臣民と人民の違い3(名目上の天皇大権)

明治政府(薩長土肥の政権)は倒幕の大義名分として尊王を掲げて成立した経緯上、表面上天皇大権というだけのことで実質は実務を行う内閣の決めたことを儀式挙行する役者でしかない・これを考究して戦前の憲法学では天皇は政府の機関に過ぎないという天皇機関説が通説になっていました。
天皇機関説についてはOctober 31, 2018「明治憲法下の天皇制・・天皇機関説」シリーズで紹介しましたのでご覧ください。
天皇機関説が事件になった本質は、
「学問の世界で何を言ってても勝手だがこれがマスコミで流布されるようになると放置できない」
表向きの王政復古と違う・天皇大権を担いでいるにすぎない「明治政権の本質」を右翼やマスコミが騒いだことにあるでしょう。
天皇はお飾りにすぎない・・あまり本当のことを言われるといわゆる「ミもフタもない」という暗黙知で納得していく日本社会の流儀に反するということでしょう。
右翼とマスコミが騒ぎ、当時の野党・政友会だったかが取り上げて政局にしたので、「そんなことはどうでも良いじゃないか!と権力側で放っておけなくなった事件です。
卑近な私の例で言えば、高齢化の結果?間違うといけないので事務所の若手弁護士にいつも「これでいいか?」と聞きながら仕事しているのですが、それでも、私の方が先生と言われるのが普通です。
子供らにパソコンの扱いで聞くことが多いのですが、それでも子供らは目上の人として遇してくれますし、普通の人より「ものわかりが悪く」なっているので出かけた先のあちこちで色々聞きますが、高齢者をバカにしないで懇切に教えてくれます。
こういう時にバカはバカと言っていいのだと「何でこんなこともわからないのだ」バカにした態度を誰もとりません。
知っていてもあからさまな態度を取らないのが大人の知恵です。
ゲチスバーグ演説のピープルを人民と翻訳していたからと言って、日本のように同胞意識の強固な民族では実質的にも名目上も民が主権者になった後は臣民でないばかりか、人民でもないので、国民と言うのが実態に合っているのではないでしょうか?
欧米は基本的に階級社会ですので、人民の人民による人民のための・・という演説は耳あたりの良いスローガンにすぎないので、今も人民は人民のままで取り残され本当の主権者に成り切っていないので格差社会が進むばかりです。
中国などでは共産党が政権を握った後、現在に至っても立場の互換性のある社会になっていないので、民を表す単語を必要としていないのでしょうか?
元人民である共産党が政権を取っても、今度は自分らが支配者の階級に居座り共産党員以外の人民に対して国家運営権を引き渡さないままですから、草莽から立ち上がり古代に漢帝国を起こした劉邦や同じく庶民から出て明帝国を建国した朱元璋ら庶民出身者が庶民に主権を引き渡さずに前王朝同様の地位についたのと同じです。
「王侯相なんぞ種あらんや!」と言うのが、秦朝滅亡時の大混乱時の大標語で、結果的に漢楚攻防(項羽と劉邦)で知られる最終決戦を制したのは項羽より家柄では庶民出身の劉邦でした。
明の朱元璋も貧農の子に生まれついに天下統一して明朝の太祖になっているし日本の秀吉も草莽の出身ですが、庶民に主権を引き渡さなかった点では似たようなものです。
古代から庶民の出で天下統一に掛け上がる人は一定数いるのですが、それをもって人民主権や国民主権を実現したとは言いません。
中国の共産党政権も政権を握るまでは庶民出身者グループですが、政権を握ると人民に政権を解放しないでそのグループ・共産党独裁で回していく・絶対王政時代との違いは個人が世襲していかないという点だけです。
北朝鮮に至っては将軍様の世襲になってすでに3代目ですから古代王朝交替となんの違いもありません。
こういう国ではまだ人民主権どころの次元ではないのです。
日本の場合は皇族と民とは交代する余地がないことが古代から現在も同じですが、その代わりに天皇家が政権を実際に握る親政体制は昨日見たように1200年の藤原氏の摂関政治開始から崩壊し、日米戦で敗戦で名目上も明治体制に終わりを告げたので(象徴的)一君万民思想そのままで国民主権国家・社会が実現したことになります。
これが定着したのは、天皇家の実質が約一千年以上に亘って実質的主権者でなかったのに、明治維新時に薩長が政権奪取の名分として天皇家の権威を利用していたことによるもので、天皇大権とは名ばかりで利用されていた(天皇機関説が法学会の常識であった)天皇が実質権力を行使することがなかったので、現憲法は名目と実質を合わせた・・実態に戻しただけのことだからです。
戦後も象徴的な「一君」が残っているものの、統治権のない国事行為をするだけの象徴天皇制化=儀式担当の技芸専門化?によって、主権は元の人民→衣替した国民にあることになったのです。
儀式には雅楽がつきものですが、雅楽とこれに従って舞踊する伎芸員がいますが、天皇家はその役者になった・・歌舞伎で言えばその主役・・団十郎の世襲制みたいでその家柄に生まれたことで歌舞伎役者の子が幼い時から芸を仕込まれるのと同じです。
庶民向けの芸能主役では格落ちが過ぎるとすれば、能の仕舞い演者に擬すれば相応でしょうか?
能に凝っていた綱吉が、自分自身仕舞いを演じて側近に見せていたので、仕舞いであれば貴人が演じてもそれほど違和感がありません。
そういえば格式の高い会議・・大阪でのG7サミットのアトラクションとして、能狂言が行われたのは、このあたりにあるのでしょうか?
欧米の「法の下の平等」とは、「神の前の平等」と習いますが、日本では天皇神格化あるいは別格化・・国民とは言わないのは、この面でも共通しています。
このコラムはじめ頃に皇族は国籍法に言う国「民」ではないことを紹介したことがありますが、国民の間では法の下の平等が貫徹しているのに民法(例えば婚姻の自由も職業選択の自由もないし戸籍制度の適用も無い)その他の国法の適用・原則として憲法中の基本的人権の適用がない点を矛盾という人もいますが、皇族は国「民」でない以上当たり前のことです。
(皇族は民法によらず、皇室典範で婚姻や祭祀承継〜職業選択権も別に決めています)

皇室典範
昭和二十二年法律第三号
皇室典範
第一章 皇位継承
第一条 皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。
第二条 皇位は、左の順序により、皇族に、これを伝える。
第九条 天皇及び皇族は、養子をすることができない。
第十条 立后及び皇族男子の婚姻は、皇室会議の議を経ることを要する。
第二十六条 天皇及び皇族の身分に関する事項は、これを皇統譜に登録する。

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