近代法理の変容1

日弁連や専門家の共謀罪反対論は、国際条約の決め方・議論経過にどう言う問題があったかすら明らかにしないで、(私の理解不足もあるでしょうが・・)理由もなく(近代刑法に反すると言っていますが、これまで書いているように合理的な理由になっていません)実行阻止の主張をしているだけのように見えます。
近代刑法の理念と言っても、国民の利益のために理念が決まって来たのですから中2階の概念を振り回すよりは、共謀罪新設が国民にどう言う利害があるのかを具体的に分析解説して行く方が合理的です。
近代刑法の理念と言う中2階の概念を振り回しているだけでは、素人は何も分らなくて良いから「・・専門家の言うことを信用して!」と言うスタンスに帰するようです。
高度な医療でさえ、インフォームドコンセントが重要と言われているように、今では、「あなたは無知蒙昧だから分らなくていいのだよ・・・・」と言われて、専門家の言うとおりで満足している国民は少ないのではないでしょうか?
医療の場合、いろいろ説明されてから、「よく分らないのでお任せしますのでよろしくお願いします」と言うのが普通ですが、だから何の説明もいらない・・無駄と言う解釈は社会的に容認されていません。
「近代刑法の精神違反」と言う抽象論だけでは今や何も解決出来ない時代・・具体的な効果分析が重要なことを、10月20〜21日ころから書いてきました。
それだけではなく、近代法の理念・・抽象論自体も20世紀に入ってから大幅に変容されて来ています。
たとえば、近代精神は自由な意思活動とそのもたらした結果に責任を負う・・法律効果が生じる意思責任主義が基本です。
近代法理の権化であるナポレオン法典の系譜を引く我が国の民法では、意思表示を法律行為と言い、意思表示に法律効果が生じる原理を採用しています。

民法

(任意規定と異なる意思表示)
第九十一条  法律行為の当事者が法令中の公の秩序に関しない規定と異なる意思を表示したときは、その意思に従う。

上記のように意思責任主義を原則にして、意思表示すれば法律効果がそのまま生じる仕組みです。
難しい言葉を日常用語・・卑近な例で言えば、1個100円で売っているパンを見て、「このパンを下さい」と意思表示すれば100円でそのパンを買う意思表示したことになり、そのとおりの法律効果が生じる・・パンを受け取れる代わりに100円支払う法律義務が生じると言う意味です。
充分な意思能力のない未成年者や被後見人等が自由に意思表示すると貴重な財産を安売りしてしまうかもしれないので、資産保全のために、一律に法律行為無能力者として法定代理人が代わって意思表示する制度設計になっています。
未成年者・子供が家屋敷を売る契約をしても法定代理人がこれを取り消せることになっています。
 民法
 第二節 行為能力

(成年)
第四条  年齢二十歳をもって、成年とする。
(未成年者の法律行為)
第五条  未成年者が法律行為をするには、その法定代理人の同意を得なければならない。ただし、単に権利を得、又は義務を免れる法律行為については、この限りでない。
2  前項の規定に反する法律行為は、取り消すことができる。
3  第一項の規定にかかわらず、法定代理人が目的を定めて処分を許した財産は、その目的の範囲内において、未成年者が自由に処分することができる。目的を定めないで処分を許した財産を処分するときも、同様とする。

