貿易赤字解消策(保護政策の功罪)1

トランプ氏がアメリカの貿易赤字を問題視していますが、特定の対米黒字国を叩いてもアメリカ人の消費を減らさない限り・モグラ叩きゲームと同じで赤字は減らないというのが経済学の帰結と言われています。
ただし上記は、いわゆるネット上の評論であって、日露戦争時の7博士意見書同様で部分的な現象を拡大して論じている無責任・一方的意見のようにも見えますが、本当のところ素人の私にはよくわかりません。
素人の私の疑問をここに書けば、内需を減らさない限り赤字は減らないという意見はわかったようでわからない・・一面から言えば国内生産以上の内需があるから赤字になるというのはその通りでしょうが、これを逆から見れば内需に見合った国内総生産・職場を増やして行き国際収支均衡に持って行く政策もあるという事です。
米の生産量が100トン足りない時に100トン輸入している時に、みんな少しずつ食べる量を減らして生産量と均衡させるか、国内の休耕田の売り100トンに匹敵する面積の作付けを許可して100トン分の生産を増やして、100トンの輸入を減らすかの2パターンが単純でわかり良いでしょう。
上記は需要見通しの誤り(天候不順による凶作)によって不足が生じて臨時に輸入をふやした場合には翌年増産すれば良いことで簡単な話です。
各種産業のトータル輸入超過の場合には、単なる見通しミスではなく国際競争力がないことによって、輸入品に国産品が押されて、いろんな分野で徐々に輸入が増えた結果赤字になっている場合に、簡単に国内増産をすれば良いと言っても(輸入品に負けていて)売れなければ、増産できません。
国内生産品の国内消費を(輸入品に負けないように)どうすべきか?、あるいは輸入額をそのままにして、輸出商品(得意分野)をもっと増やすにはどうすべきかの問題解決・処方箋は産業別に違ってきます。
この種実務的・・地に着いた議論は難しいので、この種議論を端折って「消費を減らせばいいんだよ!」と大雑把で大胆な!意見をネット上で吐いているものと思われます。
ネット上議論とかバラエテイー番組等では、何でも単純化して一刀両断「ずばっ!」が売りです。
専門外のことでよくわからない視聴者には、ああでもなくこうでもないとこねくり回す議論を聞いていても訳が分からなくなり聞いてられません・・素人や高齢者は(途中の議論はいいから・・と)すぐに結論を知りたがる傾向があります。
単純意見は分かり良くていいでしょうが、単純結論だけ求める議論展開になると、フラストレーションのあるテーマの場合、つい、「そんなの無視すればいいんだ!」「黒字国からの輸入を制限すればいいんだ式の「スカッとする結論」・対外強硬論を煽る意見に飛びつき易い傾向があります。
これが日露戦争以来、世論という名の単純・乱暴な意見が政局を煽りその都度政治を対外強硬論へと暴走させてきた原因です。
雨が降ってきたときに「傘を持っていくべきか雨合羽が良いか」の議論しているときに、「出かけなれば濡れないよ!と言うのは卓見のようでいて、出かけねばならない時の現実解決解決力のない道家的発想です。
平和論争も同じでどうやって平和を維持するかの難しい問題を端折って、「争わなければいいんだよ!」というのに似ています。
為政者としては内需を減らして貿易赤字を減らしていくのでは、国力の縮小再生産に陥るので、内需に見合った国内生産力維持ないし復活を図るのが合理的です。
「内需を減らせば良い」という縮小再生産的対応では、長期的に国力低下が免れない・・国民が不安にならないか?が素朴な疑問ではないでしょうか?
