量的資源に頼るアメリカ

西欧は産業革命→植民地支配によって自分の働き以上の何倍もの良い生活していた結果、収入源の植民地を失った後で本来の能力に応じた生活に戻る・・軟着陸するのに苦労しています。
日本による欧米の植民地支配批判を黙らせるために,ABCD包囲網・・更には植民地ごとのブロック経済化によって、日本を締め上げた結果、日本を戦争に引きずり込み叩き潰すのには成功しましたが、西欧は植民地をあっという間に日本に占領されて赤恥を掻いた(非支配民族が自身を取り戻した)結果、戦後植民地支配を復活出来ませんでした。
これに対する日本に対する西欧の恨みの深さが分ります。
アメリカは牧畜であれ、農業(綿花栽培も含めて)であれ、資源採掘であれ、広大な原野を切り開いた大規模運営が特徴ですが、当初これに対応する目に大規模な奴隷「仕入れ」」工業化後はドイツアイルランド等の移民に頼り、移民・・多くは未熟練者ですからこの適正に応じたベルトコンベアー式大量生産時代の幕を開けたものです。
ついでに書きますと,南北戦争は北部工業地帯の発達で奴隷労働では採算が取れなくなったことによるそうです。
奴隷とは、労働契約的に見れば、日本江戸時代の遊郭の前金制度みたいなものですから、一生分の代金前払いになり,途中でいらなくなったからと言って前金を返してもらえないし、今で言う終身雇用であるばかりか死ぬまで面倒見る義務があります。
綿花栽培労働と違って工場生産要員になると(生産して全部売れるとは限らないし)景気変動があるので、一種のリース・・働いて欲しいときだけ働いてくれる・・給金制の方が合理的です。
他方で工場労働的習慣性となるとアフリカ育ちの奴隷は(綿花摘みクライは適応しまししたが・・)そう言う習慣がないし5大湖周辺は寒くて気候的にあわないでしょうから、ドイツ系・アイルランド系の方がきちんと働けることから、この頃からドイツ系移民が急増しています。
奴隷解放の結果、奴隷の生活を見る義務がなくなった結果?巷に放り出されてしまうなど、元奴隷が解放前よりも悲惨な状態になったと言われています。
大量の人手に頼る生産方式に話を戻します。
農業や畜産に限らず資源採掘でも、この圧倒的大量生産方式と一体化して世界制覇の基礎を作りましたが、資源保有の有利さが領土拡張競争に拍車をかけて来たことをどこかに書いてきました。
アメリカの13州独立以来の領土拡張の勢いはすごいものでした。
ちなみにドイツの強国化は、産業革命の基礎となる鉄鉱石と石炭の双方を手に入れた・・領内にあったことが大きな要因でした。
鉄鉱石の出るアルザスロレーヌ地方をプロシャが普仏戦争で奪った経緯は、ドーデの「最後授業」で有名になっています。
その結果・・近くのルール地方炭田と一体化した独逸重工業化発展の基礎を得たのです。
この地域の鉄鉱石・石炭の資源争奪は普仏戦争〜第1次〜第2次世界大戦に続く独仏間の領土争いのテーマになっていましたが現在は最後に勝った?仏領になっていると思います。
EUは元々欧州石炭鉄鋼共同体で始まったことを7月2日に紹介しましたが、産業革命後必要となった資源を巡る怨恨の歴史経緯があるからです。
ロシアがアメリカにアラスカを売ったときには、まだ資源の重要性が認識されていなかった・あるいは極寒の地での採掘技術がなかったことによります。
以下はhttp://matome.naver.jp/odai/2139674489665795001からの引用です。
「1867年に帝政ロシアからアラスカを買ったときの値段はさらに安く、わずか720万ドルである」
豊富な資源力・広大な国土に見合った流れ作業方式・・大量生産時代を切り開いたアメリカは、労働者の実力以上の収入を得て来たのですが、今では先進国の収入源は汎用品から知財やソフト・文化力・・精巧な手作り品・工芸品などの重要性に移っています。
汎用品生産量で勝負する時代が終われば、人口の多さよりは資質が重要ですし、量産系資源力の相対化によってアメリカの優位性が失われて行くのは目に見えています。
物量を運び生産するには10人よりは100人(トラックや機械の量に比例)の方が有利ですが、デザインや知財や美術・金融取引等になると下手な人が百人いても優秀なデザイナーや絵描き一人に叶いません。
とりわけ大量生産系・汎用品組み立ては低賃金単純労働向けの新興国の産業となっていて、これに対応する石炭・鉄鉱石・原油等の量で勝負する資源力が国力そのものではなくなった・・相対化して来た事は明らかでしょう。
ある国単位で考えれば分りますが石炭石油・レアアース等の採掘現場が、大都会や首都あるいは高級住宅街にありますか?と言う比較です。
ロシアであれアメリカであれ、どこの国でも資源採掘現場は、人里離れた荒野あるいは禿げ山にあるものです。
国単位になると資源があると自慢しているようですが、過去佐渡の金採掘作業が囚人の仕事であったように近代の炭坑夫も過酷な労働でした。
最近コマツの重機が無人運転出来るようになっているようですが、資源採掘従事者は泥にまみれ汚い現場で、最低生活層が従事しています。
彼らが作業着のママ都会に出て来てホテルで食事しません。
採掘現場を走り回るような重機や巨大ダンプが住宅街や都会を走ることはありません。
国の果てにある資源を利用する遠くの資本家が良い思いをしているだけであって、資源そのものに従事するグループが良い思いを出来ません。
これがタマタマ同じ国内にあると言うだけであって、シベリアが別の国であってモスクワ経由で売りさばいている場合も結果は同じです。
この理を用いてアメリカは中東の石油利権の獲得に動き、いわゆる「メジャー」支配をして来たのです。
アメリカのシェールガスやサンドオイル回帰は、アラブの民族意識の高まりを背景に現地政府の力が強くなって来て、メジャー支配の旨味がなくなって来たところで、国内資源利用に変更したに過ぎません。
19末〜20世紀に成功したモデル・・量的資源(人的資源も量を求める)に頼る政策そのままです。

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