公務員は労働者か?2(任命1)

国家公務員法を見れば「公務員」に関する法(組織法の亜流?)であって、公務員の地位をどうやって取得し、公務員になればどのような職務義務があるかを法で定めている法律であり、その一環として給与等の勤務条件記載がある程度の印象です。
裁判所法では裁判所の種類や重要人員構成に関する裁判官になる方法・権限を書いたものであって裁判官の労働条件確保を決めるためのものでないのと同じです。
労働の対価である賃金と言わず職務に対する給与(給わり与えられるもの・・目上の者から下の者に物品を与えるもの)ですし、内容的には賃金の仕組みを踏襲して残業手当や休日出勤手当など同様にしているでしょうが、法の建て付け・精神の有りよう・・本質は労働対価という形式をとっていないと思われます。
個人的経験によりますが、司法修習生の頃にお世話になった地裁刑事部長(専門誌に論文を書いている著名な人でした)が交通事故被害にあったとかで長期休暇中でだいぶ経ってから出てこられたのですが、ある時の雑談で裁判官は労働者でなく身分官僚なので、事故で半年〜10ヶ月程だったか?長期休んでも俸給に何の影響もないんだよ!というお話を伺ったことがあります。
要は官職に応じた俸給があり、個々の労働の対価ではないということでした。
言われて見れば勤務時間や残業とか細かいルールもなく、公判のある日とか何か予定(合議予定、令状当番など)が決まっている日以外は出てこなくても良いのが当時の裁判官でした。
平成に入った頃からだいぶ世知辛くなって、裁判官もほぼ毎日出てくるような印象ですが・・。
(自宅書斎で調べ物をしているより裁判所で資料を見ながら思索する方が効率がよくなった面があります・この辺は最近の大学教授も同じでしょう)
我々弁護士も勤務時間の縛りがないものの、事務所で処理した方が合理的なので家に仕事を持ち帰る頻度が減っています。
研究も同様で鉛筆一本で思索する時代が終わり各種研究所が発達している・勤務時間の定めがなくとも資材の揃っている研究所にいる時間が増えているのはこのせいでしょう。
労働法のように契約交渉等で決まる仕組みを前提に弱い個々の労働者の地位を守るために団結権や団体交渉や争議権を認めるのではなく、あるいは契約に委ねると対等な力がないので労働者が不利になりすぎないように最低賃金、最大労働時間等の最低基準を決めて労働者を保護しようとするためではなく、別の目的で職務内容の他給与基準まで全て法律で決まっている前提です。
国民代表の意思による法で決まっているものを公務員が上司との交渉で変更できるとした場合、お手盛りになり兼ねないし、法治国家・国民主権に違反するということかな?
公務員の地位につくのは試験等の公的基準に従って任命されるだけであって、労働契約によって始まるのではありません。
私も法律家の端くれなのによく分からないまま生きてきたのですが、契約でないとすれば「任命」すなわち命令ですから命令された方は結果として従うかどうかしかないと言う建て付けでしょう。
事前根回しや同意・納得があった方がスムースと言う程度の位置づけです。
現在は受験制度ですので受験する段階で、任官(就職)したいと言う事実上の意向が示されているので、事前同意の概括的担保がある仕組みです。
ただし腕試しに一応受けて見たとか滑り止めなどいろんな要素があるので、各省採用に当たっては、もう一度一種の二次試験みたいな申し込みと面接試験などが必要になっています。
ここまで来た人は、任官意思が固いので採用通知を特別な事情なしに蹴飛ばす人は滅多にいないでしょう。
古代〜中世は別として近代社会においては、人に対して特定行動を命じ、それに応じない場合行為そのものの強制は許されないのが社会の合意です。
馬を水飲み場に連れて行けるが飲ませることはできないと言われる所以です。
結果的に徴兵あるいは、法令で決まった帳簿検査、提出命令などに応じなければ罰則で間接強制するしかないようになっていますが、保釈条件違反→保釈決定取り消しなどの不利益が用意されているのが普通です。
しかし、任命に応じない場合には罰則まで設けるのは行きすぎでしょう。
労働法ではこの点はっきり書いています。