例えば1000億円分の超過内需=赤字の場合、赤字分の内需を減らせば収支均衡するに違いない・・例えば収入減に合わせて支出を切り詰める家計と同じで・均衡だけを求めるならば、それも一つの意見ですが、個人家計でも立ちすくんで食事の量を減らすだけでは将来がありません。
扶持米では生活に足りなくなった幕府御家人が傘張り等の内職に努めたように、一時帰休などで賃金カットになれば転職したり、副業を探すとか奥さんが働きに出るなど打開策を講じるのが普通ですが、国家の場合なおさら並行して収入をふやすために努力する方が健全です。
国家の場合、内需を単純に1000億円仮に減らすと同額規模の内需関連産業も縮小し内需関連業者や従業員の収入も減少する縮小スパイラルに陥りますが、内需をそのままにして輸入を減らしてその分国内生産に置き換えられれば、国内生産関連拡大の内需拡大誘発効果と相まって健全な展開になります。
貿易赤字を減らすには、内需をそのままにして国内総生産を増やす方が長期的に見て合理的ですが、そのためにはどうするかの処方箋の問題です。
国内技術者養成→国内産業の自力勃興ないし復興を待つか、後進国の国内産業保護政策のような強権発動に頼るかの違いでしかありません。
後進国の場合キャッチアップするまでの保護期間で離陸できる・・「中進国の罠」と言われるように中進国まで這い上がるにはかなりの国に可能性があることが多いので一定の国内産業保護が合理的なのでWTOルールでも認められています。
http://www.meti.go.jp/policy/trade_policy/wto/wto_agreements/kyoutei-gaiyou.pdf

(2)基本原則に対する例外
第一に・・・・・・
第二に、各国の経済の発展段階に応じて考慮する措置を設ける必要があることである。
この観点からWTO協定では、前述のとおり関税による国内産業保護を許容するだけでなく、規律に対する様々な途上国例外も設けている。

発展途上を個人に当てはめれば、将来のある若者に対して学業を修める期間や就職後も(すぐ一人前に働かせないで)新人教育が必要なように小学生や中学生〜新入社員の頃から、経験豊富な中堅社員と対等な競争をさせると潰れてしまいますので研修チャンスを与えたり実務経験を積ませていくのが必要です。
これを発展途上国にも与えるのは公平であり合理的です。
高齢者が新技術や新思想・・例えばセクハラパワハラ等の基準が変化して行くのに適応出来ない場合、新技術や新基準習得を応援するのは良いことですが、その再教育期間中堅若手の採用や抜てき(適材適所配置)を先送りすべきではありません。
保護政策は、時間があれば追いつく能力のある国や青少年のために学習チャンスを与えるものであって、能力の落ちてきた高齢者が若手中堅が追いつくのを妨害するために・自己保身に使うと老害そのものであってマイナス効果しかないでしょう。
成熟国〜衰退の始まった国の場合、保護貿易・輸入制限政策は問題の先送りに終わるのが普通と思われます。
高関税その他輸入制限はまだ元気で競争力のある(輸出している)国内産業まで適正コストの部品等の利用制限・・割高部品利用強制になってしまいます。
トランプ氏の発動した鉄鋼・アルミ製品一律25%の高関税は、日本得意の高張力鋼板は米国内で生産できない為に輸入価格が25%高くなっても仕入れるしかなく、結果的に米国民は割高な車その他製品を買うしかなくなると言われています。
代替品を国内でも作っている場合・・国内市場占有率輸入品4〜5割の場合でも、それまで輸入品に5〜6割食われていた=食われていた分国際競争力がない→国内製品は高いのか性能的に劣るのか?ということですから、これが25%の価格下駄履きの結果国内品比率が上がる場合、ユーザーにとって言わば一種の不良品購入を強制されるような結果になります。

資本環流と貿易赤字の持続性

前世紀の成功体験にしがみつく米中の恫喝は、どうせ一過性のヒステリーに過ぎないと言う前提で、そのときだけ廻りがある程度言い分を聞く程度のアメリカに対するあしらいになる時代が来るのでしょう。
言わばヤクザが息巻いている間黙って聞いているだけの関係と似ています。
これの前触れがトランプ政権の結果の見え透いた恫喝的取引外交です。
これを繰り返しているうちに、国際社会におけるアメリカの存在がドンドン軽くなって行くでしょう。
July 25, 2016「消費力←金融3」前後で消費力のテーマで書いて来ましたが、腕力政治・・大鑑巨砲時代が終われば、発言力は生産力によるのではなく、消費力によるのですが、まだその辺の理解が出来ないので時代遅れの国になりつつある所以でしょうか?
