豪族連合体日本の官と臣2

鎌倉〜足利政権同様に徳川幕藩体制も多数の旧豊臣家家臣団やその他大名の協力があってこそ出来上がったもので連合政権の本質があったのですが、徳川家の一強体制確立により連合政権の本質が隠され、表向き主君と臣下の関係化していましたが、(ほとんどんどの大名・・島津でさえ公式には、徳川の旧制松平姓にされていました)幕末黒船来航や北辺の海防に適切対応できない幕府の脆弱性が露呈すると一挙に連合政権の本質が噴出しました。
外様大名を中心に独自の異国対応論が噴出するようになり、幕府はその発言者の一人に過ぎない関係に陥りました。
本来幕藩体制下においては、大老〜老中〜若年寄り〜勘定奉行等の各種奉行による重役会議で議論すべきことでこの役職に関係ない一般大名が大名というだけで特別な決定参加権がない仕組みでしたが、国家の大変革時に当たって幕府機構内では処理しきれないことが明白になると、対応策に関する議論が無関係なはずの有力諸侯間の協議に移って行ったのは、大元に連合政権の本質があったからです。
有力諸侯の協議が行われるようになっても江戸城中で行うのではなく京都で行うようになり、政争の舞台が京都に移ったこと自体が象徴しているように、京都での政争では徳川家が一方的な主催者の地位を降りていたことを象徴しています
京都での協議結果が帰趨を決するようになると、幕府は老中に一任できず幕府のエース一橋慶喜を派遣して対応に当たりますが、彼の役割は諸侯会議に対する徳川家代表的なものでしかなく、上段之間から一方的に命令裁可するような関係では無くなっていました。
彼はその後将軍職に就任するのですが、すでにその時点では本質は変わらなかったイメージです。
一橋慶喜は将軍家の血筋を背景にしたお坊ちゃん秀才でしかないのに対し諸侯会議メンバーは政治駆け引きの猛者揃いですから、徳川家の威光低下に比例し発言力が低下する一方になり最後に決着したのが、薩長の武力を背景にした小御所会議だったのでしょう。
一橋慶喜は優秀の誉れ高かったのですが、何となく秀吉政権の三成のように実務官僚的能力は高かったでしょうが、育ちが良すぎて?政治能力が低かったイメージです。
乱世に活躍し政権樹立に功績のあった豪族や大名家と政権樹立後実務処理に必要な人材は違うのはどこの国でも時代でも同じです。
官制というのは安定期に政権運営に維持に必要な実務官僚に必要な格式・・企業でいえば職制のことでしょう。
事務官僚の職域が多くなるにつれて、任命官僚も増えてくるので天皇がいちいち親任出来なくなった・その分を認証官にしたのではないでしょうか?
明治になって法治国家の体制を整えるためには、各地に裁判官、検察官などの配置が必要ですので官名を持つものがいきなり増えました。
イギリス法では裁判所をキングズベンチクイーンベンチと習いますが・・生殺与奪の権=裁判権こそが、最高権力者が保持すべきという原理の表明です。
戦前の裁判も天皇の名において処罰する仕組みでした。

