フェイクニュース5(拡散の原動力3)

クリントン批判を煽るフェイクニュースを次々と量産していたのは東欧の若者たちであったと言うネット報道が出ています。
(他にも政治目的で怪文書拡散作業していたグループが一杯いるでしょうが・・私の稚拙な検索能力で、ちょっと検索した程度では当面彼らが有名らしいと言う程度しか私には分かりませんが、たまたま出て来たので紹介することにします。)
以下のレポート記事によれば、彼らはクリントン対トランプのどちらの支持というのではなく(これも本当かどうか不明ですが)嘘八百を発信したところトランプ側の反応が良かったにすぎないかのように紹介されています。
ただし、レポーターの取材程度で「〇〇から資金をもらってやった」などと答えるものがいるとは思えませんので、この紹介記事自体が眉唾?フェイクの可能性があります。
台湾訴訟の高裁認定を読むと予め想定したシナリオがあってこれに従った筋書きで誘導して質問していくのが取材方法のようですし、テレビ等の街頭録音に応じてもテレビ会社のシナリオ通りの回答をしないとボツ記事になってテレビ等で放送されないと言われていることもあります。
新聞の文化欄かな?俳句や短歌の撰者によって毎週優れた佳作?秀作が紹介されていますが、それらを読んでいると撰者によって好む傾向が見られます。
およそ全て、「選り好み」というかバイアスがかかっているのを防げないのではないでしょうか?
ロシアゲート問題沈静化目的のシナリオに合わせて質問して聞き取りしてきた可能性なきにしもあらずですし、現地?レポーターがこの通り聞いてきたとしても彼ら若者が本当のことを言っているのかについての信憑性は不明です・念のため。
ついでにレポーターとフェイクに関連してちょっと触れておきます。
NHKラジオ深夜便その他の番組で各地現地生活者によるレポート・・現地生活者からみた現地雰囲気について、生の息遣いを伝えていることが多く、私も10数年ほど前まで気に入って聞いていたことがあります。
いわば大手メデイアの「官制?」格式張った(いろんな意見をミックスした毒にも薬にもならない?ニュースより、個人的(根拠のない)感想がそのまま出てくる点が人間的で?良かった印象です。
その人が見聞きした狭い範囲の印象報告ですから、その地域全般の傾向かどうかすら分からない・・その分事実かどうかを問わないし、実際に経験したことであってもその地域多数の平均的意見ではない・レポーターの個人主観によるバイアスがかかっているのは承知の上という設定でしょう。
日本のニュースで「〇〇と報道されて驚いていますが、ここでの近所の人は」「こういう状態ですよ!」という根拠のない?紹介をされるとレポーターの生の声の方を何となく信じてしまう趣向です。
ただ習慣的に入眠直前にうつらうつらで聴いたり、朝妻が皆川達夫氏の「音楽の泉」などの放送を流し始めるとこれを聴きながら薄っすらと目が覚めて起き上がる習慣でしたが、眠る前や起きる前の数十分ベッドでぼんやり聴いているとバイアスのかかった主観的印象が国民に与える影響力は半端ではありません。
十数年以上前からベッドに入るとその後は何も記憶がないので、多分数分以内でぐっすり眠り込んでしまうようになったらしく、何故か朝も目がさめるとすぐに起き上がならないと気が済まなくなって(庭木が育ったせいか、朝仕事に出る前の自宅周辺の落ち葉掃除に時間がかかるようになったこともあるのかな?)朝のラジオ番組をひとしきり聴く習慣がなくなり今はどうなっているか知りません。
現在でいえば、ネット系では「メデイアはこう言っているがアメリカを回ってくると、トランプ氏支持者が「実はバカばかりではない」「草の根の支持が高い」などのレポートなどもレポーターがそう言っているだけで我々読者には実は根拠不明のママ聞いた入り読んだりしているのです。
どちらのレポートが正しかったかは選挙の結果や、その後の社会変化・結果で証明されるしかありません。
レポーターや評論家の信用は、(どこでどういう人の意見を聞いた回ったかなど)事前判定不能ですから、過去のレポートがその後の経過とどの程度合致するかで決めて行くしかないのが現実です。
レポーターが近所の人から聞いたとおり・・真実を報告していても、(群盲象を撫でる類で)それが現地住民多数意見か少数意見かもわかりません。
近所に住む日本人であるレポーターに相応の気を使っている面もあるでしょう。
これをフェイクというのかどうか知りませんが、事前判定するのは無理があります。
現地の動きとしてのレポートが、現地の雰囲気の一部しか表現していない・・まちがっているかもしれませんが、「いろんな見方があるんだなあ!」と知ることができるのは楽しいことです。
例えば中国反日暴動報道一色の中で、現地居住中の主婦が「皆普通ですよ、特に反日感情が盛り上がっているような印象を受けませんが・・・」というようなレポートを仮にした場合、それが事実であろうとなかろうと、日本人がホッとし、「政府が扇動しているだけか?」と反中感情が緩む効果があります。
散々脚色報道してきた大手メデイアがそもそも今更になって、なぜフェイクニュースと騒ぐようになったかの視点が重要でしょう。
以下はマケドニアの若者の無軌道なフェイクニュース発信の実態らしいです。
https://www.buzzfeed.com/jp/sakimizoroki/fake-news-on-sns-and-democracy?utm_term=.de5NzDrYd#.op7oA36WL

