最低賃金4と外国人労働者1

我が国の人件費の決め方は、労働の対価性が低く生活給的要素が強かったのですが、グローバルな経済競争時代に突入した以上は、純粋な労働対価と民族国家としての助け合い・生活保障部分を峻別して行くべきです。
我が国で賃金を決める基準として労働対価より生活水準維持を強調するようになったのは、意外に歴史が浅いのです。
10月7日、日経朝刊第19面に紹介されている「日本労働関係史」(アンドル・ゴードン氏著)によれば、戦時中(私の想像では満州事変ころからではないでしょうか)に一般国民からの兵士徴用の結果、銃後の生活保障が重視されて生活給が強調されるようになったとあります。
(ちなみにゴードン氏の著作には関係ないですが、企業の厚生年金制度も戦時中に銃後の生活を安定させるために昭和17年に始まったものです)
戦後経済は廃墟からの始まりですから、国家全体が貧しかったのでその思想・習慣がそのまま定着していて、私の若いころの労働運動のキャッチフレーズの中心は「これでは結婚も出来ない」(子供産めない)などという生活保障の主張が中心でした。
本来労働能力に対する対価は(適正な労働分配率によって)対価としてきちんと支払い、それでも「生活出来ない・子供を生むと育てられない」という部分は本来国家が補償すべきものでしたが、戦争経済で国家財政が疲弊していたので民間・企業にその負担を求めるようになったのが始まりです。
その伝統の無批判踏襲で今日に至っているのですが、戦後70年近くも経過したのでこの辺で労働の対価と社会保障を峻別すべきです。
世界第2位の経済大国になっても貧困時代のママ社会保障部分を企業負担にして来たのですが、(障害者の一定率雇用や厚生年金の企業側半額負担もその1例です)世界中で似たような制度があるから(どこの国でも財政赤字は困るのでこのやり方を踏襲しています)と言って、正しいとは限りません。
人材の交流が盛んとなり、外国人底辺労働者が増えて来ると過去何十年にわたる蓄積の取り崩し・利用による社会保障・生活保障部分までを参入して来たばかりの外国人労働者にも保障するのは行き過ぎです。
今後は、正当な労働対価と社会保障部分を峻別して行かないと外国人排斥運動が激しくなりかねません。
外国人排斥運動が起きるようになったのは、インフラ整備や社会保障政策が行き渡って来るとただ乗りに対する不満が出て来るからです。
我が国では昔から稲作=ムラ社会・・灌漑設備等のインフラが充実していたので他所ものに対して冷たかったのは、インフラ瀬尾の進む近代社会の千年単位の先取りだったと言えます。
他所ものを・・簡単にムラの寄り合い仲間に入れなかったのは、社会資本・農道の整備・灌漑設備の新設や維持負担等々を千年単位で先祖代々営々と築いて来た蓄積があったからです。
社会保障政策は個々人の能力不足分を同胞としての一体感もあって民族国家成立後(我が国の場合その前から村落共同体)社会=国家全体で助け合う・その資金は結局は民族が蓄積して来た結果によるものですから、(高齢者の貯蓄取り崩し・年金生活を考えれば分りますが、)過去の蓄積に関与していない外来者が来たばかりで、ある国・領域・場所にいるだけで同じように恩恵を受けるのは狡いと思う人が出て来るのは仕方のないことです。
排外的右翼の主張に大して狭量だと批判していても始まらないので、そう言う批判が起きないように労働の対価と過去の蓄積を利用した同胞間の助け合いである社会保障部分を峻別して行くべきだという考えを書いています。
私は外国人をヤミクモに差別しろという主張ではなく、受けるべきでないメリットは与えるべきではない・・与え過ぎるとそれに対する反感が嵩じて本来受けるべき権利まで迫害する方向に行き過ぎてしまう懸念を書いています。
外国人のただ乗りを放置しているとナチスによるユダヤ人迫害だけではなく、昨年夏だったかノルウエーで青年による銃乱射事件がありましたが、どこでも起き得る危険・・命まで奪う・・根こそぎの反感に行き過ぎてしまう危険があります。
外国人居住者の問題は、労賃に関しては労働の対価部分と生活保障給部分を峻別して外国人には労働対価だけ支払えば良いとすれば解決します。
ただし、これでも生活保障的公共料金・医療費などは実費以下の供給を受けるなど生活保障的給付を外国人が知らず知らずのうちに享受するただ乗りの問題があります。
この分の差額徴収をどうするかも決めないと、税で整備した公衆便所・医療機関等を外国人が何らの負担もしないで使えるのはおかしいとなります。
千葉県弁護士会では会館建設資金・あるいは維持管理費?負担金について、数十年以上負担して来た会員には免除する規則が何年か前に成立しています。
過去の会員が長年積み立てた資金で漸く出来上がった会館を新入会員が無償で使い、維持管理費も長年積み立てて来た会員と平等分担が続いていたのですが、それでは長年積み立てて来て会館建設後数年〜5年程度で隠退する予定の会員と比較して却って不公平になるからです。
同じように外国人労働者には純粋な労働対価しか支払わないだけではなく、出来上がった膨大なインフラを無償で利用するばかりでは不公平です。
建設国債と言う概念をご存知の方が多いと思いますが、各種インフラ整備は借金で賄っていてそれを次世代が負担する仕組みです。
国民はその借金支払を分担しているのに外国人(旅行者等)はその分担をしないままインフラを無償利用しているのは不公平です。
外国人にはインフラ使用料あるいは維持費税を国民一般が負担する所得税や住民税にプラスして徴収したり、保険証のようにカード提示者だけが会員価格としてそれ以外は電車その他のすべての分野で正規料金を払う仕組みにすれば右翼の不満がかなり減るでしょう。
会員制システム・会員割引を国のいろんなシステムに導入するのは、電子機器の発達した現在、それほど困難ではありません。
いろんな弊害もあり得るので今のところ私は必ずしも推奨している訳ではありませんが、例えばの話・・国民総番号制にすれば・全部共通番号になるので、1枚のカードで足りて簡単です。

