目的と手段の違い3

中華思想と民生重視の関係に戻りますと、栄華復興のために産業の活発化・民生重視が必要であり、対立する軍閥と差を付けるために、(民の支持を引きつける手段として・・)三民主義を掲げるのと、民の幸福を目ざして政府を樹立する場合の民生重視とでは、意味・位置づけが大違いです。
政権獲得手段に位置づけて民生重視する場合と最終目的に位置づけるのでは出て来る表面の現象は一見同じでも大きな違いになります。
政敵を葬る手段として汚職撲滅を主張して政敵ばかりびしびし取り締まるのと、本当に汚職のない清廉な政治を目指すのとでは、実際の効果が大違いであると言えば良いでしょうか?
公害垂れ流しで空が見えないほどになっている中国にも、先進国基準に準ずる環境規制があり、その他先進的法制度(労働法規や衛生基準)がありますが、これは先進国に「バカにされない」ためと内国企業に下駄を履かせる「外資嫌がらせ目的」ですから意味が違います。
内国企業はいくらでも袖の下でお目こぼしがある・・外資あるいは政敵系に対しては少しでも違反(環境規制に限らず保険衛生基準や労働基準も皆同じ)がないかしょっ中目を光らせるので、外資には先進国並みの厳しい規制が適用されるので、(他方就労する中国人のモラル・法令遵守意識が低い・・マクドナルド工場の非衛生な実態がテレビ放映されて大打撃を受けました)内国企業に比べてものすごいハンデイがあります。
内国企業でも保護してくれていた政治家が主流から外れた途端に、これまでお目こぼしされていた各種違反がイキナリ摘発される運命ですから、法治主義ではなく、人治主義の国と言われている所以です。
環境規制や汚職が行けないと言う法制度は全て手段であり目的ではありません。
この手段と目的の取り違え社会は実は、先秦諸子百家・韓非子の法家の思想から始まっています。
法家の思想は「正義」の主張ではなく、専制権力を効率的に行使する・・ロボットのように内容の是非に拘らず決められた職分を機械的に守らせる思想だったからです。
取り締まり目的ですから権力に取り入った方にはお咎めなしの原則です。
専制支配のためには法が細ければ細いほど権力者に都合が良いので煩さ・細かくなる一方でした。
秦朝を倒した漢の劉邦が真っ先に「法三章」(大枠)のみと宣言したのは、如何に人民が煩さな法に困っていたかを表しています。
2003/05/10「中国の法形式主義1(法家の思想)」で、この辺の違い・・今の法治主義との違いを紹介しました。
日本では「法」と言えばトキの権力者も侵すべからざる超然たる正義ですが、中国では権力者の都合で法を決めてしかもその運用も権力者の意向次第という理解で約2000年間もやって来たのです。
同じ「法」という漢字でも日本と中国では意味がちがっていたのです。
日本では古来からこの違いを前提としてトキの権力者の都合で変わる形式的ルールについては、「律令」として法の漢字をあてていません。
専制支配を確立した始皇帝がこれは便利だと採用し、約2000年間以上も続いて来たのが中国地域の支配体制です。
こう言う社会では社会実態を無視した・・・いくらでも厳しい法律の制定が可能です・・「上に政策あれば下に対策あり」と言われる社会ですから、国民の方は権力に近ければ法令など全く無視して事業運営が出来るし、政敵だけ取り締まられる関係ですから気にしません。
ソモソモ政府自身が、法を守っていません・・名の知れた政府高官でさえ、いつの間にか行方不明になって、半年ほどしてイキナリ党紀違反があったので党規律委員会が取り調べていると言う報道がでて裁判が始まる仕組みです。
法に従った手続はそれから始まる・結果が決まってからのセレモニーになっています。
習近平政権までは内部抗争があっても常務委員などトップクラスには直接手を出さない不文律があって精々影響力が弱まる程度の政争にとどまっていました。
露骨な政敵潰しがなかった・・・一応権力者は共産党と言う1枚岩の強力な独裁政権だったので、共産党にさえにらまれなければ、どうにもなる・・子供を共産党に入党し内部で人脈を作れば良い簡単な関係でした・・民主国家のように野党与党が簡単に入れ替わることがないので安心だったのでです。
専制君主制度下で優秀な人材が官僚に組み込まれて行く関係の現在版です。
専制体制・・すり寄る相手が単純でリスクが少なかったことも汚職文化が根付いた原因であったかも知れません。
こうして内部エリートとして育って来たのがいわゆるダンパ・・専制君主時代の官僚であり、太子党(共産党創設時に功績のあった人の子孫)とは専制君主時代の名門貴族(王朝創設時に功績のあった人)の子孫となります。
中国王朝は毎回、科挙選抜の官僚層と名門貴族の抗争が政治の主たるテーマでしたが、・・例えば唐時代の有名な詩文家韓愈が左遷されるときの漢詩を紹介したことがあります・・今までこれが繰り返されて来ました。
腐敗、汚職に戻りますと、2000年間あまり・権力にすり寄ることが最重要価値観・・汚職と言う意識さえなく、みんなが袖の下を前提に生活している社会で、頼りにしていた人が失脚すると一族の範囲どころか「罪九族に及ぶ」(何故九族に及ぶかと言うと一族の族滅→姻戚関係に及ぼす→そのまた姻族となるので結果的に九族の範囲までで打ち止めとなって行くようです)、と言われる社会でしたので、当然その庇護下にあった周辺に不利益が及びます。
こうして大幹部の失脚があるとその周辺もイキナリ汚職で検挙され各種嫌がらせを受けてしまうことも2000年間あまり続いてきました。
こう言う社会は汚職やルール違反が行けないかどうか・・人として何をして良いか悪いかよりは、非主流に転落することがマズイことだと言う最大の行動基準・・価値観が基本になります。
日本から、公害除去装置付きで売ると中国企業から、生産効率が下がる(コストが高くつく)から取り外して欲しいと言われるのが普通と言われています。
環境を守るのが主目的ではなく、先進国並みに規制があると言う外形・・国威にこだわっている手段に過ぎないからです。
清朝崩壊後無数と言えるほど各地軍閥が入り乱れていた新興勢力の中で、孫文とその後継者蒋介石による三民主義の大宣伝・・農地再分配部分の強調は、政権支持者獲得手段として、国府軍が支配を広げるときには農民兵の志願者が増えるなど大いに役立ちました。
ところが、北伐に成功し実際に支配地経営が始まってみるとどうにもならなかった・日本の民主党が政権獲得手段として実行出来ない政策を主張していただけで実際にやる気もなかったことから、政権を握ってみるとマトモな政治が出来ず信用を失ってしまったのと同じです。
賄賂社会に戻りますと、中華民国政府の綱領・・三民主義は立派な理想を書いていたので、当初庶民を引きつけ国民党軍への農民志願者が集まったのですが、国府軍・・蒋介石政権が(支持を取り付ける手段だけではなく本気で民生重視を考えていたかも知れませんが)共産軍より早く政権を取った関係で、具体的実行段階になると社会末端まで不正社会でなりたっているので、腐敗の泥沼に飲みこまれてしまった印象です。
共産党軍は遅れて支配を伸ばした関係で、日本敗戦時にはまだボロが出ないで有利だったことになります。

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