本収支赤字の合計と言えないこともないでしょうが、実際には、貿易黒字が続いた国では、黒字を大きくし過ぎないために海外不動産を購入したり、個人でハワイその他に別荘を買っているなどの外、金地金や宝飾品の輸入を増やしたり貿易摩擦を緩めるために前倒しで飛行機を買ったりするなど、一定割合の膨らみ(イザとなれば、身の回りで売れるものを多く持っている)があるのが普通です。
当たり前のことですが、個人金融資産には持ち家や高級外車やヘリコプター、貴金属などの金融資産以外の高額資産を含めません・・。
戦後の食糧難の時代に資産家は高額な着物その他を換金しては食料品と交換したと伝えられているように、イザとなれば高額な絵画・美術品その他の資産は大きな力を発揮します。
債務整理等で相談に来る人たちはその逆で、修理や買い替えねばならないものを限度ギリギリまで先延ばししているので、数字上の債務より負けが込んでいる人が殆どです。
健康上も無理して働いていることが多く病気になり易い・・家具類は直ぐに壊れることなどを予定して生活設計を助言する必要があるのと似ています。
古いデータしか分りませんが、2012年になった今のところ、私の直感では約250兆円程度ではないかとおもわれます。
昨年は40年ぶりの貿易・サービス収支赤字と言っても日銀速報によれば-3兆2,496億円
ですから、経常収支黒字を無視し、その間の収益収入(4%利回りでも年に10兆円あります)を無視しても80年も赤字を続けられる勘定です。
まして日銀速報によれば、所得収支は140,296億円もの黒字だったようですから、移転収支赤字約1兆円を足してもまだまだトータルとして経常収支の黒字の方が約10兆円も大きい状態です。
ですから国債発行限度問題は経常収支赤字に転落してから、赤字の規模等を含めて議論すべきであって今から議論しておく必要は全くありません。
以下はhttp://www.mof.go.jp/international_policy/reference/balance_of_payments/preliminary/pg2011cy.htm 日銀速報からの引用です。
グラフはコピー出来ましたが、表の方はコピー出来ないので下記のpdfにリンクしていただければ、上記の細かい数字が表になっています。

国際収支4(赤字を何年続けられるか)

