立憲主義4(憲法と法律の違い2)

憲法のプロパガンダ性(我々の法学概念ではプログラム規定説)の例を挙げておきましょう。
現行憲法の「健康で文化的な・・生活」の条文については「個別法律がない限り個々の請求権ではない」という最高裁判例になっています。
以下は、いわゆる朝日訴訟・最高裁判決の(最高裁ホームページ)一部引用です。
http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=54970

「憲法二五条一項は、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と規定している。この規定は、すべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営み得るように国政を運営すべきことを国の責務として宣言したにとどまり、直接個々の国民に対して具体的権利を賦与したものではない(昭和二三年(れ)第二〇五号、同年九月二九日大法廷判決、刑集二巻一〇号一二三五頁参照)。具体的権利としては、憲法の規定の趣旨を実現するために制定された生活保護法によつて、はじめて与えられているというべきである。生活保護法は、「この法律の定める要件」を満たす者は、「この法律による保護」を受けることができると規定し(二条参照)、その保護は、厚生大臣の設定する基準に基づいて行なうものとしているから(八条一項参照)、右の権利は、厚生大臣が最低限度の生活水準を維持するにたりると認めて設定した保護基準による保護を受け得ることにあると解すべきである。もとより、厚生大臣の定める保護基準は、法八条二項所定の事項を遵守したものであることを要し、結局には憲法の定める健康で文化的な最低限度の生活を維持するにたりるものでなければならない。しかし、健康で文化的な最低限度の生活なるものは、抽象的な相対的概念であり、その具体的内容は、文化の発達、国民経済の進展に伴つて向上するのはもとより、多数の不確定的要素を綜合考量してはじめて決定できるものである。
したがつて、何が健康で文化的な最低限度の生活であるかの認定判断は、いちおう、厚生大臣の合目的的な裁量に委されており、その判断は、当不当の問題として政府の政治責任が問われることはあつても、直ちに違法の問題を生ずることはない。」

このような今でいう公約・スローガンや宣言程度の意味に過ぎない憲法条項をプラグラム規定とも言いますが、憲法13条の生命、自由及び幸福追求権なども同じです。
ヘゲモニー争いの合間に短期間に出来上がった憲法は、盤石の体制になってからじっくりと作った家訓と違いなおさら安定性の面で弱点があり、これをカモフラージュするために、修飾語が過剰になる傾向があります。
「天賦不可譲の人権であって、何人も冒すことできない」など・・過激な表現解説が多いのはこのせいと見るべきでしょう。
日本でいえば列島民族始まって以来初の敗戦ショック・・本来一時的な一億総興奮状態下で長期に国民を拘束するべき憲法を制定すること自体無茶でした。
しかも外国軍占領下での短期間での憲法制定でしたから二重に無理があります。
制定経緯を外形だけから見ても以下の通りです。
昭和20年8月15日降伏受諾宣言〜その後の降伏文書署名式(1945年9月2日)等を経て占領支配が始まったのですが、憲法の公布が翌21年11月3日という早業ですから国民の声どころか各界各層の意見を聞く暇もなかったでしょう。
各地の意見聴取もなく?政党間の議論もなく、占領軍との密室協議だけで、わずか2ヵ月あまりの審議で衆議院本会議通過です。
しかも対応すべき国会議員自体が、敗戦後の混乱の中で昭和21年4月の選挙で当選したばかりで、新規参入の多い状態・いわば・1年生議員・素人議員が多くを占めていて、わずか2ヶ月の審議で内容の議論ができたの?という状態です。
http://showa.mainichi.jp/news/1946/04/22-114e.html

新選挙法で初の総選挙(第22回総選挙)
1946年04月10日
選挙権者の年齢を25歳から20歳に引き下げ、女性参政権を認めた改正選挙法のもとで戦後初の総選挙が行われた。自由党が141議席を獲得して第1党に。投票率は男性79%、女性67%に達し、高い関心を集めた。39人の女性代議士が誕生し、モンペ姿で初登院した新人議員もいた。9月には地方議会への女性参政権も認められた。

初当選者については、上記に政党別人名記載がありますので、合計してみると(女性を含めて)466名中343名で、返り咲きが51名です。
残りの72名が、前回からの連続当選となります。
以下のとおり議会に付託されてからも、手続きで約1ヶ月かかり7月23日小委員会が作られ、7月25日から実質審議に入って8月には本会議通過ですから、ほとんどGHQの草案をどうするか程度の世間話(まともな討論を出きないので感想を述べあうこれが懇談会形式にするしかなかった背景でしょう)しか出来なかった実態が外形から見えてきます。
http://www.ndl.go.jp/constitution/gaisetsu/04gaisetsu.htmlによると憲法制定の経過は以下の通りです。