韓国が中国に露骨になびいたのは、04年から約10年間にわたり対中貿易がアメリカを抜いて韓国経済にとって世界一の関係になっていた事実・・今後益々拡大すると言う読みがあったからです。
15年のデータですが、以下のとおりです。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000005986.pdf-
平成28年2月-外務省アジア大洋州局日韓経済室
中国は韓国にとり貿易総額で第1位の貿易相手国。
03年に対日貿易額を,04年に対米貿易額を上回り,15年は約2,274億ドルで貿易額の約25%を占める。
同年の対中輸出の割合は26.0%,対中輸入の割合は20.7%。
輸出依存度:(輸 出 の 対G D P比)50.6%(14年,世界銀行)と極めて高い比率。為替変動や他国の景気動向の影響を受けやすい経済構造(13年の日本の輸出依存度は16.2%)
上記貿易実態をみれば、朴政権が日米の制止を振り切って中国依存へ舵を切っていた背景が分ります。
ところが、頼みの中国経済が15年夏の上海株式大暴落以来変調気味になってきたことから、日米勢力圏へ回帰し日韓合意に踏み切りサード配備を決めた基礎事情でした。
生産力ではなく購買力が世界政治を決める時代になっています。
消費・購買力の基礎は資金力です。
資金力の本質的な差は持続性があるかの評価次第であって、株式発行による自己資本か社債発行によるかの差には本質的な差がありません。
発行済社債評価が下がっても発行体に関係がないようですが、既存社債の満期がしょっ中来る関係で、借換債発行が不利になるのは死活問題になります。
普通の国では長期間貿易赤字・・借金で消費しているとそのうち信用不安・・通貨が暴落で、ベネズエラ危機になります。
アメリカは貿易収支の赤字・・マイナス分をアメリカ国債購入などの資金環流で補っていますが、普通の国と違い基軸通貨の地位が続く限り、今のところ無限の可能性があります。
日銀引き受けによって政府がいくらでも国債を発行出来るのと同じような関係です。
この結果世界の製品を引き受けて、大幅赤字を提供して来ました。
貿易家赤字を続けると言うことは、その国からドンドンものを買ってやって大きな顔が出来る・・恩を着せられると言うことです。
国際収支上は、収支バランスが理論的結果ですから、赤字分同額の資本収支勘定の黒字=流入があります。
いわゆる資金環流ですが、これがいつまで続くかの問題・・基軸通貨国の地位は軍事力によるのではなく、経済力の裏付けがあってこそですから、資本収支・・海外収益還流が大きい我が国のような場合健全ですが、強面で強制的に資金環流をさせている場合いつまでも続くわけがありません。
アメリカが海外収益の拡大が続いて基軸通貨国の地位が続いた場合にも、・・海外子会社の収益還元であれ、国公社債購入であれ資金環流に頼っていると現場労働によらない収入ですから、この恩恵を受ける層と受けられない層(・・これが大多数です)に分かれて来ます。
最貧国への援助であれ、資本環流に頼る社会では、(5月13日に書きましたが、)これに関与出来る階層(先進国ではグローバル企業や金融資本家や関連従事者・後進国の場合独裁政権幹部の賄賂)と関与出来ない階層の国内格差が拡大する一方で格差問題が解決しません。
(後進国への巨額援助に関与する高官の賄賂収受と中国の巨額賄賂も根っこは同じで外資導入・・外資・・店舗や工場新設許認可に関与する「袖の下の横行」にあります・・中国が外資に頼る時代が終わると国民相手の賄賂要求では多寡が知れているので賄賂も激減するでしょう)
格差問題の根源は、資本流入に頼る経済にあるとすれば、反格差論はイキオイ貿易赤字解消運動に帰結するしかありません。
これがトランプ氏の保護主義・国内生産回復政策→貿易赤字解消策であって一応理論としては一貫していると思われます。
これに加えてアメリカが永久に貿易赤字を続けて行けるか先行き不安解消もあって一石二鳥の主張です。
いつまでも大幅赤字を続けられない・何とかしろ!と言われるとアメリカの赤字で潤っていた日中韓など黒字国はうろたえます。
軍事力が怖いのではなく、赤字=黒字削減を言われるのが怖いのです。
貿易赤字国は損をしているのではなく、実は働き以上の消費をして「得して」来た関係です。
働かないでうまいことをする関係は長く続かない・・貯蓄がなくなるとあるとき遂に支払が出来なくなる・・イキナリ最貧国転落・・10何時間時並んで漸く必要な食糧の一部を手に入れられるだけの今のベネズエラみたいになります。
アメリカの場合も、資金還流が止まるとおしまいです。
