政党と弁護士会・学者の違い2

日本国民の人権・平和を守るための国防がどうあるべきかが議論になっているときに、現行憲法が唯一正しいと言うべきか、もうちょっと変えた方が良いかの議論はまさに政治論であることは論を俟ちません。
その他の憲法条項改正の可否も同様です。
死刑廃止運動も似たような弁護士であれば当然と言う論法で、日弁連は会員の意思を個別具体的に聞く必要を認めません。
以下はhttps://www.nichibenren.or.jp/activity/document/statement/year/1992/1992_21.htmlからの引用です。
「国家秘密法に反対する日弁連の昭和62年総会決議の無効確認と日弁連運動の差止等を求める一部会員からの提訴につき、本日、東京高等裁判所第5民事部(川上正俊裁判長)は、日弁連側全面勝訴の判決を言渡しました。
この判決は、本件日弁連決議と日弁連運動が構成員である会員個人の権利を侵害するものではないという理由で、原告である一部会員たちの請求を全部棄却した本年1月30日付の一審判決を基本的に維持しています。
今回の判決は、その上で、次の点を積極的に認定・判断しました。
1 弁護士会の活動は、「目的を逸脱した行為に出ることはできないものであり、公法人であることをも考えると、特に特定の政治的な主義、主張や目的に出たり、中立性、公正を損なうような活動をすることは許されない」
2 しかし、「弁護士に課せられた」弁護士法1条の「使命が重大で、弁護士個人の活動のみによって実現するには自ずから限界があり、特に法律制度の改善のごときは個々の弁護士の力に期待することは困難である…ことを考え合わせると、被控訴人が、弁護士の右使命を達成するために、基本的人権の擁護、社会正義の実現の見地から、法律制度の改善(創設、改廃等)について、会としての意見を明らかにし、それに沿った活動をすることも」、目的の「範囲内のものと解するのが相当である。」
3 本件総会決議は、「本件法律案が構成要件の明確性を欠き、国民の言論、表現の自由を侵害し、知る権利をはじめとする国民の基本的人権を侵害するものであるなど、専ら法理論上の見地から理由を明示して、法案を国会に提出することに反対する旨の意見を表明したものであることは決議の内容に照し明らかであり、これが特定の政治上の主義、主張や目的のためになされたとか、それが団体としての中立性などを損なうものであると認めるに足りる証拠は見当たらない。」
日弁連としては、今回の判決が、十分な会内合意に基づく日弁連活動の実状とそれに関する日弁連側の主張を全面的に認めて、正しい事実を認定し、これに正当な法的評価を加えたことを高く評価するものです。
日弁連としては、今後とも、「基本的人権の擁護、社会正義実現」のために、ひろく国民の皆さまとともに、いっそう、弁護士会活動を発展させていく決意です。 1992年(平成4年)12月21日  日本弁護士連合会 会長 阿部三郎
上記のとおり弁護士会の目的の範囲内と言うのですが・・・。
テーマを政治活動経費に使った分の会費徴収が違法と言う争いにしているからそう言う結論になったのかも知れませんが、強制加入による脱退の自由がない点を無視または軽視した判断と思われます。
この判決書き事態の検索が出来ない・・探せないので、日弁連の要約しか分りませんが、どこかで読んだ記憶では、弁護士自治の重要性に鑑みよほどの逸脱がない限り裁判所は介入しないと言う趣旨を書いてあった記憶・・根拠を探せません。
この高裁判決以降弁護士会の政治運動は一種の治外法権みたいな結果になっていますが、この判例は以下の通り(いつも書くように個人的思いつきですが・・)おかしいと思います。
弁護士の政治運動は国民の一人として自由ですが、ここでは、弁護士会としての政治運動の許容範囲を書いています。
弁護士は強制加入団体のために、弁護士会で特定政治会派のための政治運動すると反対会派を支持する弁護士個人の思想信条に抵触する・・イヤなら脱退すれれば良いと言うわけに行かない・・強制加入団体の特質をどう考えているかの疑問です。
左翼系がよく持ち出す例では学校で国歌斉唱するのは、「歌いたくない児童に対する思想信条の侵害」だと言う意見ですが、左翼系が多数を占める弁護士会では逆に少数派派の信条など全く無視で良いのかと言う議論です。
今朝ユーチューブで聞いた長島議員の民進党脱退の記者会見を聞いていると似たような意見を述べていました・・曰く民進党は政府攻撃には人権人権と言うが自分の敵対者に対する(表現の自由と言ったかどうか忘れましたが、)人権など全く気にしない体質だという趣旨のクダリです。
個々人の政治信条に関係なく弁護士会が特定政治意見を発表したり政治運動するのは、会内少数者の意見無視・思想信条侵害で行き過ぎではないかと言う争いにこの判例がきちんと答えているのでしょうか?
実務を通じて知った問題点・法の不備を訴えるのは実務家集団として必要な職責です・・消費者問題ではこの種の弁護士会の前向き提言が多く、実務上も多く採用されていることからも・・前向き提言する職務性は十分理解出来ます。
その場合でも弁護士会は問題提起どまりであるべきであり、その解決策についてA案B案C案等が入り乱れ政党間の対立法案になったばあい、新法案や規制強化の方法については国民の信託を受けた政治の分野で決めていくべきであって、組織として特定案の立場で反対・推進運動までする必要がないし、許されないのでないかと考えられます。
日弁連要約によれば高裁は「法律制度の改善は・・」と書いていますが、上記のとおりの前向き提言の役割はまだ妥当するとしても新法制定反対や既存法改正反対運動・・要は反対運動が「改善運動になる」というのは、飛躍がある・似ているようでいて少しズレていませんか?
実務家として現状の不備に気が付くことが多いのは分りますが、現状の法令が唯一無比で改善の余地がない・・あるいは改善策には多種多様なモノがありますがどの改善策が一番良い・・その他は反対と何故分るのでしょうか?
どのように改善すべきかは、(専門的見地から審議会委員になり、あるいは、参考人として専門的見地から意見を述べるのは自由)これら専門家の意見を前提にして最後は政治で決めるべきことです。
憲法擁護義務があるから改正反対運動は当然の行動だと言う意見がありますが、なぜ=で繋がるのか分らない人が多いと思いますが・・その主運動家から言えば分らないのはアタマが悪いから・・と言うのでしょうが?
その論理で言えば、「公務員は法律を守るべきである→業界等の情報から既存法令が不都合になった部分があっても改正に反対するべきである」から改正しようとして法案準備するのは法令遵守義務違反であるとでも言うのでしょうか?
何か新しいことを始めようとすると大方の場合、既存法令に抵触することが多いので新法令が必要ですが、既存法令遵守義務があることから、「新法令制定に反対することは全て正しいし、政治運動でも何でもない」となり、国会議員も憲法遵守義務があるから、改正論に先ずは反対すべきとなるのでしょうか?
「何でも反対しろとは言っていない」とすれば、その取捨選択行為をどう言う基準で行なうのか?この選択こそがまさに政治活動ではないでしょうか?
憲法遵守義務から憲法改正反対に結びつく・ならば、既存法令の改廃には、国民は法を守る義務があるから先ず反対すべきである・・社会変化拒否思想ですが・・まさに旧社会党が新しいことには「何でも反対して来た」思想的根源がよく分ります。
以上のとおり、法律家である以上憲法を守る義務がある=憲法改正に反対するのは、自動的に出て来る?活動であり、許された政治運動だと言う説明は詭弁そのものではないでしょうか?

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