編集権とフェイクニュース4(加計問題国会報道2)

8月7日に紹介した早稲田大学の判例に明らかなように、裁判所はよほどの逸脱がない限り弁護士自治に介入しないという原則的立場・・もしかして占領軍遺産の連携 プレーかな?・・ですから組織内多数派を形成しない限り執行部決定を法的に覆すことは不可能です。
日教組の組織率低下の例を見て分かるように一旦一定方向へ組織の方向が決まると反対意見の人が事実上はじき出されてしまう「民主的」運営システムになっているのがふつうです。
米軍は置き土産として米軍の息のかかった自治制度・・各種岩盤規制・沖縄基地移転やオスプレイ配備や与那国島等の基地配備問題のような防衛問題でさえもなんでも地元が決める仕組・・をあちこちにバラまいて国民レベルでの意思貫徹妨害の地雷を埋め込んでおいたように見えます。
ヤクザでもパチンコ屋でも映画界でも憲法上であればなおのこと法律上で自治権を与えると言われた反対する組織はないでしょう。
だから日教組は組織率がいくら下がっても一般組合員(全学連の場合一般学生)の意見無視でやっていけるのです。
メデイア界が編集権制度確立によって一種の自治が原則化されたのはこの一環です。
メデイアの場合、顧客による市場淘汰が可能ですがこれには社会への浸透時間がかかります・・慰安婦報道のように20年以上もかかって、しかも国際情勢の変化でアメリカが日本の協力が必要になって反日攻勢を変更せざるを得なくなってようやく是正されたに過ぎないことから見ると、市場淘汰に委ねるのは社会損失が大きすぎて取り返しがつかない・・半端ではありません。
NHKのような公共機関になると市場淘汰すらもありません。
編集権に戻ります。
編集権があるとどうなるかです。
編集権も裁判所はよほどのひどいことがないと介入しない1種の自治制度扱いです。
たとえば、日本人が会議でよく使う意見表明の仕方・・A意見の後でBが、「Aのご意見はごもっともで私も同感ですが・・この点についてちょっと発言させてください」といいながら聴いていると.・・その次に実質反対の持論を述べるのが普通というか大方の発言ルールになっています。
こういう場合、前段の前おき部分だけ取り出して「Bが賛同した」と報道しても嘘を書いていないので虚偽にはならないでしょうが、この場合あまりにもひどいので、編集権に属するという極端な擁護意見はないでしょうが、今回の加計問題報道では大まかな前後の文脈から切り離して部分を取り出しているように見える点は同じ(正確な情報が私にはないので)印象を受けるだけです。
以前にも書きましたが、ニュースで何時間も国会質疑を流せないとしてもネット発達の時代ですから「今日〇〇に関して国会質疑があった」と言う事実報道だけにして「内容に関心のある方は・」とワンクリックで中継をそのまま初めから終わりまで視聴できるように簡易化すべきです。
全部見たい人には全部見られるようにしないと前川氏の「苦しい言い切り」を前後の脈絡なく「国会審議の結論」かのように大規模報道する密約があったのかと疑うような人が増えるでしょう・・。
一言いいさえすればその部分を報道しその他を切り捨てても編集権の問題であって虚偽報道にならないので「どんなに前後矛盾してもともかく言い切ってくれ」
という筋書きがあって、メデイアの要請に応じて前川氏が「根拠なく言った」という勘ぐりの余地を残しますが、全文報道すれば国民が自分で全体判断出来て余計な勘ぐりの無駄が省けます。
何回も書きますが、これは私個人の印象です。
8月5日紹介した森氏の記事では自民党の反主流派である石破氏が大きな役割を果たしていたと言われることと関連します。
石破氏関連の報道は以下のとおりです。
ttps://news.nifty.com/article/domestic/society/12180-595462からの引用です。
  2017年07月24日 07時00分 NEWSポストセブン
〈加計潰しに奔走する獣医師会〉
 7月17日付の朝刊1面トップにそう大見出しを打ち、『加計学園 行政は歪められたのか?』という短期集中連載をスタートさせた。
 内容も刺激的だった。石破氏が自民党幹事長時代(2012年12月)に日本獣医師政治連盟から100万円の献金を受け、国家戦略特区担当の地方創生相に就任すると、獣医学部新設が極めて困難となる「石破4条件」が閣議決定された──というストーリーだ。
産経は日本獣医師政治連盟委員長の北村直人・元代議士と日本獣医師会会長・蔵内勇夫氏の2人に向けて石破氏が語った、「学部の新設条件は大変苦慮しましたが、練りに練って、誰がどのような形でも現実的には参入は困難という文言にしました」という生々しい発言を報じている。
