テロ組織と近代法の原理停止1

先進国の刑事訴訟法では、検挙されてもすぐに保釈されるなど、自白強制されない仕組みですし、死刑も廃止の方向ですが、その代わり非合法取り調べ?や現場射殺が大分前から充実?して来ています。
アメリカでは、9・11以降グアンタナモ基地での訴訟手続無視の長期拘束や拷問等が行なわれていると言われているのが、この先駆です。
人権侵害批判に対してオバマ政権はその内やめると言うだけでいつやめると明言出来ていません。
人権活動家は不満でしょうが、人権は社会の治安が守られていてこそ、保障されるものであるから、治安維持の方を優先すべきです。
シリアの現状を見れば分りますが、住居区域で連日銃の打ち合いをしている・・日々命の危険に曝されている・水もまともにのめない状況では、通信の秘密や表現の自由がどうのと言う前に、先ずは治安回復・・安心して生活出来るようにすることが先決であって、人権運動家やベンゴシが盗聴を人権侵害だと議論しても意味がありません。
戦国時代で言えば、先ずは統一して平和回復することが先決で価値のある行為であり、その過程で敵対する集団を滅ぼす・・法的手続なしに相手方兵士多数を殺したりすることは仕方のないことです。
この過程・信玄や信長、秀吉、家康などを大量殺人者と言って非難する人がいないように、それぞれおかれた状況ごとに判断すべきことであって、その社会の発展段階を無視して国際社会が非難し介入すると却って解決が長引いて、住民の生存維持関する直接被害・・盗聴やプライバシー侵害などと比較にならない本来の人権侵害が大きくなります。
(内乱を放っておけばその内に強い者が統一して社会が安定すれば、内政は文治政治に自然に移って行きます・・順次発展を待たないで軍事力行使が人権侵害と介入するから混乱が長引き、もっと酷い人権侵害を起こさせているのです。)
これが、リビヤその他でアラブ諸国で混乱が広がり、今シリアで収拾がつかなくなっている基本的過ちであり、人権屋に対する私の批判です。
今やテロに対する対応としては、事前情報収集が必須であることは論を俟たない状況ですが、これをしも、旧来型人権思想で非難する人権屋やマスコミの方が時代遅れになっています。
ロシアに亡命したアメリカ政府の盗聴暴露・・スノードン事件に対する人権運動かの批判・情報収集批判も同じで、あらゆる面で現実には人権保障が現実の必要に合わなくなっていることは確かです。
急迫不正の侵害に対する正当防衛があるように、法的手続では対処し切れない事態・・組織によるテロ被害防止には、現行法の適正手続条項でゆっくりと対処するのは無理があります。
相手が近代法の原理を根底から否定する組織・・行動に出ている場合に、こちらだけで適正手続きでやっていたのではかみ合いません。
サッカーでも野球でも相撲でも、相手がルール違反を繰り返す場合、こちらだけルールを守っていたのでは、試合が成り立ちません・・試合を続けるならば、相手のやり方に合わせて・・・相手が選手を2人増やすならこちらも増やし、相手がドーピングやるならこちらもドーピングするなど・・これがイヤならば、試合をやめるしかありません・・。
銃を乱射する相手には、こちらも銃で対抗するかないのに、私は人権屋ですから、銃は撃ちません・・先ず話し合いましょうといっていると殺されてしまいます。
中国による尖閣諸島侵犯や南沙諸島の例を見ても分るように、話し合いが重要と言って何もしなければ、ドンドン実力行使してきます。
慰安婦問題や南京事件でも日本が何も反論しないから、いくらでもやって来たのです。
フィリッピンのような弱小国でも中国に対抗するために戦闘機を買い巡視艇を増やそうとしています。
テロリストを養成しテロを仕掛ける方は、先進国の法・ルール・・例えば交通信号が作動する前提で移動するなど先進国ルールを利用しながら、自分の方はルールを無視して行動する組織です。
相手がルールどおり動くことを前提に自分がルー違反すれば有利に決まっています。
野球やサッカーのルールを守らない相手に対して、こちらだけがルールを守って試合をするのは、不可能であることは上記のとおりです。

原理主義による支配2(恐怖政治1)