大日本帝国憲法
第57条司法権ハ天皇ノ名ニ於テ法律ニ依リ裁判所之ヲ行フ

地方の裁判官であろうと上司の代理で判決を宣告するのではなく、天皇の名において国家意思の表示するとなれば官を名乗らせるしかなかったからでしょう。
ちなみにここで言う裁判所とは、法学用語では官署としての裁判所ではなく、受訴裁判所・・裁判を担当する(裁判所を構成するのは事案によって3名のこともあれば1名のこともありますが)裁判官のことです。
法廷で日常「裁判所はこう考えますが・・・」とか「裁判所としては〇〇についてをもう少し主張をお願いしたい・・〇〇を提出していただきいのですが・・」と言う発言は「〇〇地方裁判所」という建物のある官署をいうのではなく、その担当裁判官(合議事件の場合合議体)の意見という意味です。
例えばある地方裁判所に民事部が5部あって、その中に裁判体が10数個ある場合、その一つ一つが裁判所であり、一つの判決や証人採用決定や却下、次回期日決定ごとに、地裁全部の裁判官が集まって合議して決めるのは無理があることがわかるでしょう。
裁判官一人の担当する裁判では、その一人の裁判官が決めればそれが〇〇地裁の判決であり決定であり命令としての効力が生じます。
豪族代表でなくとも朝廷内で何かの職務を持つ中で一定の職域以上に補職できる枠を官位で決めるようになって、(中国では官位と補職関係は厳格だったようですが、我が国はアバウトだったようです・・例えば三位以上でないと殿上人になれないなど)こういう合理化の結果官位制度が生まれたと思われますが、官位をいただけるのは当初天皇の直接任命職だけだった可能性がありますが、次第に人数が増えてきたので直接任命は一定の官位までとなり、例えば三位までになり4位以下は認証するだけの官となって行ったのかも知れません。
千葉市の場合、法律上議会承認を要する委員の場合、担当局長や秘書室長などの立会いで、市長から直接辞令書が交付される1種の儀式が行われますが、議会経由しない委員任命の場合、辞令書が第1回委員会の机上に置かれているだけで市長からの直接任命式はありません。
官名授与対象がインフレ現象で?増えすぎたので認証官という制度が生まれ、明治以降地裁裁判官等がどんどん増えていくと膨大になるので認証式すら必要のない官が生じるようになったのかもしれません。

豪族連合体日本の官と臣1

ついでに「事務員」という場合の意味を考えてみますと、経団連や〇〇協会の会員企業の代表者の会議体構成員と、業界団体で雇用されている事務局員とは出身母体が違い文字通り格が違います。
事務局が肥大化し官僚機構化・専門化してきて事務局見解が事実上幅を利かすことがあっても、あくまで「過去の議事録ではこういう議論が行われています」と紹介するだけであって会員の会議自体に口を挟む余地がありません。
裁判所や検察庁も事務官と裁判官や検察官とは確然たる区別があり事務局トップの事務局長になっても、平の裁判官・検察官よりも格式が低く、一般的に敬語で接するのが原則です。
ただし最高裁では事務総長だけでなく中間管理職まで裁判官を補職する事になっているので、事務部門事実上優位の逆転現象をなくすようにしています。
日弁連では事務総長・事務次長までは弁護士からの政治?任用です。
朝廷は豪族連合ですから合議体構成員になれるのは会員である豪族代表者・貴族のみであり、事務部門はその補助業務でしかありません。
国民主権国家に変身した戦後憲法においては、国民の選挙による洗礼を受けた政治家のみが政治決定できる各省大臣となり、あるいは政治的決断で決めていくのが不都合な分野では逆に民意の洗礼を受けないままで、すなわち政治的独立性を保持できるような工夫をした特別な資格による裁判官と検察官等の中間的な専門職を官といい、それ以外は事務局員でしかないという区分けをしたようです。
雇用面で言えば各省大臣任命により大臣の指揮監督を受けるものは官ではないが、次官のみは内閣の関与を受けるようにして「官」名に合わせたようです。
ちなみに最高裁判事は内閣が任命しますが、政治的思惑で任命すると中立性に問題が生じるので、実質は最高裁内で決めた推薦によって形式上内閣の任命する運用になっています。
その代わり国民審査を受けることにして間接的に民意を担保しています。

憲法

第七十九条 最高裁判所は、その長たる裁判官及び法律の定める員数のその他の裁判官でこれを構成し、その長たる裁判官以外の裁判官は、内閣でこれを任命する。
最高裁判所の裁判官の任命は、その任命後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際国民の審査に付し、その後十年を経過した後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際更に審査に付し、その後も同様とする。
第八十条 下級裁判所の裁判官は、最高裁判所の指名した者の名簿によつて、内閣でこれを任命する。その裁判官は、任期を十年とし、再任されることができる。但し、法律の定める年齢に達した時には退官する。