第4章 帝国議会における審議
・・1946年4月10日、女性の選挙権を認めた新選挙法のもとで衆議院総選挙が実施され、5月16日、第90回帝国議会が召集された。開会日の前日には、金森徳次郎が憲法担当の国務大臣に任命された。
6月20日、「帝国憲法改正案」は、明治憲法第73条の規定により勅書をもって議会に提出された。6月25日、衆議院本会議に上程、6月28日、芦田均を委員長とする帝国憲法改正案委員会に付託された。
委員会での審議は7月1日から開始され、7月23日には修正案作成のため小委員会が設けられた。小委員会は、7月25日から8月20日まで非公開のもと懇談会形式で進められた。8月20日、小委員会は各派共同により、第9条第2項冒頭に「前項の目的を達するため」という文言を追加する、いわゆる「芦田修正」などを含む修正案を作成した。翌21日、共同修正案は委員会に報告され、修正案どおり可決された。
8月24日には、衆議院本会議において賛成421票、反対8票という圧倒的多数で可決され、同日貴族院に送られた。
貴族院における審議と憲法の公布
「帝国憲法改正案」は、8月26日の貴族院本会議に上程され、8月30日に安倍能成を委員長とする帝国憲法改正案特別委員会に付託された。特別委員会は9月2日から審議に入り、9月28日には修正のための小委員会を設置することを決定した。
小委員会は、いわゆる「文民条項」 の挿入などGHQ側からの要請に基づく修正を含む4項目を修正した。10月3日、修正案は特別委員会に報告され、小委員会の修正どおり可決された。修正された「帝国憲法改正案」は、10月6日、貴族院本会議において賛成多数で可決された。改正案は同日衆議院に回付され、翌7日、衆議院本会議において圧倒的多数で可決された。
その後「帝国憲法改正案」は、10月12日に枢密院に再諮詢され、2回の審査のあと、10月29日に2名の欠席者をのぞき全会一致で可決された。「帝国憲法改正案」は天皇の裁可を経て、11月3日に「日本国憲法」として公布された。

 

立憲主義3(憲法と法律の違い1)

ここで憲法と一般の法の関係を考え直しておきましょう。
法律制定の場合には国内の多様な利害調整手続きを経るために、膨大な意見の吸い上げや年数と冷静な議論の積み上げ・・民意吸収があります。
12月7日以来借地借家法制定過程を現最高裁長間の論文で紹介しましたが、一部再引用しますと

「昭和五0年代後半からは、土地の供給促進の観点から法制度としての借地・借家法の見直しが主張されてきた・・全面的な見直しをはかることは、難しい情勢にあった。
しかし、高度成長期を経て経済規模が拡大し、都市化がすすむと、借地・借家法が画一的な規制をしていることによる弊害が一層明らかになってくるようになった。
法制審議会の民法部会(加藤一郎部会長)は、以上のような問題意識から、昭和六O年一O月に現行法制についての見直しを開始する決定をした。」

借地借家法が成立したのは平成3年10月で施行は平成4年8月ですから、必要性が言われ始めてから施行まで約10年です。
ちょっとした法律制定まで行くには、前もっての根回しを経て10年以上かかっているのがザラです。
この法律は、過去の契約に適用がない微温的改正ですが、革命的憲法制定の場合には過去に形成された身分関係に遡及的に効果を持つ(例えば家督相続できると思って養子縁組していた人の家督相続権がなくなります)のが普通です。
このように冷静な議論を経て数年〜10年前後かけて制定される普通の法律に比べて、憲法制定は革命時などに旧政権打倒スローガンそのままで短期的な激情・勢いに任せて拙速に制定される傾向があります。
憲法という名称から、家憲・国憲・家訓のようなイメージを抱くこと自体は正しいと思いますが、いわゆる国憲や家訓等は何世代にわたって後継者が守るべき基本方針を示したものですから、何世代も拘束するに足る数世代の騒乱を治めたような一代の英傑が盤石の地位を確立した後に、(のちに家康の武家諸法度の例をあげます)将来のあるべき国家民族あり方等を考察してこそよくなしうるものであって、そのような英傑でもない一時の支配者が、自己保身・威勢を示すために内容のない事柄を家訓や国憲にしても誰も見向きもしないでしょう。
革命政権〜反乱軍が、政権掌握と同時に出すスローガンや声明程度のレベルのものを、国憲と称するのは羊頭狗肉・名称のインフレ.水増しです。
王朝あるいは数世代以上に続く大事業創業者の残す家訓は、盤石の成功体験に裏打ちされた訓示を子孫に残すものですが、それでも時代の変化によって意味をなさなくなることがあります。
まして、旧政権を打倒したばかりで制定される新政権樹立時に制定される憲法は、旧政権打倒のために(便宜上争いを棚上げして)集まった反体制各派の寄り集まり・連合体である革命勢力は、旧政権打倒成功と同時に各派間のヘゲモニー争いを内包しています。
(本格的革命であるフランス革命やロシア革命では、王政崩壊後革命勢力間の勢力図が目まぐるしく変わっています)
革命の本家フランスの場合、大革命後ジャコバン対ジロンド党.王党派の政争の末に、ナポレオン帝政となり、王政復古〜第二帝政〜共和制〜ナポレオン3世等の動乱を繰り返して現在第5共和制憲法になっていますが、第5共和国と言われるように(一部条文の改正ではなく)憲法精神の抜本的入れ替えの繰り返しでした。
第5共和国憲法は革命的動乱を経ていないので、その分落ち着いて作ったらしく最長期間になっているようです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD%E6%86%B2%E6%B3%95