フェイクニュースが民主主義を壊す Facebookが助長したその実態とは?
マケドニアの青年らが金目的に立ち上げたフェイク(偽)ニュースサイト。
米大統領選でトランプ支持者に向けて扇動的なニュースを書き続けた。内容が真実である必要はない。Facebookでより多くシェアされさえすればいいという。その驚くべき実態とは。
2016/11/23 06:01
投稿者 Saki Mizoroki (溝呂木佐季 BuzzFeed News Reporter, Japan) Craig Silverman (BuzzFeed News Media Editor) Sheera Frenkel (BuzzFeed News Reporter)
旧ユーゴスラビアを構成していたマケドニア。ギリシャと国境を接する人口200万人余りの小国だ。その中部の町ヴェレスは「デジタル・ゴールドラッシュ」にわいていた。
約7千キロ離れたアメリカ、大統領選のおかげだ。
この町の若者らは140以上のアメリカ政治サイトを立ち上げた。こんなもっともらしいドメインを持つ。
以下ドメイン名省略(稲垣)
例えば、WorldPoliticus.comの記事「あなたの祈りは聞き届けられた」。匿名のFBI捜査官を情報源に「ヒラリー・クリントンは電子メール問題に絡み、2017年に起訴される」と伝える。(現在は削除)
Facebookで14万エンゲージメントを獲得した。(エンゲージメントとは、シェア、いいね!などのリアクション、コメントの合計数)
もちろん、でっち上げ記事だ。
「稼げるなら、やっちまえ」
「投稿の情報は悪いものだし、虚偽だし、ミスリーデイングだよ。でも『それで、人々がクリックし、エンゲージメントを稼げるなら、やっちまえ』だね」。こうしたサイトの一つを立ち上げたヴェレスの男子大学生はBuzzFeed Newsに話す。
「簡単に金が稼げるからサイトを立ち上げたんだよ」。仲間数人でサイトを運営する17歳の男性はBuzzFeed Newsに打ち明ける。
「マケドニア経済はとても弱く、ティーンエージャーは働くことを許されていない。だから、金を稼ぐためにクリエイティブな方法を探さなきゃならないんだ。ミュージシャンなんだけど、必要な道具を買えない。ここマケドニアでは、小さなサイトからの収入でも、いろんなものを買うのに十分なんだ」

以下有名なローマ法王のトランプ支持記事など含みますが長くなるので省略します。
道義よりも「稼げればいい」と言う姿勢とクリントン政権側に有利のフェイクよりも、トランプ政権寄りのフェイクの方が食いつきが良かったので(稼げるので)ドンドン拡散していった様子が書かれています。

フェイクニュース4(拡散の原動力2)

昨日紹介した高裁判決では、名誉毀損等の具体的被害がない限り表現の自由は(最大限)尊重されるべき」という思想も出ています。
表現についての批判は、思想の市場淘汰に委ねるべきと言い続けてきた憲法学者らの意見が背景にあるのでしょう。
支配思想に押しつぶされていた少数意見もネットの発達で声を上げられるようになっただけでも良いことですが、特定政治思想・正義感に偏らない・どちらのグループでも良い・小遣い稼ぎになる程度で満足するもっとフリーな人が参加し始めたのが、SNS以降の世界です。
情報発信参加が容易・大衆参加型になった結果、初めて発信手段を入手した大衆は、特定立場攻撃の悪意がない分警戒心が低く気楽に・野放図に?・注意を引くために過激な創作をする傾向があります。
少年が面白半分に調子に乗ってやりすぎて大事件が起きることがあります。
発信自由・大衆化すると玉石混交状態になりますが、これに便乗・紛れて敵対国が相手国世論誘導に利用することが容易になって来ます・これがロシアによる選挙介入疑惑です。
いわば戦国時代の足軽が日当次第でどちらの武将の下でも働くし、現在世界の傭兵集団もそのような特性がありますが、普通の市民が小遣い銭欲しさだけで、リベラルだろうと極右だろうとどうでもいい・このような動きに気楽に参加するようになった社会になったということでしょう。
何でも気楽に批判できるようになると今までは大手メデイアから不公平な報道をされてきたと不満を持っている反リベラリスト、反グローバル系の方が、SNS利用による自前の発信力を身につけた勢いで、既成勢力に反対する過激な反感フェイクに乗り安い面があるでしょう。
この結果(どちらの陣営でも構わない)目を引くような過激発信したら、トランプ系の方が反応が良くてこれの転送が拡散した原因です。
以下の記事自体がフェイクかどうかどうか不明ですが、以下の通り無責任な情報拡散が続いているようです。
https://www.nhk.or.jp/kokusaihoudou/archive/2017/11/1127.html

