指標操作2と国際信用破壊(片面的ルール適用)

専制支配社会・・中国では相手が自分より強いか弱いかの基準しかなく正義・道徳の規準がないクニですから、対日国内宣伝拡大のみならず、国内言論統制の延長で周辺国が弱いとなれば属国扱いして専制支配を広げようと始めているのが、この4〜5年の中国の態度です。
ところが、中国政府のやり過ぎがあれば、今の国民は一応国外に逃げられるし周辺諸外国も古代社会のように中国だけを相手にする必要がありません。
対中貿易が25%も占めている韓国でさえも、今回の激しい嫌がらせを受けてさすがに古代からの属国気分が薄らいで来たようです。
反日暴動以来「投資先をアジア諸国に分散している日本に習うべし」という論調が広がり早速ベトナム等へ投資先の変更を始めています。
先進諸外国は閉鎖されていた中国が解放すれば、どの程度まで生産性が上がるかを楽しみにして・・将来性を買って投資していたのですが、習近平氏が「中華の栄光復活」を掲げることに象徴されるように近代化に進めるよりは古代社会意識の復活・・折角近代化の入り口に入った途端に生産性向上よりは思想統制が主目的に先祖帰りするのでは、将来性が限定されます。
次々と中国に煮え湯を飲まされるようなクニが増えて来ると、対中国投資は減る一方でしょう。
中国にとっては十分先進技術を取り込んだので後は追い出したいと言うことでしょうが、改革開放政策は先進技術を取り入れるための目くらまし・・韜晦戦術でしかなかったことが分って来ました。
近代社会・・市場経済は商品情報・・財務諸表その他の情報の透明化を前提にしていますので、古代同様の思想・情報統制・・虚偽情報(偽ブランド)であればあるほど権力の威信が高まる自己満足社会を前提にした社会と整合しません。
虚偽を強制出来ることに喜びを感じる社会・・商品性能や産地・数量の虚偽表示を羞じるどころか、これを押し付ける力があることを自慢するような社会では、市場価格と言っても裏で価格統制・操作があっては、(自由な)市場と言う名に値しません。
この矛盾を表しているのが、中国が強弁するところの「社会主義的市場経済」と言うまやかしです。
社会主義市場経済に関する4月2日現在のウイキペデイアの記事からです。
「・・社会主義市場経済として、同年秋の第14回中国共産党党大会に報告された後、1993年に中華人民共和国憲法を改憲した際に盛り込まれ、中国の経済政策における基本方針と位置づけられた。政治的には社会主義、経済的には市場経済」という建前を示すものであるとされる。政治的には一党独裁を堅持しつつ、経済的には市場原理を導入する、という方針は現在に至るまで続いている」
1党独裁=思想の自由がない=思想統制=情報統制=情報は正しくないと言う図式になることについて昨日書いたところです。
正しくない・加工された情報を前提に市場を開いても「市場の声が正しい」ことにはなりません。
思想統制政治は新興国のキャッチアップ中の移行期間として一定期間仕方がないとして、一定の経済発展に応じて徐々に思想統制を緩めて行くことを世界が期待していたのですが、習近平政権になって逆回転が始まりました。
自国民だけの締め付けならばまだしも、外資に対しても恣意的規制をするようなると(グーグルはこの要求を拒否して撤退しました)これではトランプ氏の主張するとおり、世界の自由市場を自国に都合良く利用しながら、相手には自国に対する資本進出や言論の自由等の自由を認めない・・これでは公平なゲームになりません。
小義で言えば相手の持ちコマを開示させて自分の持ちコマを開示しない・一方的ルールを強制しているのが中国です。
中国訪問中の日本人もときどき拘束されて行方不明・・大分経ってからスパイ容疑で拘束中と明らかになることが多くなりました。
自分だけいくら反則しても良いようなやり方・・以前テロの原理を書いたことがありますが、テロリストは体制のちょっとしたミスでも大げさにマスコミを通じて突つき回す・それでいて自分たちは何のルールも守らないでテロを実行するのですから、マトモな勝負にならないやり方です。
中国の権力者は自分はルールなきやり方・・汚職でも何でもやり放題・・国民に対して気に入らない者には汚職等での罪名で好きなように検挙する一方的な関係ですが、これを諸外国にも片面的に押し付けているのです。
相手国の内外平等政策や人権主義を利用しながら、自国ではルールなき外資規制するこの身勝手さにトランプ氏が怒り出したのは当然です。
ところで、最近令状なしにGPSを内密につけていたのは違法とする最高裁判決が出たと報道されていましたが・・。
窃盗集団は自分が違法行為をしていることを棚に上げて、捜査の手法がちょっとでも許されないとその違法を強調して自分の犯した犯罪を免れようとするのは中国のやり方に似ていてどこか変です。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1703/16/news074.html「GPS捜査、令状なしは違法」最高裁判決全文Web公開
「判決では、GPS捜査は「個人のプライバシーを侵害し得る」と指摘し、令状なしだと違法との初判断を示した。ただ、現行法の令状で対応することには「疑義がある」とし、今後GPS捜査を行う場合は「立法的な措置が講じられることが望ましい」としている。」
ニュースでは令状なしの装着は違法と言う見出しですが、最高裁判決を読むとソモソモ令状発布自体が簡単に出せない筈と言う意見も書いていますから、事実上GPS利用捜査は全面的にダメと言わんばかりです。
結果的にGPS装着違法の有無で有罪無罪が決まると言う弁護側の主張はその他有罪証拠がそろっていても無罪にしろと主張しているように見えます。
民主国家においては人権保障の必要性も分りますが、実際にどのような人権が「具体的に」侵害されたのかよく分りません。
何か政府施策に反対するための意見では常に出て来る概念ですが、防犯カメラ反対その他プライバシー権の具体的内容がよく分りません・・要は何かと秘密にしたい権利ですが、犯罪組織の行動把握がどう言うプライバシイを侵害したと言うのかが判決分にも出て来ません。
アメリカで発達した違法収集証拠排除の理論はそれなりに意味がありました。
例えば拷問によって泥を吐いた結果犯罪の証拠が発見出来た場合など、いくら結果が正しくともそれを証拠採用していると拷問がなくならないので、拷問廃絶の政策的配慮のために、結果が正しいかどうかに関わらず違法収集だから証拠に出来ないと言うルールが発達したのはそれなりの歴史的意味があります。
例えば女性や黒人の地位向上を自然の動きに待っているといつまでたっても平等化を実現出来るか不明のために、いろんな分野で社会的弱者優先のクオーター制が発達したのですが、何十年後に実質対等化が実現した場合・・喩えば、黒人と言うだけで優遇するのは逆差別になるでしょう。
このように判例法理も一定の必要があって生まれたものであって、どのように軽微な違法であっても違法である限り証拠に出来ないと言うのは行き過ぎのような感じがします。

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