以上書いて来たとおり、政府の財政赤字がいくら累積しようとも国内資金で賄っている限り・・国際収支のバランスが取れている限り問題がないのですが、(国際収支の赤字と政府部門財政赤字とはまるで関係のないことです)一定期間国際収支が赤字でも良いのではないかと思っています。
高齢者は過去に十分働いて蓄積して来たのだから、過去の蓄積の取り崩し(フロー収支では赤字生活)をしながら今の収入以上の生活をする権利があると思っていますが、これを日本全体に及ぼしても(個人的には蓄積のない人もいるでしょうから、それは所得再分配によって)多分ある程度許されると思われます。
これを国全体で見れば、増税であれ国債発行によるものであれ、その年の経常収支トントンまで使うのは現在のフロー収入範囲内の生活をしていることになり、これを越えて支出をして行くとなれば過去の蓄積の食いつぶしの始まりとなります。
ちなみにGDPの範囲内の支出という基準では、植木の手入れ、介護などいろんな働きがカウントされますが、これは繰り返し書いているように対外収入を生み出す働きではなく個人で言えば家庭内労働をお互いに外注して収入にカウントしているのと同じですから、意味がありません。
植木を年に1回手入れしてもらうよりは年2回の方が生活レベルが上がりますし、美容院も2ヶ月に1回よりも1ヶ月に1回の方が気持ちがいいし、デイサービスでの入浴も毎日の方が良いなどサービス業の付加価値が増えます。
サービス内容が良くなって国内総生産が増えても、対外的に収入(貿易収支面では逆に赤字要因になるでしょう)が増える訳ではありません。
もともと国債残高の累積に対する国民の心配・議論が国際収支赤字累積・・対外純債務国になってしまうのではないかの心配から始まっている以上は、国と民間・個人支出の総和がその年の収入を越えているかどうかについては、サービスの付加価値もプラスして行く国内総生産よりは貿易収支トントンを基準にするしかありません。
貿易赤字になれば、結果的にその年の稼ぎ・収入以上に支出(生活)したことになります。
現役労働者だけを基準にすれば貿易収支を基準にすべきでしょうが、高齢者の場合過去の蓄積による年金や利子配当収入範囲内の生活も健全収支の基準でしょうから、利子配当収入・貿易サービス収支も含めた経常収支の収支トントンが健全財政の基準になるべきです。
国際収支赤字額が対外純債権額=蓄積の何%かによって持続性が計れることになりますが、日本の対外蓄積の総和は対外純債権額になるでしょうから、年に対外純債権の100分の1程度ずつ食いつぶして行くならば、100年持ちますが10分の1ならば10年で干上がります。
ただ、貿易収支トントンを基準にすればそのときの本当の働きですが、経常収支は過去の蓄積の収益(利子配当所得や資本の売却)を含めたものですから、実は経常収支トントンまで使い切るときには、そのトキから先輩(現役高齢者だけではなく死亡した先輩も含めた)の過去の働きに頼り始めていることになるので不健全経済の始まりです。
将来国際収支赤字で大変なことになると警鐘を鳴らすならば、漠然と不安感を煽るだけではなく、国民の総意によって所得の再分配をするにしても、どの水準までの底上げを図れば国全体でどれだけの資金=予算規模が要り、その結果国際収支がどうなるかの見通しを示すことが先決です。
増税によるのであれ国債によるのであれ、どの程度の生活水準にすれば貿易収支トントンになり、どの程度であればそれ以内(黒字)か、以上(赤字)かを明らかにする研究調査こそが求められます。
例えば1割支出が多すぎるとすれば、インフラで言えば舗装道路延長・公民館その他全体に一割規模縮小・サービス分野で言えばどのサービスの回数を減らすなどすればどうなるなどの試算の提供が求められます。
国に必要な費用を税で取ろうと国債で取ろうと国際収支の結果は同じことですから、所得再分配のレベル・・国民が今年あるいは近い将来収入の範囲内で生活する場合あるいは、どのくらいまで収入以上の生活をさせるように所得再分配することが可能・・妥当かのデータ提供こそが経済学者・エコノミストの使命でしょう。
国民が収入の範囲内で生活するならば、そのためにどれだけ国債を発行しても対外的には何の困ったことも起きません。
どの程度の社会保障経費を使うとどの程度の国際収支の赤字見通しになり、純債務国に転落するまで何年くらい続けられるのかを説明して欲しいと思っています。
「この程度の生活ならば対外純債権残高の数%の赤字で済み、対外債権がなくなるまで30年以上もあります」と言うならば国民は安心です。
4月6日に紹介した日経朝刊の経済教室では、図表を示してこの先僅かな期間(5〜6年だったかな?)で所得収支黒字分を貿易赤字が食いつぶして行く見通しが紹介されています。
その論文が主張すべき結論は、現状の生活水準維持では今後何年で経常収支赤字に転落するから、「生活レベルをどの程度落とす方向へ調整すべきだ」ということであれば一貫していました。
ところが、上記論文では、国際収支の赤字転落見通しを紙面のほぼ全体で論じながら、これを避けるために一日も早く国債に頼らず増税すべきだという結論ですから、不思議な論理です。
ちなみに貿易黒字の間にインフラ整備・・例えば公民館は博物館や道路を作っておけばどうなるか・・設備は作ればその補修費や更新コストがかるので黒字の(お金のある)間に作っておけば後世の人が助かるものではありません。
仮に経済規模が10年後には今の1割縮小にするしかないとすれば、今から10分の9に縮小しても無駄がない前提で公的設備・市街規模などを計画して行く必要があります。

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