資金環流には自国企業の海外収益還流と強国へのおつきあいで(巨大な貿易黒字を多めに見てもらうために?)義務的に環流させられている資金の2種類があります。
日本や中国の政府がアメリカ国債を買わされているのは目に見えた還流強制ですが、トヨタなどが無理にアメリカに工場を作らされる・・その分資本環流させられているのもこの一種です。
無理が利くのは消費力があるからですが・・これがいつまで続くかです。
義務的とは言え、長期的に見れば資金移動は投資効率が基準であって、金利の高い方〜安全な方に流れたいのが本来です。
以前は「有事のドル」と言われ国際政治上の危機・動乱が起きると一時的にドルが上がり、さすがにパックスアメリーカーナと言われるだけのことがあると言われたものですが、この20年間程は、「有事の円」となってアメリカドルよりも円が上がります。
こう言う状態下で、アメリカ国債が日本より金利が安いと何のために割高な(金利の殆どつかない)アメリカドルを「イザというときのために」保有しておく必要があるか?アメリカ国内工場を造っても採算が合わないと続きません。
例えば中国に取っては国内基準金利でさえも4〜5%ですから、国債利回りで言えばこの2〜3倍とすれば、15日に紹介した金利のアメリカ国債を買って保有しているのは完全に逆ざや・・大損です。
このためもあって中国のアメリカ国債離れ・・ユーロなどへ分散投資の流れが続いているのですが・・これを阻止するためにアメリカは一刻も早く金利を上げるしかない・・いわゆる出口戦略・・金利上げに必死なのです。
エコノミストは「アメリカがやっているから、日本も出口戦略策定を急ぐべき」と言いますが、日本は世界最強債権国ですから金利上げを急ぐ必要性がありません。
・・それどころか日本が金利を挙げたらアメリカその他世界の資金がみんな日本に吸い上げられて困ってしまうでしょう。
アンカーの日銀がむやみに金利を上げると市中銀行がその上乗せ金利で貸すしかない・・中銀が金利を上げると金融引き締めになるのと同じで、世界経済のアンカ−たる日本が金利を上げるとみんな一斉に上げるしかなくなり参ってしまいます。
アンカーの金利は最低でないと世界は混乱します。

観念論の弊3(財政赤字論)

金貨・貨幣が決済用に用いられるようになると材質は問題ではない・・本来は数字の問題でしかない・紙切れ(日銀紙幣)どころか電子記録(フィンテック)でさえも良くなっているのを見れば分ります。
元禄当時平和な時代が続き日本経済が拡張期(元禄文化)にあって,貨幣発行の基礎になる金に見合った金貨だけでは膨張して来た貨幣経済・必要な貨幣供給(折柄金産出量の減少に見舞われていました)が間に合わなくなった・・実態経済の需要に合わせる勘定奉行荻原重秀の政策が合理的だったと思われます。
言わば客が殺到してスーパーのレジ機に客が列をなしているような時代です
レジ機(決裁手段)が足りなければ増設を迷う必要はありません。
この原理が分らずに(今の財政赤字悪政論同様に)古代意識・儒学(とどう言う関係もないでしょう・・古代からの価値観を踏襲しただけ?)道徳だけを適用したのが新井白石の政策でした。
金の含有量を元に戻したので,貨幣量がヘリ,(貨幣の信用が戻ったと言うのですが・・)結果的に大デフレになって大変なことになりました。(ただし私の素人判断です)
金そのものを取引対象・商品としている場合,含有量を偽り、その他各種品の品質をこっそりと落として同じ価格で販売するのは、今でも不道徳です。
貨幣取引の歴史を素人的に遡ると,直截自分が欲しいものとの物々交換から,他の人が共通に価値を認めるものを代わりに受け取ってその後に知人と更に交換する→より多くの不特定多数人が交換に応じそうな金や銀が媒介物としての利用から始まった→原初金貨時代には,金そのものの物質的価値が99%重要であったでしょう。
政治権力が生まれて権力が金貨の価値が保障するようになると取引に当たって,その都度の品質確認作業が不要になって交換経済が円滑化します。
今でも銘柄の信用があると個別に味や品質確認しなくとも良いので円滑です。
こう言う時代には金貨の信用保証が重要なことで政権にとっても死活問題であったことが分ります。
いわば、金が金貨となり純粋決裁手段になる前の未分化時代・・これが貨幣の改鋳(含有量誤摩化し?)を非道徳視する基礎だったでしょう。
取引対象・商品として金と流通決裁手段しての貨幣との未分化状態の古代においては含有率を偽らないことが(秦の始皇帝の時代に権力背景に度量衡制度が始まったように)金貨のブランド維持・・王権による発行権独占に必須であったことは分ります。
