政党と弁護士会・学者の違い2

日本国民の人権・平和を守るための国防がどうあるべきかが議論になっているときに、現行憲法が唯一正しいと言うべきか、もうちょっと変えた方が良いかの議論はまさに政治論であることは論を俟ちません。
その他の憲法条項改正の可否も同様です。
死刑廃止運動も似たような弁護士であれば当然と言う論法で、日弁連は会員の意思を個別具体的に聞く必要を認めません。
以下はhttps://www.nichibenren.or.jp/activity/document/statement/year/1992/1992_21.htmlからの引用です。
「国家秘密法に反対する日弁連の昭和62年総会決議の無効確認と日弁連運動の差止等を求める一部会員からの提訴につき、本日、東京高等裁判所第5民事部(川上正俊裁判長)は、日弁連側全面勝訴の判決を言渡しました。
この判決は、本件日弁連決議と日弁連運動が構成員である会員個人の権利を侵害するものではないという理由で、原告である一部会員たちの請求を全部棄却した本年1月30日付の一審判決を基本的に維持しています。
今回の判決は、その上で、次の点を積極的に認定・判断しました。
1 弁護士会の活動は、「目的を逸脱した行為に出ることはできないものであり、公法人であることをも考えると、特に特定の政治的な主義、主張や目的に出たり、中立性、公正を損なうような活動をすることは許されない」
2 しかし、「弁護士に課せられた」弁護士法1条の「使命が重大で、弁護士個人の活動のみによって実現するには自ずから限界があり、特に法律制度の改善のごときは個々の弁護士の力に期待することは困難である…ことを考え合わせると、被控訴人が、弁護士の右使命を達成するために、基本的人権の擁護、社会正義の実現の見地から、法律制度の改善(創設、改廃等)について、会としての意見を明らかにし、それに沿った活動をすることも」、目的の「範囲内のものと解するのが相当である。」
3 本件総会決議は、「本件法律案が構成要件の明確性を欠き、国民の言論、表現の自由を侵害し、知る権利をはじめとする国民の基本的人権を侵害するものであるなど、専ら法理論上の見地から理由を明示して、法案を国会に提出することに反対する旨の意見を表明したものであることは決議の内容に照し明らかであり、これが特定の政治上の主義、主張や目的のためになされたとか、それが団体としての中立性などを損なうものであると認めるに足りる証拠は見当たらない。」
日弁連としては、今回の判決が、十分な会内合意に基づく日弁連活動の実状とそれに関する日弁連側の主張を全面的に認めて、正しい事実を認定し、これに正当な法的評価を加えたことを高く評価するものです。
日弁連としては、今後とも、「基本的人権の擁護、社会正義実現」のために、ひろく国民の皆さまとともに、いっそう、弁護士会活動を発展させていく決意です。 1992年(平成4年)12月21日  日本弁護士連合会 会長 阿部三郎
上記のとおり弁護士会の目的の範囲内と言うのですが・・・。
テーマを政治活動経費に使った分の会費徴収が違法と言う争いにしているからそう言う結論になったのかも知れませんが、強制加入による脱退の自由がない点を無視または軽視した判断と思われます。
この判決書き事態の検索が出来ない・・探せないので、日弁連の要約しか分りませんが、どこかで読んだ記憶では、弁護士自治の重要性に鑑みよほどの逸脱がない限り裁判所は介入しないと言う趣旨を書いてあった記憶・・根拠を探せません。
この高裁判決以降弁護士会の政治運動は一種の治外法権みたいな結果になっていますが、この判例は以下の通り(いつも書くように個人的思いつきですが・・)おかしいと思います。
弁護士の政治運動は国民の一人として自由ですが、ここでは、弁護士会としての政治運動の許容範囲を書いています。
弁護士は強制加入団体のために、弁護士会で特定政治会派のための政治運動すると反対会派を支持する弁護士個人の思想信条に抵触する・・イヤなら脱退すれれば良いと言うわけに行かない・・強制加入団体の特質をどう考えているかの疑問です。
左翼系がよく持ち出す例では学校で国歌斉唱するのは、「歌いたくない児童に対する思想信条の侵害」だと言う意見ですが、左翼系が多数を占める弁護士会では逆に少数派派の信条など全く無視で良いのかと言う議論です。
今朝ユーチューブで聞いた長島議員の民進党脱退の記者会見を聞いていると似たような意見を述べていました・・曰く民進党は政府攻撃には人権人権と言うが自分の敵対者に対する(表現の自由と言ったかどうか忘れましたが、)人権など全く気にしない体質だという趣旨のクダリです。
個々人の政治信条に関係なく弁護士会が特定政治意見を発表したり政治運動するのは、会内少数者の意見無視・思想信条侵害で行き過ぎではないかと言う争いにこの判例がきちんと答えているのでしょうか?