獣医師会の平成27年度第4回理事会の会議報告(議事要旨)には、北村委員長の活動報告の項目に件の「練りに練って」云々の石破発言と全く同じ文章が出ているのである。この会議報告は現在、獣医師会のホームページからは削除されている。北村氏に聞いた。
「会議で多少、成果を誇示する表現で報告することはあるじゃないですか。あれは石破さんの実際の発言ではなく、私の説明を獣医師会の事務局がまとめたもの。産経はこの会議報告をみて、想像を膨らませて書いたのではないか」
 苦しい弁明ではある。これまで「加計ありきではないか」(北村氏)と批判してきた獣医師会側が議事録の内容を否定するなど、文科省文書を「怪文書」扱いした官邸と、“どっちもどっち”の泥仕合である。
獣医師会の自爆文書
 興味深いのは、一連の文科省・内閣府文書が加計学園の獣医学部認可をゴリ押しする官邸の圧力を物語る内容なのに対し、これらの新文書は獣医師会が獣医学部新設を阻止するためにいかに政界工作を展開したかを明らかにしていることだ。
 そこからは安倍政権の深奥部で、加計をめぐる政治家の権力闘争が起きていたことが読み取れる。いくつかピックアップしよう。平成27年度第2回理事会では、北村委員長が次のように報告している。加計学園の獣医学部新設の特区認定について、
〈蔵内会長は麻生財務大臣、下村文部科学大臣と折衝をし、私(北村)は石破大臣と折衝をし、1つの大きな壁を作っていただいている〉
 日本獣医師会の蔵内勇夫会長は「会長短信」で国家戦略特区による獣医学部新設に激しく抵抗する。
〈下村文科大臣(当時)と面会し平成27年6月に閣議決定された「日本再興戦略」に記載された成長戦略特区による「獣医系大学の新設に関する検討」について意見交換を行ない、「実質的に獣医系大学の新設は困難と考えている」旨強く主張した〉(平成27年8月19日の会長短信25号)
〈私や日本獣医師政治連盟の北村直人委員長をはじめとした本会の役職員は、できれば獣医学部新設決定の撤回、これが不可能な場合でもせめて1校のみとするよう、山本幸三地方創生大臣、松野博一文科大臣、山本有二農水大臣、麻生太郎自民党獣医師問題議員連盟会長、森英介同議連幹事長など多くの国会議員の先生方に、本会の考え方をご理解いただくよう奔走しました〉(平成29年1月30日の会長短信42号)
こう見ると、獣医師会側は議連会長の麻生副総理兼財務相、石破地方再生相(当時)という新設慎重派の大物政治家や安倍側近たちを味方につけ、他の大臣たちを切り崩そうとしていたことがわかる。
 なぜか産経記事は同様に陳情攻勢を受けた麻生氏、下村氏、山本幸三氏らには言及していない。ポスト安倍を目指す動きを見せる石破氏への“カウンターパンチ”にも見えるのだ。しかし、獣医師会の工作は実らず、最終的に加計学園の学部新設方針は決まった。
では、麻生氏や石破氏を上回る政治力で権力闘争に勝利し、「加計GO」を押し通すことが出来たのは誰か。それはやはり「総理のご意向」と考えるのが自然だろう。
 獣医師会の内部文書は獣医師会側の石破氏らへの政界工作を“告発”する自爆文書となった。しかし、図らずも加計学園への獣医学部新設を決定づけたのが「総理のトップダウンの意向」だったことを、同時に陰画のように浮び上がらせたのである。
※週刊ポスト2017年8月4日号」

フェイクニュース 3と編集権3(占領軍の置き土産2)

占領軍が一旦思想界を支配した上で半永久的にその思想傾向を維持できる手段として民主主義の名の下にいろんな分野に自治権の尊重・不可侵性を強調しておいたように思えます。
占領軍が占領中に強固な思想集団を育成しておいても、米軍撤退後に米軍のいうままになっていた人物にとっては「米軍の犬」として批判を受け居場所をなくすリスクがありますので、彼らは自己保身のために一旦出来上がった自派勢力維持に必死になるとしても・・一つの孤立組織では無理があります。
いろんな分野に大量の米国寄りの組織を一つでも多く作っておいた上でそれらに国家権力のl介入を許さない自治権を持たせておくと、ある1つの自治権が攻撃されるといろんな利害を超越して先ず自治権の侵害に対する応援という点ではその相互応援関係になります。
まして、米軍撤退後も米国の影響力が(70年後の今でも)絶大でしたし、これと相俟って、米国寄り系譜が続いて行く担保になります。
田中角栄や橋本龍太郎等々それぞれ毀誉褒貶があるとしても、米国の意に少しでも逆らう傾向を示すとすぐ失脚して来た結果・・構図がずっと続いていきました。
アメリカに都合の良い事実に反した歴史教育~占領政策や日本軍の残虐性教育や戦犯裁判の正当性宣伝に対する批判に対して、(自分は検閲しながら)メデイアを守るための理論武装を与えたのが編集権不可侵性の議論という面があったでしょう。
