名誉毀損訴訟と政治効果3(司法の信頼1)

児童売買春国連特別報告者事件は、品質表示の虚偽表示同様で、実態に合わない報告になったとすれば、商品品質の虚偽表示問題の悪評価版です。
大問題になってすぐに調査者側で13と30通訳ミスであったと訂正した記憶ですが、この種の発表はペーパーを配布して行うのが普通です(例外もあります)から、質疑応答等の即時通訳の場合と違い、文字を書き間違うわけがないので不可思議な訂正でした。
統計処理に馴染みにくい・統計基礎数字も一切ない状態の訪日調査ですから、大づかみの印象数字しかないはず(何もないからこそ、日本政府の抗議に対して13%の数字も引っ込めた)なのに、13%などの細かな数値をどうやって算出たのかの疑問もありますから、もともと30%だったのでしょうが、反響の大きさに驚いてこのような言い訳を急いでしたように私は憶測しています。
当時のネット記事が出ましたので、正確を期すために引用しておきます。
https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press4_002635.html

平成27年11月11日
1 11月9日,外務省は,10月下旬に訪日したマオド・ド・ブーア・ブキッキオ児童売買,児童買春及び児童ポルノ国連特別報告者(Ms. Maud de Boer-Buquicchio, Special Rapporteur on the sale of children, child prostitution and child pornography)が,10月26日の記者会見で,「女子学生の13%が援助交際を経験している」と発言したことについて,同報告者側(国連人権高等弁務官事務所(OHCHR))に,発言の撤回を強く求めるとともに,特別報告者が2016年3月に国連人権理事会に提出する予定の報告書は客観的データに基づくものとするよう申し入れました。
これに対し,OHCHRは,日本側の申し入れを特別報告者本人に伝え,対応するよう要請する旨述べていたところです。
2 その後,本11日(現地時間10日),特別報告者本人から,OHCHRを通じて在ジュネーブ国際機関日本政府代表部宛に書簡が接到し,その中で,援助交際やJKビジネス等の現象の評価を日本政府に呼びかけつつも,13%の数値については,更なる検討の結果,13%という十分に立証されていない数値を裏付ける公的かつ最近のデータはなく,記者会見における13%という概算への言及は誤解を招くものであったとの結論に至った,このため今後この数値を使用するつもりはなく,国連人権理事会に提出する報告書でも言及しないとの説明がありました。
3 13%という数値に関する今回の説明は,事実上,発言を撤回したものと受けとめていますが,外務省としては,先方に対し,引き続き,客観的データに基づく報告書の作成を強く求めていきます。
(参考)
1〜2省略
3  記者会見における援助交際関連の発言部分<日本語訳>
「・・・例えば例としては援助交際があります。これは女子学生の3割は現在「援交」をやっているというふうにも言われているわけで・・・」(※後に,通訳の誤訳として,「3割」は「13%」に訂正を発表。)