フランス共和国憲法(フランスきょうわこくけんぽう、フランス語: Constitution de la République française)は、1958年10月4日に制定されたフランスの憲法典。第五共和制の時代に作られたことから、第五共和国憲法(フランス語: Constitution de la Cinquième République、第五共和制憲法、第五共和政憲法)とも呼ばれる。

もともと政体大変更の場合、旧体制(アンシャンレジーム)と「こういう点が違う」と新政権は大見得を切る必要があって、壮大なスローガンを掲げたくなるもので、いわば政治的プロパガンダ・公約みたいなものです。
フランス革命では「身分から契約へ!」と言われ、我が国で民主党政権獲得時の「コンクリートから人へ」と言ったような自分の主張を、のちに否定変更されにくいように強固な「法形式」にしたことになります。
旧体制をぶち壊しただけでその後自己権力さえどうなるかはっきりしないうちに、一般の法よりも慎重審議を経ていないプロパガンダに過ぎないものを革命体制を強固なものにするために「法」よりも改正困難な法形式の「憲法」と格上げしてきた事自体に無理があるように思えます。
無理に格上げしても実態が伴わなければ、すぐに信用をなくします。
これが、フランス革命後第5共和制に至る憲法変更の歴史です。
例えば明治維新のスローガンは王政復古であり、これを受けて維新直後にできた基本法制は、いわゆる二官八省・・古色蒼然たる太政官と神祇官をトップにしたものでしたが、もしもそれが不磨の大典扱いになっていても、多分10年も経ずして不都合に耐えられなかったでしょう。
日本人は急いで作っても実態が伴わなければ、意味がないことを知っていたのです。
明治憲法は、明治維新・大変革を得た後約20年での制定でしたし、国民生活の基本を定める民法は明治29年(1896)、刑法にいたっては明治40年になってからです。
明治憲法制定までの約20年の間に廃藩置県や司法制度等の制度枠組みを整えながらの漸次的運用・・刑事民事の欧米的運用経験・人材育成などを積み重ねた上の憲法〜民法等の制定ですから、日本の法制定は時間がかかる代わりに安定性が高いのが特徴です。
日本は民主主義などという前の古代からからボトムアップ型・民意重視社会ですから何事もみんな・・法制定に限らず裁判でも社内改革でも、関係者の意見を取り入れて行うので時間がかかりますが、その代わりみんなの納得によるので法遵守意識が高くなります。
例えば家康の禁中并公家中諸法度・武家諸法度は1615年のことで、天下を握った関ヶ原後15年も経過して満を持して発布したものです。
民法については債権法部分について今年5月頃大改正法が成立・約120年ぶりの大改正ですが、これでも骨格が変わらず概ね判例通説を明文化したもの(判例や学説の知らない素人が読んでも分かりやすくした)・・判例や学説の分かれている部分についてはどちらかになった部分がある程度・・と言われています。
以下は法務省の解説です。
http://www.moj.go.jp/MINJI/minji06_001070000.html

民法の一部を改正する法律(債権法改正)について
平成29年11月2日 平成29年12月15日更新
法務省民事局
「平成29年5月26日,民法の一部を改正する法律(平成29年法律第44号)が成立しました(同年6月2日公布)。
民法のうち債権関係の規定(契約等)は,明治29年(1896年)に民法が制定された後,約120年間ほとんど改正がされていませんでした。今回の改正は,民法のうち債権関係の規定について,取引社会を支える最も基本的な法的基礎である契約に関する規定を中心に,社会・経済の変化への対応を図るための見直しを行うとともに,民法を国民一般に分かりやすいものとする観点から実務で通用している基本的なルールを適切に明文化することとしたものです。」