メデイア界では実権を握った方は後継者採用段階で社風による選別をできるし、採用後の昇進差別可能ですから、一旦でき上がった思想傾向が半永久的に続く仕組みになります。
大学自治を保障したのも、大学や思想界から米軍讃美者以外を追放して米国=正義思想の教育界を構築してしまえば、その後自己保身おために同一系列者で承継・自動更新していく自信があって大学の自治を強固にして国民批判を受けつけないようにする保障機能を確保したと見ることが可能です。
アメリカの期待は一旦形成した「米軍政に都合の良い思想」が米軍撤退後も変質しないことが前提でしたから、その後朝鮮戦争を契機に米本国自身が容共から反共に変わると一旦強固に形成してしまった学内での容共・親共産主義思想家が邪魔になるネジレ現象になってきました。
日本から武力を奪い永久的に隷属させるつもりだったのが、朝鮮戦争の結果自国の戦争に協力させるために日本再軍備に舵を切り換えても一旦育成した非武装平和論が占領軍が期待していたとおり強固に根を張ってしまったので思うように行きません。
アフガンで養成したゲリラ勢力が、反米ゲリラになってしまったのと同じです。
占領軍が共産系の特定思想層を擁護しそれ以外を徹底排斥した結果、米本国の基本思想が反共に変わり日本を永久に再軍備させない方針も変わりましたが、アメリカの保障した大学の自治・思想学問の自由を盾に米国の意思に逆らっても?思想界は左翼思想・非武装平和論を金科玉条のように固守してきました。
大学自治を構成する教授会の主流を握っている限り反主流思想の新人学者の卵を採用しない権限がある・・多くは内紛を避けるために派閥構成比を維持して行くのでしょうが、その気になれば徐々に多数支配を強化・純化して行くことも可能です。
早稲田大学自治会の判決を昨日・8月7日紹介しましたが、「造反有理」思想が中国の改革解放後後ろ盾を失ってからでもなお約20年以上も自治会を牛耳ってきた現実を守るべきでしょう。
早稲田の社会学部で公認取り消し決定が1978年の中国解放宣言後二十年以上も経過・2005年になってようやく決定できる環境になった・・極左集団支持者が学内にいなくなったか、少数化したとすれば、社会意識とのズレこそが重視されるべきです。
他の大学や学部がどうなっているかは今のところ私には分かりません。
念のために中核派の拠点と言われていた法政大学を見ておきましょう。
以下の大学当局の声明によれば、自治会費代理徴収廃止処分に端を発する自称「全学連」による連日のデモ攻勢等に屈しないぞ!という姿勢のが書かれていますので興味のある方はご自分で入ってお読みください。
http://www.hosei.ac.jp/news/shosai/news_1113.html
  2009.05.29
一連の事件の経緯について
学生自治会費の代理徴収廃止と「全学連」を名乗る集団
かつての学生自治会に対する会費の代理徴収もそのような学生支援の1つでした。第二次世界大戦後の学園の再生や学生生活の窮乏に端を発した自治会の会費を各学部の自治会執行部に代わって大学が授業料等と併せて全学生から徴収したのも、学生の総意に基づく民主的で自主的な学生自治会の活動を全面的に支援するためにほかなりません。
しかし、残念なことに、本学の学生自治会は、歴史的変遷を重ねるなかで形骸化したばかりか、外部の政治セクトがほしいままにするに至り、彼らの手による暴行傷害事件までもが学内で発生しました。学外者が学生会館に常駐したり、自治会費の使途が不明になるなど、本来の自治会活動から大きく逸脱するに至りました。そのため、本学の各学部教授会は学生自治会が正式な手続きを経て成立していないことを確認したうえで、自治会費の代理徴収を停止する措置をとりました。その結果、2002年までに全ての学部で学生自治会そのものが消滅しました。
代理徴収制度によって全学生から自治会費を強制的徴収して彼らに渡していたことが、長年彼らの運動資金になっていたことが上記によって明らかになります。
日教組の場合、教職員採用権を持っていないので採用段階で思想選別できない上に組合加入の自由があるので、民意に反した運動をしていると次第に加入率が下がっていきます。
http://www.sankei.com/life/news/170301/lif1703010077-n1.html
 2017.3.1 21:01
 日教組の組織率、過去最低の23・6% 40年連続減
日教組も形式的には会員意思重視で、民主的に運営されて約75%の教員の意見が反映されているならば組織から逃げる必要がない・・75%の人の意見で徐々に組合の方針が変わっていけばいい筈です。
教職員25%の意見で運営していて新人の意見が反映されないから新規加入が減るのです。