国際収支と財政赤字1(国債の外国人保有比率2)

1家の経済で言えば、家族内の貸し借りだけにしてよそから借りてまで(一家の総収入以上の)豊かな生活をしないようにするために、外国人による国債引き受けが必要になった時点で緊縮経済に切り替える仕組みにすれば健全です。
政治的に見ても外国人の出資を受けなければ、外国人の意向に左右されなくなるメリットがあります。
外国人投資家に国債を引き受けさせない・・あるいは一定保有率以上になったら国債発行を出来ない制度設計にすれば国内資金で賄える限度しか政府支出が出来なくなりますし、国内資金の限度で賄っている限り国債残高がいくら膨らんでも対外経済上(デフォルト)の心配は全く要りません。
国債発行残高問題の論点は、財政赤字になるか、その額が大きいかどうかではなく、当初引き受けだけではなく転売後も含めて外国人保有比率をどうすべきかこそを議論すべき事柄です。
ただし、国際政治上我が国だけ外国人保有禁止を出来るかの配慮は別に要りますし、国民が買った後の転売・名義貸しを考えると法的禁止まで進むのは無理があります。
そこで実質的外国人保有比率を何%まで認めるかの政策判断・・何%を超えたら、新規国債発行を禁止するガイドライン・トリガー制度が必要となります。
無制限に外国人比率を上げて政府が安閑としてることになれば、そのような制度設計こそが危機管理として問題ですから、これをマスコミが報道すべきことです。
これまで約40年くらい連続して国際収支黒字でしたが財政赤字が累積している現状に明らかでなように国際収支が大幅黒字でも、税を取らずに国債で賄えば財政赤字ですし、税で国費を全額賄っても国際収支の範囲を超えて国内で消費すれば国際収支は赤字になります。
国全体の収入以上の生活を政府が保障しているとその差額資金が税収によるものであれ国債であれ結果的に国際収支が赤字累積になります。
何回も書いていますが、一家の総収入の範囲内の生活かどうかが重要であって、一家の総収入(40万円)以上の(50万円の)生活をするために自分の収入30万円に加えて息子から20万円を生活費として借りたことにしている場合に、強制的に(税として)20万円取るように変えても、一家の総収入が赤字であることは変わらず、いつかは家計が破綻してしまいます。
この逆に総収入の範囲内であれば、息子からの借金名目の数字が如何に膨らんでも健全性が変わりません。
「負債を次世代に残すのか」という報道も多いですが、親が死ねば相続人である息子の貸金が相殺によって、ゼロになるので何の問題もありません。
国家経済も同様で、赤字国債が如何に巨額になろうとも、その債権者も自国国民に限定していれば次世代はその債券を相続しますので、差し引き零以上の遺産を受け継ぐことになります。
この辺の原理については7月15日の「マスコミによる世論誘導の害2(不毛な財政赤字論1)」前後のコラムで紹介しました。
国民が債券相続出来るかどうかの意味でも、外国人が債権者の多くを占めているとその前提が崩れますので、外国人保有比率をどうするかを考えないでノホホンと発行を続けるシステムであると問題が大きくなります。
外国人保有比率の限度に関する内部ルール策定こそが喫緊の課題であり、これの議論をしないで財政赤字額の大きさだけを議論しても意味がありません。