今回の改正は,一部の規定を除き,平成32年(2020年)4月1日から施行されます(詳細は上記「民法の一部を改正する法律の施行期日」の項目をご覧ください。

アメリカンファーストと都民ファーストの違い

以上見てきたように内政重視・・正攻法の政治をするには政治家に利害調整能力が必要であるほか国民の方も妥協できる能力・よほど民度が高くないと難しいことが分かります。
日本は奈良〜平安〜江戸時代を通じて外敵を求めずに内部完結政治をして国民も満足してモラルを高め独自文化を発展させてきましたが、このような真似をできる国はそれほど多くありません。
アメリカは世界最強のイギリスを退けた独立戦争直後から今の中国のようにアメリカの強引な行動が目立つようになり(うまく行かないとモンロー宣言でアメリカ大陸に引きこもる)事実上どこの国も文句言えない状態が続きました。
第二次世界戦後西側諸国では名実ともに一強になり、さらにソ連崩壊で世界の一強になりましたので第一次イラク戦争を初め国外でやりたい放題でしたが、IT~AI技術の発展に象徴されるように大規模設備不要の少数者の威力・・ネット発信力を無視できなくなってきました。
日本で言えば、マスメデイアの情報独占が崩れ個々人のネット発信力が強まりましたが、これが物理的側面に出たのがテロの威力増大です。
サイバーテロが象徴的ですが、正規軍の強大さだけでは対抗できなくなりました。
言論世界でもマスメデイアさえ押さえれば、好きなように世論誘導できる社会ではなく個々人のツイッターその他ネット発信威力を無視できません。
世界政治が軍事力や資金力だけを背景に自己主張を押し通せるような単純なものではなくなってきました。
国際政治も内政並みの複雑さになると、内政経験の蓄積がないまま・複雑な利害調整不要な単純社会であるからこそ図体が大きくなれているという面もあります・・超大国になったアメリカ〜ロシア〜中国など領域の大きさに頼る大国政治家には手に負えなくなってきました。
地形を見ても複雑な地形では大きな国になりにくいし、大平原地帯等では利害が単純ですから広大な領域支配が可能です。
中国が数千年単位の大国経営の経験があると思う人が多いでしょうが、日本のように自然に出来上がった集落が近隣集落と意見のすり合わせ・利害調整を経て大きくなったのではありません。
中国大陸の政治支配の内実は点々とした飛び地に出先砦を作り上げた飛び地経営・都市国家連合形態ですから、砦と砦の間の広大な空間に住む原住民の攻撃を防ぐための城壁に守られた都市国家・点と点を支配して来たにすぎません。
これが現在の「都市戸籍」と「農村戸籍」二分の源流と見れば歴史を無視できないことが分かるでしょう。
日本の城下町は地元住民の出入りが自由な仕組みですが、中国の場合には都市そのものが都市外の地元住民を敵視して大規模な城壁で囲まれているし、原住民の襲撃を防ぐために鶏鳴狗盗の故事で知られるように夜間は厳重に閉じられて兵が守るのが原則です。
近代〜現在においても、華僑が人口の大多数を占めるシンガポールでうまくいっているし香港、深セン特区や上海租界などの「点」としての都市を治める政治をしている限りうまくいく社会です。
アメリカの自治体のあり方を紹介している途中ですが、アメリカの場合も広大な空間の広がりの周囲に旗を立てて支配空間を決めただけで、内容がスカスカの状態・・飛び地支配で始まっています。
広域テーマが増えてきて共同して対処するための自治体間協議が全くまとまらない状態についても、Oct 15, 2017「アメリカの自治体4(自然発生的集落の未発達→内政経験未熟1)」に紹介したばかりです。
アメリカの政党・共和党は経済を含めた外交とセットの戦争のためにある政党と言われていますし、民主党・リベラル系は庶民の味方と称してバラマキだけで利害調整型政治はできません。
日本の民主党政権も韓国の文在寅政権も同様で、単純に「無駄を省けばバラマキ資金が出てくる(日本民主党政権)」「仕分け」など韓国文在寅大統領も内部留保を吐き出せとか、公務員を80万人?(正確な数字は忘れました)の大量雇用するとか、最低賃金引き上げなど強権的決定で押し切ろうとするやり方が基本であって、利害調整で何とかしようとする姿勢がありません。
以下は、https://ameblo.jp/katsumatahisayoshi/page-3.htmlから「文在寅大統領」のキーワードで拾った検索データの一部です。