弁護士の場合採用試験が思想によらないので思想が左翼系ばかりとは言えませんが、弁護士になるには弁護士会強制加入制度になっているので、日教組のように加入しない自由がありません。
一旦左翼系が組織を牛耳ってしまうと日教組や学生自治会同様で機関決定が硬直化していくのを防げないことになります。
下部の「委員会に出て意見を言えば良いだろう」という形式的民主主議論が可能ですが、こういう形式論で解決できないことは、日教組の組織率低下や大学自治会で自由な反対意見を事実上言えないようにして極左集団が牛耳ってしまった結果を見れば明らかです。
ソ連も中共政権も下部組織から意見が持ち上がっていく「民主的」に運営制度になっています。

フェイクニュース2と編集権2(占領軍の置き土産1)

編集権の続きです。
元々一方的占領政策宣伝の道具として、反対論封じのための権利から始まったものらしいですから、外部批判を受け付けない日本報道機関のDNAを争えません。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=153604
「編集権とはそもそも戦後GHQの指導のもと1948年に日本新聞協会が出した「編集権声明」に依拠している。
その全文を引用する。
1948(昭和23)年3月16日
新聞の自由は憲法により保障された権利であり、法律により禁じられている場合を除き一切の問題に関し公正な評論、事実に即する報道を行う自由である。
この自由はあらゆる自由権の基礎であり民主社会の維持発展に欠くことが出来ぬものである。またこの自由が確保されて初めて責任ある新聞が出来るものであるから、これを確立維持することは新聞人に課せられた重大な責任である。編集権はこうした責任を遂行する必要上何人によっても認められるべき特殊な権能である。」
GHQが編集権声明を指導していたこととGHQの検閲がいつまで続いたかの関係が気になります。
https://kotobank.jp/word/GHQ%E3%81%AE%E6%A4%9C%E9%96%B2-887973によると以下のとおりです。
「連合国軍総司令部(GHQ)は45年9月にプレスコード(新聞準則)を出し、出版、放送、映画を含む全メディアを統制した。新聞などの事前検閲は48年7月まで続いた。その後は事後検閲に移行(49年10月に廃止)するが、検閲違反で発行停止に追い込まれる場合もあり、「事後検閲とは自己検閲の別名にほかならない」(文芸評論家の江藤淳)との指摘もある。情報機関に属する民間検閲支隊(CCD)配下のPPB(出版・映画演劇・放送)が窓口で、東京、大阪、福岡各地区に検閲官が配置され、翻訳を担当する多数の日本人が雇われた。
(2009-04-11 朝日新聞 朝刊 広島1 2地方)
上記によればGHQが表向き検閲廃止するしかなくなったことに伴い事前準備としてあらかじめ報道機関対象に行政指導を始めて編集権という原則を作成させたことが分かります。
この準備をした上で7月に事前検閲廃止したものの、事後検閲を続行していたこともわかってます。
米軍は、自分の検閲を続けるが「編集権の不可侵を宣言しろ」という意味するところは何でしょうか
GHQのチェックは続けるが「国民の報道に対する不満を受けつけるな」というだけのことです。
米軍関係者の犯罪行為や占領軍に不都合なことを報道するかどうかの選択権は占領軍の意向によるが、日本国民との関係ではメデイアにあるから占領軍の意のままに報道する偏向批判を受け付けないようにすることを制度化した事になります。
アメリカの表向きの民主主義や人道主義やその伝道師の主張と実際の違いがここでも垣間見られます。
米軍のいう学問の自由も同じで、周知の通りルーズベルト政権は容共主義(だからこそ、その後その政権内に浸透していた共産主義者・ソビエトのエージェント排除を狙うマッカーシズム旋風が起きたのです)でしたから、占領初期の徹底した偏頗学問の自由の結果、東大初め多くの権威ある教育機関では概ね左翼・共産主義系学者が支配することになりました。
マルクス経済学に関するキペデイアの引用です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%82%B9%E7%B5%8C%E6%B8%88%E5%AD%A6
「日本では、経済学は長く「近代経済学」と「マルクス経済学」に分かれ、歴史的にはマルクス経済学の影響が強いという側面があった[2]。
慶応義塾大学や東京商科大学ではマルクス派が主流とならなかった一方で、東京・京都の帝国大学の経済学ではマルクス派が多数派となった[3]。戦前の東京・京都経済学部は、マルクス派、皇国経済学派、リベラル派の三つ巴であったが、戦後になって右翼系の経済学者が戦争責任を負わされる形で大学を追放されることとなり、その後任に左翼系のマルクス派が主流となる人事が実行された[4]。
