多民族国家と相対的価値観の必然性1

古代には交通機関が発達していなかったので、アメリカ大陸ほどの広さがあると別世界でそれぞれが生きていたものでした。
(一時的にモンゴルやアレクサンダー大王のように広域征服しても子供らに別の王国として分割統治させます・・日本のように小さな地域ごとに山で隔離されているところでは小さな領国に分化します。)
アメリカは建国後ころには鉄道が発達し、(続いてモータリゼーション→航空機発達があって急速に空間距離が縮まりました)1つの世界としての国家が成立・支配持続出来たことにより連邦制とは言え,一体化した国家になれたのです。
産業革命以前には、巨大山間地や砂漠地帯などの僻地は、生活習慣=民族性が違うし遠隔地支配コストがかかり過ぎるので、安全保障上背後を襲われない程度の従属・友好関係の確認程度が普通でした。
産業革命以降、資源価値が高まり、資源採掘用に直接支配の必要性が高くなって来ると、朝貢や従属関係程度では自由な採掘(収奪)が出来ない・・直接支配・管理が必要となったことから、アメリカ建国当初から広域空間で1つの国になる経済的必要性が自覚されていたことによります。
中国でも、今になればウイグル自治区等の砂漠地帯やチベットの高原地帯・あるいは沿海部と内陸・海洋性民族から農耕民族や内モンゴルや満州地方の遊牧系民族〜雲南等の山岳民族まで包含している外,イスラムから佛教その他多種多様な宗教も存在します。
中華人民共和国は20世紀半ばになってからの国家樹立なので,アメリカ以上に交通手段が発達していること(兵器の近代化)による広域支配手段を確保したことと、資源直接収奪の必要性があって、古代からの朝貢・友好関係だけでは済まなくなったことによります。
共産中国になって初めて僻地の資源を利用するために直接異民族支配を始めたのですが、多民族直接支配をするようになった以上は、軍事力が強大化して外部勢力の応援がないと民衆の蜂起が難しくなった(ことを何回も書いてきました)とは言え、意見の違いを認める相対的価値観に転換しないとうまく行きません。
しかし、中国の場合,建国こそアメリカよりも日が浅いものの,漢民族としての長い歴史経験では(異民族に支配されたことはあるものの)支配者として多様な民族を直接包含・・支配して来た経験がありません。
せいぜい朝貢関係にあっただけで・・漢民族は、気候風土の違う民族を違いを認めた上で異民族として直接支配した経験がないことが、アメリカが建国と同時に広域支配に応じた相対的価値観を樹立出来たのに対して、中国の場合には,世界中から批判されても未だに専制・権力支配しか出来ない違いです。
ことの本質は西欧が始めて知った民主主義・人権思想が正しいか否かではなく、そんな思想以前に古くからどこでも元(モンゴル)もみんな広域・異民族支配をする以上は政治の智恵で域内の多元的価値観(いろんな宗教の併存を含めて)を許容してきたものです。
広域・・気候風土の違う地域の民族を直接支配するには、交通機関の発達だけではなく違った価値観・・生き方を許容する専制支配体制から相対的価値観に社会のあり方も変えて行く必要があります。
漢民族・・あるいはこの地域の民衆も為政者も専制支配の歴史しか知らないので,過去の成功体験が邪魔していて相対価値観の転換に移行出来ないのが現在中国の問題点です。
漢民族は専制君主制しか政治形態を知らないのは、逆から見れば長年周辺民族を支配下におくと異民族としての存在を許さない社会・・みんな漢民族としての生き方しか許さない社会でやってきたことになります。
この結果、漢民族の概念自体特定種族というよりは、この地域にいる民族という程度の意味でしかなくなっています・・。
この地域を元や清など異民族が支配したときには、少数派であるために自分たちの言葉の外に漢民族の漢字の平行使用を認めて来たので、異民族支配のときの方が、相対的価値観の許される社会でした。

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