因みに官(天皇の直接の部下)を任命するのは天皇の権能そのものでしょうが、親任官と認証制度の始まりを以下の通り(あくまで根拠ない想像ですが、)想像して見ました。
大和朝廷の始まりは中国や中東〜欧州のように専制的権力を持つ仕組みではなく周辺豪族・漢書にいういわゆる「百余国」間でヘゲモニーで勝ち残った程度の覇者でしかなかったと思われます。
大和朝廷草創期とその前については神話レベルしか記録がないので、紀元前約1世紀頃の文字記録では上記の通り日本列島には「百余国」があったとしか分かりませんが、朝廷秩序の亜流である武家政権秩序が大崩壊した戦国時代をその再現として想定してみます。
ただし以下の記述は学問的意見に基づくのではなく、素人の私の直感想像によるものです。
戦国大名草創期から、織豊政権を経て徳川政権樹立〜幕末期までを見ても日本ではいつも豪族の連合体的性質を維持してきました。
例えば上杉謙信や織田信長の例で見ると、まずそれぞれの一族内闘争を勝ち抜き、(現在での地方制度で言えば1〜2郡程度の地域支配権確立後)尾張や越後国内での諸豪族の支持集めに勝ってヘゲモニー争いを勝ち抜いていき(スポーツで言えば県大会)国内統一に成功すると今度は周辺隣国への侵略開始していき、戦国時代後期には数カ国レベルの支配者・地域大国が全国規模で発生して最後の全国大会・制覇になります。
このように初期戦国大名は、地元豪族・国人層の支持取り付けによってなりたっているので(今の代議士が地元後援会支持でなりたっているのと同様)いつも気を使う存在です。
戦国大名=戦闘集団である以上戦闘状態では指揮命令が必須ですが、日常業務的には連合体・業界団体のような関係です。
この様にしてあちこちで地域大国が出現し最後に信長の天下が、始まるかに見えた時にも、家康の支持その他国内諸大名とのやりとりがあって権力を維持できていたし、光秀は天下諸大名の支持取り付けに失敗したので三日天下に終わったものです。
後継の秀吉政権も最大のカウンター勢力家康との小牧長久手の戦いで、決定的勝利を収めることができず、朝日姫を人質として送ることでようやく出仕して貰えるようになったものです。
このように日本では権力者はいつも配下に入った武将への気配りを欠かせない状態で幕末まで来ました。
有力武将上がりの連合体で政権ができるので運営参加権者は同業者組合の役員会や総会は事業主の集まりのように豪族代表でしょうが、事務を担当するのは事務局です。
朝廷あるいは織豊政権・徳川将軍家でも実務処理作業が増えてくるので、内部事務官僚が必要になり事務官僚に相応の職務=権限付与が必要になります。
豊臣政権では家康や前田利家などの大老の他に実務官僚.五奉行などの官僚組織が出来上がり、そこで頭角を現した実務官僚の石田三成らと、戦国時代を生き抜いた武断派との確執が起きました。
しかし秀吉以後乱世の兆しが起きると豪族連合の本質が表面化し、三成ら事務官僚の影響力は背景に退くので本来のプレーヤーではなくなったのです。
三成がそのまま引き下がれば家康による豊臣政権乗っ取りはスムースだったでしょうが、それでは政権の名分がなく鎌倉幕府の北条執権家みたいな黒子役しかできないので、むしろ決戦による政権交代を求めるために必要な標的として家康が三成を匿い、三成の旗揚げを誘導してので関ヶ原の決戦に引きずり込めたのですが、その点は話題がそれるのでこの程度にします。