労働基準法
(賠償予定の禁止)
第十六条 使用者は、労働契約の不履行について違約金を定め、又は損害賠償額を予定する契約をしてはならない。

戦闘集団が基本である武家社会では主君の命令は絶対であり、これに応じないことだけで首を刎ねられることが許されるような価値観のストーリーが多く見られます。
上洛後の信長からの越前朝倉家に対する義昭名での上洛命令に応じないところから信長と朝倉の対決が起きたものでした。
このように出仕=任官すること自体が時の事実上権力者に従属することを受け入れることを意味することから、信長や秀吉政権樹立を認めたくない勢力は当然応じません。
小牧長久手の戦いが長引き、秀吉が徳川とのヘゲモニー争いで勝敗がつきかねている時に、秀吉が関白太政大臣の官位による召集をかけて出仕すれば徳川はその下位につく意思表示になるという、政治駆け引きに徳川が応じたことで豊臣対徳川の抗争が収束しました。
秀吉が人質まで出して徳川との和平をした実態を見て小田原北条氏(後北条)は(徳川と誼を通じていれば・・秀吉政権が弱体と甘く見たのでしょう)出仕命令無視するばかりか総無事例も無視した上で、北条と真田間の沼田城支配をめぐる争いに関して豊臣政権(支配地分割)の裁定により沼田城を受け取りながら、真田側領地に残った真田の枝城(大くるみ城だったか?)を攻めたことが秀吉の怒りを買い、ついに小田原攻め→北条氏照や主な家臣らの切腹と領地全面没収になりました。

国家公務員は労働者か?1

一族だとか、側近、譜代の臣、時々応援してくれる近隣豪族との違いと言っても、それは比較をいうだけであって、側近の関係に限定すれば、他人と同じ対立関係が凝縮されて、あるいは複雑化していていろんな要素で相殺される結果見えにくくなっているにすぎません。
関係が遠くなるに比例して利害が単純化する・・土地勘のない通りがかりの客にとっては刹那的な利害の一致だけ・例えば我慢できないほどの空腹者にとっては、目につくところに飲食店一軒の他は、建築資材その他物販店ばかりであれば、その飲食店の料理が標準以上に美味しいかどうかの吟味の余地がありません。
これが近隣の店であれば、以前の客あしらいや料理と値段のバランス、複雑な情報処理が行われます。
しょっちゅう顔を合わす関係だと何か気に入らないことがあってもストレートに顔や態度に出しません。
側近や身内の場合、主人との接触濃度が違うので複雑な関係に比例して総合判断を経るのでちょっとした不満にすぐ反応しない違いでしょう。
独身男性が「所帯を持って一人前」と言われていたのは、幼い子供など弱者に対する日々の思いやりの蓄積による人間的深みの成長と同時に自分の言動が及ぼす影響に対する責任感が言動を慎重にさせる面があったでしょう。
近隣や顧客関係と違って、儒教道徳下の臣従の場合は、命まで捧げる特殊な契約?なのでやめる権利がない・実施したかどうかは別として幕末頃には理念的には脱藩は死罪という・極端なパターン・・「君君たらざるも臣臣たらざるベカラズ」刃向かう権利もないという、特殊道徳の教育理解でやってきました。
ただし徳川体制の思想的基盤を固めた林羅山が敷衍した儒教道徳は、彼独特の創作に係るものであった可能性がありますが、ともかく日本人はこれに従い受け入れてきたのです。
民間でも一旦正規従業員になれば、一時的に売れ行きが落ちて競合他社より給与が低くなっても、挽回盛り返せるように皆で頑張ってくれるのが従業員という意識が一般的に濃厚でしょう。
これに対してメール着信に応じて数時間だけ配車サービスする人の場合、少しでも単価の良い方のメールに応じる簡単な関係です。
自分の会社、お店意識を共有するようになる方が改良努力もしてくれるのですが、明治政府は国民は皆日本国家事業体の従業員だと言えば、外国との競争に頑張ってくれると思ったからでしょうか?
現在でもこの精神が濃厚なせいか?国民=臣民の図式がダメになっても国家公務員はまさに国家の直接の従業員なのだから、国家の外側の民間の従業員とは違うという面を強調したいのではないでしょうか?
民間も含めて皆「臣民」だったのを民間だけ止む無く切り離したという仕方ナシの論理のようです。
憲法上でもいまだに総理大臣と内閣を構成する大臣と大臣に任命される省庁の公務員という建てつけであることを見てきました。
国家公務員には各種労働法の適用がないし、地方公務員もほぼ同様であることを1月9日に紹介しました。
なぜ適用がないかについては、その代わり人事院で公正な給与計算をしているし安全管理も監督官庁の方が厳しいからその必要がないという意見があるでしょうが、事務職の場合、同じ職務内容なのに民間と国家等で待遇が違うのはおかしいという批判に耐えるためにそういう制度を作って糊塗しているだけであって、違いの生じた原因ではないでしょう。
このように待遇だけが信頼関係の基礎ではないので、国家公務員には、特殊な御恩と奉公の古い意識の温存を期待するものがありそうです。
企業でも会社側の労働者・・管理職には、争議権がありません。
その視点で見れば、官は国全体から見た場合の管理側の人たち・・民間管理職と共通論理によると思われます。
そもそも国家公務員法は労働条件を定める目的の法ではなく、公務員になる為の資格やその職務や管理体制を法定し、そのついでに待遇も書いている印象です。

