フェイクニュース2と編集権2(占領軍の置き土産1)

編集権の続きです。
元々一方的占領政策宣伝の道具として、反対論封じのための権利から始まったものらしいですから、外部批判を受け付けない日本報道機関のDNAを争えません。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=153604
「編集権とはそもそも戦後GHQの指導のもと1948年に日本新聞協会が出した「編集権声明」に依拠している。
その全文を引用する。
1948(昭和23)年3月16日
新聞の自由は憲法により保障された権利であり、法律により禁じられている場合を除き一切の問題に関し公正な評論、事実に即する報道を行う自由である。
この自由はあらゆる自由権の基礎であり民主社会の維持発展に欠くことが出来ぬものである。またこの自由が確保されて初めて責任ある新聞が出来るものであるから、これを確立維持することは新聞人に課せられた重大な責任である。編集権はこうした責任を遂行する必要上何人によっても認められるべき特殊な権能である。」
GHQが編集権声明を指導していたこととGHQの検閲がいつまで続いたかの関係が気になります。
https://kotobank.jp/word/GHQ%E3%81%AE%E6%A4%9C%E9%96%B2-887973によると以下のとおりです。
「連合国軍総司令部(GHQ)は45年9月にプレスコード(新聞準則)を出し、出版、放送、映画を含む全メディアを統制した。新聞などの事前検閲は48年7月まで続いた。その後は事後検閲に移行(49年10月に廃止)するが、検閲違反で発行停止に追い込まれる場合もあり、「事後検閲とは自己検閲の別名にほかならない」(文芸評論家の江藤淳)との指摘もある。情報機関に属する民間検閲支隊(CCD)配下のPPB(出版・映画演劇・放送)が窓口で、東京、大阪、福岡各地区に検閲官が配置され、翻訳を担当する多数の日本人が雇われた。
(2009-04-11 朝日新聞 朝刊 広島1 2地方)
上記によればGHQが表向き検閲廃止するしかなくなったことに伴い事前準備としてあらかじめ報道機関対象に行政指導を始めて編集権という原則を作成させたことが分かります。
この準備をした上で7月に事前検閲廃止したものの、事後検閲を続行していたこともわかってます。
米軍は、自分の検閲を続けるが「編集権の不可侵を宣言しろ」という意味するところは何でしょうか
GHQのチェックは続けるが「国民の報道に対する不満を受けつけるな」というだけのことです。
米軍関係者の犯罪行為や占領軍に不都合なことを報道するかどうかの選択権は占領軍の意向によるが、日本国民との関係ではメデイアにあるから占領軍の意のままに報道する偏向批判を受け付けないようにすることを制度化した事になります。
アメリカの表向きの民主主義や人道主義やその伝道師の主張と実際の違いがここでも垣間見られます。
米軍のいう学問の自由も同じで、周知の通りルーズベルト政権は容共主義(だからこそ、その後その政権内に浸透していた共産主義者・ソビエトのエージェント排除を狙うマッカーシズム旋風が起きたのです)でしたから、占領初期の徹底した偏頗学問の自由の結果、東大初め多くの権威ある教育機関では概ね左翼・共産主義系学者が支配することになりました。
マルクス経済学に関するキペデイアの引用です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%82%B9%E7%B5%8C%E6%B8%88%E5%AD%A6
「日本では、経済学は長く「近代経済学」と「マルクス経済学」に分かれ、歴史的にはマルクス経済学の影響が強いという側面があった[2]。
慶応義塾大学や東京商科大学ではマルクス派が主流とならなかった一方で、東京・京都の帝国大学の経済学ではマルクス派が多数派となった[3]。戦前の東京・京都経済学部は、マルクス派、皇国経済学派、リベラル派の三つ巴であったが、戦後になって右翼系の経済学者が戦争責任を負わされる形で大学を追放されることとなり、その後任に左翼系のマルクス派が主流となる人事が実行された[4]。
日本の経済学界では戦後しばらく講座派、労農派らによるマルクス経済学が主流であり、終戦直後の傾斜生産方式による戦後復興はマルクス経済学者(有沢広巳)による発案である。」
上記のとおり多くの大学の思想界は左翼系で固まってしまい、(上記の通り戦前の方が左右両派中間派のが定立できる学問の自由があったのです)これが末端にまで浸透したのが日教組という図式でしょう。
一旦学内支配が確立すると学問の自由→大学の自治が一人歩きして、米本国が反共に変わっても日本が独立してしまったし学問の自由・大学の自治を保証した以上はどうにもならない・・そのままになって、戦後日本で左翼系思想家の再生産が続く基礎になりました。
左翼系が一旦浸透するとその排除が難しい例を視覚的に証明しているのが各大学自治会で、中核派等の極左暴力集団は数十年以上前から社会的に完全に葬られているにもかかわらず、その後多くの自治会が彼ら極左集団の巣窟になっていて一般学生から自治会費の強制的徴収を続けていた状態がその威力を証明しています。
早稲田大学社会科学部が後任を取り消したのは平成7年になってからのことです。
以下http://www.waseda.jp/student/weekly/img/syagakusaiban.pdfにある判決の一部を紹介します。
「社学自治会(早稲田大学社会科学部自治会)は、2005年3月2日付で大学が社学自治会に対して行った公認廃止決定及び一切の便宜供与廃止決定について、これらの無効確認などを求める訴えを東京地方裁判所に提起し、これを受けて、大学は、自治会室の明渡しや大学による社学自治会掲示板の使用妨害禁止を求めて社学自治会に対して反訴を提起していました。この裁判について2007年3月26日、東京地方裁判所は大学側全面勝訴の判決を言い渡し、社学自治会が控訴していましたが、2008年7月31日、東京高等裁判所においても、大学側全面勝訴の判決が言い渡され、大学の主張が全て正当であることが認められました。」
上記勝訴理由は、公認するかしないかは大学自治に属するものであって、裁判所は「大学の自治」による決定に対して原則として容喙しないという原理による勝訴です。
学内での勢力関係次第であることは今も変わりません。

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