習近平氏による恐怖政治の可能性・持続性ですが、中国(韓国も別に書く機会があれば書きますが・・)の民度では、そもそもいろんな意見が並列する社会で利害調節する政治をするのは無理があると思われます。
恐怖政治・・テロの打ち合いが長続きしない社会とは、ある程度民度が進んでいる社会であって、民衆の方がテロの打ち合いに嫌気をさしてみんなで彼らを追い出す方向へ向かう場合です。
イギリスのクロムウエルやフランスのジャコバン政治はすぐに国民の支持を失ってしまいました。
中国や韓国あるいはロシアのような民度の場合、テロの打ち合いをやるだけやっても国民が蜂起しない・・その結果誰かが最後に恐怖政治の頂点・専制君主や共産党トップの独裁者の地位を確立することになります。
中韓のような民度の場合元々譲り合いが出来ない社会ですから、ややこしい利害調節よりは、おっかない権威が1つだけあってピラミッド型にびしっと服従する体制の方が分りよくて居心地が良い・・社会かも知れません。
後進国では独裁制が似合う・・これしかないと書いて来ました。
利害調節型社会の政治闘争とは、利害調節を政敵よりも上手に調節して人心をつかみ、トップに躍り出ることを目的にする政治闘争の社会です。
これに対して恐怖政治下ではトップを窺う姿勢を示すと直ぐ粛清されますから、そんなことは出来ませんし、不要な能力となります。
調整能力があること・・ちょっと芽を出しただけで、危険人物視されてしまい、出世競争の相手がご注進に及ぶ告げ口によってさっさと粛清されますので、生き延びる智恵としては自分が御注進・告げ口する方に回るしかありません。
専制政治や恐怖政治社会では、社会を良くする方向への知恵を働かすのはむしろ危険で専制君主・独裁者に対する忠誠心競争・・・・負けたら獄入ですから競争相手を如何にして蹴落とすかに腐心する権謀術数の限りを駆使することになります。
スターリンのように恐怖・専制政治が確立するとその王朝下でトップの権威を争う・・取って代わる可能性のある政治を出来ず、忠実な臣下・部下として気に入られるための出世競争をするだけですから、こう言う社会では社会の変革や経済発展は殆ど期待で来ません。
恐怖専制政治下では、いかなる高位高官・・大官といえども、朝出仕したらその日の君主のご機嫌次第で、いつクビチョッパーされるかの心配が100%ですから、国家の命運などは二の次三の次の関心です。
こうして上から下まで、データや報告は都合の悪いことは出来るだけ伏せる・・良いことは多めに報告する・・これが専制政治下にある王朝や独裁・共産主義国家の普通の姿です。
ソ連経済は虚構の大発展発表ばかりだったことが崩壊後明らかになっています・・・・。
共産党政権下の中国でも経済が解放されてみると、それまでの大躍進の発表はまるでインチキ何千万人も餓死していた大失敗だったことが分りました。
最近の高度成長の発表も、実はかなりの水増し発表の繰り返しであることが知られるようになって来ています。
政府発表に始まって、世の中全て噓で塗り込められている社会では、庶民に至るまで何から何まで噓ばかりになるのは、仕方のない社会道徳になります。
・・その結果王様も情報から裸であることに気がつかない哀れな存在になります・・裸の王様の寓話のとおり、ソ連末期にゴルバチョフが必死になって実際の経済状況を把握しようとしても官僚が従来通りの報告を上げて来るばかりでどうにもならなかったと回顧録か何かで述べているようです。)
思想の自由がないと新たな発想が生まれないと言う高尚な視点で言えば、一神教のキリスト教が国教化=自由な思考禁止された後のローマが停滞し、これを引き継いだ西洋中世は暗黒の時代と言われて殆ど進歩がありませんでした。
宗教改革・・宗教戦争が終息・・違った価値観を相互に認めあいましょうとなって、初めて産業革命期に入って行ったことになります。
思想の自由のないソ連の宇宙科学が一見発展したかのように見えるのは、アメリカの宇宙科学を必死にスパイして作り上げたものと言われていますし、中国の核兵器や宇宙開発も同様です。
独自性のない国家がどこまで真似しても世界トップになることは出来ません。