徳川体制も連合政権の本質があったのですが、徳川家の一強体制下で連合の本質が隠され、一見主君と臣下の関係貸していましたが、黒船来航に適切対応できない幕府の脆弱性が露呈すると一挙に外様大名を中心に対応論が噴出するようになり、幕府はその発言者の一人に過ぎない関係に陥りました。
本来幕藩体制下においては、大老〜老中〜若年寄り〜勘定奉行等の各種奉行による重役会議で議論すべきことでこの役職に関係ない一般大名が大名というだけで特別な決定権がない仕組みでしたが、国家の大変革時に当たって幕府機構内では処理しきれないことが明白になると、無関係なはずの有力諸侯間の協議に移って行きました。
有力諸侯の協議江戸城中で行うのではなく京都で行うようになり、清掃の舞台が京都の映ったこと自体が象徴しているように、京都での協議結果が帰趨を決するようになると幕府もこれを無視できず一橋慶喜を派遣して対応に当たりますが、彼の役割は諸侯会議に対する徳川家代表的なもので上段之間から一方的に命令裁可するような関係では無くなっていました。
彼はその後将軍職に就任するのですが、すでにその時点では本質は変わらなかったイメージです。
一橋慶喜は将軍家の血筋を背景にしたお坊ちゃん秀才でしかないのに対し諸侯会議メンバーは政治駆け引きの猛者揃いですから、徳川家の威光低下に比例し発言力が低下する一方になり最後に決着したのが、薩長の武力を背景にした小御所会議だったのでしょう。

官と臣2(公僕を兼ねる?1)

現憲法の公務員は国民全体に対する奉仕者ですが、一君万民思想下では臣民は天皇家への奉仕者ですから、天皇家と臣民とは(今風に言えば労使関係の)対立可能性を内包していたことになります。
これの危惧があって、日本では戦後も公務員の争議権を厳しく制限してきました。
フランスでは警官もデモする権利があり、裁判官のデモもあると学生時代に聞いて驚いたものです。

国家公務員法
(昭和二十二年法律第百二十号)

第九十八条 職員は、その職務を遂行するについて、法令に従い、且つ、上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない。
○2 職員は、政府が代表する使用者としての公衆に対して同盟罷業、怠業その他の争議行為をなし、又は政府の活動能率を低下させる怠業的行為をしてはならない。又、何人も、このような違法な行為を企て、又はその遂行を共謀し、そそのかし、若しくはあおつてはならない。
○3 職員で同盟罷業その他前項の規定に違反する行為をした者は、その行為の開始とともに、国に対し、法令に基いて保有する任命又は雇用上の権利をもつて、対抗することができない。
附 則
第十六条 労働組合法(昭和二十四年法律第百七十四号)、労働関係調整法(昭和二十一年法律第二十五号)、労働基準法(昭和二十二年法律第四十九号)、船員法(昭和二十二年法律第百号)、最低賃金法(昭和三十四年法律第百三十七号)、じん肺法(昭和三十五年法律第三十号)、労働安全衛生法(昭和四十七年法律第五十七号)及び船員災害防止活動の促進に関する法律(昭和四十二年法律第六十一号)並びにこれらの法律に基いて発せられる命令は、第二条の一般職に属する職員には、これを適用しない。

上記に対して地方公務員法は労働法原則適用を前提として、58条に労働法規の除外規定を置いているようです。

地方公務員法

(他の法律の適用除外等)
第五十八条 労働組合法(昭和二十四年法律第百七十四号)、労働関係調整法(昭和二十一年法律第二十五号)及び最低賃金法(昭和三十四年法律第百三十七号)並びにこれらに基く命令の規定は、職員に関して適用しない。
2号以下省略