実務を通じて知った問題点・法の不備を訴えるのは実務家集団として必要な職責です・・消費者問題ではこの種の弁護士会の前向き提言が多く、実務上も多く採用されていることからも・・前向き提言する職務性は十分理解出来ます。
その場合でも弁護士会は問題提起どまりであるべきであり、その解決策についてA案B案C案等が入り乱れ政党間の対立法案になったばあい、新法案や規制強化の方法については国民の信託を受けた政治の分野で決めていくべきであって、組織として特定案の立場で反対・推進運動までする必要がないし、許されないのでないかと考えられます。
日弁連要約によれば高裁は「法律制度の改善は・・」と書いていますが、上記のとおりの前向き提言の役割はまだ妥当するとしても新法制定反対や既存法改正反対運動・・要は反対運動が「改善運動になる」というのは、飛躍がある・似ているようでいて少しズレていませんか?
実務家として現状の不備に気が付くことが多いのは分りますが、現状の法令が唯一無比で改善の余地がない・・あるいは改善策には多種多様なモノがありますがどの改善策が一番良い・・その他は反対と何故分るのでしょうか?
どのように改善すべきかは、(専門的見地から審議会委員になり、あるいは、参考人として専門的見地から意見を述べるのは自由)これら専門家の意見を前提にして最後は政治で決めるべきことです。
憲法擁護義務があるから改正反対運動は当然の行動だと言う意見がありますが、なぜ=で繋がるのか分らない人が多いと思いますが・・その主運動家から言えば分らないのはアタマが悪いから・・と言うのでしょうが?
その論理で言えば、「公務員は法律を守るべきである→業界等の情報から既存法令が不都合になった部分があっても改正に反対するべきである」から改正しようとして法案準備するのは法令遵守義務違反であるとでも言うのでしょうか?
何か新しいことを始めようとすると大方の場合、既存法令に抵触することが多いので新法令が必要ですが、既存法令遵守義務があることから、「新法令制定に反対することは全て正しいし、政治運動でも何でもない」となり、国会議員も憲法遵守義務があるから、改正論に先ずは反対すべきとなるのでしょうか?
「何でも反対しろとは言っていない」とすれば、その取捨選択行為をどう言う基準で行なうのか?この選択こそがまさに政治活動ではないでしょうか?
憲法遵守義務から憲法改正反対に結びつく・ならば、既存法令の改廃には、国民は法を守る義務があるから先ず反対すべきである・・社会変化拒否思想ですが・・まさに旧社会党が新しいことには「何でも反対して来た」思想的根源がよく分ります。
以上のとおり、法律家である以上憲法を守る義務がある=憲法改正に反対するのは、自動的に出て来る?活動であり、許された政治運動だと言う説明は詭弁そのものではないでしょうか?

政党と弁護士会・学者の違い1

成田空港・高速道路反対運動で飛行機や高速道路を利用しないのに庶民は被害だけ受けるとか、公害反対運動では金持ちは遠くの安全な住宅街で安穏と暮らしているとか・・・・弁護士になったばかりの頃に頻りに参加勧誘を受けて来たことを何回も書いてきました。
ところが、彼らの説明とは違い、モータリゼーションの進化、一般人の飛行機利用が活発化する時代を見越した政府の方が(空港開設や高速道などは数十年前から候補地選定〜用地買収など準備しないと間に合いません)先見の明があったことが分ります。
西洋19世紀型二項対立社会を前提に意識の低い庶民を指導する「前衛」と自称していた人たちの方が、保守党よりも数世紀後れの「後衛」だったことが次々と分って来ました。
西欧近代の革命理念は言うまでもなくアンシャン・レジーム・絶対王政否定の抵抗・・社会を近代化しようとする入り口のスローガンであって、近代社会そのものですらありません。
革命だけ起こせば、社会底辺までの近代意識が完成するものではなく、牢固たる慣習や意識払拭の戦いのためのスローガンが必要です。
リンカーンの奴隷解放宣言だけで直ぐに黒人奴隷が解放されみんな自由平等になったのではないアメリカの現実を見ても分るでしょう。
何十回も書いていますが、日本は国民との血族意識が強固で圧迫隷従の関係がない・社会の基礎が違うのですから、西欧革命前のアンシャン・レジームの存在を前提にこれをぶちこわす意識の高い前衛?であると自分で名乗っても、日本にはそう言う過酷な制度が元々ないのですから・・何を言ってるの!となってしまうわけです。