原理主義による支配1

日本人は本来の意味での無宗教ではなく、日本教とも言う強烈な宗教意識がありますが、西洋人に聞かれて答える無宗教とは、西洋流儀で言う宗教=1神教的排他的価値観を持っていない・・「私の考えは柔軟ですよ!」と言う程度の意味でしょう。
日本では、佛教徒やキリスト教徒その他あわせると人口の何倍・・何億人もいると言われますが、これは世俗的意味の宗教なら何でもありと言う程度のおおらかな気持ちを表しています。
お宮参りは神社で、結婚式は神道やキリスト系教会で、葬式は佛教で行ない、キリスト教のクリスマスを祝い、便利でありより良い知識・文化・芸術であればなんでも良いのです。
佛教導入を宗教心によるかのように扱い、蘇我対物部の氏族戦争を宗教戦争のごとく歴史で習いますが、3月1日に書いたように謙信と信玄の戦い同様に、どちらがどちらをよりどころにして戦ったかの違いでしかなかったのではないでしょうか?
佛教の本格伝来前に、よく分らない宗教のために命がけで戦う必要性が分りません。
勝ち残った最大豪族感の最終決戦・・・関ヶ原の戦いのようなものがあって、これに新知識導入論と反対派が絡んだと見るべきでしょう。
これもきっちり物部氏が保守だったとは言い切れません。
信長が鉄砲を大量に使って、武田軍団を破ったと習いますと、如何にも武田勢が保守的軍装備だったように見えますが、大人になってみると、武田家も銃の導入に必死だったのですが経済力で信長に叶わなかったと言うことらしいです。
モノゴトは程度問題と言うことがいくらもあるもので、物部氏が佛教に結びついた新兵器導入競争で蘇我氏に負けただけだったかも知れません。
今の日本では一神教・西洋的宗教関係者・・佛教系であっても特定価値観にこだわる人の方が、日本では不思議な人・・危ない人かな?と思われているでしょう。
西洋的宗教観・・1つの価値観が正しいと言う思い込みに毒されている人の中でより純粋信者=原理主義勢力・妥協を許さない勢力が「運悪く」政権を掌握した場合、民主的=利害調整的政治をすることは、その主張自体からして不可能です。
言わば軍事政権や独裁政権よりももっと、民意など気にしていられない・信教の自由は認められないと言う開き直り形態がホメイニ師の掌握したイラン革命後の政体でした。
原理主義勢力の政権が仮に出来ると、軍事政権よりも非妥協・恐怖政治になります。
テロ組織「イスラム国」が支配地域で無茶苦茶な恐怖政を布いていると報じられているのは、その典型的現れです。
先ずは、間違って支配地を確保してしまったものの、どうして良いか分らず、無茶苦茶非合理な暴力支配するしか能力がないでしょう。
日本の連合赤軍浅間山荘事件やフランス革命時のジャコバンの恐怖政治等の歴史でも分りますが、彼らは非妥協が本質ですから、支配地域の内政での利害調整に苦しむどころか、その前の自分たちの権力内闘争についての利害調整・収拾能力もありません。
ちょっとした微細な意見相違でも、すぐに内ゲバを始めてテロ活動で経験済みの凄惨な殺しあいに走ります。
これが始まるとやられる前にやるしかないと言う疑心暗鬼に陥り、血で血を洗う内部抗争が始めるしかないのですが、時間の経過でいわゆる「内ゲバ」に明け暮れることになり、この罠から逃れられない限り早晩自壊するのが普通です。
1強体制を早く作り出した方がこの内ゲバを収拾出来、その結果、恐怖体制を布くのに成功したのが、スターリンで、粛清に継ぐ粛清体制で収容所列島と言われていました。
要するに専制君主よりもっと強圧的恐怖政治を敷いていたのです。
粛清と言う特殊用語が我が国で定着したのは、スターリンの政治手法が伝わったことによります。
現在この真似をしているのが習近平政権ですが、政敵全部を粛清してしまえるか否か・・食うか食われるかのギリギリの攻防をしているところでしょう。
うまく行って政敵を倒して恐怖政治を確立してもこれでは人心がついて来ないのと、ソ連時代と違い中国は世界に開放(国民は解放)されてしまっているので、(有能な人はいくらでも海外に逃げられます)ソ連のような収容所列島と言う訳には行きません。