 社会防衛と人権擁護1

オレオレ詐欺等では、預金払い戻しの時間場所が払い戻し機のデータで特定されるようになっていて、しかも、その時間帯の現場写真があって犯人割り出しに威力を発揮しています。
モノゴトは社会の安全装置としての役割とプライバシー侵害との兼ね合いでしょうし、公道や大規模商店内での写真撮影から守られねばならないプライバシー性はそんなに高いとは思えません。
立ち小便しているのを写されるのが恥ずかしいと言うような人・・あるいは何か後ろめたいことをしている人の秘密を保護するために防犯・社会の安全と引き換えにするべき議論でしょうか?
防犯カメラ反対論者は、誰のどう言うグループの利益を求めて反対運動しているのでしょうか?
「近代刑法の精神」はまさに19世紀=「近代の精神」であって、20〜21世紀に生きる現在の精神ではありません。
現在には近代とは違う現在の精神が生まれていることを知らない訳がない筈ですが、その説明が必要でしょう。
現在進行中の民法改正の方向性では、過失責任主義から行為時の標準取引基準に変容する予定になっています。
即ち意思責任主義が変容しつつあって民法もこれにあわせて改正しようとする動きになっています。
これは法律が変わることによって社会意識が変わるのではなく、社会意識変化にあわせて法も変わって行くべきことを表しています。
例えば医療事故で言えば、当時の医学水準でどうだったかが問われるのが前世紀以来・・普通になっていte,
担当医の内心を探求して過失や故意を議論しても始まりません・・。」
民法改正の動きはこうした前聖域以来の実態追認のための改正でしかありません。
刑法分野でも重大結果を引き起こしたのに意思責任を問えない場合でも、結果が重大な事件に限って医療観察法が制定されていることは09/08/06「保安処分13と心神喪失者等医療観察法8(入院通プログラムの重要性)」等で連載して紹介しました。
この法律によって医療とは言うものの、行為者・危険な人に対する事実上の社会隔離が進んでいます。
この医療観察法による強制医療は医療とは言うものの、重大結果に限るところが、結果責任を問うような仕組みになっていることや再犯の恐れの条項もあるので、本質的に医療と相容れないと言う批判・・、弁護士会や法学者からこの法律制定時に(・・近代刑法の確立した原理に反すると言う)厳しい批判が出ていました。
当時医療観察法は社会防衛思想・保安処分の焼き直しだと言う批判だったと思いますし、私も同じ懸念を持っていましたが、いま考えると社会防衛思想の行き過ぎで人権侵害になるかどうかこそが問題であって、人権侵害にさえならなければ良いのであって、その兼ね合いを考えながらの社会防衛自体は必要です。
車は危険ですが、ブレーキ等安全装置や運転の仕方次第で有用な道具になっているのと同じです。
殺人事件を次々と起こしても精神疾患等で行為時に意思能力がない以上は無罪だからとして、その都度釈放・・野放しで良いのか?と言う社会の現実がありました。
犬は人間同様の能力がないから咬んでも仕方がないと言わないで、かまないように放し飼いにしないとか相応のルールが生まれています。
意思責任主義を近代法の基本と言う意見が多いですが、我が国では忠臣蔵で有名な浅野内匠頭による松の廊下の刃傷事件が元禄14年3月14日(1701年4月21日)ですから、フランス革命よりも約100年近く前でも、取り調べに際して「乱心致したのだな!」と助けるために問いただす場面が有名です。
吉祥寺の放火事件・・八百屋お七の場面も同じです。
ただし我が国では以前から繰り返し書いているように、庶民の実情からいろんな制度が発達していて、西欧のようにローマペルシャから輸入した観念論から発達したものではありません。

ポンド防衛の歴史17(ポンドの威信6)

ちなみに、平成25年4月17日午後8時5分現在のドル・ポンド相場を三井住友銀行の表で見ると1ポンド売りが147、32円、買いが152,32円となっています。
ドルの売りは97、35円買いが98、35円です。
当時1ドル360円を基準にすると円がドルに対して約3、7倍に上がっていてポンドに対しては約6、7倍余りの上昇・ポンドの約6、7分の1への下落です。
これを個人の年収に置き換えると分りよいですが、イギリス人が1945~65年代には年間1000万円の収入だったのが現在では149万円に下がっている・・日本人の年収が149万円から1000万円に上がったという関係です。
イギリスに旅行すると、何となく元気がない・・イギリス市街がどこも貧しい・沈滞した感じがするのは仕方のないところでしょう。
円安は貿易条件が良くなるという意味は人件費が安く出来るから競争力がつくという意味しかないことを繰り返し書いてきましたが、ポンドの下落を見ればイギリス人の稼ぎがこんなに下がっていることを如実に表現しています。
円安もほどほどにしないと、企業だけ儲かって国民が苦しむことになります。
平成23年12月1日に紹介した「基軸通貨ポンドの衰退過程の実証的研究」は、戦後10〜20年にわたって世界経済を揺るがして来たポンド危機の根源を、為替規制によるスターリング地域の結成と衰退を実証的に研究している分りよい優れた論文です。
(素人の私から見ても、良く分り、子供の頃に抱いていた疑問を解いてくれるという意味ですが・・)
イギリスは裁定相場から完全な変動相場制に移行しているのでポンド防衛から自由にはなりましたが、今でも英連邦諸国との紐帯をどうするかに悩み、共通通貨ユーロには参加していませんし、ことあるごとに主権維持に敏感です。
EUの理念は、主権を徐々に制限して行きながら、将来的には経済一体化を目指すものですから、イギリスがこれに参加しながら主権制限反対に頑強にこだわるのは論理的に無理があります。
貨幣の共通化=グループ構成員間の平均化ですから、グループ内強者は実力以上に為替相場が低く抑えられるメリットを受けますが、平均以下の弱者は実力以上の高い為替相場に苦しめられます。
スターリング地域解体の結果から分ることは、各加盟国に発展不均等がある以上は貨幣の共通化あるいは通貨交換比率共通化は無理があることが分ります。
我が国の地方交付税制度や補助金制度を何回か紹介していますが、それでも弱い地域はドンドン弱くなるのを緩和するくらいが関の山であることは、大都市人口集中・過疎化が進行する一方の各地辺境地域を見れば分ります。
ポンド防衛のシリーズをここでひとまず終わりますが、ギリシャ危機の解決策に関してのイギリスの対応は、戦後ずっと続いて来たヨーロッパの一員に戻るかどうかの重いツケをまだ解決出来ないイギリスの苦しい立場を明らかにしました。
我が国も島国のために中国や朝鮮等の大陸諸国とは基本的に国民性が違うので、将来アジアもユーロのように一体化しないとやって行けない時期が来るとその違いに悩まされるようになると思われます。
このとき・・まだまだ何十年〜100年単位も先のことでしょうが、考えておくべきことでしょう。
ただし、中韓の一体化は歴史経緯もあって目の前に迫っていると思います。
中韓一体化は、元々の支配服従関係(宗主国と服属国)に戻るだけだという視点でまだ冷静に対応して行けるでしょうが、もっとその先の時代・・アジア一体化が進むしかないときに、海の民対大陸と言うアジア島嶼国連合で対応して行けるのかどうかが心配です。
(FTA・TPPその他が発達して来て国境の壁が低くなって、ユーロのような政治的一体化が不要になるのを期待したいものです。)