国家公務員法
(昭和二十二年法律第百二十号)
第一条 この法律は、国家公務員たる職員について適用すべき各般の根本基準(職員の福祉及び利益を保護するための適切な措置を含む。)を確立し、職員がその職務の遂行に当り、最大の能率を発揮し得るように、民主的な方法で、選択され、且つ、指導さるべきことを定め、以て国民に対し、公務の民主的且つ能率的な運営を保障することを目的とする。
2 この法律は、もつぱら日本国憲法第七十三条にいう官吏に関する事務を掌理する基準を定めるものである。
第六十三条 職員の給与は、別に定める法律に基づいてなされ、これに基づかずには、いかなる金銭又は有価物も支給することはできない。
(俸給表)
第六十四条 前条に規定する法律(以下「給与に関する法律」という。)には、俸給表が規定されなければならない。
○2 俸給表は、生計費、民間における賃金その他人事院の決定する適当な事情を考慮して定められ、かつ、等級ごとに明確な俸給額の幅を定めていなければならない。
(給与に関する法律に定めるべき事項)
第六十五条 給与に関する法律には、前条の俸給表のほか、次に掲げる事項が規定されなければならない。
一 初任給、昇給その他の俸給の決定の基準に関する事項
二 官職又は勤務の特殊性を考慮して支給する給与に関する事項
三 親族の扶養その他職員の生計の事情を考慮して支給する給与に関する事項
四 地域の事情を考慮して支給する給与に関する事項
五 時間外勤務、夜間勤務及び休日勤務に対する給与に関する事項
六 一定の期間における勤務の状況を考慮して年末等に特別に支給する給与に関する事項
七 常時勤務を要しない官職を占める職員の給与に関する事項
○2 前項第一号の基準は、勤続期間、勤務能率その他勤務に関する諸要件を考慮して定められるものとする。

