大晦日

今年も無事?1年が終わる日が来ました。
日本全体では色々な変化変化があり天災もありましたが、景気が良くて大方の国民には明るい良い1年だったのではないでしょうか?
日常生活に直接関係がありませんが、見方によれば天皇陛下が生前退位する仕組みが決まった(恒久的制度ではなく特例法でしかありませんが・・)年として歴史に残る大きな出来ごとでしょう。
これが実質的意味の憲法改正にあたるかどうかの関心で昨日書き始めたところですが、このテーマは正月明けに再開します。
なにしろ「上皇」などの名称自体、源平合戦の頃に頻繁に出てきた程度で、その後実際には多くいても長年上皇・天皇家自体が政治の舞台から遠ざかっていたので、ほとんどの人が普段目にしたことのない制度です。
上皇さまのお住まいになる御所の名称をどうするのかなど興味が尽きません。
正式名称は古代からの伝統に従い仙洞御所となるらしいですが、仙という語感自体から、世俗から離れて余生を送るイメージでそれ自体問題がありません。
ところが、源平合戦の頃には、仙洞御所を「〇〇院」と称して「院の御所」として権勢を振るったことがあり、「院宣」を想起すると(今は何の効力もない時代ですが)何となく生臭くなってきます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%99%E6%B4%9E%E5%BE%A1%E6%89%80

仙洞御所には家政機関としての院庁が置かれたほか、白河上皇の時には近衛として北面武士のちに西面武士が設置された。

こうして実力を蓄えていったことが原因のようですが、政治形式的には(私の個人意見ですが・・)勢力のあるうちに引退することにより非公式な立場を利用して自由な政治力を発揮する必要があったことによると思っています。
今でも実力者が表舞台から引退することによって、公式会議に出なくてよくなることから、その分内容のある実質的会合に時間をかけられるメリットが言われます。
(出世したばかりの時には、晩餐会や高名な人との会合などに出られるのが嬉しいでしょうが、一定の経験を積むとそんな公式会合・多くは実のない手順をこなすだけの会議に時間をかけていられません)
東大からノーベル賞が出ないのは、各種の審議会等の出席が多すぎるからだと数十年前から言われています。
他方で政治力発揮の経済的裏付けのために行ったのが院周辺で率先して行った荘園確保政策でした。
政府そのものである天皇家自身が律令制を破壊する荘園を持てませんので、藤原氏の勢力拡大を指をくわえて見ているしかなかったのですが、外戚の桎梏から外れた白河院に始まって〜鳥羽上皇周辺・・八条院や待賢門院〜美福門院などが非公式地位を利用しての荘園獲得に精出していたのですのですから、余計朝廷の権威と公的収入が落ちていきます。
摂関政治がなぜ定着したかといえば、人脈的に言えば、夭逝が普通であったことが重要です。
幼児期に親が死ぬことが多いので父子相伝=家の制度が成立できなかったことから、(道長自身父兼家から、道隆、道兼兄2人からの承継です)一族内で適齢期にある多くの者から後継者を決める仕組み・・キングメーカーが必須であったところ、(道長の場合詮子の発言力→ 娘の彰子)親子関係が最重視されこれを利用したのが蘇我氏〜藤原氏の外戚利用→これの制度的利用が摂関政治でした。
白河帝の時に藤原氏が外戚でなくなった途端にキングメー カーの地位が実の父(白河天皇)に移り、彼が早期に引退して次の天皇指名権を握ったことで院政が始まったのです。
上皇の威力は天皇家・朝廷に権力があってのことであって、武士の時代になってからの上皇を誰も記憶がないほどになっているのは、上皇というだけで権力を持てるわけではないことを表しています。
政治的事件になったのは後水尾天皇の幕府に対する不満「面当て的」な突然の譲位くらいで、抗議の意思表示しかできない状態ですから権力行使どころではありません。
天皇の生前退位についてメデイアでは故実を引いて上皇になると二重権力の心配があるという意見が時折出ますが、背景が変わっているので意味のない心配です。
私個人での1年を振り返ると、若いころのように昨年できなかったことを今年やり遂げたいという抱負もなく縮小過程に入っているので、そろそろ「大過なく1年を過ごせたよろこび」程度の感慨です。
若い頃には「この1年これといって達成できたものがなかった」という反省?中心でしたが、高齢化によって達成感は卒業しているので、健康面の関心が増えてきます。
世の中がどんどん変化していくのを見ると期待が持てて楽しいものですが、(世を捨てた?)自分がこれについていけるかの心配をしなくて良いのが高齢者の特典でしょうか?
この1年自覚が乏しいですが、他から見れば私もトシ相応に見えているでしょうが、自分としては特に衰えた気持ちがしないので・自覚的には文字通り無事な1年だったことだけが喜ばしい1年でした。
来年もこれと言った大きなことがない平安を祈念しつつ、今年のコラムの最後とします。
皆様にも良きお年を!

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