2017年11月27日(月)
アジアで広がるフェイクニュース
インドネシア・北スマトラ島にある人口15万人の街、タンジュンバライ。
人口の8割はイスラム教徒です。
モスクから流れるのは、イスラム教の礼拝の呼びかけを知らせる「アザーン」。
去年(2016年)7月、モスクの前に住む仏教徒の女性が、この音が大きいとして、音量を下げるようモスクに要求しました。
ところがSNS上には、「仏教徒がイスラム教徒の祈る権利自体を奪おうとしている」といった、女性の要求の内容をねじ曲げた投稿が広がったのです。
投稿を目にした男性です。
SNSの投稿を見た人
「仏教徒がアザーン(礼拝の呼びかけ)を禁じた。
(仏教徒を)あざける言葉とともに、“火をつけろ”と書いてありました。」
拡散する投稿に扇動された群衆は、ついには仏教寺院を襲い始めました。
その結果、合わせて10の寺が全焼。
この事件は、同じ街に住む人たちの心に今も影を落としています。
タイ SNSで拡散 深刻な経済被害も
リポート:藤下超総局長(アジア総局)
これは、今年(2017年)5月から6月にかけて、タイで出回った動画です。
「サンドイッチの具に、豚肉の代わりに綿が使われている」という内容ですが、全くの作り話です。
以下省略

フェイスブックがファクトチェックをやめて読者の判定に任せる方向に方向転換したことを2月4日に紹介しました。
2月4日には(過激なフェイクであればあるほど、「共感」が増えるので)共感の数量で決めるのでは意味がないのではないか?との私の意見を書きましたが、表現の自由を守るためには思想の自由市場で競争させろという古典的論理から言えば、フェイスブックが上から目線でチェックするよりは、自由競争に委ねる一見識と言うかそれしかないでしょう。
そもそも事実・ファクトとは何かですが、明日以降に書きますが、現地レポーターが現地で一部経験した地元意見を紹介する場合を見れば、レポーターが経験したのは事実としても、その地元の傾向のように言う点で誤解を招く行為です。
政治問題に関してはその上に(数十年後に判明してもすぐに明らかでない)機密事項が多くて憶測が中心になっている面もあり政治意見との区別をつけにくい・それ自体よくわかっていない上に、脚色していれば創作・表現の自由と言うのですから基準がはっきりしないと思うのは無理もないでしょう。
素人的には、メデイアの好む方向へ脚色する方がごまかしが巧妙・・「世論誘導の弊害があるので許されない」と思うのが普通ではないでしょうか・・?
品格を重んじる大手メデイアの場合、少なくとも「取材相手の言った事実」とこれをどのように解釈するかの自社意見とをはっきり区別して表示することから率先して欲しいと思います。
あるいは発言部分をカットした部分・マイナス情報も明らかにすべきでしょう。
国会中継や政治家発言の切り取り、つぎはぎ編集の問題が指摘されていますが、メデイアに政治家の発言に対する解釈・思想表現の自由があるとしても、事実報道と自社解釈を区別すべきです。
大手メデイアは報道手段独占を良いことにして、これまで編集権があるということで事実上自社意見に沿う方向に脚色して世論を誘導していた点を改める必要があります。
フェイクが社会問題になっているのは多くの人が、自分の好む傾向の記事のみを見たいし、信じたい傾向があるという大前提があります。
上記紹介したインドネシアの仏教寺院事件を見ると元々の相互不信が下地となって、フェイクニュースが簡単に受け入れられる下地になっていたように見えます。
情報がいっぱいあるように見えて、大手メデイアの一定立場に偏った?情報垂れ流しに対する不満等が強いと自分好みの情報しか目に入らないので、一定方向の情報のみ見るようになり、さらにどぎつい?過激表現に注目が行きやすくなる傾向・・結果的にそれぞれの傾向別に狭い情報の深堀り?と言う名の過激化に進展して行きます。
結果的に中庸のバランス感覚がなくなり、社会分断を煽る情報が氾濫し結果的に社会分断の危機感が生じてきます。
熱烈共感者が(フェイクっぽいと知りながら)情報拡散するとそれを別の共感者がさらに拡散することの繰り返しであたかも多数が支持しているかのような現象を生じさせてしまう・これを大手メデイアがニュースとして大々的に取り上げる結果、ネットを見ない一般人もそれを信じてしまう傾向が論じられています。
トランプ氏のツイッター発信が知られていますが、多くの人は(ローマ法王の支持が)メデイアで取り上げられたことによって、情報を入手していたとする調査結果が報告されています。
大手メデイアのニュースで「根拠のないデマ情報が話題になっている」と大々的報道があると「根拠がない」という注意の方を忘れてしまい、そういうニュースがあったな・・というおぼろげな記憶が残る・・印象効果が残っていきます。