日弁連意見書・日本の労働者は窮乏を極めているか?2

若者についても都市住民2〜3世のテーマで書きましたが、バイトで20万円しか稼いでいなくとも、親と同居で全額小遣いに出来る人は、形式上ワーキングプアーですが、実際には普通のサラリーマンよりは豊かな消費を楽しんでいます。
日本の場合、都市住民1世の比率が下がる一方ですから、このような比率の差・親世代の持ち家率なども重要です。
数年前に実質賃金が下がっているという報道が続いた時に書きましたが、好景気でそれまで働いていなかった主婦層が働きに出るようになると10数万〜20万前後の低賃金層が増えるのは当然ですが、それまでゼロ収入だった主婦の収入が20万円前後増えただけのことで彼女たちが貧しくなったのではなく、逆に働けるようになって家計が潤っているのです。
バイト先のなかった息子や娘が一日数時間のバイトできるようになった家庭も同じです。
個々の収入・・例えば、総支払額を就労人口で割る方法ですと、高齢者の職場でなかった分野でも高齢者が週2〜3日働けるようになり、パートや育児期間中の母親や身体障害者等弱者の就労環境がよくなればなるほどそうした就労者が増えるので一人あたり賃金収入が減る方向になります。
仮定の例で言えば、10年前には65〜70歳の9割が年金収入しかなかったのに対して、今ではその5〜6割が月収15〜20万円前後でも仕事があるとした場合、就労人口一人当たりで割ると非正規雇用が増え、一人あたり賃金が下がってジニ係数が悪化したことになるのでしょう。
今の統計方法では就労人口が増えれば増えるほど、国民が貧しくなっている・・格差が広がっているかのような逆転したイメージになります。
変に個人別に切り分けた統計を見て平均賃金が下がっているとか格差拡大していると言ってもほとんどの人は実際の生活実感と違っているので支持しません。
北陸地方の住みやすさ・幸福度指数が最高という報道がしょっちゅう行われていますが、それなのに北陸や東北などの地方から東京など大都会に何故出てくるのか?大都会から北陸地方への移住の方が少ないのかの現実との落差をメデイアは無視したままです。
それは都会に職があり、交通網が整備され学校がありいろんな設備が揃っていて便利だからだというのでしょうが、では何故職や大学や文化施設の有無をすみやすさの基準に取り入れないのか、なぜ評点が低いのか?の答えになっていません。
マスメデイアは、実態無視の基準で勝手に評価しているだけで、国民意見・疑問など無視したままです。
日弁連もメデイア受けに頼る傾向があるので、「窮乏を極めて」いるという唯我独尊的意見発表で満足しているのでしょうか?
メデイアの宣伝と実態の違いを知っている賢明な国民が多い結果、安倍政権になってからの国政選挙で自民党の連続勝利の結果に出ていると思われます。
生活水準・豊かさや窮乏の度合いは、個人単位ではなく世帯単位で見るのが実態に合っているでしょう。
夫の月収4〜50万円の家庭(日本での正規雇用では、500万円年後が最多階層?)でそれまで育児等賃金収入のなかった主婦が働きに出て月収15〜20万円でも増えればその分豊かになった気分でありその女性が窮乏化を極めているとは思っていないでしょう。
賃金労働者一人当たり収入比較・これは景気が良くなるとバイトなど低賃金層から雇用が増えるのが普通ですから、とこの種の人から仕事が増え収入が増えます。