現在でも大手企業が商品の品質維持に腐心するのと原理が同じですが、金が貨幣となり決済手段に使われるようになると約束事の世界・・誰でも交換代用に使ってくれれば良い・・紙切れでも良いのですから,金の含有量の程度は公表さえすれば関係がありません。
経済活動が活発化して,貨幣が決裁手段としての比重が高まり純化してくると決裁手段が金でも紙切れでも同じ・・材質に意味がない・・,社会の約束事の象徴でしかありません。
新井白石の時代より前の元禄時代・忠臣蔵・赤穂藩断絶のときに、大石内蔵助は発行済藩札を全部決裁したことが美談として語り継がれていますので、元禄時代にはこの過渡期・大名領地内で藩札が流通していたコトからも分るように、決裁利用の信用さえあれば紙切れでも良い時代が既に来ていたのです。
当時の経済活動の拡大に貨幣発行量がついて行けなかったので,列島・・とくに西国では既に藩札・紙幣の時代が来ていたコトが分ります。
藩札の信用は外貨・・幕府発行貨幣との両替で担保されていました。
今でも外貨準備+国民経済の実力の裏付け=為替相場こそが政府発行紙幣の価値の担保であり,政府単体の赤字とは関係がありません。
消費増税延期直後に官僚の意向を受けた?格付け会社によって,日本国債格付けを下げた途端、日本円が上がり始めた「喜劇?がこれを証明しています。
新井白石と荻原のどちらが時代にあっていたか?当時貨幣の中心機能が決裁機能に移行し,物質としての金取引と関係が少なくなっていた以上・経済取引拡大・必要に合わせて金の含有率を減らして幕府発行貨幣を多く発行した勘定奉行の決断は,実態経済の必要性に見あっていたのです。
何ごとでも(金自体の取引重視とは利用場面が違ってきた)「過去の正義」(鎖国の正義も家光のときと幕末とは国際情勢が違うように)とらわれると大きな間違いを起こす例の1です。
旧理論と現在進行形社会との齟齬は今もあります・・,伝統価値観に従ったIMFや経済官僚・エコノミストを中心とする現在の信仰的とさえも言える財政赤字「悪」論・・にも共通します。
今は政府と国民経済は一体ですから、政府財政赤字と国民経済赤字とは同じではありませんから、経済単位の1つに過ぎない政府財政赤字だけを強調するのは間違いです。
政府保証債は信用が高いように、政府債務は国民経済全体が保障している関係です。
この辺が中世スペイン王室が国民経済と関係なく破産した時代と違います。
実態の変化を無視した過去教養の固まり・緊縮経済を主導したがる秀才の集まるEU官僚支配に多くの市民がノーを言い始めた実体的基盤です・・EU離脱論やトランプが支持を広げる基礎には,実態無視のEU官僚政治にうんざりしている人が増えて来たと言う見方が必要です。
新井白石のこだわった金含有量についてその後の推移を見ますと,大恐慌以来日本その他が早くから金兌換制度をやめていたの(金含有量ゼロ政策)は正解で,アメリカが最後に金交換停止(ニクソンショック)をしましたが,これは「アメリカも遂に金が足りなくなったか!と言う(アメリカの威信低下程度のショックに過ぎず)世界の物価が急上昇にはなりませんでした。
金持ちが無駄に土蔵や長屋門を維持していたのを、遂に取り壊して貸し駐車場にした程度のことです。
取引の決裁道具としては、金の裏付けの必要としない政府信用だけの時代に入って久しかったからです。
政府信用も金非有の裏付けだけはなく、日々の貿易決裁や資本取引等を通じた総合信用・為替変動相場制に移行していますので,紙幣の材質には関係ありません。
今では紙切れの印刷さえ不要・・電子マネー決裁が目前に迫って来ました。
この一事を見ても白石が金の含有量にこだわったのは社会変化の流れを見ない時代錯誤であったことが(今になると)明らかですが,未だに歴史家は,白石の業績を(正徳の治」などと評価し,積極経済政策をした荻原や田沼を批判するのが普通です。
これまで繰り返し書いて来ましたが,金の裏付けがないと・・その代わり中央銀行の節度がないと紙幣大量発行に走り,超インフレになると心配をする人がいますが,インフレは需要に供給が間に合わないときに起きるものであって,供給過剰(需要不足)の現在では貨幣量がいくら多くてもインフレにはなりません。
ドイツ敗戦時の超インフレは敗戦で物資が不足したことによります。
逆から言えば特に現在社会では,紙幣発行を100〜1000倍にしてもそれだけではインフレにはなりません・・。
クルマを投機的に買う人がいるとしても,それは短期的現象であって必要以上にクルマを100台も買う人はいません・・紙幣が増えてあるいは金利が下がって買いたくなるのは需要範囲に留まりますので、必要以上に紙幣を発行しても必要以上のスマホなど買わない・・貯蓄・退蔵・ストックが増えるだけ・・銀行は預金が増えても貸す先がないので,自然に金利が下がりますが、下がっても必要以上に借金してクルマやテレビ・スマホを何台も買いたい人はいません。