韓国、「最低賃金」大幅引上で零細企業に財政援助の「間違い」
韓国、「原発廃止表明」原理主義と独善で唖然「電力対策」欠く
「社会的大妥協」という強制
『ハンギョレ』(6月11日付)は、「文在寅大統領、働き口解決法として『社会的大妥協』を提示」と題して次のように伝えた。
文氏の選挙公約では、次のような点が上がっていた。
(1)公的機関で81万人、民間で50万人の雇用創出(潜在失業者を除く実数で135万人であるから、これを吸収する人数)
(2)最低賃金を時給1万ウォンに引き上げる(労組の要求通り。現在は約7000ウォンであるから20年までに実現するためには年率15%の引き上げが必要)
(3)4大財閥を中心とする財閥改革(労組の経営への参加)などを掲げた。一言で言えば、韓国経済を成長させ、その果実で分配を改善するのではなく、現在のパイの中で分配を変えるということであろう。」

韓国新大統領の政権運営を見ると平成10年代始めの日本の民主党政権の運営と似ているのに驚くばかりです。
「草の根の意見を大事にして・・」というのが決まり文句ですし、自分たちだけが民意の代表という決めつけをしていますが、実際に政権を取ると国民意見吸い上げ・利害調整能力がないので、八ッ場ダム工事中止決定や強権的にできることばかりに精出していた印象でした。
権力的決定はどうにもならない・権力の及ばない利害調整の必要な沖縄基地移転問題ではアメリカ相手に為すすべもなく大恥を書いたのは、強権決定に頼っている民主党政権の本質的矛盾によるものでした。
文在寅が、就任直後サード配備工事中止を命じたものの、対米関係上無理があって結果的に配備せざるを得なくなったのは鳩山政権の基地移転問題と同じです。
政治家・政党が「〇〇をやる」という以上は、何事も反対意見があることを前提に利害調整を自分ならばうまくやってみせるという意味であって、「アメリカに反対されたのでできません」というのでは、当初からできる見込みもない公約・・虚偽公約になります。
上記原発ゼロが問題視されているのはゼロにした場合に穴埋めの電力をどうするかの総合政策がないまままの発表だからです・中国の大躍進政策のように、決めた以上は権威に関わるので電気不足で国民が困ってもやるというならば別ですが・・。
同様のことは、蓮舫氏の30年までの原発ゼロ政策発表が無責任として民進党内で総スカン受けて引っ込めざるを得なくなったのと同じことを文在寅が繰り返しています。
こういう稚拙な政治家が国内批判もなく5年間もトップに君臨する・・人材不足・引いては民度の低さが韓国の不幸です。
アメリカの自治体紹介を年内から来年初ころに再開したいと思っていますが、アメリカは気がつくと国内政治・利害調整をうまくやる能力がない・・自国内で利害調整能力のない民族が国際政治の利害調整者を務めるのは無理があると気がついた状態です。
国際政治のヘゲモニー争いに執心して国富をつぎ込むのは国民福利に関係のないことだと気がついたのが、トランプ氏の唱える「アメリカンファースト」との意気込みとすれば時宜を得ていることになります。
アメリカも今後はロシア的外延拡張政策より自分達のために・・「内部の充実が重要・・先ずは利害調整できる程度まで民度を引き上げることが先決」という意味の方針転換とすれば歴史必然であり、正しい方向性というべきです。
ちなみに昨春以来の小池都知事の「都民ファースト」のフレーズは、都民無視の対外支出が都政で続けられてきたのならばこれを改めるのは当たっていますが、小池知事は過去の何が都民ファーストでなかったのかについて何も言いません。
小池都知事は都政で前任者がしていたことの何が都民ファーストでなかったのか明らかにしてこれをやめて今後何にファーストの焦点をあてるかの説明がないまま、1年以上過ぎてしまいました。