日本の経済学界では戦後しばらく講座派、労農派らによるマルクス経済学が主流であり、終戦直後の傾斜生産方式による戦後復興はマルクス経済学者(有沢広巳)による発案である。」
上記のとおり多くの大学の思想界は左翼系で固まってしまい、(上記の通り戦前の方が左右両派中間派のが定立できる学問の自由があったのです)これが末端にまで浸透したのが日教組という図式でしょう。
一旦学内支配が確立すると学問の自由→大学の自治が一人歩きして、米本国が反共に変わっても日本が独立してしまったし学問の自由・大学の自治を保証した以上はどうにもならない・・そのままになって、戦後日本で左翼系思想家の再生産が続く基礎になりました。
左翼系が一旦浸透するとその排除が難しい例を視覚的に証明しているのが各大学自治会で、中核派等の極左暴力集団は数十年以上前から社会的に完全に葬られているにもかかわらず、その後多くの自治会が彼ら極左集団の巣窟になっていて一般学生から自治会費の強制的徴収を続けていた状態がその威力を証明しています。
早稲田大学社会科学部が後任を取り消したのは平成7年になってからのことです。
以下http://www.waseda.jp/student/weekly/img/syagakusaiban.pdfにある判決の一部を紹介します。
「社学自治会(早稲田大学社会科学部自治会)は、2005年3月2日付で大学が社学自治会に対して行った公認廃止決定及び一切の便宜供与廃止決定について、これらの無効確認などを求める訴えを東京地方裁判所に提起し、これを受けて、大学は、自治会室の明渡しや大学による社学自治会掲示板の使用妨害禁止を求めて社学自治会に対して反訴を提起していました。この裁判について2007年3月26日、東京地方裁判所は大学側全面勝訴の判決を言い渡し、社学自治会が控訴していましたが、2008年7月31日、東京高等裁判所においても、大学側全面勝訴の判決が言い渡され、大学の主張が全て正当であることが認められました。」
上記勝訴理由は、公認するかしないかは大学自治に属するものであって、裁判所は「大学の自治」による決定に対して原則として容喙しないという原理による勝訴です。
学内での勢力関係次第であることは今も変わりません。

フェイクニュース2と編集権1(加計問題国会報道2)

昨日長々と引用紹介したとおりの国会質疑があったかについて私は(ユーチューブで少し質疑を聞いたくらいで時間の制約もあって)正確に知ることはできません。
ましてテレビをここ何十年も(旅行中ホテルで見るくらいで)まとまった時間みたことがないので、NHKがどの程度不公平に報道したかも知りません。
ただユーチューブで国会中継を見聞きしていたかぎりでは、前川氏が根拠なく「首相の意向と思った」と言う趣旨の「言い切り」をしていただけ・・これでは、前後の参考人意見と比較すると前川氏が個人的にあるいは一定の政治的立場を背景に「私は思った」だけという開き直りに終始したとしか私には聞こえませんでした。
ただしこの後で書きますが、これを聞いた当時石破4条件(今回の騒動は石破氏が黒幕ではないかという疑念で初めて一般に出てきたことです)の存在自体を知らなかったし、しかもそれが15年秋頃に閣議決定を経ていること・・それがその後の戦略特区指定によって過去の規制がどのように変化し(取り払われ)ているかも知りませんでしたから、何も知らないで見ているとそのように思うというだけのことです。
政治については国民の9割方が私のように(報道解説がない限り)前提事実が分からないで聞いたり見たりしているのですから、メデイアはまず基礎事実を時列的に広報しておく他に、(1〜2週間前に新聞等で書いていたとしてもきっちり記憶出来る人はいないので)議論の都度気になる人は即時に時系列をチェックし直せるような主たる記事の脇にワンクリックで引き出せるようなボタンを用意しておく必要があるでしょう。
私が報道機関幹部であった場合に、上記(前提知識のない)私の個人的受け取り方に従って、「根拠なく前川氏言い張る」という放送を繰り返した場合、一方の立場の報道になります。
同じやり取りを聞いても受け取り方は視聴者それぞれでしょうが、それをそのまま編集せずに報じてこそ国民が自分の経験や知識を前提に自由に判断できるのです。
私がこのシリーズで言いたいのはメデイアが事実をそのまま報じない(・・前提事実の開示をしないで、素人には複雑な過程を理解できないという前提で結論だけ教えてやる姿勢)で自己の主観的立場によって、好きなように編集(変集?)してしまって良いかの疑問です、
いわゆる台湾訴訟でNHKを勝たせた編集権の問題ですが、言論の自由とはいえ公共電波を使う以上は政治立場中立性の要請を勘案しての限界があるべきではないでしょうか?