日本で戦後臣民という法律用語が国民に変わり天皇の臣〜官から公務員という単語に変えても、もともと臣・官であった同じ人間が今日から公僕である公務員になったとしても意識が簡単に変わらない上に、変わらない意識を温存するために?国家公務員法や地方公務員法という一般労働者と別扱いする特別法を同時に作ったことになります。
幕末会津藩が、リスクが大きく割の悪い京都守護職を引き受けるのは損な役回りになるのが明白だったので家中では慎重論が強かったのですが、藩祖以来の将軍家との特別な関係重視・「本家の危急存亡のときに役に立たずにどうする!」「義」を重んじる論が大勢を制して、ついに京都出兵に応じて最後は賊軍の汚名を被ることになりました。
一般譜代大名や親藩と血の濃さが違うのだ!ということだったでしょう。
今でもこの種の浪花節的?美学・生き様は日本人の心打つものがあります。
豊臣秀吉死後着々と豊臣政権を蚕食していく徳川家康の策謀に豊臣恩顧の子飼い大名が次々となびいていく中で、身を挺して抵抗していく小身の石田三成の美学・・石田三成を最後まで応援した大谷刑部の友情の美学、大坂の陣で最後まで戦い切った真田幸村の義勇に心惹かれるのです。
根強い忠臣蔵人気は、徳川初期以降国学として支配力を持った朱子学普及による忠義の心によるのではなく、(大義名分として幕府の掲げる忠義の実行だと言うことになっていますが)本音はそれ以前からある日本民族に備わっている滅びゆくものへ「義を尽くす」ことに対する美学でしょう。
平家物語の最も心打つ場面・「木曽殿最後」の主従再会場面も同じですが、(朱子学などまだない時代)信頼で結ばれた「義」を重んじる滅びゆく美学です。
判官贔屓と言う熟語があるのは、彼が赫赫たる戦果を挙げたからではなく、(田舎育ちで複雑な貴族社会の駆け引きを知らない義経が老獪な後白河に手玉に取られてしまったことによるとしても)不幸な言いがかりで?滅びて行くことに対する国民の哀惜の情によります。
豊臣家恩顧の「義」をコケにして見え透いた利に従って率先して裏切った(福島正則を筆頭とする)有力大名が徳川体制確立後次々と改易されますが、家康がずるい・酷いというよりは、「こんな奴は用済みになれば切られて当然」という評価で国民は同情しません。
明治以降は憲法はどうであれ、民意重視ですから政権が短命で、安倍総理が7〜8年が史上最長らしいですから、現在政治家は子々孫々までの忠義立ては不可能でいつもその次を考えながら強いものにつき生き残る高度な政治力が必要です。
かといって、主と仰いだ総理が落ち目になると率先して裏切っているのではそう言う人間は次の政権でも、誰も信用してくれないので強い方につきたいものの過去の恩顧やしがらみを無視できません。
この辺の微妙な観点から徐々に軸足をズラしていくしたたかさが戦国時代以上に求められます。

衰退産業保護2(官と臣1)

時事問題から離れて産業助成・振興策に戻します。
太陽光発電も元は日本が先発組だったはずだったのに、いつの間にか中国メーカーに負けるようになっていたのには驚きましたが、衰退が始まる・・負け組になってから巨額補助金政策を行なっても中国企業がそれで大儲けする結果で終わったようです。
表向き国内メーカーのシェアー9割?といっても海外生産品を国内企業のOEM生産や膨大な部品組立なので、最後の部品だけ国内生産で、国内企業製という名称になっているようです。
詳細は以下の解説データをお読み下さいhttp://standard-project.net/solar/maker/country.html

生産工程のすべてを国内の工場で行っているメーカー/ブランドの一覧です。国産にこだわる傾向が強い日本の太陽光発電市場ですが、中国メーカーの安価なパネルが流通する中でもシリコン系パネルでいうとセルの生産から国内工場で一貫して行うメーカーは減ってきている状況です。