政党と弁護士会・学者の違い4

弁護士会の政治行動の場合、日弁連が国に1つしかない・・消費者が選べません。
学問の自由の場合、(学会内部で能力のない人が牛耳れても)権力が介入出来ない代わりに企業内研究所との競争や国際競争があります。
内部で多数派の横暴があっても弁護士自治を理由に外部がチェック出来ない・・しかも市場競争もない・・これにあぐらをかいているとどうなるでしょうか?
ここ10〜20年に及ぶ弁護士大増加政策がテーマになっていますが、市場競争をもたらしつつある点はプラス評価すべきかもしません。
どんな業界でも苦境が来ると先ずは価格競争やサービス低下に走るのが一般的ですが、価格競争を脱して新機軸を出せた企業だけが新たな時代に生き残れるのです。
弁護士会も大量増員後多くの弁護士は目先の価格競争(本来国選や法律扶助→法テラス案件では事務所維持費が出ない・・収支マイナスなので「公益義務」として受任義務が弁護士倫理として掲げられている状態でしたが、この15年前後ではこれを争って受任する傾向・・これが主たる収入源とする若手〜中堅が激増して来ました。
元々事務所家賃その他経費ににならない程度の報酬しか出ないので受任義務を課していたのですから、これを主たる収入源にしているのでは若手の貧困化は推して知るべきでしょう。
この勢いでその他一般民事でも受任単価低下競争や同じ単価で従来基準の何倍もの手間ひま掛けるサービス競争などが進む一方になって来ました。
良質サービスが低廉化するのは、消費者にとっては良いことですが・・中国の出血輸出同様で、原価割れ競争は長く続きません。
この結果弁護士界の疲弊が進む一方で、(この種統計が出ていますので、周知のとおりです)司法試験受験魅力激減→優秀な受験生の敬遠・能力低下の悪循環・・商品で言えば品質低下が始まりました。
いわゆる「産みの苦しみ」に堪え兼ねて?大増員政策に対する大反発が起きていますが、これを転機に新業態工夫の大転換に動く契機に出来るかどうかは弁護士業界の能力次第と言えるかも知れません。
ただし、弁護士業務の場合にはマンツーマンでしかも懇切丁寧な説明が従来以上に求められているので、高齢者〜身障者など弱者向けサービス・・従来の何倍も説明などの時間が必要になる・・一般産業のような効率化努力の逆方向に進んでいます。
社会の進化と逆方向かと言うと今後AI化が進めば進むほど社会で余る労働力が癒し系?マンツーマンサービス濃厚化に進む筈ですから、間違った方向とはエ言えません。
健常者向け弁護士業務自体も事件そのものが例えば離婚原因も暴力のような単純系から、長い間の確執がテーマにするようになって来ると長時間事情を聞かないとどちらが悪いから分らない事件が普通になって来ました。
医師の3分診療批判が良く言われますが、大規模病院ではバックシステムの効率化がありますが弁護士業務の場合、元々事務系の業務に占める比率が低い結果、システム化よりは、(携帯電話やパソコン普及で電話番、タイピストや、郵便宛名書きや書類お届け要員もファックス利用で大幅に減りました)バックシステム不要化が逆に進んでいる状態です。
人数さえ増えれば、新規業態を発明発見出来るよう分野ではありません。
少数派無視の政治運動に戻しますと、どこかで書いたと思いますが、自治を楯に外部に口出しさせない制度に頼っていると逆説的ですが、自治を破壊する遠因になります・・大増員政策採用は唯我独尊に対する社会からの逆襲の一環だったかも知れません。
この大増員による弁護士業界の地盤低下政策は失敗だったように思われます。
弁護士会内部でも、大増員政策に最も激しく抵抗していたグループは、もともと反政府運動が生温いと言う(過激な?)勢力が中心になっていたことからも政府による大増員の本質が透けていました。
ところが、大増員による弁護士会追いつめ政策によって、弁護士し業界の仕事の質がその割に下がらず・・消費者側の信頼指数が下がらなかった上に・・大増員反対運動は思想的に見て弁護士会内の左右を問わない共通意識になって来てしまいました。
政府が弁護士業界を増員で追い込み過ぎたので多くの若手弁護士が左翼系牙城の消費者系などに吸収されて行ったことや貧困化が進んだ結果、左右勢力が内部争いをしていられなくなって、却って増員反対では左右一致団結になったように見えます。
今や従来単位界や日弁連執行部を握っていた主流派=言うまでもなく反政府運動中心母体ですが、対外交渉をして来た結果、(その分いろんな妥協をして来た)主流派と妥協を許さない過激(原理)系の争いが表面化して来て保守系が表面に出る幕がなくなっています。
世間から見れば殆ど政党と言えないほど惆落した旧社会党同様の主張に凝り固まっている最左翼に見える日弁連主流派が、弁護士会内では穏健・中道グループになってしまったことになります。
日教組や旧社会党のように純化が進めば進むほど社会意識から遊離して行きます。
ところで、弁護士全体が疲弊→弁護士になる夢がなくなると応募者レベルが下がります・・日本産業界の国際競争上問題が出て来る・・世界で互角に戦える人材養成には数十年以上かかりますが、結果が出てから人材優遇を始めても数十年以上の空白が生じてしまいます。
今は国際競争は武力や技術力だけではなく、海外進出計画段階から現地法務事情の研究アドバイスから必要で・・中間的には知財の争いその他法的争いが主戦場になり、将来的に国際司法解決による場面が増えて来ると国際裁判所等へ人材供給層を厚くしないと日本の国益を守れない時代がやって来ます。
こうした数十年先の弊害を考えたのか?(日弁連の努力もあるでしょうが・・)1昨年から政府は産業界の危機感を背景に弁護士会敵視政策を程々に修正せざるを得なくなったようです。
1昨年から合格者ワクを2000人を1500まで下げ、昨年だったか司法修習生に対する給費制復活も認めましたが、その程度の修正で様子を見ているのでは、収まらない状態になってきました。
以上の結果を見ると政府・・外部からの大増員圧力・・弁護士会の地盤沈下を力づくで押し進める政策は失敗だったことになります。
政治活動の是非は国民世論の動向による内部改革努力を待つ・・高裁判決のように自治能力に委ねて口出ししないようにするしかない・・弁護士会の自発的民主化しないことになって来ます。
北朝鮮も穴時で圧力をかければ余計依怙地になるだけと言うことが一杯あります。
政府が口出しし圧力をかけなくとも、少数意見が無視される不満が鬱積して来ると、普通の組織の場合不満な人の脱退する(フィットネスクラブでもサービスが悪い飛とどんドン入会者が減りやめて行く人が増えます)のですが、弁護士会の場合強制加入なので脱退すると弁護士資格を失ってしまいいます・政治的意見の違い程度で折角の取得した弁護士を辞めるしかないのでは、不満があっても脱退出来ません。
そこで意見の合う者同士でさしあたり派閥みたいな集団結成が行なわれることになるのでしょう。
今のところそう言う動きがまだ起きていない・・あまり知られていないと言うことは、少数意見の不満が大したことがないとも言えます。
私的な派閥を結成すると派閥維持経費が別にかかるので、派閥加入者は既存弁護士会費との二重負担になります・・。