だから私は紙幣大量発行→ハイパーインフレ論には組していませんし、現在のゼロ金利政策や紙幣大量発行による・・インフレ目標設定・・景気対策などは,茶番だと言う意見を大分前から何回も書いて来ました。
一国閉鎖経済時代の気候に左右される食糧品中心社会と違い,今の消費材は工業製品中心社会ですし、国際物流の時代です。
家電やクルマ、スマホなどは、需要がある限りいくらでも増産出来ますし,増産が間に合わず値上がりすれば競争相手のクニが黙っていない・・輸入品が直ぐに入ってくるので、国内紙幣発行量や低金利と価格の関連性はありません。
すぐに増産出来ない食料品も外貨さえあれば輸入が簡単です。
今でも新興国が金融危機で超インフレになることがあるのは,・・国民経済の信用毀損=金融危機・貨幣価値暴落で輸入資金(紙幣を10倍刷っても為替相場が20分の1に下がれば,半分しか輸入出来ません・・外貨を勝手に発行出来ませんので)外貨が足りなくなる・・輸入出来なくて供給不足になるからです。
1つの公団の赤字程度はその内政府が面倒を見るだろうと世界が問題にしないのと同様に、国民経済内の一単位に過ぎない政府の財政赤字だけとり出して議論するのは間違い・国全体の外貨準備(対外純資産)や国民の個人資産の総合評価・・結局は外為相場の動向が経済危機の重要指標であるべきです。
ただし,我が国のように敗戦・・民族の危機になると,命がけで国に帰って復興に努める民族とは違い,個人と政府の信頼・一体感のない中国では,クニが危機に直面すると,富裕層から真っ先に資金の国外逃避を始めるので個人金融資産の意味は国情によって違います。
政府赤字にこだわる論者は、中世から近代までの王室財産と国民経済分離時代の恐怖心を未だに引きずっていると思われます。
スペインフィリッペ2世が何回も破産し,次いでイギリス王権が増税失敗で革命になり、フランスも同じ結果でした。
この歴史経験の恐怖が、政府赤字にたいする恐怖感・・非合理で説明のつかない経済官僚の宗教的執念に繋がっているように見えます。
しかし今は,政府は国民財産管理者でしかありませんから管理者が管理している当座のお金がマイナスであろうとプラスであろうと民族の信用に関係がありません。
財政赤字論は,国内政治上どこに資金が配布されるべきか・・資金配分の議論でしかないでしょう。

大義を滅ぼす小義の強調1

10月5日「小義」と「大義」の違いを書きましたが、マスコミ論調ではイラク特措法派兵に関して「自衛隊員に犠牲が出たらどうするのだ」と言う変な議論がまことしやかにされていましたが声明の危険があるから軍が派遣されるのであって、生命の危険を理由とする反対論は自己矛盾です。
そんなことを言い出したら国防のための応戦も出来ませんし、強盗が民家を占拠しているときに警察官に犠牲が出たらどうする!などと言っていると強盗排除の大義を実現出来ません。
犯罪者や警官個人の人権も重要ですが、安全社会を守る大義ためには場合によっては警察官等に一定の犠牲が出るのはヤムを得ない・・その代わりその職種の人は地域社会を守るために命をかけてやってくれていると尊敬され死後は石碑を建てて讃えるなどの敬意を払われて来たのです。
この辺日弁連の推進する「死刑廃止論」のおかしさも同様で、個人の生命や人権が大切なことと、秩序維持のためにどの程度までの刑罰(犯罪者にとってはどんな刑罰も人権制約になります)が必要かは別に議論すべきことです。
人命・人権尊重からただちに死刑廃止論を導くのは、平和を希求する心から軍備不要・・戸締まり不要論を導くのと共通で短絡的過ぎます。
この種の主張論者の組織が共通集団化している点から見ると、推論・思考レベルが共通だから疑問に思わないのでしょう。
個人の生命は大切と言う小義を重視し過ぎて死刑がよくないとか、警察官も人命尊重の対象だから危険を避けるために強盗がいなくなってから・・騒乱が鎮静化してから出動すべきだと言い出したら、現行犯罪の摘発がないのですから、犯罪や騒乱を誘発し却って多くの人命・人権が失われる(大義を滅する)元になります。
オバマのフィリッピン大統領非難の問題点は犯罪容疑者の人権ともっと大きな公けの秩序維持=大義と犯罪者の人権・小義のどちらを重視すべきかの判断(主権行為)に余計な介入をしていることにあります。
フィリッピンの犯人検挙方法がどこまでどの方法が許されるかは優れて内政問題・・その国民が被っている被害状況・・犯罪集団の凶暴性等々の状況との兼ね合いで決めるべきこと・主権行為なのに、オバマはいわゆる人権屋の重視する小義を重視して他国の内政批判・・干渉しすぎて主権尊重の大義を考慮していない印象を受けます。