https://tech.nikkeibp.co.jp/dm/article/NEWS/20140904/374263/

太陽光パネルの世界出荷、中国系メーカーが上位20社を独占する勢い、シャープは大幅減、米調査会社が公表

上記は14年のデータですが、世界規模で見れば中国企業の生産が独占状態になっているのに、国産といっても最後の組み立て設置をするのみ?という詐欺まがい・(農産物で言えば最後の袋詰めだけ日本でやれば国産?というのと同じ)の商法の実態が上記データから見えます。
中国が先進国から輸入する部品組立で輸出するので中国の輸出が急激に伸びた逆バージョンです。
中国韓国や後進国の場合、これを繰り返すうちに国内製造できる部品レベルが徐々にアップしていくメリットがあるのですが、先進国が自国生産がコスト競争力を失って国外生産移転する場合、自国内部品製造が減る一方で最後は受託生産・一括丸投げになります。
この状態で購入者に補助金を出して高額購入をさせれば、その資金は実際の生産国が対日高値輸出できるようになるだけです。
太陽光発電s東夷設置者に対する多額補助金の大部分が中国企業に実質流れていたように見えます。
民主党政権が始めたことなので安倍政権になって補助金を急激に絞り始めましたが・・・.。
ところで官と臣はほぼ語源が同根ではないでしょうか?
官の漢字源(藤堂明保ほか編集)をみると官とは宀=家の中に大勢の人が集まったサマを表すとあり、「垣根で囲まれた家屋に集まった役人のこと」とも書いてあり、元は宦とも書いたが、その後「宦官」の特殊用例が一般化した以降は、官と宦官の間とは別の役目になったと書いています。
宦官の「宦」のほうが、家にある臣・後世の家臣・直臣の意味に合って用法にぴったりの感じですが、王家に仕える役人(宦官・官)が増えてくると側近が幅を利かすようになります。
側近の私欲に繋がりやすい世襲性を防げば政権壟断がなくなるとの思惑から断種した官僚・元は宦官のみを側近に登用するようになり、以降は断種した男性官僚のみを側近中の側近の資格にしたので、これだけを宦官というようになったために、宦官と区別するためにその他役人を官というようになったのでしょうか?
臣民であろうと官民であろうと、皇族以外は全員「民」である上に、明治政府による四民平等政策以降は臣と民を分類する意味がなくなっていたはずです。
言葉の意味では単純な「たみ」でいいのですが、日本人は漢字にした時に二字熟語にしないと落ち着かない国民性ですので「民」に何をくっつけるかの違いでしょう。
皇族以外は臣民というのは一応当たり前過ぎですが、臣民を合わせた二字熟語をなんというかの問題で抵抗権に魅力を感じるグループは人民といい、その他の人は「日本国の民なのだから国民」千葉県の人は千葉県民というようにこれが普通になってきたのでしょう。
県民の中で、県の役人・公務員とその他職業をあえて分ける必要を感じない・単なる職業の一つでしかないのが現実社会です。
明治以降の一君万民思想で天皇(皇族)以外は全部平等な民になった以上は、公務員も多種多様な職業の一つにすぎなくなったのですから、公務員とそれ以外2種類に分類する必要性がなくなったはずです。
単に日本国の民=日本国民とすれば単純だったと思いますし、明治憲法で「臣民の権利義務」などと書く必要がなかったのです。
民の中には大工も官僚も商人も漁民もいますが、あらゆる職種を憲法に羅列する必要がなくまとめて「民の権利義務」で良かったのです。
臣民・天皇直属の役人とその他の権利義務と書いても、臣と民で権利義務が変わるものではない・・どちらも日本国民であり同一の刑法民法税法等の適用があります。
高級官僚も庶民も皆家族法の対象ですし、買い物代金を支払う義務=民法の適用があり、殺人傷害等すれば同じく刑法対象です。
臣民を今風の言語で言えば、国家公務員も総理大臣も皆国民であり、国民(国内に居住する人全員?形式的には国籍取得者)の中から、国家公務員や民間人に分かれるなど「国民」は大元の上位概念です。
明治憲法下においても国家公務員・官僚を辞職すれば在野ですし、在野から官僚にもなれる、「臣と在野」は互換性をもっていました。
法の適用は国民に対する法の下の平等であって、官僚と一般国民との違いによって適用される刑法や民法に違いがありません。
明治憲法下でも高級官僚も一般の人も(家族法分野で言えば、婚姻や親子関係など)皆同じ法の適用がありましたので、明治憲法で臣民の権利義務とわざわざ分類したのは無用な分類だったと12月29日に書きましたが、明治憲法は「臣民」と表示することによって臣と民を分けたのではなく一体化を図った・・領民全員が権力機構の一員・手先になるべきであり「権力対象になる民は存在しない」とのフィクションを構成したのでしょうか?