国債空売り2(国債発行限度)

外人投資家の売り攻勢の場合、結果的に外人が保有していた国債を円紙幣に変えるだけのことでしかなく、この場合円をドルに換えるでしょうから(日本の国際収支赤字継続→資金不足の場合しかこう言う事態にならないので)結果的に円が下がる循環となります。
外人投資家による国債売り浴びせがあってもその効果は円下落に行き着く・・円の投機売りとほぼ同じ効果に帰します。
国債の投機売りが発生するときには円相場の大幅下落が予想されるときしかないことですから、投機筋にとっては国債で投機売買するよりは為替の投機売買を仕掛ける方が簡単でしょう。
このようにみて行くと以前から書いているところですが、国際収支の黒字を継続している限りいつも資金余剰ですから円安に振れる心配がない・・ひいては国債の暴落・投機売り圧力もあり得ないことが分ります。
ところで、国債の売り浴びせは満期前に限定されますから、期中の債券相場が下落すれば、下がり切るのを待って外資に投資していた日本人が(こういうときには円がジリジリとあるいは急激に下げているので、外資に投資していた人はドル高などでそれだけでも大もうけしています)外債を売って相場の下がった日本国債を買い受ければ満期に高利回りで回収出来るので大もうけ出来ます。
実際には、日本人でももっと下がると思って簡単に買いを入れてくれない弊害がありますが・・。
この原理を利用するために日本人が日本国債ばかり買わないで外資にも振り向けておくべきだ・・そうすれば危機対応資金・安全弁にもなるという意見を02/25/09「国債引き受け先の分散12」までのコラムで書きました。
そのときには円が暴落していますが、下がった相場×下がった円で受け取る外国人保有者が大損するだけで、売り浴びせに参加しない・下がり切ったところで上がったドルを円に換金して買う愛国心の強い日本人は何の損もないでしょう。
ちなみに、国際収支赤字の連続→円安になれば、日本人全体の保有資産(殆どが円建てです)がドル表示で目減りしますので大損となります。
マスコミは何故か円安期待論(ばかりの紹介)ですが、外貨建債券をかなり持っている人でさえも自宅・各種会員権を含めて9割方以上の資産は国内にあるのが普通・円建てですから、円安になって得する人は皆無に近い・・大損する結果となります。
日本人のための日本経済について心配すべきは円の下落・・暴落を防ぐこと・・・貿易黒字→経常収支黒字をどうやって長期的に維持するかの問題です。
国際収支が黒字である限り社会保障費等を寄付や国債で賄うか税で賄うかの問題は,国民が心配するべきほどの問題ではありません。
逆に国債収支が長期的に赤字連続であれば、100%税で賄っていても日本経済は立ち行かなくなります。
国民の生活水準をどの辺におくかは,国際収支トントンを基準に考えるべきであって,これを無視して税で取りさえすればいくら生活保障を引き上げても良いとはなりません。
財政赤字かどうかはコップの中の嵐同様で、国際収支赤字になるか黒字になるかには関係がありません。
一家で言えば息子や娘から生活費として月額各5万円強制的に徴収する分を徴収しないで貸してくれと言って受け取った合計10万円と親の収入30万円の合計40万円で生活している場合、その家計の健全性は、一家の総収入と総支出にかかっていて合計支出40万円以内ならば健全ですし、40万円を超えて50万円ならば赤字です。
子供に対する同額の強制徴収(税)に切り替えても、毎月50万円の支出のままだと赤字の累積になってその内に危機が来る点は同じです。
現在の財政赤字を心配する論議は,子供達から強制徴収するか、借りたことにして生活費を出させるかのコップ内の議論に過ぎず日本経済の健全性には何の関係もない議論です。