政党と弁護士会・学者の違い3

革命の成果によって憲法が制定されることが多い歴史を見ても分るように憲法内容をどうするかこそは、多くの政治運動の中でも優れて政治的要素が高い・・最も尖鋭な政治そのもの・中核行為です。
憲法・・国家の基本がどうあるべきかの尖鋭な(多くは血塗られた革命の結果生まれています)政治運動ですが・・、これを憲法遵守義務から導き出して弁護士会の目的の範囲内・高裁判例を引いて、弁護士の思想信条を侵害する政治運動ではないと言う主張は「現行憲法が改正されるまでは現憲法を守るべき」と言う遵守論と議論をすり替えているように思われます。
非常識なすり替えをそのまま言い張る体質を見ると、北朝鮮や中国が何かあると自己の非を棚に上げて「全て日本が悪い」と言い張るのと似て、専制支配の思想体質の延長で見れば理解可能です。
権力を持つ者が「馬を鹿」と言い張っても廻りが「違います」と言えない社会・権力さえ握れば「黒を白」と言い張れる歴史経験が強固で、その思想影響下にある場合、民主国家においても外部の影響力を遮断出来る組織内では、こう言う無茶な主張を言い切って持続可能です。
すなわち、日弁連や単位弁護士会は政府から独立性があって、外部世論による修正余地がない・・独立性担保がある点で「唯我独尊」的になり易い制度的欠陥を持っています。
内部的には専制支配でないものの、外部批判を一切受け付けない・・国民支持を直截必要としていない・・専制君主以上の権限があります。
絶対君主でが王権神授説を必要としたように、権力と言うものは何らかの正統性担保が必要です。
共産党一党独裁とりわけ、スタ−リン独裁の正統性のために、下部組織から順次の意見持ち上げ組織であるから一党独裁は民主的制度であると言う言い訳が一般化していました。
・・私の司法試験受験時に選択した政治学では、当時その道のオーソリテイーの基本書で勉強しましたが、「独裁は民主主義の一方式である」と政治学原論で習った記憶です。
そのころには「北朝鮮は地上の楽園」とマスコミで賞讃されていたことを考えると昭和30年代半ばの頃に政治学の権威者になった人ですから当時の学会では共産主義礼賛のまっただ中だったからでしょうか?
「地上の楽園」検索で出た本日現在のウイキペデイアの記事です。
帰還事業・・1959年12月14日に最初の帰国船が新潟県の新潟港から出航し[2]、数度の中断を含みながら1984年まで続いた。
「在日朝鮮人の間では、朝鮮戦争による荒廃からの復興が進まず、また政情不安を理由に、韓国への帰国を不安視する一方で、社会主義体制のもとで千里馬運動により急速な復興を実現したとされていた北朝鮮への憧れもあった。当時、北朝鮮と韓国の体制間競争は北朝鮮が優位に立っており[注 1]、朝鮮総連は北朝鮮を「地上の楽園」「衣食住の心配がない」と宣伝し、それに呼応した日本の進歩的文化人・革新政党・革新団体が繰り返し北朝鮮の経済発展の様子を伝え、在日朝鮮人に帰国の決意を促した[6]。特に北朝鮮を訪問して礼賛した寺尾五郎の『38度線の北』は、帰国希望者に大きな影響を与えたといわれる」
「吉永小百合主演の映画『キューポラのある街』で知り合いの帰国を喜ぶ場面があるように、一般の日本人も帰国事業に概ね好意的だった。このため、日本のマスコミは左右を問わず帰国事業を人道的な事業と捉え、新聞各紙はこぞって帰国事業を歓迎し賛同する記事を書き連ねた。1959年12月24日付産経新聞の「暖かい宿舎や出迎え/第二次帰国船雪の清津入港/細かい心づかいの受け入れ」、1960年1月9日付読売新聞の「北朝鮮へ帰った日本人妻たち「夢のような正月」ほんとうに来てよかった」、さらに1960年2月26日付朝日新聞に、次のような記事が掲載されている。