衰退産業延命1(ゴーン逃亡)

官民ファンドなどと表現するのは臣民用語を焼き直したに過ぎず、メデイアがこのように表現するようになったのは、政府が経営内容にまで介入どころか決定権まで持つようになった事に対する「これでは第三セクターどころではない国営でないか?」という婉曲的、遠慮がち批判かもしれません。
戦後「臣民」表示が国民主権の精神に反するようになって都合悪いとなれば「臣民」意識そのままで言葉だけ「官民」にすり替えるなんておかしいと思っていましたが、この10年ほど政府介入が大きくなりすぎている点に対してメデイア界が、これでは戦前の国策事業とどこが違うの?という抵抗精神で官民協働・半官半民と揶揄する高度表現するようになったのでしょうか?
そもそも昨日書いたように、これから伸びるなら応援するのは意味がありますが、実力が落ちてきた事業の延命のために税を投入する発想自体がおかしいのです。
野球や相撲スケート等の名アスリート、企業の敏腕営業マン、社長その他全ての分野で現役としての実力低下が始まればコーチ〜監督〜営業現場から管理職へ、社長から会長、相談役〜業界活動等に転身を進めるべきです。
今世界を騒がせてレバノン政府等を困惑させているゴーン氏を例にすれば、日産立て直しに成功した数年で役目を終えたとして潔く転身していれば華麗な経歴だけ残ったのでしょう。
大改革に向いた才能と改革後の維持とは能力発揮場面が違うのに、(「創業と守成いずれが難きか?」の故事の通りで)地位にしがみつき金銭欲?にこだわったばかりか、恥の上塗り?的な国外逃亡という悪手に頼ったためみっともない連鎖になりました。
国外違法出国は関係者多数に違法行為による訴追される負担を負わせる外、関係政府等に困惑を引き起こすのは目に見えた筈です。
我々弁護士こういう相談を受ければ、自身が新たに違法行為を行うだけでなく、本来無関係な多くの人を違法行為に引きずり込み、迷惑をかけることが目に見えているのでこれをやると
「この人はもともとこういう他人を巻き込んでも違法行為を犯すことをものともしない人だという評価が定着してしまい総合的なマイナス効果の方が大きい」
ことを説明して同意せず実行を思いとどまらせる努力をする・説得に応じなければ辞任することになるのが基本セオリーです。
ゴーン氏は起訴事実の有無という客観的事実で争うより国際世論を味方につけたいという戦略とすれば、このような違法行為を行うことが、国際世論の支持につながると判断したのでしょうか?
国際世論は時間が経たないと結果が出ませんが、稀代の成功者イメージが違法行為の積み重ね・・周りを巻き添えにしてきた・汚れ役には相応の巨額対価を払ってきたので彼らは検挙されるのを覚悟の上だから迷惑をかけていない・・としても「闇の金によって何でもやる」イメージが出来上がっては逆効果でしょう。
国によって受け止め方が違うでしょうが、ゴーン氏が期待するはずのフランスやレバノンでは富裕層との格差に対する不満が盛り上がっている最中です。
こういう国では富裕層実力者が裏でゴーン氏に甘い約束をしたかもしれませんが、巨額資金で違法行為を実行するゴーン氏を英雄扱いどころか、表立って彼を擁護すれば政治リスクが大き過ぎます。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/11/post-13354_2.php