フェイクニュース3(拡散の原動力1)

善意で見れば、大手企業のように何段階もの社内第三者チェックを受けない分、発信チェックが甘くなります。
私のように仕事の合間に思いつきを書いている素人からすれば、どこかのネット記事に出ているとそれが事実かどうか確認する方法(時間・取材陣を雇うコスト?)もないのでそのまま引用しがちです。
私自身(嘘かほんとか不明であるが)「こういう記事が出ています」という書き方を普通にしています。
引用のたびに上記括弧書きをつけるのも煩雑だし、信用性の判断は引用先を書いているので、その引用先を信用するかどうかの判断を読者がして下さいという書き方になっています。
読者の方で、引用先が大手メデイアか個人か匿名記事かなどで過去の実績で自己判断するしかないのではないでしょうか?
大手でもA社ならこの分野の記事の信用性が高いがB社ならこの部分の信用性が低いとか、それぞれの政治的立場によって、割引方が違うでしょう。
大方の人は、自分の気に入った情報を信じやすい(ファクトチェックが甘くなる)と言われますが、この応用例・・トランプ支持者が反クリントンのデマ情報に一も二もなく飛びついたと言われる現象に現れています。
逆からいえば、信じたい人しか信じないとすれば、(元々の支持者が舞い上がっているだけで)フェイクニュースの影響力はそれほど強くないのかも知れません。
沖縄の報道でも、モリカケでも、先に自分の立場があってこれに反対の報道があっても「また大げさに言ってる」という反感を持つだけです。
私のように突然気が変わり別の意見を書く・・一貫性を気にしないこのコラムでも、「この人はこういう傾向の意見だから・」という先入観で読んでいる人が多いでしょう。
こうしてみると元々ほとんど関心のなかった浮動層に対する影響力の問題です。
浮動層に対する影響力は従来通り、メデイアの一方的報道の影響力が甚大です。
トランプ政権有利のフェイクニュースの影響力に関する調査では、圧倒的多数が大手メデイアの報道で知ったというものだったらしいです。
(私自身その調査が本当にあったのか、どういう調査方法だったのか正確なのかについてファクトを知る手立てがありませんので、もしかしたらフェイクニュースに加担していることにもなり兼ねません)
トランプ氏の選挙費用はこのおかげで少なく済んだと豪語していると言われることとも符合しています。
冒頭に書いたように「真偽不明」ですが・」という「断り書き」があるかないかではなく視聴者は、(多くの人は仕事の合間にチラッとしか見ないこともあって)ニュース内容だけを直感的にインプットされてしまう傾向があるからです。
今後安易な拡散防止のためには、我々素人も引用するときにどうやるべきかの工夫が進むのでしょうか?
他方で、チェック能力の甘さが原因というよりは、あんちょこに発信できることから、「いいね」をふやすことに満足するだけのための意図的フェイクニュースがいっぱい出てきたようです。
政治的には右でも左でも反ユダヤでも民族派でも何でもいいが、とも角「いいね」視聴者を増やして稼ぎたい一心で過激さを競うような見出しで商売にする人も出現します。
http://www.huffingtonpost.jp/kazuhiro-taira/fakenews-maker-was-dead_a_23229251