NHKスペシャルに関する第1審判決はウイキペデイアよると以下のとおりです。
判決の他に経緯や双方の主張をかなり詳しく書いていますので関心のある方は直接当たってください。。
https://ja.wikipedia.org/wiki/NHK%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB_%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA_%E3%80%8CJAPAN%E3%83%87%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%80%8D
第1審
第1審は3年続いたが、2012年12月14日、東京地方裁判所は原告側敗訴の判決を言い渡した。それによると「番組の編集はNHKに委ねられており、恣意的な編集はなかった」などとし、原告側の台湾人の「NHKに取材を受けたが発言をねじ曲げられ、期待と違う内容が放送された」に対しては「番組内容への期待は法的に保護されない」としたうえ、「祖先を動物扱いされた」とする台湾人の主張に対しては「歴史的事実として紹介しただけで、原告の名誉を傷つけたとはいえない」と判断している。またNHKは公平な放送をする義務があると訴えた視聴者らの主張についても「視聴者ら個人に対する義務は負わない」としており、全面的に原告側の主張は退けられている[61]。
慰安婦騒動を大きくした吉田調書の著者が、事実確認の取材に対し「作家の書くのはフィクションに決まっているじゃないか!」という趣旨を言い張っていたことが知られていますが、日本兵の残虐さをテーマにする映画その他何をいくら広めても表現の自由と言い切るべきかを検討することが必要な時代が来ています。
意見ならば、事実に基づかなくとも良いのではなく意見にも合理的根拠事実を付記すべきではないでしょうか?
そして引用した事実が虚偽である場合、相応の処罰規定が必要です。
吉田調書はフィクションを「調書」として事実であるかのような表現をした点が犯罪的です。
アンネの日記だってイザとなれば「フィクションで何が悪い!」と逃げられる仕組みです。
少なくともメデイアが報道する場合には影響が大き過ぎるので、意見を報道する時には前提事実を上げる義務を課すべきです。
編集権とは何か?ですが、メデイアや文化人によれば表現の自由を錦の御旗として不可侵の権利であるかのような解釈が幅を利かしています。
表現の自由には名誉毀損等の限界がありますが、メデイアの場合にも名誉毀損その他法令違反さえなければ、一方的な切り貼り報道をしても表現の自由として許容されるかのごときです。
個人間の場合意見が合わなければ相手にしない・付き合わなければいいのですが、メデイアの場合には一方的に垂れ流してくることもあって視聴しなければいいだろうとは行きません・影響力が大き過ぎます。
またそれを正しいものとして自己の脳内思考・立論の基礎にしたり引用する人や機関が増えるので、影響力が半端でありません。
私で言えばこのコラムを書いているとある事件について、いつころでどういう内容だったかと確認のためにネット検索するのが普通です・・上記NHKスペシャル騒動があったことを知っていましたが、いざ書こうとするといつのことかすら記憶していないのでネット検索して引用しています。
編集権あるいは表現の自由があるとしても、上記のとおり前提事実の開示を義務付けらば、前提事実から乖離した編集では批判を受けるので自ずと抑制が効くはずです。
もともと編集権という概念はGHQが自分は内密に検閲し占領政策貫徹のための報道を強制しておきながら、占領政策に不都合な意見報道をさせないように・・占領軍に都合の良い一方的報道に対する(朝鮮人の悪行や占領軍の違法行為を報道しないのかという)苦情が来たら報道の自由・編集権があると言わせるために言い出したことによるらしいです。
世界中で行なって来た米国の偽善行為の一端を示す歴史事実の一つです。

メデイア誘導・フェイクニュースの限界1(加計問題国会報道)

昨日の引用記事の続きです。
少々長くなりますが、NHKが報道の自由と称して肝心の重要発言を報道しない・・一定方向に向けた切り取り報道の常態化・・を明らかにするためにほぼ全文を引用しておく方がわかり良い・これを見る人によってNHKの方が逆に正しいという意見もあるでしょうから・公平のために以下長くなりますが引用しておきます。