激動のレバノン、大規模デモと経済危機の背景とは
2019年11月10日(日)13時22分
レバノンは10月半ばから、首都ベイルートその他の都市で反政府デモによる混乱が広がり、サード・ハリリ首相が辞意を表明する事態となった。既に危機に陥っていた経済への信頼感は揺らいでいる。
反政府デモの参加者らは、政治エリート層が商売と政治を結ぶ恩顧主義の網を通じ、国家資源を使って私腹を肥やしていると批判している。

私服を肥やしている政治家に対する不満が高じて政権崩壊・その後新政権構想がまとまらないまま漂流している政治状況下ノレバンで、私腹を肥やす象徴的事件のゴーン氏を政治家が公然と庇える状況ではなさそうです。
フランスも格差に不満を抱く反政府デモが昨年から下火にならず続いていることから、マクロン政権はゴーン氏逮捕当初同情的ニュアンスでしたが、国民反発が強かったのですぐに引っ込めて今やゴーン抜きのルノー日産関係再構築に必死です。
レバノンでもフランスでもゴーンが日本で検挙されて帰国できないことを理由に、事実上眠っていた彼に対する疑惑の捜査再開に動き出しそうな雰囲気です。
https://bunshun.jp/articles/-/23607

ゴーン被告、帰国後も雲隠れ 市民から怒りの声も―レバノン
ゴーン氏をめぐり、治安当局は「合法的に入国した」と見なし、法的措置を取らない姿勢。主に富裕層の間で歓迎ムードもあるようだ。しかし、日本で汚職の罪に問われ、司法手続きに従わずに国外逃亡したことについて、怒りの声も聞かれる。
自宅近くで商店を営むハリル・イシュライムさん(65)は「レバノンでは不正がはびこっていて、違法にお金を得た人間が戻ってくるのは当たり前のことだ」と現状を嘆いた。日本では難しくても「レバノンで法の裁きが必要だ」と訴えた。

フランスの状況は以下の通りですが長くなり過ぎるので一部しか引用しません・興味のある方はご自分でどうぞ。https://news.yahoo.co.jp/byline/puradonatsuki/20200102-00157408/

ルノー社労働組合、怒りのコミュニケ発表
フランスの庶民は?
昨晩、筆者はフランス人5人と食事をしたが、ゴーン氏逃亡の話を「おもしろい!やったね!」と言う人は一人だけだった。その他の5人は、「金にあかせてなんでもする人というイメージが再確認されただけじゃない?」と。
Twitter上でゴーン氏逃亡劇を面白がる人もいるが、どちらかと言うと「卑怯」というコメントが多いように感じた。左派「不服従のフランス党」マノン・オブリー氏は「税金逃れをしたあとは、日本の司法から逃れてレバノンへ。富裕層がいかに法から逃れ、国を分断していることか。
いったい彼らはいつまで罰を受けない状態がいつまで続くのだろうか?」と投稿。

フランスの庶民の意見は日本人の期待に合うような意見だけ拾ったかもしれませんが、常識的というか私の意見同様です。
フランスでもゴ-ン氏の旧悪に対する捜査が再開しそうな雰囲気です。
MSNニュース記事からです。

ゴーン被告は法の裁きを受けなければならない-ルメール仏財務相
Tara Patel 2020/01/06 17:48
(ブルームバーグ): 元日産自動車会長のカルロス・ゴーン被告は同様の状況にある他の人と同じように法の裁きを受けるべきだと、フランスのルメール経済・財務相が6日述べた。
ルノーは仏当局に情報を伝え、当局は同社の要請に基づき調査を開始したと同相がラジオ局フランス・アンテルの番組で明らかにした。
同相によれば、ルノーはアムステルダムに拠点を置くルノーと日産自動車の統括会社「ルノー日産BV(RNBV)」に関連する1100万ユーロ(約13億3000万円)についても調査を求める準備ができているという。

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