技能関連で言えば、元々腕のいい人は不景気で滅多に職を失わず目一杯仕事をしているのでこの種の人は景気が良くなっても大して(残業手当増える程度・管理職になるとこの変化もありません)収入が上がりません。
技能レベルの低い順に不景気になると失業する代わりに好況になるとすぐに再就職するので好不況の波に影響され安い階層です。
この結果、景気が良くなると低賃金層に仕事が回るようになるので統計上平均賃金が下がり非正規雇用が増え、窮乏化が進んだことになります。
国民の豊かさ、窮乏度合いを見るには、家族全部含めた国民総賃金の推移・・総支払額と対応年度の労働力人口で一人当たり収入増減に引き直して貧しくなったか否かの議論をすれば、結果が違ってきます。
世帯収入の統計をどうするかですが、仮にその把握が難しいとすれば、・・労働力人口(就労人口でなく)が同じとした場合、(日本は少子高齢化で年々減っていますが・・)年間総人件費支払額・これは企業集計でやる気になれば可能でしょう・・が、喩えば200兆円の支払いだったのが5年間で190兆に減っていればその差額分賃金収入世帯全体が貧しくなり、200兆円が220兆に増えていれば、1割豊かになっていることになります。
これを就労人口で割ると高齢者がシルバーセンターなどで、月に数万円程度働くようになると平均賃金が下がり、窮乏化したことになってしまいます。
元々働けなかった人・障害者などが短時間でも働けるようになった分、その世帯収入が増えているのですが、統計では逆になります。
多様な人が生きやすい社会・・子育て中の母親や福祉政策が進むと病弱者や障害を抱えた人あるいは高齢者でも、日に数時間だけでも働く場が用意されるようになるので、低賃金層が増えますが彼らが働けるようになっただけ良くなったのであって働いたことによって貧しくなったのではありません。
お父さん一人しか働く場がなくて月収60万よりは、親子3人自由に働けて各30万の方が家庭は豊かです。
窮乏化が進んでいるかどうかは、個別収入の統計ではなく世帯単位の統計が必要ですが、企業の支給データでは個別支給額しか出ないし、税務や年金保険データでも同じです。
本当の姿を知るためには、日本全体での企業の賃金総支給額が、年度別にどのようなグラフを描いているかでしょう。
労働力人口の減少があるので、このグラフに対する修正要素として、対応時期の15歳以上65歳までの総人口で一人当たりの収入を割ってみれば国民の現金収入変化が出ます。
現金収入に限らず豊かさには、徒歩圏内に医療その他消費財が簡単に入手できる環境にあるかなど日常生活に必要なインフラも需要です。
ウオシュレット普及で代表されるように清潔さその他環境条件も(駅舎も綺麗になり、どこでもベンチがあって気持ちよく過ごせるなど)ダントツの日本のはずですが、日弁連はどこの国とと比べて「窮乏を極めて」いるのでしょうか?
よその国との比較の問題ではなく絶対的な貧困が需要なのだというのでしょうが、「貧困」という言語自体に比較の概念が入っています。
「富士山は日本一の山」という時には、誰でも知っている 公理みたいなもので証明不要ですが、日本の労働者は・・・窮乏を極めているという時には、世界常識と違うので変わったことを言う以上は、変なことを言う方に説明責任があるでしょう。
マス・メデイアが言っているから常識だ・・説明責任がないというのでしょうか?
統計では平均賃金が下がり続けている・.それだけで充分とでもいうのでしょうか?