私にはどちらの方が都合よく切り取り紹介しているかはわかりませんが、こういう批判が起きているという紹介です。
JBpress
森 清勇1日前
「審査では与党側が獣医学部に関わる実情を内外の視点から質し、長年の間誘致に関わってきた愛媛県前知事の加戸守行氏は「岩盤規制で歪められた行政が正された」と話し、ワーキング・グループ座長の八田達夫氏は事業主体の選定過程においては「一点の曇りもない」と発言した。
 しかしNW9では、「行政が歪められた」と語ってきた前川参考人はしばし登場したが、「行政が正された」とする参考人たちの発言はほとんど報道されず、首相と友人のゴルフや会食の多さから疑惑は深まったとする見方に重点を置いた報道であった。
「総理の発言」云々は既得権益優遇者の発想
野党は7割の質問時間を配分されたが、安保法案などの審議と同じく問題の本質に迫る質問はほとんどしなかった。他方、与党の小野寺五典委員(24日)や青山繁晴委員(25日)は、問題の核心に迫る質問から「疑惑」と言えるのかを引き出そうとした。
 小野寺委員は「加計という具体的な話はあったか」と聞き、前川参考人は「首相と加計氏が友人であることを知っていた。加計学園が希望していることも知っていた」ので、「『総理は自分の口からは言えない』は加計学園のことだと確信した」などを引き出した。
 また、和泉洋人首相補佐官からは「岩盤規制改革を全体としてスピード感をもって進める旨の指示を(首相から常々)受けていたので、その旨伝えたが、『総理の口からは言えないので私が代わりに言う』とは言っていない」ことを確認した。
また、前川氏が上司の大臣や下僚の局長などに「行政が歪められますよ」などと語っていないことを確認したうえで、「この問題で行政が不当に歪められたかというと、必ずしもそうではない。むしろ岩盤規制に穴をあける努力が行われたということであり、加計は前川参考人の心の中にあったのではなかったか」と纏める。
 そのうえで、実際に岩盤規制と戦った八田参考人に「これまでの一連の質疑応答を聞いて、行政が捻じ曲げられたと感じたか」と質す。
 八田氏は岩盤規制がいかに強く働いているかについて言及し、「国益の観点ではなく既得権者の自己益を守るために存在するもので、今回の決定で「不公平な行政が正された」と証言した。
続けて、「獣医学部の規制は利権と密接にかかわっており、成長分野を阻害している。規制に穴をあけた今回の一連の過程で、総理の方針に言及しても何ら問題はない。その発言を特定の事業者を優遇する意向と受け取ったとすれば、自身が既得権益を優遇してきた人でなければ思いつかない論理じゃないかと思う」と、前川氏の証言が問題だというニュアンスの発言で結んだ。
細かいことを総理に聞いても無理だ
青山委員は24日における前川氏と他の参考人の発言を確認したうえで、前川氏以外は「加計」という言葉は誰一人使っていないと指摘する。
 そして、「加計ありきで決まってしまっているというのは前川氏本人ではないか。加計ありきは前川氏の胸のなかにある。これを一般的な言葉で言えば、『思い込み』という」と締めくくる。
NHKが本質にかかわる問題で報道したのは、加戸氏の「安倍総理との何十回にわたる会合を通じて加計の『か』の字も聞いたことはないし、私自身も申し上げたことはない。特区申請以来、悲願10年の手前で『白紙に戻せ』という議論が出ていると、またあと10年待たされるのかなと。それは日本国家としての恥だと思っている」という発言だけであった。」
NHKは「国民が求めているのは丁寧な口調ではなくて、確たる記憶、動かない証拠、丁寧な説明内容です。1月20日を守るために過去の答弁を修正していくという手法は丁寧な答弁だったとは思わない」と発言した蓮舫委員をはじめ、野党委員の発言を多く取り上げて報道した。
 また、「こんな場面もありました」として、山本幸三地方創生担当大臣が「細かいことを総理にお尋ねしても無理だと思います。それは私が担当しているわけで、私に聞いていただければと思います」と発言したことに関わる部分を報道した。
 質問していた櫻井充委員(民進党)は「そんな小さなことってどういうことだよ、(大臣が、手や頭を横に振りながら言ってないよと否定するが)言ったよ今。そんな小さなことは総理が答弁することじゃない。失礼だ、もうあなたは答弁結構だ。時間の無駄だから出て来るなよ」と、色を成して相手を言い捨てる場面を放映した。