“ 帰還希望者が増えたのはなんといっても『完全就職、生活保障』と伝えられた北朝鮮の魅力らしい。各地の在日朝鮮人の多くは帰還実施まで、将来に希望の少ない日本の生活に愛想を尽かしながらも、二度と戻れぬ日本を去って“未知の故国”へ渡るフンギリをつけかねていたらしい。ところが、第一船で帰った人たちに対する歓迎振りや、完備した受け入れ態勢、目覚しい復興振り、などが報道され、さらに『明るい毎日の生活』を伝える帰還者たちの手紙が届いたため、帰還へ踏み切ったようだ」
話題がそれましたが、昭和3〜40年代には委員会方式が民主的運営方式として賞讃された時代で、ソ連崩壊後の今でもこれが続いている印象です。
弁護士会の会内民主主義も、全て下部委員会からの持ち上がりで機関決定を経ていることは確かです。
ソ連が崩壊した現在これが・・委員会審議による持ち上がりでさえあれば民主主義組織と言えるのかの検証が必要でしょう。
April 9, 2015「,弁護士大増員の影響」(弁護士会費負担の脅威)1November 1, 2015「弁護士会委員会の運動体化1」October 19, 2015「サイレントマジョリティ10(会内合意のあり方3)」等々で書いて来ましたがその再論または続編でもあります。
下部組織・委員会から意見が持ち上がる形式のソ連型民主主義制度は、実際には内部が硬直してスタ−リン独裁・逆らいそうな気配があれば直ぐに粛清されたりシベリア送りになっていたように、物事は形式ではなく実質です。
中国の現在政治も共産党内部は形式的には民主的に持ち上がるようになっていても、実際には権力掌握者の動向をしっかり見定めてその御先棒担ぎをするような意見しか出せない・執行部に楯突くような意見を言えない・・全員一致しかない集会です。
異論を言うどころか反対姿勢を匂わせようものなら、早速汚職容疑や反党分子として引っ張られてしまうでしょう。
一旦支配者が決まるとこの体制が崩壊するまで専制支配者の鼻息をうかがうしかない・・まさに古代から続いて来た専制支配体制を委員会組織に置き換えたに過ぎません。
委員会形式は専制支配の言い換え組織・・ソ連崩壊後・いまでは委員会組織・・機関決定さえあれば民主的決定と言えないことは世界の常識でしょう。
私が好き勝手にいろんなことを個人的に自由に書いていることから分るように、弁護士会内部がそう言う状態でないのは確かですが、それと組織内で公式な意見交換が自由闊達に行なわれているかは別問題です。
政治論について本当に充分な議論が会内で出来ているかは別問題である上に、活発な議論が行なわれていてもその結果をどうするかは別問題です。
会内で活発な議論が出来たとしてもソモソモ政治的意見で集まった団体ではない上に強制加入の本質からすると・議論の結果に納得出来ない少数意見を、どうするかは別問題です。
例えばある同好会がテニスや旅行目的で集めた資金を多数で決めれば特定政治家への寄付に使って良いかということです。
会内民主主義システムとしては弁護士会の場合直截選挙もありますし、ソ連や共産党組織とそっくり同じではありませんが・・ここでは委員会組織さえ経由すれば民主的手続を尽くしたと言うまやかし・・形骸化について書いています。
さらに内部民主化さえあれば、独り善がりで良いのか、外部チェック・・選挙による支持率上下による外部評価を受け付けなくても良いかも大問題です。
レストランでも衣料品でも皆同じですが、従業員株主全員の民主的同意さえあれば、消費者の好まない商品を提供した場合・・誰も買わないので結果が出ます企業内全員一致で新商品を開発して売り出しても、社会に受入れられなければ失敗であることは同じです。

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