敗戦後占領軍政の先棒を担ぐ人・・ありもしない架空の搾取構造が日本にもあったかのように捏造する歴史家やカムイ伝のように史実に基づかない酷い搾取支配があったかのような捏造系文化人?が多く出て、この延長で慰安婦捏造物語が出来たと思われます。
ノンフィクション?を書いた吉田氏は文芸作品である以上創作して何が悪いか?と言うような意見だったと言われていますが、・・4〜5年前にアメリカで格差が問題になると直ぐに日本でも格差反対運動が起きるなど・・日本と欧米では元々国情・歴史が違うのを無視して欧米で起きた先端的騒ぎを持ち込む人がいますが、日本人には空疎な響きしかありません・・。
革新系政治運動家と言い、人権活動家・文化人と称する人たちは「後衛」と言うよりは、結果的に何でも反対し社会対立煽りたい人のグル−プじゃないかの評価が定着して来ました。
近代法の原理とはい言うものの上記のとおり破壊すべきアンシャン・レジームの残滓があって、その除去・戦いのための戦闘モード制度設計・・発展途上向けであり、信頼関係の確立した安定社会向けではありません。
命がけの抵抗・大革命の結果、人民のための政府を目的に樹立されたとは言っても、気を抜けば直ぐに先祖帰りする・・政府は信用出来ないから三権分立で相互監視すべきとか政府は信用出来ないから人権保護のための令状主義・・そう言う不信を基礎にしたシステムです。
いわゆる西欧近代法の法理とは、命がけで反抗しなければならなかったほど王権(西欧の多くは異民族支配で支配者と庶民は体格からシテ違います)に苦しめられて来た民族が命がけで抵抗して勝ち取った特殊な歴史を前提にした発展途上の制度です。
命がけで勝ちとった以上は「近代法の法理を守れ」とか「憲法を守れ」と言うのは、せっかく抵抗に成功して王の支配権を奪ったもののなお基盤が危うく(フランス革命は帝政〜王制〜共和制などの揺り戻しの繰り返しでした)・猜疑心ばかりで構築されているのは歴史の当然です。
日本のように古代から温和に上下共に相互信頼関係でやって来た社会で猜疑心を煽り分裂させようとするのは無理があります。
ただ、怠惰な人にとっては西欧の歴史が素晴らしく「相互猜疑心のある社会ほど良いものはない」と学校教育で受けたお題目を唱えていると自分で考える必要がなくて楽だし、素朴に人を信じる人には「お前こんなことも知らないのか!と偉そうに言えるし・・と言うことで何でも新しいことに反対しているのかも知れません。
日本の前衛・進歩的文化人?活動家は、数世紀前に漸く「民を大事にしろ」と革命を起こしたに過ぎない程度の社会を有り難がっているのですが、にっぽんでは古代からそんな過酷支配がなかったのですが、現実を見る目がないのでその違いが分らないのでしょう。
そこで、欧米の革命運動家を気取って自分クニでも政府のすることに何でも反対することが進んだ行動だと誤解しているようですが、猜疑心で凝り固まり抵抗ほど素晴らしいならば、中国〜北朝鮮〜ロシア程度の社会に行って、庶民のために政府権力と戦ってこそ本当の人権活動家と言えるでしょう。
ところで政党の場合、国民に選択権があるので、日本より数千年レベル遅れた社会モデル・搾取構造を基本にして反対ばかりしていても、どこのクニのな話をしているの?となって支持が減る一方です。
ところが大学や弁護士会は、学問の自由や自治が保障されて来た結果、世間から遊離した馬鹿な主張を繰り返していてもどこからも是正されません。
政党支持率の変遷・・学校秀才や学者の言うとおりの主張する政党の支持率低下を見れば、学校教育が数世紀後れの社会を基準にしていて社会実態に合っていないので、普通の判断力のある子供→20〜50年経過した有権者に受入れられていないことが分ります。 
世の中にはメデイアを通じて洗脳される人もいる・・誤解がはびこっているので念のために書きますと、法律家は現憲法を守って行動すべきですが、憲法規定が社会にとって有害・・不都合な事態が起きれば、これを改正する必要があれば提言することが職務違反ではありません。
憲法擁護義務があるから改正反対の運動は、政治活動にあたらないから弁護士会は会員の思想信条に関わらず会費拠出など(強制)出来ると言う詭弁が流布しています。
こう言う詭弁がまかり通っていることを見ると、この程度の詭弁に簡単に騙される人が多いと言うことでしょうか?
あるいは詭弁に気が付いているが、弁護士自治があって外部から文句が言われないから無理を承知で言い張っていると言うことでしょうか?