平 和博 朝日新聞記者(デジタルウオッチャー)
2017年10月04日 11時29分 JST | 更新 2017年10月04日 11時29分 JST
フェイクニュースで”トランプ氏を大統領にした男”として知られ、米大統領選をめぐるフェイクニュース騒動を象徴する人物、ポール・ホーナー氏が死亡した、と欧米のメディアなどがこぞって伝えている。
・・・・・
「トランプ氏のフォロワーは何であれ、ファクトチェックというものをしない。何でも投稿し、すべてを信じる。トランプ選対の本部長は、反トランプのデモ参加者が(手間賃として)3500ドルを受け取っていた、という私の記事を、事実のように投稿していた。結構、あれは私のでっち上げだ。」
ホーナー氏のフェイクニュースは、なぜ拡散するのか――ワシントン・ポストのインタビュー記事で、こう答えている。
「正直に言うと、みんな本当に、思った以上にバカだ。ただ次から次へと転送するだけ。もう、誰も何のファクトチェックもしない――つまり、こんな風にトランプ氏は当選したんだ。彼は何でも言いたいことを言う。みんなそれを全部信じる。彼が言ったことが事実でないとわかっても、誰も気にしない。みんなそれを受け入れてしまっているんだから。これは本当に恐ろしい。こんなの見たことがない。」
フェイクニュースを拡散させる動機を聞かれると、ホーナー氏はこう答えている。
「バカげたことを信じる奴らを、笑いものにしてやろうと思っていたんだ。ところがそれが拡散してしまった。彼らはそれを、本当に信じてしまったんだ。」
トランプ氏の当選はあり得ないと思っていたし、トランプ氏のことは嫌いだ、とホーナー氏は言う。
・・ただ、自身のサイトはあくまで風刺とパロディーのサイトであって、他のフェイクニュースサイトと一緒にされたくはない、とホーナー氏は述べていた。

アメリカのプロ的フェイクニュース発信者の上記意見の通り、自分の信じたいものに飛びつく傾向が強いのです。
そして熱烈共感者が拡散するとそれを別の共感者がさらに拡散することの繰り返しで、あたかも多数が支持しているかのような現象を生じさせてしまう・・・これを大手メデイアがニュースで大々的に取り上げる結果、ネットを見ない一般人もそれを信じてしまう傾向が論じられています。
猫の動画などのお遊びや家庭内の揉め事なども実話ではなくフォロワー獲得のために誇張されていても社会問題になりませんが、これが政治分野に利用され、それが本当らしく政治に利用され一昔前の「怪文書」化されるようになった・・・大手メデイアの支持しない対極にあるトランプ陣営がこれを最大活用したので、大騒ぎになって来たと思われます。
クリントン支持層は日頃から大手メデイアの報道に不満を抱いていない・・不満度が低いのでフェイクにそれほど飛びつなかった原因のように見えます。
従来文化人や憲法学者はメデイア界がグローバリストやリベラリストに牛耳られている現実(勿論この論証はないでしょうからこの主張自体フェイクかな?・・)を無視して「思想の自由市場論」を展開してきました。
市場が一定傾向の思想グループが支配されている結果、そのグループに反する思想は市場から締め出され「自由な市場競争」が本当は成立していなかった疑いを持たれるようになってきました。
(占領支配下で肝腎の日本国国益擁護勢力皆無・一掃され?その空洞下で米ソ思想支配の草刈り場となり、その後中韓による日本メデイア界への侵蝕競争が行われ、肝腎の地元日本人がその(植民地被支配民族のように)下風に立たされていると思い込んでいる人が増えてきました。)
この結果、日本ではリベラル系(最近では中韓二大勢力)に有利な際どい「編集」記事が多すぎるという不満が表面化してきて、2月5日紹介した台湾原住民報道に対する大規模訴訟になったのでしょう。

フェイクニュースとは?2(事実と編集の違い?2)

従来このコラムでは、サンゴ礁事件などのヤラセ報道等に始まり、報道界の色付け傾向や欺瞞体質を常々問題にしてきましたが、こうした批判に対して「憲法で保障された表現の自由を守れ」「事実と違う」指摘を受けると編集権に逃げる傾向が続いていました。
慰安婦騒動の元を作った吉田氏自身が調書という表題や各種証言にも関わらず「著作には脚色が当たり前でしょう」という趣旨の説明をしていたことが知られています。
ウイキペデアによる紹介です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/

吉田 清治(よしだ せいじ、1913年(大正2年)10月15日 – 2000年(平成12年)7月30日[1][2])、本名:吉田 雄兎(よしだ ゆうと)は[3]、福岡県出身とされる文筆家。朝日新聞上で従軍慰安婦問題に関する「吉田証言」を発表するが、後にその大半の証言が虚偽・創作であったと朝日新聞が認めたことで知られる。
1980年代に、大東亜戦争(太平洋戦争)の最中、軍令で朝鮮人女性を強制連行(「慰安婦狩り」)し日本軍の慰安婦にしたと自著に記述。これがメディア、特に朝日新聞に長らく真実として取り上げられたことにより、国際問題化している「いわゆる従軍慰安婦問題」醸成の大きなきっかけとなった。しかし、後の追跡調査では吉田の証言の客観的な裏付けは取れず、むしろ反証が得られるなど矛盾点を指摘されるなか、1995年になって自らの証言が主張を織り交ぜた創作であることを認めた。

