人民〜国民1(私擬憲法)

「市民」を名乗るのは、トキの政府から距離を置く立ち位置を強調するには西洋文明由来なのでおしゃれな印象・・人民より語感印象が良い程度のことではないでしょうか?市民の対語かな?人民についてウイキペデイアで見ておき見ます。
何も知らないで余計なこと言うなと市民活動家に叱られそうですが、ま、いつも書いているようにこのコラムは、思いつきコラムで専門家の論文ではないので、間違いがあればご容赦ください。
ウイキペデイアで見た限りの付け焼き刃知識ですが、人民という熟語は中国古代からあり、共産主義者のオリジナル発明ではないようです。
人民に関するウイキペデイアによると以下の通りです。

文献上は戦国時代の『周礼』や『孟子』に既にみられる。『周礼』には、君主や群臣などの支配者と相対する被支配民としての「人民」の概念が述べられている。『孟子』の「盡心下」篇によると、孟子曰く、「諸侯の宝は3つある。土地・人民・政事である。珠玉(真珠や宝石)を宝とする者は、殃(わざわ)い必ず身に及ぶ。」(孟子曰、「諸侯之宝三。土地・人民・政事。宝珠玉者、殃必及身。」)
日本語の文献においては、古く8世紀の『古事記』、『日本書紀』の中に現れる。当時は、「おおみたから(大御宝)=天皇の宝」・「みたから」、「ひとくさ(人草)」という和訓が当てられていた。
「おおみたから」の訓をあてる語は、他に「黎元」や「庶民」もあり、「ひとくさ」は語義のまま青人草(あおひとくさ)と書く例がある。同じ意味で使われる言葉には、「衆人」「世人」「百姓」「諸人」「万民」などがある。「人民」は『古事記』に少なく、『日本書紀』と六国史において一般的な語であった[1]。
「人民」は特別な用語ではなく、君主の統治対象という以外の限定を付けない幅広い概念であった。たとえば「庶人」・「庶民」は無位か低い位階の人々を指し[2]、「平民」は奴婢・浮浪人・蝦夷を含めない身分的な概念だが[3]、「人民」にそのような線引きはない。また「人民」は、統治の良否や自然災害・事件の影響で富んだり悩まされたりする文脈で記され、「人民反乱」のような使用例は古代にない[4]。権利や行動の主体にはならず、もっぱら受け身の文脈で用いられた。

我が国でもこの流れで青人草や庶民等の和語になりこれが中世には土民となり、江戸時代には百姓となり、基本的に支配対象としての呼び名であって、時に土一揆、百姓一揆などの呼び名にもなっていきます。
政治の対象を表現する概念だった「人民」を政治主体者概念に一変させたのが、リンカーンのゲテスバーグ演説だったようです。
いわゆる「人民の人民による人民のための政治」(「government of the people, by the people, for the people」) です。
この演説が、人民をそれまで政治の対象でしかなかった人民を政治主体者と宣言したことになります。
これを受けた明治の自由民権運動期には、運動家の間では「人民」が流行し、憲法草案華やかなりし頃には、多くの私擬憲法では「人民」という用語を主張したようです。
例として植木枝盛の憲法草案の一部を見ておきます。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/51592

自由民権運動の潮流から私草された憲法案には、基本的人権を認め、国民主権を明確に定めるものも少なくなかった。なかでも最も急進的だとされるのが、植木枝盛(えもり)の『東洋大日本国国憲法按』(1881年起草)である。
植木の憲法草案の先進性は、全220条中36か条におよぶ人権規定と、第72条に示された政府への抵抗権に表わされている。
第5条「日本ノ国家ハ日本各人ノ自由権利ヲ殺減スル規則ヲ作リテ之ヲ行フヲ得ス」、第42条「日本人民ハ法律上ニ於テ平等トナス」、第49条「日本人民ハ思想ノ自由ヲ有ス」と人民の自由・平等を保障。
第72条には「政府恣(ほしいまま)ニ国憲ニ背キ 擅(ほしいまま)ニ人民ノ自由権利ヲ残害シ 建国ノ旨趣ヲ妨クルトキハ 日本国民ハ之ヲ覆滅シテ新政府ヲ建設スルコトヲ得」と定めて、国民による革命の権利まで認めている

上記の通り民間の草案は今でも普通にありそうな(政府に気兼ねせずに考えればこうなるのが普通ということでしょうか?)人権重視草案でしたが、人民→政府転覆の権利まで突き進む点で政府の警戒を受けたらしく、すでに明治14年旧刑法で採用されていた「国民」用語も使わずに政府案は「臣民」という後戻り的発想の定義になってしまったようです。
明治憲法で「臣民」という用語が採用された後、人民用語は臣民という用語を不当とする反抗的ニュアンスで使用されたり反政府運動家愛用の特殊用語化し、なんとなく一般人が使いにくくなり、社会の片隅に追いやられていったようです。
現在用語法もこの延長上にあり、人民という響きになんとなく現行秩序否定したいイメージを感じるのはこうした歴史に由来するのかもしれません。
また私が育った戦後から昭和終わりころまで「我々人民は〜」と叫んでいた人たち自身も、現秩序に対する否定的感情をそのまま表す人が普通でした。
これが余計社会から孤立化を進めたので現在日本では「人民」を使う人が減ってしまった原因でしょう。

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