ポンド防衛の歴史16(ポンドの威信5)

話がそれましたが、経済実力の落ちて来た場合のテーマ・2013-4-7「ポンド防衛の歴史15(ポンドの威信4)」の続きに戻ります。
戦後のイギリスは、経済力が落ちて来たのに格式にこだわって、(核武装もするし武力維持でも無駄に頑張ります)広大な屋敷(毎年の植木屋さんの費用やちょっとした家の修理も半端ではありません)や門塀を維旧家の格式出費が多くて、実生活が苦しい旧家みたいなものでした。
個人の場合、旧家の格式を維持するのが何かと面倒なので都会に出てしまって、簡素な生活に切り替えることが多いのですが、国の場合は逃げ出す訳には行きません。
(大名が明治維新後全員東京に移り住んだのも、元々江戸に住んでいたというだけはなく、地元にいると面倒だった面があったでしょう)
国力の変化を為替相場に委ねてジリジリと実力相応に国家の格式を下げて行けば無理がないし、貿易収支改善も期待出来ます。
現在のギリシャ危機(この基礎原稿は昨年12月10日ころに書いておいたものですが、今ではキプロス危機になっています)の原因も同じで、自国の実力に応じてジリジリと為替相場が下落して行けば自然体で楽だったでしょうが、自国の経済力に直截関係なくドイツ、フランス等EU諸国平均経済実力でユーロの為替相場が決まるのですから一種のバスケット方式に参加してしまった状態です。
実力以上の評価を受ければ外見は格好いいでしょうが・・・その分マイナスが生じます。
能力以上の高校・大学に入ったり、交際関係(庶民が名門女子校に子弟を入れると付き合いが大変なのと同じです)に入るとそのレベルに合わせた付き合いが大変になります。
ギリシャ・キプロス等の弱小国はユーロが実力以上の為替相場になっても、貿易赤字を修正する為替変動を利用するチャンスがなく、赤字が累積してしまった結果現在の危機が来てしまいました。
逆から言えば、どんなに貿易赤字が続いていても通貨下落の心配がないので、ロシアが有効国のキプロスに資金逃避地として巨額預金をしていたのが今回あだ花になりました。
EUとしては基本的に預金の削減・・預金者にも相応の痛みを求める政策のようですからロシアの巨額(不正資金?)預金者は大変なショックでしょう。
中国でもどこでも不明朗国は、裏金をどこか信用出来る国に隠しておきたいようです。
ギリシャは独仏等の相場にリンクするだけで独自の通貨を持っていれば、(アジア危機後のアジア諸国のように)バスケットから離脱すれば良いのですが、自国通貨がない(金利政策も出来ない)ので、イギリスのように自国通貨の売り浴びせを受けない代わりに、為替が下がることによる交易条件を有利に是正するチャンスを失い貿易収支が際限なく悪化してしまったのです。
この解決には通貨切り下げが一番簡明ですがこれが出来ないので、緊縮の強制しかない・・とは言うものの南欧諸国国民が納得しないのが現実です。
EUを完全に経済統合に一歩でも進むか、国別経済の独立性を飽くまで維持するならば、自国独自の通貨・金利政策・為替相場に戻るしかないでしょう。
ちなみに2012年12月11日の新聞報道では、ユーロ圏の新条約会議で10日に合意され、(ギリシャのユーロ離脱よりは)財政規律を強化・財政の一体化強化の方向に決まったようです。(このブログはこの頃に書いてあったものです)
財政規律維持と言っても実際には無理がありますので(12月10日ころに予想して書いておいたこのブログ通りに)今春のキプロス危機では、国民の反発で否決されてしまいました)。
行く行くは日本で言えば青森や沖縄その他地方は独立国ではなく、日本の一部として地方交付税その他補助金など補填して成り立つような関係に持って行かない限り根本的解決にはならない筈です。
ただし、財政規律重視方向は将来的には上記のような財政の一体化に進むしかなくなるので、主権維持を気にするイギリスが飽くまで今回の合意に反対を貫いたので、独仏との間で将来に禍根を残すことになったと報じられています。
ちなみに敗戦直後から1990年までのドルとポンドの対円為替レートがグラフになっているデータがあったので紹介しておきます。