外国人労働者2とインフラ負担

私は外国人観光客は膨大なインフラを無償利用し、安い交通費、公衆便所・公的施設など無償で利用して行くばかりで却って損だという「観光立国」に反対の意見を何回も書いていますが、観光客には入国税を課してこれらの負担金を徴収するならば反対しません。
例えば観光客誘致用に地元政府が(税金や市債で)100億円かけて大規模な施設を作ったとした場合、その前で土産物を売る店や飲食店を外国人が開店して儲けている場合を想定すれば、100億円の分担をしている地元民からすれば納得出来ないことが直ぐに分ります。
マラソンや花火大会その他は地域の楽しみとしての意味があるが、地域経済とては実際は持ち出しではないかと言う観光立国反対論を何回も書いて来ました。
最近では、November 3, 2011「ギリシャ危機と観光亡国4」October 31, 観光2011「国際競争力低下7と観光亡国1」などで書いています。
新興国が近代産業に参入して来た(所謂グローバル化)以降には正当な労働対価が新興国相場に引き寄せられるので賃金が下がる一方となります。
先進国だけが近代産業化の恩恵を受けて来た時代には高賃金も適正な対価だったでしょうが、新興国の台頭によって適正賃金が下落して行くと日本を含めた先進国が高賃金を前提に到達していた文化的な生活が出来ない人が増えてきます。
新興国との競争によって賃金相場が下がったならば、連動して貧しくなれば良いと言って放置出来ないのが政治です。
これまでの膨大な蓄積があるので、その取り崩しによってソフトランデイングしようとしているのが現在先進国社会の姿です。
イギリスが戦後「ゆりかごから墓場まで」という有名な標語で社会保障して来たのは、ドイツやアメリカの台頭によって(戦後は植民地も殆ど失ったこともあって)イギリスが過去の栄光に寄りかかった高賃金に堪えれなくなったことによるものですから、今の日本がここ20年ばかり置かれている状況と似ています。
この結果イギリスは次第に国際収支の赤字が広がって、ポンド防衛が戦後世界経済の大きなテーマになり続けて来たのです。
ビートルズが出現したころのイギリスの風景としては、仕事がなく所在なげな若者が街路にたむろする光景ばかり報道されていたものでした。
その後、所謂サッチャーリズムで漸く長い低迷を脱して息を吹き返しましたが・・・これも金融に偏っているようで、(アメリカも同様)その咎めが出て世界経済を揺るがすようになっています。
日本も諸外国との賃金格差差額分を社会保障資金で賄い続けていると、行く行くは戦後のイギリス同様に国際収支赤字になるリスクがあることは10月6日に書いたとおりです。
社会保障の資金が、過去の蓄積による以上は過去の蓄積に関与して来た民族国家の構成員だけに保障する方が合理的・・外国人労働者問題はこの段階で区別すべきだと考えます。
適正な賃金は内外平等とし、社会保障は別とすることは許されるでしょう。
社会保障部分を殺ぎ落として賃金が新興国・後進国と同じ対価になれば、能力以上の高額賃金を求めて、出稼ぎに来る単純労働向け外国人はいなくなります。
民族の混在は決していい結果を生まないことは歴史が証明しているところです。
例えば中国深圳での工場労働者の月給が約2〜3万円であるとすれば、(これが正しい数字とすれば)国際的な人権問題となれば日本国内の賃金も同じであるべきで、これでは現在日本で一般的な文化的な生活が出来ない分は社会保障分野の問題です。
現在は社会保障分まで賃金に含ませて2〜30万円以上も払っているので外国人が出稼ぎに来るメリットがあることになり・・この差額分を企業・国民が払わされていることになります。
外国人出稼ぎ労働者には差額分の保障がなく中国で働くのと同じ給与水準しか払ってくれないとなれば、日本にわざわざ出稼ぎに来ても旨味がなくなるでしょう。
社会保障分まで給与名目で払うから外国人労働者が世界中の先進国に溢れ、文化摩擦を起こしているのです。
過去の蓄積利用で一定の保障をする理は企業社会にも通用する原理で、儲けの蓄積のある会社とない会社では赤字になったときの対応が違う・・ストレートに整理解雇あるいは労働条件の低下になるか少しの赤字は企業が補填しながら様子を見るかなど対応が違って来ます。
その差は過去の蓄積によるのであって過去の蓄積に貢献したか否かによることですから、企業間格差をなくすことは出来ません。
南欧危機・・EU内の格差は、まさに過去の蓄積の格差によるところが大きいのです。
過去の蓄積に何ら貢献をしていない他所から来たばかりの人(外国人)にまで、過去の蓄積を取り崩してあるいは対外負債を増やして彼らの働き以上の社会保障をするのは不合理です。