国債と税(外国人保有比率規制)

5月1日(昨日)に国債の外国人保有比率を法で規制すべきだという意見を書きました。
税の場合対象が国民に限定されますが、国債発行残高の歯止めを国際収支に求めないままで際限なく増やして行く・・外国人投資家比率を上げて行けば、税と同じではなくなり危険です。
ギリシャ危機の処方箋は、税を上げて(国民から搾り取って)外国人の保有している国債を払えという図式です。
対外純債務国になってしまうと国家外からの資金導入は借金または資本導入になるので、金利負担を伴い結果的に借金地獄・外国資本に隷属してしまうリスクが起きてきます。
ギリシャやスペインイタリアの例を見ても分るように海外投資家の意見によって国内政治をしなければならなくなり、国家運営が国民の意思よりも外国人投資家の意思によるしかなくなることが明らかでしょう。
海外投資家あるいはよその政府の意見で政治をしなければならないとすれば、これほど非民主的な制度・社会システムはないでしょう。
このように考えて行くと、民族自決が出来ない政体で民主主義選挙と言っても茶番ですから、民主主義と民族国家の理念とは連通管の原理の用に底部では通じていることになります。
EUの場合、主権を残したままの通貨統合(通貨主権の放棄)自体論理矛盾ですから、ギリシャ等が自主的な財政決定権が事実上なくなるのは統合の進化になるのかも知れません。
韓国の場合、一般企業は言うに及ばず銀行でさえ株式保有の大半が外国人投資家というのですから怖い話です。
昨年春ころのニュースの引用ですが、「韓国の海外投資残高は3月末現在7136億ドルで、前年末より254億ドル増加 した。外国人の投資残高は418億ドル多い8668億ドルだった」となっています。
韓国の海外投資残高と言っても韓国企業自体、株主の大半が外国人ですから、サムスンその他企業が海外投資している残高の半分が外国人の再投資と同じですから、実質はもっと少ないことになります。
こういう国では国債を国内銀行が買っていると言っても(その銀行やファンドの中身が外国人投資家ですから安心出来ません。
January 14, 2012「海外投資家比率(国民の利益)2」で紹介したとおり、韓国ではサムスンで55%、銀行株式の77〜78%も外国人保有になっています。
このように外国人保有比率を規制しても、その実質が問題です。
我が国のように、世界最低金利を維持することが、外国人投資を防ぐ最良の方法です。
今のところ安全資産・・将来の値下がりリスクが少ないということで円=日本国債が買われていますが、そう言うときでもない限り、安い金利で買いたい人は滅多にいないものです。
日本の株式市場や債券が海外に人気がないと嘆くエコノミストが多いのですが、そんな人気などない方が良いでしょう。
日本は外国人に来てもらわなくとも日本人だけで運営して行ければ幸せです
ただし、2008年時点の韓国経産省の統計によれば対外対内直接投資に限れば、韓国は約9000億円の対外投資残に対して9000億弱の対内投資残で均衡がとれていますしたが、リーマンショック後昨年春までの間に内容が悪くなっている感じです。
ちなみに明日のブログで紹介しますが、2010年末の日銀統計によると我が国の対外投資残は約550兆円の対外投資残に対して約300兆円程度の対内投資残ですが、リーマンショック後急激な円高対策として始まった奔流のような海外投資の拡大で今ではその比率がもっと開いているでしょう。
ただ、昨日書いたように海外投資残の範囲内ならば良いのではなく、国債を海外投資家に買って貰おうとすること自体邪道です。
日本の海外投資の方が仮に多くても、日本国債に対する外国人投資家の比率が上昇すると、借換債発行に際してその意向に支配されるようになるのは明らかですから、対日貿易決済に必要な外貨準備範囲に制限すべきです。