原理主義の本籍(非妥協性)4

アラブ諸国では欧米的価値観よる侵蝕・社会風潮の変化に対して危機感が生じてテロが発生していますが、欧米先進国では、人権擁護精神が進み過ぎてこれに不満を持つ出遅れ組に自家中毒症状が出て来つつあるように見えます。
根っこ・・変化に抗いたいと言う心情に立脚している点では、アラブ諸国の不満と同根です。
・・例えば、移民(外国で移民=異教徒です・・この辺を日本人は見落とし勝ちです)優遇し過ぎるとこれに対する(基礎が一神教ですから、違う価値観を認めようとする合理精神の進行について行けない心情の持ち主は一杯残っています)不満が起きて来て1〜2年前のノルウエーだったかでの乱射事件に繋がります。
弱者・少数価値観保護・救済は、冷静・理性で考えればその適用範囲を拡大すべきですが、何事も過ぎると人心(根深い一神教価値観・心情)がついて行けなくなって、逆に排撃運動に発展することがあるので、善意でさえあれば良いものではありません。
改革は良いことであっても急速なことをしないで、(時間のかかる心情変化に合わせて)ジリジリと改善して行く方が安定的で合理的です。
急成長期の中高校生では、内部矛盾・精神葛藤が起きますし、企業や国家で言えば、急成長は華々しいですが、実は内部矛盾・・総務系人材が足りなくなるなど・・を多く抱え込むことになります。
左翼が躍進すると反発する右翼が発展するように、必ず反作用が起きます。
調整能力不足社会に話題を戻しますと、バルカン半島の旧ユーゴではチトー大統領と言う傑物がいなくなると、統一が保てなくなって(ボス二ヤヘルツエゴビナ・クロアチア・コソボ自治州)四分五裂して血を血で洗う大紛争が起きました。
世界の火薬庫とかバルカン政治家とか、バルカン化と言う否定的表現が一般的ですが、異民族・1神教同志の異宗教、モザイク型雑居状態が、異民族間で妥協し難い政治風土を作っていることが主たる原因ではないでしょうか?
今後世界中で異民族・基礎宗教の違う民族のモザイク型雑居が進むと、よほど調整能力の巧みな民族同志以外では、利害調整が困難になり、バルカン化は特異な事例ではなく、学ぶべき悪しき先進事例となって行く可能性があります。
私の年来の意見によれば、異民族モザイク型雑居は良くない・・社会運営を困難にするだけだと言うこと・・移民受入れ反対論に繋がります。
少数の人が徐々に移民してくれば、必要に応じてその移民先に溶け込んで行きます。
しかし、一定量が大量に移民して来ると現地にとけ込むよりは自分達で先に固まるので、自然とその固まりが現地住民生活習慣に馴染まないままになります。
日本人は「郷に入りては郷に従え」と言う精神で、現地に溶け込むことを優先していて、行った先で日本人街を作りませんが、中韓両国が中国人街やコリアンタウンを作りたがるのはこの逆バージョンです。
これからの時代、世界進出して現地に融合するならば良いですが中韓のように、行った先で自分のコンミューンを作るやり方は嫌われるでしょう。
ゴロゴロとした固まりになって異民族=異宗教徒が住むと違いを強調したがる結果、長期的にはきしみが生じるのは当然の結果です。
民度が調整型社会に至っていない場合、またはバルカン半島のように異民族モザイク型雑居の場合、王制または軍事政権に代表される強力指導者または宗教原理主義が必要なことは世界の歴史が証明しています。
皮肉なことですが、民度の低い地域では圧政・圧迫こそが、民衆が一々他人のことにケチを付けず(子供が怖い先生に叱られるのが授業中怖くて黙っているようなものです・・実際中高校の生徒指導は体育系教師が中心です)仲良く暮らせる合理的装置です。
この段階まで行かない民族にアメリカがおせっかいに、圧政は良くない、自分たちで決めなさい・・と民主化を強制するのは間違いです。
我が国では・今でも無宗教と答える人が多いのは、佛教伝来と言っても文化や知識吸収源・方法としての役割しか期待していなかったこと・・、古代から調整型社会で来たから特定価値観の強制を嫌う社会であったからです。
宗教と言うのは本来苦しい庶民から広がって行くべきものですが、我が国の場合官製輸入知識・・国費をかけた留学僧が輸入して来たことからもその本質が現れています。
国分寺・国分尼寺は今の国立大学を各地に作った・教育普及思想として位置づけするのが正しいでしょうし、この意味のことを大分前にこのコラムで書きました
キリスト教が大名層から広がった・・熱心だったのも、西欧の武器技術等の輸入願望が下地でした。
排他的宗教を強調した日蓮聖人が迫害されたことを2015-2-23「原理主義と利害調整3(成熟社会1)のコラムで書きましたが、人の意見を受入れない人は嫌われます。