上記経過を見ると、国連特別報告者は客観事実調査しないで聞き取りだけで国連報告・・国連の公式記録にしてしまう予定であったような印象・日本で記者会見がなければ招請運動家以外にはほとんど誰も知らないまま進んでいた・・「国連って怖いところ」という印象付けた事件でした。
援助交際している少女が13%であっても、日本人感覚からすれば異常な高率ですからどういう調査をしたのかが大問題になり、その原因は調査者の誤解によったのか、調査者が誤解するような虚偽または過大報告が行われたのか、誰が報告に関わったのかの疑問に膨らんで行ったものです。
特別報告者派遣が根拠なく決まるわけではない・・特別調査の必要性を訴えるために国連委員会や関連運動家の間での事前根回しや委員会での資料提出や意見表明があって決まることでしょうから、こうした運動にきなり委員会決議が出るわけがないし、そのためには日本で児童売買春の横行がどんなにひどいかの現状説明があった筈・・どの程度表現していたかも重要事実になるでしょうが、名誉毀損で訴えられた人はそういう(証拠保全の)準備なしに印象だけでNGOの伊藤弁護士を名指し批判してしまったのでしょうか。
ホットな事件が起きてからそういう調査するのは時間的に無理があるし、ニューヨークへ出かけて過去の議事録等の事実調査してからでないと批判できないというのでは、即座の批判禁止と同じ効果があります。
裁判所の勝敗基準は学問論争の場合(小保方氏論文批判は、追実験して判明したものです))に妥当するでしょうが、日々の世論を誘導して行くメデイアの寵児による意見に対する批判をするのに、アメリカまで出張して議事録等を調査してからでないと批判できないのでは、その間に日々話題が変わってしまうので事実上即時反論禁止する基準になりそうです。
息の長い調査をするに適したテーマでも、出張経費等巨額資金がいるのでフリーの批評家が、自己資金でそういう調査をするのは普通は無理ですから、事前調査しないと意見を言えないとすれば、メデイアの応援を受けている方は言いたい放題で誰の批判も受けない仕組みになります。
裁判で「社会評価を下げる発言である」と認定されると次は「批判発信者の方が根拠事実の証明責任がある」のでネット等で批判していた方が防戦に回る・攻守逆転です。
しかし批判意見は対象意見の評価を下げるためにあるのですから、「社会的評価の低下」=表現の自由市場で勝った場合に原則として名誉毀損訴訟で負ける制度設計では表現の自由市場論はまやかしではないでしょうか?
社会・自由市場で負けている方こそ、立証責任を転換して主張(説明)立証責任があるという運用にすべきではないでしょうか?
自由市場の評価より、裁判の評価の方が何故優先するのか不明です。
今日の関心は、このあとでちょこっと書くように、どの程度の事情で立証できていると見るべきかの裁判所の基準が、国民意識と乖離していないかの疑問が生じます。
児童売買春が日本で広がっているとしてこれを人権問題として国際活動してきたことを日頃からネット発信し、秋葉原では児童売買春が「氾濫」しているとまで発信していた弁護士が、上記「特別調査者とのミーテイングに行ってくる」という意味のことを誇らしげに発信していて、この後の記者会見が楽しみとして、言わば調査官来日の立役者ぶっていた(ただし、この点はうろ覚えです)以上は、「自分は30%または13%の誤解を招くような発言・報告をしていない」との説明責任があるように思うのが普通(市場評価)ではないでしょうか?
上記一般人の価値判断に立脚してネット批判者が、伊藤弁護士に説明責任を求めていたというべきでしょう。
これに対して伊藤弁護士は説明責任を果たしたが、納得していただけなかったので訴訟になったのか・まるで説明しないで問答無用式に訴訟提起したかが重要でしょう。
憲法学者の言う「言論の自由市場論」を日頃からメデイアを通した発信力を持つ弁護士こそが、実践すべきだったように見えます。
憲法学者は、メデイアが一方的発信力を持つ(事実上メデイア主張に反論する場がない)前提でなんでも市場に委ねるべきという論を展開してきたことをくり返し書いてきましたが、メデイアの発言を批判するネット社会が発展してくると、自由市場論・自己の発信したネット空間で反論せずにいきなり訴訟に持ち込む傾向が出てきたのは皮肉な現象です。
そもそも、伊藤弁護士が「国民の大方が納得する程度まで説明をしたのに相手が不合理な批判だけ続ける場合には、自由市場のレフリーである国民が審判を下す(多くの国民が納得する説明をしたかどうか)・即ち国民がその批判を不合理として支持しなければ、その批判による社会的地位の低下が起きません。
社会評価の低下が起きるのは、自由市場で負けたばあいのことです。
社会的地位の低下が起きるのは批判意見の方が説得力がある・・批判された方が反論すべきなのにできないという国民審判の結果を表しているのでしょう。
批判に根拠がないと思われれば、逆に不当な批判をした方が評論家としての信用がなくなります。
表現の自由市場論とは、どちらが説明責任を果たしているかの審判を国民がするという意味ではなかったでしょうか?
批判されて社会的地位が低下した(自由市場の論争に負けた)方が、一切の反論をせずにいきなり訴訟提起するのは文字通り問答無用・・相手には証拠収集能力がないことを見越した革新系思想家の金科玉条である「自由市場論」に反した行動のように見えます。

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