NHKの台湾原住民報道でも、NHKには編集権があるので撮った写真などをどの方向に編集するかに自由があるという理由で「偏向報道の主張」に関しては勝訴したと報道されていた記憶です。
検索すると判決文自体がすぐに出てこないので、ウイキペデイアによると以下の通りです。
http://specificasia.blog.jp/archives/2072451.html

2013年11月28日
高裁「NHKの台湾先住民への『人間動物園』は名誉棄損だが偏向報道ではない」
須藤典明裁判長は「『人間動物園』という言葉は当時はなく、新しく使われ始めた言葉。人格否定につながりかねない過激な言葉を、人種差別的な意味合いに配慮せずに番組で何度も言及した」と指摘。当時ロンドンに行ったパイワン族男性の遺族の「父はパイワン族を代表してロンドンに行った」との思いを踏みにじり、名誉を傷つけたとして、遺族女性1人に100万円を支払うよう命じた。
一方、「偏向した内容で知る権利を侵害された」などとする他の原告の請求は「報道として問題がないわけではないが、憲法が保障する表現の自由や報道の自由に照らして十分尊重されるべきだ」として退けた。

上記に対する上告審判決は、名誉毀損が成立しないと言う結果に終わったようです。
偏向報道かどうかは上告審の判決には出てきません(上告理由になってない?)ので原審(高裁)の判断が確定したことになります。
上記のようにウイキペデイアの表題では、「偏向報道ではない」と断定して書いていますが、内容を見ると「報道として問題がないわけではないが・‘・・」と書いていて、憲法で保障された表現の自由にてらして・・と、退けたにすぎず、積極的に公平な報道と認定したわけではありません。
表現の自由・・著作権という憲法主張が出ると名誉毀損等の違法行為にならない限り天下御免ですから、事実と違っても門前払いになる傾向・・観念論に安住してきたメデイア界が、SNSの発達で個人が模倣して極端なことをやりだしたので大騒ぎになった側面があります。
はっきりしたフェイクニュースは別として、政治的意見の表明になると、これまで事実と意見を混在させて一定方向への誘導を行ってきたメデイア界の独占に対してネットを利用した反論ができる・痛烈なパンチ力が生まれたことが明らかです。
リベラリストやグローバリストのようなこれまでのメデイア支配層に歯向かう発信者が増えてくると「表現の自由」だけでは済まない・・彼らメデイア自身が黙っていられなくなってきました。
フェイクやヘイト攻撃もその一環と見えますが、メデイア自身が偏って加工していなかったのか?という批判が跳ね返ってきます。。
新興勢力(中国もそうですが)はマナーに慣れてないので(子供がスマートな意思表示できないために直接行動に出るように)ズバリの表現や行動が行き過ぎ、フェイクになったり名誉毀損や業務妨害になりやすいですが、メデイア界としては自分たちにはフェイクを真綿で包む節度がある点で差をつけていることになります。
(在特会の京都の事件など・・抗議行動は行き過ぎたでしょうが、耳目を集めることで結果的に公園不法使用していた朝鮮人学校の積年の違法行為が白日のもとに晒されました・メデイアは本来の違法行為を報じないでヘイトの激しさばかり強調しますが)
武士の台頭時に貴族は粗暴さに眉を顰めていたものの、結果的に武士の時代になりました。
弱者は人目をひく記事にしないと注目されないからギラギラと目立ちたがり大きな声を出す点は、古代から共通です。
例えば、公道のデモ行進や公共の場での集会など・・従来秩序では交通の邪魔=違法であったことでも、手続きを踏めばデモ行進や集会を開いて人目をひく権利があるようになったのと同じで、少数者は何らかの人目をひく方法(現行法では違法でもそれなりの合理化で発言の場)が付与される必要があります。
近代法理や平和論などの観念論さえ言えば相手を圧倒出来る時代がとっくの昔に終わっている・・具体的事象に当てはめて議論しないと何事も解決出来ない現実を知る必要があるというシリーズ中のフェイクニュース問題割り込みですが、表現の自由という観念論では間に合わなくなってきた一例を書いていますので、もう少しお付き合いください。
https://wired.jp/2017/06/22/journalism-post-truth-era/