中東ではリビヤやイラクやシリアの政権を倒しあるいは倒そうとして大混乱を招くなど近代社会秩序維持に最優先であるべき主権尊重の大義を破るものである上に、結果ら見ても欧米の介入が原因でシリア難民の悲惨さを見ても・・大規模な人権侵害が起きています。
独裁が良いか民主政治が良いかについても、社会状況に応じた政体があるのですから腕力に任せた余計な介入によって生じたリビアやイラクの混乱を見れば、フセインやカダフィの独裁政権の方が国民にとってはずっとマシだった筈です。
小義のために独裁制を倒すのと秩序崩壊による大混乱で失う大義(大量の人権侵害発生)との比較衡量の必要性すら分っていない・・狂信的煽動集団がマスコミであり、これに政治家が迎合した結果です。
マスコミがこぞって何故大義(秩序維持・大量の人権保護)を無視し、大義を言うと偏狭な民族主義とか、オポチュニストとして貶めるのか・・大義を無視し尽くして結果的に世界混乱を引き起こそうとするメリットは何か?どう言う勢力がこういうことを煽るのか?の関心に移って行きます。
アメリカが世界の警察官をやれないと言い出したのは、独裁政権でも折角まとまっているイラクやリビアの秩序破壊を遣り尽くした結果、大混乱が始まって手に負えなくなって無責任に投げ出しただけの話しです。
ここで何のためにこんなバカなことをやったのか?マスコミを牛耳るユダヤの陰謀論が出て来ますが、ここではそれがテーマではないのでこれ以上書きません。
小義と大義の違い・・小義を強調して行くと、大義(社会秩序)が緩み破壊される関係の分らない人が大統領や世界の指導者になったことが、アラブの春に始まる大混乱の原因です。
メルケルに代表されるEU指導層は、小義と大義の区別がつかないように訓練を受けた文化人的判断・・マスコミ受けする人道主義と言う「小義」を重視し過ぎて、シリアの混乱拡大を応援し、結果的に難民の大量流入と言う仕返しを招きました。
この頭でっかちな文化人の個々の人権尊重・これが行き渡って来ると難民大量流入の奔流となり今になって慌てていますが・・個別処遇が全体に及ぶとどうなるかの思考力が欠如しているコトが分ります。
(大量移民歓迎論→民族国家否定論者には予定どおりの流れだったので、メルケルは当初これを歓迎するかのような発言して国民の総スカンを食って慌てて軌道修正に大わらわですが・・)
この行き過ぎ政策に抗議を始めたのが、イギリスのEU離脱決定ですし、アメリカやEU内のグローバリズム反対論の表面化です。
目先困っている人を拡大・センセーショナル報道する・・難民・乳幼児の報道写真が実はヤラセだったと言う事実が、最近ネットに出るようになって来ました。
マスコミ迎合のインテリがみんな人権主義者・・小義を重視して大義をバカにするばかりで、全体のあり方を議論しない・・全体のこと心配している真っ当な庶民の不満を代弁してくれないので、已むなくありきたりのグローバリズム・格差反対と言うスローガンになっていますが、本音は行き過ぎた「小義」重視の人権論に対する反対であり、大義を重視せよと言うことです。
正義には善悪の単純区別ばかりではなく、双方共に実現出来れば善であるが実際には政策優先順位をつけるべき微妙な色合いの差があります。
左翼系文化人やマスコミの議論は「生命を最大限尊重し平和を守るべき」と言う段階で止まっていて、あまりに単純過ぎて具体的な政策優先順位をつける段になると思考停止しているように見えます。
これが戦後の社会党政権や4〜5年前の民主党政権が実務能力がないと批判された最大の欠点です。
世界中の政治指導層が、マスコミに煽られて?マスコミを敵に回せないので?大義を棄てて小義に着く・・逆転させていることが昨今の庶民大衆不満・世界大混乱の大もとです。
小義の主張・・個々人の人権を言うだけならば、難民も高額医療の保険適用推進運動も「可哀相だ・」と言うだけで済み、(「(沖縄基地の)少なくとも県外へ」のスローガンが象徴的ですが)全体の利害調整無視の主張ですから気楽です。
外国人も日本にいる限り日本人と同様の待遇をすべきだと言うのは個々の判断では人道的に正しいですが、(不法滞在かどうかに関わらず)これをやって行くと高度な生活水準を求めて際限なく移民が入って来るのをどうするかの議論がありません。
警察官や自衛官の人権尊重と強盗を実力で検挙しなくて良いのか?犯罪者の人権=死刑廃止論では被害者の人権や全体の秩序がどうあるべきかの議論が見えない・・大義・・全体の視点が無視され過ぎています。