外国人労働力と貧困化

外国人労働者を入れることによって、平均賃金コストを下げるのは、国内労働者の平均所得を下げて日本やアジア勢に対抗していただけのことですから、結果的に一人当たり国内総所得を低下させる・・国民・あるいは(国民ではないとしても)居住者を貧しくさせる政策になります。
導入した外国人労働者は、時間の経過で自国に居着いた低所得者層となり・・彼らは低所得なので納税者としては頼りにならないのに対して、社会補償・教育関係給付は逆に増加する傾向があって、これらの施策に追われてしまい・公共投資・・インフラに手が回らなくなりがちです。
個人に置き換えれば、転職の結果低賃金になりその日暮らしの生活になれば、家や庭の手入れがおろそかになるのと同じです。
グーグル映像・ストリートビユウで見ると西洋諸国の諸都市が古すぎる印象になっているのは、外国人労働者の受け入れを始めて結果的に低所得層を増やして行った結果、インフラ・公共物への再投資する資金が足りなくなってしまった結果と見るべきでしょう。
ギリシャ危機が起きたことで、ドイツ等黒字国は儲けていた黒字の蓄積である債権をカットしなければならなくなった・・実質は1つの経済圏の内部タコ配当的だったことが分り、ユーロの価値・為替相場が下がっています。
国債市場で日本に負けていたのは安い人件費に有るのではなく技術革新力の差にあったのですから、アフリカ系やトルコ人等の安い労働力を入れた結果、平均賃金コストが下がって少しは得したでしょうが、日本と互角に競争していた訳でもありません。
日本企業もつい賃金の安い中国や韓国には叶わないと言い訳しがちですが、自戒すべきことです。
ユーロ創設以降これまでの為替相場のじり高は、南欧東欧諸国を内庭として囲い込んだことによって貿易上有利になるだろうという思惑と国際通貨としてはじり貧の(巨額赤字連続で信用を落としている)アメリカドルに変わる受け皿としての(期待値で)ユーロ誕生後円やドルに対してユーロが高値を付けていたに過ぎません。
そのときの私の記憶では、1ドル=1ユーロで始めたのですが、今でもアメリカドルに対しては2〜3割値上がりしたままです。
ここのところの円の対ドル相場は77円台ですが、ユーロは100円台ですから、発足時よりは25%前後対ドル相場でまだ高いのですが、これはこの間にユーロ圏がアメリカよりも2〜3割経済力がアップしたのではなく、各国の準備通貨としてのタンス預金分の恩恵を受けていると見るべきでしょう。
ドイツの貿易黒字が巨大であると報道されますが、日本で言えば東京・大阪等の大都会と青森や沖縄の関係と同じで1つの経済圏にした以上は、首都圏から青森や沖縄に対する売り越しは貿易黒字と言わないように、独仏等の南欧・中欧諸国への売り越しは本来の意味での貿易黒字ではなかったことになります。
EUを1つの経済圏としてみる以上は、ドイツ、フランス、オランダ等の貿易黒字から対南欧諸国に対する黒字を引いたらどれだけ残るかがEUの正味の価値です。
EU盟主国・創設諸国が貿易黒字国だったので、ユーロ圏での財政赤字比率を厳格に定めることができた基礎でしたが、今回ギリシャ危機を切っ掛けにドイツの黒字は1つの経済圏内の蛸足配当的な黒字だったことが、白日の下に曝されました。

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