最低賃金4と外国人労働者1

我が国の人件費の決め方は、労働の対価性が低く生活給的要素が強かったのですが、グローバルな経済競争時代に突入した以上は、純粋な労働対価と民族国家としての助け合い・生活保障部分を峻別して行くべきです。
我が国で賃金を決める基準として労働対価より生活水準維持を強調するようになったのは、意外に歴史が浅いのです。
10月7日、日経朝刊第19面に紹介されている「日本労働関係史」(アンドル・ゴードン氏著)によれば、戦時中(私の想像では満州事変ころからではないでしょうか)に一般国民からの兵士徴用の結果、銃後の生活保障が重視されて生活給が強調されるようになったとあります。
(ちなみにゴードン氏の著作には関係ないですが、企業の厚生年金制度も戦時中に銃後の生活を安定させるために昭和17年に始まったものです)
戦後経済は廃墟からの始まりですから、国家全体が貧しかったのでその思想・習慣がそのまま定着していて、私の若いころの労働運動のキャッチフレーズの中心は「これでは結婚も出来ない」(子供産めない)などという生活保障の主張が中心でした。
本来労働能力に対する対価は(適正な労働分配率によって)対価としてきちんと支払い、それでも「生活出来ない・子供を生むと育てられない」という部分は本来国家が補償すべきものでしたが、戦争経済で国家財政が疲弊していたので民間・企業にその負担を求めるようになったのが始まりです。
その伝統の無批判踏襲で今日に至っているのですが、戦後70年近くも経過したのでこの辺で労働の対価と社会保障を峻別すべきです。
世界第2位の経済大国になっても貧困時代のママ社会保障部分を企業負担にして来たのですが、(障害者の一定率雇用や厚生年金の企業側半額負担もその1例です)世界中で似たような制度があるから(どこの国でも財政赤字は困るのでこのやり方を踏襲しています)と言って、正しいとは限りません。
人材の交流が盛んとなり、外国人底辺労働者が増えて来ると過去何十年にわたる蓄積の取り崩し・利用による社会保障・生活保障部分までを参入して来たばかりの外国人労働者にも保障するのは行き過ぎです。
今後は、正当な労働対価と社会保障部分を峻別して行かないと外国人排斥運動が激しくなりかねません。
外国人排斥運動が起きるようになったのは、インフラ整備や社会保障政策が行き渡って来るとただ乗りに対する不満が出て来るからです。
我が国では昔から稲作=ムラ社会・・灌漑設備等のインフラが充実していたので他所ものに対して冷たかったのは、インフラ瀬尾の進む近代社会の千年単位の先取りだったと言えます。
他所ものを・・簡単にムラの寄り合い仲間に入れなかったのは、社会資本・農道の整備・灌漑設備の新設や維持負担等々を千年単位で先祖代々営々と築いて来た蓄積があったからです。
社会保障政策は個々人の能力不足分を同胞としての一体感もあって民族国家成立後(我が国の場合その前から村落共同体)社会=国家全体で助け合う・その資金は結局は民族が蓄積して来た結果によるものですから、(高齢者の貯蓄取り崩し・年金生活を考えれば分りますが、)過去の蓄積に関与していない外来者が来たばかりで、ある国・領域・場所にいるだけで同じように恩恵を受けるのは狡いと思う人が出て来るのは仕方のないことです。
排外的右翼の主張に大して狭量だと批判していても始まらないので、そう言う批判が起きないように労働の対価と過去の蓄積を利用した同胞間の助け合いである社会保障部分を峻別して行くべきだという考えを書いています。
私は外国人をヤミクモに差別しろという主張ではなく、受けるべきでないメリットは与えるべきではない・・与え過ぎるとそれに対する反感が嵩じて本来受けるべき権利まで迫害する方向に行き過ぎてしまう懸念を書いています。
外国人のただ乗りを放置しているとナチスによるユダヤ人迫害だけではなく、昨年夏だったかノルウエーで青年による銃乱射事件がありましたが、どこでも起き得る危険・・命まで奪う・・根こそぎの反感に行き過ぎてしまう危険があります。
外国人居住者の問題は、労賃に関しては労働の対価部分と生活保障給部分を峻別して外国人には労働対価だけ支払えば良いとすれば解決します。
ただし、これでも生活保障的公共料金・医療費などは実費以下の供給を受けるなど生活保障的給付を外国人が知らず知らずのうちに享受するただ乗りの問題があります。
この分の差額徴収をどうするかも決めないと、税で整備した公衆便所・医療機関等を外国人が何らの負担もしないで使えるのはおかしいとなります。
千葉県弁護士会では会館建設資金・あるいは維持管理費?負担金について、数十年以上負担して来た会員には免除する規則が何年か前に成立しています。
過去の会員が長年積み立てた資金で漸く出来上がった会館を新入会員が無償で使い、維持管理費も長年積み立てて来た会員と平等分担が続いていたのですが、それでは長年積み立てて来て会館建設後数年〜5年程度で隠退する予定の会員と比較して却って不公平になるからです。
同じように外国人労働者には純粋な労働対価しか支払わないだけではなく、出来上がった膨大なインフラを無償で利用するばかりでは不公平です。
建設国債と言う概念をご存知の方が多いと思いますが、各種インフラ整備は借金で賄っていてそれを次世代が負担する仕組みです。
国民はその借金支払を分担しているのに外国人(旅行者等)はその分担をしないままインフラを無償利用しているのは不公平です。
外国人にはインフラ使用料あるいは維持費税を国民一般が負担する所得税や住民税にプラスして徴収したり、保険証のようにカード提示者だけが会員価格としてそれ以外は電車その他のすべての分野で正規料金を払う仕組みにすれば右翼の不満がかなり減るでしょう。
会員制システム・会員割引を国のいろんなシステムに導入するのは、電子機器の発達した現在、それほど困難ではありません。
いろんな弊害もあり得るので今のところ私は必ずしも推奨している訳ではありませんが、例えばの話・・国民総番号制にすれば・全部共通番号になるので、1枚のカードで足りて簡単です。

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