以上は以下のアドレスからのコピーです。

http://homepage3.nifty.com/~sirakawa/Coin/J062.files/Graph13.gif

http://homepage3.nifty.com/~sirakawa/Coin/J062.htm

ポンド防衛の歴史15(ポンドの威信4)

戦後イギリスの長期に及ぶ耐乏生活は、「武士は食わねど高楊枝」的な選択をしたこととは言え、経済実利から見れば格式やメンツにこだわればこだわった分だけ実利で損をするのは当然の負担・結果です。
明治維新以降門構えの割にフロー収入が減っている旧家が、お祭りのときに門構えの格式維持のためにやせ我慢して高額寄付を続けるのと似ています。
イギリスが世界の覇者のときに実力に応じたポンド高だったのでしょうが、ドイツ、アメリカの追い上げを受けて、2番手3番手になり、戦後は日本やフランスにも負けて5〜6番手の老大国・人間で言えば高齢者になって実力が落ちて行けば、相応のポンド下落を徐々に受け入れて行けば(始めっから完全な変動相場制を受け入れておけば)無理がなかったことになります。
スターリング地域の設定によって英連邦諸国に強制預金させて資金をロンドンに集めたり無理をしてポンドの威信を維持して来たのですが、無理が利かなくなってスターリング地域が解体され、更に欧州経済にリンクしてまで何とか維持しようとして来た無理をソロス氏に見透かされたのがポンド危機でした。
変動相場制・・その日その日の実力が赤裸々に出るのがイヤな心理は個人にもあって、出来るだけ大きな組織に属していたい・企業組織も似たような心理があって多様な取扱部門を持っていると一部赤字部門が発生しても全体としては取り繕える期待感があるのと同じでしょう。
多角経営・他部門の収益で下支えがあるのは、臨時緊急事故対応であれば合理的です。
たとえば大震災や一時的水害等のような偶発的事故対応ならば他部門の利益をまわして緊急時をやり過ごして事業再開するのが合理的ですが、恒常的衰退部門なのにその部門を下支えし続けると損害が大きくなります。
イギリスの場合、臨時の事故による損失ではなく基礎的競争力衰退が始まってるのでしたから、この状態で為替相場維持にお金を使っても意味がありません。
イギリスだけの問題ではなく日本だって長い間固定相場制でしたし、アジア通貨危機で多くの国が振り落とされましたが、今でもドルリンク制の国々がのこっているでしょう。
ちなみに4月7日現在のウイキペデイアによれば、
「(アジア通貨危機で殆どの国が振り落とされたので・・私の意見です)現在のドルペック制採用国・地域は香港ドル、エルサルバドル・コロンパナマ・バルボア(硬貨のみ)中東産油国(クウェートは2007年5月に撤退)だけのようです。
バスケット方式の国は、シンガポール、ロシア、マレーシア、中華人民共和国(2010年6月21日より、米ドルとの連動が解除される)」
となっています。
固定相場制から為替制度が始まったのは、金・銀兌換制が始まりであった関係で当然ですが、コンピューター処理が加速している現在時々刻々に相場が変動している実態に通貨交換比率も時々刻々に反映して行くのに技術的困難がなくなったのですから、リアルタイムに反映した方が合理的です。
成長力の高い国にとっては固定相場性で半年〜数年遅れで時々外圧に合わせ切り上げる方が切り上げタイミングが少しでも遅くなるので貿易上有利ですし、追い上げを受けて競争力を失って行く先進国に取っては固定制の場合、為替相場の切り下げ決定が遅くなるので(メンツは少しでも長く保てますが)不利です。
新興国や小国のドルリンク制(ドルペッグ制とバスケット方式)は、固定相場制の変形で、成長率の高い新興国が戦後下落基調の続いているUSドルにリンクしていれば、為替切り下げ競争上有利・・アメリカドルが下落すれば、自動的に自国通貨も切り下げになるので大きなメリットを受けていました。
これがアメリカによるドル高政策(1995年)転換によって、ペッグしているアジア新興国の為替が実力以上に連動して上がってしまったので、ポンド危機同様の原理で投機筋の売り浴びせにあったのが、アジア通貨危機の構造的要因でした。
この危機の結果、多くの新興国がドルペッグ制を放棄しました。
一方的にうまい話はないという教訓の一事例です。

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