消費力←金融3

May 8, 2016,「資源+生産力から消費力アップへ2」から話題がそれていましたが、消費力の重要性に戻ります。
武力剥き出しによる問答無用の砲艦外交の西欧近代の世界支配の時代に粗鋼生産量や造船量・・生産力・GDPが必須アイテムでした。
弱肉強食の時代・・腕力での戦いに勝ちさえすれば勝った方はどんな非人道的行為でも、(相手を動物扱いするなど)何をしても良いと言う西欧価値観で支配されていました。
※中国の場合昔から勝てば相手の将軍の母親を切り刻んで無理に食べさせるなど普通に行なわれて来たとを何回も紹介しています。・・これに習ったのが信長で,恨み骨髄の敵将浅井長政のしゃれこうべに酒を入れて武将に飲ませたと伝えられています・・後世信長を暴君だったと広めるための創作かもしませんので真偽は分りません。
野蛮な価値観を基礎にアメリカでは、奴隷化された黒人に対しては「人間尊厳の基礎」たる性行為でさえも動物の「「種付け」と同視される・・およそ日本人の想像力を越える戦慄的な残虐行為が普通に行なわれて来たのです。
7月20日に紹介したインデアンに対する・・赤ちゃんが生まれると全部母親から取り上げて白人家庭に預けて使用人として育てさせる・・民族精神根絶やし作戦も同じで、日本人から見れば「神を恐れぬ」所行です。
※日本人は東南アジアでもアフリカでも現地に行った個人の努力で子供の教育に精出したり植林したり農業指導し、水がなければ灌漑設備を作ってやったりするのが普通ですし、植民地支配がおかしいと思えば独立運動を教えたりしてきましたが、同じようなこと・・ただしいと思うこと・・黒人差別はおかしいだろうと言う運動を戦前からアメリカでも個々人がやって来たのです。
アメリカ人の残虐な実態を知った日本人の驚き・・これを受けて第一次大戦後の国連で日本が人種平等の主張をしたことがアメリカの逆鱗に触れてこのときからニッポン民族殲滅作戦が進行したのを紹介したことがあります。
アメリカに渡った日本人個々人がアメリカでの黒人差別の実態に驚いて個人の良心の赴くまま、草の根での黒人解放運動を地道に行なって来た・日本が戦争に負けてもアメリカ在住の個人に関係がないので、戦後も地道な解放運動を続けていてこれが実を結び戦後・1960年代のアメリカの公民権運動の成果になって行ったのです・・黒人解放は日本人の運動の成果であることは歴史となって既に知られていることですが、これに対する仕返し・報復運動がアメリカ主導の性奴隷批判です。
何故左翼系が「性奴隷」と言う表現にこだわるかと言えば、アメリカとしてはどうしても自分達の奴隷制を批判して来た日本人に対して日本も同じことをしていると言う意味で「奴隷」と言う言葉にして日本に報復したいからに外なりません。
戦時国際条約違反をやって来た米軍が自分の蛮行を隠すために違反行為をしていない日本の将軍に対する戦犯裁判を強行したのと同じです。
私はこのコラムで、繰り返しソ連による日本人のシベリヤ連行の悲惨さを書いていますが、タマタマ新聞を読んでいると、日経新聞7月21日朝刊40p(最終裏面文化欄)に抑留体験を絵筆に書き留めた木内信夫氏のあとがき?みたいなモノが紹介されています。
カレの紹介によれば抑留体験を描いた水彩画がユネスコの世界遺産に昨年10月に登録されたと言うことです。
この記事のある数日〜1週間前に世界的建築家の設計になる上野の西洋美術館が世界遺産登録されたと大騒ぎの報道があったばかりですが、私は(西欧の有名人が作ったかもしれないが日本人の美意識とも合わないこんなものが何故?)この空騒ぎに元々違和感を覚えていたのですが、日本にとってもっと重要な遺産登録が何故マスコミで大々的に報道されていなかったのか?(私だけが知らなかったのか不明ですが・・)驚きました。
ソ連の蛮行を国内で出来るだけ風化させたい・・左翼系マスコミには不都合な真実・・隠蔽しておきたかったからでしょうか?
そこでウエブで調べてみると本当に遺産登録されたらしく、この登録準備を切っ掛けにロシアが対抗的に中国に働きかけて南京虐殺の遺産登録運動が急浮上して来た経緯が書かれています。
西洋的価値観ではやられたらやり返す・・でっち上げであろうとあろうとなかろうと日本もやっていたと言う虚構の事実を数の力でごり押しする・・極東軍事裁判同様に正義かどうかなどどうでも良いと言う価値観なのでしょう。
一旦裁判と言う形式をとれば、極東裁判も決まった以上は真実がどうのと言う争いを許さない・南京虐殺も国連で決めれば決まったことだから・・と日本の反論を許さない図式を(アメリカが裏で応援し)中ロが利用しようとしています。
こう言うでっち上げ主張の応援をしている限り日本は、ロシアと仲良くする余地がありません。
話を生産力・武力重視価値の時代が終わったと言うテーマに戻します。
最近までは、武器の基礎になる「鉄は国家なり」と言う思想で教育されていて、歴史観でも鉄器民族がどこで始まり、日本に鉄器を持ち込んだ民族は◯◯と議論した上でどこで先に鉄が取れたので勢力を持つようになったと言うまことしやかな解説が一般的です。
しかし民族の消長は殺しあいで勝ったり負けたりだけではなく、日本列島では、平和裏に縄文から弥生時代へのように同時的移行して来た高度社会です。
中国が未だに製鐵・造船量にこだわっているのは、剥き出しの武力による勢力拡大に価値観を置いているからです。
第二次世界大戦後、腕力=量ではなく、道義やソフト力で決めていく時代になると発言力が生産力から消費力に価値基準が変わって来たことをMay 8, 2016「資源+生産力から消費力アップへ2」前後で書き、更には消費力不足に対する金融支配が増して来た・・金融支配力の重要性・・これに反発する反ウオール街感情やパナマ文書公開による金融資本締め付け・・金融支配に対する反感増大を書いている内に、話題が次々と移ってしまいました。
ここから金融支配力に戻ります。
比喩的に言えば、剥き出しの武力・・威嚇→量さえあれば何でも出来る世界・・これを支えるのに、戦艦・大砲等の武器の多い方が優位になる砲艦外交が一対の社会でした。
米ソが核弾頭を無数に持って量を競っていたのは(500発と600発の差は無意味ですが、)過去の惰性です。
金融調節・異次元緩和も量にこだわる過去の惰性・延長ですが、未だに日銀が経済運営の中枢を握っているかのような錯覚でマスコミが騒いでいます。
この辺の関心でここから書いて行きますので、消費力の重要性=金融力・・金融政策はどうあるべきかのテーマに変わって行きます。

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