北朝鮮や中韓が何かあると何でも「日本の責任だ」と強弁するのに辟易している人が多いともいますが、正義・マトモな会話の通じない集団と世間から思れているのでしょうか?
弁護士は法運用の先端にいる以上いろんな不都合に早く気が付くものですから、いろんな法令に不都合があれば率先して改正提言することこそ職務上要請されていますし、公務員も法令遵守義務があっても実務をしているので取引内容の変化に合わせて新たな規制などを研究するのが普通です。
憲法や法令遵守義務と現行法令改廃に反対する義務は=ではありません。
日弁連や単位界が会員から集めた資金を憲法改正反対運動に使って良いかが議論になると、弁護士であれば憲法を守る義務がある→憲法改正反対運動は政治活動でない・憲法遵守義務から憲法改正反対義務が要請されているかのような珍妙な議論がまかり通っています。
あるいは平和憲法を守るのは人権擁護を職責とする弁護士の義務だと言う人もいます。
義務行為であるから政治運動ではないかのような主張です。

目的と手段の違い3

中華思想と民生重視の関係に戻りますと、栄華復興のために産業の活発化・民生重視が必要であり、対立する軍閥と差を付けるために、(民の支持を引きつける手段として・・)三民主義を掲げるのと、民の幸福を目ざして政府を樹立する場合の民生重視とでは、意味・位置づけが大違いです。
政権獲得手段に位置づけて民生重視する場合と最終目的に位置づけるのでは出て来る表面の現象は一見同じでも大きな違いになります。
政敵を葬る手段として汚職撲滅を主張して政敵ばかりびしびし取り締まるのと、本当に汚職のない清廉な政治を目指すのとでは、実際の効果が大違いであると言えば良いでしょうか?
公害垂れ流しで空が見えないほどになっている中国にも、先進国基準に準ずる環境規制があり、その他先進的法制度(労働法規や衛生基準)がありますが、これは先進国に「バカにされない」ためと内国企業に下駄を履かせる「外資嫌がらせ目的」ですから意味が違います。
内国企業はいくらでも袖の下でお目こぼしがある・・外資あるいは政敵系に対しては少しでも違反(環境規制に限らず保険衛生基準や労働基準も皆同じ)がないかしょっ中目を光らせるので、外資には先進国並みの厳しい規制が適用されるので、(他方就労する中国人のモラル・法令遵守意識が低い・・マクドナルド工場の非衛生な実態がテレビ放映されて大打撃を受けました)内国企業に比べてものすごいハンデイがあります。
内国企業でも保護してくれていた政治家が主流から外れた途端に、これまでお目こぼしされていた各種違反がイキナリ摘発される運命ですから、法治主義ではなく、人治主義の国と言われている所以です。
環境規制や汚職が行けないと言う法制度は全て手段であり目的ではありません。
この手段と目的の取り違え社会は実は、先秦諸子百家・韓非子の法家の思想から始まっています。
法家の思想は「正義」の主張ではなく、専制権力を効率的に行使する・・ロボットのように内容の是非に拘らず決められた職分を機械的に守らせる思想だったからです。
取り締まり目的ですから権力に取り入った方にはお咎めなしの原則です。
専制支配のためには法が細ければ細いほど権力者に都合が良いので煩さ・細かくなる一方でした。
秦朝を倒した漢の劉邦が真っ先に「法三章」(大枠)のみと宣言したのは、如何に人民が煩さな法に困っていたかを表しています。
2003/05/10「中国の法形式主義1(法家の思想)」で、この辺の違い・・今の法治主義との違いを紹介しました。
日本では「法」と言えばトキの権力者も侵すべからざる超然たる正義ですが、中国では権力者の都合で法を決めてしかもその運用も権力者の意向次第という理解で約2000年間もやって来たのです。
同じ「法」という漢字でも日本と中国では意味がちがっていたのです。
日本では古来からこの違いを前提としてトキの権力者の都合で変わる形式的ルールについては、「律令」として法の漢字をあてていません。
専制支配を確立した始皇帝がこれは便利だと採用し、約2000年間以上も続いて来たのが中国地域の支配体制です。
こう言う社会では社会実態を無視した・・・いくらでも厳しい法律の制定が可能です・・「上に政策あれば下に対策あり」と言われる社会ですから、国民の方は権力に近ければ法令など全く無視して事業運営が出来るし、政敵だけ取り締まられる関係ですから気にしません。
ソモソモ政府自身が、法を守っていません・・名の知れた政府高官でさえ、いつの間にか行方不明になって、半年ほどしてイキナリ党紀違反があったので党規律委員会が取り調べていると言う報道がでて裁判が始まる仕組みです。
法に従った手続はそれから始まる・結果が決まってからのセレモニーになっています。