TEXT BY JASON TANZ
TRANSLATION BY TOMOAKI KANNO
WIRED(US)
この数年の間にソーシャルメディア、特にFacebookが主要なニュースソースとして出現したことで急加速した。プロのメディアが世論を方向付ける力は衰え続け、いまではほとんど失われている。ソーシャルメディア以前は、新聞の編集者が、どのネタを発表するか、それをどこに載せるかの最終決定権をもっていた。今日、その役割を手にしているのは読者である。
編集者は記事を発表できるが、それが誰にもシェアされなければ、書かれなかったも同然となる。
読者が新たなパブリッシャーだとしたら、彼らにニュースをシェアさせる最善の方法は感情に訴えることだ。主によくない感情に。『Human Communication Research』誌に最近掲載された論文によれば、Facebookで情報をシェアするかを決める「重要な媒介メカニズム」は怒りだという。特定の主義に偏り、強い怒りを感じている人ほど、政治のニュースをネット上でシェアする傾向にある。そして、そうやってシェアされる記事は、それを読む人にさらなる怒りを抱かせることになる。「マーケットシェアを獲得するにはラディカルになる必要がある」と、フェイスブックの元プロダクトマネジメント部長サム・レッシンは言う。「穏当では何も得られない」

政治のフェイクが騒がれていますが、多くの読者を呼び込めば 多くのスポンサーがついて儲けられるのが基本ですから、もともと内容が奇想天外な絵空事でも、「やらせ」でも何でもいいのが彼らの行動原理です。
常識のある人はそういうものだと理解していろんな作り話を娯楽として受信しているのですが、それを真に受ける人もいるだけなく拡散する(受信だけでなく発信する)人が増えたから厄介になってきました。

フェイクニュースとは?1

見出しでセンセーショナルに書いていても内容を読めば、公正中立的に書いているような場合には総合的に名誉毀損に当たらないような判例が多いことから見ると、内容を見れば「領海付近しか行かない」と書いていた場合には訴訟的事実認定ではメデイアは虚偽を書いていないことになるのでしょう。
ニュース見出しを流して見るレベルの人が、「中国主張の領海内を航行するのかな?」と誤解する人まで相手にしないということでしょうが、国民の多くが誤解するような書き方の影響力の大きさでは「虚偽」ではないまでも誤解を招きやすいフェイクニュースの一種というべきでしょう。
トランプ氏の言うフェイクニュースとは何かを決める必要・・一般庶民を誤解させるようなイメージニュースの垂れ流しをフェイクニュースと言うべきかの問題です。
名誉毀損事件の判例では見出しでは例えば「A代議士婦女暴行で逮捕か?」となっていても文章全部を読めば容疑がはっきりしないことが分かるような場合には、疑いがあると言う事実に間違いない・双方の言い分を紹介していると名誉毀損にならないとなりそうですが、「火の気のないところに煙は立たない」と言うイメージで受信し、あとは自分の想像力を膨らませるのが普通です。
だからこそ、大金をかけたイメージ広告が多用されているし、消費者保護のために誤解を招くような広告が規制対象になっている現実があるし、注意事項を隅っこに小さく書いているのではダメで消費者にわかりやすく書かないと企業が負けるリスクがある運用になっているのは消費者保護のためにあるのです。
消費者保護の基準と政治ニュースでは受け手のレベルが違うのでしょうか?
ネットや週刊誌情報が政治に与える影響度が上がってくると政治ニュースも受け手はまさに情報の「消費者」ですから、裁判所も教養(ヒマ)があって冷静に読み切る階層を前提にした判断基準を変えて行くべきではないでしょうか?
フェイクニュース弊害の根源は、記事を端折らずにしっかり読めば誤解がないとして問題にしなくて良いのか?
吊り広告やコマーシャルのイメージ誘導の影響力の大きさ、あるいは新聞でさえもゴシップ的記事は言うに及ばず、多くの記事について見出し程度しか見る時間のない人が多い現実を利用した慰安婦報道の検証で指摘された朝日の「角度付け報道」の多さ・見出し作成の問題点に対する司法の基準がずれているように思われます。
しかもネットの発達によるあんちょこな拡散が可能になったことによって、大量に出回っていることによる既成「事実」化が進むのが問題です。
「航行の自由作戦」の表現はアメリカが発表した文言を日本メデイアがその通り報道しているだけとした場合メデイアによる虚偽報道ではないにしても、この用語命名が世界中に拡散することによって、その表現がいかにも正しいかのように受け止められて行く危険です。
朝日の慰安婦報道の検証意見書を見たときの記憶(なので正確ではありません)では、朝日新聞の報道を引用した記事が意外に少なかった・だから朝日の責任が低いかのような結論でしたが、朝日が慰安婦の強制連行の事実を大々的に報道し他社も追随報道するようになると多くの人はもはや「連行の事実は公理」のようになってしまいその信用性を問題にしなくなる・・却って出典引用がほとんどなかったことがわかります。
大分前から「航行の自由作戦」の出典明記記事がないのは引用する必要がないほどの「常識」になりそれほど普及してしまったということでしょう。
世界中での(普及によって)「朝日新聞記事の引用がほとんどなかった・だから朝日には国際拡散の責任は低い」という結論だったように思いますが・・(正確には覚えていないので、誤解があるかも知れませんので関心のある方はご自分で検証記事をお読みください)という検証委員会の論調には違和感を覚えたものです。
フェイクニュースがぐるぐる回っていくと出典元が明らかでないもののどんどん尾ヒレがついて大げさになり「常識」のような扱いになる危険性をここでは書いています。
フェイスブックその他発信方法が多様化してきたことで、近年フェイクニュースの危険性が問題になってきたのですが、もともと大手メデイアを介した(コマーシャルを先蹤・先駆けとして)が従来ギリギリセーフ的なイメージ報道に頼ってきたことがその原型・・これの発展形ではない かと言う気がします。
司法は見出しだけで多くの人がイメージを膨らませている現実に向き合っていない・・これを改めるべきでしょうが、権力機構そのものである司法が大胆に踏み込むには(憲法で保障されている表現の自由との兼ね合いで)まだ無理があるので、当面は自主規制に対する国民の支持がどうなるかの運用を待つのが合理的かも知れません。
最近フェイスブックがフェイクニュースを選別する遮断する方針を示したばかりですが、思想表現の自由との兼ね合いに苦しむことになります。
https://www.gizmodo.jp/2018/01/facebook-user-fake-news.html