櫻井委員の方が勇み足であることは、大臣の発言を確認すれば簡単に分かる。大臣は「細かいこと」とは言っているが「そんな小さなこと」とは言っていない。櫻井委員が自分の聞き間違いに自分で激高する、言うなればスタンドプレーであるが、NHKはこれを注釈なしに流し、「審議はしばしば中断された」とも述べた。
 視聴者は、大臣の答弁姿勢に問題があるかの如く受け取るのが一般であろうし、そうした印象操作と言えなくもない。
閉会後のインタビューでも、前川参考人の「真相究明のためにもっと時間が必要ではないか」という発言や、野田佳彦民進党幹事長の「疑惑は深まった」という発言を流したが、中立的な立場で取り仕切ってきた八田氏の「一点の曇りもない」には触れなかった。
報道されなかった本質論議
獣医学部の新設規制は法律で決められたものではなく、文科省が告示で決めているものだ。文科省が農林水産省や日本獣医師会の政治力を受けて、雁字搦めの「告示」にしている状況も浮き彫りになった。
 獣医系大学の立地状況をみると、現在16カ所、定員930人に設定されており、獣医師の不足から定員40人の2割増し50人前後を受け入れている大学もあるという。また、8割が東日本にあり、西日本には2割で四国にはない。小野寺委員は、まずこの問題について参考人に質問した。
 加戸氏は「私は10年も前から当事者であり、10年後、安倍首相にあらぬ嫌疑がかけられていることを晴らすことができればと思う」と心情の吐露から始めた。
そして、愛媛県には学園都市構想があり、高等教育機関の誘致を行ってきたが失敗の連続であった。その後、鳥インフルエンザや口蹄疫が発生し、また米国では狂牛病なども生起した。こうしたことからも国際的に胸を張れる獣医学部の新設を考えたという。
 リップサービスなどはあったが、なかなか来てくれない。「黒い猫でも白い猫でも獣医学部を作ってくれる猫が一番いい猫」で、話に乗ってくれたのは加計学園だけであったと語る。その過程においては安倍首相の友人である加計学園の「か」の字も出たことがないと断言した。
 文科省に獣医学部開設の件を依頼に行ったが、農水省がうんと言わない、獣医学界がうんと言わないので文科省だけでは何ともできない、と言われた経緯などにも証言が及んだ。
文科省の後輩には国が求めているもの、世界が求めているものを考えてくれ。アメリカでは感染症、遺伝子操作など新しい獣医学部を作っているぞ、道州制で四国州ができれば、(日本を捨てて)進んでアメリカの51州になるぞと、強い言葉で言ったこともあるなど回想した。
 現に米国ではテネシー州、テキサス州、アリゾナ州など、獣医学部の空白地域にどんどん設立されていることを紹介したうえで、「こうした近未来の国際社会における情勢を見ながら大臣に食ってかかって、(硬直した行政を)直しましょうという役人になってほしい」と、苦言を呈する場面もあった。
続いて八田座長が、加計学園に獣医学部新設を認めるまでの経緯について説明し、「(首相が)特定の事業者を優遇して欲しいという意向を示されたことはない。新潟市の提案を前提に議論してきたことからも分かる」と述べ、また、「1校のみ(に絞ったこと)が首相の関与ではないかという疑念を生んだ。しかしこれは獣医師会の政治家への働きがけで1校となった」もので、首相の関与の余地がなかったことも明言した。
 以上の経過から、「決定のプロセスには一点の曇りもない」と断言し、また「4条件は満たされている」とも語った。
さらに追加的に、岩盤規制がいかに強く働いているについて言及し、国益の観点ではなく既得権者の自己益を守るために存在するもので、今回の決定で「不公平な行政が正された」とも結論付けた。
 加戸氏と八田氏の発言は、誘致と規制の現場で辛酸をなめてきたからこそ語ることができた証言であり、今回の疑惑を解く有力な示唆を与えるものであったが、NHKが報道することはなかった。
 産経WEBニュース(7月27日)によると、元財務省官僚の高橋洋一氏は7月25日、愛媛「正論」懇話会で講演し、「文部科学省にはいろいろな許認可があるが、『告示』という省内の規則で獣医学部の新設は『申請を受け付けない』としてきた。これにより、新設は50年間ストップしてきた。(中略)この告示を問題視した規制改革委員会が平成17年に文科省に対し説明を求めたところ、『挙証責任は委員会側にあると、理屈の通らないことを言ったのが、課長時代の前川喜平・前文部科学事務次官だった』」と紹介している。」

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