習近平政権までは内部抗争があっても常務委員などトップクラスには直接手を出さない不文律があって精々影響力が弱まる程度の政争にとどまっていました。
露骨な政敵潰しがなかった・・・一応権力者は共産党と言う1枚岩の強力な独裁政権だったので、共産党にさえにらまれなければ、どうにもなる・・子供を共産党に入党し内部で人脈を作れば良い簡単な関係でした・・民主国家のように野党与党が簡単に入れ替わることがないので安心だったのでです。
専制君主制度下で優秀な人材が官僚に組み込まれて行く関係の現在版です。
専制体制・・すり寄る相手が単純でリスクが少なかったことも汚職文化が根付いた原因であったかも知れません。
こうして内部エリートとして育って来たのがいわゆるダンパ・・専制君主時代の官僚であり、太子党(共産党創設時に功績のあった人の子孫)とは専制君主時代の名門貴族(王朝創設時に功績のあった人)の子孫となります。
中国王朝は毎回、科挙選抜の官僚層と名門貴族の抗争が政治の主たるテーマでしたが、・・例えば唐時代の有名な詩文家韓愈が左遷されるときの漢詩を紹介したことがあります・・今までこれが繰り返されて来ました。
腐敗、汚職に戻りますと、2000年間あまり・権力にすり寄ることが最重要価値観・・汚職と言う意識さえなく、みんなが袖の下を前提に生活している社会で、頼りにしていた人が失脚すると一族の範囲どころか「罪九族に及ぶ」(何故九族に及ぶかと言うと一族の族滅→姻戚関係に及ぼす→そのまた姻族となるので結果的に九族の範囲までで打ち止めとなって行くようです)、と言われる社会でしたので、当然その庇護下にあった周辺に不利益が及びます。
こうして大幹部の失脚があるとその周辺もイキナリ汚職で検挙され各種嫌がらせを受けてしまうことも2000年間あまり続いてきました。
こう言う社会は汚職やルール違反が行けないかどうか・・人として何をして良いか悪いかよりは、非主流に転落することがマズイことだと言う最大の行動基準・・価値観が基本になります。
日本から、公害除去装置付きで売ると中国企業から、生産効率が下がる(コストが高くつく)から取り外して欲しいと言われるのが普通と言われています。
環境を守るのが主目的ではなく、先進国並みに規制があると言う外形・・国威にこだわっている手段に過ぎないからです。
清朝崩壊後無数と言えるほど各地軍閥が入り乱れていた新興勢力の中で、孫文とその後継者蒋介石による三民主義の大宣伝・・農地再分配部分の強調は、政権支持者獲得手段として、国府軍が支配を広げるときには農民兵の志願者が増えるなど大いに役立ちました。
ところが、北伐に成功し実際に支配地経営が始まってみるとどうにもならなかった・日本の民主党が政権獲得手段として実行出来ない政策を主張していただけで実際にやる気もなかったことから、政権を握ってみるとマトモな政治が出来ず信用を失ってしまったのと同じです。
賄賂社会に戻りますと、中華民国政府の綱領・・三民主義は立派な理想を書いていたので、当初庶民を引きつけ国民党軍への農民志願者が集まったのですが、国府軍・・蒋介石政権が(支持を取り付ける手段だけではなく本気で民生重視を考えていたかも知れませんが)共産軍より早く政権を取った関係で、具体的実行段階になると社会末端まで不正社会でなりたっているので、腐敗の泥沼に飲みこまれてしまった印象です。
共産党軍は遅れて支配を伸ばした関係で、日本敗戦時にはまだボロが出ないで有利だったことになります。

三民主義・目的と手段の違い2

昨日、漢詩の1節を引いて紀元前の前漢初期から賄賂社会であったことを紹介しましたが、「漢民族の特性」と言えばそれでおしまいですが、何故こう言う民族性になったかの原因が重要です。
繰り返し書いていますが、秦の始皇帝以来専制支配体制が確立したこと・・と関係があるように思えます。
民の工夫努力・自由な発想よりも、上司の気に入るか否かが最重要社会・・権力者の気に触るといつクビが飛び、一族皆殺し・族滅の危機に遭うかもしれない社会が2000年も続いてきましたので、漢民族はいつもびくびくして目上のご機嫌を窺うしかない状態・・勢い上司・強いものに取り入ることが最大の行動基準社会になります。
派生的に取り入るべき派閥が出来、(漢時代に党錮の禁が始まり、各王朝で党派の争いがいつもあります)今でも上海閥やダンパあるいは太子党などの派閥がありますが、その下位集団として習近平や李克強の過去の勤務地別の派閥もあり複雑です)相手派閥を蹴落とすべく権謀術数工作も盛んになります。
中韓政治家が、国際社会でのロビー活動などでは、権謀術数の経験に乏しい、日本などはモノの数ではないと豪語して来た所以ですし、実際に中韓のロビー活動により、国連での日本非難決議に向けた下工作が横行しています。
国際機関やスポーツ組織にいつの間にか韓国系が浸透しているのがこれです。
中国の派閥とは、透明性の全くない私的集団・マフィア的人的つながりを言うものであって、政策研修・勉強会などしている政策集団の日本の派閥・・東京弁護士会の派閥でさえ勉強集団です)とは本質が違っていますので、日本の派閥をイメージする翻訳は意図的すり替えの疑いがあります。
石油閥などが報道されるので、利権集団的側面もあるように思う方が多いでしょうが、人脈形成の主目的がイキナリ失脚するリスクを減らし出世するためにある・・その結果として利権集団化しているに過ぎない・・手段と目的の関係が違っています。
専制や独裁の場合、出世あるいは牢獄に繋がれるかの基準が社会のために良いことをしているか正しいコトをしているかよりも自分の親分が主流派になれるかで決まる社会です。
政敵失脚させるためには表向き何かの失敗を取り上げられるのですが、取り上げられるかどうかの大もとの選別基準は政敵かどうかによります。
現在の腐敗撲滅運動を見れば分るように習近平周辺には及ばず政敵粛清目的で賄賂を取り締まっていると言われているのは正にこれで、政敵粛清が目的であって、汚職摘発はその手段になっている・・主目的がどこにあるかで大きな違いが生じる例です。
権謀術数は相手を蹴落とす目的であって、陰で讒言するのが基本的攻撃手段で正義の基準は不要ですがこれが長年有効だったのは、専制社会では1回勝負の社会だったからです。
政治抗争に勝てば相手一族皆殺しですから1回勝てば「勝負あり」になる・・どんな卑怯な手段でも何をしてでも勝つことが最重要基準で・・勝ってしまえば、相手を皆殺しに出来るので、後に道義的非難などあり得ない社会を前提にしています。
日本は縄文の時代から争いがあってもトコトンやらない社会ですから、卑怯な勝ち方をすると時間の経過でいつかは真実が出て来る・・数百年単位での評価・・手段が卑怯かだけはなく結果もやり過ぎかどうかを含めて批判される・・後で社会全体の批判を受けるのが怖い・・名誉重んじる社会がこうして出来上がっています。
讒言などするとあとでバレル・・陥れたとなると結果的に「損」と言う社会ですから、パク大統領の讒言外交には唖然としてしまったのです。
専制社会で負けた方が皆殺しされる制度で、負けた方はどんなに正しい意見であっても一族関係者が皆殺しに合うので何も言えない言うべき人が残らない仕組みです。
勝った方が抗争の歴史を書き換えて行く社会では、どんな非道な手段を弄しても勝つことが先決の社会になります。
アメリカ日本を戦争に引きずり込み原爆まで投下したのは、そう言う基準・・勝った方が歴史を塗り替えれば良いと言う方針があったことはそのご戦犯裁判や中韓を使っての「歴史修正主義者のレッテル貼り」に精出して来たことから見ても明らかです。
現在の中韓両国の経済活動を見ても、1回勝負のやり方は変わっていません・・。
目先の受注量を競うために採算割れの無茶な受注あるいは自国技術で出来そうもない無謀な受注競争を仕掛け、怒濤の勢いで規模拡大をする・・購買力誇示のために続く訳もない爆買いで札ビラを誇示する・・みな同じです。
目先にこだわるのは、一時的に相手を失脚・倒産させれば、永久に自分が支配出来る社会が2000年も続いたことにより、先ず受注競争に勝って競争相手を潰してしまえば、後は独占企業としてスキなように契約変更も出来ると言う思想によります。
中韓の一時的な反日攻勢が効を奏さずジリ貧になって来たのは、閉鎖された専制社会とは異なり国際社会ではロビー活動で如何に噓八百を言って勝っても、毎回相手を奴隷化することが出来ない・・精々一時的に多数派形成し、ありもしない慰安婦決議慰安婦像を建てたり南京虐殺を世界遺産に登録する程度がやっとですから、長期的には真実・正義を主張している方が勢力を回復して行きます。
時間をかければ中韓の噓がバレて信用をなくして行く・・時間の経過でグランデール市のように「慰安婦像があるだけ韓国にとって惨め・恥の歴史」を世界に残して行くことになるでしょう。
勿論この像建設を推進した市議などもその内恥をかいて行くと思います。
一時的にアフリカやオーストラリアなどを資金力や資源その他の爆買いで捩じ伏せていても、こう言うやり方は先が続かない・・一過性でしかないので、その間にこのときとばかりに目一杯威張ってしまうことも愚かで浅ましい限りです。
一過性の爆買いや投資が減少すれば威張られた方は直ちに愛想を尽かしますので、中国が投資して来たアジア(ベトナムやミャンマー・カンボジアなど)アフリカ諸国では、元々親切な日本に足下を掘り崩されつつあるのがその例です。
権謀術数で言えば、日米戦争の始まりは、(その前から非白人国家日本を壊滅させるアメリカの基本政策があってのことですが・・)蒋介石夫人宋美齢がルーズベルトに対する工作が成功して蒋介石軍の応援を始めたことが日本を敗北に追いつめた切っ掛けです。
ですから、一度で大損害の生じる戦争に関しては、権謀術数の重要性は変わりません。

中華(光復)思想3(目的と手段の違い1)

ここで孫文と中華思想の関係を見ておきましょう。
孫文の事績・・http://www.jacar.go.jp/modernjapan/p06.htmlからの一部引用です。
「1905年には、これまで革命活動を行ってきた興中会・華興会・光復会が結集して、東京にて中国同盟会が結成され、孫文は総理となり、革命運動をさらに推進することとなります。」
清朝打倒運動団体には、以上のとおりの3名称の団体がありこれが合体して(町村合併に多いあんちょこな言い方をすれば3団体の文字合わせ?)「中華」+復興思想に結実して行った経過が分ります。
上記共通の復興名称は国名にふさわしくないから消えていったものと推測されますが、復興を願う心情は自明のこととして掲げなくなった可能性もあります。
今でも韓国.台湾(中華民国政府)では「光復節」が大々的に行なわれていますので、中韓民族にとっては今でも「光復」が最大テーマであることがわかります。
https://ja.wikipedia.org/wiki
「光復節(こうふくせつ)は、大韓民国および台湾の祝日。
8月15日。大韓民国の祝日で、朝鮮半島が日本による統治から解放されたとされる日。光復節 (韓国)を参照。」
日韓併合前の日清露3国のヘゲモニー争いの間でどちらに付くかで右往左往していて殆ど自立性のなかった朝鮮の状態をとりもどすのが何故「光復」なのかという突っ込みを入れたくなる人が多いでしょう。
2013/09/08/韓国民の行動様式19(恩を仇で返す国1)のコラム以下で、高宗政府に対するクーデター未遂事件の黒幕として当時政界の大物(王族重鎮です)「大院君」でさえ駐留していた清朝の軍閥・・袁世凱に拘束され中国に連行されてしまう状態・・文字どおり清朝の直接軍事支配下にあったことを紹介したことがあります・・文字どおり清朝による直接の軍事支配下にあったのが李氏朝鮮です。
今のチベットやウイグル自治区の少数民族弾圧の厳しさが世界ニュースになっていますが、自治区と言っても警察から軍事に至るまで、直接支配を受けている今の状態よりももっと厳しい状態を(当時は国際批判など全くありませんので・・)想像すれば、当時の清朝による朝鮮族支配の苛酷さがわかるでしょう。
清朝による過酷支配があったからか?李氏朝鮮による人民支配も過酷を極めていました。
日本支配前に戻る=一般人(ヤンパン支配下の人口は約95%)にとって、文字もまともに読めない奴隷のようなヤンパン支配下の状態に戻るのが何故「光復」か?となります。
1説には、日本によってヤンパン制度が廃止されて平等に教育されてしまったことを恨む旧支配層が元に戻るのを歓迎しているだけともわれますが・・。
パク大統領・・ひいてはこれを支持する韓国人の心情が中国・・元〜明〜清朝と続く従属時代の復活を望むのをいぶかしく思う日本人が多かったのですが、彼らの心情はヤンパン支配復活への郷愁と日本の風下に立つよりも清朝やモンゴル支配下で、日本よりも席次が上だった(勝手に思っているだけですが・・)と言う序列復活の方が嬉しいのです。
上記のとおりとすれば、今後中国の時代が来ると読んで逸早く馳せ参じて、より良い席次を獲得期待に傾いた気持ちが分ります。
中国革命運動家の心情に戻りますと、冒頭紹介の団体名から見ると、孫文ら革命運動家の希望は現在の不名誉・屈辱的な現状打破を求めるスローガンとして過去の(あったかどうか不明の)栄華の復活を主張していた諸団体が革命運動の母体であったことが分ります。
フランス革命などでは過去(アンシャンレジーム)を断罪し、新しい時代の到来を主張する組織を革新系と言うものですが、中国の場合、清朝打倒を言うもののめざすべき心情は「栄華の復活」だったことになります。
中国古代からの王朝崩壊・「易姓革命」が流砂のような民衆の無目的暴動によって起きて来たのに比べれば、「王朝打倒」の目的意識のある運動である点では一歩進んでいましたが、政権打倒するのが目的であって、「光復」が主目的では、新たな近代社会作り出すと言う・・西欧的意味での革新運動家ではありません。
清朝はモンゴルのような世界帝国になったことはない・・大英帝国やアメリカ合衆国を支配下に置いたことがない・・地球規模で言えば、単なる地域大国でしかなかったのですから、欧米諸国相手に取り返すべき栄華はありません・・。
復興すべき栄光・栄華があるとすれば、普通の民族にあるべき主権回復と地域大国の復活しか論理上あり得ないでしょう。
これの表現が、(清朝の版図を少し広げたアジア支配を任せて欲しいと言う)習近平の「太平洋2分論」ではないでしょうか?
栄華の復活がテーマの運動体では、後ろ向き・・新しい国づくりにはなりません。
栄華復活のためには国内政治・産業発展が必要ですが、主目的が生活水準アップにあるのと栄華復活が主目的でその手段として生活水準も引き上げた方が良いと言う程度の意識では格段にちがいが出ます。
しかも栄華の復興運動とは、実は「格下と見なしていた日本」に負けたコトに対する鬱憤が真のモチベーション・エネルギーであったとすれば、元々前向きに始めた運動ではありません。
国民のための政府よりは、日本のハナをアカしたいと言う思い(心情は文字上・あるいは公式にはでません)で運動を始めたのであれば、出来上がった政府も近代的要請である・・国民重視のマトモな政権になる訳がありません。
孫文はいわゆる(農地の分配を含む)三民主義を提唱していてこれを継承した蒋介石が北伐を開始すると当初はこれを歓迎する庶民の支持を受けて破竹の勢いで成功させましたが、一定の支配権樹立後すぐに腐敗してしまう点は歴代中国王朝と同じです。
戦後米軍から膨大な物資や武器援助を受けながら中共に負けてしまったのは主として」「政権腐敗」にあったと言われています。
孫文が世界の制度を勉強してきれいごとの三民主義を発表するのは良いですが、イザ具体的実施となると政治・実務能力が必要です。
専制支配下で来た結果、近代官僚機構も何もないところで、軍事支配してから実際にどうやって農民から土地を取り上げて分配するか分らなかった可能性があります。
この種の仕事を始めると余程清廉な行為をする社会訓練がないと、手心を加える袖の下が横行し勝ちですから大変です。
ましてや中国地域は、古代から有名な賄賂社会ですからすぐに賄賂まみれになってしまいます。
9月19日に王昭君の故事で紹介した漢詩にも、賄賂次第の習慣が描写されていますので、もう一度引用しておきましょう。
 「生乏黃金枉圖畫,死留青冢使人嗟。」
(生ずれば黄金に乏しく枉げて図画せられ、死しては青冢をトドメて人をして嘆かしむ」私流の読み見下し文です)
ちなみに「枉・まげて」とは日本の刑法で言うところの「枉法収賄罪」の「枉法」の「枉・おう」と同じ用法です。
刑法が平成7年に口語に改正されて「加重収賄」罪に変更されましたが、それまでの文語体のときには「枉法収賄」罪と言う熟語になっていたのは、この用例の1つでした。
文語体のときには刑の重さを基準にするのではなく、「法をまげて」運用したから刑が重くなると言う内容による違いを表していました。
賄賂をもらうだけでも単純賄賂罪ですが、その結果実際に不正なことしたときには「枉法」収賄になり結果的に刑が重くなります。
上記漢詩には画工が賄賂をもらわないから実物よりキレイに書かなかっただけではなく、積極的に汚く書いた意味が込められています。
刑法
加重収賄及び事後収賄)
第百九十七条の三  公務員が前二条の罪を犯し、よって不正な行為をし、又は相当の行為をしなかったときは、一年以上の有期懲役に処する。
2  公務員が、その職務上不正な行為をしたこと又は相当の行為をしなかったことに関し、賄賂を収受し、若しくはその要求若しくは約束をし、又は第三者にこれを供与させ、若しくはその供与の要求若しくは約束をしたときも、前項と同様とする。
3  公務員であった者が、その在職中に請託を受けて職務上不正な行為をしたこと又は相当の行為をしなかったことに関し、賄賂を収受し、又はその要求若しくは約束をしたときは、五年以下の懲役に処する。

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