Facebookの新たなフェイクニュース対策「ユーザーのちから」が、とってもビミョー
2018.01.24 19:00
SNSで今最も大きな問題のひとつは、フェイクニュース。なんとかしたい、ニセの情報に踊らされたくないと思うのはみな同じでしょう。ただ、フェイクを見極める難しさこそ最大の障壁です。このわかりきった難題に対して、Facebook(フェイスブック)は新たな仕組みを導入することで立ち向かおうとしています。新たな仕組みとは…ユーザーみんなの力。
マーク・ザッカーバーグCEOが、1月19日付けのFacebookポストにてこの試みについて語っています。
「運営側で決定してしまうこともできるけれど、その方法には違和感を感じます。外部の専門家に頼む方法もあるけれど、それは自分たちの決定権を外に委ねることになるし、客観性という問題もクリアできません。ならば、ユーザーに、コミュニティにフィードバックしてもらえばいいのではないでしょうか。コミュニティが、どのソースは信用できるのがをランク付けする、それが最も客観性があるやり方だと判断しました」
というわけで、ザッカーバーグ氏が発表した新たな取り組みは、Facebookという場所を使うみんなで、みんなが見る、みんなのニュースの基準を高めましょうよという方法。運営でも専門家でもなく、実際にサービスを利用する人々=コミュニティで判断したらいいじゃんという方法。自分のことは自分でやろうという方法。
とても理想的に聞こえますが、なんでしょうかねモヤモヤ感。ユーザーがフィードに流れるニュースを判断できないからこそ、フェイクニュースは広まり、広まるからこそますます問題になるわけで。なのに、そもそもニュースが流れてくるソース自体の信頼度をユーザーがランクづけするなんてできるのでしょうか。なんか、グルグルまわっているような。卵とにわとりどっちが先か問題のような。なんでしょうかねモヤモヤ感。

上記はマーク・ザッカーバーグ氏の発言・・英文の要約のようですから英文の読み間違いがないかの「ファクト」を知りたい方は上記に引用されている英文自体をお読みください。
上記意見は、騙され易いユーザーに判定させるのは論理矛盾というもののようですが、そもそもフェイクニュースが問題になっているのは、SNS系は「いいね」の共感数で広がるものですが、それとファクトとが一致していないからフェイクニュースが問題になっているのですから、賛否・共感数の多さでファクトかフェイクかを決めるのでは、同義反復になってしまいます。
上記意見の通り、フェイクかどうかの仕分けは難しい問題ですが、放置できない段階に来ているのも事実でしょうから、試行錯誤でやっていくしかないでしょう。
憲法で保障された「表現の自由を守れ」と言う観念論に安住してきたメデイア界(個人がやると大騒ぎになる偏面性?)に対する痛烈なパンチになったことが明らかです。
観念論さえ言えば相手を圧倒するような時代がとっくの昔に終わっている・・具体的事象に当てはめて議論しないと何事も解決出来ない現実を知る必要がある一例です。

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC