ポンド防衛の歴史15(ポンドの威信4)

戦後イギリスの長期に及ぶ耐乏生活は、「武士は食わねど高楊枝」的な選択をしたこととは言え、経済実利から見れば格式やメンツにこだわればこだわった分だけ実利で損をするのは当然の負担・結果です。
明治維新以降門構えの割にフロー収入が減っている旧家が、お祭りのときに門構えの格式維持のためにやせ我慢して高額寄付を続けるのと似ています。
イギリスが世界の覇者のときに実力に応じたポンド高だったのでしょうが、ドイツ、アメリカの追い上げを受けて、2番手3番手になり、戦後は日本やフランスにも負けて5〜6番手の老大国・人間で言えば高齢者になって実力が落ちて行けば、相応のポンド下落を徐々に受け入れて行けば(始めっから完全な変動相場制を受け入れておけば)無理がなかったことになります。
スターリング地域の設定によって英連邦諸国に強制預金させて資金をロンドンに集めたり無理をしてポンドの威信を維持して来たのですが、無理が利かなくなってスターリング地域が解体され、更に欧州経済にリンクしてまで何とか維持しようとして来た無理をソロス氏に見透かされたのがポンド危機でした。
変動相場制・・その日その日の実力が赤裸々に出るのがイヤな心理は個人にもあって、出来るだけ大きな組織に属していたい・企業組織も似たような心理があって多様な取扱部門を持っていると一部赤字部門が発生しても全体としては取り繕える期待感があるのと同じでしょう。
多角経営・他部門の収益で下支えがあるのは、臨時緊急事故対応であれば合理的です。
たとえば大震災や一時的水害等のような偶発的事故対応ならば他部門の利益をまわして緊急時をやり過ごして事業再開するのが合理的ですが、恒常的衰退部門なのにその部門を下支えし続けると損害が大きくなります。
イギリスの場合、臨時の事故による損失ではなく基礎的競争力衰退が始まってるのでしたから、この状態で為替相場維持にお金を使っても意味がありません。
イギリスだけの問題ではなく日本だって長い間固定相場制でしたし、アジア通貨危機で多くの国が振り落とされましたが、今でもドルリンク制の国々がのこっているでしょう。
ちなみに4月7日現在のウイキペデイアによれば、
「(アジア通貨危機で殆どの国が振り落とされたので・・私の意見です)現在のドルペック制採用国・地域は香港ドル、エルサルバドル・コロンパナマ・バルボア(硬貨のみ)中東産油国(クウェートは2007年5月に撤退)だけのようです。
バスケット方式の国は、シンガポール、ロシア、マレーシア、中華人民共和国(2010年6月21日より、米ドルとの連動が解除される)」
となっています。
固定相場制から為替制度が始まったのは、金・銀兌換制が始まりであった関係で当然ですが、コンピューター処理が加速している現在時々刻々に相場が変動している実態に通貨交換比率も時々刻々に反映して行くのに技術的困難がなくなったのですから、リアルタイムに反映した方が合理的です。
成長力の高い国にとっては固定相場性で半年〜数年遅れで時々外圧に合わせ切り上げる方が切り上げタイミングが少しでも遅くなるので貿易上有利ですし、追い上げを受けて競争力を失って行く先進国に取っては固定制の場合、為替相場の切り下げ決定が遅くなるので(メンツは少しでも長く保てますが)不利です。
新興国や小国のドルリンク制(ドルペッグ制とバスケット方式)は、固定相場制の変形で、成長率の高い新興国が戦後下落基調の続いているUSドルにリンクしていれば、為替切り下げ競争上有利・・アメリカドルが下落すれば、自動的に自国通貨も切り下げになるので大きなメリットを受けていました。
これがアメリカによるドル高政策(1995年)転換によって、ペッグしているアジア新興国の為替が実力以上に連動して上がってしまったので、ポンド危機同様の原理で投機筋の売り浴びせにあったのが、アジア通貨危機の構造的要因でした。
この危機の結果、多くの新興国がドルペッグ制を放棄しました。
一方的にうまい話はないという教訓の一事例です。

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