えん罪リスクを理由に死刑廃止を言う意見もありますが、その他の刑罰だってえん罪リスクの可能性は同じですから、全ての刑罰を科すことが出来なくなる・・刑事手続をなくせと言うのと同じです。

社会保険の赤字11(定義の重要性2)

虚偽・嘘つきが古代から世界中で何故忌み嫌われているかと言うと、あらゆる事柄は事実を知った上で判断し行動する方が(知らないで決めるよりは)間違いが少ないからです。
故意に噓をつくつもりだったかは別として(人の内心の意図まで判定出来ませんが)昨日書いたように言葉の定義をきっちり決めて話題にしないと結果的に相手の判断を誤らせる効果があります。
特に戦闘場面で言えば、敵がどの方面から攻めて来るか、何時ころに夜襲をしかけて来るかなど虚偽情報で逆の方を向いたり、敵の攻撃は明日の夜と思って眠り込んでいると大敗してしまいます。
戦闘では、情報の正確性が死活問題ですが、影響力に大小の差があるものの、経済行動判断であれ、明日の行楽予定であれ、明日の天候その他情報正確性の重要性は変わりません。
財務官僚やマスコミ・エコノミストが、何故赤字の定義をすり替えて宣伝するか?と言えば、自分だけがエリートのつもりで無知蒙昧な国民に事実を教えると間違ったた判断をするリスクが高い・・騙しておいた方が良いと言うおごった気持ちがあるからではないしょうか。
お母さんが子供に「内は貧しいから・・」と噓を言っても許されるような延長思考です。
子供は消費するだけで家計全体のプレーヤーではありませんが、国民は経済活動の主体です。
経済主体が誤った情報で行動すると社会全体の経済活動の指針が誤ってしまいます。
国家独占資本主義国ではなく、自由主義国においては庶民の自由闊達な発想重視ですから社会の活力は民間が担っています。
事実を知る必要性・情報の重要性は企業経営にとっては火を見るより明らかで、日々の売上増減など出来るだけリアルタイムに近く知りたい・・財務内容が不明朗では、経営判断を誤ることになるのが社会常識ではないでしょうか?
或る企業の経理マンが、自分勝手に会計用語を変えて、経営会議に報告した場合、会議参加者は従来用語の意味で理解するので、経営判断を誤るのは必然です。
相手に誤解させる目的で独自の用語を使用するのは「嘘つき」とどう違うのでしょうか?
政府やエコノミストは、まさか国を破綻させる目的で非合理な赤字論をやっているとは思えないので、社会(国民)のレベルが低いので間違った判断させた方が、結果正しいと言う自信があるのでしょう。
財政赤字の絶え間ない主張は、江戸時代・・吉宗以降重視されて来た質素倹約の精神・・最近では「勿体ない」精神を強調する報道もありますし・・子供に無駄遣いさせないために「内は貧しい」と教え込んでおくようなものです。
非合理な財政赤字論・・この程度の分りよい噓にもとずくムード主張を見抜けない国民がいるとしたら、自己判断能力が低いから、騙しておいた方が良いことの証明だと言う思考かも知れません。
国債相場・円相場などの指標を見ても、日本が破綻すると言う動きはない・・プロが騙されて問題にしていないから、実体経済に悪影響を及ぼしていない・・実害のない噓など放っておけば良いと言えます・・私だけが無駄な議論を書いているのかな?
赤字概念に戻りますと、公的機関の場合、帳簿の書き方を一般会計用語と違ったやり方にしているのであって、社会的用語での赤字ではありません。
(学校用地や公園用地を取得した支出の場合、時価相場が10年後に2〜3倍になっていても、資産評価しないで取得コストの赤字が累積しているだけです。)
世の中の人に普通に理解されている・・売上減少による業務収支赤字の場合にはすぐにも倒産危機が迫っている大変な事態です・・このイメージを借用して公的会計・・民間赤字とは全く意味の違う意味に使って増税の必要性可否の判断を狂わしているつもりです。
社会保険の赤字大宣伝も同様で、総合収支では資金不足になっている筈がない・・赤字のママだと医療機関への支払が出来ないので、税金の注入によって収支トントンになっている筈です。
総合収支のうち、保険料と保険給付の収支だけを取り出して見れば、保険原理を無視した政治決定で各種免除を濫発した分=当然不足になる関係にあります。
総合収支トントンのうちの政府負担分・収入を赤字と言うのですから、同義反復している誤摩化しです。
企業で言えば仕入れ部門やサービス部門・管理部門は原則赤字で、販売部門の黒字との総合収支で経営が成り立っています。
保険の場合、社会保障判断による免除や優遇措置分の対価がない分赤字になるのは当たり前ですから、税で負担すべきですから、この収入を赤字と言うのは詭弁です。

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