原理主義の本籍(社会不満)3

一神教を前提にする欧米マスコミに毒されている・・受け売り体質の日本マスコミは、ずっと前から、頻りにスンニ派とシーア派の対立を前提に図式化して解説しています。
これに洗脳されて私もそう思ってきましたが、今回テーマに取り上げた機会に考えてみると宗教的な不満をかりに主張しているとしても言ってるだけではないかと思うようになりました。
これまでのイラン・イラク戦争や今回のイスラム国にしても、石油利権等に絡む紛争が中心であって、部族や居住区域や国境線で言えばどちらか問と言えば宗派の違いがあったでしょうが、モロに宗派の価値観対立に基づく戦争ではありませんでした。
アフガン内で長期化している権力闘争・・ゲリラ勢力間の主導権争いを宗派の対立に図式化しても意味がない筈です。
信玄と謙信の繰り返された合戦を、それぞれが信仰して来た宗派戦争と図式化するのが間違いであるのは誰も分るでしょう。
上杉謙信や武田信玄は領民の支持を引きつけるために毘沙門を信じたりして、宗教心を利用して来ただけです。
信長だって、乾坤一擲の桶狭間の決戦に向かうに際して、部下の勇気を鼓舞するために熱田神宮で祈願するそ振り?をしています。
1昨日、叡山と園城寺の山門と寺門の長期紛争を書きましたが、これは世俗の利権争いでしかなかったのと同様で、イスラム教国や部族同士の紛争を何でも、欧米式宗教戦争の経験に結びつけるのは誤りです。
欧米の宗教戦争は宗派の争いに領国支配権争いが加わったものですが、アラブの紛争は利権争いに団結するために宗派の違いを利用しているだけでしょう。
今回のイスラム国は、国や部族単位の争いでなく、イラク国内とシリアにまたがって領域支配を始めたので、如何にも宗派の違いのように見えますが、西欧による侵蝕に対する危機感を持った人が徒党を組む名分として宗教を利用しているだけのように見えます。
中国歴史で見ても社会に対する不満分子が中国清朝末期に太平天国の乱を起こしたりしていますが、彼らはキリスト教徒が不満を持つようになったのではなくキリスト教が当時の世相に対する不満分子の凝集剤になったに過ぎないと見るべきでしょう。
白蓮教の場合、白蓮教徒として元を追い出した明の朱元璋は政権奪取に成功すると危険思想として白蓮教を禁圧しています。
戦後、西洋の歴史図式を無理に日本の経験に結びつける歴史教育がはやっていたことをこのコラムのあちこちで批判してきましたが、アラブ諸国のテロその他で西欧的(進んだ)価値観に反抗する傾向を、極右とか、原理主義と表現して如何にも遅れた宗教意識によるかのような図式化は問題です。
仮にイスラム教内で宗派間戦争をしたがっていると言う西欧の理解が正しいならば、1度はイスラム教同士の宗派戦争をやりたいだけやり抜いて痛い目にあわないと分らないのではないでしょうか?
(もしも本当に宗派間闘争の原理主義闘争ならば、余計な介入しないで、やれるところまで(お互い疲れるまで)ヤラした方が結局は近道です。
最近原理主義運動やテロ活動が激しくなる原因に戻ります。
昨日から書いているように本当は宗教戦争ではなく正しいことかも知れませんが、価値観の押しつけが過ぎていることに対する単純な反発・あるいは世俗的不満の蓄積・・鬱憤晴らし行為に対して、どうやって大義名分・自己表現して良いか分らないことから、宗教の名を借りて騒いでいるように見えます。
テロ組織・「イスラム国」に参加しようとする日本人や欧米人が続出していますが、(4〜5日前に韓国人がイスラム国兵士になったと言う韓国政府発表があったようです)彼らは、元々のイスラム教徒ではありません。
要は強力な宗教意識による不満ではなく、その前にあちこちの社会に不満が内向している人がいて、不満を吸収する・・あるいは暴発するべき強力な磁場を求めてイスラム教徒に改宗して参加して行く状況になっていると言うべきでしょう。
(仮にイスラムの教義を守れと標榜していても宗教不満から始まっているのではなく、順序が逆です)

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